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介護職人スーパーテキスト


介護職人スーパーテキスト

介護職人スーパーテキスト
生活介護研究所/著
装幀:酒井隆志

2003年6月27日発刊
A5判・164ページ
本体価格1,800円+税(税込1,890円)
ISBN4-900918-61-X C0036

品切れ中



★著者プロフィール
生活介護研究所「介護職人かわらばん」待望の単行本化
理想と現実のギャップに悩む実践者のためのスーパーテキスト
やりたいことをできることに変える5つのアプローチ

もくじ

発刊にあたり/坂本宗久
ケアなきシステム論の時代におくる現場のための介護論

1【食事】「なぜ一緒に食べるのか?」の答えがここにある

食事はコミュニケーション
食べることを介護に
一緒に作る食事ケア
食事作りというリハビリ
生活の場でお客様化するな

◎楽しみとしての食事
[1]献立 [2]調理 [3]食卓の雰囲気 [4]嗜好 [5]食習慣

◎食物摂取の過程……「食欲」から「排泄」まで
[1]食欲 [2]摂食 [3]咀嚼 [4]嚥下 [5]消化・吸収 [6]排泄

◎食事は口から
1)食べるには「時」がある
2)座って食べる
[1]食べ物の大きさが適当である [2]湿り気がある [3]嚥下性無呼吸の準備
3)身体にあった椅子とテーブル
[1]姿勢 [2]椅子 [3]テーブル

共に生きるための食事……業務の一環から生活へ

2【排泄】人としてのプライドはどこへ?

試してみなければわからないこと
学習に追いつかない身体の衰弱
失禁と失敗の大きな違い
「お漏らしは当たり前」からスタートしよう
気持ち良い排泄が目標

先手必勝、排泄ケア実践編
排泄の仕組みを理解せずして正しいケアなし!
おしっこを観察しよう
お年寄りとベンピ

  1. 悪循環便秘
  2. 快便のための心得
  3. 水分をしっかりと摂ろう
  4. 不快感を与えない誘導のコツ

補助的道具としてのおむつ

  1. おむつの構造
  2. 紙おむつの限界

強制された履くパンツ
【資料】自立支援・生活支援の環境設定~数字が命~

3【痴呆】問題の原因に迫るリアルな方法論

呆けは薬で治せるか?
問題の原因に迫る介護の力

予防的ケアへの5つのアプローチ

  1. 生活リズム……介護のベースは生活リズムの安定から
  2. 関係性……娯楽としてのサービス業との違い
  3. 環境……その人らしさを持ち込める情緒的空間をつくろう
  4. 身体ケア……心地よさを生む予防ケア
  5. [1]便秘 [2]痛み [3]かゆみ [4]体力低下 [5]薬の調整
  6. 情緒……心地よさ、喜びをつくること

アマチュアとプロの決定的な差

よみがえるニューロンとシナプス

呆けたからこそ生活の支援
役割と存在価
生活習慣の積み重ね
自分の価値観を押しつけるな
地域に開かれた当たり前の暮らし
ニセモノで満足するな

4【あそび】心と身体に自由を取り戻そう

ちゃんとちゃんと症候群
「であらねばならぬ」から解き放たれるために

その人らしさを引き出そう
機能をアップし、リスクを防ぐ
体力アップにも有効
【資料】カンタンにできる! おススメ遊びリテーション
簡単な膝たたきゲーム/パンチボール1/ファイト!/オーッ/何回ボウリング/パンチボール2/デケデケ指出し!/のろいくらげ

もう一つのあそび……非日常からの脱出
儚くも忘れがたき旅
彷徨い、目覚め、羽ばたき

5【ユニットケア】「広く・浅く」から「狭く・深く」へ

「分割すること」が目的ではない

大集団型入所ケアの限界と反省

  1. 出しっぱなし平均6時間
  2. 民族大移動型
  3. マニュアル日課型&作業中心型
  4. 「まだら」ケアというごまかし

選ばれる入所ケアとは……

小さくするメリット
家庭という究極のケア空間
仕事の場から、生活空間へ
「無関係」からの脱却
業務からの解放
他人以上の関係を紡げるか

ハード面の整備

  1. ほっとする空間づくり……居場所づくりから居心地づくりへ
  2. 小さな空間で生まれる安心感……「その人サイズ」が生活サイズ

スタッフシフトの整備
何人いればユニットケアは可能か
ユニットケア導入への新たな提案
未来への課題

【特別資料】
ZiZiBaBa体験:「自分がめざす介護」を発見するプロセス

体験しなければわからないこと
たった数時間で人生に絶望するということ
寝たきり体験
車椅子座りっぱなし体験
排泄・おむつ一晩体験
食事体験
不自由体験
チューブ体験
閉じこもり体験
当事者に向かいあうこと

「介護とは何か」を自分の中に作り出すために
【資料】2泊3日 新人研修の計画書

あとがき/松林誠志

発刊にあたり

ケアなきシステム論の時代におくる
現場のための介護論
坂本宗久/生活介護研究所代表

誰がこんな時代にしたのかと思わず大声をあげたくなるほどに、ケアのシステム論が隆盛である。ユニットケア、地域分散型サテライトケア、小規模多機能ホーム、グループホーム、宅老所etc.……。しかし、その「時代の最先端」をいくサービス機関の実態は、どれほどのものであったろうか。
全国で雨後の筍のようにオープンした宅老所やグループホームの多くは、制度以前からそれぞれのスタイルを作りあげてきた人々の模倣でしかなかった。しかも、なぜ宅老所なのか、グループホームなのかという想いはほとんど伝えられることがなく、施設の形態ばかりが語られている。
彼らが言う「ゆっくり」という生活は「何もしない時間」を指し、「馴れ馴れしさ」と「親しみ」の区別もつかず、「乱雑さ」を「生活感」と勘違いしていたりする。ケアに求められる言葉が、都合よく解釈されてしまっているのである。

規制緩和で参入しやすくなったグループホームは、新規参入の7割が株式会社となり、介護報酬に加えて高い「ホテルコスト」を徴収する有り様で、もはや「福祉」ではなくなった感さえある。そして福祉や介護に対するポリシーを持たない経営者は、経営倫理を振り回しながら、本当の消費者である要介護のお年寄りの顔や名前さえ覚えていない。
「なぜ、あなたはお年寄りと一緒にご飯を作り、食べるのですか?」
彼らから、その答えを聞いたことはほどんどない。
一時は「痴呆性老人への介護の最後の切り札」と言われたこともあるグループホームだが、最悪のカードが切られたのかもしれない。

ユニットケアは、そのユーティリティを生かすこともなく、大規模ケアがそのまま小規模になっただけのところも多い。少ない人員配置でスタッフは苦しみ、リビングではお年寄りがなにもせずにただ座らされている。「寄り添う」ということをきっかけに、より深い関わりを持つためのユニットケアだったはずなのに、肝心なことを見落として業務に流されていく。

「小さいことはよいことだ」という今どきの老人福祉の抽象論のなかで、施設の形態とシステム論が作られてしまった。
「寄り添う介護」「生活を共にする」「お年寄りの願いを聞く」……どの言葉も響きはいいが、あくまでも概念でしかない。求められているのは、その中身である。つまり、介護のプロとしてのクオリティの高さと応用範囲の広い援助技術が問われているのである。

この本は、システム論・経営論を好む人にとって、「耳の痛い本」になるかもしれない。だが、言葉遊びをしている余裕はもうないのである。ケアなき小規模化ではなく、介護の本質に迫るプロのケア論を提案する。

あとがき
松林誠志/生活介護研究所

お年寄りたちと関わっていると、心地よい裏切りが待っていることが多い。別の言い方をすれば、自分たちの想像や常識を超えた意外性を見せてくれるということ。
45度はあろうかという熱いお風呂が好きなおじいさんがいた。しかも口の上までお湯に浸かり、鼻だけで息をしているのだから驚くではないか。
四肢が拘縮し、鼻腔チューブが入り、意思表示もほとんどない寝たきりのおばあさんがいた。少しずつ練習して、ようやく口からものを食べられるようになった。オムツ交換の時、夜勤のスタッフが枕元に置かれたおばあさんの若い頃の写真を見て「きれいだったんだね」と話しかけると、「ありがとう」と返事がかえってきた。初めて聞くおばあさんの声だった。その報告を聞いてスタッフが次々に駆け寄った。「私の名前知ってる?」と聞くと、低くつぶれたような声でちゃんと名前を答えていった。そのときの驚きと感動は忘れられない。
自分の意識のどこかに、「お年寄りってこんな感じだよね」という固定観念のようなものが出来上がっていて、それが日々の介護のなかに蔓延してはいないだろうか。適応力が低下しているとはいえ、その残った力で精一杯生活しているお年寄りに、自分たちの未熟な生活感や介護感、ひいては老人感までも当てはめていたのかもしれない。「一生懸命介護している」という言葉で自分を励ましたり擁護するだけではなく、その言葉を楯にして介護の現実や本質を見ないようにしていたのかもしれない。

先日、「リスクマネージメント」の面から介護施設に関わる方とご一緒する機会があり、こんなお話をお聞きした。
「どんなサービス業にもフロントヤードとバックヤードがあって、例えばホテルでもレストランでも、直接お客さんと接するところは笑顔で対応して、相手を不快にさせないように気遣うのが当たり前。バックの厨房や清掃がどんなに忙しくても、それをフロントの人たちは見せたり感じさせたりはしない。でも施設はフロントもバックもない。利用者は、『自分が介護されている』ことを、平気で他の人にも知られてしまう。私だったら、介護されてるのがわかっちゃうのは嫌だな。介護されてる感覚はない方がいい」
そして、その日訪れた宅老所では、フロントヤードとバックヤードの仕事がきちんとなされていたという。
「トイレのときも、ほかの利用者の前で『トイレに行きましょう』なんて言わず、何気なく誘っていた。お風呂に入った時の様子も、利用者のいないところでスタッフ同士がちょこちょこと話している。だから介護しているって感じが丸見えではなくて、それが良かった」
異業種の人から見れば、介護・福祉は「特別」な業界に見えるようだ。決して、良い意味ばかりでなく……。
「素人の目から見ても良質なサービス(ケア)が提供されていないのに、リスクだけ少なくしたいなんてとんでもない」とも言っていた。
反論もあるだろう。介護されることも含めてその人の個性だ、お年寄りと一緒に生活しているなら多少恥ずかしいことも見せないと他人行儀になる等々。
ただ、お年寄りと一緒にご飯を食べている場面を取り出して「家庭的にやってます」とは言っても、どんなに仲良く寄り添っていても、「他者」なのであり、その「他者」がいて自分たちは収入を得ているのは紛れもない事実なのである。自分が、もしくは自分の親が介護される場合、「介護してますよ」という場面を見せられたら、どう思うだろうか。
「介護してますよ」が前面に出すぎて利用者が望んでいる状況ではなくなっていたり、知らないうちに恥ずかしさや劣等感を感じさせてはいないだろうか。
フロントヤードではお年寄りが要介護者としてではなく、一人の大人として存在してほしい。人として、ゆったりした楽しい時間を過ごしたり、満足しながら食事をしたり、ただそれだけのために介護職も関わってほしい。そうなるためには、介護職一人ひとりの力量も問われてくる。
介護にフロントヤード、バックヤードを当てはめてみると、バックヤードには介護の技術や知識がストックされ、状況に応じてそれらがフロントヤードへと動員されるのがいい。お年寄りのそばでは自分もただの人として存在し、手助けが必要なときだけ「介護職人」に変身できればいい。しかし、バックヤードが空っぽだったら……。愛嬌や愛想だけではカバーできない。

随分と昔、「究極の選択」というのが流行ったころ、こんな質問をしたことがある。
「あなたは介護されるとしたら、どちらがいいですか? 介護技術は上手ではないけれど一生懸命で優しい人と、介護技術は上手でオムツ交換の手際もいいけど冷たい表情で愛想のない人」
選択だからどちらかを選ばなければならないのだが、決定するまで思わず考え込む。その「間」に、本当の気持ちが隠れている気がする。本当は「介護されるなら介護技術もちゃんと身につけていて優しくて一生懸命な人」を望みたいのだ。そして、これから求められるのは、介護を介護らしく見せずに、要介護の状態であっても当たり前の人として接してくれる介護職ではないかと思う。

この本は、生活介護研究所発行の季刊誌『介護職人かわらばん』の中でも特に反応の大きかった特集を再編集したものである。自分たちが関わったお年寄りと、これから関わるであろうお年寄りへの想いを込めているが、介護技術の本でもある。一人ひとりの介護職のバックヤードにしっかりと収めてもらえれば、一冊にした甲斐があったと思う。
『介護職人かわらばん』発行時から携わっていただいた多くの方々、今回の出版にご協力いただいた皆さん、そしてこの本ができるまで根気よく付き合ってくださった編集の荻野文恵さんに心から感謝の意を表したい。
そして手にとって読んで下さった方にも「ありがとう」。

★著者プロフィール
生活介護研究所

全国各地に出張し、介護にかかわるさまざまなセミナーを開催する介護のプロ集団。現在メンバーは3名。在宅・施設を問わず現場ですぐに役立つ講座内容が人気。そのジャンルは、介護技術はもちろん、在宅の環境整備、訪問ケアの援助技術、リハビリテーション、新設施設の立ち上げから職員研修等々幅広い。

[出張介護セミナーの特長]
1)研修の内容について事前に相談を受け、主催者のニーズにしっかり応えます。
2)全国どこへでも出掛けます。
3)料金は相談にのります。良心的な価格です。
4)介護の現場で活躍中の人材とネットワークを結び、要望に応じて実践力のある講師を紹介します。

[連絡先]
〒912-0091福井県大野市牛ヶ原83-11
[Tel・Fax]0779-66-1958
>>[URL]http://www.skk.gr.jp

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