ただいま編集中


先週の金曜日(10日)、緊急出版『聞いてください 脱原発への道しるべ』(坂田静子著)の編集が終了し、印刷・製本の行程に入った。

原稿整理と新装版のための大まかな再構成を手始めに、社内外のスタッフ8人による手分けしての印字入力(テキストデータ作り)を元に本格的編集作業が始まった。
同時進行でデザイナーとの 装幀(ブックデザイン)の打合せを経て、金曜日の印刷入れ予定日ギリギリに届いた評論家の広瀬隆氏と歌手の加藤登紀子さんお二人の推薦文をあしらったオビのデザインが出来上がり、すべての編集制作作業が終了した。およそ1か月の作業であった。
来週月曜日(20日)に
『聞いてください 脱原発への道しるべ』第1刷り発刊の予定である。

その間には、著者の坂田静子さんの次女で映画監督の雅子さん、今回の新装版の出版のきっかけをつくってくれた信越放送の野沢喜代さんの3人で、宮城県と福島県の被災地への取材もあった。1か月という短期ではあったが、激烈かつ密度の濃い日々であった。

因みに、加藤・広瀬両氏の本書への推薦文は以下の通りである。

◎加藤登紀子「スリーマイル原発事故もチェルノブイリ原発事故よりずっと前から放射能汚染があったこと、地震国日本に原発が建設されていくことへの必死の告発! 胸にしみる必読書です」

◎広瀬  隆「 本書は30余年前、〝原発神話〟の嘘と危険を見抜いていた一主婦が、愛と勇気と英知で挑んだ脱原発への祈りである……。」

まさに今回の出版意図 と、ぴたり符合した両氏の推薦文である。

新装版として本書の緊急出版を決断した主たる理由は、以下の通りである。

① 著者・坂田静子さんの人間として、また宗教者(クリスチャン)として、「長年教会から離れてはいたものの『会はいつも正しい』と信じていましたから、戦時中の教会が国策である戦争に協力し、アジアの国々を抑圧する側に立った、というこの告白(日本基督教団の戦争責任)を読んだ時は体が震えるほどの思いでした。そして私が今後キリスト者として生きるからには、その時代の問題に目を開き、時代の見張り役をしなければならない、と痛感しました。だから靖国問題も見過ごすことができなかったのです」(「私が長野で反原発運動を続けている理由」より)という戦後の再出発にあたり、人として、一市民としてより善く生きた記録(いのちへの尊厳)が本書の根幹になっている。
私は坂田静子さんの指摘から、戦争責任とメルトダウンに至った福島第一原発事故とは不可分にあると考えている。

②  原爆と原発を〝核〟として同義に位置づけ〝核の平和利用〟と〝核の安全神話〟という欺瞞性に言及したこと。
ヒロシマとナガサキの原爆体験が活かされることなく「非核三原則」が有名無実に過ぎなかったこと。
戦争責任と原発推進が不可分であったように、原爆と原発は不可分である。

③ ①と②において、民主主義を標榜し再出発したはずのこの国は、戦時の翼賛体制以上に市場原理主義に盲進することにおいて、原発問題に対して徹底して不作為であった。したがって「3・11」メルトダウンは、起こるべくして起こった。
つまり「想定外」というパラドックスは、むしろ歴史的必然であった。

以上が、『聞いてください 脱原発への道しるべ』を新装版として緊急出版すべく決断した理由である。加えてもう一つの理由は、本書の巻末「編集の余白に 15歳の少女へ……」に書き置いた。

テレビニュースが伝えるところによると、原発の再開の是非を問う住民投票の最中にあるイタリアのベルルスコーニ首相は、「サヨナラ原発」を言明した。ドイツは、いち早く脱原発を政策に掲げた。
日独伊三国同盟国であったドイツ、イタリアの2国同様に、日本もまた先の大戦における敗戦国である。日本は、もう一度、歴史に学ぶときがおとずれている。そして、いまこそ坂田静子さんの声に耳を傾けて欲しい。


またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
草の茎が揺れるとしても
それは風に吹かれてのこと

このところの枕頭の書になっているヴィスワヴァン・シンボルスカの詩集『終わりと始まり』 (未知谷)の中の「眺めとの別れ」の一節である。
そして、畏友・本橋成一は『チェルノブイリからの風』(影書房)の「游と楽へ(あとがきにかえて)」に、写真家の愛娘、游と楽に宛てて書いている。

はじめて「石棺」の前にたったとき、「ここにはもう二度とくることはない、きたくはない」とおもったものです。けれどもぼくは、もう一度やってきてしまいました。なぜ、またきたのか、游と楽にぜひきいてほしいとおもうのです。
父さんがうつしてきたチェルノブイリの写真を仕事部屋でながめていたときのことです。現像からあがってきたばかりの写真です。
ルーペでのぞいていると「石棺」の肩のあたりに何かが……。
「まさか……」
でも、それはたしかに植物で、ちいさく風にゆれているようでした。
ぼくは、その植物をこの目でたしかめたいとおもってしまった……。
こうして今日、「石棺」と二度目の対面をしました。ファインダーをのぞいた瞬間、やっぱり植物だ! すごくうれしくなりました。しかもそれは育っていたのです。その上、まわりにも小さな草が二、三本、風にゆれています。
游、楽、なんていうことだろうね。放射性物質をふくんだ、いってみれば病んだ塵の中で根をはった植物たち。
……いのちというのはなんて不思議で、いとおしいのだろう。

ヴィスワヴァン・シンボルスカと本橋成一は、たとえどんな過酷な春に遭遇しても、微塵の揺るぎもない目差しと言葉を喪うことはなかった。
絶望的な世界を目の当たりにしても、徒に付和雷同することなく、毅然としていのちの尊厳に対峙する孤独と勇気を持ち合わせていた。

一方、私はといえば、「人は何を為してもよく、また何を為さなくてもよい」などということを心情としている。それでも、長い間、編集者稼業などをしていると、どうにも抗うことのできない、それがあたかも定でもあったかのような、編集者としては、いわば千載一遇とでもいうべき、「原稿=本」との邂逅が稀に訪れることがある。

……その人は、 自分が乗っている自転車を大きなスカートで覆うようにして、颯爽とぼくの前を春風のように通り過ぎていった。
それは、50年以上も前の、私の記憶の端っこにある、おぼろげで小さな物語であった。

その人こそが『聞いてください 反原子力発電のメッセージ』 の著者・坂田静子さんであったことも、まして、スリーマイル原発事故もチェルノブイリ原発事故も「3・11」福島第1原発事故の知る由もなく、私はゆく春の中で、ひたすら若い眠りを貪っていた。


7月21日、写真集『昭和藝能東西』が、いよいよ発売されるはこびとなった。
編集・デザイン・印刷・製本を経て、発刊までに、ほぼ1年近くが費やされた。無論、本橋成一さんが、写真を撮り始めた頃からしたら、おそらくは40年以上の歳月が流れているはずである。しかも監修者が名優であり、同時に芸能研究の第一人者である小沢昭一さんともなれば、編集担当者としては、いささか興奮を禁じ得ないというのが正直なところである。
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7月21日発売!! 装幀:伊勢功治
B5判変型(240ミリ×182ミリ)/上製本 216ページ(写真ページ:208ページ)

6月28・29日の両日、長野市内の矢沢印刷で、本橋さんと本書のデザイン・装幀担当の伊勢功治さんの立ち会いのもと、刷り出しがあった。
矢沢印刷の写真集創りは、すでに実績済み。本書のPrinting A.D.を務めてくれた鈴木利幸さんは、若いながら、これまでにも日本を代表する写真家たちの写真集の印刷を数多く手がけてこられた。
伊勢功治さんは、デザイナー、装幀家として多くの写真集を手がけられ、最近では、話題になった『哲学者とオオカミ』(白水社)の装幀も担当されている。また写真批評家としても、新刊『写真の孤独<「死」と「記憶」のはざまに>』(青弓社 http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-7288-1.html)が、7月24日発売される。
また、伊勢さんと私は、本橋さんの映画『アレクセイと泉』が2002年のベルリン映画祭に招待されたとき、一緒にベルリンへ行った奇遇の仲でもある。
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刷り出しチェックをする、左から本橋さん、伊勢さん、鈴木さん(矢沢印刷にて)
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写真家とデザイナーによる厳しいチェックが行われる
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自身の写真集の刷り出しには、必ず印刷所に御神酒を持参するのが本橋流である。右端が印刷オペレーターの滝沢照之さん
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OKが出た版から刷り上がってゆく。2日間ほどねかせた後、製本にまわされる

本書は、本橋成一(写真)、伊勢功治(デザイン)、鈴木俊幸(印刷)、加えて監修に小沢昭一という最高のスッタッフワークによる仕事なのである。つまり、この一流スタッフが揃ったところで、編集者である私の仕事は、ほぼ終わったも同然である。
「名編集者とは、何もしない編集者のことである」などと、うそぶいてみたくもなる布陣なのである。
私がした仕事といったら、小沢昭一・本橋成一の対談(本書のあとがき対談「藝能思い出語り」)を企画したくらいのことである。これとて、編集者であることの特権を大いに堪能させていただいただけの話。
軽妙にして洒脱を極めたお二人の対談を拝聴するにつけ、まさに「昭和は遠くなりにけり」といった感慨も一入であった。
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本書の監修者・小沢昭一さんと。2010年4月、東京新橋にて(撮影:公文健太郎)

この対談から、お二人の出会いに始まり、芸能にみる昭和のもう一つの貌が見えてくるにちがいない。それは、本橋さんの「奥書」にも顕著である。

それまでぼくは“芸能”という定義を、いわゆる古典伝統芸能から大衆芸能までごく一般的な解釈をしていた。1972(昭和47)年、雑誌『太陽』の「諸國藝能旅鞄」で小沢昭一さんと仕事をさせていただき、その奥の深さを知った。
その4年後、小沢さん自身が編集・発行した季刊誌『藝能東西』で、その幅の広さを学んだ。古典芸能からストリップ、キャバレーまで……。この人間社会において、人を喜ばせ楽しませ、ドキドキさせ、その上しっかりお銭をいただく。そのために芸を磨く“芸能”はどこにでもあるのだ。だが、この世界は決して一筋縄では行かない世界であることも知った。そしてぼくも少しずつ“芸能”さがしの一人旅を始めた。
その時代の日本は高度成長の全盛期、日本のすべてが変わっていった「昭和」という時代でもあった。

そんな芸能論を裏付ける本書の構成は、地方に伝承される神楽や万歳にはじまり、寄席芸人、キャバレーにおよぶ。
<本書の構成>
【伊勢大神楽】【本川神楽】【河内音頭とにわか】【秋田万歳】
【国東の琵琶法師】【大相撲巡業】【寄席芸人】【大衆演劇】
【桜まつり】【チンドン屋】【紙芝居】【小人プロレス+女子プロレス】
【のぞき部屋】【ショータイム】【キャバレー】
◎ あとがき対談「藝能思い出語り」小沢昭一・本橋成一

本書は、大きなカテゴリーには別けてはあるが、キャプション(写真説明)は、あえて付さなかった。1枚の写真から芸能をとおして「昭和」という時代の空気を感じていただくことを編集の第一義としたからである。

「昭和」から遠ざかること、22年……。
「平成」の世は、すべからくデジタル化の波に浸食されている。インターネットが刹那的に世界を席巻し、同時にヒトとヒトの関係が疎遠になり、年間の自殺者が3万人を超す時代である。
翻って<昭和>は、ますます形骸化し風化しつつあり、時代の輪郭は希薄になっていく一方である。
長い戦争があった昭和……。敗戦からの復興とその後の高度経済成長という檜舞台を縁の下で支えた<昭和>の芸能と芸人の世界。芸能は合わせ鏡のように、昭和という時代の裏面に潜むもう一つの貌を映し出す。
そこには、昭和という時代の襞に潜んでいる<人と時代>の記憶が宿っている。

◆定価:本体4,571円+税(税込4,800円)
◆写真集『昭和藝能東西』のご予約はこちらから http://o-emu.net/archives/6423.html

◆本橋成一写真展「昭和藝能東西」のお知らせ
会場:銀座ニコンサロン
7月21日(水)〜8月3日(火)
午前10時〜午後7時(最終日は午後4時まで)
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会場:大阪ニコンサロン
9月2日(木)〜9月8日(水)
午前11時〜午後7時(最終日は午後3時まで)