12年05月15日
わが家ではほとんどテレビを観ることがないのですが、今朝なんとなくNHKニュースをつけてみたところ、「旬」な情報を扱っていたので2つほど。
今日5月15日は、沖縄が本土復帰を果たした日。しかも今年はちょうど40年の節目の年だそうです。
南国の陽気なイメージとは裏腹に、ちょっと踏み込んでみると基地の問題を始めとしたディープな歴史を抱えている沖縄。ただ、テレビをはじめマスメディアの報道には「なんだかなぁ」と思うことしきりです。
正直、私個人としてもヤマトンチュとして生を受けて育った身としては、ウチナーンチュの気持ちを多少は推し量ることはできても、心底理解することはできません。 沖縄について、マスコミは何か問題が起きればニュースにはしますが、普段はこれと言って(紋切り型の脳天気なイメージ以外は)取り上げることはあまりしません。「点」にはなるけど「線」として継続的に「ヤマトンチュにも身に詰まされるコト」としては報道していかない。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないですが、「熱さを忘れさせる」ように、つまりマスコミが体制側にとって都合の悪いことは一時的には取り上げても、永続的に国民の記憶に残らないよう、恣意的に操作している「作為」を感じずにいられません。
聞くところによると、この40年で本土が沖縄への振興策として投じた額は、ここ半年で国が海外諸国に投じた予算よりも下回っているそうです。予算を投じることが「真の振興」になるとは一概には言えませんが、沖縄を少なからず蔑ろにしてきた国の姿勢を垣間見る思いです。もっとも、米軍基地への負担、一方で基地に頼らざるを得ない現実といった矛盾には、原発誘致を受け入れた本土の「ローカルな地域」が抱える問題と通底している気がします。
個人的に沖縄には2回ほど足を運んだことがありますが、知っている友人たちは驚くほどに、いわゆる「いい人」。
でもその人なつっこい笑顔の裏には、何かしら大きなもの(本土に対してか?)に対するある種の「あきらめ」が宿っているような気がしていました。まぁこれは私の勝手で感傷的な思い過ごしかもしれませんが、今年くらいは今なお戦後が終わっていないOKINAWAの想像を絶する歴史を「他人事」ではなく、身近なこととして考えてみたいと思います。
想像力の欠如。これが歴史の惨事を引き起こしてきたことを肝に銘じて。
もうひとつ、佐賀県武雄市の市長、樋渡啓祐さんがフェイスブック(以下FB)を用いて「行政改革」に取り組んでいるというニュース。
今や個人の発信のみならず、企業もFBを用いての効果的な営業戦略を模索していますが、樋渡さんはおそらくもっとも既成概念を打破しにくい「行政」の分野で、先駆的な試みを図っているようです。
まず樋渡さんは職員全員にFBのアカウントを取得させて、市のホームページもまるごとFB上に移行しました。そして、今までは市民からアクセスしないと得られにくかった行政の情報を、FBのアカウントさえ取得しておけば行政側から市民に情報が届く(しかも職員個人名で)、もちろん市民からの要請や問い合わせにもFBだと「即座に」反応できるので、双方向のやりとりが簡便になり(アカウントを持っている人はそのやりとりを全員見られるので、反応が遅いと市民から苦情が来るといったプレッシャーも職員にはあるようですが)、「市民」と「公」の障壁を低くしたといったことが、ニュースでは大きく取り上げられていました。
さらに武雄市では、市の農家が作ったコメや野菜などの商品を、市のHP上で通信販売を代行しているそうです。わずかな手数料をもらうだけで、やる気のある企業や出展者には惜しみなく手を差し伸べる自治体。理想です。というか本来かくあるべきだと思います。
今まで「一企業の営利目的のためには便宜を図ることは出来ない」といった融通の利かないそれこそスクエアな姿勢が、自治体の基本的な態度だったと思いますが、武雄市を見倣って全国の自治体もそろそろそんな了見の狭い「因習」から脱却したほうがいいと思いますね。時代の流れ的にも。
FBの行政的、営利的な使われ方が一般にも認知されはじめた背景を考えてみると、昨今の「市民」と「行政」、または「消費者」と「企業」の関係が、「顔の見えない関係」では立ちゆかない局面に突入していることを物語っている気がします。バブル期に象徴されるこの数十年のモノに溢れた異様な時代には、「顔の見えない関係」がそれでもかろうじて成り立っていたのかもしれませんが(歴史上考えてもホントに特殊な時代ですよね、バブル期って)、今はその時とは明らかに市民や消費者の意識が変わっている気がします。「貧乏くさくない等身大な感覚」(ヒューマンスケール)というやつでしょうか。個人的にも特に若い人たちと話していると、そのあたりの新しい感覚を感じます。
武雄市の例で言えば、you tubeなどの「今どきな」ITツールを宣伝方法として使っていても、結局人々が求めているのは「誠意のあるやりとり」や「生産者の体温が伝わる商品」といったヒューマンな「ものがたり」なのではないか、やはりコンテンツありきだよな…、とそんなことをぼんやりと考えた5月の朝でした。
とまぁ、柄にもなくたまにはマジメに考えてみたのですが……、
最後にフェイスブックがらみで、知人の知人が今年のサラリーマン川柳に投稿して惜しくも入選外になった秀逸な作品をどうぞ。個人的には好きなんです、この作品。
図書館で フェイスブックを さがす父



























