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信州蕎麦学のすすめ  「日本の屋根」の食文化


市川健夫/著

装幀:酒井隆志

2000年4月19日発刊
四六判・178ページ
本体価格1,600円+税
ISBN4-900918-29-6 C0077

品切れ中





★著者プロフィール

◆◆◆

なぜ、信州を訪れる観光客の7割は昼食にソバを食べたいと思うのか?
そば王国信州からすべてのそば好きに贈る、
歴史・民俗・地理学にみる「信州そば学」の決定版

日本における蕎麦の歴史は1万年前にさかのぼるが、<蕎麦切り>の歴史はわずか400年にすぎない――。「信濃では月と仏とおらが蕎麦」の歴史的検証、そば作物学、手打ち蕎麦のつくり方から世界のソバ料理に至る蕎麦づくし文化論。

もくじ

発刊のことば――信州蕎麦学

第一章  信州蕎麦の作物学
一 信州蕎麦の名声/二 蕎麦という作物/三 さまざまな蕎麦の品種/四 生産限界地の蕎麦

第二章  世界の蕎麦・日本の蕎麦
一 世界における蕎麦の生産/二 中国は世界一の蕎麦生産国/三 日本における蕎麦の生産/四 信州蕎麦の産地/五 蕎麦作歳時記

第三章  蕎麦切りの食文化
一 晴の食としての蕎麦切り/二 蕎麦切り事始め/三 辛味大根のおしぼり/四 水車と機械製粉の蕎麦/五 蕎麦の実と製粉

第四章  蕎麦切りの多様性
一 掛け蕎麦・投汁蕎麦・ほうとう蕎麦/二 木曽谷のスンキ蕎麦/三 柏原でつくられている凍り蕎麦/四 出石蕎麦・出雲蕎麦・会津蕎麦

第五章 手打ち蕎麦のつくり方
一 手打ち蕎麦――練りと繋ぎ/二 伝統的蕎麦打ちの手法/三 蕎麦切りの食べ方/四 手打ち蕎麦と機械打ち

第六章  褻(け)の蕎麦食さまざま
一 褻の食としての蕎麦がき/二 褻の食としての蕎麦焼き餅/三 早蕎麦といわれる大根蕎麦/四 蕎麦の薄焼き・蕎麦団子・蕎麦粥

第七章 多彩な蕎麦文化
一 蕎麦饅頭・蕎麦落雁と蕎麦焼酎/二 蕎麦茶事始め/三 蕎麦蜜と蕎麦殻枕/四 蕎麦の萌やしと葉の食品化/五 ヨーロッパ風の蕎麦料理

あとがき

写真構成:手打ち蕎麦ができるまで

蕎麦の栽培と食品のフローチャート

索 引

発刊のことば

信州にやってくる観光客の七割は、昼食には蕎麦をとりたいというアンケート結果報告がある。この数値は信州蕎麦の知名度が高いのと、また蕎麦を食べてみたいという願望がきわめて強いことを示している。
一方、現代においては蕎麦というと蕎麦切りだと思っている人が圧倒的に多い。しかし日本における蕎麦の歴史は一万年前にさかのぼれるが、蕎麦切りの歴史はわずか四〇〇年にすぎない。縄文早期から安土桃山時代まで、蕎麦は蕎麦がきや蕎麦焼き餅にしてもっぱらたべられてきた。
島崎藤村が生まれた馬籠宿は、中山道六十九次の一つであり、奥深い山村とはいえないが、幼少のころ馬籠宿の本陣であった生家では、朝食は力餅あるいは芋焼き餅といわれた蕎麦焼き餅が、常食であったと島崎藤村はその著『力餅』の中で書いている。この馬籠宿では明治時代まで、また開田村や秋山郷のような隔絶された山村では、第二次世界大戦後まで蕎麦焼き餅が主食になっていた。
既刊の蕎麦の本をみると、蕎麦は主穀ではなく、五穀に入らないと書いてあるものが多い。これは日本全域を平均化すれば、五穀に入らないが、川上村・開田村・秋山郷をはじめとする信州の山村の多くでは、第二次世界大戦後まで、蕎麦は五穀に入る有力な作物であった。
わが国における晴の食をみると、糯と粳の区別がある米と粟・黍が作られてきた。古代から糯米や糯粟・糯黍を蒸かして強飯(こわめし)をつくり、これを晴の食としてきた。近世初めまでジャポニカ種の赤米を用いたが、以降白い糯米が使われるようになり、小豆や食紅で色をつけて、赤飯がつくられた。また糯米を蒸かしてからついて餅にされた。しかし、蕎麦はモチがないため、強飯・餅にすることができない。ところが、江戸初期、蕎麦切りが普及するとともに、蕎麦食は年越し蕎麦・引越し蕎麦など晴の食とされた。その結果、穀物としての蕎麦の地位が高まった。
信州蕎麦の名声が江戸をはじめ、全国的に有名になるのは、江戸市中で蕎麦切りが売られた江戸中期以降である。元禄期江戸で更科蕎麦や更科粉の呼称が使われるようになり、現在に至っていることは、信州の蕎麦文化が全国的にみてもいかに高いものであったかを示している。
蕎麦の栽培、蕎麦の製粉、蕎麦麺の製造、蕎麦汁のつくり方、蕎麦切りの食べ方、蕎麦道具など、蕎麦に関する農業と食文化の奥行は深く、かつ多様である。麺のつくり方、調理法をとっても、同じ信州でも風土によって大きく異なっている。
私が信州をはじめとする中央高地の高冷地、東北地方や北海道など寒冷地のフィールドワークを始めて半世紀以上になる。その間ブナ帯文化論・青潮文化論を展開したり、あるいは中国の雲南や海南島、新彊ウイグル自治区、スリランカなど南アジアの農耕文化についての地理学的研究を進めてきた。その際、指標作物として、留意して観察してきたものに蕎麦があった。
世界各国でブラジル・オーストラリアなど新大陸の諸国を除けば蕎麦の生産が衰退している。この中で日本のみは蕎麦の需要がふえているのは、蕎麦切りというユニークな独特の蕎麦文化が発展しているからである。それに加えて、蕎麦が健康食ブームにかかわって需要が伸びていることが助長条件になっている。
日本の蕎麦食文化の頂点に信州があるので、『信州蕎麦学のすすめ・・日本の屋根の食文化』というタイトルで、信州を中心に日本の蕎麦文化について単行本を出すことにした。蕎麦は信州では乗鞍高原の一六五〇メートル、チベット高原では四四〇〇メートルまで作られている生産限界地の作物である。人類の居住限界を規定する作物といっても過言ではない。農作物としての蕎麦の栽培、食品加工業としての蕎麦産業、食文化としての蕎麦などについて記した。
信州の蕎麦文化の基層は深く、いまだに知られざる分野も少なくない。そこで読者の皆さんからも蕎麦文化についてご教示をいただければ幸甚である。

平成十一(一九九九)年一二月

★著者プロフィール

市川健夫(いちかわたけお)

1927 年長野県小布施町生まれ。現在、長野県立歴史館館長・東京学芸大学名誉教授・長野県文化財保護・総合開発・観光開発各審議委員・環境庁自然環境調査会委 員。専攻は人文地理学・地誌学・理学博士。ブナ帯文化論・青潮文化論の提唱。一連のブナ帯文化の研究で1990年、第九回風土研究賞を受賞。1999年第 5回NHK地方放送文化賞を受賞。
主な著書に『日本のサケ―その漁と文化誌』・『雪国文化誌』・『再考・日本の森林文化』(日本放送出版協会)、『風土の中の衣食住』・『日本の馬と牛』 (東京書籍)、『ブナ帯と日本人』(講談社)、『日本の風土と文化』・『日本の四季と暮らし』・『風土発見の旅』・『青潮文化』(古今書院)、『森と木の ある生活』(白水社)、『信州の峠』・『信州学ことはじめ』(第一法規)、『風の文化誌』(雄山閣出版)など多数。監修に『鰤のきた道』(松本市立博物館編/小社)など。

鰤(ぶり)のきた道
越中・飛騨・信州へと続く街道
市川健夫/監修
松本市立博物館/編
ブリはなぜ、山国信州の年取り魚になったのか? 「鰤街道」の歴史と民俗を貴重な写真資料とともにたどる。

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