日記


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10月8日、9日の二日間は東御市八重原の明神池で行われた『火のアートフェスティバル』に【オオルリシジミ保存会】のブースをお借りして、『ちょうちょのりりぃ』の販売にお伺いいたしました。

旧北御牧村に位置する八重原の台地はオオルリシジミの生息地。いわばオオルリシジミの故郷と言っても過言ではありません。
いわば、この日が「ちょちょのりりぃ」のお披露目になったわけです。

明神池の周辺にはちょっとした陶芸家さんたちの工房があったり、大きな登り窯があり、火に関係する芸術活動が盛んな場所。
このフェステェバルでは、それに因んで陶芸のクラフト展や地場食品の販売、メイン会場ではイベントを行い、多くのお客様がお見えでした。

その中で陣取ったわれらが『オオルリシジミ保存会』のブース。

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オオルリシジミについての説明や、保存会の活動のパネルに多くの方々が足を止めて見ていただきました。

また、「ちょうちょのりりぃ」をお買い上げいただいた方からも、
「地元にいるからオオルリシジミについては知っているけど、子どもからオオルリシジミって何?って聞かれてもちゃんと答えることが出来なかった。でもこの本なら分かりやすいし、子どもに教えてあげることができる」
とおしゃっていただきました。

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直接販売する楽しみはこういう読者の皆様の反応をダイレクトに聞くことができることにあります。
このような、ありがたい感想は我々にとっても大きな励みになります。

地元の方々にもっと知っていただければと思います。


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本日、まぼろしのチョウ、オオルリシジミの絵本『ちょうちょのリリィ』が出来あがってきました。
本格的に作成が始まっておよそ1年がかりで完成しました。

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以前はどこにでもいたオオルリシジミ。ルリ色の羽が鮮やかな、大きさはちょうど一円玉ぐらいの大きさの可憐な蝶です。
やはり急速な田園の環境の変化が、小さな生物が住む事が出来なくなり、現在では九州の阿蘇地方と長野県の一部のみ生息が確認できるだけとなりました。

人間にとっては便利や効率UPを求めた変化ですが、小さな生物にとってそれは種の絶滅の危機に瀕するほどの大きな生態系の破壊につながる。そう考えるとなにやら恐ろしいものすら感じます。

さて、昨日、この本の編集をした鴨林クンと本作りに協力をしていただいた東御市の保存会の小山会長にお礼と出来あがりのご報告にお伺いいたしました。

見本を見ていただいた後、会長はまるで自分の本のように喜んでいただきました。
「こういうふうに子どもたちにわかる本が欲しかったんですよ」。

普段は農業を営んでいらっしゃる小山会長。オオルリシジミの保護を通じて、里山やそこに住む生物の生態系の大切さを子どもたちに教えたい、伝えたいと常々考えていたそうです。

子どもたちにオオルリシジミはもちろん、その周りの植物や虫に関心をもつきっかけになれば我々も大変うれしいのです。

本の感想など、お互い述べ合った後、会長は、「オオルリシジミが最近切手になったんですよ」と我々にその切手を見せてくれました。

つい最近の先月23日発行の切手シリーズ。「自然との共生シリーズ第1集~日本の希少野生動植物」と銘打ったその切手シリーズにツシマヤマネコやアオウミガメとならんでオオルリシジミが載っていました。

「長年、オオルリシジミの保存をしてきた者には大変うれしいです」と会長。
今年は、飯山市で生息が確認されたことから地元紙でも何度かオオルリシジミが紹介され、絵本ができ、そして切手にまでなった。まさに今年はオオルリイヤーと言えそうです。

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我々も早速、麓にある東御市の田中郵便局で購入いたしました(笑)


身長163センチ。体重93キロ(7月15日現在)。
堂々たる肥満体の私。おかげで睡眠時無呼吸症候群になっています。

小社から発刊している『人生はピンピンきらり』の著者・根本賢一先生が心配されて、
「一度、こういう施設があるのですが受けてきませんか…」とご紹介していただいたのが、茅野市の白樺湖にある池の平ホテル・健康いきいき診断プログラム。
こちらでは、大学の研究所並みの施設で体力を診断し、その人に合った体力向上プログラムを作ってくれます。
市民ランナーから体力向上を目指す人、そして私のようなダイエットを目的とした人が訪ねてきます。

じつは、このプログラムは今年の4月から 、池の平ホテルが始めました。ホテルをリゾートだけでなく、健康の増進をする場所にしようという新たな取り組みで、プログラムを作成する専門の方もいます。
じつは、この専門の方が、小沢さんと櫻井さん。根本ゼミの卒業生です。
健康とスポーツについて根本先生について、しっかり勉強された方々なので安心して診断を受けることができます。

まずは体重、そして脂肪率を計測します。
そのあとに、呼吸マスクをつけて、エアロバイクを漕ぎます。そこで、運動時の心拍数や呼気データーを計測します。本格的です。
計測後すぐに解析。説明を受けます。

「小宮山さんはかた太り型ですね」と櫻井さん。
「筋肉も多いですが、脂肪も多い。特に内臓脂肪を取るようにしましょう」。

「AT値も低いですよ」。
AT値とは有酸素運動と無酸素運動の境目。つまりAT値が高いと体力があるということ。それが低いということはその分、体力が衰えているということです。
「減量が成功すればAT値は自然に上がりますから、減量を目標に体力の向上をしましょう」と櫻井さんは指導してくれました。

今の私の場合、普通の歩きと、早歩きを交互に繰り返す「インターバル速歩」を速足部分で1日15分。そして腹筋、背筋の筋肉トレーニングが効果的との事です。

早速、白樺湖畔をインターバル速歩。一周4キロを1時間近くかけて歩きました。

今回プログラムを受けて、大学の施設でなくては分からない自分の体力の現状を判っただけでも、目からウロコ。
かなり待ったなしの状態です。そして無理なく続けられるプログラムを個々の状態に合わせて作ってくれる。

そのプログラムをいかに持続して続けていくか…。頑張りたいと思います。


昨日、松本市の書店さんを回ってきました。

松本は6月30日に震度5強の強い地震に見舞われました。次の日の7月1日には何件の書店さんに状況を聞いたのですが、やはり顔を出すと地震の話になります。

松本駅改造社さん。松本駅の駅ビルに入っている書店さんです。
松本駅という場所柄、客層の多くは観光客が占めています。

「やはり、松本が地震を受けたと言うことで、お客さんが本当に居なくなりましたよ。上高地に行く道も土砂災害を受けたし。一時はピタっとお客さんが来なくなりました」と店長。
「でも実際被害を受けたのは松本でも局地的で、ウチの場合は一部の棚が崩れた程度なんだけど…。報道ではまるで松本全体が被害を受けたような言い方になるから、お客さんも旅行先に松本は敬遠されたみたいです。一種の風評被害ですね(笑)」
店長のお話だと、お客さんは徐々に戻りつつあるとのこと。一安心です。

何軒か書店さんを回ったところでは、敷石が崩れたり、本棚の本が崩れたりしたようですが、見た目にはそんなに被害を受けたようには見受けられない。しかし、震源に近い南部に行くと今も被害の爪あとは生なましく残っていました。道路沿いの家々の屋根は瓦がずれ、屋根には雨漏り防止の為に仮に掛けられたブルーシート。そして崩れたブロック塀。何軒か屋根の修理をしていましたが、これでは工事が追いつかないのではと思います。

そして、被害が大きい地域にある、興文堂平田店さん。以前、『おおまきの唄がきこえる』の原画展やインストアライブをさせていただいたお店です。

「ほら見て見て」と店長が指差す先には、天井から釣り下がっている防煙の垂れ壁。そこにはあるべきガラスが落ちています。
そのほかには、壁のクロスがはがれたり、ヒビが入ったりしていました。

「人がどんなに押しても動かない雑誌の長い棚が移動していたからねえ」と驚いておっしゃいました。
本は店内に散乱し、なんとか片付けて開店できたのは、その日の夕方だったそうです。

「松本ってそんなに大きな地震のあるところじゃないけど、こういう地震があるとやっぱり人ごとじゃないよね」 としみじみ話をされた後に「でも次は長野だから」とシャレにならない「予告」までされてしまいました(笑)。

今回の地震は開店前の8時ごろだったので、お客さんはもちろん、従業員の方も出勤前だったことが幸いしました。皆さん口々に「お客さんに怪我がなくてよかった」と話をされました。
そして、必ず言うのが「東北に比べたら、この程度で騒ぐのは気が引ける」。
決して「この程度」で片付けられないほどの被害なのですが、大震災の後だけにそのような「自制」が働いているのが印象的でした。


テレビ、ラジオでは連日「節電、節電」。
「こうすれば、このぐらい節電になりますよ」とワイドショーでもコーナーを設けて放送しています。

それもこれも、各地の原子力発電所が 原発事故を受けて計画通り稼動しなくなったから。

一連の「節電ブーム」で扇風機の売れ行きはもとより、扇子・団扇も売上が好調のようです。

しかし、そんなものでこの熱い夏を乗り切れるのか?

昨年、クーラーが使える状況だったときでも、熱中症で亡くなった方を連日報道されました。
今年は更に熱中症で亡くなる方が多いかもしれません。
だいたい、都会の生活は電力が全て。高層ビルやマンションなど電気が無いということは想定されていません。

私は、「節電ブーム」が過ぎれば必ず「原子力発電を稼動せよ」という世論が起きると考えています。
稼動できる原発を動かして電力の供給を増やせ!節電のため熱中症で亡くなった人を報道されるたびに、かならずそういう意見は持ち上がってきます。

でも、本当に電力の供給は足りないのか?
足りなければどのぐらいの節電が必要なのか?いま、この時間、消費量は供給量の何割を使っているのか?わからないと節電の目標がたたない。ただ15パーセント削減といわれても良く分かりません。

すこし、穿った見方をします。
本当に過度な節電が必要なのですか?
本当はある程度足りているのだけど、節電を呼びかけることで、原発再稼動のシナリオを立てているのではないか?「原発を稼動せよ」という世論が高まると、再稼動を渋っている現地の知事も許可をせざるを得なくなる。そして国民も「やっぱり原発は必要なんだ」と妙にナットクするかもしれない。
わたしは、節電ブームのうらにこのような企てがあるのではないか?そのように疑っています。


6月17日。やっと発刊になりました。『聞いてください』。
長野県内書店で現在、発売中です。

5月に信濃毎日新聞で、坂田静子さんと、『聞いてください』の活動を紹介して以来、予約を次々と小社に いただきました。

原発とは何か?
なぜ怖いのか?
どうして地震の多い日本で作られるようになったのか?

今ほど関心が持たれている時はありません。ぜひ読んでください。

ところで…。

昨夜、石原慎太郎都知事のインタビューがテレビで紹介されていました。
「原発をどのように考えるか?」という内容で、報道番組の1コーナー。各界の識者に毎日聞いたのを放映しているらしい。私が見たのはたまたま石原知事の番だったようです。

「日本人は原爆を落とされたから、放射能にはものすごくアレルギーがあるね。でも、日本より原発に頼っているフランスで原発の事故がありましたか?ないでしょ。だから原発の問題はもっと冷静に考えなくてはいけません…」と石原さん。

ちょっと待って欲しい!原発事故は無いかも知れないけれど、核処理施設から放射能は漏れている。そして、現に 坂田さんのお孫さんは、生まれながらにして障害を持ち、そしてすぐに亡くなっている。
人に安心安全な核の施設などこの世には存在しない!アレルギーとかヒステリックとかそういう問題ではない。危険だから反対しているのです。

もちろん電力の供給をどうするのか。原発に変わる電力供給源をどうするか。すぐには答えは出てこないと思いますが、原子力にこだわらない、柔軟な考えを日本人一人一人が持たなければいけない時代に入ったと思います。


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6月7日。
長野県立こども病院で、クリニクラウンの塚原成幸さんの講演を行いました。
県立こども病院は塚原さんがクリニクラウンとして初めて活動をした病院。
いわば日本のクリニクラウンの発祥の場所と言っても良い。

「この病棟がぼくらの原点なんですよね…。案内板見ただけでウルってきました」と塚原さん。
しかも、この6月7日はこの病院に入院していた子ども、いや塚原さんにとっては「友人」ともいうべき子の命日なので、この日、子ども病院で講演ができることは、感慨ひとしおだったそうです。

クリニクラウンは入院しているこども達と遊びながら、コミュニケーションをとる活動。
病院という閉ざされた場所で過ごさなくてはいけない子どもたちにとって、病院にいる大人は先生であったり看護婦さんであったりするわけで、どうしても「痛いことをする人」という認識。そして活動も制限されるので、普通の子どもたちと異なり、子どもらしい笑顔や表情が消えてしまうのです。

そんな子どもたちに笑顔を。普通の子どもらしい時間をそういう子どもたちに届けたい。
クリニクラウンの理念です。

そういうクリニクラウンの活動を知りたい。
病院の先生や職員の皆さんをはじめ、一般の方も多くの方がお見えになりました。
そして、大手雑誌社をはじめ地元新聞社も取材に来ていただきました。

クリニクラウンの活動がいま注目されている!
震災以後、未来を担う被災地の子どもたちの心をどのようにケアし、寄り添うのか。これは大きな課題になりつつあります。
その中で、子どもと寄りそうクリニクラウンの活動に関心が寄せられています。

でも、子どもたちの反応っていろいろあるんですね。
大人たちは「せっかくクラウンさんたちが来たんだから」と思うけど、子どもたちは、
「うるさい」
「何しにきたの」
と反応が冷ややかな子どもも少なくない。
でもそこでめげてはいけないんです。そこからどうやって子どもの心に飛び込んでゆくか?
塚原さんが実践を交えて講演されました。
その中で、私の心に残った一言。
「手厳しい反応は、つながりたいと思う心理の裏返し」。

大人の社会でも通じる一言でした。

クリニクラウン写真展開催中です。
県立こども病院、南外来・北外来入り口通路と第一病棟入り口通路横の2箇所です。

ぜひご覧下さい。6月19日まで。


菅内閣不信任案をめぐる一連の国会のゴタゴタ。
被災者そっちのけの騒動にあきれ返るばかりです。

以前も国民無視の政局の騒動は毎度ありましたが、国民は呆れながらも遠巻きに見ている余裕がありました。ちょうど人の喧嘩を見ているような。

しかし、今回はそうではない。
国難といわれるこの時期に、復興対策・原発対策など早急に対策が求められるなかで、政治空白につながりかねない政争を繰り広げることに怒りと不信感を募らせています。

「政治家はいらない」
「政治に任せておけない」
そんな感想をもった方も多いのではないかと思います。

しかし、政治の不信が募るといったいどうなるのか?
実は、この状況は昭和の前半とよく似ています。

昭和は、深刻な昭和恐慌で幕が開き、その対応が政治ではうまくいきませんでした。
農村は荒廃し、農家が倒産。そしていつまでも続く不景気。そして戦争。
大体、昭和20年までの20年間で内閣は17内閣(改造を含む)。平成の現在と同じく短命内閣が続き、いずれも政治的に安定した内閣というのが無い。

この当時も、政局に明け暮れる政党政治に国民も怒りを感じていたことが伺うことができます。
昭和7年(1932)5月15日、凶弾に倒れた犬飼毅首相。しかし、彼を殺害した海軍士官たちに多くの助命の嘆願が寄せられました。「国民を顧ない政治家を殺して何が悪い。彼らの動機に同情できる」。
この当時、政治不信が国民の間に大きく広がっていたことが分かります。
そして、政治に替わるリーダーシップを軍に求めたことが、軍の政治力の拡大、そして戦争に至った要因ではないかと私は思っています。

政治不信から、私たちが政治に替わるリーダーシップを他に求め出した時、その結果を昭和の歴史が暗示しているように思えるのです(自衛隊が政治を握るとか、すぐに戦争になるとかという意味ではありません) 。
なんか、とんでもない方向に引きづられるような…。そんな危惧を感じます。

いずれにしても、これ以上不信をもたれない対応をして欲しい。
政治家の先生たちにこれだけを求めます。


先日、京都府の宮津市にお邪魔いたしました。

宮津市の老人大学の講座に、『人生はピン!ピン!キラリ !』の著者・根本賢一先生が招かれての健康運動の講演。わたしも、一緒に行っての販売でした。

最初、お話をいただいたとき、宮津の位置関係が頭の中でよくわからず、
「宮津ねえ。たしか敦賀からちょっと行ったところだよね」
という感覚で、軽い気持ちでお受けしたのですが、改めて地図を見ると結構遠い…。

行ってみて以外に思ったのが、あの日本三景の「天の橋立」が宮津の町からすぐそばにあること。
市街地の海の端から、あの長々と横たわる橋立が見ることができるのです。

宮津は織豊時代は、文人大名で知られた、細川幽斎・忠興親子が城を築いた城下町。
細川親子がこの宮津に居城を構えた理由も「橋立があるから」というのが、実は大きな理由かも知れません。
だって、細川の殿様だって歌枕にもなっている橋立を毎日眺めて、一首作りたいと思っても不思議ではない。

橋立にもお邪魔してきました。
現在の橋立は、車の通行はできないものの、通学の高校生が行き交い、地元の人たちが歩く、生活道路。そして浅瀬には地引網をする漁師さんや、アサリやシジミを採る人々も居る。
橋立によって海がさえぎられているので、その内湾は海水と淡水が混ざる汽水になっており、魚介類も豊富。橋立が観光だけでなく、地元の人々の生活と密接な関係にあることが良く分かりました。

さて、根本先生の講演では、健康体操やインターバル速歩の解説がなされました。
やはり、体力をどのように維持していけば良いのか。皆さん多いに関心があるところ。
いずれは橋立でインターバル速歩をする姿が見られるようになれば素晴らしいことですね。

こじんまりとしながらも、美しい町・宮津。
ちょっと遠いけど、また訪れてみたい町であります。


先月末、『たぁくらたぁ23号』が出来上がり、今月から発売を開始しました。
実は、今号は東日本大震災を受け、特集を大幅に変更。震災と原発問題を急遽取り上げたため、予定よりも半月以上遅れての発刊となりました。

今回の震災では、3月11日に起きた地震と津波で受けた東北の惨状が取り上げられていますが、長野県栄村も翌12日未明に起きた地震で、大きな被害を受けました。

栄村のような僻地で突如起きた震災。このとき人々はどのように対処すればよいのか?村のコミュニティーは ?これからの栄村は?現地の声を取り上げました。
そして、今なお収束の見込みの立たない、福島原発事故。われわれは一度暴走を始めた原子力発電がいかに恐ろしく、そして歯止めの利かないものか思い知らされました。今後、原発とどのように向き合うのか?
限られた紙面ではありますが、問いかけます。

今回は力の入れ方が違います!!

さて、『たぁくらたぁ』は年4回の発刊を一区切りとして定期購読を募集しています。
本当は送料をサービスしたいのですが、ギリギリの予算なので心苦しくも送料をそのつどいただいています。
本の価格が400円に送料100円、それを年4回で2,000円が定期購読料として頂戴しています。

おかげさまで、定期購読をしていただいている方も多く、『たぁくらたぁ』を発刊するごとに心を込めて送らせていただいてます。
中には、今号で定期購読が終わるの方もいらっしゃるので、そういう方には定期購読継続のお願いと2,000円の振込用紙をお付けしてお送りします。

ゴールデンウイークも終わった今週辺りから、定期購読を継続される方からの振込みが殺到し始めました。
大変ありがたいことです。

そんな中、広島県のご高齢な定期購読の方から、わざわざ封書で、継続のお申込をいただきました。
その中には、お金と一緒に、手紙も添えられました。

ルーズリーフに大きく

ヒロシマは
生命の底より
血を吐いて
叫ぶ

核と戦争と共存できぬ

……
……

決して達筆とはいえない文字。そして短い文章。
それだけに私はこの方の魂の叫びを 感じるのです。

想像を逞しくするならば、年齢とお住まいの場所から、あの60年前のヒロシマの惨状を目の辺りにされたのかも知れない。
そして、今回の震災で、町がまるごと破壊されてしまった惨状から、ヒロシマを連想されたのかも知れない。
そして、核。
核はいつまで、われわれ人間を苦しめるのか。そしてそれを今まで進めてきた人類に対し、相当な怒りをお持ちなのではないか。

そして、その思いを私たちに伝えたくてわざわざ、封書で送られて来たのではないかと思うのです。
出版社にとって、読者の心の叫びを聞くことは本当にありがたいことです。

今回の震災では、それぞれのお立場で、それぞれ考えるところがあるのではないかと思います。
私たちもそういう思いに届くような本をお届けしたいと考えています。

今回の原発事故を受けて、オフィスエムでは緊急出版を決定しました。
題名は『聞いてください』。
原発推進の世論だった1970年代。一介の主婦である坂田静子さん(故人)が行った反原発運動とその活動の記録です。
坂田さんは、自分で調べた原発の恐ろしさをまとめ、『聞いてください』というガリ版刷の新聞にして駅前で配っていたそうです。
その内容は、決して古くない。いま現在、福島で起きつつある事が予見でもしたかのようにそのまま書いてあります。それが、チェルノブイリもスリーマイルも起きる以前に書かれていることに衝撃すら覚えるのです。
いまだからこそ、読んでいただきたい。そこには何故どのように原発が進められ、建設されていくのか。当事者の目線で書かれている貴重な資料でもあります。
オフィスエムでは、社員一同手分けして、『聞いてください』を文字起こししています。
もう少し、お待ち下さい。


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