ノラジョーンズが好きだ。
声、楽曲、アーシーなセンス、ルーツ探求な姿勢、その全てが好きだ。世界的な知名度がありながらも、どこか垢抜けない、田舎の小さなライブハウスなんかで歌っているのが似合ってそうな佇まいも好きだ。洒落たジャズをやっても渋いブルーズで決めても可憐なポップスを歌っても、結局ノラジョーンズという圧倒的な個に収斂される、もはや今世紀を代表するシンガーソングライター。
昨年発表された新作〝Day Breaks〟は、購入以来、車で繰りかえし繰りかえし1396回くらい聴いています。聴きつぶしました。が、まったくもって飽きが来ない。本当に。

あの大ヒットしたファーストアルバムに近い、ニュアンスに富んだ楽曲が並んでいますが、曲、演奏、サウンド、これらの要素が過不足なく(多すぎても足りなくてもNG。この按配がムズカシイの…)詰まっているアルバムってそうそうないです。個人的にはドラム・ブライアンブレイドの、歌に寄り添いつつも、馴れ合うことのない絶妙な演奏が、もう気絶するほどたまりません。ドラムを叩くと俗に言いますが、この人の場合、「奏でる」という言葉が相応しい。繊細さと剛胆さが同居していると言いますか…。やはりダイナミズムが大事なのね…ああ、人間としても、かくありたいもの。

そして、あのウェインショーター!が数曲、客演してます。ショーターを引っ張り出してくるノラさんのセンスが好きです。エライ!ホレスシルバーのpeaceをカバーしてますが、このソロ、切なくて泣けてきます。
二児の母としてますます貫禄を増してきたノラジョーンズ。今後の展開も楽しみすぎです。露悪的というか、小悪魔テイストなジャケットもいい感じじゃあないですかぁ。こんな女性につかまったら、男はほら、もう、ねえ。

とまぁ、つらつらと書き連ねましたがファンというのは、とりとめもないものですのでご容赦を。

どこぞの回し者でもありませんが、ホントに〝Day Breaks〟オススメです!

img_4267.JPG


先日の日曜日、ポッカリとできた自由時間に、ロキシー相生座にて『ロバートアルトマン~ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』を観てきました。生誕90年の2015年に作られた、アルトマンの功績を振り返るドキュメンタリー映画です。
思えばはじめて観たアルトマン作品は、トムウェイツが役者として出ているとの理由から観た『ショートカッツ』
(1993)。確かレイモンドカーバーの短編をつなぎ合わせたアルトマンお得意の群像劇です。いくつもの人生が交差しながら重なり合っていく物語に散りばめられた、ブラックな笑いとシニカルな人物描写にすっかり魅せられてしまったのでした。

それ以来、後追いで暇にまかせてアルトマン作品を観まくった学生時代(金はなかったけど時間だけはたっぷりとありましたからねぇ)。ハリウッド映画産業を徹底的に皮肉った「プレイヤー」(1992)、朝鮮戦争の軍医たちのドタバタ劇を通じてこれまた戦争を強烈に揶揄した、おなじみ「マッシュ」(1970)、エリオットグールドが頼りにならない心優しき私立探偵を演じる「ロンググッドバイ」(1973)など、1980年前後の低迷期もありましたが、どの映画もなんだかんだとツボにハマリ、思春期の人格形成に大きな影響?を与えてくれたものばかり……。その他にも精巧なプロットに唸らされた「クッキーフォーチュン」(1999)や、郷里を舞台にジャズへのオマージュを顕した「カンザスシティ」(1996)、遺作となった「今宵、フィッツジェラルドで」(2006)など、特に「プレイヤー」以降の作品は、どれも社会や人間にたいする批評眼が冴え渡った傑作ばかりでした。

アルトマンをはじめ、「ベトナム戦争の泥沼化」という社会的背景から生まれたカウンターカルチャーの申し子たちのなかでも、ペーソスやジョークを通じてマッチョなアメリカではない〝リアルで情けないアメリカ〟を自虐的にあぶり出す作家たちにハマった青春時代。大笑いするのではなく間合いや行間でクスッと笑わせる作風とでもいいますか。ウディアレンやジムジャームッシュ、小説ではカートヴォネガット、音楽ではランディニューマンやヴァンダイクパークスあたりです。でも、この自虐的な視線って、自分を笑うと同時に客観的に捉えるってこと。これって意外とできそうでできない、イキなことだと思いませんか〜。

映画のなかで、「どうしてアメリカを批判するような映画ばかり撮るのか?」とのインタビューにアルトマンは「私は決して批判的な作品をつくっているのではなく、私が見た通りありのままを作品にしている」と答えています。
まぁ、たいがい確信犯だとは思いますが、アンチヒロイズムに徹しながら、人間の愚鈍さや弱さ、滑稽さを時に厳しくも優しい眼差しで描いたロバートアルトマン。やっぱり好きです。久しぶりに「ショートカッツ」でも見直そうかなぁ〜
22032503238_08697d3126.jpg


今年も本日をもっておしまい。泣いても笑っても、あがいても叫んでも。
よく「今年一年を漢字一文字で振り返ると?」なんて恒例のクエスチョンがありますが、すぐさま頭に浮かんだ一文字は、悲しいかな「虚」。
たいがいノーテンキ、昼行灯のような私ですら、安保法案、沖縄の辺野古基地問題、TPP協定、武器や原発輸出など、正気の沙汰とは思えない現政権の一連の動きをみるにつけ、この国がここまでアメリカと経団連のいいなりだったとは…とのアホらしい感慨がどうしても拭えないのであります。
様々な法案をめぐる反対署名もしたし、小さな規模ではあるけどデモにも参加し、できれば避けたかったシュプレヒコールで声も上げましたが(集団行動がなにより苦手)、暴政の暴挙を微力ながらも食い止められなかったこの虚しさ。
友人が「そのうちに〝午後の紅茶〟を午前中に飲んだだけで、警察に職質されるんじゃない?」と冗談で言ってましたが、まんざら冗談にもならない時代が来てしまうのではという、薄気味のわるい気配がした2015年でした。

同時にといってはおかしいかもしれないけど、老害をまき散らしているだけの自民党の政治屋たちを標的にして、紋切り型の言葉を用い、非難して悦に入るしかない自らにもある意味、省察の必要があるのでは、とも少なからず思った2015年。
たしかに現行の選挙制度など、民意を反映させるシステムに瑕疵があることを差し引いても、彼らをここまでのさばらせてしまったのは、結局は大衆のなかに(もちろん自分にも)おそらく無意識的に巣くってしまった「安倍的なるもの」が、原因なのではないかと。
その「安倍的なるもの」とは何なのかという答えは簡単に出てきそうもないけど、漠然とした直感として平たく言うなら、小さな声に対する「想像力と当事者感の欠如=虚無」なのではと、ちらほらと思うわけです。
そしてその「虚無」に抗うことができるのは、己に関わるすべてに対して不格好でも何でも「自分の言葉で考え続ける」という、口にすると至ってシンプルな、そして、実践するには地道な忍耐を要する日々の不断の営為のこと。コツコツとルーティンを繰り返す。細部を凝視しながら大局を俯瞰する。それがいざというときに、頼れる力になるのではと。
別に誰かを非難したり、いたずらに貶めたりといったことはできればしたくないけど、やはりどうしても、どう考えても! 安倍とその取り巻きの輩は、ホントにいかがわしすぎる。
このままじゃ子どもたちに顔向けできないことばかりやないか!

カンワキューダイ。

個人的には公私隔てなく、〝気付き〟の多い年となりました(気付きなんて言葉を安易に使うとスピ系のお方にウケがいいですが、基本、私は目に見えるものを信じていますのであしからず)。
そして、その気付きとは、身近な人との交流によってもたらされることがほとんどだったのも不思議。要は内面の問題だったりするわけです。
昨今しばしば耳にする「ワークライフバランス」はどこ吹く風「ワークライフミクスチャー」になってきた感がひしひしと。ワークとライフは分けない方が絶対オモロイです。「知性は単独より協働の方が活性化する」「繋がれ。そして個であれ」。これも今年を通じて体感した偽らざる実感。
仕事や音楽や子どもの習い事など諸々を通じて、御縁としかいいようのない、有り難きことに多々、遭遇した2015年でありました。多謝、深謝。
それは、「美しい国」や「一億総活躍社会」はまったくもって無縁の、声高ではなくオーガニックで身体を伴った世界……。
おっといけない。結局ここに戻ってくるやないか。

いいかげんにせーよ。ホント。


9月19日未明、安保法案が強行採決で可決。
自分たちにとって都合の悪い異論、国民の過半数が反対を訴えていることに耳を傾けないばかりか、法案内容を「丁寧に説明する」とは聞いて呆れるほど、グダグダな国会答弁に終始した安倍内閣。内容も手続きもデタラメ。軍需産業拡大で国を株式会社化し、景気浮揚をもくろむアナクロ経済政策。ただただ、アメリカと経団連のいいなり。自らの言葉を持っていない、持てるはずがない傀儡政権。

昨日ニューヨークタイムズに掲載された言い得て妙な風刺画。
Harsh political cartoon in INYT criticizing PM Abe’s new security laws as pandering to U.S.

cpncggywwaapmxg.jpg

こんな宰相のいる国の国民であることが、心の底から情けない。あまりにも情けなくて涙も涸れ果てるわ。

そして、NHKと公明党。別にもともと肩入れしたい組織でもなんでもないけど、今回の一連の騒ぎを通じて、ホントにうんざりしました。NHKの印象操作、早い話が偏向報道は、ある意味、悪びれもしないという意味ではその潔さは特筆もの。
両者ともに、どんなにいい番組を作ろうが立派な理念を掲げようが、権力監視義務と党是を放棄したスクエアで硬直した集団だということがよーくよーくわかりました。

希望はシールズを始めとする若い人たち。ホントに頭が下がります。
アラブの春から台湾、香港の学生デモもそうだったように、この運動体にはリーダーもヒロインも必要としてないところが大きなポイント。ネット時代の特徴かもしれないけど、特定の組織ではなく個人の意志から発した行動だからこそ、簡単にはつぶされない〝しなやかさと強度〟を備えているのでは。

自民党は死んだ。その代わりに国民のあいだでようやく芽生えた主権在民の意識。
憲法学者や弁護士らも違憲訴訟の準備を始めているし、この戦争法案を廃止にする手立てがないわけではない。
来年、夏の参院選までに有権者の間に芽生えたこの空気が雲散霧消とならなければいいのだが。

最後に法案成立に抗う「全日本おばちゃん党」の声明文を。
結びの一文がすべてを表してるかと。

シルバーウィークが過ぎようが来年になろうが、与党とそのツレが無茶苦茶なことをしたこと、おばちゃんらは忘れへんで。言うとくけど、おばちゃんらはしつこいで。昔のことでも、嫌なことはよう覚えてるから、これも覚えとくで。賛成した人ら、自分らがした恐ろしい行為、あとからジワジワしっぺ返し来るで。
何べんでも言うとくわ。‪

うちの子もよその子も戦争には出さん‬。


7月15日、与党が圧倒的多数を占める衆議院で安保法制案が強行採決された。
その直後、「解釈改憲」という卑劣かつイリーガルな手段で法案をゴリ押し通過させたことへの国民の不満が爆発。
法案廃止をもとめて日本各地でデモが繰り広げられた。

そして、揉めに揉めていた新国立競技場の現行案の廃止、白紙に戻すことを安倍首相は発表。強行採決による内閣支持率低下を最小限に食い止めようとした魂胆が見え見えのこの出来すぎたタイミング。まったくもってあさましいことこの上ない。

極めつけは、20日にフジテレビで集団的自衛権の骨子を奇妙な小道具を使って説明した一世一代の猿芝居。
何が何の例えになっているかが極めてわかりづらく、国民の集団的自衛権への懐疑の念が深まった、つまり明らかに逆効果になったことは必至。自滅してくれれば願ったり叶ったりだけど、さすがに気の毒になるほど酷かった。

安倍ちゃんは「法案に対する国民の理解が進んでいない」などと言っているけど、たぶん自分でも何を言ってるのかわかってないのだろうな。ただ「確信している」「国民の命は私が責任をもって」「指一本触れさせない」などの自己陶酔的な言い回しを用いて人を煙に巻くのに長けているだけのハダカの王様。まぁ、もし仮にうまく説明できたとして「国民の理解が進んだ」としても、国民は「これはまずい」と思うだけだろうけど。
ホントにとぼけてるだけの確信犯なのか、ホントにわかってない阿呆なのかわかりませんが、どっちにしても話が通じないので、近々、他の方に代わってやめていただくのが事の道理というもの。

ここにきてひとつ注意したいのは、このファッショを食い止めるための抵抗は長期戦になるので、力が入りすぎて途中で息切れしてしまうこと。
デモに行くこと、それぞれが何らかのかたちで意思表示をすることを継続させながら、「買い物に行く」「珈琲を飲む」などのように、普段の生活に溶け込ませて抵抗運動を日常化することが、現政権を打倒するために必要ではないか。

ただ、潮目は少しずつ変わってきたことは確か。

安倍政権はその脆い馬脚をあらわして瓦解しはじめた。

さぁ、ここが踏ん張りどころ。


庶民の金銭感覚からは到底理解できない新国立競技場建設にかかる莫大な費用。8月の再稼働に向けてちゃくちゃくと準備が進む鹿児島の川内原発、と同時にないがしろにされたままの被災地の補償問題。そして、国会の会期を延長してまで、新安保法案の衆院通過を数の論理でゴリ押ししようと目論むアベ政権。
ここ数日を振り返るだけで、政治にさして興味のない私でも、目を覆いたくなるようなニュースのオンパレードなので、呼吸が浅くなり身体がこわばる毎日です。
しかも、知りたいニュースの発信元がほとんど海外メディアからという事実が、情けない気持ちにさらなる拍車をかける。

「戸締まりをきちんとしている家には泥棒も強盗も入らない。協力し合って助け合う町内会なら犯罪も少ない。これが抑止力だ」
これは最近の世論調査で、現政権の支持率がのきなみ低下していることを意識したのか、今月はじめにインターネット番組に出演した際のアベ首相の発言。発言はさらに、
「戸締まりをしない家は、簡単に泥棒や強盗に入られる。協力し合っている地域には悪い人は入らない。今は、世界みんなが協力しないとそれぞれの国は守れない」と続く。

さすがはこれまでも「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」などの見事な妄言を数多く連発してきたアベ首相。でも、いくらなんでも軍備を地域防犯に例えるのはあんまりでしょうに。子どもだましにすらならないっつーの。いい大人なんだから、気を確かにもっていただかないと。
これじゃ、リアル〝ハダカの王様〟(stupid prime minister?)
になるのは時間の問題か。

しかし、新国立競技場の建設費の問題、原発の再稼働や件の法案について思うのは、当事者たちは途中で何かが間違っていることにうすうす気付いているのに、当初の計画を「白紙撤回する」、もしくは「話し合って吟味し直す」ことをせずに、事態が漫然と悪化した結果なのではないかということ。いったん何かが始まってしまうと、まだ引き返せるのにもかかわらず「立ち止まって考え直す」といったことが不得手なのは、日本人の特異的な性質なのでしょうか。
さらには、大がかりになればなるほど、最終的な責任の所在がはっきりせず、「一旦決まったことだから、計画通り進めます」と、いつも事態は誰も喜ばない方向になしくずし的に進んでしまう。
あと、リスクマネージメントといった考え方も日本の慣習になじまない、というか、この国の国民性となじみにくい気がします。何か新しいプロジェクトが進んでいるところで、失敗したケースを勘案することは「そんな縁起でもないことを言うな」「はじめからそんなことを言ってたら成功するはずがない」といった形で、確率的に起こりやすい見立てが、声高で理想的なマジョリティの意見に封印されてしまう。先の戦争も、そういった形で軍部の圧力が強まり当時の政権を支配してしまったせいではなかったのか。

あ〜!いつものようにとりとめがなくなってきましたが、アベちゃんは妄言に事欠かない。
つい最近も「日本人の命はすべからく、国の最高責任者である私にある」との惚れ惚れするようなお言葉を口にされてましたが、すくなくとも、俺はあんたに命を預けられないなぁ。

とてもじゃないけど。

2eb476d0462292d02f778b38bd87061c1.jpg


149人中3人。
これは、報道ステーションが憲法学者に実施したアンケートで、「安保法制は、憲法違反にあたると考えるか?」との問いに「合憲」と答えた学者の数。割合にしてわずか2%。
中間集計ではあるけれど、その数以上に、少なからず立場の異なる学者たちがここまで同意見であることが、現憲法の下で集団的自衛権の行使ができないことの何より証し。まったくもって。小学生だってそれくらいわかる。

憲法は主権者である国民が、権力をもつ為政者に対して課した制約であるはず。その立憲主義に真っ向から反する安倍政権は、もう、どこからどう見てもファシズムとして暴走寸前。スタートラインに立っている。それとももうスタートしている?
安保法制の違憲性が明らかになってきた最近では「もうそんなの関係ねぇ」と駄々っ子のように悪びれもせずに居直りはじめたけど、もしかしたらあの安倍政権自体、何かしらの思想集団に乗っ取られているかもしれない。 どうも、あの人のどの発言も、自分の言葉で喋ってないというか、あそこまで質問をはぐらかして内容のない言葉を滔々と続けられるはずがない。論理的整合性という意味では、ウチの4歳の息子とさほど変わらない。いやいや、誇張ではなく。

ただ、ここにきて国民も空疎な理念ばかり語る安倍の妄言を許容できなくなくなったのか、各地で安保法制に対する異議申し立てのデモや集会が行われているもよう。
潮目が少しずつ変わってきた今(と思いたい)、ホントに気が滅入るのでいやだけど、今いちど国政を注視しておかないと、そして、今できることをしておかないと、子どもたちに申し訳が立たないわ……。

この同調圧力社会、思った以上にえらいこっちゃで!


どうしてもパソコンの画面をみる時間が長くなるこの仕事。
凝った肩をぐるぐる回しながら、ふとカレンダーを見やると、はぁ。もう3月も終わりですね。
つい最近、新年が明けたと思っていたら、もういくつ寝ると年度末であります。

春は出会いと別れの季節。4月になれば彼女は。
不惑の年齢も過ぎ、体力の低下も感じる今日この頃、若かりし頃のような胸がキュンキュンするようなこともあまりなくなってきましたが、新年度は心機一転、新しい自分と出会い、古い因習に別れを告げ、コツコツとやっていくことを、じっちゃんの名にかけてここに誓います。

なんでも当代きっての論客である内田樹さんによると、人がだんだんとおかしくなる、言い換えると〝邪悪なもの〟に取り憑かれていく3つの要素は、

1. こだわり
2. プライドの高さ
3. 被害者意識

なんだとか。う〜ん、なんだかとても腑に落ちます。周りを見回しても、または、自分が調子が芳しくない時を想い出しても、ホントにそうなんですね。ということは、この裏を返すと

1. こだわらない
2. よく笑う
3. いじけない

ことが処方箋。まぁでも、あんまりこだわらない、笑いすぎるのも阿呆みたいなので、バランスだとは思いますが。

あいかわらずとりとめもないですが、4月1日はウチの両親の結婚記念日。
「冗談みたいな結婚だったのよ」と、昔うそぶいてた母親にたまには何か贈ろうかなどと柄にもなく画策中? それとも慣れないことはやめとこうかな、どうしようかな。


先日の木曜日は、会社を休んで人間ドックで市民病院へ。
診察のあいまにテレビの国会中継をみるともなく観ていました。

しまりのない野党の代表質問がだらだらと続く。
質疑応答の様子はともかく、ここのところ好戦的で勇ましい発言が続く安倍首相の姿も当然そこに。

いうまでもなく、安倍ちゃんの今回の中東歴訪の際の声明、イスラム国による日本人人質殺害をうけてのコメントは、あまりに不用意。あまりに軽率。
「テロには屈しない」に続き「罪を償わせる」。
極めつけは「日本は変わった。日本人にはこれから指一本触れさせない」って……。

おいおい。日本はいつから変わったんじゃ。勝手に変えるな。
人質解放の交渉もできないのに報復もなにもないやろ。ビジョンのかけらもない己の空疎な言葉に酔いしれるのは勝手やけど、国民を巻き込むな。

これから胃カメラという、ただでさえストレスフルな状況なのに、さらに募る不快感。不穏感。 ホントにこの人が司る国の国民であることが、心の底から恥ずかしい。

世界中のみなさんにこれだけは言いたい。
安倍=日本人の大多数ではありません。

アイアムノットアベ。

大事なことだから、もう一度。

アイアムノットアベ!


先日のこと。朝食後の一コマ。

「鴨ちゃん、ユニクロのヒートテックが250円だって。ちょうど欲しかったところ」と新聞の折り込み広告を、珈琲を飲みながら意気揚々と差し出すカミさん。
その傍らで〝「ユニクロ」中国工場で違法労働〟の新聞記事に目を通している朝寝坊亭主。
「劣悪な労働環境の下、月に100時間を超える長時間勤務を強いられる低賃金労働が問題化」

笑うに笑えないユニクロシンクロニシティー。
「誰かの幸せは、誰かの犠牲のうえに成り立つ」のは、シホンシュギシャカイが背負わねばならぬ宿命なのか。
ならば「そんな社会、こっちから願い下げじゃ!」などと、胸を張って豪語できればいいのだが、代替する「みながハッピーになる」システムも思いつかず。 そもそもそんなものがあるのか。
「矛盾を抱えて生きてくしかないな…」などとうそぶいていると、カミさんが一言。
「今日、マドカの同級生が遊びに来るから買い物に行ってきて」

どうよ、どうなのよ、この展開。

holiday-seiyu.JPG


Next Page »