2012 年 5 月 11 日
前回のブログでは、『古井由吉自選集』(河出書房新社)の発行に際し、ゆくりなくとも、わが古井由吉遍歴を懐旧の思いとととも開陳してしまったのであるが、飜って一昨日のことである……。
某書店では、新刊の販売がメインではあっても、近年、古書も扱うようになっていた。そのことは、この業界の状況を見渡してみるに無理からぬこともあるし、かく言う小社でも、インターネット(ネット横丁 http://o-emu.net/netyoko/yamazaki/)で古書も扱っている。
いい本なら無論、自社ばかりでなく、当然、新刊ばかりでなく古書も推薦提供できたらという思いからのことである。読者にとって1冊の本は、常に新しい出会いなのだから。
件の書店では、先ず古書コーナーから見始めることにしている。出版されて2週間もしないうちに、店頭から消え去ってしまうことが少なくない本との思わぬ出会いが叶うと「おお、ここに居たのか……」などと、思わず本を手にして独りごちてみることだってある。
いわば、時流から外れたが故に〝いい本〟との出会いが待っていることも往々にしてある。と同時に、自分が編集した本を古書店で目撃したりすると、それもまた本の運命と知りつつも、編集者ならではの悲哀を感じないこともない。それでも、もう一度、違う読者との出会いがあってくれと願うのは、生みの親の心境に近いものがある。
だが、一昨日はわが目を疑った。出版されたばかりの『古井由吉自選集』の第1回と第2回配本の新刊がすでに古書コーナーに並べられていたのである。決して安価な本ではない。
その隣には、なんと辺見庸の最新刊『死と滅亡のパンセ』(毎日新聞社)、さらに水村美苗『母の遺産 新聞小説』(中央公論新社)と、自分がごく最近購入したばかりの本が並んでいることに茫然、愕然としたのである。
因みに、『古井由吉自選集 一』(第1回配本)は3月、『古井由吉自選集 六』(第2回配本)は4月、『死と滅亡のパンセ』は4月、『母の遺産 新聞小説』は、3月と、何れも2012年の新刊であり、ほぼ定価より1000円ほど安値になっているか、半値が付けられていた。
昨今ではこの位のスパンで古書店に回ってくることも珍しくはない。事実、1973年の大江健三郎の新刊『洪水はわが魂に及び』(2巻)の発売日に、同書が古書店(都内)でも販売されていたことがある。
穿ってみるに、買ってはみたものの一読に値しない本として、古書店に売ったとうこともあろう。
ただ仕事柄、一度も目を通されていない、つまり一回も開かれたことがない本であることは一目瞭然。そのことは探ってみる必要がある。
真新しい新刊が古書となって販売されている。さらに同書は、新刊コーナーで正規の価格でも販売されているのである。同じ書店の店頭に、同じ発行日の価格の異なる新刊が同時に販売されているのである。これは、読者にとってもフェアではないし、書店の信用度にも関わる。
書籍にはすべてバーコードが付されている。販売の際だけではなく、入荷の際にもチェックできていたら、こういう事態は防げたのではないであろうか、ま た、せめて書店員の心得として、自分の店頭で売られてる新刊くらいには意識が行き届いて欲しかった、というのは無理難題を強いることになるのであろか。
先日、カード会社から、何時ものようにカードの利用額の中間報告のメールが届いた。その金額を見て驚いた。35万円! に及んでいるではないか。全く身に覚えはない。
早速、カード会社に問い合わせみたところ、Aamazonで購入した本代金が、実際の100倍の請求額になっていた。
1週間から10日間くらいの期間に30万円の本を購入できるほどに私は裕福ではない。
Aamazonにも問い合わせたところ、「決済代行会社の一時的なシステム不具合により、カード会社へのご請求金額に誤った金額が反映されるという事象が発生しました」という官僚的な返答が戻ってきた。このことは、夕方のニュースでも報道されていたのでご存知の方も多いはず。
そんなこんなのゴールデンウィークの事の次第である。
ますますもって、本は何処へ行ってしまうのであろうか、と感慨も一入である。
本来ならば、連休中に訪れたフクシマの取材記を書こうと思ったのであるが、心ならずもこのような不愉快な話になってしまった。それは、また、日を改めて別の機会に。

