この映画を観て、もらい涙に、もらい笑い。『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』(古居みずえ監督2016年/95分)は、仮設住宅で避難暮しをする菅野榮子さん(チラシの写真左)と菅野芳子さん(写真右)の日々を描いています。

3月31日、飯舘村は避難指示が解除されて、1地区を除いて村民は帰還できるようになりました。榮子さんや芳子さんは、どんな選択をしたのでしょうか。原発事故や帰村への思いなどについて、菅野榮子さんにお話していただきます。上映会へぜひご来場ください。

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日時 5月20日(土) ①10:00開場/10:30上映  ②13:00開場/13:30上映

          「菅野榮子さんのお話」 15:15~  

会場 長野市東部文化ホール(長野市小島804-5 ☎026-296-8540)

入場料 前売り1000円 /当日1200円  中学生以下無料 託児あり(有料)

主催 「飯舘村の母ちゃんたち」を上映する会

問い合わせ 090-7213-8006(竹内) 

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ついでながら、菅野榮子さんのことを長野市民新聞(4月4日)のコラムに書いたので、以下に記します。

飯舘村の母ちゃんたち

凍み餅を知ったのは福島第一原発の事故後、福島へ通うようになってからだった。これは飯舘村の伝統食で、もち米とうるち米の割合を半々にし、オヤマボクチ(俗称ヤマゴボウ)の葉をつなぎに入れてついた餅を、寒風にさらして乾燥させた保存食である。

原発事故によって全損避難となった飯舘村では、凍み餅づくりができなくなった。このままでは村の伝統食が途絶えてしまう。そこで、「食」に携わる村民グループが、気候が似ている小海町で住民同士の交流による凍み餅づくりを始めた。もう6年が経つ。

凍み餅の作り方を伝授するのは、80歳になる菅野榮子さん。榮子さんは伊達市の仮設住宅で一人暮らし。「土とともに生きてきたから、百姓をせずにはいられない」と言って、仮設住宅の近くに畑を借りて野菜を作っている。

昨年の凍み餅づくりの時、榮子さんたちは小海町の仲間に語りかけた。みなさんはもう自分たちだけで凍み餅づくりができる。いつの日か飯舘村の放射線量が下がって、村民が安心して帰還できる時が来たら、今度は小海から飯舘に凍み餅づくりを伝えてください、と。未来を見据えた言葉、村への深い愛着に胸をつかれた。

この3月31日、飯舘村は避難指示がほぼ全域で解除をされた。役所は「お帰りなさい」とお祝ムード演出らしい。しかし、村の放射線量はまだ高い。榮子さんは言う。「孫の手も引いて帰れないところに〝お帰りなさい″は失礼でしょ」と。

榮子さんはこうも言っていた。避難指示の解除は「私たちを侮蔑すること」。それを容認したくないから、「私は帰村しない」と。その考えにぶれはない。でも、心は揺れる。同じ仮設住宅に住む一人暮しの親友は帰村を望む。「いっしょに戻ってほしい」とお願いされたのだ。榮子さんは決断を迫られていた。

けれど、決断は先送りになった。仮設住宅の供与期間が1年延期となり、榮子さんたちは仲良く入居し続けることにしたのだ。とはいえ、1年で線量が格段に下るわけではない。若い人が安心して村で暮らせるようになるまでは、まだ何十年という時間を要するのだ。

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なお、上映会では、小海町での凍み餅づくりをしている飯舘村の村民グループの世話役であり、『たぁくらたぁ』にも何度か登場していただいている菅野哲さんにも来ていただき、 榮子さんといっしょにお話をしていただきます。

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4月4日、飯舘村に行ってきました。南相馬市との飯舘村の境界辺りに立てられた看板(上)と 、その手前にずらりと並ぶ「おかげさまで」の旗(下)。福島市側の村の入り口も同じような風景になっています。

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なお、飯舘村での話は一枝通信に詳しいので併せてお読みください。