先日、知り合いのカメラマンからこんな話を聞きました。

ある日、警察官が自宅に来たんだそうです。

「○月○日○○公園で写真を撮っていませんでしたか」

「ええ、撮ってました」

「その時の写真を見せてください」

「どういうことですか?」

「実は、あのとき写真を撮られたらしい子どもが『怖かった』 と母親に報告し、母親が警察に訴えられてこられたので、そのときの防犯カメラにうつっていた車のナンバーから調べて○○さんを特定しました」

「ええ~!そうなんですか。うちの子どもも遊んでいたし、子どもたちがの表情が良かったんでスナップ写真を撮っただけですけど」

「とりあえず見せていただいていいですか」

カメラマンだからいつもカメラを持ち歩いている人です。

ふと出会った風景や、小さな瞬間を撮りたい。カメラマンとしたらごく自然なことです。

そんな彼が通報されてしまいました。

警察官に写真を見せて、ヤバい写真は何も撮ってないことを見てもらい、それで信じて帰ってもらえるのかと思いきや

「そしたらこの書類に署名していただいていいですか」

と言われました。

その書類は「警察署長殿」と書かれた「上申書」だったそうです。

「いきなり上申書に署名させられたんですよ。めっちゃ気分悪くなりましたよ」

………ああ、嫌な世の中。

子どもたちに変なことする変質者がたくさんいるから仕方ないのかもしれないけれど

嫌な世の中になっちゃったんだな~と思いました。

カメラを向けると子供たちがみんな集まってきて、撮って撮ってとせがんでくる、そんな

「さっちん」の時代は、もはや過去のパラダイス。

監視社会、密告社会はこんな田舎の町ですらもう始まっているのです。

そのくせ、毎朝の登校のとき、誰にでも「おはようございます!」「おはようございます!」とあいさつ運動やってるのであります。

「人を見たら変質者と思え」「誰にでも挨拶する人間になりましょう」

これって矛盾してませんか?

いま、中年のオジサンが一人で公園のベンチで考え事してたりすると通報されてしまうそうです。

公園のベンチって何のためにあるのでしょうか。

パリの公園のベンチでおじいさんがずっと本を読んで座ってる光景、ああいいな~と思ってみたことがあったけど

日本ではもう、蛍光塗料のついたタスキに「子供を守る安心の人」とか書いたのをかけてないと、安心してウォーキングもできません。

先日は、信州大学教育学部の入口でも、事務方の人たちが立って、通学してくる学生にむかって

「おはようございます!」「おはようございます!」と声かけしていました。

えええ~~?大学生でしょう?なんで大学生に朝のあいさつ運動なんかやってんの?

こんなことでコミュニケーション力のある人間が育つはずがないじゃないですか。

挙句の果てが国会議員の「こうなってはいけない」という人間博覧会状態。

「開会閉会にかかわらず国民にていねいに説明責任を果たしていきたいと思います」と総理大臣が言ったのに

与党は話し合いのための議会すら開こうとしないのです。

菅さんは、「怪文書とは言ってません。怪文書のようなもの、と言ったんです」とか言って己の非を認めない態度。

嘘つきじゃん。子どもたちにどう説明する気でしょうか。

証拠の文書を公表して国民に知らせた官僚は、左遷されたり降格させられたり、あからさまな報復をされてるそうですが、

これって、いじめの現場を見た子どもがそのことを伝えようとしたら苛められるという、まったくのイジメ事件と同じからくり。

それを、もと学校でさんざんヤバい子どもたちに向き合ってきた「ヤンキー先生」がやってるというところが残念です。

また、東大法学部だかハーバードだかを出た女性の議員さん、

秘書に対してあのすごい声と態度で「ハゲ~!」とか言ってるのって、国会議員以前に人間として病気でしょう。

国会議員のセンセー方はこういうパワハラみんなやっているんだろうな~と思いますが。

先日、「Days Japn」の山城博治さんのインタビューを読んだら、あまりにも人権を無視した国家権力の暴力で頭がクラクラしてきました。

山城さんは 5か月間も拘束され、家族に会う事すら許されず、その後も仲間たちに会うことも禁じられているそうです。

辺野古の反対運動の先頭になってきた山城さん。

彼が生涯で受けてきた不当な扱いは、まさに沖縄に対する扱いそのものだと思いました。

彼を筆頭に沖縄の反対運動は共謀罪で合法的につぶされることでしょう。

そんななか、安倍さんからトカゲのしっぽとして切り捨てられた籠池さんの奥さんが、

いかにも大阪のオバちゃんという感じで

「安倍さ~ん、うちのおとうさんをこれ以上いじめないでくださ~い」と言っているのが笑えました。

どんな時でも夫婦仲良し、家族は一致団結。

ある意味すばらしい籠池ファミリーなのかもしれません。

日本は国際社会から見てもかなりヤバい国になってきているみたいです。

水にカエルを入れたままだんだんと温度を上げていくと、煮えるまでカエルが入っているということを聞いたことがあります。

真綿で首を絞めるのたとえもあるごとく、国民が「わからな~い」と言ってるうちに、

日本はかなりヤバいところまで来てしまっている。すべては国民の責任であります。

子どもが素っ裸で走り回ったり、ゴミと一緒に入れ歯を捨てられちまった~と笑ってたり、

社会の窓全開で生きてたり、にんにくの芽を「アスパラ」と言ってたり……そんな信級がパラダイスに見えてきます。

本日は沖縄慰霊の日。

世の中が1ミリずつであっても平和に向かって行きますように。

 

 


食堂かたつむりがオープンして1カ月が過ぎました。

信級は国道19号線から山に入って、さぎり荘という元町営だった温泉施設から、

さらに祖室渓谷という断崖絶壁のくねくね道を10分ほど行った、山の中の里です。

言わずと知れた典型的な過疎の村。

こんなところにオープンした、拾ってきたようなもので作った「食堂かたつむり」に、なんとなんと、たくさんの人が来てくれました。

「食堂?(笑)誰が来るの?」

「やめときな。無理無理……」

そんなふうに言われながらの食堂づくり。

そうだよね。そう考えるのが自然だよね。ごもっともでございます。

でも、何もないから何でもある、というのがわれらの考え方です。

お店も、自動販売機も、看板も、明かりもない。水道もないから下水道もない。

あるのは、田んぼと、カエルの大合唱と、真っ暗な夜の闇と満天の星、ヨタカの鳴く声、川の音……。

お金を出しても買えないものが、山ほどあるのです。

その豊かさを味わってもらいたい。

交通不便だけど、それでも来たい人だけ来てください。というのが「かたつむり」。

不便だから守られているもの、残されているものがあるんです。

「便利」より「不便」のほうが人には優しいし、「高速」より「ゆっくり」のほうが豊かなこともあるのです。

アナログは人間的なり、でございます。

なぜだか、「かたつむり」にいると時間の流れ方が遅くなったような気がしてきます。

都会ではもう手に入らないものだけがある……。ある意味の贅沢じゃん?

食堂では、最初お祭りの神楽隊の打ち上げ用のつもりで置いた生ビールサーバーを、常設にしました。

金曜日だけバル(居酒屋)として夜営業もしているのですが、

もう、臨時設置の段階で昼間から「生!」と注文してくださる村人がいるのであります。

ひと汗かいた後の生ビール、最高!

村で飲む生ビールはまた格別でっせ~!

メニューは、村で採れる山菜や野菜を使った日替わりの「信級定食」が定番。

山男の石坂さんが長者山から採ってきてくれる山菜を使い、

村に移住してきた福島出身の優美子さん、父ヨシローの同級生だったしんたくのおじさんの娘さんで栄養士の幸恵ちゃん、

この強力な二人の料理人に腕を振るってもらい、毎日すばらしい定食ができてます。

Facebookに写真を乗せると、たくさんの「いいね」がついてきます。

おかげさまで、開店以来、お客様ゼロの日はなく、なんとご予約もボチボチいただくありがたさ。

地元信州新町の尾澤酒造さんが生ビールサーバーの設置から飲み物用冷蔵庫の中古探しまで手伝ってくれ、

ほんと、皆様のお陰様で、前評判を裏切って、まずまずの快進撃(?)を続けております。

オープン前の4月に来てくださった椎名誠さんが、連載をもってる「サンデー毎日」と「アサヒカメラ」に

信級のことを書いてくださって、これがまたいい追い風になってくれました。

食は、誰にも共通のもの。

それがいいんです。ダイレクトに体の真ん中に入ってくメッセージ。すばらしいです。

食堂の建物をお借りしている大家さんの吉澤さんと、カウンターの杉の一枚板や山菜などの食材を提供してくれている石坂さんは

ほぼ皆勤賞で、カウンターに並んで生えてる独特の植物みたいな感じになってきました。

二人とも一人暮らし。

余ったみそ汁を温めて食べてもらったとき「ああ、うまいな~。やっぱり、みそ汁いいな~」と言ってくれたのが忘れられません。

食堂かたつむり、胃袋からみんなを応援していく。みんなを見守っていく。改めてそう思いました。

人がいて、居場所があって、そこに会話があって、食べ物がある……。

それだけでいいじゃないか!と思うわけです。

時々は青年たちが飲んだくれ、若いお母さんたちが子供と座ってしゃべり、親父たちが「生」飲んで帰る。

そんな食堂かたつむり、あって当たり前みたいな、地元になじんだ「寄り合い場」みたいな店になれたら、と思います。

短い中で、いろんなことがあり、一つ一つが濃い物語のような出来事なのですが、それはまた別の機会に紹介します。

なにしろ、村民が一人一人キャラクターが立ってて、ドラマにしたら「北の国から」みたいな感じなんです。

笑えて、泣けて、ジンとくる。人が生きてくって、いいですよ~!

………………  ………………

沖縄の元太田知事が 亡くなりました。

摩文仁の丘の平和の礎に行ったとき、あの石に刻まれた夥しい名前に胸が詰まりました。

 敵味方の別なく、あの石に刻まれた名前は、今も増え続けているのだそうです。

 数字じゃなく、一つ一つ名前のついた「人」としてそこにある命。

あの礎をつくったのが太田さんでした。

共謀罪が通れば、辺野古の反対運動も真っ先につぶされるんじゃないでしょうか。

沖縄の心を、虐げられ通してきた沖縄の、あのサトウキビ畑に埋められた涙を、伝えた人でした。

嫌な時代になってきました。

安倍さんはあまりにも長く権力の座にいすぎて、自分でも気が付かないうちに周りから「忖度」される人になってしまいました。

「気が合う」というトランプさんは、アメリカでジャーナリズムや議会から様々な追及に会っています。

なんだか日本の安倍さんとも状況が似ています。

でも、腐ってもアメリカは民主主義の国。

日本では、文科省の内部調査では告発者を犯人探しにするらしく、もはや密告ムードが漂い始めました。

国民主権なんてない日本です。

地べたから湧き上がってくるような民意、 太田さんが沖縄で訴えたときのような

あの民意の熱が、いま熾きてこないものかなあ、と切なく願う今日この頃です。

………  ………  ………

日本の片隅のど田舎から、未来を生きてくための大事なものを見つけていきたい 。

もはやなくなりつつある人間や暮らしの原型が、かろうじて残されている場所が

もしかしたら生き残るためのサンクチュアリかもしれません。


5月3日憲法記念日、信級の「食堂かたつむり」が開店いたしました!

そしてまた、この日から3日間「善光寺花回廊」の里山コーナーにも出店ということで

まさに怒涛のような連休と相成りました。

すべての準備をできたのが前日の2日のこと。

長針ちゃんに無理言ってやってもらった看板や、花回廊で立てる「のぶしな」と「わさび丼」の旗も用意して

花回廊で配布する信級と「のぶしなカンパニー」を紹介した「かわら版」の印刷も、

知り合いの印刷屋さんに無理言って一日で印刷してもらい、

信級のこごみ、こしあぶら、タラの芽、モミジガサといった山菜の袋詰め・定価シール張りもやり、

会くんちのお寺から借りた一升炊きのお釜2つで、ご飯の試し炊きとわさび丼の試食もやり、

カレンダーの裏側にビラも書き……とまあ、文化祭の前日のような騒ぎでありました。

困ったとき、いつも助けてくれる野沢さん、庄ちゃんに、今回もまたどっぷりとお世話になり、

「もう、ちゃんと指示出してね」とか言われながら、なんとか実践がイメージできるところまでこぎつけました。

…………

食堂かたつむりのほうは、地元の浅野さん、 壁塗りから手伝ってくれてる友人のサトーちゃん、そして私の3人体制。

保健所と水をめぐって滅菌機をつけないといけないのか浄水器でいいのか、ということを問答していたので

はたして連休のオープンまでに保健所の許可がおりるのか読めない状況で、

食堂のオープンについては、ほぼお知らせできていないままでおりました。

結局水の問題は30万円もする滅菌機を設置し、塩素を注入するという事で決着。

せっかくの湧き水に塩素注入を義務付けする保健所に、なんども頭に来ました。

そしてまったく計画になかった30万円の出費も痛い……。

でも、営業できないことには何も始まらない、ということで涙を呑んで滅菌機を設置したというわけです。

花回廊で目玉にしている「わさび丼」も保健所としては販売してはならず、と5月になってから言われ苦渋のオッケーをギリギリにいただきました。

でも…販売しないっておコメ代やわさび代、容器代は誰が負担するんだ?

販売予定ですでに仕入れてしまったもの、せめてその実費ぐらいはなんとか回収したいじゃないか。

と、いうわけで募金箱を置き、試食したひとには寄付してもらうということにして挑みました。

保健所ってところは、最初は「いいわ、いいわ」みたいな顔してて途中から「これもダメ」「あれもダメ」という。

だったらどうやったらできるんですか…と聞くのですが、これならいい、という方法はなかなか教えてくれないのです。

「できません。許可できません。」というだけで。役所ってほんとに責任を取りたくない組織なんだな、と実感しました。

ま、そんなことはいいのですが、

「食堂かたつむり」のオープン当日、朝からたくさんの方が食堂にきてくれ、出たとこ勝負で生み出した「信級定食」や「わさび丼」なども

おいしい山菜の力を借りて素晴らしいセットになって大好評!!

プレオープンのときにそばを打ってくれた小諸の陶芸家・岡本さんが送ってくれた、はねだしの陶器がこれまた大活躍で、

多少いびつであるとか、釉薬がはがれてるとか関係なく、「かたつむり」のテーブルにいっぱいお料理を乗せて役立ってくれたのでした。

祐さんとハルちゃん、おかんとおばちゃんと弟夫婦、そして仲間たちが駆けつけて、歌を歌ってくれたりして。

夜は関口さんちで翌日に花回廊で販売するワサビの花を束ねる作業のお手伝い。

8時過ぎてやっと家路についた初日でした。

4日は信級の神楽隊が、花回廊やってる下の末広町から新田町までを練り歩く長野市制120周年記念の「神楽フェスタ」 に参加ということで

信級はそんなに来ないかな~と思っていたのですが、そこそこにお客様あり。

連休ということで仲間たちがわざわざ信級まで足を運んでくれました。

そして怒涛の5日。

この日は、もうそんなに来ないだろう、とあなどっていたら、當信神社の春祭りに

信州新町の少年剣道チームが奉納剣道をするということもあって

オープンと同時にお店は満席、オフィスまで子上がりとして親子連れで使っていただく大盛況!

7名様、5名様という団体のご来店もあって、ご飯が足りなくなってしまい、急きょ浅野さんちのお釜を借りての対応となりました。

そして夕方からは神楽隊の打ち上げ慰労会。

4日5日と活躍した信級の神楽の面々が4時過ぎに集まり出し、

お刺身、ポテトサラダ、鶏から揚げが瞬く間に消費され、

生ビールからの日本酒で、大盛り上がり。

昼間からお神酒を飲まされてきたこともあって、定量オーバーにより酔っ払い大放出。

叫ぶは、寝るわ、川に落ちるわ、ゲロ吐くわの、大宴会となりました。

子どもに先導されたり、奥さんに連行されたりしながら、なんとかみんな家路につき

怒涛の3日間が嵐のように過ぎ去っていきました。

花回廊のほうも、途中あまりの晴天でリーダーの周平も熱中症気味になりながらなんとか持ち直し、乗り切ることができました。

なにより「信級のぶしな」の名前をたくさんの人に知ってもらい、

「こんなところがあるんだ」と思ってもらえたら大成功です!!

「花回廊でチラシもらったから来てみました」と食堂に来てくれた人もたくさんおり、

ただの名もない山里の信級に足を運んでくれただけで感謝感激です。

……………

こんな感じで、よろよろなスタートながら、「食堂かたつむり」なんとか滑り出しました。

厨房スタッフに、父ヨシローの同級生の「しんたくのおじちゃん」の娘の幸恵ちゃんも加わってくれました。

幸恵ちゃん、なんと!調理師で栄養士。

「お父ちゃんが天国でみんな引き合わせてくれているんだよ」と、母カツエはだんだんスピリチュアルなことを言い出しておりますが、

あながち嘘とも言えないのかもな、なんて思ったり。

當信神社の窪田宮司さんも、「かたつむりに神棚がないといけないわ」と

神棚とお札をもってきてくれました。

みんながいろいろ持ってきて、やれることを持ち寄って、悲しみや苦しみも持ち寄って

つぶやいたり、笑ったり、けんかしたり、歌ったり、食べたり………

そんなみんなの営みがいつもある「かたつむり」になれたら最高です。



自分が年をとってきたせいか、最近とみにお年寄りの言葉やふるまいに心を動かされます。

放っておけば消滅するといわれ、水道も引いてもらえない限界集落の信級で

食堂作るんだ、村民を呼び戻すんだ、とドン・キホーテのようなことをほざいてやってる私たちをずっと応援してくれてるチカオさんは80歳。

冷ややかに見ている人たちから「食堂に行ってなにがあるんですか。いったいなんの得があるっていうんですか」と言われたときに

「………コミュニケーションだ」とポツッとつぶやいたのです。

私の頬に涙がつつーとこぼれました。

自分の生まれ育った村が消滅するかもしれないという絶望感のなかで

ほんの小さな希望を大事に大事に思ってくれているその想いがありがたく、

あらためて、私たちは食堂を作ってるんじゃない、コミュニケーションを作り出しているんだ、と思いました。

教えてくれるんです。

………………

もう一人、東京の三上勇さん。関東大震災の年に生まれた94歳。

激動の時代を生き、妻と二人で3人の子どもを育て、

妻を自宅で介護しながら最期を看取り、

娘さんたちの協力で、自分の人生のあらすじを本にまとめました。私が担当編集者。

私が伺うときは、いつも凛として、ちゃんとひげを剃って、きちんとご飯を食べ、にこにこしています。

東京大空襲、戦後のひどい欠乏時代など、すさまじい時代を必死の思いで生きてきたのに

それでも自分の人生をラッキーだったと語ります。

「今思うとどうなるかわからないような大変なことがあったけど、いつも誰かが助けてくれた。ほんとに私は人に恵まれた」と。

空襲で火の海になるなか、近所の家の燃え盛る建物の中に病気で寝たきりの人がいると知って助けに飛び込んだ勇さん。

「さあ、逃げよう」というと

「私は動けないから置いて逃げてください」とその人は言ったそうです。

「何言ってるんです!」と布団をひっぱると

長いこと寝たままで腐っていた布団がぼそっとちぎれました。

それでもなんとか引っ張り出し、そのまま生き別れに。

しばらくしたあと、その病気だった女性の身内の人が勇さんを訪ねてきました。

「亡くなった○○の身内の者だけど、火事の中で助けてくださった方を探し出して一言お礼を言ってほしいといわれ探してきました」と。

ギリギリのなかで、こんなふうにふるまえる人を、神様はきっと見捨てないんだろうな、と思いました。

この話、娘さんたちにも語ったことのない、辛くて切ない戦争の記憶でした。

ニコニコと朗らかで、平和な雰囲気の勇さんのなかに流れているあったかい愛。

人を壊すのは人だけど、人を救うのも人なのだ、と教えてくれました。

………………

そして、先日天に召された浜栄一さん。

浜さんは、私に自然を観ることの素晴らしさを教えてくれた方でした。

少年のころ、裏の谷で偶然出会ったミドリシジミの群舞。

谷から湧き上がるように、輝きながら舞い上がってくるエメラルド色の蝶に、浜少年は心を鷲掴みにされました。

そこから毎日毎日、谷に通い蝶を探し続けます。

石ころを投げ、それについてくる高さによって蝶の種類を判別したり、

そんな観察を続ける浜少年が記録していたその頃の観察ノートが、もう神がかっているような美しさなのです。

蝶に恋した少年は、その想いを生涯持ち続けました。

研究者にはあえてならず、職業人の道を選びながらも蝶の世界を観察し続けていた浜さん。

生涯、手描きで記録し続けた伝説の「浜ノート」の美しさ、確かさ、詳しさ、分かりやすさ……!

それは、浜さんがずうっと胸に灯し続けた蝶へのラブレターだったのかもしれません。

クルマも、パソコンも、ケータイも、そういった文明の利器は一切使わず、

頑なまでにアナログにこだわり続けた人でもありました。

その理由は、「便利なものを使い始めると、見えるものが見えなくなるから」というものでした。

何十年も、何百回も訪れるフィールドでは、この季節のこの天気、この日差し、この風、この湿度、この匂い……ということを感じると

「あの木の陰にあの蝶がいる」ということがわかるんだそうです。

五感を研ぎ澄ますと、浜さんの頭脳のなかにインプットされた膨大なビッグデータから、ピタッと絞られてくるものが、見えてくる。

探して探して、ずうっと何年も探し続けた蝶に出会えた時は、

森の中でその蝶といっしょに踊ったこともあったそうです。

その話を聞いたとき、たった一人で森に踊る浜さんを想い、感動で胸がいっぱいになりました。

わが社の4階に小さなギャラリー「からこる坐」ができたとき、お願いして浜栄一展をやらせていただきました。

美しい標本やノート、写真、点描画などを展示し、浜さんのトークの日には

なんとあの小さな空間に50人以上の人が集まってくれたのです!

あの記録はいまだに破られていないバッケンレコードとなっています。

先日、浜さんの訃報を聞いたとき、

春になって、やっと虫たちが動き出すこの4月に浜さん逝っちゃった、と思いました。

ご自宅の庭は、奥様と浜さんが二人で作り上げたビオトープでした。

あの庭に、どこからともなくやってきたオオムラサキが、ぴょこっと枝にとまったあと、

いつまでも庭を泳ぐように翔 んでいたっけ……。

あの庭の片隅の枯葉の下で、浜さんが大事に守ってきた蝶がそろそろ毛虫になって動き出しているかもしれません。

自然観察に行くと、いろんなものがひっかかってしまうから10mも進まないこともあるんだと笑っていたことがありました。

私が大事にしている「生物多様性」。

「いろいろな生き物がいることが豊かなんです」と教えてくれた浜さんの精神です。

ああ、もう一度会って、いろんな話を聞きたかったな~。

大事なことを教えてくれるのは、いつも長く生きてきた人間たちです。

もう、こんなふうに豊かに生きられる人は出てこないんじゃないでしょうか。

丁寧に生きること。誠実に生きること。自分の信じたことをやり通すこと。

そんなことを教えてくれるのが長く生きてきた人たちです。

高齢者は不要な人ではないのです。

高齢者は豊かです。高齢者の経験のなかに生きているものを大事に受け止めて生かしていくということが

いまとても大切なことなんだと思える今日この頃。春は今年も足早に行き過ぎてゆくのでありました。


久しぶりに体調を崩し、ほぼ10年ぶりぐらいに内科にかかってきました。

雨の中でペンキ塗ったり、カッパの下で汗だくになりながら壁塗りやったりしていたのがいけなかったのか

咳がどんどんひどくなり、夜中にせき込み始めると、もう喉から火花が出るかのごとく。

頭は真空になり、みぞおちは痛くなり、目は涙目になり……さんざん。

一年についぞティッシュなど買ったことがなく、ほぼガソリンスタンドのサービス品で間に合っていたのが

あんまり鼻かむから軟らかいのがいいので、ちょっと高い湿ってるタイプのティッシュの5個組を買ってきたのですが、

それがみるみる空になっていくのであります。

夫もだんだん鼻水が出るようになってきたもんだから、もうティッシュの消費量たるや、うなぎのぼり(?)

あんまりもったいないので2回は使おうと 、一度鼻かんだぐらいじゃ捨てないで、使ってないとこで2回ぐらい鼻かむことにして。

そんなことしてだましだまし過ごしてたら

フェイスブックに知人が「肺炎になっていました」みたいな書き込みをしてるじゃないですか。

ええ~!肺炎?!

いま肺炎になんかなったら大変です。

しかも夫はCOPDという肺の病気をもってるので、もしも夫に移って肺炎にでもなったら命取りになりかねません。

にわかに「大変なことだ~」という危機感に襲われ、咳→肺炎→夫も肺炎→二人で入院 という

バッドスパイラルの妄想が 真空の脳を埋め尽くした土曜日でありました。

紙芝居まつりの拡大実行委員会を休み、なんとか起きてみたものの

声はしわがれており、一回潰れて出来上がった芸者置屋のおばちゃんのような酷い声になってて具合悪い感満載。

毎朝、雨の日も雪の日も欠かしたことのないアヴィの散歩ですが、

「散歩はボクが行ってくるから寝てていいよ」と夫に言われ、

いよいよ私は具合が悪いんだ、という自覚を強くしたのであります 普段、元気者で多少のことでは寝込んだりしないだけに、具合悪いのにめっぽう弱い。

なんか、すでに立ち直れないぐらいの具合悪さで、膝もガクンガクンと力が入らず

階段降りるにも壁を手で伝って降りてくる有様であります。

「ねえ、悪いこと言わないから病院行ったほうがいいよ」と夫。

そんなこと言われても、支度して、車運転して出かけていけたら元気じゃないかい!

それにどこの医者行っていいかわからないもんな~。

ほんと日頃の備えがまるでないわけ。

「保険証どこにあるかわかんないよう」というと

「えええ~~!信じらんない。保険証って身分証明書なんだよ!」

具合が悪い上に怒られて、もう涙がちょちょぎれそうになってしまいました。

それでも、いっぱいカード入れてる財布を探してみたら保険証あった~!

よかった。さすがアタシだ。

「でもお金ないや~」今度は財布がからっぽ。

ってことは先に銀行回ってお金下ろしていかなきゃならないやん。え~ん(泣)

ボロボロのガクガクで、ゲホゲホの私。

化粧もなし、着るものももう膝のとびだしたパジャマもどきのようなズタボロで、

コンタクトも入れずに眼鏡かけて、なぜかハアハアと息を荒げて病院に行ったのでありました。

いつも会社に来るときに通ってくる道沿いに、たしか内科あったっけな~。

そんな感じで西高の下のところの藤井クリニックにやってまいりました。

受付で「どうされました?」 と聞かれ、「あの…咳が止まらなくなって、頭が真空でお腹も痛いんです」というと

「初診ですね、まずここに記入してください」

そこには持病があるか、薬にアレルギーはないかみたいなことを〇していくようになってます。

本当に具合悪いとき、こんなん書くの無理だろうな、と思いつつ記入。

まずは看護婦さんの問診。いろいろ聞かれ、血圧測定、体重測定。

体温計で熱も測ります。

「熱、あるだろうな。それほどじゃないけど7度はあるだろうな」と思いながら体温計を入れるとすぐさま「ピピっ」と計測の知らせ。

私、「はぁ、はぁ、はぁ……」としんどい感じで見ていると「36度2分、平熱ですね~」と看護婦さん。

うそ~!37度はあるだろう。いや、あってほしい!38度はなくていいから37度はあれよ~!

なんだか「平熱」といわれてがっくりときた私でした。

それから先生の診察。

「のど見てみますか。あ~ん」「あ~~~ん」

思いっきり声出してみましたが、「お喉腫れてませんね」という答え。

うそ~!赤くない?炎症あるんじゃない?

でも何もないんです。

「ウイルスや、どこかに炎症が起きてないか調べるので血液を採って検査しますね」と言われ、

採血もされ、ひじの内側にちっこい絆創膏貼って、その上からまん丸い脱脂綿も貼られて、しばしお待たせ。

再び呼ばれて診察室に入ると

「この値みるとウィルスはまったくありませんね。白血球も全く正常なので炎症もありませんよ」

うそ………!具合悪いのはなぜ?膝もカックンカックンしてるし。

「咳のお薬を出しておきます。長引くかもしれないので一週間分ぐらい出しておきますね」

ええ~!それだけ?せっかく病院に来たのに、あまりにあっけないじゃないですか。

そこで私、 「先生、注射一本ぶってくれませんか!」とお願いしてみました。

すると先生にこっと笑って「今はめったなことで注射はしないんですよ。お薬で大丈夫です」とおっしゃいました。

具合悪いときは注射一発だろ。それが病院じゃないの?と思っていた私ですが

もう、病院では簡単に注射しない世の中になっていたのです。

熱もない。炎症もない。ウィルスもいない。注射もない。

これってまるで大したことないじゃん!ほっとけば治るん!

と思ったら、足がシャキッとなりました。

スタスタ歩けるやんか!

そしたらいきなり自分のみじめな恰好が気になるったらありません。

膝の出たようなズボンに、起き抜けの顔に度の強い眼鏡かけて、もう情けなさのかたまり。

帰り道のベーグル屋さんでベーグル買って、グイグイ家まで帰ってきたら

なんだか元気になっている自分がいるではありませんか。

そっから洗濯機4回も回して大洗濯。

病院で処方してもらった薬を飲んだら眠たくなってゴンゴンお昼寝したら、なんだかスッキリしてきました。

あの体の脱力感と「もうだめだ~」的な絶望感はなんだったのでしょうか。

せっかくだからこのしゃがれた声を楽しんで、八代亜紀でも歌ってみっか。

いや、もんた&ブラザーズの「ダンシングオールナイト」か。古いな~あたしも。

なんだ、元気だったんじゃん。

体の調子がこんなに気持ちに引っ張られるとは、びっくりです。

ほんとに「病は気から」なんだな~と実感した出来事でした。

「…ったくさ~、こっちのほうが具合悪くなってきたよ」と夫に言われ、

たぶん私みたいな人間のことを単細胞というのだな、と痛感しました。

病院はちゃんと真実を突き付けて、その真実に向き合うきっかけを与えてくれるとことなのだと思った次第。

でも注射してほしかったぜよ。

 


 


2012年の12月に今のアイビーハウスに引っ越すことを決断してからというもの

ずっと片付けと改築工事を続けているオフィスエムです。

最初は倉庫の片付けから。

古書店の山ちゃんちの 倉庫をシェアさせてもらうことになり、まずは倉庫の古本の片付け作業。

床にザクッと積まれた本の山をそれぞれの棚に収納し、

それでも溢れ出る本は、別に借りている家に運んで、そこの本棚に収納。

その作業たるや、イワンデニソビッチのごとく、ひたすらほこりにまみれた力仕事でございました。

それとともに20年以上もいた会社の片付けがパラレルで進行。

その頃、父が入院して胃ろうにするしないの局面でもあり、

やれどもやれども終わらない片付け作業に疲れ果て、空を見上げて涙を流したこともありました。

そのとき、引っ越し先の4階建てビルの2階、いまの事務所をやすみ君につくってもらいました。

それで12月の一番昼が短い冬至の日に引っ越し。よりによって何故してその日。

これはまた、4階の壁から出動した滑車による吊り上げやら

後ろの窓を全部とってのコピー機の搬入など、これはこれで大変なものであったのですが

今から思えば、その時からが終わらない「片付け&リノベ」事業の始まりでした。

まず、春の開店をめざして1階の「まいまい堂」の改築工事。

壁を塗り、棚を作り、キッチンを整え、ドアを赤く塗り……4月にブックスカフェ「まいまい堂」がオープンしたのでありました!

それが2013年春のこと。

その次は、4階の改築工事。

ただの物置みたいになっていた4階を片付け、床を張り、階段を木で作り、ペンキを塗って、スクリーンを設備し、

2014年の晩秋、多目的に使えるフリースペース「からこる坐」ができました。

あれからたくさんの個展、コンサート、お話の会などやってきました。

そして最後に3階のキッチン「でんでん村」。

台所、トイレ、バスがついた生活感満載のこのフロアーは、家のリビングダイニングのように明るく機能的に

みんなでタイルを張ったり、床にワックスかけたりしながらつくりました。

それが2016年春のこと。

まだまだ「でんでん村」はフル稼働とはいきませんが、

なんとなく食に関するイベントや、仲間内の料理をしながらの会やら、ミーティングやら

はたまたタカエちゃんの官足法など、多目的に使われていく感じです。

そして「でんでん村」の完成とともにはじまったのが「のぶしなカンパニー」。

私が生まれた限界集落の信級(のぶしな)で、

今度は、元精米所だった小屋を借りて、拠点づくりを始めました。

とにかくなにもないので、まずはガランとした小屋の中に「ハウスインハウス」として1部屋建設。

オフィスになるカギのかかる部屋をつくってもらいました。

大工はもちろん、やすみ君。

夏には空き家の「いなばの家」を借りて、その家もお片付け。

周りの木を伐り、ボコボコしていた床を張り替え、お寺の要らなくなった畳をいただいて入れ替え、

いつでも泊まれる家として整備しました。

今年は、 カンパニーのなかに厨房を作り、食堂にするべくリノベーション中です。

われら本づくり以上にモルタルこねや壁塗り、ペンキ塗りがうまいです。

あるものは極力活かして使う。

古いものでも使えるものは利用する。

古材、古建具、古い家具、古い食器……大歓迎!!!!

昔、「北の国から」で黒板五郎が義理の妹である竹下景子のために

拾ってきた廃材やいらなくなったものを集めて作ってあげた「拾ってきた家」みたいに

いろんなものを寄せ集めて作ってる家。おもしろいですよ~!

これがまた不思議なことに、やってるといろんなものが集まってくるんです。

スギの皮付きの分厚い一枚板はカウンターに、

色の褪せた古材の柱はカウンターを支える柱に、

神社の御神木だった杉の角材は、道側の窓の受けるところに、

しまってあった建具をハウスインハウスの戸に使い、

格子の窓もすべてカンパニーの窓に使いました。

元燃料置き場みたいだったブロック塀囲みの建物もトイレになりました。

モルタル塗って、ペンキ塗ったら、これがまた素敵なんです!!!

間もなく第2期のリノベーションが終わり、信級に食堂がオープンする予定です!!

食堂の名前は……いま考え中。

食事提供できたら学生の民泊だって、合宿だって、イベントのときのお弁当提供だって考えられるようになります。

ゆくゆくは配食サービスだってできる!可能性が無尽蔵に広がるじゃあ~りませんか!

いまはまだ妄想かもしれませんが、

湧き水しかない信級の水は保健所通らないといわれながら、一発で水質検査クリアしたし、

やってみなけりゃわからないんです。

ダメで元々です。思ったことはやってみる!

いろんなこと限界になってる「信級」では、やる前からあきらめてしまっている感が漂っていますが

われらみたいな無鉄砲が、小さなことから一つ一つオセロの石をひっくり返すように不可能を可能にしていけたら最高です!

「信級で食堂?誰が来るの?」

「なんでそんなとこで食堂やるの?」

そうですね~!マーケティング的には可能性ゼロかもしれませんが

そういうマーケティングの考え方、もう脱ぎ捨てていきたいんです。

それがのぶしなカンパニー!!

笑顔が集まって、おいしい食事があって、人がやってきて、

自然とともに、年寄りも子供も犬も、いっぱいしゃべっていける、そんな食堂ができたら

もうそれで十分!!

信級に暮らす人たちを孤独な年寄りにしたくないんです。

要らない村、要らない人間……そういうものたちが幸せに暮らしてもいいんじゃない?

………………

おととい、いなばの家で生まれ育った父ヨシローの同級生しげ子さん が電話をくれました。

「嫁さんにのっけてもらって信級に行ってきたんだよ。それでさ、イナバにも行ってみただ。窓の外から仏壇が見えて、一郎兄さんの遺影が飾ってもらってあったのがわかったの。家きれいにしてくれてあって、涙が出たよ。ありがとう。庭に生えてたふきのとうを採ってきた。ありがとう」

胸が熱くなりました。

片付けて、きれいにして、よかったな~としみじみ思いました。

オフィスエム、年々やることが多くなって、ますます何屋かわからなくなってきましたが、

どこかで人の役にたって、いつか誰かが喜んでくれたら本望です!!

いよいよ食堂開店までカウントダウンに入ってきました!! ドキドキで~す!!

 

 


昔、アメリカで製造された車は金曜日出荷のものは不良品が多い、という話を聞いたことがありました。

それは週末の夕方、仕事時間が終わると、ねじ止めが途中でもそこでやめて帰ってしまうからだとか。

まあ、これは日米の違いを笑ったジョークなんだと思いますが、

日本人は、就業時間が終わっても、いまやりかけの仕事をキチッとやり終えて

最後の点検をしてから帰るでしょう。

そうじゃないと、なんか気持ちがすっきりしないから。

もうちょっとで終わるならやり終えて、その始末をしてから帰りたい。

これが日本の「労働」に対する感覚であり、もしかしたら世界で最高評価を得ている日本品質の源なのかもしれません。

仕事には、見えないところに脈々と受け継がれる日本人の美徳やら、その人の生き方が現れるのであります。

残業が常態化して、命に代えても仕事に食らいついて、最後には体を壊したり死んだりというのは異常ですが、

仕事って単純にタイムカードでは測れないときもあるわけで、

本気で仕事にとっくんでいるときは、時間なんて関係なくなってることもあるのです。

そこまで打ち込める仕事に出会えることは、ある意味幸せなことなのかもしれませんが

出版の仕事を30年もしてくると、今までに何回かそういう体験があります。

そのときは著者以上に著者の気持ちがわかる。

取材インタビューなどまとめていると、しゃべった言葉の意味が音として記録されている言葉を超えて心に響いてくることがあり、

それを文章にまとめて著者に見てもらうと

語った言葉とはまるで違うのだけれど、「そうそう、こういうことだよ~」と言われたりします。

よい取材ができるかどうかが勝負です。

そのいい取材とは……。

ほぼ無駄話しかしていないようにみえる。かもしれません。

でも、相手の大事にしている気持ちの縁に、ちょっとでも触れたい。

私はこう思った、こう感じた…そういう話から、心の核心にとどく言葉を質問として投げかけられるかどうか。

そんなことをしているのです。取材の間。

文字に起こせばおなじ「そうなんだよね~」という言葉であっても

取材したときの表情や雰囲気のなかに、あきらめの気持ちがあるのか、喜びの気持ちがあるのかで全く違ってくる。

それを感じ取れるアンテナが立っているかどうかなんです。

人間はそんなに簡単に本音を語りません。

もしかしたら自分でも気が付いていないことだってある。

そこに寄り添い、形のない気持ちに言葉を与え、会ったこともない人に伝えていく「本」を作る。

そして、作った本を時間をかけて届けていく。

それが私が考える出版の仕事です。

いま、信級カンパニーで生まれ故郷の限界集落にも挑んでいますが、

キャッチフレーズは「限界集落で人・もの・ことを編集する」です。

行政から忘れ去られ、若者たちが去っていく村で、そこに暮らす人たちがどんな思いで生きているのか。

ある種のあきらめや、未来への悲観、そして開き直り……いろんな複雑な気持ちを、老いた背中に背負って生きている。

そういう気持ちに共感し、汲み取り、寄り添っていけるのか。

出版でいつも考え、何よりも大事にしてきた人間としての在り方が問われています。

本づくりも村づくりもおんなじです。

「働き方改革」は労働者にとって大事かもしれない。

でも、働くことの原点に「生き方」ってのもあるんだ、と思うのです。

お金や時間で測れない、とても大事なものが「働く」ということのなかには含まれている。

この間、みんなでのぶしなカンパニーのトイレの壁塗りをやって

夕方ギリギリに、13袋のインスタントモルタルを使い切って塗り終えたとき

全身バリバリながら、なんともいえない爽快感に満たされました。

みんなでやり遂げた喜び。がんばってその日のうちに作業を終えた達成感。

トイレ外壁、無骨ながらも、なんとなく素敵に見えなくもない、喜び。

忘れかけてた「働く喜び」が、体を通して蘇ってきた感じでした。

働くってすばらしい!

私はたぶん、古い時代の人間ですが、若い人たち一度は無我夢中で仕事してみないと ダメだと思います。

時間とかお金とか関係なく、一心不乱にやってみるときも必要です。

そういうときがないと、本当の仕事の醍醐味を味わうことはできません。

仕事のむこうに「人間」がいる。

一生懸命やってると、共感できる仲間がその先に必ずいてくれる。

その出会いこそが人生の宝物です。

そんなこと考えてる昭和世代のおばちゃんでありました。

さてっ仕事すっかな~!
 


のぶしなカンパニーの第2シーズンが動き始めています。

今年は、厨房をちゃんとして、食堂できるお店にしたい。

毎日とはいかないけれど週末は食堂として、ワンデーシェフ的にいろいろな人に料理人になってもらって

いろんな食事を提供していけたら、と。

それと同時に、東京に信級商品、信級情報の発信基地を作って、都会と村をつないでいきたい。

お店を持つなんてとても無理なので、どなたかのお店の軒下をちょこっとお借りして

ど田舎のぶしなの物品を知っていただけたらと考えています。

すでに信級の厨房工事が始まっており、薪ストーブのイノシシ君を炊きながら、棟梁やすみ君とまほちゃんが工事をしてくれています。

先週2日、工事に先立って、みんなで行って片付けと柱や梁のタワシと雑巾による洗浄をしてきました。

例によって守り神のチカオさんが来てくれたり、わんこのシェーン君連れて石坂さんが来てくれたり、

西川さんがおやつを差し入れ、電子ピアノを持ってきて弾いてってくれ、

オールマイティーの助っ人エージローアニキが電気配線などをチェックにきてくれ

途中、カナタの加藤君がいつものように裸足で顔出してくれ

いよいよこれから始まるんだな~という気配が満ち満ちてきたのでありました。

炭焼きやってるチカオさんが、古材など家を壊した時の古い材を炭焼き用にストックしているなかから

カウンターの柱になりそうな材を提供してくれました。

石坂さんは自分が長者山から切ってもらってきた杉の15センチ以上もの厚さの一枚板を

「これ、使えばいいよ。やる」と言ってくれ、その板はカウンターにすることになりました。

そして大きな冷凍ストッカーを開けて「肉もってくか?」と

シカの前足、シカのハツ、イノシシのバラなどをゴロンゴロンと分けてくれて、

もう、お金に換算したらどんだけだ~というようなものを無料でいただいてしまいました。

なんというありがたき幸せでしょう!

地元のぶしなのみなさんに素晴らしい資源を分けていただきながら、

ポンコツ精米所跡の小屋がちょっとずつ「南仏の納屋」風の店になり始めています。

さあ、どうなることでしょう!

………   ………    ………

昨日、長野県の生活改良普及員の草分けとして活躍された竹堤さんの本の座談会で、

昔いっしょに地域でがんばってきた仲間に集まってもらいました。

座談会はとても興味深く、また中身が濃くて笑える内容でしたが、

最後に、未来に向かって、これからの農村はどうなっていくのか、というテーマで

元阿智村の村長であった岡庭さんが「田園回帰の時代になってきた」という話をされました。

阿智村にジャズミュージシャンでサックス奏者の方が暮らしているそうですが、その方はみょうがをいっぱい植えてて、

収穫の時期にはたくさんの仲間が集まって、そのみょうがを収穫して食べたりして楽しんでいくそうです。

こんな素晴らしいところはない、と言ってたくさんの人が集まってくる。

「村に仕事がないからダメだ、とか店がないからダメだ、という時代じゃないんです。そういう金偏の豊かさじゃなく、心の豊かさを求める人が確実に増えている。それは全員じゃないけど、10人のうち一人、100人のうち10人。そのぐらいでいいんです」

そう発言されて、一同深くうなづいてしまったのです。

漬物のつけ方とか、炭焼きの仕方とか、鶏を丸ごと食べる方法とか、味噌の作り方とか……さまざまな生活の中の伝承が途絶えつつあるいまこそ、

70代の、戦後の何もない農村を引っ張ってきた人たちの存在が大事なんだ、と。

限界集落のぶしなには、水道も来ていません。もちろん下水道なんてくる気配なし。

長野市になって同じ税金払ってるのに、水道引こうなんて考えてくれもしません。

この不公平に何度も腹が立ったけど、でも、そのことが今となっては恵みなのかもしれないと考えるようになりました。

ビリっけつの信級。いいじゃん!!

行政も、企業も、誰からも忘れられ置き去りにされた村だからこそ守られているものがあるんです。

ビリっけつは、ある意味の最先端なんです。

子どもが素っ裸で走っていても安心。みんなが知ってる子どもだから、誰かしら声をかけてくれるし、危ないことなんてなんもありません。

みんな顔見知りだから、しばらく顔見ないと、あの人どうしてる、この人はあそこにいた、と秘密がありません。

自販機もお店もないから、お財布もってなくても暮らしていけます。

都会では考えられない自由と見守りが自然にある豊かさ。

だから、この限界集落信級には「ここに住みたい」という若い移住者がポツポツと増えてきているのであります。

最先端のビジネスの勝ち負けレースを勝ち抜いてグローバルに生きていくのもいいかもしれないけど

ビリっけつから競争社会を笑いつつ、みんなのできることを持ち寄ってささやかながらも心豊かな生活空間をつくっていくのも

これからの未来、ありなんじゃないか、と思うのです。

水道引いてくれなく たって、下水道なくたって、巡回バスも減らされて、公共サービスの稀薄地帯になったってかまわない。

過疎の村には現代社会で取り戻そうとしたら大変な時間とお金がかかる自然や人が安心して生きてくための環境があります。

何もない信級、生き残っていける気がしてきました!

今年の「のぶしなカンパニー」、世の中の荒波に漕ぎ出しだ~~~!!


また、今年も3.11が近づいてきました。

思えばあの時、テレビからCMが消え、海辺から町が消え、何も仕事が手につかないほどのショックでした。

あれから6年。

地震も津波も原発事故も、世の中からは、すでに歴史の1ページになったかのように、過去の出来事にされています。

2020年の東京オリンピックは復興五輪だそうです。

震災からこんなにも復興して発展しているんだ、ということを世界にアピールするみたい。

振り向いていちゃいけない。未来志向で行こう!そんな感じで、マイナスなことは伝えていかないことにしているみたいな日本です。

でも……いいのかなあ。そんなに未来未来って過去の傷から目をそらして。

福島第一原発では、予想を超えた危険な放射能が今も垂れ流されており、

廃炉に向けての作業計画も、具体的な目途さえたっていないという厳しい状況下にあります。

危険な現場の作業を行うのはロボット君。

人間だったら速攻で死んでしまうような強い放射能が充満するなかで、作業してくれるロボット。

その胸にはTOSHIBAの文字が書かれています。

原発事業の最先端を走ってきたTOSHIBA。

世界の原発建設でも、その高い技術を発揮して「安全な」原発を次々と建設していくはずでした。

3.11までは……。

しかし、3.11で、原発に対する世界の考え方は大きく変わりました。

原発はひとたび事故が起きれば大変な被害になる。

しかも、廃炉にすることができない。トイレのないマンションと言われています。

3.11以降はアメリカの原発建設でも、厳しい安全基準が設けられ、それがTOSHIBAの赤字の原因となっていったそうです。

原発から降りる国も出てきました。

もはや原発の時代は終わったのであります。

放射能まみれの壊れた原発の中で動くTOSHIBAのロボットが、泣きながら働いているように見えるのは私だけでしょうか。

私の大好きなBSの番組「イタリアの小さな村」は、TOSHIBAがスポンサーです。

もしスポンサーが潰れたら番組もなくなってしまうんじゃないかと個人的にはとっても気がかりです。

日本を代表する一流企業が直面した崖っぷちは、そのまま日本の姿と重なってくるのであります。

……………

そしてトランプさんのアメリカ。

もはやアメリカは世界のリーダー的立場を自ら降り、ただの自分勝手な国に成り下がってしまいました。

温暖化なんてでっち上げだといい、あれだけ苦労してやっとまとまったパリ協定からの離脱を表明。

アメリカ大使館をエルサレムにもっていくというし、

テロ支援国家とかいってイスラム教の7カ国の人々を、永住権持ってる人まで空港で締め出し、

メキシコとの国境に壁を作り、TPPも離脱して二国間で協定を結ぶそう。

あの、民主的で自由でかっこよかったアメリカは、ころころころと転げ落ち、あっという間に 「ならず者国家」になってしまいました。

「昔ね、世界中から集まってきた人が平等に人権を与えられて、チャレンジすれば誰にでも成功のチャンスがあるアメリカという自由の国があったんだよ」

なんて語る時代がくるんじゃないでしょうか。

そんななか北朝鮮。

日本のディズニーランドにひょっこりやってきて本国に送り返された金正男くんは、

どこか「ケーキやけんちゃん 」のなれの果てみたいな、憎めない雰囲気を醸し出していました。

その正男君が、弟に殺された。しかも「毒針」で。

このITの時代に、まるで必殺仕事人のような手口で殺されるなんてあり得るのですね。

ある意味すごい現実を見せつけられました。

まずい奴は消される時代、必殺飛び道具は、かんざしか、三味線の弦か、畳針か……!

過去何度も廃案になった戦前の治安維持法をもじったような共謀罪も

「この法律がなければ東京オリンピックが開けない」ということで国会を通っていくのではないでしょうか。

まるで国民を脅しているような言い方をしていますが、

この法律なくても十分オリンピックはできるそうです。

なのにこのタイミングでこの法案を出してくるところになにか別の狙いがあるのではないか、と思ってしまいます。

福島第一原発は廃炉のめどもたってなく、TOSHIBAも存亡の危機でもあるし、

アメリカも凋落の道を転げ落ちて、北朝鮮はファシズム国家として無軌道化しているし、

オリンピックなんてやってる場合じゃないんじゃない?

中学高校と水泳部だった私としては、スポーツなんでも大好きで、

テニスもサッカーも野球もスケートもバレーも重量挙げも高飛び込みも駅伝も体操も、見るのが大好きです。

一流のアスリートが本気になって競い合う世界はどんなドラマより感動ものだと思ってます。

それだけに、そういうスポーツをビジネスや政治に利用するのが許せない。

もっと純粋にスポーツを楽しむことはできないのでしょうか。

……とまあ、日々いろいろとカモや周平相手に吠えたり語ったりしながら、2017年の2月が過ぎてゆくのでありました~。

明日、世界がどうなるかわかんない今日ではありますが

われらは春オープンの「のぶしな食堂」の工事着工に向けて全力準備中。

限界集落ど真ん中から、時代遅れの人間たちみんなで、年寄りや昔や遅れたもの大事にして

人間の居場所をつくるんだ~~い!!

 



なんだかいつの間にかどんどん人間が不要の世の中になってきています。

駅の改札だって東京行けばスイカやスマホをかざして「ピッ、ピッ」と通っていくし、

高速道路に乗る時もETCで「ピッ」と入って「ピッ」と降りるだけ。

そこに「カチャカチャ」とリズミカルに切符を切っていく駅員さんのハサミさばきも要らないし、切符も要らない。

自動車工場だって、いまやほとんどの作業がロボットがやっております。

いつの間にやらそんな近未来が当たり前になっちゃった。

Amazonでは、近い将来、人工知能を搭載したロボットが商品の選び出しから発送までをやるようになるそうで

そのときに不要になる社員のために別の職業につくための研修をさせているそうです。

商品によっては配達に片道だけ飛ぶドローンを使うことも考えられており、すでのプロジェクトが立ち上がっているとか。

高齢者介護の現場では、人間よりやさしくて技術レベルも高い介護用の人工知能を搭載したロボットが実用化に向けてスタンバイ。

「純子さんおはよう。よく眠れたました?」なんて語りかけてくれる、人間よりずっと気配りのあるロボットも出てきそう。

もう加速度的に、右肩上がりの勢いで、人工知能がヒタヒタとすぐそこまで来ているのです。

そういう人工知能の開発に国はいっぱいお金を出しているんです。

でも、最終的に人間を片付けてしまうような機械を人間がっているわけで……。

………これが文明というものなのでしょうか。

いまや手の指の間にICチップを埋め込んでおくと

手を近づけるだけでドアのカギが開いたり、エアコンのスイッチが入ったり、パソコンが立ち上がったり…みたいなこともできるようになってるそうで、

そのICチップを頭に埋め込めば、もういろんなことを暗記して覚えるなんていうことも要らなくなるんだそうです。

全部ICチップに必要な知識や情報が入っているからです。

よくわからないけれど、人間の脳の中で、もともとの自分の脳とICチップ内の情報がコラボして教えてくれる。

「いいくにつくろう鎌倉幕府…1192年」なんておぼえなくったって良いのであります。

さあ、そうなったとき人間はどうする??

人工知能に環境を汚すものを駆除しろ、と指令を出したりしたら

地球環境にとってもっとも悪影響をもたらしている「人間」を駆除する作業に入るかもしれません。

ブラックジョークのような話ですが、冗談とも言えないところが恐ろしい。

この話をさっきまでしていたのが銀行マンだったのですが、彼は

「銀行だって人間が要らない時代が来ますよ」と言ってました。

ネットで買って、カードで決済、知らないうちに口座から引き落ちてお買い物ができるんだったら

もう現金だっていらないわけです。

自動販売機も、コンビニの買い物もスマホがあればお金なんてもってなくても良いのです。

お財布を持って歩く必要がないのであります。

それがもはや現実になっている……あな恐ろしや。

限界集落・信級(のぶしな)の人々もお財布なんて持って歩いてません!

だってお店がないんだもん!

あはははは……!人工知能なんてカンケーない!!

そしてまた日本の愚かなことに、科学技術の軍事利用の研究をしているところには多額の研究費を出すという方針を打ち出しています。

「科学をして人に奉仕する 手だてとなしたまえ」

山尾三省が詠った言葉が、いまさらのように降ってきます。

科学技術に携わる人間こそ、倫理や哲学、そして人間というものについて学ぶべきなのですが、

悲しいことにそういうことを判断できるクオリティの高い科学者がとても少ないという現実。

人間は愚かな動物です。

失敗をする。

でも、悲しみや失敗から学び、分けあってみんなが共に生きていける世界を作り出せるのも人間なのだと思うのです。

人間だけにできることは何なのか。

自然の近くで、自然の力を少しだけ借りながら、他の生物たちと環境を分けあって生きていく。

生かされて生きるという謙虚さが、いま人類に最も求められていることなのかもしれません。

そう考えると、現代の便利な(?)社会から隔絶され、取り残されたように見える限界集落・信級にこそ

未来を生き延びるための知恵が隠されているように思えなくもないわけで……。

ブラック企業と言われる一流企業で身を削って人生を仕事に捧げている人や

人工知能ちゃんたちにも、一度、信級にきてもらったらいいかもな、なんて思うわけです。

朝になったらお日様とともに起き、自分の作った米でご飯を炊いて、自分の作った味噌と庭先の畑で摘んできた菜っ葉でみそ汁を作り、

土を耕して働き、お昼食べたら昼寝して、そのあとは日が暮れるまで農作業。

夏はセミの声を聴き、秋には日に日に色づく山の紅葉を眺めながら

湧き水を引いてきて飲み、ときどきみんなで会合やって、文句言ったり言われたりして、

そんな風に暮らしている人には、かなわないんです。

……………

福島第一原発から今もなお漏れ続けている想定をはるかに超える放射能をどうするの!

辺野古の海の前で、あんなにたくさんの人が嫌だ、守ってくれ、と言っている海を軍事のために埋め立てて、どんな平和を手にするの!

そういうことと、人工知能に向かってまっしぐらに進んでいく今の流れが

深いところでつながっているように見えるのです。

わしらは信級から考えていく。

人工知能ちゃん も一度来てみてみ!


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