12 月 2015


フリージャーナリストの安田純平さんが 、シリアで拘束されたのではないか、という報道があった。まずは無事を祈りたい。

2004年7月発行の『たぁくらたぁ』2号に、安田純平さんの記事が掲載されている。当時イラクで拘束された安田さんが解放されてから1カ月後におこなった長野市での現地報告会をまとめたものだ。

この国のことである。また自己責任を問う声もあがってくるのだろう。 この記事の中で、安田さんはそうした批判にきっちり答えている。当時と今回とでは国も違うし、状況の変化しているだろうが、安田さんが語った内容は今にも通じるはずだ。

この記事(全8ページ)をぜひ読んでいただきたい。

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全文は『たぁくらたぁ』のHPで。http://o-emu.net/tarkuratar/

(なお、この講演録をまとめたのは、当時の発売元であった川辺書林の久保田稔さん)


 今日12月23日は詩人ななお・さかきの命日。ななおは『たぁくらたぁ』に何回か登場している。ここで紹介するのは、品切れになった創刊2号の特集「コモンズって何だらず」の中で、ななおの言葉を紹介した記事。今、読み返してみても新鮮だ。

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放浪生活を続けたななおの終の住処となったのが大鹿村釜沢集落である。ななおはいつも、現代文明から遠いところを拠点に選んでいた。釜沢もそういう場所だった。ななおが住んでいた家(下の写真)は、小河内沢からせり上がる日当たりのよい急な斜面に張りつくように建っている。この家の縁側に座って見えるのは、幾重にも重なり合う山々とその向こうにそびえ立つ南アルプス、そして空ばかり。現代社会のメカニズムを、ここは背にしていた。

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しかし、リニアがこの大鹿村の地下を貫く計画になっているのだ。 今年3月、久しぶりに訪れた釜沢では、トンネルの非常口を造るためのボーリング調査が行われ、それにともなう騒音が集落を揺さぶっていた。非常口の予定地はこの家からわずか数百メートルの距離になる。

福島第一原発事故が象徴するように綻びが大きくなりつつある現代社会のメカニズムを、 さらに延長・延命させようとするリニア計画。12月18日、山梨県側で大鹿村につながるトンネル工事の起工式が開かれたが、この無謀な工事がとん挫することは十分考えられるだろう。大鹿村にはリニア計画に反対する人たちが少なからずいる。『たぁくらたぁ』では、その中のお二人の対談を記事にした(36号「リニア最前線からのたより 前島久美+谷口昇)。谷口さんは釜沢の自治会長。

「惑星地球に生きるなら」 は、ななおがこの地で書いた詩のタイトル。最後の2行を引用しておこう。

   地平むなしや 権力しずみ

      仰ぐは 太陽と月   


  「 No pasarán!(ノ パサラン) やつらを通すな!」を『たぁくらたぁ』に連載中の浅井大希さんからの現地報告です。

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平和を求める退役軍人の会。海兵隊や陸軍、空軍の軍人だった彼らが辺野古の新基地建設に反対して、工事用ゲート前にガチで座り込む。

高江に行き、オスプレイヘリパッド建設の現場で、やんばるの森が危機にさらされている現状に耳を傾ける。
軍人としてベトナム、イラク、アフガニスタンなどの戦争に従軍し壮絶な経験をしたゆえに、平和を求める心はどこまでも強い。

「戦争を忘れようとしたが、戦争の方が私を忘れてくれなかった」

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 「出版ニュース」(2015年12上旬号)という雑誌に、編集者のリレー形式のコラムがあって、『たぁくらたぁ』について寄稿した。(下の写真は創刊号)

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信州発・産直泥つきマガジン『たぁくらたぁ』(おおよそ季刊誌)の創刊は2002年春なので、あれからもう11年余りが経つ。創刊当時は田中康夫県政の時代だった。田中知事は「脱ダム」宣言をするなど、国政をも変えていこうという勢いで、県政変革を進めていった。一方、タブーなしのマスコミ批判を繰り返してついには県庁記者クラブまで廃止した知事に対し、当初は歓迎ムードだったマスメディアは批判的になる。まるで目の敵にする地元メディアもあった。こりゃひどいよ、と思った。

あの頃、「お任せ(観客)民主主義」なんて言葉が流行っていた。それでも、田中県政を誕生させる大きな役割を果たしたのは県民による勝手連だったし、政治や行政への市民参加は進んできていた。しかし、報道についてはまだまだ「お任せ」状態だった。ならば市民がメディアをつくって自ら表現・発信していこう、というが小誌の始まりだった。

10人余りの有志(編集委員)が1万円を出し合って、創刊号400部の印刷費とした。無償での版下作成と書店発売を地元出版社が請け負ってくれた。編集委員が「引き売り」販売し、その売り上げを印刷費に回す、その方式は今も変わらない。原稿料も編集作業費もなし。出費が少ないから、赤字もなし。

出版に関しては、みんな素人であり、自分の仕事を持ちながらなので、発行の遅れは常態化してしまった。それでも現在37号まできた。発行部数は1500に増え、購読者は全国に広がった。3・11以後は原発事故にかかわって福島特集を続けている。最新号は「アベ政治を許さないから増ページ号」だ。沖縄やリニアの問題などの連載もある。どれも現場からの声を泥つきのままで届けている。

ドブロクのような雑誌でもあるかもしれない。書き手にもほとんどもプロはいないが、みんな自分の暮らしの中で社会と向き合っているから、その生き方もにじみ出てきて、オルタナティブな社会が土や汗のにおいを伴って見えてくるのだ。

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(上は、2号と3号)

創刊当時の発行人・編集人は関口鉄夫、発売元は川辺書林だった。「3号雑誌で終わる」という声もあったし、まさか10年以上も続くとは考えてもみなかった。こうして特集のタイトルなどを改めて見ると、あの頃は、安倍政権下のいまに比べれば、まだゆったりしていたように思う。

創刊号と2号は売り切れ。創刊号の表紙裏に掲載した森貘郎の方言「日本国憲法」をここに再録しておこう。「森っことば」とあるが、森というのは貘郎さんが生まれ育った森村(現・千曲市森)の言葉のこと。なお、これは『オラホの憲法9条』(川辺書林)として、森さんの板画14枚を掲載して発行され、ロングセラーになっている。

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統一連の瀬長さん、今日夕方、解放されました。

もう一人の77才の方は、公務執行妨害が傷害に切り替えられて、10日間の勾留延長というとんでもない事態になっています。今日も元気にゲート前で指揮をしていた機動隊の中隊長に、77才の高齢者が傷害を与えたという。(浅井大希)


昨晩(12月6日)、 浅井大希さんからメールが届いた。不当逮捕された人たちがどうなっているの気にかかっていたところだった。

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本日(12月6日)午後8時、名護署前で一日中、不当逮捕に抗議するみんなの前にヒロジさんが戻ってきた。静かに歌が始まる。「沖縄の道は沖縄が拓(ひら)く」、ヒロジさんが作詞した歌だ。「辺野古の海を守り抜くために♪、圧政迫るが、立ち止まりはしない」。みんなの目に涙が光る。

まだあと二人の仲間が、留置場に取り残されている。先に帰って申し訳ない、明日必ず取り戻しにくるからと、ヒロジさんが署内の仲間に呼びかけた。(浅井大希)


 「 No pasarán!(ノ パサラン) やつらを通すな!」を『たぁくらたぁ』に連載中の浅井大希さんのよるキャンプシュワブゲート前からの現地報告です。

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今朝のゲート前は大混乱に。
座り込み全体の指揮をとっている人から拘束し、歩道に作った仮設の留置場に閉じ込めるという異常な事態が続いている。警視庁の機動隊が来てからだ。マイクをもった指揮者がいなくなれば当然現場は混乱する。今朝もそうだった。
そのことについて機動隊の中隊長に抗議しているさなかに、2人の仲間が基地の中に引きずりこまれた。1人は今朝の座り込みの指揮をしていた統一連の瀬長さん。島ぐるみ闘争を闘った伝説の政治家、瀬長亀次郎さんのお孫さんだ。不当に連れ去られようとした仲間をかばって、一緒に拘束された。
機動隊の中隊長がまったく冷静さを失った状態で、現場は大混乱していた。そのさなかに起こった出来事だ。中隊長があまりに度を失ってわめいているので、他の警官が基地の中に押し戻したくらいだ。

2人が不当に拘束され、ヒロジさんを先頭にゲート前で抗議の座り込みが続いた。

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スピーチする人を、機動隊の指揮車のアナウンスが大音量で何度も妨害。たまりかねたヒロジさんが、オレンジラインを越えてその指揮車に数歩走りより、猛抗議したところを軍警に拘束。彼らが判断に迷っているときに、後ろから警視庁機動隊が、捕まえろ、捕まえろと指示を出し、ヒロジさんも刑特法違反で逮捕された。(浅井大希)


「 No pasarán!(ノ パサラン) やつらを通すな!」を『たぁくらたぁ』に連載中の浅井大希さんのよるキャンプシュワブゲート前からの現地報告です。

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再び工事用ゲートを500人で完全封鎖。降りしきる雨の中、朝6時から正午まで6時間におよぶ封鎖。ブルーシートを皆でかぶって立ち尽くす。正午ジャストにはカウントダウンをして、午前中の完全封鎖の喜びをカチャーシーで祝いました。
また、今日は、辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認の取り消しをめぐる代執行訴訟の第1回口頭弁論が、午後から那覇の高裁でありました。翁長知事が被告席に立たされる日でもあります。
ヒロジさんは「歴史的な闘いが始まる日。この日にこの場に立つことを誇りに思う」と。今日だけは絶対に工事車両を通すわけにはいかない、との思いで、県議会議員や市町村議員も数えきれない人数が座り込みに参加した。そして工事車両は来なかった。

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那覇の高裁前には翁長知事を激励しようと、2000人以上の人々が駆けつけたそうです。友人からの現場(高裁前)の写真です。(浅井大希)

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なお、本日の口頭弁論で翁長知事は「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるか。国民のみなさますべてに問いかけたい」と訴えた。