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校庭 木造校舎・信州


isbn4-900918-15-6

  • 校庭 木造校舎・信州[普及版]
  • 誰もが愛しんできたこころの原風景を探して…長野県内78校の廃校・分校などを撮影した珠玉の記録集!焼けてしまった浦里小。その姿はこの中に生きています。

  • 石川孝  編
  • 写真・上林弘子

  • 1998年4月17日
  • A5判変型 102ページ
  • ISBN:900918-15-6 
  • 1,600 円(税込価格1,728 円)

石川孝/編 上林弘子/撮影

装幀:石川孝[NOEL]

1998年4月17日発刊
A5判変型・112ページ
本体価格1,600円+税
(税込1,728円)
ISBN4-900918-15-6 C0072

 


堺小学校(栄村)

田んぼがおおかった。
校庭が巨大に見えた。
雪の日、それらが重なってつづく大地は
子供たちに果てしない夢をあたえていた。

暗くなっても、おなかが空いても、
騒ぎはおさまらなかった…

長野が信州だったころ、
校庭が遊び場だったころを想うフォトストーリー

誰もがいつくしんできたこころの原風景を探して
小谷村から天竜村まで長野県内78校の
廃校・分校などを撮影した記録集。
これからの人たちにも伝えたい
校庭からのメッセージ。

掲載校一覧(地名・学校名は発刊時のものです)

[飯山市]温井小学校/富倉小学校
[栄 村]堺小学校/北信小学校/秋山小学校
[信濃町]古間小学校
[飯島町]七久保小学校
[生坂村]広津小学校大日向分校/生坂中学校
[豊丘村]豊丘南小学校野田平分校/豊丘南小学校佐原分校/豊丘北小学校堀越分校
[南信濃村]南和田小学校/木沢小学校
[小川村]小川小学校日本記部校
[中条村]御山里小学校/日下野小学校
[伊那市]美篶小学校/新山小学校
[小海町]北牧小学校五箇冬期分室/北牧小学校松原分校
[南木曽町]田立小学校/妻籠小学校
[北御牧村]北御牧小学校
[望月町]春日小学校
[信州新町]津和小学校/水内小学校/牧郷小学校
[戸隠村]柵小学校裾花分校/柵中学校/柵小学校/吉田高校戸隠分校/戸隠小学校下楠川分校
[上田市]浦里小学校/別所小学校/西塩田小学校/室賀小学校
[四賀村]中川小学校/会田小学校/会田中学校
[長野市]更府小学校吉原分校/西条小学校/芋井小学校第一分校/信里小学校村山分校/信田小学校/清野小学校
[豊田村]永田小学校西分校
[木曽福島町]黒川小学校/上田小学校
[奈川村]奈川小学校入山分校
[美麻村]美麻北小学校
[小諸市]芦原中学校/小諸東中学校
[小谷村]北小谷小学校大網分校/中土小学校真木分校
[麻績村]麻績小学校/日向小学校
[安曇村]大野川小中学校
[阿智村]智里西小学校横川分校
[上松町]萩原小学校
[楢川村]楢川小学校/贄川小学校
[泰阜村]泰阜北中学校/泰阜南中学校
[天竜村]福島小学校坂部分校
[真田町]真田中学校
[飯田市]山本中学校
[大鹿村]大河原中学校
[坂井村]坂井小学校高萩分校/坂井小学校
[浅科村]中津小学校
[八坂村]八坂小学校切久保分校
[和田村]和田小学校/和田中学校
[東部町]田中小学校
[下条村]下条小学校陽皐部校
[三岳村]三岳小学校
[佐久市]大沢新田分校/大沢小学校
[上 村]上村小学校程野分校

あとがき/石川 孝

小学校4年生の頃、開校10周年を迎えた都市部の近代的な学校で暮らした私にとって、木造の校舎に特に深い感慨や郷愁があったわけではない。ただ桜の花が散るそのむこうにひっそりとたたずむ木造の校舎のイメージが映画のワンシーンのように好きで、「校庭」ということばと、数行の散文が写真よりもさきにフツフツと育っていった。昭和から平成にかわった年、1989年のことである。
古い地図の「文」の字をたどって長野市近郊をまわると、思いがけず何校かの校舎を見つけることができた。欲が出て各市町村の教育委員会に木造校舎の有無を確かめるとともに、プロのカメラマンであり、友人でもある上林弘子に撮影をお願いすることにした。誰に感謝されるわけでもない、表彰されるわけでもない木造の校舎たち。撮ってるさきから次々と壊されてゆく彼らを捜してまさに長野県内を東奔西走する旅のはじまりだった。以来5年間、ゼニガタアカマムシに出会ったり、きのこやタラの芽を採ったり、商人宿で夫婦に間違われたり、茶そばを食ったり、露天風呂に入ったりしながら2人でのんきに続けてきた。そのことが120市町村160数校を回ることになり、内78校の掲載につながった。
信州は広かった──これが二人の素直な感想である。ちっちゃいのから、どでかいのまで。村の丘のかたすみや、道なき道のその奥まで。校庭は必ずあり、そこに学び遊んだ子供たちの木造校舎があった。いつのまにか「校庭」はひとりあるきをはじめ、多くの知人、友人を巻き込んで本というかたちで今回、発表の場を得た。発行にあたっては、オフィスエムの村石保さん、寺島純子さんにお世話になった。また、各市町村の教育委員会の皆様、長谷村の小松さんのような、村の方々にも誌面をもってお礼を申し上げたい。
最後にプロのカメラマンとして、あれも撮りたい、これも撮りたいという欲求をグッとこらえて、それこそ雨の日も、雪の日も根気よく、ときには1人で出かけて「校庭」のイメージを的確に切り取ってくれた、上林弘子に厚くお礼を申し上げたい。

1998年4月

耳を澄ませば、地球の回る音が聞こえてくる

編集長 ・村石保
(1995年12月、初版本に挟み込みの制作ノートより)

【一九九五年の氾濫から】
テレビの画面を通しても、その深い皺に刻まれた顔は凛としているが、時折遠くを見つめる両目には、穏やかな慈しみが宿っていることが見てとれた。
静かだがしっかりとした口調で、そのジプシーの老婆は話しだした。
──ジプシーは水なんだよ。水は澱むと腐ってしまうのさ。だから、私らはこの地球を自由に流れているんだよ。耳を澄ましてごらんよ、地球の回る音だって聞こえるんだ……。人間はどんどん頭がよくなって、月にだって行けるようになった。でも、地球はどんどん汚れているよ……。どうして頭のいい人間が、地球をこんなに汚してしまったのかねえ。あんた日本人だろ。だったら日本人によろしく……。
その日本人にとって、辛く長かった一九九五年もようやく暮れようとしている。この年が、これほどまでにエポックを画した年となったことを、いったい誰が予測できたであろうか。
あのジプシーの老婆の言葉が自然と胸を突いてきた。
一月十七日の阪神・淡路大震災で、近代の繁栄を象徴する港神戸は一夜にして瓦礫の街と化した。
カルト教団による無差別殺人とそれに付随するさまざまな事件は、人の世の末世を思わせるに十分であった。
奇しくも戦後五十年という歴史の節目に、あたかも日本の戦後処理を象徴したかのように、沖縄では米兵による少女暴行事件に端を発した米軍基地問題が再燃し、いまだその解決の糸口すら見出せていない。
小・中学校での「いじめ問題」は、ますます泥沼化し、自ら命を断つ子どもたちがあとを断たない。新聞には、今年の自殺者数が一万人を超えたということが、小さく報じられていた。
これが、戦後五十年目を迎えた偽らざる日本の姿である。
ジプシーのアイデンティティーが、移動することにあるとすれば、農耕民族である日本人にとってのアイデンティティーは、先祖伝来の約束された土地に安住することである。しかし、長い定住はいつしか大きな澱みをつくる。その澱みは、時として予期せぬ氾濫を引き起こす源にもなる。日本はいま、あらゆる所でさまざまな氾濫が起こりはじめている。

【時代は癒しを求めている】
一枚の木造校舎の写真が目の前にある。それは建物特有の無機質的なものからは遠く、むしろ大地に根ざしている生きもののような存在感である。それでいて決して押しつけがましいものではなく、あくまでも周りの風景に溶け込む、慎ましやかな存在である。
木造校舎には、人の世が失おうとしている尊厳がある。それは、やがて時を経ることで、朽ち果てていくか、人の手によって取り壊されるであろうことの、自らの運命を覚悟した潔さでもある。
昔、子どもたちは村全体が育てていた。わが子であろうと他人の子であろうと、村全体の宝物として育てていたから、子どもたちの通う校舎は、地域の一番いい場所に、南向きで建てられていることが多いという。社の大切な木を伐りだし、村民総出で建てた小学校もあるとも聞いた。
大きな樹には神が宿っているというから、歳月を経た木造校舎に魂が宿っていても、さして不思議はない。だから、誰もいなくなった放課後の校舎は怖かった。ずっと昔から子どもたちはそれを知っていた。
辛いできごとや哀しいことの多すぎた一九九五年であった。急ぎすぎた時代は多くの大切なものを失ってきた。時代はいま、癒しを求めているのかもしれない。
もし、『校庭』の中から、一枚でも心にとまる写真を見つけていただけたなら幸いである。それが読者にとっての癒しになったとすれば、この本を出版したことの意義となるであろうし、なによりも、昔、子どもだった大人たちへの、作者からのメッセージにもなるはずである。
耳を澄ませば、地球の回る音も聞こえてくるかもしれない…。

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