4 月 2017


「辺野古埋め立て着手」

4月26日の新聞の見出しにはそうあった。せっかちな人は、海への土砂の投入をイメージするかもしれない。事態は決着してしまったのではないか、とも。

辺野古からの報告を当ブログに送ってくれている浅井大希さんにメールを書いた。「現地はたいへんだと思うけれど、現場の写真を送ってください。短いコメントあればありがたい」。すぐに返信が届いた。

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浅井さんからは、「埋め立てはまだ始まっていません」という前置きがあって、以下コメント。

米軍と防衛省幹部がセレモニーで、石材の籠づめ5個を波打際に置く茶番。

目撃したカヌーメンバーによると、笑いながら投下ボタンを押していたという。

2枚の写真はカヌーメンバー撮影。(上の写真。下は、沖縄タイムスより)

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「着手」といってもこの程度しかできないは、地元の反対運動が根強く、また全国も注視しているゆえに、政府は沖縄県民の意思や世論を気にしているからだろう。早合点することなく、「着工のふり」に騙されまい。

浅井さんには次号『たぁくらたぁ』の連載「 No pasarán!(ノ パサラン) やつらを通すな!」(第7回)で改めて詳しい報告をしてもらえるのではないか。


編集後記を読み、澤田さん宛てに返事を書きました。挨拶など少しカットして、以下に掲載します。

 澤田編集長さま

 編集後記の最後にお書きになっていた「どれも地球に負荷のかかる火力、水力、太陽光、風力、地熱……ベストはなくてもどんな発電方式を選ぶのか。原子力は是か非か? 子孫に何を残していくのか?」について同感です。しかし、この問題はとても難しく、悩ましくあります。考えるための情報が足りない・偏っていると思うのです。

またLooopの話になりますが、発電効率の高い自然環境のために、太陽光発電が乱立する北杜市では、これまで1400基(合計で約100メガワット)が造られています。霧ヶ峰下のLooopメガソーラーは1基で89メガワットですから、いかに巨大か分かります。

「脱原発」=「再生可能エネルギー」という等式に出来上がっていて、まるで「産めよ増やせよ」(地に満ちよ)ごとくの、パワーシフトへの大合唱です。そうではない情報が、考えるために必要なはずです。

地域の人が環境を守るために反対して、中央の環境団体は推進をしている、という構図は、これまで見たことがありません。エネルギー大量消費時代の、ねじれてしまった環境問題だと思います。花森さんの時代にはなかったはずです。

ですから、編集後記で、ご意見を寄せてくださるように呼び掛けるととも、読者のみなさんに、こういう時代の『暮しの手帖』らしい情報を、誌面を通して、ご提供してほしいのです。ぼくもそういう記事から学びたいと思います。

そのために、まずは現地からスタートしていただきたのです。澤田さんに歩いていただきたいな、と思います。ぼくが取材などで関わった場所だけでも、霧ヶ峰下、上田市真田町、佐久市望月町、北杜市などがあります。住民の方々の切実な訴えがあると同時に、歩いて気持ちのよい自然環境でもあります。

最後に、『たぁくらたぁ』編集委員の岡本一道が、貴社からの返事をいただいた後、小誌メンバーに送ってきたメール(2月22日付)をコピーしておきます。今後ともよろしくお願いいたします。

野池元基

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岡本です。

私のところにも、皆さんと同じ返事が昨日届きました。

39号に書いたことの繰り返しになりますが、花森安治は、戦時中、大政翼賛会実践局宣伝部に勤務して「欲しがりません勝つまでは」などの国策宣伝標語の製作に関わりました。戦後「暮しの手帖」を発行し続けたエネルギーは、一生を懸けてこの埋め合わせをしたいとの思いからだったと私は理解しています。

昨日まで戦争賛美をしていたほとんどの知識人が、終戦と同時に、まるで無かったことのように手のひらを返して居直り続けた事を思えば、花森の生きざまに私は共感を覚えます。

影響力のある立場にあるものは、発する言葉に慎重であり、責任を持たなければなりません。

今回の『暮しの手帖』でのLooop推しの記事をみて、契約変更をした良心的な消費者は事の真相を知ったらきっと後悔するでしょう。

今回の問題の本質は、花森が標語によって、多くの人々に与えた影響と同じ構図と言えるのではないでしょうか?
現行の『暮しの手帖』が花森イズムを踏襲しているのかどうかが問われる試金石だと思います。

(以上)

この返事に関わって一つの図を掲載しておきます。地方にばかり押し寄せる太陽光発電の現状が分かるはずです。

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この図の説明をします。FIT(固定価格買取制度 2012年7月1日開始) より前に発電していた設備の容量合計が、棒グラフの青色。FITがスタートし、その認定を受けたのが緑色、その中でに発電しているのが茶色です。(「固定価格買取制度 情報公表用ウェブサイト」参照)

「再エネ推進」の中心地は東京です。「エネルギーの地産地消」などいう旗も東京で振られます。だったら、 「どうぞ、都心にメガソーラーを」と推したくもなります。ちなみに、Looopの霧ヶ峰下メガソーラーの敷地面積188ヘクタールは、皇居と明治神宮を合わせた面積です。同じくLooopがかかわる、上田市あずまや高原「らいてうの家」の隣の計画地の面積は、日比谷公園の1.3倍です。


この映画を観て、もらい涙に、もらい笑い。『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』(古居みずえ監督2016年/95分)は、仮設住宅で避難暮しをする菅野榮子さん(チラシの写真左)と菅野芳子さん(写真右)の日々を描いています。

3月31日、飯舘村は避難指示が解除されて、1地区を除いて村民は帰還できるようになりました。榮子さんや芳子さんは、どんな選択をしたのでしょうか。原発事故や帰村への思いなどについて、菅野榮子さんにお話していただきます。上映会へぜひご来場ください。

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日時 5月20日(土) ①10:00開場/10:30上映  ②13:00開場/13:30上映

          「菅野榮子さんのお話」 15:15~  

会場 長野市東部文化ホール(長野市小島804-5 ☎026-296-8540)

入場料 前売り1000円 /当日1200円  中学生以下無料 託児あり(有料)

主催 「飯舘村の母ちゃんたち」を上映する会

問い合わせ 090-7213-8006(竹内) 

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ついでながら、菅野榮子さんのことを長野市民新聞(4月4日)のコラムに書いたので、以下に記します。

飯舘村の母ちゃんたち

凍み餅を知ったのは福島第一原発の事故後、福島へ通うようになってからだった。これは飯舘村の伝統食で、もち米とうるち米の割合を半々にし、オヤマボクチ(俗称ヤマゴボウ)の葉をつなぎに入れてついた餅を、寒風にさらして乾燥させた保存食である。

原発事故によって全損避難となった飯舘村では、凍み餅づくりができなくなった。このままでは村の伝統食が途絶えてしまう。そこで、「食」に携わる村民グループが、気候が似ている小海町で住民同士の交流による凍み餅づくりを始めた。もう6年が経つ。

凍み餅の作り方を伝授するのは、80歳になる菅野榮子さん。榮子さんは伊達市の仮設住宅で一人暮らし。「土とともに生きてきたから、百姓をせずにはいられない」と言って、仮設住宅の近くに畑を借りて野菜を作っている。

昨年の凍み餅づくりの時、榮子さんたちは小海町の仲間に語りかけた。みなさんはもう自分たちだけで凍み餅づくりができる。いつの日か飯舘村の放射線量が下がって、村民が安心して帰還できる時が来たら、今度は小海から飯舘に凍み餅づくりを伝えてください、と。未来を見据えた言葉、村への深い愛着に胸をつかれた。

この3月31日、飯舘村は避難指示がほぼ全域で解除をされた。役所は「お帰りなさい」とお祝ムード演出らしい。しかし、村の放射線量はまだ高い。榮子さんは言う。「孫の手も引いて帰れないところに〝お帰りなさい″は失礼でしょ」と。

榮子さんはこうも言っていた。避難指示の解除は「私たちを侮蔑すること」。それを容認したくないから、「私は帰村しない」と。その考えにぶれはない。でも、心は揺れる。同じ仮設住宅に住む一人暮しの親友は帰村を望む。「いっしょに戻ってほしい」とお願いされたのだ。榮子さんは決断を迫られていた。

けれど、決断は先送りになった。仮設住宅の供与期間が1年延期となり、榮子さんたちは仲良く入居し続けることにしたのだ。とはいえ、1年で線量が格段に下るわけではない。若い人が安心して村で暮らせるようになるまでは、まだ何十年という時間を要するのだ。

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なお、上映会では、小海町での凍み餅づくりをしている飯舘村の村民グループの世話役であり、『たぁくらたぁ』にも何度か登場していただいている菅野哲さんにも来ていただき、 榮子さんといっしょにお話をしていただきます。

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4月4日、飯舘村に行ってきました。南相馬市との飯舘村の境界辺りに立てられた看板(上)と 、その手前にずらりと並ぶ「おかげさまで」の旗(下)。福島市側の村の入り口も同じような風景になっています。

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なお、飯舘村での話は一枝通信に詳しいので併せてお読みください。