2012 年 3 月 12 日
あの日(2011年3月11日)から、1年───。
目眩を覚えるほどのとてつもなく重く長い時間が流れたようにも思えるし、あれ以降「時間」というものが意識にのぼってこなかったような気もする。
昨日の政府主催による東日本大震災犠牲者の追悼式の会場が、被災地に背を向けた東京(国立劇場)だったように、おそらくは来年以降も「終戦記念日」と同様に中央(東京)による中央のためのイベントとなることは必定。
加えて野田総理大臣の文字通り掴み所のないニッポンを象徴したかのような空虚な式辞と、その舌の根の乾かぬうちの原発再稼働のためには「政府を挙げて説明し、理解を得る。私も先頭に立たなければならない」とコメントしたことは、あまりにも思慮を欠いた無神経な言動と言わねばならない。
明日、飯舘村の酪農家・長谷川健一さんの新刊『証言◎奪われた故郷 あの日、飯舘村に何が起こったのか』(http://o-emu.net/archives/10707.html)が発刊される。書店配本は14日から15日の予定である。
本書は、2011年12月10日、長野市生涯学習センター大学習室において、『たぁくらたぁ』編集部とオフィスエム共催による長谷川健一講演会「福島第一原発事故、全村避難、そして今──」を採録編集したものである。
本書の一番の特徴は、講演時の長谷川さんの東北(福島)訛を、できるだけそのまま表記した。長谷川さんの言葉を中央の標準語に置き換えてしまっては、文字通り長谷川さんの「ふるさと」を奪ってしまうからである。
従って講演時の臨場感───長谷川さんの福島訛から発する怒り、悲しみ、苦悩を活字化することを心掛けた。
2012年1月11日───。
長谷川さんの自宅のある飯舘村を訪れた。当日、長谷川さんは避難先の伊達市の仮設住宅から駆けつけてくれた。

取り立てて 変わっところもない田舎風景に過ぎなかったのだが、こちら側の先入観からか、人の気配を覚えない風景には田舎独特の「温もり」を感じることはできなかった。

殺伐たる牛舎を見せてもらった後、長谷川家の居間にお邪魔させてもらい、話を聞かせてもらった。
カレンダーは2011年3月のままであった。長谷川家の時間はあれから止まったままなのだ。ただ、あの日と違うのは、炬燵の上に線量計が置かれていたことである。
長谷川さんをカメラのフレームに収めた時、柱時計が「2時46分」を指していた。その偶然を告げると、長谷川さんは「フッフッ……」と照れ笑ともつかない笑を片頬に浮かべた。
「前の日まで、その廊下を孫が走り回ってたんだよ。俺はなんもいらねぇ。時間を3月10 日に戻して欲しいんだ。それだけだ……」
奪われた「故郷」とその「時間」を取り戻すことが不可能であることを、長谷川さん自身がいちばん分かっている。それだけに、虚しさと同時に怒りがふつふつと長谷川さんの全身を貫いていくのが知れた。
明日───、紙の礫第3弾『証言◎奪われた故郷 あの日、飯舘村に何が起こったのか』が発刊される。
そして本日、早朝───『たぁくらたぁ』の編集委員たちはフクシマ取材に出掛けて行った。編集長の野池元基は「どうであれ、『たぁくらたぁ』はしつこくいきます」と言い残して……。










