5月の終わりころブログ書いてからすでに何週間も経過し、6月も半ばを過ぎてしまいました。

この間に、本業の出版で、昨年発刊した『信州の料理人、海を渡る。』(大友秀俊 文・写真)が

グルマン料理本大賞ローカル部門でグランプリを受賞するという快挙を成し遂げるわ、

信級では田植だ、畑だ、に加えて取り壊し目前の元おやき加工場を借りてきれいにしたり、と

やることだらけの日々で、気がつけば「あっ」という間に季節は春から夏へと移ろっていたのでありました。

グルマン料理本大賞は、コアントローというフランスのオレンジリキュールの会社がバックスポンサーとなっている

料理本界のアカデミー賞とも言われる賞で、

世界各国のその年に出版された何万点という本 から、さまざまなカテゴリーごとに1点だけがグランプリに選ばれます。

最終選考会は、ある時はパリのルーブル美術館で行われたりもしたし、

今回は中国山東省の煙台という都市で行われました。

昨年の秋から著者の大友さんが、フランス語の応募シートに必要事項を書き込んで送り、

12月には第一次審査を通過したとの第一報が届きました。

ここで喜んで周りに吹聴してしまうと、過去の事例では第2段階で落選、ということもあるそうで、

喜びたい気持ちをグッと抑えて時を待ちました。

「寺島さん、最終発表会が 5月に中国の煙台であるんですが、行きませんか」

と大友さんに誘われ、煙台ってどこ?と思いながら「行きたいです!」と即答。

しかしその時、私は右手首を骨折してギブスがはまっており、

写真を撮ってパスポートを取りに行ったものの、

「パスポートのサインは署名としてずっと使うものですから、右手で書いていただきたい」と窓口で言われ、

「いま、右手で字が書けないんで、左手でかまいませんか」と念押しすると、

「それですと、その後もずっと左手で署名していただくことになりますので、治ってからきてください」とあしらわれ、

やっぱりこれは行くべきでないってことなんだな、と断念。

その時点で、よもやグランプリはないだろうなと誰しもが思うわな~。

だって、田舎の出版社だし、初めての参加だし、世界中の本から一番になるなんて有り得ないし。

5月25日に出発するという大友さんに「朗報を待ってます」とメールし、

帰ってきたら、賞を取った世界の料理本を作ったひとびとの話を聞きたいな~ぐらいに思っていたのでありました。

それがそれが……大友さんから来たメールは「グランプリを受賞しました!」との内容。

えええええ~~~!!!

まさかの「ま」の字であります。

「信州の料理人、海を渡る。」は、軽井沢の星野リゾートで、バンケット部門シェフをしていた著者が、

仕事をやめたのち、パリで活躍する信州出身の料理人たちを訪ね、

彼らの料理に立ち向かう姿や、もちろんその料理、ふるさと信州がどのように生きているのかといったことを

自らの写真と文章で伝えた力作です。

ただのレシピを掲載した料理本とは内容が違う。

パリは食通の都でもあり、若い日本の料理人たちにとっては大変な激戦区。

そんな厳しい場所で、料理人として生き残ってるだけでもすごいことです。

そんな彼らが、なかなか見せない自らのバックヤードやスタッフとの関りをさらけ出し、

日々の営みを見せてくれたのは、大友さんだったからだな、と思います。

取材計画、帰ってからの文章整理、写真のセレクト、画像の調整、取材対象者への校正まで

すべてを一人でこなした大友さん。

ときに励まし、ときにはともに喜び、二人三脚でこの本を作ってきました。

登場する7人の若き料理人たちの姿は「情熱大陸」のようであり、

朝早くから寝るまでの時間すべてを料理に費やすその姿に、アスリートの姿を重ねたりもするのでありました。

そこを伝えた大友さんもまた、本づくりのアスリートなのであります。

………………

この本は、作っているときが楽しかったので、出来上がったときに「ああ、終わっちゃった…」という一抹の淋しさがありました。

本は、アナログなメディアだけど、心に届けるにはこの手をかけたアナログなものがいいんです。

人を語るなんて、そんなに簡単にできるもんじゃありません。

だからこそ、写真、文章、印刷、本……そういう手肌感のあるものが大事です。

開店前の調理場の緊張した空気、激しく動き回る手手手、舌の肥えたお客様の満悦の顔……。

そういうものの一切れずつが料理人なのです。

この本には、大友さんの、料理人に対する深い想いが、ページのそこここに種のように埋まってる。

それが本の力となって、今回の受賞につながったのだと思います。

 

受賞会場で、ノミネートされた本が机の上に陳列され、だれでもが自由に手に取って見られるようになっていたそうです。

その片隅にあった『信州の料理人、海を渡る。』 は、最終日にはボロボロになっていた、と大友さんが嬉しそうに話してくれました。

これが最高の誉れです。

この本が、本当に海を渡ってくれました。

大友さん、ありがとう。

そして、本がどこまでもどこまでも、太平洋でも大西洋でも飛び越えて飛んでいきますように。


国会では、財務省から「捨てた」といっていた森友学園関係の土地取引に関わる資料が出てきました。

日大のアメフト部では、若干二十歳の若者たった一人に罪をなすりつけ、学校も部も平気でいる。

最近のニュースを見ていると、

戦後の日本が目指し築き上げてきたものが、どん詰まりにきているように見えます。

組織や、そのトップを守るために下の人間が平気で嘘をつき、その嘘のつじつまを合わせるためにまた嘘をつく。

証人として出てきても、嘘とごまかししか言ってないのは見え見えだし、

国民に真実を明らかにしようなんて、爪の先ほども思っちゃいないのが歴然です。

官僚も政治家も国民に雇われている公僕であるにもかかわらず 

いったいあなた方は、どちらの側をむいてモノを言っているんですか、と言いたくなります。 

「膿を出しきる」「丁寧に説明をしていく」などと、上っ面のきれいごとは言うのですが、

膿の根元はどこですか? 

財務大臣の麻生さんも辞めないし、防衛大臣も辞めないし、

昼間に公用車でキャバレーヨガに行ってた林文科大臣も、誰も責任も取らず辞めもしない。

悪いこと、やりたい放題です。 

民間企業の常識では考えられない政府です。 

愛媛県知事だけが「私たちは正直に伝えているだけですから」といいながら証拠の文書をバンバン開示。

前知事が「そんなことしたら沖縄と同じように補助金が来なくなる」と忠告しているそうですが

正々堂々「国会のみなさんも文科省の方も本当のことを言えばいいんです」と 平気です。

とても清々しい!やはり新しい時代は地方からくる予感がします!

愛媛県知事、なんとか潰されずに生き残ってほしいです。 

変なスキャンダルをでっち上げられて、失脚させられるんじゃないかとハラハラです。 

…………… 

アメフトでは、反則タックルをやった20歳の選手が、たった一人で記者会見に臨んでいましたが

おばさん、胸が痛くて正視できませんでした。

だって、あの青年は反則プレーをやらせるためだけの「捨て駒」として利用されたってことでしょう。

監督やコーチから「つぶしてこい」といわれ、「さもないとお前の出番はないぞ」ぐらいのこといわれて

ホイッスルが鳴ったあとに突っ込んでいった…。

一発退場の危険プレーと知りながら相手チームのQBに体当たりし、その結果けがを負わせてしまった。

これって特攻隊と同じじゃないですか。 可哀そうすぎて痛々しいです。

………… 

戦後の日本は、科学技術優先で経済発展を一目散に目指してきました。

目先のごく短い時間のなかでの効率を求め、

モノも人間も、技術も、結局は使い捨てにしてきたのです。

ずるして、少しでも楽して、ライバルを蹴落とし、古いもの弱いものをつぶし、勝ち残ったものが成功者。

そうやって手間のかかる昔ながらの生活文化や、

生産性がなくなった高齢者や、 山深い地域の村を見捨てて

都会へ、大企業へ、お金儲けへ、Japan as No.1と国民を根こそぎ洗脳していったのであります。

…………… 

 昨日、茅葺文化協会 の安藤先生と話していて胸がすくような思いでした。

いま、小谷村の茅場を研究フィールドにしている大学の先生たちと「茅場」という定期刊行冊子の創刊に向けた最終局面で、

安藤先生にも取材させていただきまとめた原稿を、昨日はチェックしていただきに行ったのでありました。

先生は縦書きの文章を読むのがシンドイというので、私が音読しました。

「草(ススキ、カリヤス、カヤなどのイネ科の植物)という資源が未来に役立つときがくる」というのが

先生が語ってくれた大筋なのですが、最後にあんまりいいことをおっしゃてるんで、

音読しながら感動して目頭が熱くなってきた私でした。 

「ススキはなぜ草原の王者なのか」というくだり。

 ……ススキは草原を支配しているのではない。草原に生きる小さな生物や環境を養っている。だから王者なのだ……。

 まったくもって深く同意!!

支配者は「王」にはなれないのです。

さまざまな、そこに生きるものたちを支え、養い、その環境を作っているものが王者なのであります。 

今の日本のリーダーと言われている人たちに、茅の爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいです。

地上の茅は 一年サイクルの寿命で、芽を出しては育ち、枯れて刈られて、野焼きされてなくなりますが

地下では何百年も生き続けている根が張り巡り、CO2を蓄え、水を貯え、大地を守っています。

草は、牛や馬の飼料になり、畑の肥料になり、雪囲いになり、屋根になり、

何年かたった古い茅も良質のたい肥になるのでまったく無駄がありません。

短いスパンでみれば経済が合わないかもしれないけれど、長い時間の中でみれば

まったく無駄のない、素晴らしい資源なのです。

人口が8000万ぐらいに少なくなった時、今ある茅葺きが残っていて、草の循環が生きていれば

日本の未来の生活を草で支えられるかもしれない……。

茅葺き、そして草の文化は、きわめて未来的な循環型のライフスタイル の根幹にあるものなのかもしれません。

私たちが捨て去ってきたもののなかに未来を助ける素晴らしい知恵や技術がある。

そしてそれは「自然由来」のものなのであります。

信級もある意味で茅葺きと同じだな~と思いながら、カエル鳴く筑波山を後にした私でした。

 

信級では、今年は畑を借りて、ジャガイモ、綿花、ウコンを植えました。

これからタカキビ、ムクナ豆、トマトなども植える予定です。

もちろんお米も作ります。

まったくもって素人の真似事ですが、農業やってわかったことがあります。

それは、農業は未来を見ていく未来業であるということです。

種をまく、芽が出る、育つ、収穫する……それってすべてが未来を見ていく作業なのです。

だから信級の人たちは80歳になっても元気なのかも。

もしも山の方に空いてる昔の草刈り場があったら、ススキを育ててみてもいいな。

そして、今年の冬用にシェーンの小屋の屋根を茅葺きでやってみようかな。あったかいぞ~!

筑波大学、信級、小谷……日本の研究者のど真ん中と過疎の村を行ったり来たりしながら

日本の未来をみてる我らなのであります。 


私たちが「のぶしな湧水米」という名前で販売しているお米は

米作り名人の窪田さんが作っているお米です。

水道が敷設されていない信級では、全員が山からの湧水を引いています。

長野市がいくら「下水道普及率100%を目指します」と言ったって、

水道が来ていないところがあるんだから絶対に無理なのです。

21世紀のこの時代に、県庁所在地である長野市で水道が引かれていない地域があるのです。

しかし、それはふと考えると大変な希少価値です。

水道の水にいったいどれだけの薬品が加えられているか、と考えると

ある意味、無添加の山で湧いた水を毎日飲めるなんて贅沢なことであります。

衛生面のことを心配する方もいるかもしれませんが、

限界集落に暮らす民は、そういった心配をまるでされていない、いわば見捨てられてる民なのです。

お金を投資しても回収する目途がたたないし、

人口が減る中、都市づくりの方向性はコンパクトシティですから、へき地のインフラなんて整うはずありません。

話が横道にそれましたが、

「のぶしな湧水米」はそんな湧き水の里でつくられるお米を逆手にとって名付けています。

なかでも窪田さんは、村の米作りのみなさんが名前を挙げて「あの人の米だったら」と太鼓判を押す米です。

同じように作っても、そこには米にどれだけの気持ちを注ぎ、手をかけ、雨に日照りに面倒を見ているかが現れます。

窪田さんは、米の気持ちがわかる人。

物言わぬ生き物を愛し、いつも感じている人なのであります。 

窪田さんはアサギマダラという蝶を増やそうと、その食草であるフジバカマを植えています。

誰に言うともなく、ただ黙ってフジバカマを植えている。

そこがなんともかっこいいんです。

「あのさ、アサギマダラっていう蝶はものすごく遠く旅をするんだで。台湾や南西諸島から飛んでくるんだ。すげ~じゃねえ」

こんなことを目をキラキラさせながら話してくれるんです。

私に自然観察のすばらしさ、面白さを教えてくれた在野の蝶研究者・浜栄一さんを思い出します。

浜さんは、少年の時、偶然に出会ったミドリシジミの美しさに魅了され、

生涯を蝶の観察や調査を続けた方でした。

浜さんが何年越しで憧れの蝶に出会った話などは、恋人を探し求めているようなロマンがありました。

米作り名人・窪田さんが、フジバカマを少しずつ増やしてアサギマダラを待っているのも

そこに何年越しの物語があります。

蝶が来たからといって、誰からも誉められるわけではないし、お金が儲かるわけでもない。

でも、黙って花を植え、窪田さんは遠い国からやってくる幻の蝶アサギマダラを待っているのです。 

「去年はさ、4頭来たんだよ!4頭!すごいで~。信級の俺のとこまで来てくれるんだでな~」

すごいすごい!! 

少し青くて、茶色い模様のある美しい羽根 のアサギマダラ。

こんな小さな虫を、大切に、自分の友のように待っている窪田さんが作るお米、おいしいに決まってます!

今年も、のぶしなに田んぼの季節がやってきました。

カエルたちも鳴き始めています。

窪田さんのとこに今年は何頭のアサギマダラが来るでしょうか。

来たら見に行って写真を撮らせてもらいます。

水道もない村に、南の国からやってくる幻の蝶アサギマダラ。

私も楽しみに待ってま~す! 


 冬は右手の骨折と共にやってきて、疾風怒濤のごとく過ぎ去ってゆき

まだ真冬のダウンコートも片付けてない中で25℃にもなる春となってしまいました。

和が右手はギブス取れたと同時にフル稼働。

まだ回せばギシギシしてるし、ときどき痺れてる感じはありますが、

時の流れの中で、「元骨折してた手首」となって現役に復帰しております。

この間、ヨコメのおじさんが火事と共に亡くなり、清美ちゃんと中やんが結婚し、

石坂アニキが腰を傷めて入院し、東京大塚にワンデイのぶしなで出開帳に行き、

お彼岸が終わったら沢入のおじさんが亡くなり…………。

そうしてまた信級には春がやってきました。

春は何事もなかったかのようにやってきて、

あんなに寒空の下でプルプル震えていたシェーンも、自分のお家でポヨ~ンと日向ぼっこしています。

人生ってこういうもの?!

そうなんです。今年の冬は「人生」がありました。深かったわ~。

…………………

信級は言わずと知れた限界集落であります。

水道も来てないし、将来にわたっても来る予定まったくなし!

みんな山から独自に湧き水を引いて使ってます。

それはそれで大変なんですが、水には消毒液は一滴も入ってない。

これって今の時代とても贅沢なことなんじゃないでしょうか。

この間、信級が世界に誇るファッションの殿堂「ka na ta 」のスタッフたちが

夕暮れに道でサッカーボールを蹴って遊んでいるのを見ていたら

昔はみんな道で遊んでいたっけな~、と遠い昔のことを思い出しました。

信号も、横断歩道もない信級は、クルマがたまにしか通りません。

食堂かたつむりがある村の中心部も、普段はとってものどかです。

こんな場所、都会ではもう消滅しかけているだろうな、と思います。

中途半端な田舎ではなく、様々な都市計画や税金投入事業なんかから見放された、

とんでもない田舎だからこその自由があります。

スペシャル空間や、生き物のサイクルに合った時間や、面倒を掛け合う間柄。

この間、本読んでたら、毎年1%ずつ人口が増えていったら限界から脱却できるそうです。

120人の集落だから、1.2人。

亡くなっていく人もいるから、毎年2人~3人増えていったら大丈夫なのかな、と。

そしたら、もう清美ちゃん来たし、中やんも来るし、浅野さんちで1人生まれるし、石坂アニキんちに奥さんが来る。

もしかしたら大家の吉澤さんちのお兄さんが、定年になって夏だけでも畑やりに住みにやってくるみたいだし。

バッチリやん!

そしたら信級小学校を復活したい!なんてことを口走ってみる。

校長先生は新町と兼務で、先生は信級関係者でいい。いっぱいいるんだから!

そんなこんなで、4月が始まりました。

生きる死ぬ、みたいなことを常に考える信級の日々。

本当に困ったときに思い出してもらえる人でありたい。

見返りを求めずに人の役に立てる人間でありたい。

バカみたいだと言われながらも、いつもニコニコ、カーリング女子のように笑いながら

「そだね~」と誰もを受け入れる、微笑みの人でありたい。

………それって宮沢賢治「雨ニモマケズ」じゃないんか~?

何言ってんだかさっぱりわからなくなりましたが、

そんなこんなで春突入です。

限界集落で自分の魂を磨きつつ、おたおたとやってくばい! 

 

 


新年1月もあっという間に過ぎ去り、すでに2月も残すところ10日となっております。

まぁ、早い早い。

そしてこの間にいろんなことがあり、ひとつひとつが、

「こんなこと人生でほんとにあんの?」というような出来事でした。

みんな信級(のぶしな)という運命のプラットフォームのような場所での出来事です。

1月22日、信級の食堂かたつむりの常連でもあったヨコメのおじさん、通称「お大工さん」が

自宅の火事で亡くなりました。

御年91歳。

これだけでも書けば物語になるような、みんなの心にズド~ンと風穴が空いたみたいな出来事でした。

しかし、おじさんの家が火事になった日は、食堂かたつむりの看板娘・清美ちゃんが

あろうことか私の友達である中やんこと中谷兼敏おやじと結婚することになっていた日でもありました。

二人が出会うきっかけともなった「はやぶさ響き」のミュージックイベント。

その会場だった丸子の国際音楽村のステージに、ほんの有志が集まって歌を歌い

そこから「私たち結婚しました!」のメッセージを発信しようとしていた、まさにその前日のことでありました。

火事があったその日、おじさんがまだ行方不明であることを伝え、翌日は私たちも信級に行くことを伝えると

中やんと清美ちゃんは、人生一度の結婚の儀を取りやめにして、信級に駆けつけてくれました。

集まってきた食堂かたつむりの厨房スタッフ、清美ちゃん、幸恵、優美子さん、カモ………

みんなで炊き出しをやりました。

おじさんが焼死体で見つかったのはお昼ごろ。

フェイスブックにその時のことを書きながら、どん底の悲しみの中にありながら

なぜか冷めた頭で「なんだかドラマみたいだよな」と思っていた私でした。

その翌日から清美ちゃんと中やんは、中やんのホームグラウンドである三重に移動しました。

結婚の儀をこんなことで取りやめにして、ほんとになんていうか、可哀そうな二人だったのですが、

もしかしたら清美ちゃんのことが大好きだったヨコメ のおじさんの最期の横恋慕だったりしてね、なんて思ったり。

おじさん、そういうことだったら、言っといてな。 

………………… 

中やんは、新郎っつったって私と同じ年。

はっきりいえば58歳イノシシ年。

大丈夫ですか?と思いますが、これがまた、よくぞ出会ってくれましたという感じの二人の相性なんであります。

炊き出しやったその日、食堂に泊ったのは、私・中やん・清美ちゃんの3人。

ハウスインハウスのこたつに足を突っ込んで、こっちとあっち。あっちにはなぜか中やんと清美ちゃん(くっつき)。

私が炊き出しやったそのときのことをフェイスブックにアップすると

「アネゴの投稿みたいんだけどずっとグルグルしてて全然見られないよぅ」と清美ちゃん。

「どれ~?あのさ、ケータイ替えたら?俺のはさあ…(なんちゃらかんちゃら)」中やん。

「いいね。今度それにする。あ、今度は家族割にできるんじゃない?家族割にしよ?」清美ちゃん。

………こたつの向かい側の一辺で、私はこの、のぞき込みつつくっつきつつ顔見合わせてしゃべる、の二人をただただ見つめていたのでありました。

人生は悲しみの一歩先に幸せがあるのであります。

というか、ほぼ同時にあるのであります。 

そして、三重に行って「私たち結婚しました!」メッセージを発表した二人は

2月になってから信級に戻り、やっと信級のみんなにも結婚報告をしました。

食堂かたつむりの、新しくなった階段(もらってきたのに少し付け足して設置)から

まずは新郎の中やんが降りてきて、なぜだかカモがエスコートして新婦の清美ちゃんを新郎の元へ。

草のきぃちゃんがつくってくれた草のブーケを飾った二人が

優美子さんがこの日の為につくってくれたケーキに乳頭、いや入刀。

お店の端っこの、できたばかりのロフトの上で、ヨコメのおじさんが

「よかったな~」と見ているような、そんな生きてるもの、死んでるもの

老若男女が混沌と混じり合った、よくわからない感じのハッピーな空間となりました。

その日のメニューは、石坂アニキが提供してくれた鹿肉のワイン煮込み、イノシシ肉の唐揚げ、熊肉の味噌煮

といったのぶしなジビエのオンパレード。

最後には、新郎新婦によるラーメンの振る舞いもあったりして

なんだか、12月6日の私の骨折から始まった様々な出来事が 、

あらかじめ想定されていたことのような、ドラマを見ているような感じになりました。

人生はシナリオのないドラマであります。

まだまだこれから何があるかわかりません。 

それにしても今年は新年から波乱含みの、吉凶入り混じった、濃い幕開けとなりました。

そのうち小説に書いてみたいと思います。

おもしろいぞ~!書けないことばっかりだけど。 


 本日2017年12月30日。

今年も残すところあと2日となりました。

ことしは、ま~~怒涛のような1年でした。

春に、私の生まれた村・信級に食堂かたつむりをオープンし、

そこから出版事業と食堂事業 2足の草鞋を必死になって回してきました。

誰も来てくれなかったらどうしよう…そんな心配もあるなか、

食堂かたつむりはローカルテレビで特集されたりしながら、夏、秋と大健闘!

お盆には一時お店に入りきれないぐらいの人たちがあふれるほど、大人気となりました。

まあ、初年度は「話のタネに」みたいな感じも多分にあったと思いますが、

ある意味で予想を裏切る人気となりました。

ありがたいです。

気が付けばほぼ休みなしで突っ走ってきた今年、12月になって手首骨折というハプニングにも直面しました。

利き腕の右の手首、いまだに薄汚れたギブスに覆われて、不便この上ない毎日を送っています。

神様が「ちょっとじっとしておれ」という罰を与えたのだな、とあきらめつつ

今日もできることをできるようにやっている年の瀬です。

…………

今朝、再放送で宮崎駿のドキュメンタリーをやっていてついつい見てしまいました。

もう何年か前に放送されたもので「崖の上のポニョ」かなにかをつくっているときのものでした。

毎日毎日七転八倒しながら絵やストーリーを作り出す宮崎さん。

いい加減なものつくるんだったつくらないほうがいい。

自分で自分にダメ出ししながら、決して妥協しません。

ある日、CGで最先端の画像を作り出してる若者たちがやってきて、

自分たちがつくった動画を見せます。

頭のない人間のような不思議な動物の動きが、グロテスクな、しかしリアルな動きをしている画像でした。

実に克明に作り出されています。

「これなんか新しいゾンビの映像としても使えるんじゃないかって思うんです」

若者たちはそう言いました。

そこで宮崎監督が言った言葉。

「私はとても不愉快です」

「私の知り合いに、体の不自由な人がいて、歩くときには足が外側にいってしまうような歩き方をしています。彼と挨拶するとき、ハイタッチするんだけれど、それも大変な思いをしてハイタッチをしてくれる。この画像を見て彼のことを思いました。私はこういう画像が嫌いです」

すると盟友の鈴木さんが若者たちに聞きました。

「あなたたちは何を目指しているんですか。どこに行きつきたいの」

すると若者の一人が答えました。

「人間が描く絵を超えたいんです」

部屋に戻ってきた宮崎監督がポツンとつぶやきました。

「人間は行きつくところまで行きついてしまったのかもしれないな…」

2020年にはAIという人工知能が人間に代わって様々な仕事をしてくれるようになるそうです。

介護の現場で、銀行の窓口で、工場や、お店や、もっともっと「考えること」や「心を感じる」しごとのなかに

感情や知能をもったAIが入り込んでくる。

人間はどんどん要らなくなるんです。

昔読んだ森本哲郎の本の中に、モヘンジョダロの遺跡のことが書かれていて、

下水道まで整備された衛生的にも高度に進んだ都市モヘンジョダロ の廃墟には

たった今までそこで作業をしていたかのようにハンマーが置き去りにされていたりする。

なぜこんな高度な文明が一瞬にしてほろんだのか、天変地異か、疫病か……

その理由は様々に考えられているのですが、森本さんはこんなようなことを書いていました。

文明は、さまざまなる無駄を排除していくように進化していくが、

ありとあらゆる無駄を片付けて片付けていくうちに、最終的に人間を片付けてしまったのではないか。

この考えが、まだ幼かった私にはとても怖かったのです。

でも、いま、着々と人類はそこに向かっているのではないでしょうか。

清潔神話もそうです。

水道水を消毒して消毒して、ありとあらゆる菌を除菌していくうちに

体の内側に必要な菌まで取り除いてしまう。

障害のある赤ちゃんは、出生前診断で発見して産まないようにすることができる。

そういう純潔神話みたいなものが、どんどん「生き物」としての人間を危ういものにしていると思うのです。

今の世の中、ただ生きてくだけでも厳しいです。

お金だって稼がなければ生きていけない。

世の中の矛盾にも意見を言い、参加し、少しでも社会が良くなるように自己主張していかなければ自分がつぶされる。

そんななかでも「生きていくって素晴らしいんだ」「命って美しいんだ」と伝えていきたいと思うのです。

先日会った友は、ガン治療のための放射線療法で髪が抜け落ち、「なんか頭の中がよくわかんなくなっちゃうときがあるんだ~」と言いながら

昔と変わらない笑顔で、バカな話をしてくれました。

必死に生きてる。生きようとしている姿が愛おしく、

またしても、どこにいるかわからない神様に

「これから私に与えられるラッキーが少しでもあるなら、そのラッキーを全部、彼女にあげてください」とお願いしました。

娘の大学の入学金を必死でひっかき集めてやっと振り込んだ友達もいます。

働いて働いて…ほんとによくやってる。

みんな、必死で今を生き、未来に向かってる。

私もひたむきに生きてる友たちに恥ずかしくないように、精一杯人生を生きていきたいと 思った12月です。

…………

この間の朝日新聞の天声人語に載ってた小平奈緒の座右の言葉がすばらしく、

わたしもパクらせていただくことにしました。

ガンジーの言葉です。

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

やっぱりガンジー先生、すごいですね。

 

さあ、来年は信級カンパニーの新プロジェクトに向かって新年からロケットスタートします!

また、出版社オフィスエムでは、編集者人生の最終章として、本づくりや本の楽しさ・喜びをたくさんの人に知ってもらうアプローチを始めます。

右手のギブスが真黒くなり、いい出汁が出そうな味わいになってきました。

2018年も、どうぞよろしくお願いいたします。

悩みながら、そして突っ走っては壁にぶつかってコケながら、それでも未来に向かって生きていきたいと思います。

新年がみなさまにとって良い年になりますように。




 


不肖寺島、骨折いたしました。

右手首のコーレス骨折というやつで、どうやら典型的な老人性の骨折らしいです。

若い人は転んでも手を付かないで、しりもち着くとか、肘を打つとからしく、

転んで手の平を付くこと自体が老人の証拠だそうです。

しかも万が一手の平を付いたとしても捻挫がいいとこで、

これで骨折するというのは、骨がもろくなっている証拠で、要は骨粗しょう症。

「寺島さん、それ典型的な老人性の骨折ですよ」

信大医学部の能勢先生のところへ、骨折した翌日に腕をつって行ったとき

帰りがけに言われてしまいました。

「コーレス骨折っていうのよ」

あややや…。

この言葉を聞いたとき、それまでインタビューしていた内容が全部ふっとんで

頭のなかで「老人、老人、老人……」とリフレインするようなショックを覚えました。

そりゃ若いとは思ってないけど、まだ老人じゃないんじゃないかな…と思っていたのが

いきなりの老人認定。

なんだか目の前の崖に落っこちたかのごとく、老人時代に突入してしまいました。

人生なんてあっけないですね~。

………………

利き手の右手がギブスに固められると不便なことがいっぱいあります。

最初の日は着替えも一人でできず、夫にGパンをはかせてもらいました。

お化粧だって左手一本だとうまくできないんです。

皿に化粧水出して、それをコットンに浸して顔につけ、

 ファンデーションも小皿に出して左手で顔にのばします。

笑っちゃったのがコンタクトレンズの装着。

どうやったって片手じゃ無理で、最初の日は、夫に上まぶたと下まぶたを開けててもらって、

黒目のところに左手でもってくのですが、それがまあ、的外れるわ、指が緩んで目はふさがるわ…。

二人羽織のごとく涙が出るわ、ハナは出るわ、笑うわの七転八倒でございました。

お風呂は禁止されたものの、いくら冬でも2日もお風呂入らなければすっきりしないので

シャワーは浴びたい。

で、右腕のギブスのところをラップでぐるぐる巻きにして、

その上からレジ袋をかぶせてガムテープで止めるのですが、

左手だけでガムテープを切るのが至難の業。

歯で切れ目を入れてビリっと破くのが、細くなっちゃったり、くちゃくちゃになっちゃったりで

もうへとへとになっちゃうんです。

やっとこお風呂場に到着し、シャンプー出すにも上から左手でポンプを押して左手で受け、

左手で頭を洗う。

からだは、お風呂用の泡の出るスポンジタオルに石鹸を塗って

洗うのですが、左手で左手を洗えないことが判明!なんだよぅ。

ビーっとブザー鳴らして夫に左手を洗ってもらうことに。

恥ずかしながら、このような状況になって初めて、介護してもらう人の気持ちがわかりました。

やっていただかないとできない自分が情けないけどどうしようもない。

「生きているということは借りをつくること。生きていくということは借りを返していくこと」

という言葉がしみじみ骨身に染みるのでございます。

…………

そんななか、俄然存在感を放っているのが左手です。

校正の仕事は左手で字を書いてます。

ごっつい字だし、時間もかかるのですが、なんとか読めるとこまできました。

日記も左手で書く。それがなかなか面白い。

左手使ってると、右手とは全然違う思考回路になるんです。

左手はまじめで力強くて、なんか穏やかなようでありながら、ぶっちぎれてるところもある。

右脳ってことでしょうか。なんか左手思考は強いです。

まだ、お箸は持てないけど、包丁でざっくり切ったり

簡単な調理はできるようになりました。

昨夜は餃子を作ってみました。ひだは一つも入らないノペッとした餃子だけど

味には変わりなし!!なかなかの傑作でありました。

パソコンは、ギブスからちょっとだけ出てる右手の指と左手でなんとか打てるようになりました。

そんでもまだ骨折して8日です。お医者さんの診断では全治2か月。

年末年始の公私ともに取り込み中のなかではありますが、

こんなときだからこそじっとしておれ、という神様からの戒めと思い

左手中心の日々を送っている私であります。

……………

一気に老人になったいま、一人間としてさらなる自由を求め

若い人たちの手本にならないクソババアとして生きていこうと思っている今日この頃。

もうそうなってる?かもしれませんが、左手がそう言ってるんで。

さあ、クリスマスでもお正月でもやってこい!!

 

 

 


まだ11月というのに雪が積もりました。

今年はカメムシが大発生しているから大雪になる…といった噂も妙高方面から聞こえてきまして

心の準備、整わぬまま冬に突入した感があります。

つい先月は台風来てたのよ~。いったいどうなっちゃったの。

そんななか、のぶしな坐の企画第2弾として「かたつむり寄席」やりました。

食堂かたつむりのテーブル片付けて公民館から借りたパイプ椅子を並べ、

尾澤酒造さんから借りた日本酒のケースを並べてステージを作り、

まあ海の家のような簡単な造作ではありますが、寄席らしき雰囲気を醸し出すべくあるもので工夫と努力。

「そんでねえ純子さん、座布団どっかから借りてきてね。還暦の座布団みたいなおっきなのだよ」

そう言ってくださったのは丸山電気さん。

丸山さんは、オカンやおばちゃんがお世話になってる国道沿いの電気屋さんで、

今回も三笑亭夢花さんに交渉してくれたり、自宅に泊めてくれたり

会場の設営などもいろいろアドバイスしてくれてる、「かたつむり寄席」の陰のプロデューサー。

「座布団か~。そうだよね、落語だもんね。ちょっといろんな人に聞いてみるわ」

ということで、母カツエにさっそく相談。

「わかった!ちょっとまかして」

こういう時のオカンは怖いんです。 84歳ながら頭がクルクル回ってる。

しばらくすると電話がかかってきました。

「純子~!うふふふ…。玉江といっしょにいい布団つくったで~(笑)」

ただいま同居中の姉妹、カツエ&タマエはわれらにとって最強の助っ人コンビ。

二人でいろいろと考えた挙句、

子どもが寝る用の小さい布団を二つに畳んで、手持ちの紫色のストールをカバーに縫って

大きな座布団をこしらえちゃったようでございます。

 「紫色の大きな座布団、四隅に金色のひもで房まで付けたからね~!」

「へええ~。ありがとう!」

紫色の座布団ができ、最後に丸山電気さんがもってきてくれた提灯を下げ、スポットライトをセットしたら

けっこういい感じの寄席っぽいステージができあがりました!

夢花さんの控室ははす向かいの関口さんちのヨシト君が使ってたお部屋。

村の手作り寄席……寄せ集めのあり合わせながら、いかにも「かたつむり」っぽく完成です!

…………  ………

当日の演目は、まずわれらが周平君とお友達の会君、そこにカモちゃんのパーカッションが加わった

ユニット名「UTATA(うたた)」による謡と舞。

周平君は謡の先生だったおじいちゃん直伝の謡を小さいころからやっており、

当日は、オリジナルの謡曲に舞踏をやってる会君の舞がコラボした、意外とアーティスティックな前座から始まりました。

セーターに黒紋付の周平、大きな伴天を来て舞うハーフの会くん。かっこいいです!

ヒューヒュー!

そして、三笑亭夢花さんの落語が一席。

なんたって真打ですからね~。こんな小屋で申しわけない本格的な落語です。

そして途中休憩があって、その次に私とシェーン(石坂さんのワンコ)による漫才「犬との会話」が入り、

また最後に夢花さんの落語で終わる、という破天荒なプログラム。

私とシェーンの漫才というのは、どう考えたって「変」であります。

だって、犬だもんな。

「今度シェーンと漫才やってよ。おもしろいよ~」と

普段私がシェーンと二役で腹話術のようにしゃべってるのを聴いてて、石坂アニキが言い出したところ、

調子に乗って当日まで来てしまい、とうとう本番でシェーンと舞台に上がるハメになっちゃった……。

よせばいいのに前日には赤いハンカチと手ぬぐいで蝶ネクタイまで作ってしまい

それが、いざ本番になってみると、キンチョーの嵐!どーすんの!

会場には30名ぐらいの地元の皆様、最前列にはオカン、おばちゃん、おじちゃん…

みんながステージを見ています!うわ~~~。

シェーンが走り出したらどうしよう。

シェーンが吠えまくっちゃったらどうしよう。

まあ、いろんなこと考えて頭がグルグル……。

そんななかでも時間はちゃんと正確にやってくるのであります。

「みなさま、犬のシェーンと人間の私でございます。シェーンは自分のことを人間だと思っておりまして……」

いざ始まってみるとシェーンはめっちゃいい子!

私のお膝の上にのって、きょとんと私を見ています。

「シェーン九九できるよね。ワワンが……ワン!」

こんなくだらない話にも、「あはははは……!」みんなが笑ってくれています。

そしてチリ紙に包んだおひねりが飛び……なんともあったかい雰囲気の漫才時間になったのでありました。

そして最後に夢花さんが人情噺の「子別れ」でしみじみと落語の「泣き笑い」をやってくれ、

ああ、人間ていいな~みたいな、落語が本来持ってるダメでどうしようもない庶民の心の奥底にある

きれいなものを見事に伝えてくれたのでありました。

……………

都会に行けば素晴らしい演芸場もある。大きな会場もある。

でも、こんな小さなど田舎の片隅のぶしなの、土壁ぽろぽろの食堂かたつむりだからこその

何とも言えない「風情」みたいなものもまた、寄席には合うんだな~。

会場では、長老たちが薪ストーブの番をしてくれ、

呆け始めたおばあちゃんたちも、耳がよく聞こえない年寄りも

途中で泣き出す子供ちゃんも、みんなが同じ空間にいて、こっち側もまた「落語」みたいだったんであります。

すべてが終わって、撤収作業しているとき、ブルーベリーの羽田さんがきてこんなこと言ってました。

「シェーンは人間だもんな。シェーンは犬じゃないだよ。人間だよな」

そうか……。

みんな、あの高座の座布団の私の膝の上で、しゃべくる私を一心に見ていたシェーンを

そんな風に見ててくれたんだな~。

ありがとう。

話の世界が、こちらの世界と重なりあって、どっちがリアルで、どっちがお話しかわからなくなっちゃってるみたいだけど

こういうのがなんともたまりません。

いまのこの「かたつむり寄席」そのものを落語にしたいぐらいだな、と思いました。

 

信級はその翌日から寒くなり、雪も積もって冬の季節を迎えました。

この後12月は、中やんのラーメンの日、しめ縄づくり、

子どもと年寄りのクリスマス、そして今年は餅つきまでやって本年おしまいとする予定です。

落語のような日々をリアルに展開しながら、冬のかたつむり、信級の秋から冬の日常がすぎていきます。


なぜだか選挙になってしまいました。

政治家ってほんとに選挙が好きな人種なんだな~と思います。

むなしい言葉、ののしり合う言葉が飛び交うなかで、

ちょっと使い方が間違ってるんじゃないの?という言葉があります。

「愚直」です。

私は愚直という言葉が好きで、何年か前の年賀状にも消しゴム版画で「愚直」という文字を彫って、

ピンク色や金色のインクで押して出したぐらいです。

だもんだから、安倍さんや公明党の山口さんが「愚直に政策を訴える」と演説で言ってるのをきくと

おいおい、そういうときに使う言葉じゃないよ、と思ってしまうのであります。

たとえば黙々と栗を剥く作業とか、愚直だな~と思うわけです。

この間、信級でたくさん持ってきてもらった栗を茹でました。

一つ一つ皮をむく作業が大変なので、二つに割って、身をスプーンでほじくり出し、

それにちょこっとシロップを加えて練って、ラップにのっけてくるんとねじって茶巾絞りにしてみました。

これが意外と美味しくて、ひたすら山のような栗をむいてはほじくりました。

栗を剥くってそりゃ大変なんです。

でも、黙々とやってるといつか終わる。

ゆっくりでも、ちょっとずつでも、コツコツとやっていたらいつか終わる。そんな作業です。

で、考えました。

こういう作業を「愚直」っていうんじゃないの?

ちょっと違うか……。

でも、安倍さんが使ってる「愚直」っていうのは全然間違ってるぞ、と思うわけ。

それと小池百合子さまは「ユリノミクス」とか 言ってるのも「ぷっ」と笑ってしまいました。

そして、「右側と左側だけでまんなかが大きく空いている。このどまんなかのフェアウェイが 私たちなんです」とか言っていましたが、

えええ~?とこれまた仰天。

憲法改正、安保法案賛成で、維新の党と組める人が、どこが真ん中なんでしょうか。

こんなふうに嘘ついちゃって、神様に舌を抜かれないでしょうか。

そんななか「ICAN」 がノーベル平和賞を受賞しました。

受賞のとき、日本の姿勢に対して厳しい意見をいただきました。

当たり前です!

世界でたったひとつの原爆被害国である日本が、なぜ核廃絶に向かってリーダーになれないのでしょうか。

日本の国はいつからこんなバカっぽい国になっちゃったのでしょうか。

いや、バカなんですね。

……………

私はコツコツ、指を栗だらけにしながら栗をむき、紅玉リンゴを刻んではシロップ漬けを作るのだ。

朝は5時から起き出して、わんこと一緒に森を歩き、みそ汁を作りご飯を炊き、

誰よりも早く会社に来て、体力の限り働いて生きています。

愚直なのだ!!

お坊ちゃん、お嬢ちゃんの政治という権力ゲームには関係ないのだ!

宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」のごとく、

弱き者、つまはじきされてる者に寄り添い、何も見返りを求めない、

健康でたくましく、そしてやさしく、魂のきれいな人間でありたいのだ!

そんなことを思っている今日この頃です。


久しぶりの投稿でございます。

疾風怒濤の8月が終わり、

9月10日には「のぶしな坐」の初イベント「風のたより」上映会も盛況のなか感動の盛り上がりとなり、

そうこうしているうちにあれよあれよと村の稲刈りも終わりつつ

すっかり秋になってしまったのであります。

お盆のあとに移住してきた上條清美ちゃんは、イナバの家で寝起きしつつ

食堂かたつむりの強力な助っ人として、いまやなくてはならない存在となりました。

畑仕事から獣のサバキ、はたまたお片付けまで何でもやっちゃうスーパーウーマン。

のぶしなに来てからいったい何頭のイノシシ、ウリ坊をさばいたことでしょう。

「なかなか筋がいいよ」と石坂アニキにも 太鼓判を押され、

この間なんて、アニキはビール飲んで、ときどき脚を抑えてるだけで、全部清美ちゃんが解体してました。

もう免許皆伝てことでしょうか。

なんたって「マイナイフ」をもってますから。

また、チカオさんの軽トラに乗って長者の畑を借りて野沢菜やら大根やらを蒔いている。

まあ、信級のあらゆることを楽しみながら体験し、それがみんなの役に立ってるという活躍ぶりであります。

 そんな清美ちゃんの参入により、食堂かたつむり、だんだんと村に根付いてきた感じです。

清美ちゃんが村に住んでるということで、夕方もいろいろな食材の下ごしらえなどやってると

ご近所のおじさんたちが「生!」とか「焼酎ロック」とか言いながら寄ってってきうれるようになりました。

…………………

よこめのおじさんは、もう90歳だか92歳の高齢ながら、元気に一人暮らし。

みんなから「おだいくさん」と呼ばれているように、大工さんなのですが、

いまは毎日、日向畑の家から坂井の畑まで通って農業をやっています。

朝行って昼には戻り、また午後出かけて行って夕方帰る毎日です。

「かたつむり」の前の道が通勤路なので、毎日見ています。

歩く姿は見事に傾いており、棒を杖代わりに付き付き歩く姿が、すでに神様のようですらあります。

「おじさん、お帰りなさい!元気ですか」

「おじさん、たまにはここで休んでボチボチ帰ってね」

そんな声をかけてるうちに、ときどきお店によってってくれるようになりました。

「焼酎水割り」これがよこめのオジサンのいつもの注文です。

もともとお酒が好きらしく、一杯なんてすぐに空にして2杯は軽く飲んでいきます。

お昼の残りのおかずやらを小鉢にして、それをつまみに焼酎いきます。

オジサンが帰るころには日も暮れ、足元が暗くなるので、

そんなときは清美ちゃんが手をつないで送ってってくれてます。

この間も送っていった清美ちゃん、帰ってくるなり顔が笑ってる。

「どうした?」

「あのね、おじさんが手をつないでたら、こういうふうにつなぎなおしたんだよ」

みると、指を指の間に入れてギュッと握ってるしぐさをしてるじゃあ~りませんか!

「えええ~!それって恋人つなぎじゃん?」

「キャハッ!!」

「もしかしておじさん清美ちゃんに恋しちゃった?いいね~~(笑)」

おじさんは、「かたつむり」でお酒飲んで帰ると、仏壇の奥さんに「ごめんなさい」と報告するんだそうです。

なんてかわいいんでしょう。

「若い草食系の男子たちにオジサンを見習ってもらいたいよね!(笑)」と清美ちゃん。

翌朝、畑に行くとき、オジサンは洗って畳んだ和風の柄の手ぬぐいをもってきて

清美ちゃんにあげていました。

「いつも前掛けのとこに手ぬぐいかけてるから」。

わわ~プレゼントだ~!なんてかわいいんだろ。

「いいね~。手ぬぐい」

愛とか恋ではないけど、どことなし清美ちゃんも嬉しそうです。

そしたらその次の朝になって、オジサン私にも手ぬぐいをもってきてくれました。

「ひとりだけにあげてたから、これ純子さんに」

渋い松の柄の手ぬぐいです。

 「え~!私にもいいの~?」

一人だけに手ぬぐいあげて申し訳なかったな、と1日中考えててくれたオジサン。

その気持ちが胸に広がって、じわ~っと沁みてきました。

「男としてカッコいいよね!こういうとこを若者に学んでほしい!」

90歳のオトコの純情に、われら二人すっかりクラクラになってしまいました。

よこめおじさんがもし死んじゃったら、きっと私たち泣くだろうな……。

心にぽっかり穴が空いちゃうだろうな……。

そんなふうに思った9月の出来事でした。

………………

大それた出来事なんて何一つなくても、人生は豊かです。

素敵なバーも、レストランも、ホテルも、コンビニも、信号機もないけれど

過疎の村には純情があります。

現代人が忘れてしまった、なんともいえないほのぼのとした物語があるのです。

なんにもないからなんでもある。宇宙にとどくちっちゃな村でございます。


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