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Mother 鬼無里の木遊人・高橋敬造の世界


マザー キナサノボクユウジン・タカハシケイゾウノセカイ
寺島純子/著

写真:和田 博
装幀:倉石浩行

2001年9月21日発刊
B6変形判・60ページ
本体価格1,200円+税
(税込1,296円)
ISBN4-900918-44-X C0071



★著者プロフィール

[祈り]

空には永遠が棲む。
手の届かない天の遙か上空から
大事な情報は降ってくる。
だから木は、上へ上へと伸びてゆく。

嬉しいとき、人は両手を天にかざす。
哀しいときも人は天を仰ぎ絶望する。
すべての運命が天からやってくる。

●●●

信州奥裾花・鬼無里村で
黙々と木の命を刻み続けている人がいます……

木彫作家・高橋敬造の15年間あたため続けた作品と想いが一冊の本になりました
山里の光とともに、やさしくあたたかく語りかけるモノクロームの世界

【未公開木彫作品40点を掲載】
薪や傷のある木、変形した木の根……役に立たない木の塊たちが
高橋敬造の手でみずみずしい造形となって
生のメッセージを投げかけてきます。

[母と娘]

【もくじ】

鬼無里の木遊人

気配だけの場所

空からの言葉

まきごやの樸散人

傷痕の物語

地上の樹根

夢の住処

イコンと仏の間で……異形なるものに魂を刻む人・高橋敬造/村石 保

後記/寺島純子

【本文より】

鬼無里の木遊人(きなさ_の_ぼくゆうじん)

高橋敬造さんは、神奈川県生まれ。
まだ高速道路も通らなかった子どもの頃、家のまわりは畑や小川がたくさんあった。そんな田舎の町で、明治時代……、といっても江戸時代のしっぽに生まれたおばあさんに育てられた敬造少年は、近所のお年寄りに話をきくのが何よりも楽しかったという。昔話や、年寄りが子どもだった頃の出来事、知らない人のこと、そういう話を目をキラキラさせながらきいている時間がとても楽しみだった。家でのいやなことを忘れられる空想の時間でもあったからだ。
敬造少年は、道ができ、新しい住民が増えて変わっていく故郷の風景のなかで、江戸や明治の空気を吸って生きてきた人たちに囲まれて育っていった。それは一種の不思議な生活観を育てる素地にもなっていった。
いまだに夏は「ふんどし」である。
必要な物は、まずあるものを工夫して創り出そうとする。若い人や同世代より、お年寄りと話すほうが得意である。
ただ、おもしろい話のできる年寄りがほとんどいなくなってしまったことが、ちょっと寂しいのであるが……。
青春時代、ひょんなことから敬造さんは写真の世界に入る。カメラひとつもって沖縄へ、過疎の村へ、さすらっては撮り、撮ってはさすらった。そして結婚。これも不思議なめぐり会いで、現在の奥さん、ひろみさんと暮らし始める。
家庭などもつ気はさらさらなかった二人に子どもが生まれる。みまほちゃんと弾人くんだ。この新しい命を得てしまったことで、敬造さんの人生も、ひろみさんの人生も大きく動きはじめる。
そして……。
敬造さんは一枚の写真に導かれるようにして鬼無里村にやってきた。一九八三年のことだ。
会いたかったのは「山居仏」という小さな仏像。いろりの煤で真っ黒になった素朴で粗削りな仏像が、鬼無里のあちこちの家に忘れ去られたように置かれていた。
敬造さんは山居仏を「きしり仏」というようになった。「きしり」とは、いろり端の薪を置いておくところのこと。家の中の、仏壇の片隅にほったらかされている仏様に、哀しみと慈しみのギリギリのところで刻まれたノミ跡が残っていることに、敬造さんは驚きとも感動ともつかない大きな力で引き寄せられた。
そしてとうとう、高橋一家は鬼無里へ移り住んできた。
母の胎内へ還っていくような、そんな気持ちだったのかもしれない、と思う。魂がすうっと、もともと知っていたところに戻っていく、そんな感じだったのだろうか。
あれからずっと、敬造さんは、誰に見てもらおうということもなく、木を彫り続けている。欲がない。目的もない。ただ、薪にするような木の株から、何の役にも立たない根っこから言葉を聴いて彫っていく。まるでピノキオのゼペット爺さんのように、その眼差しを木に注いで。

【後記より】

彫刻家でも仏師でもない敬造さんが十数年の間に黙って彫り続けてきた作品たちは、ひとつとして同じ気配のものはなく、あるものはモダンに、あるものはユーモラスに、新たな生命を授けられながら眠っていた。部屋の片隅で誰に眺められることもなく佇んでいる作品たちに向き合ったとき、みんなが、この時を待っていたとばかりに語りはじめているような感覚がした。この子たちを、もっとたくさんの人に見せてあげたいと思った。
本来、誰かに見てもらうために作ったわけではないのはわかっていたが、作品ひとつひとつに授けられた新しい命を、世に放ってもいいんじゃないだろうか。そんな気がした。それで僭越ながら、今回、本という形にして紹介することにさせていただくことにした。
本のタイトルは「マザー」。なんで「母」なのか、と随分まわりの人から聞かれたけれど、私には「マザー」以外の言葉は浮かばなかった。本人が意識しているかどうかはわからないが、敬造さんの創作の源にあるものは「母」そのもののような気がしたからだ。木に立ち向かうとき、ノミを入れるとき、敬造さんは、ひとつひとつの木のそれまでの人生に思いを巡らし、「それでいい、だからいい」と語りかけているのではないか。すべてを受け入れる慈愛の心。それは母性である。
素材やテーマと、とことん戦って作品を作る人もいるだろう。でも、高橋作品はどれも、ただの木ぎれだった時からもっていた元々の個性に逆らわず、いや、もっとずっと前の大地に生えていたときの個性を引き出されて新しい形になっている。だから、どの作品も喜んでいる。私にはそう思えるのだ。
作品たちは、十数年の沈黙を破って、初めて多くの人の目に触れることになった。この子たちが、これからどんな人生を歩んでいくのか。母も助産婦ももはや手助けはできない。
でも、きっといろんな人の元で何かを語りかけてくれるのではないかと思う。それだけの力を、敬造さんは授けているはずだから。
本書が、ひとりでも多くの人たちの手にとどき、新しい出会いがここから始まることを祈って……。

★著者プロフィール

高橋敬造
(たかはしけいぞう)

1946 年神奈川県平塚生まれ。20歳まで平塚に在住、1980年代より木彫を始め、1985年より一家で信州鬼無里村(現・長野市鬼無里)に移住。木の根や、倒 れた木を素材に、木本来の形や性格を生かした独自の作品を彫り続けている。著書に『きしりに彫る』(ふるさと草紙刊行会)。

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