詩・ 関口江畔
挿画・森貘郎
本体価格1,500円+税(税込1,575円)
新刊 2009年4月8日発刊
時代が呼び起こした幻の詩集、復刻なる
四六判ソフトカバー・120ページ
ISBN978-4-904570-03-6
C0092
装丁:石坂淳子
板画・森貘郎氏のサイン本あります(限定10部)
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森貘郎オフィシャルサイト「森の板画廊」
発刊記念
「山頭火と老農関口江畔」板画展
期間:2009年4月4日(土)〜4月19日(日)
場所:浅間縄文ミュージアム
〒389-0207 長野県北佐久郡御代田町大字馬瀬口1901-1
電話:0267-32-8922

2009年4月12日(日) 「山頭火と父子草居」セミナーも開催
素朴にして心に染み入る魂の言葉。
心のやすらぎを求める現代人に贈る一冊!!
一人の味方もない時
ほんとうの自分を発見する
その時人生は
一本の草である
(「一本の草」)
鳥は飛ぶ
獣は走る
俺は静かに
歩いてゆく
(「俺は静かに」)
禅の悟りの過程を表現した十牛図に関口江畔の詩を織り込んで森貘郎が板画で描きました。
禅の修行を積んだ関口江畔の詩と十牛図の意味との対比でより深く詩の風景に入り込みます。
【十牛図】
中国北宋時代の禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。禅僧、廓庵によるものが有名。日本では狩野探霊、富岡鉄斎などの作品がある。
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「心明るく」 今日は今日の 心明るく 曲った履物なら 直しておく |
| 十牛図〈一〉尋牛(じんぎゅう) 人が煩悩妄想のために失った自己の本心を牛にたとえ、これを探し求め、尋ねることから十牛図は始まる。 |
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関口江畔『老農詩集』は昭和39(1964)年3月に東京の月明会出版部から刊行された小詩集です。
当時、刊行にあたって山室静氏も尽力され、山室氏による著者紹介のあとがきが付されています。
88歳の老農が詩を書き始めたというのが既にうれしい。
しかも、その詩がすこぶる自在なしかも気品の高いものである。自由詩という従来の日本になかった詩のジャンルも、こういう老農がこれだけの作をなしたとなると、どうやら、短歌俳句とならんで、それ独自の自由でのびやかな世界を主張しうるものとして、わが国の風土にりっぱに根付いたらしい。
昭和39年に月明社から刊行された『老農詩集』
江畔さんの禅は生半可ではない。荒れ地を開墾して百姓として生き抜く「禅」だ。生活者の「禅」であり。生活の根底に「信」をつらぬく者の生き方だと思う。
歌は若山牧水に、句は(荻原)井泉水に学んだ江畔さんの詩は、よくある宗教詩人ぶった臆面もない無神経なゴタクを並べた詩とは全く異質だ。
むやみに人生とか心とか愛とか苦悩とか語るものを私は信じないが、90年行ききって、なお恥じ入るように、目を伏せてもどかしげに告げる江畔さんの言葉ぐらいは信じられるような気がする。
巧みな詩を作ろうというのではない。
しかし、言葉のひとつひとつが選び抜かれた胸に落ちるまで吟味され、そっと目の前に置かれている詩だ。
一遍一遍がてのひらの温もりを持つ稀有な詩たちだ。
慶応元年1月9日、長野県北佐久郡平根村に生る。本名、毛佐松。10才のとき母に死別。養子たりし父実家へ復籍のため、7才の妹と共に祖母に養わる。青年期に隣町岩村田に転じ、肥料米穀等を商ったが、第1次大戦後の不況に遇って蹉跌。更に長男の死によって心境一転再び農事に従うと共に、仏道修行を志し、前円覚寺管長宝岳老師、大眉老師について参禅、又京都の一灯園西田天香師の懺悔の生活を慕い、密かに範とした。
俳句短歌は青年の頃から嗜んだが、大正12年若山牧水の門に入り、その主宰する『創作』に拠った。後、『層雲』を知るに及んで、荻原井泉水に師事、没年に及ぶ。昭和19年に八十才記念歌句集『あられ』を刊行。27年米寿に際し、層雲寿老賞を受けた。生来愚直にして一徹。稼業のかたわら好んで山野を跋渉した。没年の春、上州側から碓氷峠を越えたのが最後である。
昭和29年9月12日死去。岩村田円満寺墓地に葬る。享年90。法名・宝徳奉祥江畔居士
板画家・杏の里板画館主宰・日本板画院理事
1942年、長野県更埴市(現・千曲市)生まれ。
棟方志功の「板画思想」に共鳴し、自らも板画(ばんが)と呼び、制作を行う。郷土の民話やわらべ歌、また小林一茶や山頭火の俳句を主題にするなど、詩情豊 かな作品を発表。古い民家を保存再生した「杏の里板画館」設立や文化財保存運動に取り組むなど、地域に根ざした独自の創作活動を続けている。
1980年より毎年「一茶暦」を制作。個展を多数する。
主な著書に、『森貘郎板画集』(郷土出版社)、『はなとり地蔵』(板遊舎)、『雪五尺』(板画・信濃毎日新聞社)、『源流の発想<21世紀・ムラ医療の現場から』、『一茶さん』(板画、小社刊)など。
関口江畔と漂白の詩人・種田山頭火とは親交が深く、特に昭和11年5月には佐久・岩村田の関口江畔の家を訪れた山頭火は5泊し、佐久地方を歩き、それから草津から白根越えで万座、山田温泉を通り、長野へ向かいました。
この佐久地方では
あるけばかっこういそげばかっこう 山頭火
と、山頭火の代表作を詠んでいます。
5月21日の山頭火の旅日記には次のように記されている。
「いよいよ出立だ。朝早くから郭公がしきりに啼く。
8時、岩村田の町外れまで江畔老が送ってくださる。ありがたう。
さよなら、さよなら、ほんたうに関口一家は親切な温和な方々ばかりであった。羨ましい家庭であった。」
見送った江畔さんは「鼻の頭へ重そうな眼鏡でござった」と山頭火の面影を一句にとどめている。
(本書 あとがき 森貘郎 から)
昭和11年5月11日、岩村田鼻顔(はなづら)稲荷神社にて種田山頭火(前列右から2番目の僧侶姿)と共に。前列左、子どもを膝に抱える関口江畔。
(句碑の説明文から)
この句碑は、漂白の俳人といわれる種田山頭火が、昭和11年(1936)5月10日鼻顔稲荷を訪れてから70年を記念して建てられたものです。
山頭火を招いたのは、鼻顔稲荷に隣接して居を構え、同じ自由律俳句「層雲」の同人であった関口江畔・父草の親子でした。
句碑には、山頭火が関口宅で詠んだ浅間の句と、関口江畔・父草の句を各自の自筆で刻みました。
浅間のむこうに深い水を汲み上げる 山頭火
兄も弟も日に焼けて学校へ行く日となった朝飯 江畔
足もとをてらしつつゆく自分の足もと 父草
●70代 男性
関口江畔という人、初めて知りました。悟ったようなことをいうヒトは嫌いですが、これは本物です。この時代に、この詩集を出版されたことに敬意を表します。
コメント— 2009 年 4 月 27 日 @ 3:21 PM
●60代 女性
優しい詩がともすれば殺伐たるものになりがちな心を潤してくれ、俳句に通ずるような余韻のある装丁が素敵です。
コメント— 2009 年 4 月 27 日 @ 3:21 PM
●50代 男性
一語一語が胸に落ちてきます。生きていることの源に触れたような気持ちになりました。友人にも薦めたいです。
コメント— 2009 年 4 月 27 日 @ 3:22 PM
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