HOME » 信州学 自然と紀行»心に残るとっておきの善光寺散策案内

心に残るとっておきの善光寺散策案内


心に残るとっておきの
善光寺散策案内

付録◎善光寺散策マップ
B6判変型・112ページ
本体価格952円+税(税込1,028円)
7年に一度の善光寺御開帳がはじまりました
参詣のお供にご満足いただけるとっておきガイド

ISBN4-900918-58-X C0026

装幀:石坂淳子

2009年善光寺御開帳は4月5日(日)〜5月31日(土)の57日間です。

せっかく善光寺さんへ参るなら、
門前町を歩いてみましょうよ。

善光寺のこと、知ってますか?

この本には、
◎善光寺の歴史は1400年です。
◎本堂は国宝です。
◎特定の宗派ではありません。
◎だからお檀家さんがいません。
◎ご本尊は誰も見たことがありません。
というようなことの解説はもちろん、
“長野駅から歩いて来たとき、どこでどんなものに出会えるの”
というようなことや
“自分たちが歩いて見つけたお気に入りの人や風景やお店”などの
とっておきの「虫の目」情報を集めています。

もくじ

ようこそ善光寺へ

善光寺のこころ
【善光寺さん】宗派を問わぬ庶民の寺
【ご本尊】僧侶でさえも見られない秘仏
【善光寺縁起】インドから始まる物語
【女人往生】皇女から八百屋お七まで
【善光寺炎上】度重なる火災を越えて
【御開帳】仏都長野の最大の祭り
【出開帳】前立本尊の全国出張
【善光寺聖】地域に根ざし全国に広がる善光寺信仰
【ご本尊の流転】信玄も秀吉も欲しがった善光寺仏
【善光寺道】関所も許した善光寺参詣
【善光寺講】数千人の大巡礼団も出現

長野駅から表参道を歩く
如是姫が迎えてくれる長野駅
伝説ねむる苅萱山西光寺
・石童丸物語
・西光寺で動物ウォッチング!?
新田町から遠くに善光寺が見えてくる
・一茶の句でたどる善光寺
・善光寺は構図を考えて造られていた!
レトロな雰囲気を味わう大門町

善光寺境内を歩く
仁王門をくぐり境内へ
宿坊街はしっとりとした風情
仲見世を抜けて三門へ
・敷石の数は七、七七七枚
・大勧進と大本願◎境内おもしろ散策

国宝、善光寺本堂に参る
仁王門をくぐり境内へ
宿坊街はしっとりとした風情
仲見世を抜けて三門へ
・敷石の数は七、七七七枚
・大勧進と大本願◎境内おもしろ散策
撞木造りの大伽藍に息をのむ
・善光寺の匠と技
内陣欄間の絢爛 来迎二十五菩薩
内々陣の奧にご本尊様がいらっしゃる
・貫主様とお上人様からお数珠・ご印文をいただく
・善光寺本堂 何でも拝見!
・牛に引かれて…善光寺こぼれ話
・善光寺の一日
「ぐるりん号」に乗って長野市内を周遊しよう

Essey—-善光寺を感じる旅
善光寺という私の聖地
この世に女の哀しみがある限り

ちょっと寄り道
在りし日の長野駅
ひいてみよう! 華おみくじ
霊力が集まるグランドクロス
極楽行きのわらじをはいて
城山公園で過ごすアートな時間

付録MAP:善光寺発見案内善光寺77景

イラストマップつき!

ようこそ善光寺へ


長野は、善光寺のお膝元に広がる門前町です。日本最古の御仏を祀る善光寺は、約千四百年の歴史を刻む日本を代表する霊場でもあります。
しかし、善光寺はこれだけの歴史と信仰がありながらも、決して権威的ではありません。地元では「善光寺さん」とさん付けで呼ばれ、親しまれているほどです。それは、善光寺が檀家も持たず、特定の宗派にも属さない庶民の寺であるからです。訪れるすべての人に極楽往生を遂げさせてくれる如来さまの慈悲のもと、名もなき庶民たちが善光寺を守り支えてきたのです。
善光寺さんは、いつも訪れる人を「ようこそ善光寺へ」と迎えてくれます。それはもう、長野駅から始まっている「心の旅」でもあります。駅前に立つ如是姫像は、善光寺の方角に向かって花を手向けています。ここが物語の始まりになるのです。
ですから、善光寺を訪れるなら、少しだけでも時間をとって、界隈を散策していただきたい。もし時間がなくて、裏から入ってお参りをするだけしかできないのなら、ぜひもう一度訪ねてほしい。善光寺さんへの旅は、あなた自身が自分の感覚で感じてこそ深まるのではないかと思うからです。
どうぞ、あなたが善光寺さんの深い慈悲に出会えますように。そして、心に残る長野のまちの魅力が見つかりますように…。
さあ、この本といっしょに善光寺とその界隈の散策に出かけてみましょう。

Essey:善光寺を感じる旅

善光寺という私の聖地

夕暮れどき、人影もまばらになった境内に静かな時が流れはじめる。ゴーンという梵鐘の音が響くと、まちは、そろそろ夜の準備だ。夜の帳に包まれるまでの、ほんのわずかなひととき、善光寺はスーツを脱ぐように素顔にもどる。

聖地…ここは、一四〇〇年以上もの長い間、私たちと同じ名もない人々の祈りの場所であり続けてきた。哀しみをかかえた母親が、親を思う子どもらが、誰にも言えない思いを抱いて、この寺を訪れたことだろう。
ひんやりとした本堂にたたずむと、阿弥陀如来のあたたかな慈悲につつまれるような、安らかな気持ちになって自然に手を合わせたくなる。目を閉じて手を合わせると、心の内側にいるもう一人の「私」がすうっと息をするようだ。

生きていくということは、荷物を背負っていくことだという。重たい荷物、うれしい荷物、いろんな荷物があるけれど、最後に、すべての荷物を下ろして、たったひとつの名もない命に還っていきたいと願うのかもしれない。そして、そういう想いは、千年前も今も何ひとつ変わらないものなのかもしれない。
ある人にとっての善光寺は、他の人の善光寺とは違うかもしれない。でも、それが善光寺だと思う。誰の心にも自分だけの善光寺がある。それでいい。それを見つけたくて、それに出会いたくて、人は善光寺を訪れるのだから。

1件の読者の声 »

長野●83歳 男性
善光寺出版物がたくさん出ている中で、コンパクトで一番当を得ている。

Comment— 2009 年 4 月 16 日 @ 11:39 AM


この投稿へのコメントの RSS フィード。 TrackBack URL

本の感想をお寄せください。

編集部で掲載の可否を判断させていただきます。
あらかじめご了承ください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)




TOPへ戻る