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からだと心を診る 心療内科からの47の物語



中井吉英/著

装幀:酒井隆志

2001年6月11日発刊
小B6判・192ページ
定価:本体価格1,143円+税(税込1,234円)
ISBN4-900918-39-3 C0047

★著者プロフィール

4月10日(土)中井吉英・内藤いづみ対談会『いのちとこころのトークセッション』開催します。
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病気は決して、マイナスなものではありません。

ひとつひとつの物語からきっと見つかる
“心が元気になる処方箋”

あなたはいま、どんな「人生の四季」を生きていますか?

【春】心から認められ愛されているとき、子どもたちのいのちは開花し、躍動して独自の自己を発展させる。

【夏】青年時代の特権は、失敗やあやまちが許されることだろう。そのような体験こそ、人生の後半を豊かにしてくれる。

【秋】内面の世界が外界の世界よりも、果てしなく広く深いことを知ったものだけが成熟をとげ、やがて豊かな老年期をむかえることができる。

【冬】「なにかをすること」から「あること」に存在の重みが移る。「あること」のなかに人生の価値を見出だした者だけが、冬のなかにも春を、夏を、秋を、体験するのだ。

●本書は1997年、PHP出版局より「PHP職域専門特別書籍」として発刊された『心の渇きが癒される本』(絶版)の復刻版です。

目 次

人生に偶然の出会いはない(まえがきに代えて)

【春の章】子どもたちの内面の世界
二歳児の心の傷
子どもの世界と大人の目
「あとで、あとで……」が、もたらしたこと
病んだ子どもとの交流
心のキャッチボール
「家族の輪」という束縛
食べない子は悪い子!?
チーズは草からできている
「患者のペース」とは何か?──挫折が光を放つとき

【夏の章】青年期の夢と挫折
病が患者を救うとき
見えなくなって見えたもの
「ひそんでいるもの」に触れる目
甘えることと甘えさすこと
「母子一体」からの旅立ち
「沈黙」という言葉
愛情の代替品
からだの声を聞く
ひとりの死とひとりの再生
夏の終わりに──支え、支えられる出会い

【秋の章】人生のターニングポイント
「なにもしない」ことの意味
父親の呪縛からの解放
幼年期の葛藤と中年危機
抑圧の代償を求めるとき
世代を超えた「反抗」
「もの」とのかかわり
食と健康を噛みしめる
飲酒というはけ口
失われる母性と心の危機
森のいのちと人のいのち
不安の裏返しとしての過剰な依存
死への不安に向き合うこと
黄昏のとき──触れ合いの癒し

【冬の章】「老い」の価値、「死」の意味
偶然ではない出会いの意味
「すること」から「あること」へ
もう一度、人生をやり直せるなら……
「一病息災」という宝物
白いマフラーの温もり
再発を招かない性格
痛みをやわらげることは可能か?
悲哀と慟哭、そして愛……
再生と免疫能の回復
すべての体験が成熟の糧
同じ痛みを共有すること
マイナスからプラスへ
地球を癒す……
「無用の用」を知る
形なく限界のない万有の中に……

あとがき

人生に偶然の出会いはない──まえがきに代えて

私は心療内科医です。からだだけを診る医師ではありません。こころだけを診る医師でもありません。こころとからだが触れるところの病態を診断し、治療する医師です。いわばこころとからだを分けないで診るのです。病気そのものに焦点をあてるのではなく、病気をもち、悩み苦しんでいる「人」を診る医師だともいえるでしょう。
脳と身体に関する基礎医学的研究が急速に進んだ結果、こころとからだを切り離しては考えられない時代になってきました。がんや感染症さえも、こころの影響を受けていることがわかっています。

医師になって三十三年がたちました。何人の患者さんと出会ったでしょうか。私は一人ひとりの患者さんによって、素晴らしいなにかをあたえられてきました。
そのなにかとは──。
病気のもつ意味がわかってきました。病気は決してマイナスのものとして私たちを訪れるのではなく、プラスの深い意味をもっていることがわかります。私は患者さんとともに、その意味を探し求めます。その意味が二人のあいだで理解し合えたときに、私と患者さんの内面は共振れし、変容します。そのとき、私と患者さんとの出会いの意味がわかるようになります。その過程には、たがいに支えられ成熟していく機会が秘められているのです。
意味を見つけるために、患者さんの歴史を歩みます。彼(彼女)の歴史のなかで病気がどのような意味をもっているのだろうか。それはまた、彼(彼女)の家族にとっても、どのような意味をもっているかと。
私自身の歴史を振り返り歩んでみるとき、捨ててきたもの、価値をあたえてこなかったもののなかにこそ存在の意味と価値を発見します。それらは、病気をふくめた挫折とか失敗とかあやまちといったものです。むしろそのようなマイナスのものがもっとも大切なものだったのです。
私固有の歴史という流れが一本の大河となって感じられるとき、人生でのすべての出会いは偶然ではなくなります。これまでの矛盾に満ち、混沌としたことのなかにも意味があることがわかり、矛盾や混沌さえ受け入れられるようになります。私の歴史の流れと患者さんの歴史の流れは、ときに交差し、また平行して流れながら、いずれ母なる海にそそぎひとつになるのです。
これらの過程はヘルマン・ヘッセの詩「ひとり」(『さすらいのあと ヘッセ新詩抄』高橋健二訳、新潮社)がよくあらわしてくれています。

地上には
大小の道がたくさん通じている。
しかし、みな
目ざすところは同じだ。

馬で行くことも、車で行くことも、
ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は
自分ひとりで歩かねばならない。

だから、どんなつらいことでも
ひとりでするということにまさる
知恵もなければ
能力もない。

これらの過程は、私と患者さんとのあいだの相互作用としておこります。私が私自身の歴史のなかでのマイナスの部分に光をあて、プラスのものとして受け入れた程度に応じて、患者さんを受け入れ、支え、援助することができるからです。
つまり私自身のマイナスの面を受け入れた程度に応じて、患者さんのマイナスの部分を受け入れていくことが可能になるのです。
このような相互作用のなかでおこる現象は、たがいに癒し癒され成熟していく過程です。私はこのような過程を「癒しのプロセス」と呼んでいます。

心療内科の医療のなかで、私は私自身と患者さんの相互作用を見つめる「もうひとつの目」が養われました。医療において、正しく診断し、もっとも適切な治療を選択するためには客観的な観察をする目が必要です。
しかし、「もうひとつの目」は自然科学における事実を追求し、客観性を重視して測定するといった目ではありません。その目はあたたかいまなざしです。患者さんに注がれるそのまなざしは、また私自身にも同時に注がれます。「もうひとつの目」は患者さんと私によって、あたたかく、広く、深く、そして澄みきった目として育てられていきました。その目は、私と患者さんとで育ててきたものです。私ひとりのものでは決してありません。

心療内科の診察室の中で、「人生の四季」が繰り返されています。それはまた、私自身の内面の「人生の四季」との出会いでもあります。診察室は狭い空間ですが、患者さんとの出会いのなかで、深くて計り知れないほどの内面の広がりが始まるのも、この空間なのです。この診察室でたくさんの患者さんに出会ってきました。どの患者さんも偶然の出会いとは思えません。私はその出会いをずっとノートに書きとめてきました。その一部は平成六年の十月から平成七年の十二月まで、『朝日新聞』の夕刊に「臨床医の目」として二九回にわたり掲載されました。そして今回、その連載に加えてノートからさらに一六話と「夏の終わりに」『「患者のペース」とは何か?』(「春のある日」を改題)(『いずみ』一九九六年JULY)の二話を追加するなど、人生を春夏秋冬の四つのステージに分けた「人生の四季」として書きまとめてみました。
この本を書くにあたって、患者さんのプライバシーに触れないようにいちばん苦心しました。年齢や性別、職業、病名を変えたり、二~三名の人を組み合わせたりもしました。どうしてもプライバシーに触れる場合には、患者さんか家族に直接了承を得ました。もしも、患者さん本人が読まれて、この内容は自分のことではないかと思われたら次のように考えてください。人間は共通の内面の世界をもっているからだと。

あとがき

本書は拙著『心の渇きが癒される本』(PHP研究所、1997年)の復刻版です。1999年に絶版となり、復刻してくれる出版社が現れることを願いつづけてきました。
地方のある開業医師からお手紙をいただきました。その手紙には、「私が治療するよりも、患者さんに、この本を読んでもらったほうが治っていくのです。 PHPに二百冊を注文したところ残り少なく、あわてて在庫のすべてを患者さんのために買いました」と書かれていました。
医師冥利、著者冥利につきます。うれしかったこの気持ちが復刻を願いつづけてきた理由です。
病んでいる人、病気を抱えている家族、病み苦しんだ体験のある人、病者の目をもった医師、看護婦などの医療にたずさわる人々の内面のなかに、本書はあたたかく触れ癒してくれるようです。私は患者さんから受け取ったメッセージを読者に伝えるメッセンジャーにすぎません。

祈りつづけていると、新しい出会いが必ずおこるものです。
2000年7月に、私は日本サイコオンコロジー(精神腫瘍学)学会を主催しました。その際、講演会の講師に在宅ターミナル・ケアを実践し活躍されている内藤いづみ医師をお招きしました。久々に私の内面に響くほんものの人の話を聞くことができました。
しばらくして、内藤医師から一冊の本『あなたと話がしたくって』が送られてきました。封を切って本を手にとり表紙を見て、「あとがき」を読み、版元の出版物の広告を見た瞬間に、オフィスエムに電話をしていました。ほんの数分のできごとだったと思います。
受話器の向こう側から聞こえてくる声は、なにか懐かしいホッとする声でした。それが編集長の村石保氏だったのです。
残り少なくなった手持ちの一冊を送りました。氏は一気に拙著を読み感動されたようです。早速、京都で会うことになりました。
京都では村石夫妻(夫人が社長です)との出会いは、初対面なのに懐かしい人に出会ったようでした。八坂の五重塔、清水坂、円山公園など、人通りの少ない京都の夜の町をご夫妻と語り合いながら歩きました。
この本を復刻したいと、たがいの思いが触れ合いました。この本が復刻されるきっかけになった瞬間です。それはまた、私が医師になって三十三年間に出会った患者さんたちと、村石夫妻との出会いの瞬間でもあったのです。

「人生に偶然の出会いはない」。出会いは広がりをみせながら深まっていきます。


中井吉英 (なかいよしひで)


関西医科大学名誉教授、日本心療内科学会理事長、日本心身医学会前理事長
1942年、京都生まれ。1969年関西医科大学卒業。同年、同大学院医学研究科入学(内科学専攻)。72年九州大学医学部心療内科入局。同助手を経て、 80年より同講師、86年退職後、同年9月より関西医科大学第一内科講師、同助教授を経て、93年12月より現職、現在に至る。九州大学医学部および広島大学医学部非常勤講師。専門は心療内科学、消化器病学、医療行動科学。著書に『心療内科初診の心得<症例からのメッセージ>』(診療新社)、『はじめての心療内科』(小社)がある。

1件の読者の声 »

私も今、心のケアをしながら、ホスピスで今日ある命のお世話の仕事をしています。
50年あまりの人生の浄化中で涙ばかりの日々です。
死と毎日向かい合って生きる意味を探しています。
とても感動の本をありがとうございました。

Comment— 2009 年 7 月 14 日 @ 6:33 PM


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