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鰤のきた道 越中・飛騨・信州へと続く街道


isbn4-900918-56-3

  • 鰤のきた道
  • 越中・飛騨・信州へと続く街道

  • 今年もやってきました。鰤の季節。 鰤はどのようにして山国信州に来たのか?興味深いその歴史と民俗

  • 編集:松本市立博物館 
  • 監修:市川健夫

    装幀:石坂淳子

  • 2002年12月13日初版発行
  • A5判 128ページ
  • ISBN:4-900918-56-3 C0039
  • 1,524 円(税込価格1,646 円)

鰤のきた道

越中・飛騨・信州へと続く街道
編集
:松本市立博物館
監修
:市川健夫
本体価格1,524円+税(税込1,646円)
今年もやってきました。鰤の季節。
鰤はどのようにして山国信州に来たのか?興味深いその歴史と民俗

ISBN4-900918-56-3 C0039
2002年12月13日初版発行
A5判・128ページ
装幀:石坂淳子
★著者プロフィール


鰤分け神事/富山県射水郡下村加茂神社

ブリはなぜ、山国・信州の年取り魚になったのか?

「神の魚」は峠を越えてやってきた
200kmにおよぶ遥かなる旅路
歴史と民俗に彩られた鰤街道をたどる

【目次】

信州の鰤街道と鰤文化
市川健夫 東京学芸大学 名誉教授

富山の鰤漁と暮らし
小境卓治 氷見市立博物館 館長

鰤のきた道概略ルート図

鰤のきた道をゆく◆第一部
越中富山から飛騨高山へ

現在のように交通手段が発達していない時代、富山湾で獲れた鰤が、いったいどのようにして信州へ運ばれていったのだろうか。
その道は険しい谷や川を渡り、雪深い峠を越え、いくつかの関所を通らねばならず、様々な制約の中、まさに命がけの行程でもあった。
信州に鰤が運ばれてきた道は、いくつか考えられるが、ここではまず、越中から飛騨に至るルートからたどってみたい。

富山を発つ
神通川に沿って/籠の渡し
コラム◎神通川に架かる笹津橋

飛越国境の関門
西猪谷関所/関所を通った人々と物/越中から飛騨へ運ばれた「登り荷物」/飛騨から越中に来た「入り荷物」
コラム◎西猪谷関所の通行証

東と西、二つの道筋
越中西街道/越中東海道

飛騨高山に着く
高山の町/肴商人の思い/今も息づく伝統
コラム◎川上家が一手に販売

鰤と年取りの思い出(年取り魚アンケート富山県・岐阜県)
鰤桶の思い出

鰤[ブリ]という魚の不思議
稲村修 魚津水族館学芸員

ワタシの履歴書(ブリのプロフィール)

鰤のきた道をゆく◆第二部
飛騨高山から信州松本へ

鰤は高山までの「越中鰤」から、今度は装いも新たに「飛騨鰤」と呼び名を変えて、信州松本へ旅立つ。安房トンネルが開通するずっと昔のことである。
鰤は高山や野麦のボッカ(歩荷)に背負われ、おおよそ七~八日間揺られ続けた。黍生谷では日和田街道を進む鰤もある。標高一六七二メートルの野麦峠越えは、まさに、高山と松本を結ぶ道筋一番の難所で、雪深く、細い山道をボッカ衆はショイコとネンボーを使って歩いた。峠の頂上が信飛の国境で、やっと信州に入ることができたのである。

江戸街道を辿る
甲・黍谷・野麦の集落

野麦峠越え
野麦峠とボッカ/ボッカさの権太も落ちた難所/冬の野麦を越えた人と物/天下無敵の尾州岡船
コラム◎旅籠松田屋/鰤を運んだ街道による文化の伝播「奈川獅子舞」

寄合渡から松本、そして伊那谷へ
松本の伊勢町が終着点/木曽谷や伊那谷まで運ばれる
コラム◎かつて鮭が遡上した松本平

もう一つの鰤のきた道
塩の道もう一つの鰤街道/千国街道を通った鰤/ボッカと鰤の輸送/千国街道をゆく

塩そして魚の移入〜峠を越えた時代のこと
胡桃沢勘司 近畿大学文芸学部 教授

鰤は、何日かかって松本まできたのか

松本平の鰤文化
鰤は、越中富山を発ち、【鰤のきた道】を通っておおよそ一七日目にようやく信州松本へ到着した。そして、おそらく【もう一つの鰤のきた道】を通って、越後糸魚川方面からも鰤が南下してきたことだろう。
東北信は鮭の国、いわゆる「鮭文化圏」に属していることは言をまたないことである。しかし、松本平では肥沃な大地を潤す流域で鮭が獲れたにもかかわらず、年取りや正月に鰤を食べる、いわゆる「鰤文化圏」に属しているのはなぜであろうか。
浜値では鰤は米一斗で買えたものが、信州では米一俵にまで跳ね上がったという鰤。こんな高い魚を、一体、どのような人々が食べていたのだろうか。
現在でも伝承される鰤にかかわる習俗や昔の様子など、地元松本の人たちのアンケートを元に松本と鰤文化について考察してみたい。

アンケート○魚屋の店先○我が家のお年取りの食卓○おおすすめの鰤料理
◎恵比寿様と鰤の尾◎魚屋の小僧◎塩鰤のつくり方

今に生きる鰤のきた道・21世紀の鰤街道をゆく

監修にあたって 市川健夫

協力者・参考文献一覧

監修にあたって

市川健夫
日本列島は南北に3000キロメートルにもわたっているばかりか、東西の経度差は三一度におよび、時差が二時間四分にも達する大国である。このような日本列島のなかで最も幅が広いのが中部地方である。長野県・信濃国は中部地方南北に212キロメートルにもわたり、存在している。

日本列島を地質構造上東日本と西日本に分たっているのが、フォッサ・マグナ(大地溝帯)である。ここは第三紀まで海溝であったが、その後陸化して筑摩山地となり、そこには八ケ岳をはじめ富士火山帯に属する火山が噴出している。

このフォッサ・マグナを境にして、日本の民俗文化は東西に分たれている。しかし、東西文化の接点は一様ではなく、文化によってその接点も様々である。たとえば古代から明治・大正・昭和時代まで、敦賀湾と伊勢湾を結ぶ線から以東の東日本では、大家畜として馬が飼われていた。また以西の西日本では牛が使われていた。鉄道交通が発達するまで、日本の交通事情は「北馬西船」ということばで表現できた。この牛馬は陸上の交通手段のみではなく、農耕に用いられ、肥料の生産手段でもあった。この牛・馬の文化圏は現代ではみられないが、肉の消費動向をみると、西の牛肉、東の豚肉という構図がみられる。

沢と谷の地名分布をみると、糸魚川(新潟県)と桑名(三重県)線の東は沢地名が卓越し、西には谷地名が卓越している。長野県の全域が沢地名圏であるため地名のみでなく、姓氏にも沢名が多い。県下にある南沢・西沢・北沢・藤沢・大沢などの沢のつく苗字は五〇にも達し、長野県の世帯の七分の一までが沢の苗字である。

森林植生をみると、中南信には桧の美林があるが、東北信にはみかけない。県下ではフォッサ・マグナを境にして、桧が自生している地域と自生していない地域に分れている。そこで善光寺本堂の用材は南佐久産の桂が主として用いられており、桧はまったく使われていない。

羚羊は国の特別天然記念物であり、長野県の県獣になっているが、その呼称は北信では青獅子、東信では岩鹿、中信では獅子、南信ではニクと呼んでいる。これは信州のみでなく、東日本の内帯と外帯、西日本の内帯と外帯には各々異なる呼称があり、呼び名によって狩猟組織が共通しているのも面白いことだ。青獅子というのはマタギに属する猟師たちの共通した呼称であり、東北六県、北関東、信越国境で使われている。

日本の年取り魚は東では鮭、西では鰤になっている。この鰤文化の東端が中南信である。日本の基層文化は米作を中心とする照葉樹林文化複合であるが、上方といわれた畿内を中心に西日本に発展し、順次その文化が東漸していった。照葉樹林文化の構成要素である鵜飼いにしても、信州では諏訪湖と天竜川のみに発展していた。明治10代、乱獲を理由に諏訪湖と天竜川の鵜飼いは禁止された。また下伊那郡においては照葉樹林文化複合である柚子・雑柑などの柑橘類が栽培されてきた。

東西文化圏の接点を示すもので一番鮮やかなものが、年取り魚としての鰤と鰤の文化圏であろう。年取り魚として鰤を用いるようになったのは、中世の末、戦国時代のことかと思われる。京・大坂あたりの上方で、年取りの晴の食として北陸地方産の寒鰤を用いる風習が東漸して、信州の松本・木曽福島・諏訪・飯田あたりまで定着するようになったのは、江戸中期からである。

貞享五年(1688)高山の肴問屋川上哲太郎家に、越中鰤の専売権が与えられるが、このころから、高山経由で飛騨鰤が中南信へも運ばれるようになった。かつて関西と関東との境界は、愛発・不破・鈴鹿の三関であった。ところが、質的に高い関西(上方)の文化が、三関を越えて中南信に達している。その一例が、晴としての鰤の食文化があげられる。

松本市立博物館は、地域文化の特性である鰤を取り上げて、平成13年度に大変ユニークな「鰤のきた道展」を開催された。その際、展示された資料をもとに『鰤のきた道・越中・飛騨・信州へと続く街道・』を出版されることになった。富山湾における寒鰤漁、越中から飛騨、信州に至る鰤街道と歩荷の活躍、松本の鰤食文化など、鰤文化に関するルポルタージュが本書である。

【参考文献】

『松本市史下巻』松本市1933
「飛騨のぼっか–前代飛騨の交通文化Ⅲ–」(『ひだびと』4–4)三浦薫雄1936
『塩および魚の移入路–鉄道交通前の内陸交通–』田中啓爾 古今書院1952
『北アルプス博物誌Ⅰ 登山・民俗』大町山岳博物館編 信濃路1967
『市と行商の民俗』北見俊夫 岩崎美術社1970
『大町・糸魚川街道のボッカ調査報告書』立教大学宮本研究室編刊1976
『松本そだち』丸山太郎 信濃路1976
『東筑摩郡松本市塩尻市誌別篇地名』東筑摩郡松本市塩尻市郷土資料編纂会1976
「鰤荷の発生」(『物質文化』28)胡桃沢勘司1977
「鰤の正体」(『日本民俗学』119)胡桃沢勘司1978
「野麦街道の交通伝承–第一報・その概要報告–」(『信濃』32–1)胡桃沢勘司1980
「越中鰤の伝承―飛騨鰤の原像を探る―」(『物質文化』36)胡桃沢勘司1981
『糸魚川市史 第5巻』糸魚川市1981
『高山市史上巻(復刻版)』高山市1981
『越中ブリ』北日本新聞社編刊1983
「野麦街道の交通伝承–第三報・飛騨ボッカの活動–」(『信濃』35–1)胡桃沢勘司1983
『松本城二の丸御殿跡発掘調査・史跡公園整備報告書』松本市教育委員会1985
「山地交通路研究の視点」(『信濃』37–1)胡桃沢勘司1985
『塩の道』宮本常一 講談社学術文庫1985
『ふるさと野麦の道』横山篤美 銀河書房1986
『細入村史通史編』細入村誌編纂委員会1987
『信州学ことはじめ』市川健夫 第一法規1988
『信州学入門–山国の風土と暮らし』市川健夫 信濃教育会出版部1989
『とやまの郷土料理 秋・冬編』北日本新聞社1989
『氷見の民俗』氷見市教育委員会1991
『長野県史民俗編 第5巻総説Ⅱ』 長野県1991
『図説 富山県の歴史』河出書房新社1993
『高山の文化財』高山市教育委員会1994
『奈川村誌歴史編』奈川村誌刊行委員会1994
『描かれた近世富山展』富山市郷土博物館1995
『和田の歴史』松本市和田地区歴史資料編纂会1995
『奈川村誌民俗編』奈川村誌刊行委員会1996
『塩の道500景』 田中欣一・田中省三 信濃毎日新聞社1997
『氷見のさかな』氷見市教育委員会1997
『糸魚川街道 塩の道』糸魚川市教育委員会1997
『安曇村誌 第2巻歴史上』安曇村1997
『松本市史 第3巻民俗編』松本市1997
「越中鰤―その加工と流通をめぐって―」(『地方史研究』268)胡桃沢勘司1997
「松本平への塩と魚の移入をめぐって」(『長野県民俗の会会報』20)胡桃沢勘司1997
『安曇村誌 第3巻歴史下』『安曇村誌 第4巻民俗』安曇村1998
『富山湾の魚たちは今』富山水産試験場編 桂書房1998
『窪田空穂随筆集』大岡信編 岩波文庫1998
『定本鰤街道その歴史と文化』市川健夫・北林吉弘・菅田一衛編 郷土出版社1999
『氷見の漁業と漁村のくらし』氷見市立博物館1999
「鰤場」(『週刊まつもと』552)窪田雅之1999
『氷見の漁業と漁村のくらしⅡ』氷見市立博物館2001
「信州伊那路に鰤街道筋を求めて」(『飛騨春秋』2000―11)桐谷忠夫2000
「『飛騨鰤』その運送・道筋 歴史考察と時代ロマンと」(『飛騨春秋』2000―12)桐谷忠夫2000
『姫川谷のボッカ習俗資料・塩の道資料館資料調査報告書』糸魚川市教育委員会2001
「飛騨鰤再考―木曾谷の伝承をめぐって―」(『民俗文化』13)胡桃沢勘司2001
「年取り魚・鰤をめぐって」(『あなたと博物館』112)窪田雅之2001
「奈川獅子舞上・下」(『週刊まつもと』646・648)窪田雅之2001

松本市立博物館

〒390-0873長野県松本市丸の内4-1
TEL:0263-320133
>> 松本市立博物館ホームページ

監修:市川健夫
(いちかわたけお)

1927 年長野県小布施町生まれ。前長野県立歴史館館長、東京学芸大学名誉教授、長野県文化財保護・総合開発・観光開発各審議委員、環境庁自然環境調査会委員。専攻は人文地理学・地誌学・理学博士。ブナ帯文化論・青潮文化論の提唱。一連のブナ帯文化の研究で1990年、第九回風土研究賞を受賞。1999年第 5回NHK地方放送文化賞を受賞。
主な著書に『日本のサケ―その漁と文化誌』・『雪国文化誌』・『再考・日本の森林文化』(日本放送出版協会)、『風土の中の衣食住』・『日本の馬と牛』 (東京書籍)、『ブナ帯と日本人』(講談社)、『日本の風土と文化』・『日本の四季と暮らし』・『風土発見の旅』・『青潮文化』(古今書院)、『森と木の ある生活』(白水社)、『信州の峠』・『信州学ことはじめ』(第一法規)、『風の文化誌』(雄山閣出版)など多数。

信州蕎麦学のすすめ

市川健夫/著

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