先日29日。東御市の祢津農村歌舞伎を見物してきました。
この地方には日本でも古い回り舞台を持つ歌舞伎小屋が2つも現存し、そのうちの1つ、「東町歌舞伎舞台」では地元の人が歌舞伎役者に扮して毎年演じます。
これが良いんですよ~。

近所のおっちゃんの晴れ姿を応援しようと、地元の人たちが一体となって応援します。
まさに地域のきずな、コミュニティの濃さを感じます。

昨年公開になった映画『大鹿村騒動記』以来、あちこちに残る農村歌舞伎が注目されていますが、上手や下手という技量よりも伝統を伝えていこう、そしてそれを支えてゆこうという、地域ぐるみの文化への理解とか暖かさとか、意気込みなどそういうものに引き込まれて行くのです。

考えてみれば、こういうものを守り、伝えて行くって凄いことなんですよね。

農村歌舞伎の場合なら、演じる人はもちろん、見る人だって普段聞きなれない義太夫を理解し、演目のあらすじもある程度理解しなければ見ることができない。

よく「歌舞伎は高尚で理解できない」って人が多いかもしれないけれど、地域の農村歌舞伎を見ることで、歌舞伎という伝統文化に親しみを持つことができるわけです。

こういうのが、文化の下支えになっていくんですねえ。

全国にある農村歌舞伎も後継者不足や資金難で減りつつありますが、なんとか残して行きたいものです。

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地元の足として親しまれてきた長野電鉄屋代線が先日3月31日をもって廃線となりました。

私の実家もこの屋代線沿線。子どものときから知っている屋代線の廃線は感慨深いものがあります。

いつかは廃線前に乗らなくては!

1年前の廃線の発表以来思っていましたが、ギリギリ最終日の31日乗ることができました。

3月に入ってから廃線を惜しむ人々が殺到したと聞いていましたが、この日も最終日とあって大勢の人だかり。
長年見慣れた屋代駅のこのホームにこんなに人が居るのを見たことが無い!そんな感じでした。

この日はあいにくの雨。しかも寒風が吹きすさみ、雨がまさに横殴りに吹き付けてきました。
まさに長年の風雪や鉄道離れという世間の逆風に耐えて走り続けた屋代線の最期にふさわしいのかも。

それでも別れを惜しむ人々。
今までは赤字路線として経営者にとっても頭の痛いことだったと思いますが、鉄道ファンや地元の人に惜しまれ、親しまれての最期は以って瞑すべしというところかも知れません。

線路が無くなる。
電車が走らなくなる。
いままで当たり前にあったものが無くなる。
これは、この地域のひとつの時代が終わったことを明確に指し示しています。

ひとつの時代の終焉に立ち会った。
大げさに言えばそんな感じがしています。


長野県の松本駅前は現在、書店激戦区であります。

昨年末に、駅前の商業ビルのリニューアルで宮脇書店さんが出店。
そして、県内最大規模の大きさを誇るMARUZENさんも出店しました。

いままでの書店さんを巻き込み、松本駅前は今熱い。
そういう感じです。

「やっぱり影響は大きいですよ」とおっしゃるのは駅前でいつもお世話になっているK書店の店長。
「でもねえ、実はMARUZENさんや宮脇さんだけで影響を受けているわけではないんですよ」。

「そこのビルがリニューアルしたでしょ。そしたらいままでこの辺りになかったゲームセンターができたわけ。
そしたら、いままで電車の時間待ちで来てくれたお客さんがそっちに行っちゃったみたい」。

結局、ゲームセンターで時間もお金も使っちゃうみたいで、自然と本に使うお金や時間が割愛されてしまうらしいのです。
皆、本を読みましょうよ~。

これだけ、大型書店が進出すると、ついそこだけに注目しがち。
でも人の流れは町が変われば変化するから、もっとそこを注目しなければいけないんですねえ。
商売って本当に奥深いです。

書店の商売仇(てき)は書店のみにあらず。


昨年は大逆事件から100年でした。

大逆事件は明治44年(1911)、明治天皇の爆殺を図ったと言われている事件。
当時の大逆罪が適用されて、首謀者と言われる幸徳秋水やその内縁の妻・管野スガなど12名が死刑になった事件。
実際に爆殺を図ったのは5名ほどとされていますが、この機会をとらえて政府当局が当時流行を始めていた社会主義や無政府主義の弾圧を図り、今日では国家ぐるみの大冤罪事件であるとされています。

国家が都合よく反対派を弾圧したりするのはこの当時に限りません。
例えば、原発の問題にしても、国が恣意的に情報操作をして、最近まで原発を進め、原発事故が起きた今でも進めようとしているではありませんか。

また、格差社会の問題、そして格差をさらに推し進める恐れのあるTPPに国の舵を切ろうとしている…。
なにやら大逆事件が起きた明治後期に世相が似ているような気がします。

さて、大逆事件の実行犯(未遂)と言われている新村忠雄は長野県屋代町(現・千曲市)の出身です。
このたび、『百年後の友へ』という大逆事件と新村忠雄についての講演会が開かれることになりました。

昨年、新村忠雄について書かれた小説『百年後の友へ』の出版を記念して、著者の崎村裕氏をお招きしての講演です。

屋代町は私の出身の隣町。歩いて数分のところです。しかし、新村忠雄についてまったく知りませんでした。
それほど地元でな忘れられた人物。いや、天皇爆殺を企てた大罪人としてタブー視された人物なんですね。

ちょうど事件から100年の昨年は日本人にとって東日本大震災、そして原発事故と忘れてはいけない大きな節目になった年でした。
そしてそこから現代社会の闇や様々な矛盾=例えば巨大な利権を抱える原子力ムラの存在や既得権益にあぐらをかく大手マスコミ、力のない政治家と対応力のない官僚組織の問題点などが人々の前にさらけはじめました。

こういう時に大逆事件について考えるのは決して無意味ではないと思います。
私も考えてみたい。そのように思っています。

講演『百年後の友へ』
場所:屋代公民館(長野県千曲市屋代)
日時:1月29日(日)13:30~15:00
参加費:500円

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年が明けて早いもので20日近く。
あっという間ですね。なにやらバタバタしている間に半月が終わってしまいました。

昨年末に2冊の本が完成いたしました。

1冊は、『植物、いのちと名前の来歴』
以前、小社から発刊した『花の語らいの』著者・白木健助氏の植物エッセイの第2弾です。

本の題名の通り、身近な植物の来歴をつづっています。
でもこれが大変面白いのです。

たとえば、あんなに小さく可憐な花なのに【オオイヌノフグリ】という冗談としか思えないカワイソウな名前が付けられたのか、とか思わず「そうなんだ」と納得してしまいました。

そのほか、「松竹梅」はなぜおめでたいのか?とかイチョウはなぜ寺社に多く植えられているのか?とか興味深い話が満載。そして読み進めていくうちに、日本人の植物への愛しみとか、繊細な神経の使い方とか伝わってくるのです。読み物としてたいへん面白い。

2冊目は『山と建築vol.4善光寺と世界遺産』 。

長野市の名刹、善光寺は長い間、庶民の寺として親しまれていますが、その善光寺を世界遺産へという運動が、長野市民を中心にここ数年来活発になりつつあります。

でも、そもそも世界遺産って何?世界遺産に善光寺ってなることができるの?という疑問もあります。
それに応えるのがこの本。
他の世界遺産と善光寺を比べながら、景観や街づくりに提言をします。
いま、各地で世界遺産の登録を目指す動きがありますが、そういう方々や、街づくりに関心のある方にオススメの本です。

という事で…。

今年イッパツの新聞広告はこの出来立ての本を御紹介いたします。
信濃毎日新聞1月22日(日)朝刊で見参(予定)。ぜひご覧下さい!

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いよいよ信州にも来ました。招かざる客「寒波」が…。

高い山はもとより、人里近い山も雪が降りました。
昨日は、長野県内の北部の地方は大雪だったようで、1日に数10センチも積もったそうです。

いよいよやってきましたねえ。

今年は3月の震災で、北部の栄村が甚大な被害を受けました。
栄村は日本でも屈指の豪雪地域。1年の半分を深い雪の中で過ごさなくてはいけません。
慣れない仮設の住宅で何とか春まで乗り切って欲しいと思うしかありません。

考えてみれば栄村だけではない。
宮城も、岩手も雪が多く、寒冷な地域です。
福島の太平洋側はそれほど雪は降らないそうですが、それでも寒く厳しい冬を迎えることは間違いありません。

住み心地は決して快適とはいえない仮設住宅。お体だけでも大事にして欲しいと祈るしかありません。


まもなく訪れる12月8日。この日は「太平洋戦争」開戦の日であります。今年でちょうど70年前の事です。
もう70年も経つのかという思いと、70年しか経っていないのかという思いが錯綜して少し複雑な気持ちであります。

もちろん、私自身、戦争経験者ではありません。戦後から20年以上後に生まれたので、知識として知ってはいても実感などあるはずもありません。でも戦争についてはちゃんと知っておかなければいけないという思いは持っています。特にアメリカ相手の無謀な戦いになぜ突入してしまったのか…、これはキッチリと把握しておく必要があります。

考えてみれば、太平洋戦争の開戦まで、日本は長期にわたる日中戦争で国力が疲弊していました。
その上、新たに強敵アメリカを相手の全面戦争。しかも戦争に必要な資源はほとんどアメリカからの輸入に頼る始末。これでどうやって戦争をするのか?今の我々にはちょっと想像がつきません。

この流れをどのように考えるのか、人によって様々議論の別れるところですが、結局は長年の中国政策のツケを、アメリカとの戦争という形で払わされた。 そのように見ざるを得ないと思います。

長引く、日中戦争。解決の道すら見つからないまま、孤独化をおそれ結んだ日独伊三国同盟。
それが米英の警戒を生み、対立が激化。最後には中国での権益を放棄するように迫られ(ハルノート)、追い詰められるように開戦。まあおおよそ、こういう流れです。

当時の記録を見ると、政府も、軍もアメリカと戦って完全に勝てるという見通しなどまったくありませんでした。
でも、追い詰められたから戦わざるを得ない。そもそも戦う前に外交で敗れています。古来、外交で敗れた戦いを戦争で勝つなどありえません。しかも国民にも中国から撤退しますと説明することもできない。ここから言えるのは政治が不在であるという事なのです。どこかの国と同じですね。

さて、戦争に追い込まれる中で軍部も対米戦のシミュレーションをいたしました。
資源は確保できるのか?輸送船舶の損耗は?国民生活はどのぐらい圧迫されるのか?等。
結果は「長期戦はムリ」という事だったらしい。でもそれでは戦争ができないので、もう一度算定させて、早期に資源地帯を確保すれば戦争は継続できるという、ご都合主義的な結論をひねり出しました。

実際の戦局は、当初のシュミレーション通りでした。資源は確保しても、それを運ぶ船は沈められる。もともと資源が無いから船や飛行機の生産は覚束ない。そして戦争経済は破綻。国民生活は大いに圧迫。
そしてその国民を守ることなく敗戦。
全ては結論ありきの開戦が招いた結果でした。

ところで、この図式は何かに似ていると思ったら、原子力の推進も同じ「結論ありき」の図式でした。

そもそも、狭い国土に事故が起きたら収拾できない原発を作るのがムリであるのにも関らず、何とかつくろうとする。そうすれば、結局「原発は絶対事故は起きない。絶対安全だ」と言い続ける。絶対安全であるということなどありえないのに関らず…。

しかし、「絶対安全」って言い続けていると、今度は当局者の手枷・足枷になる。と言うのも、安全基準を見直す機会が何度もあったのにも関らず、基準の見直しを行なうことは、今まで「絶対安全」と言い続けた事がウソになる。だからしない。 もう最後は自分たちが言い続けた「原発は絶対安全」という言葉を信じるしかない。まるで戦時中、日本人が「日本は神国だから負けるはずがない」と言い続けたように。

私たちは70年前の日本の決断を、「軽率だった」とか「無責任だ」とわらったり、責めたりすることはできません。なぜならば、同じような失敗を犯しているのですから。

現在、事故による放射能汚染は広い範囲で報告されてきました。
汚染が進んでどうにもならなくなる前に、せめて早く手をうって欲しいと祈るばかりです。


毎年、この時期の「定期刊行物」となっているのが、『信州の建築家とつくる家』と『森貘郎・一茶カレンダー』。
今年もできあがりました。

『信州の建築家とつくる』は今年で8巻目。信州在住の建築家の紹介だけでなく、毎年特集を組んで、読み物としてもご納得いただけるつくりになっています。
今年の特集は東日本大震災を受けて、「拠りどころ」という特集を組みました。

家が人々の絆をつぐむ場所。それが「拠りどころ」なのだと。地域の文化や気候風土にあわない画一的な建築は「拠りどころ」と言えるのか?家族や人が自然に集まり憩える家とうどういうものなのか?建築家がそれぞれの建築哲学に基づいて提言します。
「なるほどなあ」と思わず納得。こういうメッセージは読み手のわれわれの家への考えや思いを問われるような気がします。

もう1つは『一茶カレンダー』。
板画家の森貘郎さんが小林一茶の俳句とともに作った作品がカレンダーとなって登場です。
我が家でも愛用しています。
森さんの独特の板画が一茶の世界とピッタリとマッチして素晴らしいできあがりです。

カレンダーができあがり、いよいよ年の瀬へ。


今月11日から開幕した、プロ野球日本シリーズ。福岡ソフトバンクホークスと中日ドラゴンズは連日息詰まる投手戦で熱中して見ていました。
まさに今年の日本一を争うのにふさわしいゲーム展開であります。
1点を争うゲームにはむやみに強い、中日ドラゴンズ。なんせ、シーズン中もそんな試合しかして来てませんから、がけっぷちに強い。

ところで、そんな日本シリーズの開幕に水を差したのが、巨人軍の代表が親会社の読売新聞の社長を相手取った告訴事件。例の内紛劇であります。

考えてみれば、今年のシーズンは開幕では震災の節電を受けて遅らせることを巨人がダダをこねたことから始まり、終わりは内紛劇のゴタゴタで締めくくり。始まりと終わりの話題をしっかり攫っていくのがさすが『球界の盟主』であります。感心、感心。

巨人内のゴタゴタはともかく、そういう一球団の内紛の発表を事もあろうにシーズンを締めくくる日本シリーズの開幕直前にすること自体が、「なんだかなあ~」とプロ野球ファンを呆れさせるのです。

そもそも、日本のプロ野球は巨人が中心でした。
巨人というチームの人気でプロ野球の興行が成り立っていたといっても過言ではありません。

だから巨人は球界では何をやっても許される。いや、巨人が強くなくては球界の発展はない。
本気でそういうふうに考えられた時代はたしかに存在しました。ですから巨人が引き起こした、「江川入団事件」、「桑田入団事件」は社会問題にもなったのです。そもそも、巨人以外だったらあんな問題起きません。いわば、巨人の驕りが引き起こした事件なのです。

しかし、時代は変わりました。
そもそもプロ野球は娯楽の花形からその地位を追われました。
地上波で巨人戦どころかプロ野球自体が放映されることがめっきり少なくなりました。

野球そのものが報道されずに、ゴタゴタだけが大きく報道される。これってもうお笑いです。
そういうことって関係者にはわからないんですね。
いまだに「我が巨人軍は永遠に特別です」なんて思っているんでしょう。

野球ファンだってそういう巨人偏重ないまのプロ野球のありかたに辟易しているんですよ。
だいたい、連盟のコミッショナーよりも一球団関係者のナベツネの方が発言力があるのってどう考えても面妖な話なのです。

こんな人気凋落のプロ野球ですが、明るい材料はあります。
やはり地元密着でファンが自分のチームとして応援すること。
そして何よりも選手の技術が年々向上していること。本当に力のある選手は、日本の野球に見切りをつけて大リーグ目指して技術の向上に日々努力しています。
地域密着でお客を確保し、素晴らしい技術で選手が魅了し続ければ、プロ野球が途絶えることはありません。

今年の一連のゴタゴタを見ていると、日本のプロ野球はちょうど過渡期に入ったと思うのです。


今月11月は児童虐待防止推進月間です。
2000年11月に『児童虐待防止法』」が制定されたことに因んで、11月が虐待防止推進月間になっています。
各地で、啓発活動が行なわれています。

虐待防止推進月間に遇わせたわけではありませんが、期せずして『続・ひとりで悩まないで』が発刊いたしました。子育てに関する悩みを、子育て経験者がインタビューで答えたものを収録しています。

児童虐待が大きな社会問題となって久しいのですが、ニュースで虐待の傷ましい報道が絶えることはありません。だれが加害者になっても決しておかしくない。そんな感じがします。

親の責任はもちろんですが、家庭をとりまくストレス社会や、没コミュニティー社会も大きな要因ではないでしょうか。
以前は、子育てにおじちゃんやおばあちゃんの協力がありましたが、核家族ではそれを望むべくもありません。
日々抱えるストレス。言う事をきかない子ども。こういうところが虐待の元になるのではないかと思います。

せめて子育ての悩みを聞いてもらったり、 子育て世代が集まる場があるだけでもココロが休まります。
現在、そういう場が行政やボランティアの方々によって増えてきました。
悩みを抱えないで、皆が共有することで心が落ち着くんですね。
「自分ひとりで悩んでいるわけじゃないんだ」。それだけでも違うんですね。

今回発刊した『続・ひとりで悩まないで』もかつての子育て世代が経験した様々な悩みや問題が満載です。そしてそれをどのように乗り越えたか、体験談が載っています。いわば、子育て世代への応援メッセージ。
子育て奮闘中のママやパパにぜひ読んでいただきたい本です。


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