週刊金曜日(2016年10月28日号)に「太陽光発電バブルで日本の里山が変わる」というタイトルで長野県内のメガソーラー計画などについて書いた。取り上げたのは、霧ヶ峰下(諏訪市四賀)と富士見町境のメガソーラー計画と、山梨県北杜市で乱立している野立ての太陽光発電の現状だ。業者は「地球環境のために」などと建設目的を美化しているが、建設される地域の住民にとっては身近な自然環境を壊されることになる。その結果、自然災害を誘発する危険性も大きくなる。住民は暮らしが脅かされるのだ。

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再エネの普及率が上がっていくことに光を当てて評価する環境団体やマスコミが多いようだが、数字の伸びの陰で、再エネ施設が建設されている(されようとしている)現場で、何が起こっているのか、住民がどんな思いをしているのか、そこには目が届いていないように思える。だから、その実情を伝えるために、 『たぁくらたぁ』では38号(2016年春号)で特集「再生可能エネルギーならよいのか」を組んで、それ以降40号まで、再エネに対しての疑問を投げかけている。

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この写真は北杜市清里のメガソーラー、出力は10メガワット。 霧ヶ峰下の計画は89メガワットだからこの8.9倍の規模、富士見町境の計画が24メガワットで約2.4倍になる。どちらの予定地も森林である。いかに大規模な自然改変がなされることになるのか、想像していただきたい。

霧ヶ峰下にメガソーラーを建設しようとしているのは東京に本社があるLooop社。電力自由化にともなって再生可能エネルギー電気普及のために環境団体がつくる「パワーシフト・キャンペーン」が推奨する電力会社の一つである。

野立ての太陽光発電の乱立を招いたのは、固定価格買取制度(FIT)である。FITの認定を受ければ、20年間にわたって高額で固定された値段で電気を買い取ってもらえるので、「これでひと儲け」と考えただろう業者などが再エネ商売に飛びついたのだ。

動機が純粋であれ不純であれ、発電されるのは再エネ電気には変わりない。 「再エネ電気を増やしていく」ということだけが目的化されれば、再エネの普及は「脱原発」に貢献するという理屈も成り立つ。しかし、それでいいのだろうか。

我が家の屋根にも17年前から太陽光発電は載っている。あの頃は「小規模・分散」という考え方がまず基本にあった。『たぁくらたぁ』でも、創刊当時から再エネを普及していく立場で記事をつくってきた。しかし、再エネ推進が国策になって以降、様相はまったく違ってきた。国策なんて、疑うためにあるようなものだ。実際、現実をみれば、原発再稼働と再エネの普及は、まるで車の両輪のようにして国のエネルギー政策を前進させている。

『たぁくらたぁ』40号で「福島に470基の巨大風車計画」を寄稿してくださった和田央子さんは、「パワーシフト」ではなく「パワーダウン」が求められているのではないか、と書いているが、その通りだと思う。必要以上の便利さをそのままにした電力依存型の社会を問わないままに、再エネへの転換ばかりに囚われていたら、3・11以前の社会の形は変わっていくはずがない。