HOME » 文学»堀多恵子 山ぼうしの咲く庭で

堀多恵子 山ぼうしの咲く庭で



堀多恵子 山ぼうしの咲く庭で

堀井正子 編

堀多恵子さんを偲んで

小説家・堀辰雄夫人がはじめて語った
80余年のひと・家・時代…そして私自身

本体価格1,714円+税(税込1,851円)

ISBN4-900918-14-8 C0095

装幀:中村仁 1998年4月17日発行
四六判上製本・312ページ

小説家・堀辰雄夫人による
はじめての語り下ろし──

幼少を過ごした香港・広東の生活、青春を謳歌した東京時代
夫、辰雄との軽井沢での出会いから、最期の看取り
その後の今日に至るまでの八十余年に及ぶ追憶の日々

「…主人と一緒にいたときがいちばん高いところにいたような気がする、ということを書いた記憶があります。だから、何も悔いるものはないですね。ひとつもない。ただ、ときたま、別の私の人生があったかもしれないなんて思うことはないでもないですけどね」

【目 次】

はじめに

第一章 誕生・父母・香港
祖父母のこと/父母の結婚/静岡生まれ香港育ち

第二章 帰国・学校・就職
十歳の帰国子女/加藤家のリベラリズム/寄宿舎の冒険/大の仲良しだった父の死/東京女子大英語専攻部/それぞれの就職事情/夢はお船のスチュワーデス/金谷ホテルの日々/お花の先生の通訳/子爵家の家庭教師/お給料のこと

第三章 出会い・結婚・献身
堀辰雄との出会い/結婚のこと/結婚の夢……/この人のために/向島での一か月

第四章 小説家・疎開・別れ
私の人生で一番高いところ/小説家のかたわらで/戦時中の東京生活/堀家の経済/追分疎開/細腕で鍬をふるう日々/三味線の子守歌/養女のこと/昭和二十八年五月二十八日

第五章 ひとり・思い出・そして今
忙しさが空しさを埋めてくれた日々/湯布院の休日/歳月はあわただしく過ぎて/あらためて結婚指輪/趣味も旅行も/書く仕事/傷を受けることも/心の痛み/病気も成り行き/思い出の家を寄付/自然体のクリスチャン/見送るということ/追分を終の棲家に/いい距離、いい付き合い/そして、私は私……

聞き終えて(堀井正子)

語り終えて(堀多恵子)

【はじめに】堀井正子

堀辰雄夫人・多恵子さんのお話をじっくりお聞きできたのは、「もうじき八十二よ」とおっしゃる七月初めだった。その日は、朝から雨が降り、堀家のある信濃追分の高原はひんやりとして、長袖が欲しいほど。雑木林の美しい庭には、ヤマボウシの白い花。今が盛りの美しさだった。

「あの木はもとの家から移したものなの」と語る多恵子さん。

堀辰雄と一緒に暮らしたもとの家は、いま堀辰雄文学記念館になっている。多恵子さんの今の家も同じ追分にある。もとの家から移したものなら、二人一緒に楽しまれた思い出がと思ったが、そのころはまだ咲かなかったのだそうだ。

「ヤマボウシに、あなた、咲きなさいと言っといたのよ。みんな、私の言うことは良く聞くの」といたずらっぽく話す多恵子さんの笑顔。

まるで昔からの友だちとざっくばらんに話しているような、気取らなさがストレートに伝わって、時には少女のごときいたずらっぽさが顔を出す。八十二歳のイメージは、あっけなく砕け散っていった。

それから一時間ほど、ラジオ番組のためにインタビューさせていただいたが、ささやかな予備知識がつぎつぎに壊されていく快感に、私はすっかり多恵子ファンになっていた。

それまでの私は、多恵子さんの人生は、最良の伴侶として堀辰雄の人と文学を語り続ける、いわば内助の功に徹しきったものだと思っていたが、お話からは、それに収まり切れぬ楽しさがあふれてくる。

栗の実をたくさん拾った昔話には笑ってしまった。たしか、結婚して初めての年のこと、夏からずっと軽井沢で過ごし、やがて避暑客がすべていなくなった秋空のもとで栗を拾う。下で拾うのは堀辰雄、木に登ってゆさゆさと揺らすのは多恵子さん。男が登り、女は待つ、そんな世間の常識など、楽しげに吹き飛ばして、気に入った人生を送ってきた多恵子さんは、今でも、「高いところに登るの、好きなの」と言って笑う。

「軽井沢と堀辰雄」を語っていただいた一時間はあっという間に過ぎてしまった。そして、残ったものは、もっともっと多恵子さん自身を語ってほしいという思いだった。内助の功としての語り口では尽くせぬ多恵子さん自身の人生をもっと深く知りたい。一人の女としての歳月を、後から生まれた女たちのために語ってもらえないか。そんな思いがだんだんと膨らんでいって、とうとうその年の初冬、また追分を訪ねていた。

じつのところ、私はかなり不安だった。はたして、自分のことを語ってくださるだろうか。堀文学のためにならいくらでも話そうという多恵子さんだが、ご自分のこととなると内気になる。「だめ」とあっさり断られそうな気もしたが、私にはどうしても聞いてみたいことがあった。ずばり言えば、多恵子さんの元気の秘密である。

多恵子さんはどうしてあんなに元気なのだろう。八十二になって、たった一人で暮らしている。二人のきょうだいは東京にいる。友人だってすぐ近くにはいない。それでも、あんなに溌溂と生きていけるものなのか。知的で、ユーモアがあって、話をするのも好き、聞くのも好き。昔からの友達も、初対面の客人も、同じように打ち解けて。まるで、みんな同じ人間だものという志があふれてくるような、多恵子さんの明るさの秘密。それをどうしても聞いてみたかった。

多恵子さんは意気に感じてくれる人だった。「おもしろいものじゃないのよ。役に立つとは思えないけれど」とおっしゃりながらも、私や若い同性の編集者が「どうしても」と言うのならと、話を承知してくださった。

打ち合わせなしの雑談でも、多恵子さんはじつによく覚えている。細やかな生活の一コマ一コマを、誰が、どう言ったというところまでくっきりと記憶している。そして、その数々の思い出がいつも堀辰雄に帰っていく。多恵子さんの人生の出発点は堀辰雄にあるということなのか。もしかしたら、多恵子さんの今は、すべてそこから始まっているのかもしれないと思いつつ、やはりルーツから話していただくことにした。

【語り終えて】堀 多恵子

私のお喋りが『山ぼうしの咲く庭で』という一冊の本になり、人々の目にふれることになってしまいました。

堀井正子さんは出問が上手で、私はついつい言わずもがなのことをたくさん話してしまったことになります。今更のように自分の軽薄さを思い知らされた思いがしますが、堀井さん、オフィスエムの寺島純子さんの熱意や、それに費やした時間や労力を考え、それらを無駄にしてはあいすまない思いにかられ、出版することにしました。

原稿になったものを読み終えて今、私は長い人生の半分以上を一人で過ごしてきたことに改めて気付き、たくさんの方たちに助けられ、なんの波乱もなかったことに感謝する気持ちでいっぱいです。

堀は四十九歳で逝きましたが、自分のふるさとを捨て、軽井沢でその半生を送ろうとしたことには、かなりの精神的な抵抗があったのではないかと思うようになりました。

あの幼年時代の環境から自分の文学の世界を築くための努力、その意志の強さを改めて感じると共に、私は自分の幼さ、無邪気さに恥じ入りたい思いになります。

堀はその最晩年、病の床で気分がいいと幼い日のこと、母のこと、若い頃の仲の良かった友人たちのことを私に話して聞かせ、昔を懐かしんでいました。思い出したように加茂の半ぺんとか、すずめ焼きを食べたがり、雷門の前の龍昇亭西村のきりざんしょを送って貰うように頼んだことなど思い出します。

人は人生の終わりが近づくと昔を懐かしむものだと聞いたことがありますが、私も一昨年の暮れ、香港が中国に返還される前に一度行ってみたいと思い、昔の住んだ家のあった場所に行って来ました。広東の英仏旧租界地沙面には古い石造りの洋館が残り、昔のままだなどと聞くと、これもまた、行ってみたいと思うのはそろそろ人生の終わりが近いのかな、などと思うこの頃です。

1998年1月28日 信濃追分にて
堀 多恵子

★著者プロフィール

堀井正子(ほりいまさこ)

千葉県出身。東京教育大学文学部卒業。東京、沖縄、中国で生活。現在、長野市に在住。PTA母親文庫文学講座講師、信越放送ラジオ「武田徹のつれづれ散歩道」レギュラー、「玉の湯塾・堀井正子の源氏物語講座」講師等。
■主な著書
『小説探究 信州の教師たち』『絹の文化誌』『戸隠の絵本』(以上共著・信濃毎日新聞社
『近代文学にみる 女と家と絹物語』 『異空間軽井沢 堀辰雄と若き詩人たち』 『本の中の信州白樺教師』(以上小社)等

異空間軽井沢
堀辰雄と若き詩人たち

日本であって日本でない異空間、軽井沢・追分文学への招待。地図付き。
堀井正子/著
本の中の信州白樺教師

理想の教育とは何か。大正期の白樺教師たちの魅力をさまざまな小説に読み解く。
堀井正子/著


近代文学にみる
女と家と絹物語

堀井正子/著
近代日本を支えた製糸産業界で働く女工たちの群像を、文学の見地から生き生きと伝える。

0件の読者の声 »

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。 TrackBack URL

本の感想をお寄せください。

編集部で掲載の可否を判断させていただきます。
あらかじめご了承ください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)




TOPへ戻る