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本橋成一写真録   ふたりの画家 


丸木位里・丸木俊の世界

本橋成一/著
ブックデザイン・構成○渡辺千尋
聞きとり・採録○西山正啓
協力○丸木美術館/佐喜眞美術館

2005年4月3日発刊
B5判・136ページ
定価:本体1,600円+税(税込1,728円)
ISBN4-900918-74-1 C0072
※本書は、1987年4月に晶文社より刊行されたものに一部原稿を追加し、再出版したものです。
残部僅少

※新着情報本橋さんの新作映画「バオバブの樹」の写真展:2009年2月5日〜

★著者プロフィール

いまぼくたちは、何を思い、何を考え、何をするべきか。
お二人の作品はそれを語り続けている。
(あとがきより)

今年は、敗戦60周年を迎える。しかし、世界では相変わらず戦争が頻発し、止む気配はない。なによりも戦争を放棄したはずの日本も怪しくなってきた。
この写真録が出版されて20年が経とうとしている。しかし、丸木位里、丸木俊のおふたりはもういない。いまぼくたちは、何を思い、何を考え、何をするべきか。おふたりの作品はそれを語り続けている。
戦争が核兵器が、そして原発が、いかにこの地球上で愚行なことか、この写真録からもおふたりの想いにつなげられたらと思う。

― ある少女が感想ノートに書いてくれました。―
「私は死ぬことしか考えてこなかった。今日、この絵を見て、明日から生きていけそうな気がする……」

佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫●ふたりの画家からの遺言
(本書挟み込みのライナーノーツより)

……「沖縄戦の図」は、激しかった戦争をかろうじて生き延びた人々の証言に基づき、多くの人がモデルになって描かれたものです。自分の体験を活かしてほしいと願う人々の、熱い想いをふたりの画家が真っ正面から受け止めて、確かな筆と心で描かれたものです。

巨大な絵の真ん中に次代を担う子供が立っています。そこには「戦争になったら世界はどのようになってしまうのか、しっかり見て、考えて、記憶し続けてほしい。そのことが戦争をくい止める大きな力になる」という画家の想いと祈りが込められているのです。

それが、敗戦から六十年目の二十一世紀を生きる私たちへの、丸木位里・俊さん、おふたりの画家からの遺言ではないでしょうか。

丸木位里・丸木俊

丸木位里(まるき・いり)1901~1995年
丸木 俊(まるき・とし)1912~2000年

二人で一つの絵をつくる──世界でも希な画家、丸木位里・俊夫妻。共同制作に取り組んで40年、「原爆の図」15部作をはじめ、南京、アウシュビッツ、水俣、長崎など数多くの大作を描いてきました。

「原爆の図丸木美術館」は、埼玉県東松山市、都幾川のほとりの雑木林にかこまれた地にあります。何度も建て増しをしたつぎはぎの美術館。香の絶えない観音堂。アトリエ。カヤ葺きの集会所。竪穴式住居。鶏がいて、犬がいて、猫がいます。絵をかき、畑をつくり、魚をとり、御飯を食べ、酒を呑む……おじいとおばあの日々の暮らしがあります。

あわせて171歳。最後まで、二人の筆が衰えることはありませんでした。日常生活から新たな創作の現場・沖縄まで、ひとりの写真家が丹念に追いました。百数十葉の写真とふたりの語りによって、その厳しくもあたたかい豊かな世界をお伝えします。

※●写真/○語り

絵以外にやりようがないんじゃ
●創作意欲は老いてなお盛んだ

○奥の細道 ○鮎 ○ 少年時代 ○母 ○宮本武蔵 ○絵描き ○丸木美術館

ずいぶん人が来るよのう
●いのち溢れる村の暮らし

○酒とタバコ ○梅干しの種 ○犬の死 ○猫物語

●5月5日開館記念日、8月6日とうろう流し

○臥竜展 ○高張提灯 ○征露丸 ○女たち ○上も下もない国 ○演説1 ○演説2 ○頑張り

おかしい絵がおかしいほど面白い
●臥竜展、人人展、個展

○地獄極楽 ○こりゃさの文明 ○沖縄・読谷村

誰が描いてもええ
●終わりのない旅、いま沖縄へ

丸木位里・丸木俊 略年譜

あとがき

あとがき/本橋成一

1987年4月3日(※初版より)

八四年の春頃だったと思う。夜おそく電話がかかってきた。「本橋さんと一緒にやりたいことがあるから、いま新宿だけど、すぐ話しに行く」  電話の主は西山正啓さん。土本典昭監督のもと『水俣の図・物語』の制作に携わった西山さんは、丸木位里・俊夫妻にぞっこんだった。思い立ったら矢も盾もいられない性格の人だから、突然の電話にも驚きはしない。丸木美術館のスライドをつくりたい、と西山さんは熱っぽく語った。鞄の中は資料でいっぱいだった。夜明けまでひとりで喋り「……だから本橋さん、やりましょう」と言いおいて、帰っていった。「……だから」がぼくにはまだピンとこなかったけど、なぜか、ぼくの中にあった「原爆の図」がそのとき急に身近かなものになった。
ぼくが「原爆の図」をはじめて見たのは高校一年のときだった。新聞の小さな写真だ。ぼくはそのときの強烈な印象を今でも憶えている。それは、原爆の恐ろしさとか残酷さとはべつに、ぼくが五歳のときの東京空襲の記憶を呼び起こしたからだった。びしゃびしゃになるまでドブ水に浸けた防空頭巾をかぶせられ、フェーン現象で真紅に染まった空の下、母に手をひかれ、泣くことも忘れて熱風と火の中を逃げまどった、あの恐ろしい想い出そのものだった。
スライド『ひろしまを見たひと』の制作はその年の暮からはじまった。ロケハンから照明、撮影、編集、音入れまで、映画をつくるのと同じ手間ひまをかけた作品づくりだった。ぼくは土本典昭監督が綿密に切り取ったコンテにそって、正確に撮影した。それは、土本監督の丸木位里さん、俊さんにたいする想いの切り抜きであった。ぼくにとっては贅沢な仕事になった。三五ミリカメラのファインダーからのぞいたどの絵のどの細部からも、高校生のときと同じように、ぼく自身の空襲体験が甦ってくるのだった。
どうしてこんなに見る人の想像力をかきたてる絵なのだろうか。ぼくはますますふたりの画家が気になりだした。スライドが完成してすぐに、今度はぼくから西山さんを誘い、ふたりで“丸木通い”がはじまった。どんな所でどんなものを食べ、どんな話をしているのか。そして、どのようにして絵を描いているのか。「反戦画家」として知られている丸木位里・丸木俊ではなく、さらにその奥に広がる位里さん、俊さんの世界を知りたかったのだ。
ここに一冊の写真録としてまとまった今も、その興味はつきない。ふたりの画家、丸木位里さん、俊さんは、つねに自分のことばで語る。みずからの生きかたで語る人間なのだ。だからこそ、ふたりが描く絵には説得力がある。ホンモノの絵を描く画家なのだ。
高校生のときに切り抜いたあの新聞の写真は、今でも二十年前に買い求めた田園書房刊の『原爆の図』の画集にはさんである。

★著者プロフィール

本橋成一(もとはし・せいいち)

東 京生まれ。自由学園卒業。一九六八年写真集「炭鉱〈ヤマ〉」で第五回太陽賞受賞。以後、サーカス、上野駅、築地魚河岸、大衆芸能など、市井の人々の生きざ まを撮り続ける。九一年からチェルノブイリ原発とその被災地ベラルーシに通い始め、九五年「無限抱擁」で日本写真協会年度賞、写真の会賞受賞。九八年 「ナージャの村」で第一七回土門拳賞受賞。監督として映画『ナージャの村』『アレクセイと泉』を手掛け、ベルリン国際映画祭ベルリナー賞・シネクラブ賞受 賞、サンクトペテルブルグ映画祭グランプリなど、国内外で高い評価を得る。
>> 本橋成一ホームページ
ポレポレタイムス社/サスナフィルム

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