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『句集・メメントモリ 死を想え』


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  • 句集・メメントモリ 死を想え
  • 母の介護と共に詠んだ川柳
    「海図なき介護の舟に四季巡り」

  • 第4回川柳文学賞受賞

  • 黒川利一 著 
  • 森獏郎 ペン画・版画

  • 2010年11月発刊
  • 小B6判 函入り 142ページ
  • ISBN:978-4-904570-29-6 C0092
  • 2,000 円(税込価格2,160 円)

句集・メメントモリ
死を想え

母の介護と共に詠んだ川柳
「海図なき介護の舟に四季巡り」

黒川利一 著
森獏郎 ペン画・版画

2010年11月発刊
2,100円(本体2,000円+税)

第4回川柳文学賞受賞

平成23年・第4回川柳文学賞受賞!!

ISBN978-4-904570-29-6 C0092
小B6判142ページ 函入り

母の介護と共に詠んだ川柳句集

俺を押さえろ 老母(はは)の首絞めてしまう

海図なき介護の舟に四季巡り

決して綺麗事ではすまされない介護の現実。
その現実を赤裸々につづった句集。

その1つ1つの句がすべての介護者の共感を呼ぶ。

<メメント・モリ>

メメントモリ(ラテン語Memento mori)

「死を想え」「死を忘れるな」という意味の警句。古代ローマでは「今を楽しめ」という意味で言われたが、キリスト教世界では、現実のはかなさを覚え、来世に思いをはせるように勧める言葉となった。(『広辞苑』より)

著者紹介

黒川利一(くろかわ りいち)

1948年愛知県津島市に生まれる。愛知大学卒。
川柳作家。

川柳の歩みは母の介護の歩みでもある あとがきにかえて  より

「サンビレッジ新生苑」まで片道約2時間。電車の窓から移りゆく景色を眺めていた。母の「死」という紗幕を通して眺めていた。雪を、桜を、田植えを、夏の花火を、土手の彼岸花を、実がたわわな柿の木を、木枯らしを。

持ち歩いている私の鞄の中にはいつも句帳が入っている。句帳を開いて、母とつながっている現在を言葉でスケッチして川柳にした。それは別れの準備であり、なくしたくない記憶の定着であり、愛だった。そして、避けようのない母の死の対極で揺れている私の心の姿そのものであった。

1995年冬、偶然に手にした『アサヒグラフ』で連載中の「川柳新子座」を知った。時実新子氏が言う、いわゆる文芸川柳との出会である。これは奇しくも母のアルツハイマー型認知症の発症と在宅介護の時を同じくしていた。何という偶然だろう。そこには因縁めいたものを感じないではいられなかった。
98年5月、名古屋駅の電話ボックスから深夜、友人に電話をした。受話器の向こうに友人の声を聞くなり、ただただ泣けて泣けて、言葉が出てこなかった。その時だ、20数年前に亡くなった父の声がはっきりと聞こえた。
「利一、お前がやらずに誰がやる!」

この年の三月、母が利用する施設であれば、できるだけ満足のゆく施設であってほしく、入所していた老人保健施設を出て、次なるそれへと転院した。
だが、結果たるや、母に徘徊があることを理由に所望の老人保健施設ではなく、併設のF老人病院に入ることになってしまった。母には入口に重い鉄扉のある病棟ではなく生活の場で快適に過ごして欲しかったのに……。
「欲を言えばきりがないのかもしれない。面倒を見ていただけるだけでもありがたい」。わだかまる気持ちの一方で体(てい)のいい言い逃れをしていた。しかし、面会にゆくたびに不本意な現実が目の前にあった。パジャマ姿の母が病棟の長い廊下を汗だくになって一人で歩いていた。母は出口を探していたに違いない。帰り際には、「また来るからね」の私の言葉に布団が外されたベッドの上で壁側に向いて正座し、黙って小さく頷いた。母も耐えている。あー、なんて惨むご
いことをしてしまったのだろう。自責の念にかられ暗澹(あんたん)としていた。こうであれば、大抵は新たな打開策を考えるはずが、まるでエアーポケットに入ったようになり、手をこまねいていた。今思えば、この行動停止は介護福祉の仕組みについてほとんど無知で自身がどこに立っていて、どこに動けばいいのか分かっていなかったことと、優柔不断な私の性格に起因していた。そうこうするうち時間だけが過ぎていった。そして、現実から逃(のが)れたく、ただただ毎晩遅くまで一人、酒場で飲んでいた。

電話ボックスで亡父の声を聞いた翌日、亡父が私の背を押すのであろうか、母の入るべき所を求めて私は猛然と動きだした。
認知症の治療でこれまで母が月1回通院していたK病院の「介護支援センター」を唐突に思い出し、訪ねていった。そして、母が入れそうな施設を教えていただき、パンフレットを手に現地に赴き、先方の話を聞いた。ほぼ40日後、件(くだん)のF老人病院から老人保健施設「ケア・サポート新茶屋」(名古屋市港区)に移った。

2000年夏、待機していた特別養護老人ホーム「サンビレッジ新生苑」(岐阜県池田町)に母は移った。「この世で極楽を見ていただく」を理念に掲げる先進的な施設で、母の終(つい)の住処(すみか)となった。

2004年雨季、定年まで3年半を余して、独立行政法人産業技術総合研究所を辞した。手にした時間をできるだけ母のために使おうと思った。この頃には母の誤嚥(ごえん)が頻発し、たびたび急性の肺炎にかかり、発熱をくり返すようになっていた。

2005年5月10日、88歳、母はこの世を去った。
2009年初夏、長野の善光寺にて、板画家森貘郎氏の板画と本人に出会う。
2010年秋、亡父母(ちちはは)に送る句集ができた。句数が108の句集である。それは数珠の珠の数でもあろうし、逃れることのできぬ私の煩悩の数でもある。

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