5月から開店した限界集落のぶしなの、たった一軒の食堂かたつむり。

日曜日と月曜日が通常のお休みなのですが、

「お盆はお店やってほしい」

「お店が閉まってるとなんだかさみしいんだよ~」という声に背中を押され

お盆期間中フル営業!と相成りました。

8月に入ってから、世の中夏休みということもあって、お客様の数がちょっこし多めのかたつむりでしたが

お盆に入ってからというもの連日、れれれれ…とハタ坊が飛んじゃうほどの忙しさに突入しました!

「ずっと来てみたくて、娘が帰ってきたから来てみたの」

「フェイスブック見てたら美味しそうで、定食食べにきました」

そんな感じの方から

「これから12人でコーヒー飲みに行っていいですか」

「7人でお昼予約お願いね」

といったお墓参りでやってきた親戚一同のご来店など

村の食堂てんてこ舞い。

ありがたいことでございます。

中には「あんた~、がんばってんね。ありがとね!」と抱きしめてくれるおばちゃんも 。

どこかで私たちのことを知って陰ながらずっと応援しててくれたおばちゃん。

名前も知らない信級のおばちゃんに抱きしめられて

「うん、うん。ありがと。ありがと…」と私もなんだか胸がいっぱいになってしまうのでありました。

お盆期間中は、びんずるで好評だった「おやき」も毎朝作って販売。

中身はナスとみょうがと大葉の味噌味一種類のみですが、これがけっこう売れるんです!

やっぱりお盆はおやきですね~。

そんななか12日からは、なんと!お友達の上條清美ちゃんが引っ越してきちゃって

イナバの家に寝泊まりしながら…というか住みながら、

信級カンパニーのいろんなことを手伝ってくれております!!

今後、村に慣れていったら野菜作りや山の幸の採集やご案内、宿泊者のための

ゲストハウスや民宿的な家の整備・管理などをやっていってくれる予定。

まあ、それにつけても着いたその日から怒涛の食堂かたつむりメンバーとして

厨房からサービスからおやきづくりと八面六臂の大活躍で働いてくれております!

まさにカミカゼ清美って感じです。

13日には鼻笛ニストのモスリンがやってきました。

で、食堂で突発的にミニライブ。

東京から「渋谷のラジオ」を聞いてくださった祐二さんの後輩のご夫婦が来てくれたり、

岩本に滞在中の宮野尾さんが、趣味で集めたブリキのおもちゃをいっぱい持ってきてくれたり……。

いろんな出来事がギュッと濃縮されて、村のお盆は時間が濃い濃い。

夜は夜で、夕食ご予約のお客様、モスリン&清美ちゃん歓迎の餃子パーリーなど

普段は比較的のんびりやってるカタツムリが、ぐるぐる巻きのお盆状態。

店の前を行きかう車の数も多いし、若い人たち、子どもたちも溢れかえって

「ほんとにここが限界集落?」というような賑わいでありました。

でも…お盆が終わればまた、いつものひっそり静かな信級になります。

昨日の朝、孫娘夫婦とコーヒー飲みにきてくれたサワイリのおばさんに

「おばちゃん、みんな帰っちゃったら寂しくなるね」と言ったら

「そう。だんだんと帰ってくだ。この人たちも今日帰るんだ」とおばちゃん。

みんなが来てくれるのうれしい。

でも迎えるのはけっこう疲れて、帰るときは寂しさ半分、ホッとする半分。

そんな村の人たちの気持ちが、ちょっとわかる気がしました。

「ねえ、またちょくちょく信級に帰ってきてね。お盆じゃなくてもさ」

おばちゃんに代わって私が気持ちを伝えました。私もおんなじ気持ちです。

………………

お盆が終われば、またいつもの静かな信級になります。

信級のお盆は、死んでる人、生きてる人、通りすがりの人、いろんな者たちが入り乱れて

時空のスパイラルを行きつ戻りつしている感じです。

そんなグルグル巻きの真ん中で、行き過ぎる人たちに気持ちを通わせながら

泣いたり笑ったり、村の気持ちで生きていきたい今日この頃です。

昨日はもう、長者山でナラタケが採れました。

秋がそこまで来ています。


7月後半戦、怒涛のような日々を生きております。

15日は渋谷のラジオに出演!

信級の先輩・祐二さんと、その同級生で渋谷のラジオで番組をやってる山口さんと、まずはヒカリエの6階で待ちあわせ。

いま、渋谷はぐちゃぐちゃになってる駅界隈の大工事をしており、

来るたびにどこがどういうふうになってるのかわからないのですが、

「ヒカリエはこちら」と案内が出ているので、それに従って行きました。

まあ、それにしても人がいっぱい!

信州の過疎の村から出ていくと、一人当たりの酸素が薄いのなんの。

それと、お店がこれでもか、というほどあって、その全部が成り立っているのがすごいな~と感動したりして。

もうまるっきりお上りさんでございました。

おじさま2人と南イタリア料理のお店でお昼を食べ、軽く打ち合わせし、いざ渋谷のラジオへ。

山口さんの後について、駅前の歩道橋を渡り、なんとか通りの途中の「ラジ公マーク」 を曲がっていくと

小さなビルがあり、その1階がもう渋谷のラジオなんでした。

靴を脱いで入ると小さな事務所のような打ち合わせ室のような部屋があり、

すぐそのむこうはスタジオなんであります。それだけなんです。

「あのね、番組と番組の間って5分ぐらいだからね」とか軽く山口さん。

「えええ~~!」

何もかも予想を覆す展開で、ものすごく簡単かつ気楽にやってる。

なんだかドキドキしてきました。

いまごろ信級の食堂かたつむりでは、カモがスマホで聞けるようにしてくれて、みんな集まってきてるかな。

とか考えるとイマジネーションがあっちこっちして、 緊張感マックス!

と、そんなとき前の番組の出演者の人たちが出てきました。

「お疲れさまでした~。じゃあお願いします」

われら3人(祐二さん・私・山口さん)と、あとは機材を操作してくれる方と、KATSU佐藤さんが、

居酒屋の掘りごたつ式テーブルのような大きな机の縁に座り、本番が始まるのを待ちました。

佐藤さんて司会なんでしょうか。山口さんはどんな立場なんだろう。祐二さんはどのぐらいしゃべるん?

よく勝手がわからないまま、なし崩し的に番組が始まってしまいました。

……………

ラジオの生放送ってこんな感じなの?という感慨もどっかにいったまま

スタジオの窓から、外を歩く人たちも見える金魚鉢のようなお部屋で「お国自慢」始まりました。

最初は軽く自己紹介。

そののち、早くも、この間達三さんが探してもってきてくれた、40年以上もまえに小学生たちが歌った

「信級小学校校歌」を流してもらいました。

いいわ~~!いまはなき信級小学校の校歌を、2017年に渋谷のラジオから流すなんて…!

そしてそのあとに、この間みんなで学校に集まって歌った校歌。

これがまた、一昔前の純粋な小学生の合唱の後から聞くと、調子っぱずれで、バラバラで、

だけどその一生懸命さがにじみ出て、これはこれで胸に沁みます。

70、80、90の元小学生たちの斉唱・信級小学校校歌。

本番中ながら聴いてて涙がにじんできてしまいました。

歌詞の中に出てくる信級村のことを述べるくだりが、文語体ながら体の中に沁みわたる…。

  山水清く秀でたる 信級村はおのずから

  人の心も素朴(すなお)にて 生業(なり)を怠る家もなし

その通り!!

歌詞が先か、村民が先か、それは今となってはわかりませんが、

信級この通りなんです。

もちろん小学校1年生でこの文語体の歌詞がわかるわけないですが

でも、この歌をずっと歌い続けていったら、いつかその意味が体の一部になっていくのかもしれません。

そんなこと思いながら………。

そのあとは、どんなこと喋って、どんな反応したのかよく覚えていないのですが、

途中で、録音してくれた小森君に電話をつないで、録音の時の模様をレポートしてもらい

「限界集落というより元気集落って感じですね~!」なんていい言葉を言ってもらって大感激!

そしていろんなこと喋りながらも 、カモにCDに入れてもらった矢沢永吉の「時間よ止まれ」と

ベッドミドラーの「ROSE」をかけてもらったら放送は終わりました。

ああ、終わっちゃった~~!

意外と短く、言いたかったことの半分も言えなかったような感じでした。

掘りごたつ式スタジオの壁にかかってる寄付してくれた人の木札に「福山雅治」の名前を発見し、

なんだか有名人も近くにいるような気分にもなったりの55分間の生放送でした。

ふ~~~!

食堂「かたつむり」で聴いててくれたカモに電話すると

「みんなでスマホの周りに集まって、固唾をのんで聞いてました~。よかったんじゃないですか~(笑)」

みんなで集まって聞いてたのか……。ありがとう!

渋谷の工事中のあの雑然とした人混みと、クラクラするような夏の日差しとともに

今日のこの気持ちはきっと忘れられないな~と思いながら

アニキたちと4時過ぎの渋谷の居酒屋の生ビールに突進していってしまった私でした。

………… …………

そして16日・17日は食堂当番。

かき氷やおやきの試作をしながら、一人店番は大忙し。

17日にはサトーちゃんが助っ人で来てくれたのに、たいした売り上げはなかったけれど

なんだか賑わいいっぱいのかたつむりとなりました。

近所のちびっこが「かき氷だ~!」と走ってきてくれます。

お母さんたちも集まって、笑ったりしゃべったりしています。

幸恵のお母さん(84)が、おやきを教えにきてくれて、みんなで失敗しながらやってみて

そこにコーヒー豆を持ってきてくれた鈴木君たちも加わり、常連さんがきてくれて……。

売上は………だけど、これだけでもう十分だな~と思えるぐらい、

かたつむりには笑顔と会話と元気があふれていました。

いつかチカオさんが言ってくれた名言。

食堂になにがあるんですか?「コミュニケーションだ」。

お金はない。小屋もまだまだポンコツ。でも何かがとっても豊かなのです。

♪♪ 尋ねまほしき当信(たにしな)の ふりにしさとの跡とえば

   神のやしろに川の名に 流れて世にも残るなり

私の頭の中に、いつまでも信級小学校校歌が流れているのでした。

今年の夏はお盆もフル営業!

校歌のCDブックセットも販売する予定ですのでご購入よろしくお願いします!!


 

 


なんと、7月15日に渋谷のコミュニティFMラジオで、信級のことを喋ることになりました。

東京在住の信級生まれの先輩である寺島祐二さんに声をかけていただいたのです。

祐二さんは私が3歳まで暮らしていた山の上の集落「林」の下の集落「栃ノ木」で生まれ育ちました。

私の両親が尊敬し、兄のように慕っていた「栃ノ木のとうさん」。

栃ノ木の家には、庭の前の木の下に、湧き水を溜める井戸のような水場があり、

夏行くと そこにスイカやビールが冷やしてありました。

「ここの水はうまいんだぞ」とフキの葉っぱを摘んでくるっと丸めてコップにし、父が飲ませてくれました。

牛もいた、ニコニコといつも優しく笑って迎えてくれるおばさんもいた。

そこの家の2番目の息子が祐二さんです。

もう最近までずーっと会っていなかったけど、なんだかひとたび顔を合わすと懐かしさがこみあげる。

ふるさとの底力はすごいもんです。

で、「のぶしなカンパニー」を始めてから何かと応援してくれている祐二さんが、

今回の「渋谷のラジオ」出演を段取りしてくれました。

お国自慢の番組があって、そこに私とともに出演し、大いに信級を語るということでございます。

ありがた~い!!

東京の真ん中で「信級」の名前を発信する。なんてすばらしいんでしょう!!

で、その連絡事項のメールをいただくなかで

「校歌の音源があったら持ってきて」との指令がありました。

校歌とは、今から40年前に廃校になった信級小学校の校歌のことです。

この校歌、長野県民ならだれもが歌える「県歌・信濃の国」の作者と同じ浅井冽の作詞です。

信級出身者の集まりでは、同級会であれ、在京信級会であれ、常に「〆」は校歌斉唱!

そのぐらい沁み込んでいる歌なのであります。

校歌がラジオから流れる……しかも渋谷のラジオ。

考えただけで胸が熱くなってきます。いいっ!すっごくいいっ!

祐二アニキの発案に一も二もなく大賛成です。

で、校歌が録音されたテープでもレコードでもいいから、どっかにないか

こころあたりに声をかけ、探してみました。

いろんなしかるべき人に聞いたり、信州新町支所にもお願いして探してもらったりしたのですが

「どっかにあったはずなんだがな…」「もう40年もたってるからな~」といった状況で

音源を見つけることはもはや不可能と思われました。

そんななか、支所の藤森さんが「かたつむり」で集まりをやったときに

「楽譜だけはあったんですよ~。学校の記念誌のなかの1ページにあったのを探してコピーとってきました」

とA4一枚のぺらっとした楽譜をもってきてくれました。

おおおお~~~!

楽譜がみつかった。歌える人はまだまだたくさんいる。だったら歌うか!!

というわけで、移住民の西川ちゃんに

「あんたピアノ弾けたっけね。校歌をみんなで歌うから伴奏してくんない?」と頼み、

前から信級に取材に来たいと言ってくれてたSBCラジオの小森君に

「力を貸してほしいんだけど、録音してくれない?」と頼み、

通信を配る時に「校歌を歌いませんか」とお知らせを回し、

7月7日金曜日に、学校で校歌の録音会となりました。

私の母カツエやおばタマエ、としゆきオジをはじめ、ムラ子おばさん、

そして「校歌を覚えて歌えるようになりたかったんです」という移住民のゆみこさんなどなど

総勢10名の村民に加え、その日に遊びにきていたきぃちゃんたち友達3名、

そして楽譜を見つけてきてくれた藤森さんまでが集まってくれました。

校歌の歌詞をプリントした紙を配ったものの、みんな覚えているので紙などいりません。

西川の電子ピアノの伴奏、藤森先生の指揮に合わせて、校歌を何度も歌いました。

     ♪ 山水清く秀でたる 信級村はおのづから 人の心もすなおにて 生業を怠る家もなし

  ♪ 進みゆく世におくれじと いとも広らにきづきたる 学びの庭の教え草 栄ゆくこそうれしけれ

  ♪  尋ねまほしき当信の ふりにしさとの跡とえば 神の社に川の名に 流れて世にも残るなり

何度も何度も歌ううちに、みんなの声も大きくなってきました。

それと同時に、校歌の歌詞の意味が心に沁みる……。

いまは公民館として使われている学校の教室。

周りには歴代校長先生と、信級村村長さんの写真。

そんな昔からの目に見えないものに見守られながら、信級小学校校歌の録音が進みました。

「小学校も中学校もおんなじ校歌だからね。今はやりの小中一貫教育だで~(笑)」

「また学校に入学してえな~(笑)」

本当に歌詞の通りの信級です。

だんだん良くなっていく合唱。

最後、これでいいかといったときに遅れてやってきた和正さんも加えて 歌ったちきには

市民合唱団のごとく素晴らしい校歌斉唱になりました。

………………

いろんなことがわからなくなってしまったお年寄りでも

枕もとで「校歌斉唱」というと、目がしゃっきりしてこの校歌を歌うそうです。

一瞬にしてみんなと校歌を歌ってた小学生の頃に戻っているのかもしれません。

校歌ってすばらしい!

そして、違う土地から移り住んできた人が、この校歌を覚えて歌ってくれる……。

なんだか信級ってところがほんとに魂のふるさとなんじゃないかと思えてくるのでした。

やがて校歌を歌ったこともない人が増え、校歌は忘れられていくのかもしれませんが

この歌のなかに生きている想いは、なんとか伝えていきたいな~と思いました。

7月15日(金)15時~15時55分 渋谷のラジオにて校歌を流してもらいます。

ぜひぜひたくさんの方に聞いてもらいたいです。


 

 


安倍首相が、先日の講演で

「あいまいにしていたことがいけなかった。今治だけでなく、獣医学部を作りたいところがあるなら2つでも3つでもどんどん設立を認めていく」と言っていました。

この発言を聞いたとき、とうとう安倍さんおかしくなっちゃったのかな…と思いました。

だって、 あいまいにしているのは加計学園に決まった経緯や理由なんであって

2つでも3つでも国のお金で獣医学部を設立してどーすんだ!って話です。

うようよと獣医学部ばっかり作ってるなら、その予算をもっと他のことにつかってちょーだい。

信級に温泉付きの小さなデイサービスを作りたいんです、私たち。

年寄りの一人、二人ぐらしの多い信級では、みんなのすぐそこにある未来の暮らしが心配です。

たとえ冬だけでも、みんなが集まって、少し大きな温泉お風呂にいつでも入れて

バリアフリーの広いトイレがあって、

みんながそれぞれにできることをもちよって、共同で暮らせる場所がほしいんです。

足は痛くても手は動く。だったらゴボウは刻んでもらう。しめ縄を作ってもらう。

おやき作ったりしてもいい。

ゆっくりでいいからいろんな仕事もしてもらう。

そんなふうにみんなが少しずつ役立ちあって、そこに私たちのような食堂も関わって、

保育園や小学校に行ってる子どもたちが帰ってきたら、その場所でお母さんやお父さんが帰ってくるまで預かって

お年寄りたちと遊んでいたり宿題やったりして。

ときどきはピンポンパン体操みたいな体操やバランスボールを子どもと遊びながらやったっていいし。

そんな場所をピカピカの新しい建物じゃなくて、いまある古い建物を利用しながらつくれないものかなあ、と思うわけ。

私たちにないのはお金です。

獣医学部を新設することを思えば、お金なんていくらもかかりません。

でも、そういうことには国はお金を使おうとはしてくれないのです。

総理大臣なら国民の一番弱いところに眼差しを向けてほしい。

強いものをより強くすることで国を強くしようと思っていると

その先に出てくるのは力の比べ合いであり、戦争です。

鶴見俊輔さんは、自殺していいのはどういうとき、という質問に

「目の前で誰かを殺せと言われたときと、レイプしろと言われたとき」と答えていました。

これはあくまで鶴見さん自身の判断です。

戦争中に、国の命令で誰かを殺した経験がある人がいるかもしれません。

その時の狂った状況の中で、現地の女性を強姦した人がいるかもしれません。

人間は、戦争という狂った状況の中では、そのことが正当化され、もしかしたら

こんなにいいお父さんが、とても礼儀正しい青年が、こういうことをしてしまうかもしれないのです。

それは、「死」と同じ……。

なんとなく、いま鶴見さんのその眼差しを、ものすごく感じる毎日です。

前文科事務次官だった前川さんのことを「次官の地位にめんめんとしがみついた……」と言っていた菅官房長官。

そんな人じゃなかった…前川さん。

この間の新聞の投書に、夜間中学校をつくって人種や国籍の別なく学ぶ機会をつくってこれなくてごめんなさい、と謝ってくれた人だ、という記事が載っていました。

大人のくせに一人の人間を薄汚い言い方でイジメてたのだから謝りなさいよ。

籠池さんのやってきたことの良し悪しは別にしても

昭恵さんまで名誉校長になっておきながら、犯罪者にして葬り去る方法もどうでしょう。

子どもたちが見ていますよ。

「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」と小さい子供が言ってたじゃないですか。

国の土地を8億円も値引きしたのはなぜなんだ、という疑問に財務省も大阪府もひとつも答えてはいないのです。

責任とるのは籠池さんだけですか?

このまま憲法改正までもってくつもりかもしれませんが、

神様は全部見ていますから。

悪いことをしているときっとどこかで罰が当たると思います。

思いもかけないところから自分を滅ぼすものが出てくる。

そんな予感がするのであります。

まあ、国はどうあれ、われらは田舎の片隅のちっちゃな地区で、助け合い支え合い、

笑い合い、泣き合い、育ちあえる、そんな居場所を作っていくのだ~!!

岩盤にドリルで穴を開けるのでなく

草むらに雨露みたいに沁みこんで土壌を豊かに変えていく

そんな変革がいいよな~と思うのであります。


先日、知り合いのカメラマンからこんな話を聞きました。

ある日、警察官が自宅に来たんだそうです。

「○月○日○○公園で写真を撮っていませんでしたか」

「ええ、撮ってました」

「その時の写真を見せてください」

「どういうことですか?」

「実は、あのとき写真を撮られたらしい子どもが『怖かった』 と母親に報告し、母親が警察に訴えられてこられたので、そのときの防犯カメラにうつっていた車のナンバーから調べて○○さんを特定しました」

「ええ~!そうなんですか。うちの子どもも遊んでいたし、子どもたちがの表情が良かったんでスナップ写真を撮っただけですけど」

「とりあえず見せていただいていいですか」

カメラマンだからいつもカメラを持ち歩いている人です。

ふと出会った風景や、小さな瞬間を撮りたい。カメラマンとしたらごく自然なことです。

そんな彼が通報されてしまいました。

警察官に写真を見せて、ヤバい写真は何も撮ってないことを見てもらい、それで信じて帰ってもらえるのかと思いきや

「そしたらこの書類に署名していただいていいですか」

と言われました。

その書類は「警察署長殿」と書かれた「上申書」だったそうです。

「いきなり上申書に署名させられたんですよ。めっちゃ気分悪くなりましたよ」

………ああ、嫌な世の中。

子どもたちに変なことする変質者がたくさんいるから仕方ないのかもしれないけれど

嫌な世の中になっちゃったんだな~と思いました。

カメラを向けると子供たちがみんな集まってきて、撮って撮ってとせがんでくる、そんな

「さっちん」の時代は、もはや過去のパラダイス。

監視社会、密告社会はこんな田舎の町ですらもう始まっているのです。

そのくせ、毎朝の登校のとき、誰にでも「おはようございます!」「おはようございます!」とあいさつ運動やってるのであります。

「人を見たら変質者と思え」「誰にでも挨拶する人間になりましょう」

これって矛盾してませんか?

いま、中年のオジサンが一人で公園のベンチで考え事してたりすると通報されてしまうそうです。

公園のベンチって何のためにあるのでしょうか。

パリの公園のベンチでおじいさんがずっと本を読んで座ってる光景、ああいいな~と思ってみたことがあったけど

日本ではもう、蛍光塗料のついたタスキに「子供を守る安心の人」とか書いたのをかけてないと、安心してウォーキングもできません。

先日は、信州大学教育学部の入口でも、事務方の人たちが立って、通学してくる学生にむかって

「おはようございます!」「おはようございます!」と声かけしていました。

えええ~~?大学生でしょう?なんで大学生に朝のあいさつ運動なんかやってんの?

こんなことでコミュニケーション力のある人間が育つはずがないじゃないですか。

挙句の果てが国会議員の「こうなってはいけない」という人間博覧会状態。

「開会閉会にかかわらず国民にていねいに説明責任を果たしていきたいと思います」と総理大臣が言ったのに

与党は話し合いのための議会すら開こうとしないのです。

菅さんは、「怪文書とは言ってません。怪文書のようなもの、と言ったんです」とか言って己の非を認めない態度。

嘘つきじゃん。子どもたちにどう説明する気でしょうか。

証拠の文書を公表して国民に知らせた官僚は、左遷されたり降格させられたり、あからさまな報復をされてるそうですが、

これって、いじめの現場を見た子どもがそのことを伝えようとしたら苛められるという、まったくのイジメ事件と同じからくり。

それを、もと学校でさんざんヤバい子どもたちに向き合ってきた「ヤンキー先生」がやってるというところが残念です。

また、東大法学部だかハーバードだかを出た女性の議員さん、

秘書に対してあのすごい声と態度で「ハゲ~!」とか言ってるのって、国会議員以前に人間として病気でしょう。

国会議員のセンセー方はこういうパワハラみんなやっているんだろうな~と思いますが。

先日、「Days Japn」の山城博治さんのインタビューを読んだら、あまりにも人権を無視した国家権力の暴力で頭がクラクラしてきました。

山城さんは 5か月間も拘束され、家族に会う事すら許されず、その後も仲間たちに会うことも禁じられているそうです。

辺野古の反対運動の先頭になってきた山城さん。

彼が生涯で受けてきた不当な扱いは、まさに沖縄に対する扱いそのものだと思いました。

彼を筆頭に沖縄の反対運動は共謀罪で合法的につぶされることでしょう。

そんななか、安倍さんからトカゲのしっぽとして切り捨てられた籠池さんの奥さんが、

いかにも大阪のオバちゃんという感じで

「安倍さ~ん、うちのおとうさんをこれ以上いじめないでくださ~い」と言っているのが笑えました。

どんな時でも夫婦仲良し、家族は一致団結。

ある意味すばらしい籠池ファミリーなのかもしれません。

日本は国際社会から見てもかなりヤバい国になってきているみたいです。

水にカエルを入れたままだんだんと温度を上げていくと、煮えるまでカエルが入っているということを聞いたことがあります。

真綿で首を絞めるのたとえもあるごとく、国民が「わからな~い」と言ってるうちに、

日本はかなりヤバいところまで来てしまっている。すべては国民の責任であります。

子どもが素っ裸で走り回ったり、ゴミと一緒に入れ歯を捨てられちまった~と笑ってたり、

社会の窓全開で生きてたり、にんにくの芽を「アスパラ」と言ってたり……そんな信級がパラダイスに見えてきます。

本日は沖縄慰霊の日。

世の中が1ミリずつであっても平和に向かって行きますように。

 

 


食堂かたつむりがオープンして1カ月が過ぎました。

信級は国道19号線から山に入って、さぎり荘という元町営だった温泉施設から、

さらに祖室渓谷という断崖絶壁のくねくね道を10分ほど行った、山の中の里です。

言わずと知れた典型的な過疎の村。

こんなところにオープンした、拾ってきたようなもので作った「食堂かたつむり」に、なんとなんと、たくさんの人が来てくれました。

「食堂?(笑)誰が来るの?」

「やめときな。無理無理……」

そんなふうに言われながらの食堂づくり。

そうだよね。そう考えるのが自然だよね。ごもっともでございます。

でも、何もないから何でもある、というのがわれらの考え方です。

お店も、自動販売機も、看板も、明かりもない。水道もないから下水道もない。

あるのは、田んぼと、カエルの大合唱と、真っ暗な夜の闇と満天の星、ヨタカの鳴く声、川の音……。

お金を出しても買えないものが、山ほどあるのです。

その豊かさを味わってもらいたい。

交通不便だけど、それでも来たい人だけ来てください。というのが「かたつむり」。

不便だから守られているもの、残されているものがあるんです。

「便利」より「不便」のほうが人には優しいし、「高速」より「ゆっくり」のほうが豊かなこともあるのです。

アナログは人間的なり、でございます。

なぜだか、「かたつむり」にいると時間の流れ方が遅くなったような気がしてきます。

都会ではもう手に入らないものだけがある……。ある意味の贅沢じゃん?

食堂では、最初お祭りの神楽隊の打ち上げ用のつもりで置いた生ビールサーバーを、常設にしました。

金曜日だけバル(居酒屋)として夜営業もしているのですが、

もう、臨時設置の段階で昼間から「生!」と注文してくださる村人がいるのであります。

ひと汗かいた後の生ビール、最高!

村で飲む生ビールはまた格別でっせ~!

メニューは、村で採れる山菜や野菜を使った日替わりの「信級定食」が定番。

山男の石坂さんが長者山から採ってきてくれる山菜を使い、

村に移住してきた福島出身の優美子さん、父ヨシローの同級生だったしんたくのおじさんの娘さんで栄養士の幸恵ちゃん、

この強力な二人の料理人に腕を振るってもらい、毎日すばらしい定食ができてます。

Facebookに写真を乗せると、たくさんの「いいね」がついてきます。

おかげさまで、開店以来、お客様ゼロの日はなく、なんとご予約もボチボチいただくありがたさ。

地元信州新町の尾澤酒造さんが生ビールサーバーの設置から飲み物用冷蔵庫の中古探しまで手伝ってくれ、

ほんと、皆様のお陰様で、前評判を裏切って、まずまずの快進撃(?)を続けております。

オープン前の4月に来てくださった椎名誠さんが、連載をもってる「サンデー毎日」と「アサヒカメラ」に

信級のことを書いてくださって、これがまたいい追い風になってくれました。

食は、誰にも共通のもの。

それがいいんです。ダイレクトに体の真ん中に入ってくメッセージ。すばらしいです。

食堂の建物をお借りしている大家さんの吉澤さんと、カウンターの杉の一枚板や山菜などの食材を提供してくれている石坂さんは

ほぼ皆勤賞で、カウンターに並んで生えてる独特の植物みたいな感じになってきました。

二人とも一人暮らし。

余ったみそ汁を温めて食べてもらったとき「ああ、うまいな~。やっぱり、みそ汁いいな~」と言ってくれたのが忘れられません。

食堂かたつむり、胃袋からみんなを応援していく。みんなを見守っていく。改めてそう思いました。

人がいて、居場所があって、そこに会話があって、食べ物がある……。

それだけでいいじゃないか!と思うわけです。

時々は青年たちが飲んだくれ、若いお母さんたちが子供と座ってしゃべり、親父たちが「生」飲んで帰る。

そんな食堂かたつむり、あって当たり前みたいな、地元になじんだ「寄り合い場」みたいな店になれたら、と思います。

短い中で、いろんなことがあり、一つ一つが濃い物語のような出来事なのですが、それはまた別の機会に紹介します。

なにしろ、村民が一人一人キャラクターが立ってて、ドラマにしたら「北の国から」みたいな感じなんです。

笑えて、泣けて、ジンとくる。人が生きてくって、いいですよ~!

………………  ………………

沖縄の元太田知事が 亡くなりました。

摩文仁の丘の平和の礎に行ったとき、あの石に刻まれた夥しい名前に胸が詰まりました。

 敵味方の別なく、あの石に刻まれた名前は、今も増え続けているのだそうです。

 数字じゃなく、一つ一つ名前のついた「人」としてそこにある命。

あの礎をつくったのが太田さんでした。

共謀罪が通れば、辺野古の反対運動も真っ先につぶされるんじゃないでしょうか。

沖縄の心を、虐げられ通してきた沖縄の、あのサトウキビ畑に埋められた涙を、伝えた人でした。

嫌な時代になってきました。

安倍さんはあまりにも長く権力の座にいすぎて、自分でも気が付かないうちに周りから「忖度」される人になってしまいました。

「気が合う」というトランプさんは、アメリカでジャーナリズムや議会から様々な追及に会っています。

なんだか日本の安倍さんとも状況が似ています。

でも、腐ってもアメリカは民主主義の国。

日本では、文科省の内部調査では告発者を犯人探しにするらしく、もはや密告ムードが漂い始めました。

国民主権なんてない日本です。

地べたから湧き上がってくるような民意、 太田さんが沖縄で訴えたときのような

あの民意の熱が、いま熾きてこないものかなあ、と切なく願う今日この頃です。

………  ………  ………

日本の片隅のど田舎から、未来を生きてくための大事なものを見つけていきたい 。

もはやなくなりつつある人間や暮らしの原型が、かろうじて残されている場所が

もしかしたら生き残るためのサンクチュアリかもしれません。


5月3日憲法記念日、信級の「食堂かたつむり」が開店いたしました!

そしてまた、この日から3日間「善光寺花回廊」の里山コーナーにも出店ということで

まさに怒涛のような連休と相成りました。

すべての準備をできたのが前日の2日のこと。

長針ちゃんに無理言ってやってもらった看板や、花回廊で立てる「のぶしな」と「わさび丼」の旗も用意して

花回廊で配布する信級と「のぶしなカンパニー」を紹介した「かわら版」の印刷も、

知り合いの印刷屋さんに無理言って一日で印刷してもらい、

信級のこごみ、こしあぶら、タラの芽、モミジガサといった山菜の袋詰め・定価シール張りもやり、

会くんちのお寺から借りた一升炊きのお釜2つで、ご飯の試し炊きとわさび丼の試食もやり、

カレンダーの裏側にビラも書き……とまあ、文化祭の前日のような騒ぎでありました。

困ったとき、いつも助けてくれる野沢さん、庄ちゃんに、今回もまたどっぷりとお世話になり、

「もう、ちゃんと指示出してね」とか言われながら、なんとか実践がイメージできるところまでこぎつけました。

…………

食堂かたつむりのほうは、地元の浅野さん、 壁塗りから手伝ってくれてる友人のサトーちゃん、そして私の3人体制。

保健所と水をめぐって滅菌機をつけないといけないのか浄水器でいいのか、ということを問答していたので

はたして連休のオープンまでに保健所の許可がおりるのか読めない状況で、

食堂のオープンについては、ほぼお知らせできていないままでおりました。

結局水の問題は30万円もする滅菌機を設置し、塩素を注入するという事で決着。

せっかくの湧き水に塩素注入を義務付けする保健所に、なんども頭に来ました。

そしてまったく計画になかった30万円の出費も痛い……。

でも、営業できないことには何も始まらない、ということで涙を呑んで滅菌機を設置したというわけです。

花回廊で目玉にしている「わさび丼」も保健所としては販売してはならず、と5月になってから言われ苦渋のオッケーをギリギリにいただきました。

でも…販売しないっておコメ代やわさび代、容器代は誰が負担するんだ?

販売予定ですでに仕入れてしまったもの、せめてその実費ぐらいはなんとか回収したいじゃないか。

と、いうわけで募金箱を置き、試食したひとには寄付してもらうということにして挑みました。

保健所ってところは、最初は「いいわ、いいわ」みたいな顔してて途中から「これもダメ」「あれもダメ」という。

だったらどうやったらできるんですか…と聞くのですが、これならいい、という方法はなかなか教えてくれないのです。

「できません。許可できません。」というだけで。役所ってほんとに責任を取りたくない組織なんだな、と実感しました。

ま、そんなことはいいのですが、

「食堂かたつむり」のオープン当日、朝からたくさんの方が食堂にきてくれ、出たとこ勝負で生み出した「信級定食」や「わさび丼」なども

おいしい山菜の力を借りて素晴らしいセットになって大好評!!

プレオープンのときにそばを打ってくれた小諸の陶芸家・岡本さんが送ってくれた、はねだしの陶器がこれまた大活躍で、

多少いびつであるとか、釉薬がはがれてるとか関係なく、「かたつむり」のテーブルにいっぱいお料理を乗せて役立ってくれたのでした。

祐さんとハルちゃん、おかんとおばちゃんと弟夫婦、そして仲間たちが駆けつけて、歌を歌ってくれたりして。

夜は関口さんちで翌日に花回廊で販売するワサビの花を束ねる作業のお手伝い。

8時過ぎてやっと家路についた初日でした。

4日は信級の神楽隊が、花回廊やってる下の末広町から新田町までを練り歩く長野市制120周年記念の「神楽フェスタ」 に参加ということで

信級はそんなに来ないかな~と思っていたのですが、そこそこにお客様あり。

連休ということで仲間たちがわざわざ信級まで足を運んでくれました。

そして怒涛の5日。

この日は、もうそんなに来ないだろう、とあなどっていたら、當信神社の春祭りに

信州新町の少年剣道チームが奉納剣道をするということもあって

オープンと同時にお店は満席、オフィスまで子上がりとして親子連れで使っていただく大盛況!

7名様、5名様という団体のご来店もあって、ご飯が足りなくなってしまい、急きょ浅野さんちのお釜を借りての対応となりました。

そして夕方からは神楽隊の打ち上げ慰労会。

4日5日と活躍した信級の神楽の面々が4時過ぎに集まり出し、

お刺身、ポテトサラダ、鶏から揚げが瞬く間に消費され、

生ビールからの日本酒で、大盛り上がり。

昼間からお神酒を飲まされてきたこともあって、定量オーバーにより酔っ払い大放出。

叫ぶは、寝るわ、川に落ちるわ、ゲロ吐くわの、大宴会となりました。

子どもに先導されたり、奥さんに連行されたりしながら、なんとかみんな家路につき

怒涛の3日間が嵐のように過ぎ去っていきました。

花回廊のほうも、途中あまりの晴天でリーダーの周平も熱中症気味になりながらなんとか持ち直し、乗り切ることができました。

なにより「信級のぶしな」の名前をたくさんの人に知ってもらい、

「こんなところがあるんだ」と思ってもらえたら大成功です!!

「花回廊でチラシもらったから来てみました」と食堂に来てくれた人もたくさんおり、

ただの名もない山里の信級に足を運んでくれただけで感謝感激です。

……………

こんな感じで、よろよろなスタートながら、「食堂かたつむり」なんとか滑り出しました。

厨房スタッフに、父ヨシローの同級生の「しんたくのおじちゃん」の娘の幸恵ちゃんも加わってくれました。

幸恵ちゃん、なんと!調理師で栄養士。

「お父ちゃんが天国でみんな引き合わせてくれているんだよ」と、母カツエはだんだんスピリチュアルなことを言い出しておりますが、

あながち嘘とも言えないのかもな、なんて思ったり。

當信神社の窪田宮司さんも、「かたつむりに神棚がないといけないわ」と

神棚とお札をもってきてくれました。

みんながいろいろ持ってきて、やれることを持ち寄って、悲しみや苦しみも持ち寄って

つぶやいたり、笑ったり、けんかしたり、歌ったり、食べたり………

そんなみんなの営みがいつもある「かたつむり」になれたら最高です。



自分が年をとってきたせいか、最近とみにお年寄りの言葉やふるまいに心を動かされます。

放っておけば消滅するといわれ、水道も引いてもらえない限界集落の信級で

食堂作るんだ、村民を呼び戻すんだ、とドン・キホーテのようなことをほざいてやってる私たちをずっと応援してくれてるチカオさんは80歳。

冷ややかに見ている人たちから「食堂に行ってなにがあるんですか。いったいなんの得があるっていうんですか」と言われたときに

「………コミュニケーションだ」とポツッとつぶやいたのです。

私の頬に涙がつつーとこぼれました。

自分の生まれ育った村が消滅するかもしれないという絶望感のなかで

ほんの小さな希望を大事に大事に思ってくれているその想いがありがたく、

あらためて、私たちは食堂を作ってるんじゃない、コミュニケーションを作り出しているんだ、と思いました。

教えてくれるんです。

………………

もう一人、東京の三上勇さん。関東大震災の年に生まれた94歳。

激動の時代を生き、妻と二人で3人の子どもを育て、

妻を自宅で介護しながら最期を看取り、

娘さんたちの協力で、自分の人生のあらすじを本にまとめました。私が担当編集者。

私が伺うときは、いつも凛として、ちゃんとひげを剃って、きちんとご飯を食べ、にこにこしています。

東京大空襲、戦後のひどい欠乏時代など、すさまじい時代を必死の思いで生きてきたのに

それでも自分の人生をラッキーだったと語ります。

「今思うとどうなるかわからないような大変なことがあったけど、いつも誰かが助けてくれた。ほんとに私は人に恵まれた」と。

空襲で火の海になるなか、近所の家の燃え盛る建物の中に病気で寝たきりの人がいると知って助けに飛び込んだ勇さん。

「さあ、逃げよう」というと

「私は動けないから置いて逃げてください」とその人は言ったそうです。

「何言ってるんです!」と布団をひっぱると

長いこと寝たままで腐っていた布団がぼそっとちぎれました。

それでもなんとか引っ張り出し、そのまま生き別れに。

しばらくしたあと、その病気だった女性の身内の人が勇さんを訪ねてきました。

「亡くなった○○の身内の者だけど、火事の中で助けてくださった方を探し出して一言お礼を言ってほしいといわれ探してきました」と。

ギリギリのなかで、こんなふうにふるまえる人を、神様はきっと見捨てないんだろうな、と思いました。

この話、娘さんたちにも語ったことのない、辛くて切ない戦争の記憶でした。

ニコニコと朗らかで、平和な雰囲気の勇さんのなかに流れているあったかい愛。

人を壊すのは人だけど、人を救うのも人なのだ、と教えてくれました。

………………

そして、先日天に召された浜栄一さん。

浜さんは、私に自然を観ることの素晴らしさを教えてくれた方でした。

少年のころ、裏の谷で偶然出会ったミドリシジミの群舞。

谷から湧き上がるように、輝きながら舞い上がってくるエメラルド色の蝶に、浜少年は心を鷲掴みにされました。

そこから毎日毎日、谷に通い蝶を探し続けます。

石ころを投げ、それについてくる高さによって蝶の種類を判別したり、

そんな観察を続ける浜少年が記録していたその頃の観察ノートが、もう神がかっているような美しさなのです。

蝶に恋した少年は、その想いを生涯持ち続けました。

研究者にはあえてならず、職業人の道を選びながらも蝶の世界を観察し続けていた浜さん。

生涯、手描きで記録し続けた伝説の「浜ノート」の美しさ、確かさ、詳しさ、分かりやすさ……!

それは、浜さんがずうっと胸に灯し続けた蝶へのラブレターだったのかもしれません。

クルマも、パソコンも、ケータイも、そういった文明の利器は一切使わず、

頑なまでにアナログにこだわり続けた人でもありました。

その理由は、「便利なものを使い始めると、見えるものが見えなくなるから」というものでした。

何十年も、何百回も訪れるフィールドでは、この季節のこの天気、この日差し、この風、この湿度、この匂い……ということを感じると

「あの木の陰にあの蝶がいる」ということがわかるんだそうです。

五感を研ぎ澄ますと、浜さんの頭脳のなかにインプットされた膨大なビッグデータから、ピタッと絞られてくるものが、見えてくる。

探して探して、ずうっと何年も探し続けた蝶に出会えた時は、

森の中でその蝶といっしょに踊ったこともあったそうです。

その話を聞いたとき、たった一人で森に踊る浜さんを想い、感動で胸がいっぱいになりました。

わが社の4階に小さなギャラリー「からこる坐」ができたとき、お願いして浜栄一展をやらせていただきました。

美しい標本やノート、写真、点描画などを展示し、浜さんのトークの日には

なんとあの小さな空間に50人以上の人が集まってくれたのです!

あの記録はいまだに破られていないバッケンレコードとなっています。

先日、浜さんの訃報を聞いたとき、

春になって、やっと虫たちが動き出すこの4月に浜さん逝っちゃった、と思いました。

ご自宅の庭は、奥様と浜さんが二人で作り上げたビオトープでした。

あの庭に、どこからともなくやってきたオオムラサキが、ぴょこっと枝にとまったあと、

いつまでも庭を泳ぐように翔 んでいたっけ……。

あの庭の片隅の枯葉の下で、浜さんが大事に守ってきた蝶がそろそろ毛虫になって動き出しているかもしれません。

自然観察に行くと、いろんなものがひっかかってしまうから10mも進まないこともあるんだと笑っていたことがありました。

私が大事にしている「生物多様性」。

「いろいろな生き物がいることが豊かなんです」と教えてくれた浜さんの精神です。

ああ、もう一度会って、いろんな話を聞きたかったな~。

大事なことを教えてくれるのは、いつも長く生きてきた人間たちです。

もう、こんなふうに豊かに生きられる人は出てこないんじゃないでしょうか。

丁寧に生きること。誠実に生きること。自分の信じたことをやり通すこと。

そんなことを教えてくれるのが長く生きてきた人たちです。

高齢者は不要な人ではないのです。

高齢者は豊かです。高齢者の経験のなかに生きているものを大事に受け止めて生かしていくということが

いまとても大切なことなんだと思える今日この頃。春は今年も足早に行き過ぎてゆくのでありました。


久しぶりに体調を崩し、ほぼ10年ぶりぐらいに内科にかかってきました。

雨の中でペンキ塗ったり、カッパの下で汗だくになりながら壁塗りやったりしていたのがいけなかったのか

咳がどんどんひどくなり、夜中にせき込み始めると、もう喉から火花が出るかのごとく。

頭は真空になり、みぞおちは痛くなり、目は涙目になり……さんざん。

一年についぞティッシュなど買ったことがなく、ほぼガソリンスタンドのサービス品で間に合っていたのが

あんまり鼻かむから軟らかいのがいいので、ちょっと高い湿ってるタイプのティッシュの5個組を買ってきたのですが、

それがみるみる空になっていくのであります。

夫もだんだん鼻水が出るようになってきたもんだから、もうティッシュの消費量たるや、うなぎのぼり(?)

あんまりもったいないので2回は使おうと 、一度鼻かんだぐらいじゃ捨てないで、使ってないとこで2回ぐらい鼻かむことにして。

そんなことしてだましだまし過ごしてたら

フェイスブックに知人が「肺炎になっていました」みたいな書き込みをしてるじゃないですか。

ええ~!肺炎?!

いま肺炎になんかなったら大変です。

しかも夫はCOPDという肺の病気をもってるので、もしも夫に移って肺炎にでもなったら命取りになりかねません。

にわかに「大変なことだ~」という危機感に襲われ、咳→肺炎→夫も肺炎→二人で入院 という

バッドスパイラルの妄想が 真空の脳を埋め尽くした土曜日でありました。

紙芝居まつりの拡大実行委員会を休み、なんとか起きてみたものの

声はしわがれており、一回潰れて出来上がった芸者置屋のおばちゃんのような酷い声になってて具合悪い感満載。

毎朝、雨の日も雪の日も欠かしたことのないアヴィの散歩ですが、

「散歩はボクが行ってくるから寝てていいよ」と夫に言われ、

いよいよ私は具合が悪いんだ、という自覚を強くしたのであります 普段、元気者で多少のことでは寝込んだりしないだけに、具合悪いのにめっぽう弱い。

なんか、すでに立ち直れないぐらいの具合悪さで、膝もガクンガクンと力が入らず

階段降りるにも壁を手で伝って降りてくる有様であります。

「ねえ、悪いこと言わないから病院行ったほうがいいよ」と夫。

そんなこと言われても、支度して、車運転して出かけていけたら元気じゃないかい!

それにどこの医者行っていいかわからないもんな~。

ほんと日頃の備えがまるでないわけ。

「保険証どこにあるかわかんないよう」というと

「えええ~~!信じらんない。保険証って身分証明書なんだよ!」

具合が悪い上に怒られて、もう涙がちょちょぎれそうになってしまいました。

それでも、いっぱいカード入れてる財布を探してみたら保険証あった~!

よかった。さすがアタシだ。

「でもお金ないや~」今度は財布がからっぽ。

ってことは先に銀行回ってお金下ろしていかなきゃならないやん。え~ん(泣)

ボロボロのガクガクで、ゲホゲホの私。

化粧もなし、着るものももう膝のとびだしたパジャマもどきのようなズタボロで、

コンタクトも入れずに眼鏡かけて、なぜかハアハアと息を荒げて病院に行ったのでありました。

いつも会社に来るときに通ってくる道沿いに、たしか内科あったっけな~。

そんな感じで西高の下のところの藤井クリニックにやってまいりました。

受付で「どうされました?」 と聞かれ、「あの…咳が止まらなくなって、頭が真空でお腹も痛いんです」というと

「初診ですね、まずここに記入してください」

そこには持病があるか、薬にアレルギーはないかみたいなことを〇していくようになってます。

本当に具合悪いとき、こんなん書くの無理だろうな、と思いつつ記入。

まずは看護婦さんの問診。いろいろ聞かれ、血圧測定、体重測定。

体温計で熱も測ります。

「熱、あるだろうな。それほどじゃないけど7度はあるだろうな」と思いながら体温計を入れるとすぐさま「ピピっ」と計測の知らせ。

私、「はぁ、はぁ、はぁ……」としんどい感じで見ていると「36度2分、平熱ですね~」と看護婦さん。

うそ~!37度はあるだろう。いや、あってほしい!38度はなくていいから37度はあれよ~!

なんだか「平熱」といわれてがっくりときた私でした。

それから先生の診察。

「のど見てみますか。あ~ん」「あ~~~ん」

思いっきり声出してみましたが、「お喉腫れてませんね」という答え。

うそ~!赤くない?炎症あるんじゃない?

でも何もないんです。

「ウイルスや、どこかに炎症が起きてないか調べるので血液を採って検査しますね」と言われ、

採血もされ、ひじの内側にちっこい絆創膏貼って、その上からまん丸い脱脂綿も貼られて、しばしお待たせ。

再び呼ばれて診察室に入ると

「この値みるとウィルスはまったくありませんね。白血球も全く正常なので炎症もありませんよ」

うそ………!具合悪いのはなぜ?膝もカックンカックンしてるし。

「咳のお薬を出しておきます。長引くかもしれないので一週間分ぐらい出しておきますね」

ええ~!それだけ?せっかく病院に来たのに、あまりにあっけないじゃないですか。

そこで私、 「先生、注射一本ぶってくれませんか!」とお願いしてみました。

すると先生にこっと笑って「今はめったなことで注射はしないんですよ。お薬で大丈夫です」とおっしゃいました。

具合悪いときは注射一発だろ。それが病院じゃないの?と思っていた私ですが

もう、病院では簡単に注射しない世の中になっていたのです。

熱もない。炎症もない。ウィルスもいない。注射もない。

これってまるで大したことないじゃん!ほっとけば治るん!

と思ったら、足がシャキッとなりました。

スタスタ歩けるやんか!

そしたらいきなり自分のみじめな恰好が気になるったらありません。

膝の出たようなズボンに、起き抜けの顔に度の強い眼鏡かけて、もう情けなさのかたまり。

帰り道のベーグル屋さんでベーグル買って、グイグイ家まで帰ってきたら

なんだか元気になっている自分がいるではありませんか。

そっから洗濯機4回も回して大洗濯。

病院で処方してもらった薬を飲んだら眠たくなってゴンゴンお昼寝したら、なんだかスッキリしてきました。

あの体の脱力感と「もうだめだ~」的な絶望感はなんだったのでしょうか。

せっかくだからこのしゃがれた声を楽しんで、八代亜紀でも歌ってみっか。

いや、もんた&ブラザーズの「ダンシングオールナイト」か。古いな~あたしも。

なんだ、元気だったんじゃん。

体の調子がこんなに気持ちに引っ張られるとは、びっくりです。

ほんとに「病は気から」なんだな~と実感した出来事でした。

「…ったくさ~、こっちのほうが具合悪くなってきたよ」と夫に言われ、

たぶん私みたいな人間のことを単細胞というのだな、と痛感しました。

病院はちゃんと真実を突き付けて、その真実に向き合うきっかけを与えてくれるとことなのだと思った次第。

でも注射してほしかったぜよ。

 


 


2012年の12月に今のアイビーハウスに引っ越すことを決断してからというもの

ずっと片付けと改築工事を続けているオフィスエムです。

最初は倉庫の片付けから。

古書店の山ちゃんちの 倉庫をシェアさせてもらうことになり、まずは倉庫の古本の片付け作業。

床にザクッと積まれた本の山をそれぞれの棚に収納し、

それでも溢れ出る本は、別に借りている家に運んで、そこの本棚に収納。

その作業たるや、イワンデニソビッチのごとく、ひたすらほこりにまみれた力仕事でございました。

それとともに20年以上もいた会社の片付けがパラレルで進行。

その頃、父が入院して胃ろうにするしないの局面でもあり、

やれどもやれども終わらない片付け作業に疲れ果て、空を見上げて涙を流したこともありました。

そのとき、引っ越し先の4階建てビルの2階、いまの事務所をやすみ君につくってもらいました。

それで12月の一番昼が短い冬至の日に引っ越し。よりによって何故してその日。

これはまた、4階の壁から出動した滑車による吊り上げやら

後ろの窓を全部とってのコピー機の搬入など、これはこれで大変なものであったのですが

今から思えば、その時からが終わらない「片付け&リノベ」事業の始まりでした。

まず、春の開店をめざして1階の「まいまい堂」の改築工事。

壁を塗り、棚を作り、キッチンを整え、ドアを赤く塗り……4月にブックスカフェ「まいまい堂」がオープンしたのでありました!

それが2013年春のこと。

その次は、4階の改築工事。

ただの物置みたいになっていた4階を片付け、床を張り、階段を木で作り、ペンキを塗って、スクリーンを設備し、

2014年の晩秋、多目的に使えるフリースペース「からこる坐」ができました。

あれからたくさんの個展、コンサート、お話の会などやってきました。

そして最後に3階のキッチン「でんでん村」。

台所、トイレ、バスがついた生活感満載のこのフロアーは、家のリビングダイニングのように明るく機能的に

みんなでタイルを張ったり、床にワックスかけたりしながらつくりました。

それが2016年春のこと。

まだまだ「でんでん村」はフル稼働とはいきませんが、

なんとなく食に関するイベントや、仲間内の料理をしながらの会やら、ミーティングやら

はたまたタカエちゃんの官足法など、多目的に使われていく感じです。

そして「でんでん村」の完成とともにはじまったのが「のぶしなカンパニー」。

私が生まれた限界集落の信級(のぶしな)で、

今度は、元精米所だった小屋を借りて、拠点づくりを始めました。

とにかくなにもないので、まずはガランとした小屋の中に「ハウスインハウス」として1部屋建設。

オフィスになるカギのかかる部屋をつくってもらいました。

大工はもちろん、やすみ君。

夏には空き家の「いなばの家」を借りて、その家もお片付け。

周りの木を伐り、ボコボコしていた床を張り替え、お寺の要らなくなった畳をいただいて入れ替え、

いつでも泊まれる家として整備しました。

今年は、 カンパニーのなかに厨房を作り、食堂にするべくリノベーション中です。

われら本づくり以上にモルタルこねや壁塗り、ペンキ塗りがうまいです。

あるものは極力活かして使う。

古いものでも使えるものは利用する。

古材、古建具、古い家具、古い食器……大歓迎!!!!

昔、「北の国から」で黒板五郎が義理の妹である竹下景子のために

拾ってきた廃材やいらなくなったものを集めて作ってあげた「拾ってきた家」みたいに

いろんなものを寄せ集めて作ってる家。おもしろいですよ~!

これがまた不思議なことに、やってるといろんなものが集まってくるんです。

スギの皮付きの分厚い一枚板はカウンターに、

色の褪せた古材の柱はカウンターを支える柱に、

神社の御神木だった杉の角材は、道側の窓の受けるところに、

しまってあった建具をハウスインハウスの戸に使い、

格子の窓もすべてカンパニーの窓に使いました。

元燃料置き場みたいだったブロック塀囲みの建物もトイレになりました。

モルタル塗って、ペンキ塗ったら、これがまた素敵なんです!!!

間もなく第2期のリノベーションが終わり、信級に食堂がオープンする予定です!!

食堂の名前は……いま考え中。

食事提供できたら学生の民泊だって、合宿だって、イベントのときのお弁当提供だって考えられるようになります。

ゆくゆくは配食サービスだってできる!可能性が無尽蔵に広がるじゃあ~りませんか!

いまはまだ妄想かもしれませんが、

湧き水しかない信級の水は保健所通らないといわれながら、一発で水質検査クリアしたし、

やってみなけりゃわからないんです。

ダメで元々です。思ったことはやってみる!

いろんなこと限界になってる「信級」では、やる前からあきらめてしまっている感が漂っていますが

われらみたいな無鉄砲が、小さなことから一つ一つオセロの石をひっくり返すように不可能を可能にしていけたら最高です!

「信級で食堂?誰が来るの?」

「なんでそんなとこで食堂やるの?」

そうですね~!マーケティング的には可能性ゼロかもしれませんが

そういうマーケティングの考え方、もう脱ぎ捨てていきたいんです。

それがのぶしなカンパニー!!

笑顔が集まって、おいしい食事があって、人がやってきて、

自然とともに、年寄りも子供も犬も、いっぱいしゃべっていける、そんな食堂ができたら

もうそれで十分!!

信級に暮らす人たちを孤独な年寄りにしたくないんです。

要らない村、要らない人間……そういうものたちが幸せに暮らしてもいいんじゃない?

………………

おととい、いなばの家で生まれ育った父ヨシローの同級生しげ子さん が電話をくれました。

「嫁さんにのっけてもらって信級に行ってきたんだよ。それでさ、イナバにも行ってみただ。窓の外から仏壇が見えて、一郎兄さんの遺影が飾ってもらってあったのがわかったの。家きれいにしてくれてあって、涙が出たよ。ありがとう。庭に生えてたふきのとうを採ってきた。ありがとう」

胸が熱くなりました。

片付けて、きれいにして、よかったな~としみじみ思いました。

オフィスエム、年々やることが多くなって、ますます何屋かわからなくなってきましたが、

どこかで人の役にたって、いつか誰かが喜んでくれたら本望です!!

いよいよ食堂開店までカウントダウンに入ってきました!! ドキドキで~す!!

 

 


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