「めっちゃいいよ~。もう最後号泣!もう一度観にいきたいと思ってるんだ~」

なんて友達にそそのかされて、久しぶりに映画を観に行ってきました。

「ボヘミアン・ラプソディ」というクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの生涯を音楽とともに描いた物語。

クィーンは、私が中学・高校時代に絶頂だったロックバンドで

高校1年生のとき、地元のSBCラジオのある番組で1日だけのDJを募集していたことがあって 

なぜか私がその1日だけのDJをやることになり、そこでかけたのがクィーンの「キラークィーン」でした。

まあ、フレディ・マーキュリーの並外れた声の迫力と、ロックと言うにはもったいないぐらいの音楽のクオリティに痺れ、

せっかくだからラジオから流してみたいという、たったそれだけのことでかけてもらったのでした。

そんなことまるで忘れていたのに、映画見てくっきりと思いだしました。

音楽って記憶装置だわ。

昔、リアルタイムでクィーンに会って、そしてまた還暦前のこの歳になって再び巡り会った……。

中学時代のボーイフレンドに再会したような、なんともいえない感慨が湧いてきました。

曲をほとんど知ってる。懐メロに近いかもしれないけど全然古びてないんです。

最後、伝説の「ライヴエイド」のシーンでは、思わず口ずさみそうになってしまいました。

なんだろう、あの1970年~80年代。

いまとは比べものにならないぐらいキラッキラして、エネルギーに満ちていた時代だったんだな。

クィーンの曲もエネルギーに満ちているもんな、なんて思いました。

それに比べて現代、なんとエネルギーが乏しくなってしまったことか。

世界に活気がない。

国会を見ていても、もう数の論理で決めるときは多数決で、反対意見があっても強行採決。

重要法案がいつの間にか浮上して、ちゃっちゃと決まっていく。

国民はそれでも怒るとか、文句を言うことはなく、不満を感じないように自分のことだけ考えて黙々と歩く。

なんか、クィーンが音楽やってた時代と比べると

生きるエネルギーがショボショボになってしまった感じがします。

考える力をスマホに奪われ、人と深く心を通わせる術をロボットに奪われ、

今やスーパーのレジまで自分で機械にお金を支払うようになってしまいました。 

商売の真髄はお客さんとのコミュニケーションじゃなかったのでしょうか 。

楽になる、人手が要らなくなる、便利になる……。

そういうことで人間として大事な何かが失われていく と感じているのは私だけでしょうか。

昔は友達の電話番号とか10個ぐらいは覚えていたのに、いま電話番号はスマホに入っているから覚えていません。

スマホがなくなったら公衆電話からも電話できないじゃん。

漢字だって、パソコンが「これですか?」と変換してくれたなかから選べばいいからどんどん字が書けなくなってる。

便利になるということは、人間から技術や記憶力や想像力、構築力みたいなありとあらゆる能力を奪っていく のです。

手塚治虫の「どろろ」では、手や足や、体の様々な機能を奪われた百鬼丸が、悪と戦いながら一つずつ取り戻していく。

そろそろ私たちは失ってしまった様々な能力を、自力で再び取り戻していかねばならないのではないか、と思う。

便利になりすぎると、考える力や感じる力もなくなっていく。

もう一度、生きていくためのアンテナを磨き、何もなくても生きていける力を回復していかなければ、

そのうち、自分の力では何も判断できない人間になってしまう気がするのです。

というわけで、私が限界集落・信級に関わっているのは、そういう現代文明へのチャレンジでもあるわけです。

信級これからやってみたいことがいっぱいありすぎて、でもそのどれもが一気にできそうな気がしています。

一つは、元おやき工場を借りてつくったキッチンラボで、

山国の生活文化のワークショップをやって、それをブックレットにまとめていきたいということ。

例えば、藁を編む・炭を焼く・山肉を喰う・茅葺きの縄文住居をつくる・保存食をつくる・動物と鳥と人が喜ぶ森を作る 。

みたいな学びと実践。

そして、週に1日だけ開店する小さな小さなコミュニティ本屋さんをつくる。

町から本屋が消えていくなら限界集落に作れ、なのです。

読んでもらいたい厳選の本を古書も含めて並べ、誰でも来て、いつまでも本を読んで良くて、ときどきは朗読もする。

「読み聞かせ」といった上から目線でない、耳で読む朗読です。

それから 長者山にアルプスの山々のパノラマ板ができたので、長者山から私が生まれた隣の林集落までの

昔の道を復活して山の上で行ったり来たりできるフットパスをつくる。

天こう峰の石仏巡りコースと併せて、歩く道が楽しるように。

それから、村の土蔵や小屋にほったらかされてほこりにまみれてる古い道具や家具をきれいにして蘇らせ

ギャラリーに飾って、ほしい人には販売もする。

ギャラリーの土蔵にはちょこっとガラス窓もつくって 外から眺めても楽しくて素敵な感じに。

そして、吉澤大家さんのところから冷泉を引っ張ってお風呂を作る。

なるべく粗野に、できるだけ手をかけずにつくって、川やお墓や山を眺めながら温泉に入る。

村の人たちや宿泊の人にも楽しんでもらうのです。

その水は、要らないときはアニキが作ってくれた水舟に流し、いつも水が満たされているように…。 

冬の間は、力のあるシェフに一日だけのレストランをやってもらう。月に一回ぐらい。

材料は信級を中心に、この近所にあるものを使って、お料理に合わせたワインもプロに選んでもらう。

一日3組限定で、長野と松本から送迎して安心してワインを飲んでいただく。

田舎の食材が一流であることを知ってもらうのだ~!

……とまあ、クィーンの曲を響かせながら、頭の中でいろんなことを考えている今日この頃です。

もちろん曲は Don’t Stop Me Now 。

 宿題山積ながらとりあえず11月終了。

まずは冬の「スペシャル田舎レストラン 」からやってみま~す!

あああああ~12月になっちゃうぞ~い! 


平成最後の秋が終わろうとしている。

次の春には新しい元号になる。

昭和に生まれた者にとっては3つ目の時代を生きることになる。

昔、近所に明治生まれのおばあちゃんがいて、

明治、大正、昭和の3つの時代を生きてるなんてすごいな~と思っていたけど

私もとうとう3つの時代を生きる年代物の人間になってしまった。

平成元年は、私がオフィスエムを開設した年であり、飯綱高原に今住んでいる家ができた年でもある。

つまり、会社も家も30年たったわけで、そのとき29歳だった私はしっかり59才という歳になった。

30年の歳月は、今振り返るとほんとにいろいろあって、でもあっという間のようで、

こうやって、目の前の今日に立ち向かっているうちに歳をとっていくのだなあ、と最近しみじみ感じている。

平成も終わろうかというこのとき、はたして私たちを取り巻く世界は良くなってきたのだろうか、と思うと

やはり、かなり「ヤバい」時代になってしまったのではないかと思わざるを得ない。

先日、鎌倉に行くことがあって、新幹線に乗って東京駅で乗り換えて横須賀線で行ったのだが、

東京駅の構内を歩いているとき、なぜだかSF映画の中にいるような感覚になってクラクラしてしまった。

若い子は耳にイヤホンを突っ込んで、会社員はみんな暗い色のスーツを着て、隣りの人とものすごく近くにいるのに

関係ないという顔をして、ものすごい早さで群れを成して歩いている。

その流れに逆らうようなところに入ってしまったものなら、高齢者の逆走車のようにめちゃくちゃな風圧ならぬ人圧が襲ってくる。

その光景が、ふと精神病の軍隊の行進のように思えてしまったのだ……! 

電車に乗ればみんながスマホで、まるで風景や他人には気を払わない。

こんなに近くに、触ろうと思えばすぐにでも触れられるところに人がいるのに、居ないようにふるまっている感じが

病気に思えてきて、薄気味悪くなってしまった。

こんなところにいたら健康な人でも病気になる。

電車も信号も水道も店もない、人口120人の限界集落から来ると

あまりにも多い人間の数と、不機嫌なまでの無視っぷりが異様に見える。

このスピードで歩けない人、人混みで音がよく聞き取れない人などは、もう東京は歩けない。

無言のうちに街が弱者を排除している 。

うちの母親など、もうエスカレーターが怖くて乗れない。

長野のヤマダ電機の2階に行くのだって大冒険 。東京なんて動き回れるはずがない。

より早く、より無駄を排して効率よく、というのを突き詰めていった結果、こんな都会が出来上がってしまったわけだ。

これって便利なの? 

そこへもってきて渋谷のハロウィーンのバカ騒ぎ。

仮装すれば、お面を被れば何でもできる。自分ではない誰かに変身できる。

子どもがお化けに変装してお菓子をもらって回る、素朴な行事とはまるでちがう顔なしの集団が

ただ悪ふざけして、それをマスコミもおもしろがって報道するからさらにエスカレートする。

顔を隠し、名前を隠してしか自分の内側を出せない若者の

ゆがんだバカ騒ぎが、なんだか切なくさえ見えてくるのだ。

書店に行けば「3分でわかる夏目漱石」「10分で世界史」 みたいな実用書が並んでいる。

それが売れているんだそうだ。

夏目漱石や世界史が10分や3分で わかるはずがないだろう。

このイージーさ。

スマホ時代のペラペラな早わかりブーム で、わかってもないのにわかったふりをしていることに「恥を知れ」と言いたくなる。

 この間、在宅ホスピスの草分けとして今もクリニックを営みながら一つ一つの命に向き合っている内藤いづみさんと話したら

今や、自分の最期の扱われ方という大事なことを、ある日、ちゃっと紙切れ一枚持ってきてYES,NOで聞き取られ、

それがファイナルアンサーとしてデータ化され「あなた、あのときこう答えていますよ」という最終決断にまでされる仕組みが

マニュアルになっているそうだ。

身内の最期の治療については、本人も家族も、いろいろ事前に思っていたって最後まで揺れるし、悩むし、簡単には答えが出ない。

簡単に答えが出ない……それこそが生きていくということの本質なんだろうと思う。

スマホで調べるウィキペディアのように、生きていくことの正解を導き出すことはできない。

3分でなんてわかっちゃいけないのである。

命に関わることを、ちゃちゃっと決めさせられるその先にはAI時代が待っている。

人間の人間たるゆえんは、悩むということであり、考えるということである。

一生かかってもたどり着けないことを、考えて考えて、迷って、悩んで、そうやっていくのが人間なのだと思う。

倫理とか哲学とか文学とか美術とか音楽とか……そういう正解のない世界を、

生きていくことの真ん中に据えて、内なる自分を耕すことをしていかなければだめだ。

文明とは、滅亡に向かって突き進む宿命なのだろうか。

でも、そんな発展とはまるで無関係のように、日本列島の山ひだには忘れられたように村の生活文化が残っている。

人口が一億を切って8000万ぐらいになる時代がやってくるという。

そうなったときに、ほんのわずかでしかなかった村々の暮らしの技術や文化がきっと際立ってくる。

顔が見え、名前がわかり、命が見えている小さな社会。

生まれて死ぬまでの命の手触りが感じられる社会。

高度に進んだ都市文明のカウンターにある田舎の暮らしが、

人間の直観を育て、健康な肉体をつくり、土と生きる術を教えてくれる。

という意味で、限界集落信級(のぶしな)には可能性があるかもしれないというオチでございます。

さて、今週土日は信州新町フェアに「食堂かたつむり」出店予定。

秋の幸いっぱいの「のぶしな弁当」と「柿の葉寿司」もチャレンジ 販売いたします。

3日4日両日とも各50個限定!さてさてどれだけ売れるかな~!

辺境から新しい時代が始まるのだ!がんばろー! 

 


木皿泉の「すいか」というドラマのシナリオ本を何度も読んでいる。

ずいぶん昔のテレビドラマで、小林聡美演じる早川基子という信金に勤めるさえないOLが主人公。

三軒茶屋にある「ハピネス三茶」という今どき珍しい賄いつきのアパートを舞台に

浅丘ルリ子演じる大学教授、ともさかりえ演じるエロ漫画化、 市川実日子の大家さん、という登場人物が何ということもない日常のなかの奇跡を淡々と生きていくドラマだ。

こういうアパートがあったらいいなあと思い、いつかは賄い付きの下宿屋をやりたいな、と憧れていたこともあった。

毎朝、一つの新聞を一枚ずつ回し読みし、 「半七捕物帳」を「ハンナナ」と言い、「泥船」という名のバーで知恵の輪をやる。その日常がおかしくて、そしてときどきポロっとこぼれ出るセリフが沁みる。

三億円を横領し、警察に追われている馬場ちゃん(小泉今日子)が、もと同僚の基子を訪ねてやってくる。

そのとき、お勝手に朝ご飯を食べた あとのみんなのお茶碗があり、それぞれに梅干しの種が入っている。

それをみて馬場ちゃんが「たった三億円でこういう生活を手放しちゃったんだよな」とつぶやいたり。

腐ったスイカの種を庭に埋めてお墓を作ってあげた基子に教授が

「お墓は安心して忘れるためにつくるんです。忘れていいんです」と言ったり。

なんというのか、日常生活の中に何気なくあることのかけがえのなさ、みたいなものを

いつも気づかせてくれて、ほろっとくるドラマだった。

この「すいか」というドラマは、たいした視聴率もとれなかったそうだが、

脚本は向田邦子賞 を受賞している。

不思議なことにドラマの放映が終わってからもジワジワとシナリオ本が売れたりしたそうだ

向田邦子もやはり日常生活の中にある特別ななにか、ざらっとした男や女の本音みたいなものを描いていた。

シナリオっておもしろいな~と思う。

私が今かかわっている限界集落のぶしなの「食堂かたつむり」での毎日も

ときどき、ドラマのようにおもしろいなあと思うことがある。

村の人たちの個性がそれぞれに際立っていて、そこで展開する日々の出来事の一つ一つがドラマになる。

ヨコメのおじさんが火事で亡くなったときのこと。

ひょこっとまじめな顔しておもしろいことをつぶやいてるチカオさん。

なぜだか小学校の頃から顔を合わせると喧嘩してるという幼なじみのおじさん方。

半ボケでおなじことばっかり言ってるおばちゃんと、そのおばちゃんを食堂においてちょっこし用足しに町まで行ってくるおじちゃん。

いろんな人がいい味を醸し出しながら、限界集落の今日を生きている。

このことを、いつかシナリオにできたらいいな、と思う。

食堂の目の前にお墓がある。川の向こうにもお墓がある。

のぶしなでは、死んだ人と生きてる人の境目があまりはっきりしていない。

いつもそこら辺に亡くなった人がいて、年寄りたちはあの世とこの世を行ったり来たりしてて 

みんな神様みたいになっている。

井上ひさしの戯曲ではないが、こういう世界もほんとにあっていいんじゃないかな、と思える。

梅干しの種、お店の名前が入ったマグカップ、みんなで食べるスイカ……。

そんな日常のありふれたものたちが、実は幸せというジグソーパズルをつくるピースなのかもな、なんて。

明日は信級の稲刈り。

台風24号が来ているけど、なんとかお天気もってほしい。

稲わらの匂い、田んぼの土の感触、チクチクする稲刈りの感触を記憶の端っこに刻みつけて

参加したみんなが笑って帰ってくれたらうれしい。

その記憶が、いつかどこかで、もしかして死にたいぐらいの気持ちになったとき、救ってくれる1つのピースになるかもしれない。

お米があれば生きていける。

生きていくってそういうことなんだ。ちっとも難しくなんかない。

そんな気持ちで、かたつむり田んぼの稲刈り大会。

おいしいお昼つくってみんなで食べるど~! 

 

 


ブログの投稿がずいぶんご無沙汰になってしまいました。

日々いろんなことがあるのに、その時々のことがなおざりになってしまうのはよくないなあ、と思いつつ。

すでに平成最後の夏のお盆も終わり、またもや怒涛の8月下旬となっております。

 

昨日は、私が生まれて3歳まで暮らした信級の林地区に、夏だけ一人で暮らしているムラ子おばさんに会いに行ってきました。

ムラ子おばさんは93歳。

耳も遠く、昨年からは診療所の診療日でない日に山の上からシルバーカーを押してきたりして

少しボケがはいってきたのかなあ、と心配していました。

ムラ子おばさんが暮らす林地区は、食堂のある中村地区から谷沿いの細い道をくねくねと上った山の上。

かつては、そこに4軒ほどの家があり、私もそこで幼児時代を過ごしました。

ムラ子おばさんの家は「あらしき」と呼ばれ、

うちの両親はおじさんのことを「あらしきの父さん」、ムラ子おばさんのことは「あらしきの母さん」と呼んでいました。
私たち家族は、私が3歳の時に信級を離れ、千曲川のほとりの上山田温泉 に引っ越したのですが、

亡くなった父は、ずっと信級との関りを大事にしていて、

なにかにつけて助けてもらってきた「あらしき」の父さん母さんは、

ある意味で身内よりも濃くて愛おしい存在だったと思います。

ムラ子おばさんは、冬になると山を下り、上田に暮らす長男の家に行きます。

そして春になるとまた信級に戻ってきて、山の上の林の家で一人で暮らしています。

でも93歳……。

腰は曲がるし、耳は遠いし、少しボケも入ってきて、子どもたちは心配の様子。

お盆の最後に、埼玉県に帰るという長女の弘子さんと、千曲市に住む次女の洋子さんが

食堂「かたつむり」に飛び込んできました。

「ねえ、あんたに相談があるんだわ」

そのただならない様子に「どうしたん?」と聞くと

「うちに週一回でもいいからお弁当届けてほしいんだわ」

お弁当とどけるのはいいけど、どうやら問題の根っこはそんなところじゃないみたいでした。

ムラ子おばさんを一人にして行けないということみたいです。

「おばさん、ちゃんと食べてるの? お風呂は自分で焚くの?」

いろいろ心配の種を聞いていくと、今のところなんとか一人でやっているものの

耳が遠いからテレビもよく見ないし、電話もよく聞こえない。

この間は腰が痛くなって、千曲市の洋子さんのところに連れて行ってもらって整骨院に診てもらったそうです。

そして、いろんな村の人たちに

「純子に言いたいことがあるだわ」「純子はいつ来るだや」と聞いてるそうで

私としても放っておけなくなりました。

娘たちといっても、もう弘子さんも洋子さんも60代。

私が小さいときに遊んでもらった近所のオネエチャンも、いい歳です。

お弁当以前に、もう福祉のサービスを受けていかないとダメだろうと思い、

二人と相談して、民生委員さんに来てもらって、まずは介護認定を受けようということになりました。

それから、ずっとムラ子おばさんのことが気になって

早く会いに行かなくちゃ と思っていたのです。

そのことを話すと「私も行く」と母カツエが言ってくれたので、

昨日は二人でおばさんを訪ねてきたというわけです。

 

「こんにちわ~。おばさん居るの~」縁側の窓を開けて 声をかけると

奥座敷のほうからノソノソトとムラ子おばさんが出てきました。

「おばさん、元気~?来るの遅くなってごめんね。お昼いっしょに食べよう?」

茶の間には低いソファがおいてあり、そこにおばさんとカツエが座りました。

「まあ、お前たち。来ただかや。」

元気そうだ。よかった。

「おれ、じっと純子に言いたいことがあっただわ。お前が小さかったときな、じっとうちに遊びに来て、じいちゃんが呼びにくるだ。そうしてじいちゃんと帰っていくだが、じいちゃんがまた他のことしてると、お前が来ちゃうだわ……」

前にも聞いたよ。おんなじ話。

「まだ、よくしゃべれないマサヒロが、おまえのことを”オンコ”っちゃ言ってさ(笑)。オンコ、オンコってな。こないだからじっとそのことを思い出すだ…」

何度も聞いているうちに、3歳ぐらいのころの、まだ記憶にもならないものが、

不思議と形を帯びてくるような気がします。

いまは人もいなくなり、すっかり荒れてしまった林だけど

あの頃は、田んぼや畑もいっぱいあって、子どもたちの声が響き、牛もいて、

幸福な山の上の集落でした。

ムラ子おばさんは、その時のことを何度も思い出して、私に会いたかったみたいです。

ジンとする。

「ねえ、母さん。母さんは何歳でお嫁に来ただ?」と母。

「24」

 「いまが93だから、じき70年だね~」

おばさんが、上田の便利な息子さんの家よりも、たった一人でいるこの林のあらしきの家にのほうがいいのは、

ここに70年も暮らしてきたからなのだな、と思いました。

「ここがいいだわ」

そう言ってしみじみと私を見るおばさん。デイサービスなんて行きたくないよな。

 

おばさんの旦那さんである信弘さん、母たちが言うところの「あらしきの父さん」は

山を知り尽くした人でした。

こんな山の中で暮らすには、水の在り処や、危ない土砂崩れ箇所や、

それこそ山菜の出るところや、近道や……山の中のことなら目をつぶっていてもわかるぐらい知っていました。

そのおじさんが亡くなったのは、山の中でした。

ある時、姿が見えなくなって、2~3日したとき、山の中で発見され、

消防団の誰かがおぶって降りてきてくれたそうです。

事故死……。その報せを聞いたとき、なんだか不憫で、哀れな感じがしたのですが、

それが、ムラ子おばさんや、家族たちは、意外とあっけらかんとしていたことが意外でした。

今にして思うと、あれだけ山を駆け巡っていたおじさんが、山で死んだこと。

畳の上でも、病院のベッドの上でもなく、山に抱かれて死んだことは、幸せだったのかもしれない。

おじさんらしい最期を遂げたことを、ムラ子おばさんや家族はある意味、さっぱりと受け入れていたんだな、

と昨日、おばさんを訪ねて思いました。 

そして、おばさんもまた、この山で、信級の人の住む集落の最高地点の、この林の家で

一生を全うできたら幸せなのかもしれないな、と思えてきたのです。

おばさんは、家にいる時、まるでボケている感じがなく、むしろ感覚的には極めて正常です。

耳なんか聞こえなくても、なにも怖くないって感じです。 

そして上田の長男アキノリさんもこの家が好きなのだと、おばさんが言うのです。

「あの子もせ、できればこの家にいてえじゃねえかな。ここがいいだわ」

そうか…。アキノリさんもこの家が好きなんだ。

春から秋まで、おばさんを一人でここに置いておくこと、どこかで「それが一番だ」と思ってる。

そう思ったら、おばさんが、ちゃんとみんなに思われて、大事にされてるんだな、

という嬉しさが広がりました。 


昔ながらの古ぼけたお勝手の流しには、湧き水が引き込まれ、

窓からは 谷を隔てて緑の山々が、そしてはるか向こうには飯綱山も一望です。

「夜になると、あの杉の木からモモッカが飛んで、それを見たっけね」と母。

縁側の前は急な斜面が迫っており、そこには紫陽花が植えられています。

「蚕やってたときは、この斜面を籠を背負って登ってって、桑をとってきたっけね~。こんな坂道なんてなんとも思わなかった…。お互い若かったねえ、母さん」

母ももう86歳。

窓からすうっと山の風が吹きわたっていきます。

人から見たら、こんな山の中の不便なところに93歳の女性がたった一人で暮らしているなんて、

なんて可哀そうと思えるかもしれません。

でも、おばさんには、なんの不便もないし、なんの恐れもないのです。

それどころか、山のことは全部わかっているし、動物とも虫とも共存し、

耳が聞こえなくても他の第六感、第七感、八感ぐらいまで、

ここでは作動しているんじゃないかな、と思えてくるのです。

それは、たとえばネイティブアメリカンのような、あるいはアイヌの人たちのような

自然と協調して生きる者ならではの穏やかさが漂っているのです。

私はここで生まれたのです。

そのことが、今になってとても貴重な、かけがえのないものに思えてきました。

 

おばさんが山を下りたら、この家はどうなるのかな。

家を全部きれいにして、ときどき私が泊りに来ようかな。

忘れかけた山の感覚をもう一度取り戻すために…。

「おばさんさ、あの家である日コトンと倒れて亡くなっても、それはそれで幸せなのかもしれないね」

「うん、山道でハマって死んでもいいんだよ」

「たぶん、子どもたちはみんなそれを分かると思うな」

「うん」

帰りの車の中で、母カツエとそんな話をしてきました。

バックミラーの中で、シルバーカーをもって私たちを見ているおばさんが、小さくなっていきました。 

小さかった私のことを93になって思い出してくれてありがとう。

おばさんのことを、私は生きている限り覚えていようと思いました。

山は草が生い茂り、また山に戻っていくみたいでした。 


5月の終わりころブログ書いてからすでに何週間も経過し、6月も半ばを過ぎてしまいました。

この間に、本業の出版で、昨年発刊した『信州の料理人、海を渡る。』(大友秀俊 文・写真)が

グルマン料理本大賞ローカル部門でグランプリを受賞するという快挙を成し遂げるわ、

信級では田植だ、畑だ、に加えて取り壊し目前の元おやき加工場を借りてきれいにしたり、と

やることだらけの日々で、気がつけば「あっ」という間に季節は春から夏へと移ろっていたのでありました。

グルマン料理本大賞は、コアントローというフランスのオレンジリキュールの会社がバックスポンサーとなっている

料理本界のアカデミー賞とも言われる賞で、

世界各国のその年に出版された何万点という本 から、さまざまなカテゴリーごとに1点だけがグランプリに選ばれます。

最終選考会は、ある時はパリのルーブル美術館で行われたりもしたし、

今回は中国山東省の煙台という都市で行われました。

昨年の秋から著者の大友さんが、フランス語の応募シートに必要事項を書き込んで送り、

12月には第一次審査を通過したとの第一報が届きました。

ここで喜んで周りに吹聴してしまうと、過去の事例では第2段階で落選、ということもあるそうで、

喜びたい気持ちをグッと抑えて時を待ちました。

「寺島さん、最終発表会が 5月に中国の煙台であるんですが、行きませんか」

と大友さんに誘われ、煙台ってどこ?と思いながら「行きたいです!」と即答。

しかしその時、私は右手首を骨折してギブスがはまっており、

写真を撮ってパスポートを取りに行ったものの、

「パスポートのサインは署名としてずっと使うものですから、右手で書いていただきたい」と窓口で言われ、

「いま、右手で字が書けないんで、左手でかまいませんか」と念押しすると、

「それですと、その後もずっと左手で署名していただくことになりますので、治ってからきてください」とあしらわれ、

やっぱりこれは行くべきでないってことなんだな、と断念。

その時点で、よもやグランプリはないだろうなと誰しもが思うわな~。

だって、田舎の出版社だし、初めての参加だし、世界中の本から一番になるなんて有り得ないし。

5月25日に出発するという大友さんに「朗報を待ってます」とメールし、

帰ってきたら、賞を取った世界の料理本を作ったひとびとの話を聞きたいな~ぐらいに思っていたのでありました。

それがそれが……大友さんから来たメールは「グランプリを受賞しました!」との内容。

えええええ~~~!!!

まさかの「ま」の字であります。

「信州の料理人、海を渡る。」は、軽井沢の星野リゾートで、バンケット部門シェフをしていた著者が、

仕事をやめたのち、パリで活躍する信州出身の料理人たちを訪ね、

彼らの料理に立ち向かう姿や、もちろんその料理、ふるさと信州がどのように生きているのかといったことを

自らの写真と文章で伝えた力作です。

ただのレシピを掲載した料理本とは内容が違う。

パリは食通の都でもあり、若い日本の料理人たちにとっては大変な激戦区。

そんな厳しい場所で、料理人として生き残ってるだけでもすごいことです。

そんな彼らが、なかなか見せない自らのバックヤードやスタッフとの関りをさらけ出し、

日々の営みを見せてくれたのは、大友さんだったからだな、と思います。

取材計画、帰ってからの文章整理、写真のセレクト、画像の調整、取材対象者への校正まで

すべてを一人でこなした大友さん。

ときに励まし、ときにはともに喜び、二人三脚でこの本を作ってきました。

登場する7人の若き料理人たちの姿は「情熱大陸」のようであり、

朝早くから寝るまでの時間すべてを料理に費やすその姿に、アスリートの姿を重ねたりもするのでありました。

そこを伝えた大友さんもまた、本づくりのアスリートなのであります。

………………

この本は、作っているときが楽しかったので、出来上がったときに「ああ、終わっちゃった…」という一抹の淋しさがありました。

本は、アナログなメディアだけど、心に届けるにはこの手をかけたアナログなものがいいんです。

人を語るなんて、そんなに簡単にできるもんじゃありません。

だからこそ、写真、文章、印刷、本……そういう手肌感のあるものが大事です。

開店前の調理場の緊張した空気、激しく動き回る手手手、舌の肥えたお客様の満悦の顔……。

そういうものの一切れずつが料理人なのです。

この本には、大友さんの、料理人に対する深い想いが、ページのそこここに種のように埋まってる。

それが本の力となって、今回の受賞につながったのだと思います。

 

受賞会場で、ノミネートされた本が机の上に陳列され、だれでもが自由に手に取って見られるようになっていたそうです。

その片隅にあった『信州の料理人、海を渡る。』 は、最終日にはボロボロになっていた、と大友さんが嬉しそうに話してくれました。

これが最高の誉れです。

この本が、本当に海を渡ってくれました。

大友さん、ありがとう。

そして、本がどこまでもどこまでも、太平洋でも大西洋でも飛び越えて飛んでいきますように。


国会では、財務省から「捨てた」といっていた森友学園関係の土地取引に関わる資料が出てきました。

日大のアメフト部では、若干二十歳の若者たった一人に罪をなすりつけ、学校も部も平気でいる。

最近のニュースを見ていると、

戦後の日本が目指し築き上げてきたものが、どん詰まりにきているように見えます。

組織や、そのトップを守るために下の人間が平気で嘘をつき、その嘘のつじつまを合わせるためにまた嘘をつく。

証人として出てきても、嘘とごまかししか言ってないのは見え見えだし、

国民に真実を明らかにしようなんて、爪の先ほども思っちゃいないのが歴然です。

官僚も政治家も国民に雇われている公僕であるにもかかわらず 

いったいあなた方は、どちらの側をむいてモノを言っているんですか、と言いたくなります。 

「膿を出しきる」「丁寧に説明をしていく」などと、上っ面のきれいごとは言うのですが、

膿の根元はどこですか? 

財務大臣の麻生さんも辞めないし、防衛大臣も辞めないし、

昼間に公用車でキャバレーヨガに行ってた林文科大臣も、誰も責任も取らず辞めもしない。

悪いこと、やりたい放題です。 

民間企業の常識では考えられない政府です。 

愛媛県知事だけが「私たちは正直に伝えているだけですから」といいながら証拠の文書をバンバン開示。

前知事が「そんなことしたら沖縄と同じように補助金が来なくなる」と忠告しているそうですが

正々堂々「国会のみなさんも文科省の方も本当のことを言えばいいんです」と 平気です。

とても清々しい!やはり新しい時代は地方からくる予感がします!

愛媛県知事、なんとか潰されずに生き残ってほしいです。 

変なスキャンダルをでっち上げられて、失脚させられるんじゃないかとハラハラです。 

…………… 

アメフトでは、反則タックルをやった20歳の選手が、たった一人で記者会見に臨んでいましたが

おばさん、胸が痛くて正視できませんでした。

だって、あの青年は反則プレーをやらせるためだけの「捨て駒」として利用されたってことでしょう。

監督やコーチから「つぶしてこい」といわれ、「さもないとお前の出番はないぞ」ぐらいのこといわれて

ホイッスルが鳴ったあとに突っ込んでいった…。

一発退場の危険プレーと知りながら相手チームのQBに体当たりし、その結果けがを負わせてしまった。

これって特攻隊と同じじゃないですか。 可哀そうすぎて痛々しいです。

………… 

戦後の日本は、科学技術優先で経済発展を一目散に目指してきました。

目先のごく短い時間のなかでの効率を求め、

モノも人間も、技術も、結局は使い捨てにしてきたのです。

ずるして、少しでも楽して、ライバルを蹴落とし、古いもの弱いものをつぶし、勝ち残ったものが成功者。

そうやって手間のかかる昔ながらの生活文化や、

生産性がなくなった高齢者や、 山深い地域の村を見捨てて

都会へ、大企業へ、お金儲けへ、Japan as No.1と国民を根こそぎ洗脳していったのであります。

…………… 

 昨日、茅葺文化協会 の安藤先生と話していて胸がすくような思いでした。

いま、小谷村の茅場を研究フィールドにしている大学の先生たちと「茅場」という定期刊行冊子の創刊に向けた最終局面で、

安藤先生にも取材させていただきまとめた原稿を、昨日はチェックしていただきに行ったのでありました。

先生は縦書きの文章を読むのがシンドイというので、私が音読しました。

「草(ススキ、カリヤス、カヤなどのイネ科の植物)という資源が未来に役立つときがくる」というのが

先生が語ってくれた大筋なのですが、最後にあんまりいいことをおっしゃてるんで、

音読しながら感動して目頭が熱くなってきた私でした。 

「ススキはなぜ草原の王者なのか」というくだり。

 ……ススキは草原を支配しているのではない。草原に生きる小さな生物や環境を養っている。だから王者なのだ……。

 まったくもって深く同意!!

支配者は「王」にはなれないのです。

さまざまな、そこに生きるものたちを支え、養い、その環境を作っているものが王者なのであります。 

今の日本のリーダーと言われている人たちに、茅の爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいです。

地上の茅は 一年サイクルの寿命で、芽を出しては育ち、枯れて刈られて、野焼きされてなくなりますが

地下では何百年も生き続けている根が張り巡り、CO2を蓄え、水を貯え、大地を守っています。

草は、牛や馬の飼料になり、畑の肥料になり、雪囲いになり、屋根になり、

何年かたった古い茅も良質のたい肥になるのでまったく無駄がありません。

短いスパンでみれば経済が合わないかもしれないけれど、長い時間の中でみれば

まったく無駄のない、素晴らしい資源なのです。

人口が8000万ぐらいに少なくなった時、今ある茅葺きが残っていて、草の循環が生きていれば

日本の未来の生活を草で支えられるかもしれない……。

茅葺き、そして草の文化は、きわめて未来的な循環型のライフスタイル の根幹にあるものなのかもしれません。

私たちが捨て去ってきたもののなかに未来を助ける素晴らしい知恵や技術がある。

そしてそれは「自然由来」のものなのであります。

信級もある意味で茅葺きと同じだな~と思いながら、カエル鳴く筑波山を後にした私でした。

 

信級では、今年は畑を借りて、ジャガイモ、綿花、ウコンを植えました。

これからタカキビ、ムクナ豆、トマトなども植える予定です。

もちろんお米も作ります。

まったくもって素人の真似事ですが、農業やってわかったことがあります。

それは、農業は未来を見ていく未来業であるということです。

種をまく、芽が出る、育つ、収穫する……それってすべてが未来を見ていく作業なのです。

だから信級の人たちは80歳になっても元気なのかも。

もしも山の方に空いてる昔の草刈り場があったら、ススキを育ててみてもいいな。

そして、今年の冬用にシェーンの小屋の屋根を茅葺きでやってみようかな。あったかいぞ~!

筑波大学、信級、小谷……日本の研究者のど真ん中と過疎の村を行ったり来たりしながら

日本の未来をみてる我らなのであります。 


私たちが「のぶしな湧水米」という名前で販売しているお米は

米作り名人の窪田さんが作っているお米です。

水道が敷設されていない信級では、全員が山からの湧水を引いています。

長野市がいくら「下水道普及率100%を目指します」と言ったって、

水道が来ていないところがあるんだから絶対に無理なのです。

21世紀のこの時代に、県庁所在地である長野市で水道が引かれていない地域があるのです。

しかし、それはふと考えると大変な希少価値です。

水道の水にいったいどれだけの薬品が加えられているか、と考えると

ある意味、無添加の山で湧いた水を毎日飲めるなんて贅沢なことであります。

衛生面のことを心配する方もいるかもしれませんが、

限界集落に暮らす民は、そういった心配をまるでされていない、いわば見捨てられてる民なのです。

お金を投資しても回収する目途がたたないし、

人口が減る中、都市づくりの方向性はコンパクトシティですから、へき地のインフラなんて整うはずありません。

話が横道にそれましたが、

「のぶしな湧水米」はそんな湧き水の里でつくられるお米を逆手にとって名付けています。

なかでも窪田さんは、村の米作りのみなさんが名前を挙げて「あの人の米だったら」と太鼓判を押す米です。

同じように作っても、そこには米にどれだけの気持ちを注ぎ、手をかけ、雨に日照りに面倒を見ているかが現れます。

窪田さんは、米の気持ちがわかる人。

物言わぬ生き物を愛し、いつも感じている人なのであります。 

窪田さんはアサギマダラという蝶を増やそうと、その食草であるフジバカマを植えています。

誰に言うともなく、ただ黙ってフジバカマを植えている。

そこがなんともかっこいいんです。

「あのさ、アサギマダラっていう蝶はものすごく遠く旅をするんだで。台湾や南西諸島から飛んでくるんだ。すげ~じゃねえ」

こんなことを目をキラキラさせながら話してくれるんです。

私に自然観察のすばらしさ、面白さを教えてくれた在野の蝶研究者・浜栄一さんを思い出します。

浜さんは、少年の時、偶然に出会ったミドリシジミの美しさに魅了され、

生涯を蝶の観察や調査を続けた方でした。

浜さんが何年越しで憧れの蝶に出会った話などは、恋人を探し求めているようなロマンがありました。

米作り名人・窪田さんが、フジバカマを少しずつ増やしてアサギマダラを待っているのも

そこに何年越しの物語があります。

蝶が来たからといって、誰からも誉められるわけではないし、お金が儲かるわけでもない。

でも、黙って花を植え、窪田さんは遠い国からやってくる幻の蝶アサギマダラを待っているのです。 

「去年はさ、4頭来たんだよ!4頭!すごいで~。信級の俺のとこまで来てくれるんだでな~」

すごいすごい!! 

少し青くて、茶色い模様のある美しい羽根 のアサギマダラ。

こんな小さな虫を、大切に、自分の友のように待っている窪田さんが作るお米、おいしいに決まってます!

今年も、のぶしなに田んぼの季節がやってきました。

カエルたちも鳴き始めています。

窪田さんのとこに今年は何頭のアサギマダラが来るでしょうか。

来たら見に行って写真を撮らせてもらいます。

水道もない村に、南の国からやってくる幻の蝶アサギマダラ。

私も楽しみに待ってま~す! 


 冬は右手の骨折と共にやってきて、疾風怒濤のごとく過ぎ去ってゆき

まだ真冬のダウンコートも片付けてない中で25℃にもなる春となってしまいました。

和が右手はギブス取れたと同時にフル稼働。

まだ回せばギシギシしてるし、ときどき痺れてる感じはありますが、

時の流れの中で、「元骨折してた手首」となって現役に復帰しております。

この間、ヨコメのおじさんが火事と共に亡くなり、清美ちゃんと中やんが結婚し、

石坂アニキが腰を傷めて入院し、東京大塚にワンデイのぶしなで出開帳に行き、

お彼岸が終わったら沢入のおじさんが亡くなり…………。

そうしてまた信級には春がやってきました。

春は何事もなかったかのようにやってきて、

あんなに寒空の下でプルプル震えていたシェーンも、自分のお家でポヨ~ンと日向ぼっこしています。

人生ってこういうもの?!

そうなんです。今年の冬は「人生」がありました。深かったわ~。

…………………

信級は言わずと知れた限界集落であります。

水道も来てないし、将来にわたっても来る予定まったくなし!

みんな山から独自に湧き水を引いて使ってます。

それはそれで大変なんですが、水には消毒液は一滴も入ってない。

これって今の時代とても贅沢なことなんじゃないでしょうか。

この間、信級が世界に誇るファッションの殿堂「ka na ta 」のスタッフたちが

夕暮れに道でサッカーボールを蹴って遊んでいるのを見ていたら

昔はみんな道で遊んでいたっけな~、と遠い昔のことを思い出しました。

信号も、横断歩道もない信級は、クルマがたまにしか通りません。

食堂かたつむりがある村の中心部も、普段はとってものどかです。

こんな場所、都会ではもう消滅しかけているだろうな、と思います。

中途半端な田舎ではなく、様々な都市計画や税金投入事業なんかから見放された、

とんでもない田舎だからこその自由があります。

スペシャル空間や、生き物のサイクルに合った時間や、面倒を掛け合う間柄。

この間、本読んでたら、毎年1%ずつ人口が増えていったら限界から脱却できるそうです。

120人の集落だから、1.2人。

亡くなっていく人もいるから、毎年2人~3人増えていったら大丈夫なのかな、と。

そしたら、もう清美ちゃん来たし、中やんも来るし、浅野さんちで1人生まれるし、石坂アニキんちに奥さんが来る。

もしかしたら大家の吉澤さんちのお兄さんが、定年になって夏だけでも畑やりに住みにやってくるみたいだし。

バッチリやん!

そしたら信級小学校を復活したい!なんてことを口走ってみる。

校長先生は新町と兼務で、先生は信級関係者でいい。いっぱいいるんだから!

そんなこんなで、4月が始まりました。

生きる死ぬ、みたいなことを常に考える信級の日々。

本当に困ったときに思い出してもらえる人でありたい。

見返りを求めずに人の役に立てる人間でありたい。

バカみたいだと言われながらも、いつもニコニコ、カーリング女子のように笑いながら

「そだね~」と誰もを受け入れる、微笑みの人でありたい。

………それって宮沢賢治「雨ニモマケズ」じゃないんか~?

何言ってんだかさっぱりわからなくなりましたが、

そんなこんなで春突入です。

限界集落で自分の魂を磨きつつ、おたおたとやってくばい! 

 

 


新年1月もあっという間に過ぎ去り、すでに2月も残すところ10日となっております。

まぁ、早い早い。

そしてこの間にいろんなことがあり、ひとつひとつが、

「こんなこと人生でほんとにあんの?」というような出来事でした。

みんな信級(のぶしな)という運命のプラットフォームのような場所での出来事です。

1月22日、信級の食堂かたつむりの常連でもあったヨコメのおじさん、通称「お大工さん」が

自宅の火事で亡くなりました。

御年91歳。

これだけでも書けば物語になるような、みんなの心にズド~ンと風穴が空いたみたいな出来事でした。

しかし、おじさんの家が火事になった日は、食堂かたつむりの看板娘・清美ちゃんが

あろうことか私の友達である中やんこと中谷兼敏おやじと結婚することになっていた日でもありました。

二人が出会うきっかけともなった「はやぶさ響き」のミュージックイベント。

その会場だった丸子の国際音楽村のステージに、ほんの有志が集まって歌を歌い

そこから「私たち結婚しました!」のメッセージを発信しようとしていた、まさにその前日のことでありました。

火事があったその日、おじさんがまだ行方不明であることを伝え、翌日は私たちも信級に行くことを伝えると

中やんと清美ちゃんは、人生一度の結婚の儀を取りやめにして、信級に駆けつけてくれました。

集まってきた食堂かたつむりの厨房スタッフ、清美ちゃん、幸恵、優美子さん、カモ………

みんなで炊き出しをやりました。

おじさんが焼死体で見つかったのはお昼ごろ。

フェイスブックにその時のことを書きながら、どん底の悲しみの中にありながら

なぜか冷めた頭で「なんだかドラマみたいだよな」と思っていた私でした。

その翌日から清美ちゃんと中やんは、中やんのホームグラウンドである三重に移動しました。

結婚の儀をこんなことで取りやめにして、ほんとになんていうか、可哀そうな二人だったのですが、

もしかしたら清美ちゃんのことが大好きだったヨコメ のおじさんの最期の横恋慕だったりしてね、なんて思ったり。

おじさん、そういうことだったら、言っといてな。 

………………… 

中やんは、新郎っつったって私と同じ年。

はっきりいえば58歳イノシシ年。

大丈夫ですか?と思いますが、これがまた、よくぞ出会ってくれましたという感じの二人の相性なんであります。

炊き出しやったその日、食堂に泊ったのは、私・中やん・清美ちゃんの3人。

ハウスインハウスのこたつに足を突っ込んで、こっちとあっち。あっちにはなぜか中やんと清美ちゃん(くっつき)。

私が炊き出しやったそのときのことをフェイスブックにアップすると

「アネゴの投稿みたいんだけどずっとグルグルしてて全然見られないよぅ」と清美ちゃん。

「どれ~?あのさ、ケータイ替えたら?俺のはさあ…(なんちゃらかんちゃら)」中やん。

「いいね。今度それにする。あ、今度は家族割にできるんじゃない?家族割にしよ?」清美ちゃん。

………こたつの向かい側の一辺で、私はこの、のぞき込みつつくっつきつつ顔見合わせてしゃべる、の二人をただただ見つめていたのでありました。

人生は悲しみの一歩先に幸せがあるのであります。

というか、ほぼ同時にあるのであります。 

そして、三重に行って「私たち結婚しました!」メッセージを発表した二人は

2月になってから信級に戻り、やっと信級のみんなにも結婚報告をしました。

食堂かたつむりの、新しくなった階段(もらってきたのに少し付け足して設置)から

まずは新郎の中やんが降りてきて、なぜだかカモがエスコートして新婦の清美ちゃんを新郎の元へ。

草のきぃちゃんがつくってくれた草のブーケを飾った二人が

優美子さんがこの日の為につくってくれたケーキに乳頭、いや入刀。

お店の端っこの、できたばかりのロフトの上で、ヨコメのおじさんが

「よかったな~」と見ているような、そんな生きてるもの、死んでるもの

老若男女が混沌と混じり合った、よくわからない感じのハッピーな空間となりました。

その日のメニューは、石坂アニキが提供してくれた鹿肉のワイン煮込み、イノシシ肉の唐揚げ、熊肉の味噌煮

といったのぶしなジビエのオンパレード。

最後には、新郎新婦によるラーメンの振る舞いもあったりして

なんだか、12月6日の私の骨折から始まった様々な出来事が 、

あらかじめ想定されていたことのような、ドラマを見ているような感じになりました。

人生はシナリオのないドラマであります。

まだまだこれから何があるかわかりません。 

それにしても今年は新年から波乱含みの、吉凶入り混じった、濃い幕開けとなりました。

そのうち小説に書いてみたいと思います。

おもしろいぞ~!書けないことばっかりだけど。 


 本日2017年12月30日。

今年も残すところあと2日となりました。

ことしは、ま~~怒涛のような1年でした。

春に、私の生まれた村・信級に食堂かたつむりをオープンし、

そこから出版事業と食堂事業 2足の草鞋を必死になって回してきました。

誰も来てくれなかったらどうしよう…そんな心配もあるなか、

食堂かたつむりはローカルテレビで特集されたりしながら、夏、秋と大健闘!

お盆には一時お店に入りきれないぐらいの人たちがあふれるほど、大人気となりました。

まあ、初年度は「話のタネに」みたいな感じも多分にあったと思いますが、

ある意味で予想を裏切る人気となりました。

ありがたいです。

気が付けばほぼ休みなしで突っ走ってきた今年、12月になって手首骨折というハプニングにも直面しました。

利き腕の右の手首、いまだに薄汚れたギブスに覆われて、不便この上ない毎日を送っています。

神様が「ちょっとじっとしておれ」という罰を与えたのだな、とあきらめつつ

今日もできることをできるようにやっている年の瀬です。

…………

今朝、再放送で宮崎駿のドキュメンタリーをやっていてついつい見てしまいました。

もう何年か前に放送されたもので「崖の上のポニョ」かなにかをつくっているときのものでした。

毎日毎日七転八倒しながら絵やストーリーを作り出す宮崎さん。

いい加減なものつくるんだったつくらないほうがいい。

自分で自分にダメ出ししながら、決して妥協しません。

ある日、CGで最先端の画像を作り出してる若者たちがやってきて、

自分たちがつくった動画を見せます。

頭のない人間のような不思議な動物の動きが、グロテスクな、しかしリアルな動きをしている画像でした。

実に克明に作り出されています。

「これなんか新しいゾンビの映像としても使えるんじゃないかって思うんです」

若者たちはそう言いました。

そこで宮崎監督が言った言葉。

「私はとても不愉快です」

「私の知り合いに、体の不自由な人がいて、歩くときには足が外側にいってしまうような歩き方をしています。彼と挨拶するとき、ハイタッチするんだけれど、それも大変な思いをしてハイタッチをしてくれる。この画像を見て彼のことを思いました。私はこういう画像が嫌いです」

すると盟友の鈴木さんが若者たちに聞きました。

「あなたたちは何を目指しているんですか。どこに行きつきたいの」

すると若者の一人が答えました。

「人間が描く絵を超えたいんです」

部屋に戻ってきた宮崎監督がポツンとつぶやきました。

「人間は行きつくところまで行きついてしまったのかもしれないな…」

2020年にはAIという人工知能が人間に代わって様々な仕事をしてくれるようになるそうです。

介護の現場で、銀行の窓口で、工場や、お店や、もっともっと「考えること」や「心を感じる」しごとのなかに

感情や知能をもったAIが入り込んでくる。

人間はどんどん要らなくなるんです。

昔読んだ森本哲郎の本の中に、モヘンジョダロの遺跡のことが書かれていて、

下水道まで整備された衛生的にも高度に進んだ都市モヘンジョダロ の廃墟には

たった今までそこで作業をしていたかのようにハンマーが置き去りにされていたりする。

なぜこんな高度な文明が一瞬にしてほろんだのか、天変地異か、疫病か……

その理由は様々に考えられているのですが、森本さんはこんなようなことを書いていました。

文明は、さまざまなる無駄を排除していくように進化していくが、

ありとあらゆる無駄を片付けて片付けていくうちに、最終的に人間を片付けてしまったのではないか。

この考えが、まだ幼かった私にはとても怖かったのです。

でも、いま、着々と人類はそこに向かっているのではないでしょうか。

清潔神話もそうです。

水道水を消毒して消毒して、ありとあらゆる菌を除菌していくうちに

体の内側に必要な菌まで取り除いてしまう。

障害のある赤ちゃんは、出生前診断で発見して産まないようにすることができる。

そういう純潔神話みたいなものが、どんどん「生き物」としての人間を危ういものにしていると思うのです。

今の世の中、ただ生きてくだけでも厳しいです。

お金だって稼がなければ生きていけない。

世の中の矛盾にも意見を言い、参加し、少しでも社会が良くなるように自己主張していかなければ自分がつぶされる。

そんななかでも「生きていくって素晴らしいんだ」「命って美しいんだ」と伝えていきたいと思うのです。

先日会った友は、ガン治療のための放射線療法で髪が抜け落ち、「なんか頭の中がよくわかんなくなっちゃうときがあるんだ~」と言いながら

昔と変わらない笑顔で、バカな話をしてくれました。

必死に生きてる。生きようとしている姿が愛おしく、

またしても、どこにいるかわからない神様に

「これから私に与えられるラッキーが少しでもあるなら、そのラッキーを全部、彼女にあげてください」とお願いしました。

娘の大学の入学金を必死でひっかき集めてやっと振り込んだ友達もいます。

働いて働いて…ほんとによくやってる。

みんな、必死で今を生き、未来に向かってる。

私もひたむきに生きてる友たちに恥ずかしくないように、精一杯人生を生きていきたいと 思った12月です。

…………

この間の朝日新聞の天声人語に載ってた小平奈緒の座右の言葉がすばらしく、

わたしもパクらせていただくことにしました。

ガンジーの言葉です。

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

やっぱりガンジー先生、すごいですね。

 

さあ、来年は信級カンパニーの新プロジェクトに向かって新年からロケットスタートします!

また、出版社オフィスエムでは、編集者人生の最終章として、本づくりや本の楽しさ・喜びをたくさんの人に知ってもらうアプローチを始めます。

右手のギブスが真黒くなり、いい出汁が出そうな味わいになってきました。

2018年も、どうぞよろしくお願いいたします。

悩みながら、そして突っ走っては壁にぶつかってコケながら、それでも未来に向かって生きていきたいと思います。

新年がみなさまにとって良い年になりますように。




 


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