毎年この時期、各メディアで取り上げられるのが終戦特集。
特に今年は終戦65周年ということで、近年にないほどNHKをはじめ民放各社も戦争についての番組が組まれていました。

私もほぼ毎年この時期に訪れるのが、長野市の松代にある松代大本営・象山地下壕。
昭和20年8月。もし、終戦が決まらず本土決戦が決定すれば、戦争を指導する大本営はここに移され、日本人の多くが犠牲となり、国土は今も分断されたはずでした。
そう考えると、私はこの時期この地に何度も足を運んでしまうのです。

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松代象山地下壕の入り口は大変狭いのですが、中は大変広々としています。
そして、外の猛暑に関係なく中は肌寒いほど冷ややかなのです。

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象山地下壕は総延長およそ6キロ。そのうち見学コースは500メートルほどです。
このような大きな壕がまるで碁盤の目のように、地下を縦横に走っています。

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ずり(土砂)を運んだトロッコの枕木の跡が今も残っています。そのあとが大変生々しい。
壕の中には今も、削岩用のロットがいくつも岩に刺さっており、工事の跡が残っています。
工事が始まったのは、戦局が悪化した昭和19年11月11日。参加人数延べ300万人とのこと。
この工事には多くの朝鮮人の人々も労働者として強制的に連れて来られ、労働に従事しました。1日3交代、工事も旧式で多くの犠牲者を出しました。

計画では象山地下壕には政府や放送局が入る予定だったとか。当時はもちろん極秘で、表向きは倉庫工事という名目でした。

わたしは、かつて沖縄のひめゆりの塔のそばにある、壕を上から見たことがあります。
沖縄の壕は本土決戦の準備のため、時間稼ぎと捨て石のため、多くの沖縄県民・兵士が犠牲になりました。
そして松代の壕はその本土決戦を完遂するために最高司令部が入るための壕。もちろんこの壕が使われる時、悲惨な沖縄戦とまったく同じ光景が、そのまま日本全土で繰り広げられたに違いありません。
その意味では、沖縄と松代の2つの壕は繋がっている。そんな気がするのです。

真夏でも寒い松代の地下壕。
しかし、その寒さは温度だけでなく、このような壕を作ってもなおも戦争を完遂しようとした当時の軍の恐ろしさや、また始めた戦争を終わらせることの難しさ。さらには戦争から死ぬまで逃れることができなかった当時の日本人、この難工事に亡くなった多くの人々の事など様々な事が見る者の頭に去来して、心まで寒く感じてしまうのです。

隣接する『もうひとつの歴史館・松代』と併せて訪問されることをお勧めします。

6月に発刊した『信越トレイルを歩こう!』。
おかげさまで、大好評。発刊後わずか1か月を経たずして、早くも重版出来という勢いなのです。
これも、信越トレイルクラブをはじめ、トレイル整備に参加された多くのボランティアの皆様の長年の活動があり、魅力あふれるトレッキングコースを維持してきた賜物だと思います。

先日、新潟県で本書を扱ってくださっている取次(本の問屋さん)の北越書館さんの担当さんから電話がありました。
「いくつかの書店さんから補充の注文があがってきてますよ。先日、新潟日報の本の売れ行きランキングにも載ったし…」
「え!本当ですか!!FAXでその記事送ってください」

しばらくすると、新潟日報7月18日付の記事がFAXで送られてきました。
そこには、なななんと、上越地区の書店(柿村書店様調べ)売れ行きランキングに堂々3位で『信越トレイルを歩こう!』の文字が。

北越書館さんからの連絡でも、他の上越地区の書店さんからも軒並み補充の注文が上がってきているとのこと。
久々のヒットに大いに沸く今日この頃です!!

オフィスエムで販売している雑誌「たぁくらたぁ」。
そもそも「たぁくらたぁ」とは長野県の北部の方言。「バカモノ」とか「おっちょこちょい」、「のんきもの」を意味します。
中学の時、数学の教師がクラスのあまりのゴタっぷりに呆れ果て「このクラスはたぁくらたぁの2乗だ!」と怒ったのがいまだに印象に残っています。方言が口をついて出ることが少なくなった今でもよく使う方言です。

今日は松本市の書店さんを何軒か回ってきました。
松本駅の駅ビルに入っている改造社書店さん。「たぁくらたぁ」も店頭の目立つ所に置いていただいています。
松本駅という立地上、地元のお客さんだけではなく、県外のお客さんも多く訪れます。
「先日、この『たぁくらたぁ』で面白いことがあったんですよ」と百瀬店長。
『たぁくらたぁ』の置いてある棚の前で、2人のお客さんが親しそうにこの「たぁくらたぁ」の意味で話が盛り上がっていたそうです。
「最初知り合い同士なのかなって思ったんですけど、どうもそうじゃなかったみたいで。」
百瀬店長によると、『たぁくらたぁ』を見ていた県外のお客さんが、たまたま通りかかった地元のお客さんに「たぁくらたぁ」の意味を訊いてそこからだんだん話が盛りあがったようだとのこと。
たしかに「たぁくらたぁ」ていう言葉、知らない人には「いったい何のこっちゃ?」という感じなんでしょうね。それに親切に答えた地元松本の方、グッドジョブです。

『たぁくらたぁ』がつないだちょっとしたコミュニケーション。その話を聞いてわたしもちょっと嬉しくなりました。
『たぁくらたぁ』最新刊、発売中です!

毎日のように報道される、沖縄普天間の米軍基地移転問題。
とても簡単にはすまない問題だけに、どうなるのか心配します。
日米関係、地元住民の理解、国防の問題など関わることが多岐に渡るだけに一筋縄では行きません。

そんな中で飛び出した鳩山首相のこの発言。

「『最低でも県外』と言ったのは自分自身の発言。自分の言葉を実現したいと思い、政権の中で努力してきた」

つまり、昨年の衆議院選挙で「基地は国外へ、最低でも県外へ」と言ったのは党の公約ではなく、鳩山さんの政治家個人の公約ということ。
この言葉に、「え!?、そんなのあり?」と驚かれた方も多いはず。私も驚き、そして呆れました。

だって、党の代表が公けの場所で発言すれば、それは党の声明、すなわち党の公約だと思いますよね。っていうより常識ですよ。それを私的な発言、私的な公約って言われても誰が納得するでしょうか?

例えばですよ。
企業で不祥事があって記者会見したとします。
その時、会社のトップが当然謝罪するのですが、後日裁判の場で
「あの時、謝罪したのは私自身の気持ちを表明しただけで、会社は何も悪くありません。会社として謝罪したわけではありません。従って会社は何も悪くないんです」
って言ったら、これはトンデモないことになります。
あまりの身勝手さにそのトップはもとより、会社も社会常識が疑われてまず倒産ですよね。
鳩山発言はこれと匹敵、いやそれ以上の意味を持っています。

選挙前は野党だったんだから、問題に対して認識不足ということがあるかも知れません。政権をとってから初めて知ったことも色々あったことも想像されます。だから、この普天間の問題もそうだったんだろうなと想像されます。
それなら、それで「最低でも県外と言っていた公約は党の認識不足でした」と素直に早く詫びればここまでこじれなかったはず。
アメリカ、沖縄、徳之島を巻き込んだこの問題。その重大性に関わらず、あまりに軽い発言。言葉が軽すぎます。普天間問題に対する以前に、ご自身の発言に認識不足です。

「綸言汗の如し」(天皇の言葉は汗と同じで出たら引っ込みがつかない=権力者の言葉は取り消すことができない)、または下世話の言葉で言えば「吐いた唾は飲まれへんねんで(なぜか関西弁)」という言葉も、もはや昔のお話なのでしょうか?

言葉を余りに軽々しく使うたびに、われわれ国民の政治への信頼が失われることをもっと認識して欲しいと思います。

前の会社にいた時の事。
同じ事務所で一緒に働いていたK君は、私の2歳下。一緒の独身寮に住んでいました。

独身同士の気軽さから、一緒に夕飯を食べたり、飲みに誘ったりして、結構気ままな生活をしていました。
一度、K君と他の仲間を誘って3人で、買ったばかりのダイハツのミラで東北へ2泊3日の旅行に行きました。
今思えば、あんな狭い車に大の男がまるで積み込まれるようにして乗って行ったのですから、大変無茶な旅行でした。

それでも、気ままな独り者仲間の旅ですから、大変楽しかった。お酒はからっきしダメだけど、食べるのが好きなK君は、仙台では牛タンを、米沢ではすき焼きを、喜多方ではラーメンをおいしそうに食べていました。満足そうにニコニコしながら食べる彼の顔がとても印象に残っています。

月日は流れて …。私は会社を辞めてエムに入社して結婚。K君はその後転勤したと風の便りで聞きました。

そして今日。昔の会社の仲間から連絡がありました。
「Kが亡くなった…」。

それを聞いて愕然としました。まだまだ若いのに…。
25日に大動脈瘤破裂。手術をしても意識が戻らず、帰らぬ人となったそうです。

それまで元気だったのに、突然の発症。そして急死。
まだまだやりたいことや、やり残したことなどいっぱいあるだろうに…。

自分自身や同年輩の友達の「死」と言うものに実感を感じていないだけに、若いK君の急逝にいつになく、世の中の無常や死について考えさせられました。

K君 やすらかにお休み下さい。

4月10日。エムのビックイベント、『いのちとこころのトークセッション』が終わりました。
おかげさまで350名のお客様がご来場いただきました。

中井先生・内藤先生のトークセッションに大変感動されたお客様が多く、多く感想が寄せられました。
「気持ちが楽になった」
「いっぱい、いっぱいの毎日に少しだけでも心に余裕ができた」

講演の後のサイン会でも長蛇の列。その中でも先生に自分の気持ちを訴える人もいました。
いま、「鬱の時代」と言われている現代に、我々もこの企画をしたことが決して間違ってなかったと確信しました。

この企画を通じてわれわれが得たのは大きなものでした。
多くの人の協力があって初めて実現できたこの企画。人と人との絆。いままでエムが行ってきた出版の方向。そういうものを再確認することができました。

これからもオフィスエムをよろしくお願いします。

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真中に中井吉英先生、内藤いづみ先生。左は寺島姐御、右は村石編集長

いよいよ明日に迫ったトークセッション。
「本当に始まるんだ…」と、なんだか不安いっぱいになっています。
なんか、手落ちがあるような、ないような。そういう気分であります。
でも、エムを支えてくれている多くの皆様のお陰でなんとか明日を迎えることができました。本当にありがたいことです。

ところで、明日のイベントに長野県緑の基金の募金箱を置くことになりました。
エムから発刊している、絵本『太一と夜泣き松』、『おおまきの唄がきこえる』が、緑の基金の環境教育の一環で作られた経緯もあり、この機会に緑を育てる募金に貢献できればということで置きます。

さて、その緑の基金からお借りしてきたこの募金箱。どんぐり頭のマスコットなんですが、これが私にそっくり。
社内では「コミそっくりじゃん!!」と大いに笑われてしまいました。

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この『どんぐり君』(仮名)は受付のそばに居て、私と一緒に皆様をお出迎えいたします。
お気軽に声をおかけ下さい。

皆様のご来場、こころからお待ちいたしております。

今日で3月が終わります。そして当然のように明日から4月。

オフィスエムにとってのビッグイベント『いのちとこころのトークセッション』まで、あとわずか10日余りとなりました。

まるで手探り状態ではじめた今回の企画。おぼろげながらも形が見え始めたところで本番に突入ということになりそうです。

今月は、人伝に知らない人に会う事が多い月でした。
特に、病院、福祉施設、NPO団体。そういう関係の方々に少しでもイベントのことを知ってほしくて市内の関係団体を廻りました。もちろんそういう施設を全部廻れる筈も無く、ホンの一部ではありますが。

でも廻った先で、「いい企画ですねえ。是非声をかけさせてもらいますよ」というお話をいただくと、大変ありがたい。
さらに、「こういう団体もあるから声をかけてみてください。私の名前を言っていただければすぐわかりますよ」と初対面にも関わらず教えてくださる方も居て、人の親切が大変身に染みるのです。

3月29日には信越放送のラジオ番組で内藤いづみ先生が、イベントの案内のため電話出演。
放送の翌日の今日にはお問い合わせの電話がチョコチョコ入るようになりました。こういう反響が何よりもうれしいのです。

でも何かし残しているような、そんな不安感もまだまだ残っています。
告知、当日の用意、備品の準備、日程スケジュールに落ちがないか?
考えれば不安だらけ。

そして、明日からは待ったなしの4月。
時間は刻々と過ぎてゆく…。

とにかく最後の追い込みをかけて行きます。

先日、「本を売る最前線から」ということで、記事をUPしました。
本を売る書店さんの声の一部をお伝えしました。そこには本も売る最前線からの悲鳴も込められています。

しかし、われわれ本をつくる出版社と、本を消費者と向き合って売る書店との間を結ぶ流通はどうなっているのか?
ちょっと考えさせられる電話がエムにありました。

電話は、四国は伊予松山のA書店さん。
「以前、『しあわせの13粒』を1冊客注で頼んだんだけど、なかなか来なくて取次に催促したら2冊来たんです。どうもダブったようなんですけど、1冊返品してもいいですか?」とのこと。
一瞬、うちの本が遠く離れた伊予松山から注文がきたんだなあと思ったのも束の間、取次がダブって本を送ったという事にしばし唖然としました。一体取り次ぎは注文の管理をどのようにしているのでしょう?

もちろん、A書店さんには返品の了解をお伝えしましたが、この業界の変化のとぼしい流通システムに改めて驚いてしまうのです。

注文してもなかなか書店に入らない。ベストセラーが小さな本屋まで行き渡らない。われわれ、地方の小さな出版社まで流通の恩恵が行き渡らない。既存のシステムではいろいろ問題があります。

なかでも、注文した本が本屋に届くのが遅いというのは致命的で、その遅さがネット書店の台頭を許してきたんだと思うんです。だって本屋に行って探す手間、取り寄せる時間を考えれば圧倒的にネット書店の方が便利。これが町の書店が苦戦している大きな要因にもなっているのです。

そして、今度実用化される電子書籍。これは間違いなく出版界の黒船。
この出版界の黒船出現にいままでの、出版社、取次、書店は大きく再編されざるを得なくなるでしょう。
黒船にどのように向き合い、読者に対応するのか。いづれにしても、今までのように読者不在の流通形態を改め、読者にとって便利なシステムの構築が必至となることは間違いないと思います。

3月に入ってしばらくポカポカ陽気が続いていた信州。
「このまま春になるのかな」と思っていましたが、甘かった。

先日(3月9日)は一変して雪。しかも、赤穂浪士と水戸浪士と青年将校がいっぺんに襲ってくるんじゃないかと思うようなふぶき混じりの大雪にしばしあぜん。

その雪も昨日今日の温かい日差しにアッという間に溶けてしまったのですから、季節の変わり目のお天気は本当に不安定です。皆様、お体にはくれぐれもご注意を。

今日も、トークセッションの告知に長野市内をかけまわりました。4月10日のイベント終了まで風邪なんてひいていられません。春先の不安定な陽気を気合いで乗り切ります!!

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