2010 年 8 月 13 日
毎年この時期、各メディアで取り上げられるのが終戦特集。
特に今年は終戦65周年ということで、近年にないほどNHKをはじめ民放各社も戦争についての番組が組まれていました。
私もほぼ毎年この時期に訪れるのが、長野市の松代にある松代大本営・象山地下壕。
昭和20年8月。もし、終戦が決まらず本土決戦が決定すれば、戦争を指導する大本営はここに移され、日本人の多くが犠牲となり、国土は今も分断されたはずでした。
そう考えると、私はこの時期この地に何度も足を運んでしまうのです。
松代象山地下壕の入り口は大変狭いのですが、中は大変広々としています。
そして、外の猛暑に関係なく中は肌寒いほど冷ややかなのです。
象山地下壕は総延長およそ6キロ。そのうち見学コースは500メートルほどです。
このような大きな壕がまるで碁盤の目のように、地下を縦横に走っています。
ずり(土砂)を運んだトロッコの枕木の跡が今も残っています。そのあとが大変生々しい。
壕の中には今も、削岩用のロットがいくつも岩に刺さっており、工事の跡が残っています。
工事が始まったのは、戦局が悪化した昭和19年11月11日。参加人数延べ300万人とのこと。
この工事には多くの朝鮮人の人々も労働者として強制的に連れて来られ、労働に従事しました。1日3交代、工事も旧式で多くの犠牲者を出しました。
計画では象山地下壕には政府や放送局が入る予定だったとか。当時はもちろん極秘で、表向きは倉庫工事という名目でした。
わたしは、かつて沖縄のひめゆりの塔のそばにある、壕を上から見たことがあります。
沖縄の壕は本土決戦の準備のため、時間稼ぎと捨て石のため、多くの沖縄県民・兵士が犠牲になりました。
そして松代の壕はその本土決戦を完遂するために最高司令部が入るための壕。もちろんこの壕が使われる時、悲惨な沖縄戦とまったく同じ光景が、そのまま日本全土で繰り広げられたに違いありません。
その意味では、沖縄と松代の2つの壕は繋がっている。そんな気がするのです。
真夏でも寒い松代の地下壕。
しかし、その寒さは温度だけでなく、このような壕を作ってもなおも戦争を完遂しようとした当時の軍の恐ろしさや、また始めた戦争を終わらせることの難しさ。さらには戦争から死ぬまで逃れることができなかった当時の日本人、この難工事に亡くなった多くの人々の事など様々な事が見る者の頭に去来して、心まで寒く感じてしまうのです。
隣接する『もうひとつの歴史館・松代』と併せて訪問されることをお勧めします。