月曜日の朝刊(「朝日新聞」)の『週刊ポスト』(小学館/9月13日)の広告を読んで、言葉を喪った。吐き気すらもよおした。

見出しは雑誌の生命線である。文字通り当該記事の骨子を成すものである。従って雑誌のセンスが問われる。

「『嫌韓』ではなく『断韓』だ/厄介な隣人にサヨウナラ」という、無知で慎みと理性を欠いた『週刊ポスト』というメディアの、つまるところ小学館という出版社の姿勢が如実になった。これは紛れもなくヘイト雑誌に他ならない。

この記事に文化人や小説家から抗議の声があがると『週刊ポスト』は「混迷する日韓関係について様々な観点からシュミレーションしたかった」と利いた風な言い訳をしているが、ポスト自身が混迷を煽っているマスコミの急先鋒にたっていることが分かっていない。あまつさえ、例によって「誤解を広めかねず、配慮に欠いた」などと何処かの国の政治家レベルの言い訳を読むにつけ、作家・平野啓一郎氏の言葉が印象に残った。

「文学や芸術が、何の役に立つのか?とはよく言われるが、今の世の中で、正気を保つのにメチャクチャ役に立ってるよ、僕の場合。」

己の正気を保つことに躍起になっているのは、平野氏ばかりでは無いと思いたい。


久しぶりの青空である。風には既に晩夏の匂いがしている。

渡辺一枝さんからいただいた『字のないはがき』(小学館)は、向田邦子・原作、角田光代・文、西加奈子・絵というユニークな取り合わせの絵本である。

小説家としてしか認識していなかった西加奈子がこんな素敵な絵を描かれることに先ずは驚いた。

6人の家族がいかに戦時下を生き抜いたかという向田邦子のエッセイから、向田ファンである角田光代が文を起こした。

あたかも向田邦子が憑依したかのような角田の文章が小気味いいい。下駄やはがきやカボチャが描かれるだけであって、6人の登場人物は一切姿を見せない。ただ、そこにはモノを通して戦時下における6人家族のつましい暮らしの〝気配〟が見えてくるから不思議である。

であればこそ、タイトルにある「字のないはがき」のアイディアに、ネット時代では考えられない人間の〝温もり〟を覚えるのである。

翻って、モノに溢れかえっている戦後の暮らしには、気配や温もりが消えてしまったのは、なぜだろうか。


篠突く雨のなか渡辺一枝さんがやって来られた。

久しぶりの再会だった。お互いの積もる話が堰を切った。

お土産にいただいた3冊の絵本の中に、高木仁三郎・文/片山    健・絵『ぼくから  みると』(のら書房)があった。

原子力資料室の高木さんが末期がんで自宅療養されていたにもかかわらず、不躾なインタビューを快諾してもらったことがある。

インタビューが終わった帰り際、高木さんは「がんばって下さい!」と僕ら一人ひとりと握手して見送ってくれた。その温もりは今も忘れることはない。程なくして高木さんは鬼籍の人となった。

絵本『ぼくから  みると』は、理学者(核化学)高木仁三郎の科学する視点を優しく説いた一級の絵本である。片山健の絵が素晴らしい。余談ながら、見返し用紙に「かたやま けん」のサインが嬉しかった。

高木仁三郎さんのインタビューからやがて20年が経つ。一枝さんの手を経て高木さんの科学する視点を改めて目の当たりにした。高木さんは東京電力福島第一原子力発電所の事故を知らない。

〝時宜を得た出版〟という言葉があるが、本書はたった今、世界がもっとも欲している1冊と言って過言ではないだろう。とりわけ世界の為政者たちに読ませたい。

事ほど左様な次第である。20年目の不思議な縁である。

一枝さん曰く「まいまい繋がりね」とは言い得て妙である。


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