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庭にふく風


荒井秀男/著

装幀:石坂淳子

2005年2月1日発刊
四六判/184ページ
本体価格1,429円+税(税込1,500円)
ISBN4-900918-73-3 C0095



★著者プロフィール

老境の造園職人が生きた証を書き記す──

いよいよ老境に入った一人の職人として
後継者のいない不安…
心と技の修練を生き甲斐とする日々…

平凡な職人の生きた証として
子どもや孫、顧客や友人たちに
一読いただけたら幸いである。

「あとがき」より

本文より

庭に吹く風

造園という仕事をしていると、趣味の域を出ないが短歌を作ることを楽しみにしている私にとって、題材には事欠くことなく恵まれている。施主がどんな気持ちで私に作庭を依頼して下さったのか。それに、自分がどんな気持ちで応対したのか。また、顧客の庭の植木の手入にうかがって、植木の育ちのことや咲く花、苔むす石のことなど、庭と人とのかかわりを通して、仕事と趣味を両立させられることは幸いなことだ。
季節は再び巡ってくるが、庭に吹く風は時に、開花を促し蝶や小鳥も呼ぶ。人の心にもいろいろな思いを残して吹き過ぎてゆく。吹き去った風は再び庭にはもどらない。だから、その年の庭でのできごとは一期一会とも言える。

酒そそぎ塩に清めて礼拝し新しき庭に鍬を入れたり

市場団地の事務局長をされておられる方が自宅を全面改築するに当って、当面、差障る庭木の移植をし、改築後は新しい家に相応する庭に改造したいと、造園事業協同組合へ相談にみえられた。たまたま、所用で居合わせた私が相談に応じたことから、当面の移植と改築後の庭の改造工事の仕事をいただくことができた。「棚から牡丹餅」とはこういうことを言うのだろう。であればこそ、家の新築のときは神事を行うが、私もそれにならって神聖な気持ちと、「棚牡丹」式に仕事をいただけた施主への感謝の意を現わしたくなる。そんなとき、短歌という趣味が気持ちの表現を助けてくれた。
新しい庭を作るときは、家をとりまく環境や地形、家族構成や趣味などを考慮し設計するのだが、現場に立つと石組や植栽構成で石の形、木姿で、それらの釣り合いを考える。規格にはまった物を組み立てるのではないから当り前のことだが、石を組むとき、一個一個の造形的なおもしろさを失わせることなく、三石、五石等の組み上った上での造形性を考え、腕を組み煙草をくゆらせ、しばしの思考に庭に佇むこともある。

石ひとつ形きめかねて佇たつわれの二の腕に来て秋津とまれり

こんなときの他愛無い小さな生き物との触れ合いは、私の気持ちをやわらげ思考を助け遊び心を呼び起してもくれる。そして、そんな些細な現象を短歌という趣味は、季節感や周囲の状況、私の心の動きを読む人に伝えてくれる。
第十三回「全国短歌フォーラムin 塩尻」が開かれ、その講評の中で歌人の岡野弘彦さんは「事柄、人に関する作品が増えているが、自然や自然と一体の人間を詠んだ歌が少ない」と述べられたという。我田引水になるが、造園という仕事をしていると、雨や風、雲の流れ、鳥や昆虫など自然の現象や生物と自分の行動との一体の気持ちを詠むことができ、正に我が意を得たりの感がある。

庭木々に音して雨の須臾に過ぎシオンの花に再びの蝶

庭木の手入などの作業をしているとき、経験を積んだ手は無意識に動き剪定をするが、目と心は自然の小さな動きに注がれているというようなことがよくある。その日も、庭木の手入にうかがうと、白壁の土蔵の軒下にムシロを敷き胡桃が干してあった。これは歌になると思ったがまとまらない。意識がさき走って気持ちがついてこない。ちょうど残暑のきびしさもうすらいできた季節、きまぐれな通り雨に軒にのがれて、胡桃を手に弄びながら空を見上げていた。そんなとき、一時、花かげに隠れていた蝶は、雨の止む気配を感じたのか、先ほどまでまつわりついていたシオンの花のめぐりをもう舞い始めている。
そんな情景をみて職人らとともに腰を上げる。自然の動きを悟るのは野生の生物の方が早い。ここでも趣味の短歌はいち早く現象をとらえて、通り雨を愚痴ることなく味方にすることが楽しい。こんなふうに造園の日々の仕事と短歌を結びつけてくると、仕事と趣味が一体となる。そして、時には、自分が無意識で作業したことが、終って新たな視点を生むこともある。

干割れたる筧を青竹にとり替えて石蕗の黄が鮮やかに見ゆ

玄関前につくばいが設えてある。私が作ったものだが、施主の人柄から、筧を落ちる清らかな水が、日々水鉢にあふれて前庭の点景としてたしかな位置を占めている。だが、毎日水を流していても自然の竹は二年もするとどこかが干割れてしまう。水垢も溜るし竹の色も褪せてしまう。施主からの希望というよりも、施工者として景を大切にしたい気持で、筧を新しい青竹にとり替えた。晩秋の澄みきったさわやかな日の光りに新しい筧を落ちる水が水鉢に波紋を広げ、その反射のかげが、水鉢に添えて植えられている石蕗の花にゆれている。作業前には特別に意識もしなかったのだが、青竹を新しくして改めて石蕗の黄の花に気づいた。晩秋は私の最も好きな季節だ。
この季節を追うように、紅葉の散る音と時雨の音が冬の到来を告げる。信州の冬は厳しい。その本格的な冬のくる束の間に、庭木の冬囲いを施さなければならない。忙しさが心をかきたてる。

雲裂きてさす光りあり牡丹の株冬に備えて藁に囲いぬ

庭木の冬囲いは、信州の造園作業のしめくくりである。この季節を『自然と人生』の著者、徳冨盧花は「時雨の日」の中で「自然も冬に入らむとして、心騒がしきにやあらむ」と、表現されている。自然の心騒がしさは、否応なしに人の生活にも忙しさを与える。庭木々は、今年も律儀に四季折々の姿を私たちに楽しませてくれた。そして、今、長い眠りの季節を迎えようとしている。一年中、楽しみを与えてくれた庭木に感謝の気持ちを込めて、来春の鮮やかな芽ぶきを、花を、待ちつつ思いやりを持って冬囲いをする。同時に、庭木の芽吹きの時から忙しく働いてきた私たちも、しばらくの冬眠に入る。
眠りの庭木を白い雪が覆うとき、庭を吹き過ぎた風のごとく、折々のできごとを、趣味の短歌の力を借りて書きつづる。仕事と趣味、仕事は私にとって生活の糧だが、趣味は仕事を楽しむ手段とでもいったらいいだろうか。趣味の目が仕事に巾を持たせてくれる。仕事の充実が趣味に新しい境地を開かせてくれる。相乗効果が生きる価値を高めてくれることを願う。還暦を過ぎた私にとって、もう、がむしゃらに働くことはできない。仕事と趣味を車の両輪としてこれからの自分を支えてゆければ幸いと思っている。

(『コスモス文学』2000・8)

目 次

職人の気概

捨てる神あれば拾う神あり
亡き友を心に
庭に吹く風
雑木の庭──四季折々の美
冬の庭──楽しむ彩り
四季偶詠──庭師の日々
冬の京都──特別公開に因み
独り善がり
庭園鑑賞──美を見極める
亡き夫の愛した木──一本の石榴

身辺の出来ごと

【旅行の愉しみ】
沖縄本島四日間の旅
旅行の愉しみ──ある母娘四人の旅行
秋間梅林ふたたび
春浅き四国に遊ぶ
【生活のしがらみ】
郷愁
卒寿の心
孫の祝い事
一枚の水田の思い出──短歌の原点を学ぶ
入院の日々──胃癌を摘出して
青春のつぶやき──歌をともがらに

あとがき

★著者プロフィール

荒井秀男(あらいひでお)

有限会社庭林荒井造園代表取締役
1937年長野市生まれ
1959年長野県果樹園芸試験場中堅成年養成課程修了。1959~68年農業(園芸)指導員として農協に在籍。1992~96年長野造園事業協同組合理事長歴任。
著書に、随筆集『庭の詩』、歌集『庭林』がある。現在、「長野市緑を豊かにする委員会」委員を務める。

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