貘の爆弾発言


NHK・TVの「クローズアップ現代」で「落書きが凶悪犯罪を生む」と大マジメに取り上げていて、ビックラ。落書きアートは野外アートで美術館やギャラリーや額ブチを飛び出したアート。私もパネルに布や紙を張って落書きアートを人の集まる場所で何度か開いたことがある。この世のものと思えぬイイ顔で楽しんでいた通行人や子供たち。「ホントに描いてもいいの?」とオズオズして始め、やめられないヤメラレナイになってしまう。落書きアートは自由の空気をすうことの出来るアクションだ。自由なくして民主主義なし。民主主義なくして平和なし。

それにしても落書きと凶悪犯罪を結びつけるとは、まさに犯罪的。落書きを消すことで善良な市民になれたり、きれいな町づくりに参加したり奉仕できたりするのだから、じつに市民のタメになっている落書きではないか。表彰状でも出すべきだ。
町をキレイにするのは簡単。まず広告看板を全廃すること。広告という虚偽をハンランさせ、凶悪な資本による犯罪を野放しにしていながら、なにが落書きはイケマセンだ。政治家の作り笑いのキタナイ顔や名前の看板こそが、凶悪な政治の温床ではないのか。

しかし考えてみると、落書きが凶悪犯罪を作るなんて、落書きの有用性ならびに有効性の評価かもしれない。
美術なんて趣味や道楽や役立たずの無用なものと決め込んでいる常識に落書きアートが風穴を開けたのかもしれない。
アメリカではバスキアやキース・へリングなど落書きアーティストが出て、たしかソーホーとかいう落書きアートの街が話題になった。今では何十億もかけて落書きを消しているという。アフガンやイラクの凶悪戦争を生み出したのは、アメリカの落書きアートだったのかもしれない。


十月は富山、十一月は岡崎と県外での個展が続く。そのあとは27年目の「一茶暦」。売れない売れっ子の森貘郎サンはオイソガ氏。あれこれ義理を欠き、無理を矢理、肩や首も凝り固まり、挙句の果に借金トリに掴まりそうになり、さりとてつらい日々。ケンポー9条やゴミ問題もあとからあとから。どこまで続くヌカルミぞ。