昼下がりのこと。
それまでの強風は、いつの間にかやんでいた。リビングの吹抜から仰ぐ2階のガラス戸越しに、青空がスコンと広がって、雪に晒したような雲が浮かんでいた。

その〝〟に誘われるようにして散歩に出かけた。 足もとには、突風に飛ばされた小枝と枯葉が散逸していた。そして、陽はまだじゅうぶんに高かった。

頭上には完璧な青が広がっていた。
「まっ黒な予兆をはらんだ青空の下……」。
ジョルジュ・バタイユの『青空』とバルセロナの〝黒みがかった蒼天〟を思い出していた。フッとため息がもれた。
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登山道入口の鳥居も腰のあたりまで雪に埋もれていて、雪を被った両脇の狛犬が向き合って合掌していた。
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川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』(講談社)のなかで、主人公から「どうして空は青いのですか」と聞かれた恋人の物理学教師は答える。

「波長の短いものほど散乱するんですね。青い光は短いから散乱しやすくて、だからあんなふうに空全体がおおきくみえるんですよ(中略)色っていうのは波長の違いも関係しているんです。波長が短くなるにつれて青っぽくみえて、逆に長くなれば赤っぽくみえるんです。太陽から届く光の色んな部分のなかで、青いところだけが散乱しやすいんですね。だからそれがどんどん広がって、空全体がおおきくみえるんです。(中略)……そして夕暮れになると、青い光はもっともっと散乱してゆくので、散乱しにくい赤い光が強調されて、いわゆる夕焼けという感じの空になるというわけです」(『群像』2011年9月号より

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う」という本作の冒頭の1行目に戦慄した。その弛まざる小説的戦慄は「〜光が去って、明日の朝また、光がここを訪れるまでの短いあいだ、わたしはしずかに目を閉じた」という最終行まで継続していた。
決して凡庸な物語に収斂することなく、書くことの、すなわち読むことへの真摯で静かな小説的パースペクティブに驚きを禁じ得ず、改めて小説(言葉)のもつ力を知ることになった。
『すべて真夜中の恋人たち』は、2011年というもっとも過酷な年に読んだもっとも傑出した小説であった。

因みに川上未映子は、『乳と卵(ちちとらん)』 で芥川龍之介賞を受賞(2008年)しているのだが、先日、同賞の選考委員である石原槙太郎が、第146回芥川賞選考後の記者会見で「全然刺激にならない」「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる、そういう戦慄を期待したが、全然刺激にならないから」と選考委員を辞任した。

笑止千万。ずっと以前から小説の戦慄からも、その刺激からも不感症に罹っていて、足をすくわれる価値などとうに失せてしまった石原には、とうてい『すべて真夜中の恋人たち』を読みこなす力など持ち合わせてはいないであろうし、まして、新い才能に嫉妬する特権からも見放されてしまっている。

ファッショ的で、かつ卑屈でコンプレックスがそのまま保守主義の権化となった石原の駄弁などで、日本の若い小説は毫も揺るぎはしない。田中愼也の弁ではないが、新党結成にでも勤しんでいるがいい。まして、〝文学〟など金輪際口にすべきではない。

散歩は思いも寄らぬところで、横道にそれてしまった。だからこそ、散歩は楽しいのであるが。


久しぶりの除雪が終わってへたり込んでいた夕刻のこと、友人からのメールでテオ・アンゲロプロス監督の訃報を知った……。
多忙を極める友人からのメールには、新作の撮影中での交通事故死だったこと、享年76歳であったことだけが簡単に記されていただけだった。
疲労困憊していたせいもあってか、事の次第を受け止めるにはそれなりの時間を要した。

この期におよんで、年齢のことなど取り立てるべきことではないにしても、今年104歳になるポルトガルの現役監督マノエル・オリヴィエイラを筆頭に、100歳になる新藤兼人、或いはクリント・イーストウッドの82歳に比べても、アンゲロプロスの76歳は、あまりにも若く、しかも新作の撮影中であったとは、映画の神様も酷なことをするものである。

思い起こせば、日比谷シャンテシネで公開された『エレニの旅』をスクリーンで観た最後のアンゲロプロス作品になってしまった。2005年の春だったと記憶している。

夜、友人にメールした。
「アンゲロプロスの死は衝撃的でした。しかも新作の撮影中だったとのこと。アンゲロプロスが「3・11」をどうとらえたのか、池澤夏樹にインタビューして欲しかったです。(中略)
彼の映画を見続けること、語り続けることが、せめてもの哀悼の意ということでしょうか……。」

池澤夏樹は、『テオ・アンゲロプロス 全集DVD-BOX』にあわせ、全作品の字幕スーパーの新訳という偉業を成し遂げたことを特記しておきたい。

『旅芸人の記録』の身が竦むような映画的衝撃が、〝永遠と一日〟になった。


 凍てつく日々が続いている。
そのせいか、例年になく薪ストーブの薪の減り方が尋常ならざるものがある。
これが、2012年の予兆でないことを祈るばかりである……。

昨夜は、「凍れる月影 空に冴えて」というイギリス民謡「灯台守」の歌詞どおりの、まさに月も凍てつく一夜であり、煌々と月に照らされた樹影が雪の上に、見事なシルエットを作っていた。

p1080133-2.jpgこの冬は氷柱がすこぶる長い。
1月上旬でこれほど長い氷柱は、記憶にない。
長さは、優に1メートルは超え、2メートルになんなんとするものさえあるから、その寒さは推して知るべし、といったところであろう。

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自然が 創り出す造形美は、文字どおり喩えようもない。
物理学者にして随筆家の中谷宇吉郎のエッセイに『雪は天からの手紙』があるが、さしずめ氷柱は、鬼ならぬ冬の金棒といったところであろうか。

 因みに「凍てつく」 を類語辞典にあたってみると、「凍る」「凍りつく」「凍結」「氷結」「結氷」などという語彙を発見する。発見してみると、いっそ寒さが募るというものだ。

北海道や東北の一部では、厳しい寒さのことを「しばれる」と 表現している。作家の渡辺一枝さんからいただいたメールに、被災地の仮設住宅では男性用のズボン下が不足しているとのことであった。一枝さんたちは、題して「股引作戦」を挙行したところ、瞬く間に作戦は功を奏して被災地にたくさんのズボン下が届いたそうだ。
それにつけても、いまだに被災地の男性たちのズボン下が不足しているという、笑うに笑えない現実を知るにつけ、心まで凍てついてくるというものだ……。

9日から『たぁくらたぁ』の仲間や渡辺一枝さんたちと、凍てつく福島入りする。
昨年、長野市で講演をされた飯舘村の酪農家・長谷川健一氏にもお会いする予定である。せめて、被災地の寒さを肌で感じてこようと思っている。

 


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