s_97848662301082.jpg

『たぁくらたぁ』42号が2月10日発行になりました。目次は以下をご覧ください。

http://o-emu.net/tarkuratar/

表紙絵の稲荷山養護学校「作品」

これは文字ではありません。文字になる前に文字。文字になることをやめた文字。無言の文字。眼を閉じてみると、おしゃべりな墨たち(森貘郎)

***********

『たぁくらたぁ』が発行になった6月20日、長野市民新聞にコラムも掲載されました。こちらは、「たぁくらたぁ」の意味に触れて、この号の紹介も少ししています。おまけで掲載いたします。

「たぁくらたぁ」のススメ

  仲間たちとつくる『たぁくらたぁ』42号の編集作業がやっと終わって印刷所に入れた。発行日はこの記事が掲載される今日だ。

 この雑誌は原発事故やリニアなど時事の話題が多いけれど、暮らしの目線に立っているので小難しくはないはず。連載は、遠そうで近くに感じる記事ばかり。山奥でのちょっと変わった子育てや盲導犬の話もあるし、パリのファッションデザイナーも書いている。

この女性デザイナー、夜中に梯子から落ちて膝が凹むほどの骨折。病院に運ばれると、医師たちは「夜半の手術は元気を出さないとね!」と言って、音楽をのりのりにかけて手術したというのだ。これが今号の記事。文化の違いは興味深い。所変われば品変わる。

 ところで、「たぁくらたぁ」の意味が分からない、という方もいるはず。ここら辺りの方言だが、日常会話で耳にすることはまずない。もう死語に近いかも。標準語に訳せば、「バカモノ(馬鹿者)」である。この方言が身についた年配の方々は、たいがいが雑誌名を見て笑う。面白がっているのか、呆れているのか、よく分からない。

 雑誌名を提案したメンバーは、こんなエピソードを持ち出した。子供の頃、ふざけてスイカ泥棒をした。それを見つけた農家のおじさんが怒った。「この、たぁくらたぁ!」。その後で、おじさんは言った。「そのスイカは不味い。こっちを食え」と。それを聞いて、そりゃいいや、と雑誌名は即決した。

 方言は、地域の中で使われる。かつての地域は共同体のようなものだったから、経済的に豊かではなくて人手も不可欠だし、たぁくらたぁだって役に立つ。みんな一緒に生きていくのが基本。だから、方言は否定的な表現にも優しさを含むのだと思っている。

ネット世界のように、誰かを蔑んだり異論を見下して攻撃したりするのと、地域は社会の在り方が違っていた。なので、排他や敵対関係に一方的に進みゆくことにはならない。政治の世界は、敵国をつくり、国内に危険分子を想定して排除しようとする方向へ突き進んでいる。ネット世界のまるでコピー! 賢くなり過ぎると、そういう世界のもっともらし論理に巻き込まれる。

 共謀罪が国会を通過し、「委縮」を懸念する声が上がる。でも、たぁくらたぁには、委縮なんてむずかくて分からないし、できない。変わらず雑誌を出し続けるだけだ。