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花の語らい


白木健助/著 中村仁/銅版

装幀:中村仁

1997年7月7日刊
四六判上製本・160ページ
本体価格1,714円+税(税込1,851円)
ISBN4-900918-11-3 C0095



★著者プロフィール

花をして語らしめよ、わが少年の日々……

MY FIELD●萩

戦時下に一瞬の光芒として過ぎ去った
忘れ得ぬ人たちとの思い出が
時代を越えて語りかける
人に寄せ、花に託した18の哀話

挿画●「花の銅版画」
(カラー/10点)

… 自然環境と同じ歩調で、人々のこころの汚染も進んでいるように思えて悲しくなることが多くなった。そんなとき、何処にでもいる人の、平凡な生き方の中に、素晴らしい真理を発見することがある。地位や名誉なんてものにはまったく無関心で、ひっそりと息を潜めて生きているような人の内に、ナズナや野菊にも似た美しさが発見できたときほど嬉しいことはない。(あとがきより)


ロゼッタの気持ち●ナズナ

【目 次】

第一章 忘れ得ぬ人たち

ワレモコウと秤/水仙と遺書/桜とリア王/カヤノキと怨霊/向日葵と祭りばやし/萩と琴/葡萄と鴨長明/桃と母と涙と/松と杉と父と/ナズナと芭蕉翁

第二章 知恵ある花

文明と種族維持/秋惜しむ/寒さと植物/お松様/お化け屋敷の藤/台風と紅葉/亡び行くものの美/生きものに事よせて

はじめに

人という生きものだけが、特別突出した生き方をしているように思えるときがある。これが進化の証だといっているが、その結果として遺伝や環境の影響を色濃く受けていることになっているのだろう。
例えば、時代そのものが不幸だとしたら、そこに生きる個人の幸せも限られたものになる。人の一生が、「幸」か「不幸」かのどちらかの色だけで塗りつぶすことのできるようなものでないことは分かっていても、大戦で散った若者の一生は不憫でならない。戦争のない今の日本に生を受けていたら、全然別の一生が用意されていただろうことは確かである。
では、今の世であったら皆一様に幸せになるかというと、そうでもない。運とか不運という得体の知れないものによって大きく影響され、ときにはもてあそばれることもある。
こう考えていくと、人の一生なんて個人の力の及ばないものによって準備されているということになる。
いろんな方面で指導者が、あたかも伝家の宝刀であるかのごとくつかう「努力」と「根性」という言葉がある。しかし、努力と根性だけで、三塁手が二塁ゴロを捕れといわれても所詮無理である。三塁手には三塁手としての守備範囲というものがある。その守備範囲をせいぜい守るのが責任というものだろう。自分の人生の中で、もし責任をとるとしたらこの部分だけであると思えば、傲慢にもならず、気も楽である。
どんな人の一生内にも、白梅の下をくぐり抜けたときのようなかぐわしい一瞬というものがあるものである。こんな一瞬によって人は救われ、光を放つこともある。人の中に、このかぐわしさを発見することができたらこよなく嬉しくなる。

★著者プロフィール

白木健助
(しろきけんすけ)

昭和10年、長野県塩尻市生まれ。信州大学文理学部自然科学科で生物を専攻。昭和35年松商学園高等学校(長野県松本市)に非常勤講師として勤める。昭和37年、同校常勤講師に。平成4年より同校教頭。平成9年3月退職。現在、同校にて非常勤講師。塩尻市在住。

中村 仁/銅版画
(なかむらじん)

昭和34年長野県生まれ。造形作家・グラフィックデザイナーとして、絵本・ポスター・装幀・モニュメント・舞台美術等多方面のジャンルで創作活動を続けてい る。著書に『戸隠の絵本』(共著・信濃毎日新聞社)、絵本『よあけのうま』作・絵(ベネッセコーポレーション)『たにしの嫁様』(斑山文庫)『からうすやま と やまんばのき』(小社刊)。現在、北佐久郡御代田町に在住。


からうすやまとやまんばのき

なかむらじん/作
実在した松の木をめぐり、人の世の盛衰といのちの記憶を呼びさます創作絵本。

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