新年1月もあっという間に過ぎ去り、すでに2月も残すところ10日となっております。

まぁ、早い早い。

そしてこの間にいろんなことがあり、ひとつひとつが、

「こんなこと人生でほんとにあんの?」というような出来事でした。

みんな信級(のぶしな)という運命のプラットフォームのような場所での出来事です。

1月22日、信級の食堂かたつむりの常連でもあったヨコメのおじさん、通称「お大工さん」が

自宅の火事で亡くなりました。

御年91歳。

これだけでも書けば物語になるような、みんなの心にズド~ンと風穴が空いたみたいな出来事でした。

しかし、おじさんの家が火事になった日は、食堂かたつむりの看板娘・清美ちゃんが

あろうことか私の友達である中やんこと中谷兼敏おやじと結婚することになっていた日でもありました。

二人が出会うきっかけともなった「はやぶさ響き」のミュージックイベント。

その会場だった丸子の国際音楽村のステージに、ほんの有志が集まって歌を歌い

そこから「私たち結婚しました!」のメッセージを発信しようとしていた、まさにその前日のことでありました。

火事があったその日、おじさんがまだ行方不明であることを伝え、翌日は私たちも信級に行くことを伝えると

中やんと清美ちゃんは、人生一度の結婚の儀を取りやめにして、信級に駆けつけてくれました。

集まってきた食堂かたつむりの厨房スタッフ、清美ちゃん、幸恵、優美子さん、カモ………

みんなで炊き出しをやりました。

おじさんが焼死体で見つかったのはお昼ごろ。

フェイスブックにその時のことを書きながら、どん底の悲しみの中にありながら

なぜか冷めた頭で「なんだかドラマみたいだよな」と思っていた私でした。

その翌日から清美ちゃんと中やんは、中やんのホームグラウンドである三重に移動しました。

結婚の儀をこんなことで取りやめにして、ほんとになんていうか、可哀そうな二人だったのですが、

もしかしたら清美ちゃんのことが大好きだったヨコメ のおじさんの最期の横恋慕だったりしてね、なんて思ったり。

おじさん、そういうことだったら、言っといてな。 

………………… 

中やんは、新郎っつったって私と同じ年。

はっきりいえば58歳イノシシ年。

大丈夫ですか?と思いますが、これがまた、よくぞ出会ってくれましたという感じの二人の相性なんであります。

炊き出しやったその日、食堂に泊ったのは、私・中やん・清美ちゃんの3人。

ハウスインハウスのこたつに足を突っ込んで、こっちとあっち。あっちにはなぜか中やんと清美ちゃん(くっつき)。

私が炊き出しやったそのときのことをフェイスブックにアップすると

「アネゴの投稿みたいんだけどずっとグルグルしてて全然見られないよぅ」と清美ちゃん。

「どれ~?あのさ、ケータイ替えたら?俺のはさあ…(なんちゃらかんちゃら)」中やん。

「いいね。今度それにする。あ、今度は家族割にできるんじゃない?家族割にしよ?」清美ちゃん。

………こたつの向かい側の一辺で、私はこの、のぞき込みつつくっつきつつ顔見合わせてしゃべる、の二人をただただ見つめていたのでありました。

人生は悲しみの一歩先に幸せがあるのであります。

というか、ほぼ同時にあるのであります。 

そして、三重に行って「私たち結婚しました!」メッセージを発表した二人は

2月になってから信級に戻り、やっと信級のみんなにも結婚報告をしました。

食堂かたつむりの、新しくなった階段(もらってきたのに少し付け足して設置)から

まずは新郎の中やんが降りてきて、なぜだかカモがエスコートして新婦の清美ちゃんを新郎の元へ。

草のきぃちゃんがつくってくれた草のブーケを飾った二人が

優美子さんがこの日の為につくってくれたケーキに乳頭、いや入刀。

お店の端っこの、できたばかりのロフトの上で、ヨコメのおじさんが

「よかったな~」と見ているような、そんな生きてるもの、死んでるもの

老若男女が混沌と混じり合った、よくわからない感じのハッピーな空間となりました。

その日のメニューは、石坂アニキが提供してくれた鹿肉のワイン煮込み、イノシシ肉の唐揚げ、熊肉の味噌煮

といったのぶしなジビエのオンパレード。

最後には、新郎新婦によるラーメンの振る舞いもあったりして

なんだか、12月6日の私の骨折から始まった様々な出来事が 、

あらかじめ想定されていたことのような、ドラマを見ているような感じになりました。

人生はシナリオのないドラマであります。

まだまだこれから何があるかわかりません。 

それにしても今年は新年から波乱含みの、吉凶入り混じった、濃い幕開けとなりました。

そのうち小説に書いてみたいと思います。

おもしろいぞ~!書けないことばっかりだけど。 


 本日2017年12月30日。

今年も残すところあと2日となりました。

ことしは、ま~~怒涛のような1年でした。

春に、私の生まれた村・信級に食堂かたつむりをオープンし、

そこから出版事業と食堂事業 2足の草鞋を必死になって回してきました。

誰も来てくれなかったらどうしよう…そんな心配もあるなか、

食堂かたつむりはローカルテレビで特集されたりしながら、夏、秋と大健闘!

お盆には一時お店に入りきれないぐらいの人たちがあふれるほど、大人気となりました。

まあ、初年度は「話のタネに」みたいな感じも多分にあったと思いますが、

ある意味で予想を裏切る人気となりました。

ありがたいです。

気が付けばほぼ休みなしで突っ走ってきた今年、12月になって手首骨折というハプニングにも直面しました。

利き腕の右の手首、いまだに薄汚れたギブスに覆われて、不便この上ない毎日を送っています。

神様が「ちょっとじっとしておれ」という罰を与えたのだな、とあきらめつつ

今日もできることをできるようにやっている年の瀬です。

…………

今朝、再放送で宮崎駿のドキュメンタリーをやっていてついつい見てしまいました。

もう何年か前に放送されたもので「崖の上のポニョ」かなにかをつくっているときのものでした。

毎日毎日七転八倒しながら絵やストーリーを作り出す宮崎さん。

いい加減なものつくるんだったつくらないほうがいい。

自分で自分にダメ出ししながら、決して妥協しません。

ある日、CGで最先端の画像を作り出してる若者たちがやってきて、

自分たちがつくった動画を見せます。

頭のない人間のような不思議な動物の動きが、グロテスクな、しかしリアルな動きをしている画像でした。

実に克明に作り出されています。

「これなんか新しいゾンビの映像としても使えるんじゃないかって思うんです」

若者たちはそう言いました。

そこで宮崎監督が言った言葉。

「私はとても不愉快です」

「私の知り合いに、体の不自由な人がいて、歩くときには足が外側にいってしまうような歩き方をしています。彼と挨拶するとき、ハイタッチするんだけれど、それも大変な思いをしてハイタッチをしてくれる。この画像を見て彼のことを思いました。私はこういう画像が嫌いです」

すると盟友の鈴木さんが若者たちに聞きました。

「あなたたちは何を目指しているんですか。どこに行きつきたいの」

すると若者の一人が答えました。

「人間が描く絵を超えたいんです」

部屋に戻ってきた宮崎監督がポツンとつぶやきました。

「人間は行きつくところまで行きついてしまったのかもしれないな…」

2020年にはAIという人工知能が人間に代わって様々な仕事をしてくれるようになるそうです。

介護の現場で、銀行の窓口で、工場や、お店や、もっともっと「考えること」や「心を感じる」しごとのなかに

感情や知能をもったAIが入り込んでくる。

人間はどんどん要らなくなるんです。

昔読んだ森本哲郎の本の中に、モヘンジョダロの遺跡のことが書かれていて、

下水道まで整備された衛生的にも高度に進んだ都市モヘンジョダロ の廃墟には

たった今までそこで作業をしていたかのようにハンマーが置き去りにされていたりする。

なぜこんな高度な文明が一瞬にしてほろんだのか、天変地異か、疫病か……

その理由は様々に考えられているのですが、森本さんはこんなようなことを書いていました。

文明は、さまざまなる無駄を排除していくように進化していくが、

ありとあらゆる無駄を片付けて片付けていくうちに、最終的に人間を片付けてしまったのではないか。

この考えが、まだ幼かった私にはとても怖かったのです。

でも、いま、着々と人類はそこに向かっているのではないでしょうか。

清潔神話もそうです。

水道水を消毒して消毒して、ありとあらゆる菌を除菌していくうちに

体の内側に必要な菌まで取り除いてしまう。

障害のある赤ちゃんは、出生前診断で発見して産まないようにすることができる。

そういう純潔神話みたいなものが、どんどん「生き物」としての人間を危ういものにしていると思うのです。

今の世の中、ただ生きてくだけでも厳しいです。

お金だって稼がなければ生きていけない。

世の中の矛盾にも意見を言い、参加し、少しでも社会が良くなるように自己主張していかなければ自分がつぶされる。

そんななかでも「生きていくって素晴らしいんだ」「命って美しいんだ」と伝えていきたいと思うのです。

先日会った友は、ガン治療のための放射線療法で髪が抜け落ち、「なんか頭の中がよくわかんなくなっちゃうときがあるんだ~」と言いながら

昔と変わらない笑顔で、バカな話をしてくれました。

必死に生きてる。生きようとしている姿が愛おしく、

またしても、どこにいるかわからない神様に

「これから私に与えられるラッキーが少しでもあるなら、そのラッキーを全部、彼女にあげてください」とお願いしました。

娘の大学の入学金を必死でひっかき集めてやっと振り込んだ友達もいます。

働いて働いて…ほんとによくやってる。

みんな、必死で今を生き、未来に向かってる。

私もひたむきに生きてる友たちに恥ずかしくないように、精一杯人生を生きていきたいと 思った12月です。

…………

この間の朝日新聞の天声人語に載ってた小平奈緒の座右の言葉がすばらしく、

わたしもパクらせていただくことにしました。

ガンジーの言葉です。

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

やっぱりガンジー先生、すごいですね。

 

さあ、来年は信級カンパニーの新プロジェクトに向かって新年からロケットスタートします!

また、出版社オフィスエムでは、編集者人生の最終章として、本づくりや本の楽しさ・喜びをたくさんの人に知ってもらうアプローチを始めます。

右手のギブスが真黒くなり、いい出汁が出そうな味わいになってきました。

2018年も、どうぞよろしくお願いいたします。

悩みながら、そして突っ走っては壁にぶつかってコケながら、それでも未来に向かって生きていきたいと思います。

新年がみなさまにとって良い年になりますように。




 


不肖寺島、骨折いたしました。

右手首のコーレス骨折というやつで、どうやら典型的な老人性の骨折らしいです。

若い人は転んでも手を付かないで、しりもち着くとか、肘を打つとからしく、

転んで手の平を付くこと自体が老人の証拠だそうです。

しかも万が一手の平を付いたとしても捻挫がいいとこで、

これで骨折するというのは、骨がもろくなっている証拠で、要は骨粗しょう症。

「寺島さん、それ典型的な老人性の骨折ですよ」

信大医学部の能勢先生のところへ、骨折した翌日に腕をつって行ったとき

帰りがけに言われてしまいました。

「コーレス骨折っていうのよ」

あややや…。

この言葉を聞いたとき、それまでインタビューしていた内容が全部ふっとんで

頭のなかで「老人、老人、老人……」とリフレインするようなショックを覚えました。

そりゃ若いとは思ってないけど、まだ老人じゃないんじゃないかな…と思っていたのが

いきなりの老人認定。

なんだか目の前の崖に落っこちたかのごとく、老人時代に突入してしまいました。

人生なんてあっけないですね~。

………………

利き手の右手がギブスに固められると不便なことがいっぱいあります。

最初の日は着替えも一人でできず、夫にGパンをはかせてもらいました。

お化粧だって左手一本だとうまくできないんです。

皿に化粧水出して、それをコットンに浸して顔につけ、

 ファンデーションも小皿に出して左手で顔にのばします。

笑っちゃったのがコンタクトレンズの装着。

どうやったって片手じゃ無理で、最初の日は、夫に上まぶたと下まぶたを開けててもらって、

黒目のところに左手でもってくのですが、それがまあ、的外れるわ、指が緩んで目はふさがるわ…。

二人羽織のごとく涙が出るわ、ハナは出るわ、笑うわの七転八倒でございました。

お風呂は禁止されたものの、いくら冬でも2日もお風呂入らなければすっきりしないので

シャワーは浴びたい。

で、右腕のギブスのところをラップでぐるぐる巻きにして、

その上からレジ袋をかぶせてガムテープで止めるのですが、

左手だけでガムテープを切るのが至難の業。

歯で切れ目を入れてビリっと破くのが、細くなっちゃったり、くちゃくちゃになっちゃったりで

もうへとへとになっちゃうんです。

やっとこお風呂場に到着し、シャンプー出すにも上から左手でポンプを押して左手で受け、

左手で頭を洗う。

からだは、お風呂用の泡の出るスポンジタオルに石鹸を塗って

洗うのですが、左手で左手を洗えないことが判明!なんだよぅ。

ビーっとブザー鳴らして夫に左手を洗ってもらうことに。

恥ずかしながら、このような状況になって初めて、介護してもらう人の気持ちがわかりました。

やっていただかないとできない自分が情けないけどどうしようもない。

「生きているということは借りをつくること。生きていくということは借りを返していくこと」

という言葉がしみじみ骨身に染みるのでございます。

…………

そんななか、俄然存在感を放っているのが左手です。

校正の仕事は左手で字を書いてます。

ごっつい字だし、時間もかかるのですが、なんとか読めるとこまできました。

日記も左手で書く。それがなかなか面白い。

左手使ってると、右手とは全然違う思考回路になるんです。

左手はまじめで力強くて、なんか穏やかなようでありながら、ぶっちぎれてるところもある。

右脳ってことでしょうか。なんか左手思考は強いです。

まだ、お箸は持てないけど、包丁でざっくり切ったり

簡単な調理はできるようになりました。

昨夜は餃子を作ってみました。ひだは一つも入らないノペッとした餃子だけど

味には変わりなし!!なかなかの傑作でありました。

パソコンは、ギブスからちょっとだけ出てる右手の指と左手でなんとか打てるようになりました。

そんでもまだ骨折して8日です。お医者さんの診断では全治2か月。

年末年始の公私ともに取り込み中のなかではありますが、

こんなときだからこそじっとしておれ、という神様からの戒めと思い

左手中心の日々を送っている私であります。

……………

一気に老人になったいま、一人間としてさらなる自由を求め

若い人たちの手本にならないクソババアとして生きていこうと思っている今日この頃。

もうそうなってる?かもしれませんが、左手がそう言ってるんで。

さあ、クリスマスでもお正月でもやってこい!!

 

 

 


まだ11月というのに雪が積もりました。

今年はカメムシが大発生しているから大雪になる…といった噂も妙高方面から聞こえてきまして

心の準備、整わぬまま冬に突入した感があります。

つい先月は台風来てたのよ~。いったいどうなっちゃったの。

そんななか、のぶしな坐の企画第2弾として「かたつむり寄席」やりました。

食堂かたつむりのテーブル片付けて公民館から借りたパイプ椅子を並べ、

尾澤酒造さんから借りた日本酒のケースを並べてステージを作り、

まあ海の家のような簡単な造作ではありますが、寄席らしき雰囲気を醸し出すべくあるもので工夫と努力。

「そんでねえ純子さん、座布団どっかから借りてきてね。還暦の座布団みたいなおっきなのだよ」

そう言ってくださったのは丸山電気さん。

丸山さんは、オカンやおばちゃんがお世話になってる国道沿いの電気屋さんで、

今回も三笑亭夢花さんに交渉してくれたり、自宅に泊めてくれたり

会場の設営などもいろいろアドバイスしてくれてる、「かたつむり寄席」の陰のプロデューサー。

「座布団か~。そうだよね、落語だもんね。ちょっといろんな人に聞いてみるわ」

ということで、母カツエにさっそく相談。

「わかった!ちょっとまかして」

こういう時のオカンは怖いんです。 84歳ながら頭がクルクル回ってる。

しばらくすると電話がかかってきました。

「純子~!うふふふ…。玉江といっしょにいい布団つくったで~(笑)」

ただいま同居中の姉妹、カツエ&タマエはわれらにとって最強の助っ人コンビ。

二人でいろいろと考えた挙句、

子どもが寝る用の小さい布団を二つに畳んで、手持ちの紫色のストールをカバーに縫って

大きな座布団をこしらえちゃったようでございます。

 「紫色の大きな座布団、四隅に金色のひもで房まで付けたからね~!」

「へええ~。ありがとう!」

紫色の座布団ができ、最後に丸山電気さんがもってきてくれた提灯を下げ、スポットライトをセットしたら

けっこういい感じの寄席っぽいステージができあがりました!

夢花さんの控室ははす向かいの関口さんちのヨシト君が使ってたお部屋。

村の手作り寄席……寄せ集めのあり合わせながら、いかにも「かたつむり」っぽく完成です!

…………  ………

当日の演目は、まずわれらが周平君とお友達の会君、そこにカモちゃんのパーカッションが加わった

ユニット名「UTATA(うたた)」による謡と舞。

周平君は謡の先生だったおじいちゃん直伝の謡を小さいころからやっており、

当日は、オリジナルの謡曲に舞踏をやってる会君の舞がコラボした、意外とアーティスティックな前座から始まりました。

セーターに黒紋付の周平、大きな伴天を来て舞うハーフの会くん。かっこいいです!

ヒューヒュー!

そして、三笑亭夢花さんの落語が一席。

なんたって真打ですからね~。こんな小屋で申しわけない本格的な落語です。

そして途中休憩があって、その次に私とシェーン(石坂さんのワンコ)による漫才「犬との会話」が入り、

また最後に夢花さんの落語で終わる、という破天荒なプログラム。

私とシェーンの漫才というのは、どう考えたって「変」であります。

だって、犬だもんな。

「今度シェーンと漫才やってよ。おもしろいよ~」と

普段私がシェーンと二役で腹話術のようにしゃべってるのを聴いてて、石坂アニキが言い出したところ、

調子に乗って当日まで来てしまい、とうとう本番でシェーンと舞台に上がるハメになっちゃった……。

よせばいいのに前日には赤いハンカチと手ぬぐいで蝶ネクタイまで作ってしまい

それが、いざ本番になってみると、キンチョーの嵐!どーすんの!

会場には30名ぐらいの地元の皆様、最前列にはオカン、おばちゃん、おじちゃん…

みんながステージを見ています!うわ~~~。

シェーンが走り出したらどうしよう。

シェーンが吠えまくっちゃったらどうしよう。

まあ、いろんなこと考えて頭がグルグル……。

そんななかでも時間はちゃんと正確にやってくるのであります。

「みなさま、犬のシェーンと人間の私でございます。シェーンは自分のことを人間だと思っておりまして……」

いざ始まってみるとシェーンはめっちゃいい子!

私のお膝の上にのって、きょとんと私を見ています。

「シェーン九九できるよね。ワワンが……ワン!」

こんなくだらない話にも、「あはははは……!」みんなが笑ってくれています。

そしてチリ紙に包んだおひねりが飛び……なんともあったかい雰囲気の漫才時間になったのでありました。

そして最後に夢花さんが人情噺の「子別れ」でしみじみと落語の「泣き笑い」をやってくれ、

ああ、人間ていいな~みたいな、落語が本来持ってるダメでどうしようもない庶民の心の奥底にある

きれいなものを見事に伝えてくれたのでありました。

……………

都会に行けば素晴らしい演芸場もある。大きな会場もある。

でも、こんな小さなど田舎の片隅のぶしなの、土壁ぽろぽろの食堂かたつむりだからこその

何とも言えない「風情」みたいなものもまた、寄席には合うんだな~。

会場では、長老たちが薪ストーブの番をしてくれ、

呆け始めたおばあちゃんたちも、耳がよく聞こえない年寄りも

途中で泣き出す子供ちゃんも、みんなが同じ空間にいて、こっち側もまた「落語」みたいだったんであります。

すべてが終わって、撤収作業しているとき、ブルーベリーの羽田さんがきてこんなこと言ってました。

「シェーンは人間だもんな。シェーンは犬じゃないだよ。人間だよな」

そうか……。

みんな、あの高座の座布団の私の膝の上で、しゃべくる私を一心に見ていたシェーンを

そんな風に見ててくれたんだな~。

ありがとう。

話の世界が、こちらの世界と重なりあって、どっちがリアルで、どっちがお話しかわからなくなっちゃってるみたいだけど

こういうのがなんともたまりません。

いまのこの「かたつむり寄席」そのものを落語にしたいぐらいだな、と思いました。

 

信級はその翌日から寒くなり、雪も積もって冬の季節を迎えました。

この後12月は、中やんのラーメンの日、しめ縄づくり、

子どもと年寄りのクリスマス、そして今年は餅つきまでやって本年おしまいとする予定です。

落語のような日々をリアルに展開しながら、冬のかたつむり、信級の秋から冬の日常がすぎていきます。


なぜだか選挙になってしまいました。

政治家ってほんとに選挙が好きな人種なんだな~と思います。

むなしい言葉、ののしり合う言葉が飛び交うなかで、

ちょっと使い方が間違ってるんじゃないの?という言葉があります。

「愚直」です。

私は愚直という言葉が好きで、何年か前の年賀状にも消しゴム版画で「愚直」という文字を彫って、

ピンク色や金色のインクで押して出したぐらいです。

だもんだから、安倍さんや公明党の山口さんが「愚直に政策を訴える」と演説で言ってるのをきくと

おいおい、そういうときに使う言葉じゃないよ、と思ってしまうのであります。

たとえば黙々と栗を剥く作業とか、愚直だな~と思うわけです。

この間、信級でたくさん持ってきてもらった栗を茹でました。

一つ一つ皮をむく作業が大変なので、二つに割って、身をスプーンでほじくり出し、

それにちょこっとシロップを加えて練って、ラップにのっけてくるんとねじって茶巾絞りにしてみました。

これが意外と美味しくて、ひたすら山のような栗をむいてはほじくりました。

栗を剥くってそりゃ大変なんです。

でも、黙々とやってるといつか終わる。

ゆっくりでも、ちょっとずつでも、コツコツとやっていたらいつか終わる。そんな作業です。

で、考えました。

こういう作業を「愚直」っていうんじゃないの?

ちょっと違うか……。

でも、安倍さんが使ってる「愚直」っていうのは全然間違ってるぞ、と思うわけ。

それと小池百合子さまは「ユリノミクス」とか 言ってるのも「ぷっ」と笑ってしまいました。

そして、「右側と左側だけでまんなかが大きく空いている。このどまんなかのフェアウェイが 私たちなんです」とか言っていましたが、

えええ~?とこれまた仰天。

憲法改正、安保法案賛成で、維新の党と組める人が、どこが真ん中なんでしょうか。

こんなふうに嘘ついちゃって、神様に舌を抜かれないでしょうか。

そんななか「ICAN」 がノーベル平和賞を受賞しました。

受賞のとき、日本の姿勢に対して厳しい意見をいただきました。

当たり前です!

世界でたったひとつの原爆被害国である日本が、なぜ核廃絶に向かってリーダーになれないのでしょうか。

日本の国はいつからこんなバカっぽい国になっちゃったのでしょうか。

いや、バカなんですね。

……………

私はコツコツ、指を栗だらけにしながら栗をむき、紅玉リンゴを刻んではシロップ漬けを作るのだ。

朝は5時から起き出して、わんこと一緒に森を歩き、みそ汁を作りご飯を炊き、

誰よりも早く会社に来て、体力の限り働いて生きています。

愚直なのだ!!

お坊ちゃん、お嬢ちゃんの政治という権力ゲームには関係ないのだ!

宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」のごとく、

弱き者、つまはじきされてる者に寄り添い、何も見返りを求めない、

健康でたくましく、そしてやさしく、魂のきれいな人間でありたいのだ!

そんなことを思っている今日この頃です。


久しぶりの投稿でございます。

疾風怒濤の8月が終わり、

9月10日には「のぶしな坐」の初イベント「風のたより」上映会も盛況のなか感動の盛り上がりとなり、

そうこうしているうちにあれよあれよと村の稲刈りも終わりつつ

すっかり秋になってしまったのであります。

お盆のあとに移住してきた上條清美ちゃんは、イナバの家で寝起きしつつ

食堂かたつむりの強力な助っ人として、いまやなくてはならない存在となりました。

畑仕事から獣のサバキ、はたまたお片付けまで何でもやっちゃうスーパーウーマン。

のぶしなに来てからいったい何頭のイノシシ、ウリ坊をさばいたことでしょう。

「なかなか筋がいいよ」と石坂アニキにも 太鼓判を押され、

この間なんて、アニキはビール飲んで、ときどき脚を抑えてるだけで、全部清美ちゃんが解体してました。

もう免許皆伝てことでしょうか。

なんたって「マイナイフ」をもってますから。

また、チカオさんの軽トラに乗って長者の畑を借りて野沢菜やら大根やらを蒔いている。

まあ、信級のあらゆることを楽しみながら体験し、それがみんなの役に立ってるという活躍ぶりであります。

 そんな清美ちゃんの参入により、食堂かたつむり、だんだんと村に根付いてきた感じです。

清美ちゃんが村に住んでるということで、夕方もいろいろな食材の下ごしらえなどやってると

ご近所のおじさんたちが「生!」とか「焼酎ロック」とか言いながら寄ってってきうれるようになりました。

…………………

よこめのおじさんは、もう90歳だか92歳の高齢ながら、元気に一人暮らし。

みんなから「おだいくさん」と呼ばれているように、大工さんなのですが、

いまは毎日、日向畑の家から坂井の畑まで通って農業をやっています。

朝行って昼には戻り、また午後出かけて行って夕方帰る毎日です。

「かたつむり」の前の道が通勤路なので、毎日見ています。

歩く姿は見事に傾いており、棒を杖代わりに付き付き歩く姿が、すでに神様のようですらあります。

「おじさん、お帰りなさい!元気ですか」

「おじさん、たまにはここで休んでボチボチ帰ってね」

そんな声をかけてるうちに、ときどきお店によってってくれるようになりました。

「焼酎水割り」これがよこめのオジサンのいつもの注文です。

もともとお酒が好きらしく、一杯なんてすぐに空にして2杯は軽く飲んでいきます。

お昼の残りのおかずやらを小鉢にして、それをつまみに焼酎いきます。

オジサンが帰るころには日も暮れ、足元が暗くなるので、

そんなときは清美ちゃんが手をつないで送ってってくれてます。

この間も送っていった清美ちゃん、帰ってくるなり顔が笑ってる。

「どうした?」

「あのね、おじさんが手をつないでたら、こういうふうにつなぎなおしたんだよ」

みると、指を指の間に入れてギュッと握ってるしぐさをしてるじゃあ~りませんか!

「えええ~!それって恋人つなぎじゃん?」

「キャハッ!!」

「もしかしておじさん清美ちゃんに恋しちゃった?いいね~~(笑)」

おじさんは、「かたつむり」でお酒飲んで帰ると、仏壇の奥さんに「ごめんなさい」と報告するんだそうです。

なんてかわいいんでしょう。

「若い草食系の男子たちにオジサンを見習ってもらいたいよね!(笑)」と清美ちゃん。

翌朝、畑に行くとき、オジサンは洗って畳んだ和風の柄の手ぬぐいをもってきて

清美ちゃんにあげていました。

「いつも前掛けのとこに手ぬぐいかけてるから」。

わわ~プレゼントだ~!なんてかわいいんだろ。

「いいね~。手ぬぐい」

愛とか恋ではないけど、どことなし清美ちゃんも嬉しそうです。

そしたらその次の朝になって、オジサン私にも手ぬぐいをもってきてくれました。

「ひとりだけにあげてたから、これ純子さんに」

渋い松の柄の手ぬぐいです。

 「え~!私にもいいの~?」

一人だけに手ぬぐいあげて申し訳なかったな、と1日中考えててくれたオジサン。

その気持ちが胸に広がって、じわ~っと沁みてきました。

「男としてカッコいいよね!こういうとこを若者に学んでほしい!」

90歳のオトコの純情に、われら二人すっかりクラクラになってしまいました。

よこめおじさんがもし死んじゃったら、きっと私たち泣くだろうな……。

心にぽっかり穴が空いちゃうだろうな……。

そんなふうに思った9月の出来事でした。

………………

大それた出来事なんて何一つなくても、人生は豊かです。

素敵なバーも、レストランも、ホテルも、コンビニも、信号機もないけれど

過疎の村には純情があります。

現代人が忘れてしまった、なんともいえないほのぼのとした物語があるのです。

なんにもないからなんでもある。宇宙にとどくちっちゃな村でございます。


5月から開店した限界集落のぶしなの、たった一軒の食堂かたつむり。

日曜日と月曜日が通常のお休みなのですが、

「お盆はお店やってほしい」

「お店が閉まってるとなんだかさみしいんだよ~」という声に背中を押され

お盆期間中フル営業!と相成りました。

8月に入ってから、世の中夏休みということもあって、お客様の数がちょっこし多めのかたつむりでしたが

お盆に入ってからというもの連日、れれれれ…とハタ坊が飛んじゃうほどの忙しさに突入しました!

「ずっと来てみたくて、娘が帰ってきたから来てみたの」

「フェイスブック見てたら美味しそうで、定食食べにきました」

そんな感じの方から

「これから12人でコーヒー飲みに行っていいですか」

「7人でお昼予約お願いね」

といったお墓参りでやってきた親戚一同のご来店など

村の食堂てんてこ舞い。

ありがたいことでございます。

中には「あんた~、がんばってんね。ありがとね!」と抱きしめてくれるおばちゃんも 。

どこかで私たちのことを知って陰ながらずっと応援しててくれたおばちゃん。

名前も知らない信級のおばちゃんに抱きしめられて

「うん、うん。ありがと。ありがと…」と私もなんだか胸がいっぱいになってしまうのでありました。

お盆期間中は、びんずるで好評だった「おやき」も毎朝作って販売。

中身はナスとみょうがと大葉の味噌味一種類のみですが、これがけっこう売れるんです!

やっぱりお盆はおやきですね~。

そんななか12日からは、なんと!お友達の上條清美ちゃんが引っ越してきちゃって

イナバの家に寝泊まりしながら…というか住みながら、

信級カンパニーのいろんなことを手伝ってくれております!!

今後、村に慣れていったら野菜作りや山の幸の採集やご案内、宿泊者のための

ゲストハウスや民宿的な家の整備・管理などをやっていってくれる予定。

まあ、それにつけても着いたその日から怒涛の食堂かたつむりメンバーとして

厨房からサービスからおやきづくりと八面六臂の大活躍で働いてくれております!

まさにカミカゼ清美って感じです。

13日には鼻笛ニストのモスリンがやってきました。

で、食堂で突発的にミニライブ。

東京から「渋谷のラジオ」を聞いてくださった祐二さんの後輩のご夫婦が来てくれたり、

岩本に滞在中の宮野尾さんが、趣味で集めたブリキのおもちゃをいっぱい持ってきてくれたり……。

いろんな出来事がギュッと濃縮されて、村のお盆は時間が濃い濃い。

夜は夜で、夕食ご予約のお客様、モスリン&清美ちゃん歓迎の餃子パーリーなど

普段は比較的のんびりやってるカタツムリが、ぐるぐる巻きのお盆状態。

店の前を行きかう車の数も多いし、若い人たち、子どもたちも溢れかえって

「ほんとにここが限界集落?」というような賑わいでありました。

でも…お盆が終わればまた、いつものひっそり静かな信級になります。

昨日の朝、孫娘夫婦とコーヒー飲みにきてくれたサワイリのおばさんに

「おばちゃん、みんな帰っちゃったら寂しくなるね」と言ったら

「そう。だんだんと帰ってくだ。この人たちも今日帰るんだ」とおばちゃん。

みんなが来てくれるのうれしい。

でも迎えるのはけっこう疲れて、帰るときは寂しさ半分、ホッとする半分。

そんな村の人たちの気持ちが、ちょっとわかる気がしました。

「ねえ、またちょくちょく信級に帰ってきてね。お盆じゃなくてもさ」

おばちゃんに代わって私が気持ちを伝えました。私もおんなじ気持ちです。

………………

お盆が終われば、またいつもの静かな信級になります。

信級のお盆は、死んでる人、生きてる人、通りすがりの人、いろんな者たちが入り乱れて

時空のスパイラルを行きつ戻りつしている感じです。

そんなグルグル巻きの真ん中で、行き過ぎる人たちに気持ちを通わせながら

泣いたり笑ったり、村の気持ちで生きていきたい今日この頃です。

昨日はもう、長者山でナラタケが採れました。

秋がそこまで来ています。


7月後半戦、怒涛のような日々を生きております。

15日は渋谷のラジオに出演!

信級の先輩・祐二さんと、その同級生で渋谷のラジオで番組をやってる山口さんと、まずはヒカリエの6階で待ちあわせ。

いま、渋谷はぐちゃぐちゃになってる駅界隈の大工事をしており、

来るたびにどこがどういうふうになってるのかわからないのですが、

「ヒカリエはこちら」と案内が出ているので、それに従って行きました。

まあ、それにしても人がいっぱい!

信州の過疎の村から出ていくと、一人当たりの酸素が薄いのなんの。

それと、お店がこれでもか、というほどあって、その全部が成り立っているのがすごいな~と感動したりして。

もうまるっきりお上りさんでございました。

おじさま2人と南イタリア料理のお店でお昼を食べ、軽く打ち合わせし、いざ渋谷のラジオへ。

山口さんの後について、駅前の歩道橋を渡り、なんとか通りの途中の「ラジ公マーク」 を曲がっていくと

小さなビルがあり、その1階がもう渋谷のラジオなんでした。

靴を脱いで入ると小さな事務所のような打ち合わせ室のような部屋があり、

すぐそのむこうはスタジオなんであります。それだけなんです。

「あのね、番組と番組の間って5分ぐらいだからね」とか軽く山口さん。

「えええ~~!」

何もかも予想を覆す展開で、ものすごく簡単かつ気楽にやってる。

なんだかドキドキしてきました。

いまごろ信級の食堂かたつむりでは、カモがスマホで聞けるようにしてくれて、みんな集まってきてるかな。

とか考えるとイマジネーションがあっちこっちして、 緊張感マックス!

と、そんなとき前の番組の出演者の人たちが出てきました。

「お疲れさまでした~。じゃあお願いします」

われら3人(祐二さん・私・山口さん)と、あとは機材を操作してくれる方と、KATSU佐藤さんが、

居酒屋の掘りごたつ式テーブルのような大きな机の縁に座り、本番が始まるのを待ちました。

佐藤さんて司会なんでしょうか。山口さんはどんな立場なんだろう。祐二さんはどのぐらいしゃべるん?

よく勝手がわからないまま、なし崩し的に番組が始まってしまいました。

……………

ラジオの生放送ってこんな感じなの?という感慨もどっかにいったまま

スタジオの窓から、外を歩く人たちも見える金魚鉢のようなお部屋で「お国自慢」始まりました。

最初は軽く自己紹介。

そののち、早くも、この間達三さんが探してもってきてくれた、40年以上もまえに小学生たちが歌った

「信級小学校校歌」を流してもらいました。

いいわ~~!いまはなき信級小学校の校歌を、2017年に渋谷のラジオから流すなんて…!

そしてそのあとに、この間みんなで学校に集まって歌った校歌。

これがまた、一昔前の純粋な小学生の合唱の後から聞くと、調子っぱずれで、バラバラで、

だけどその一生懸命さがにじみ出て、これはこれで胸に沁みます。

70、80、90の元小学生たちの斉唱・信級小学校校歌。

本番中ながら聴いてて涙がにじんできてしまいました。

歌詞の中に出てくる信級村のことを述べるくだりが、文語体ながら体の中に沁みわたる…。

  山水清く秀でたる 信級村はおのずから

  人の心も素朴(すなお)にて 生業(なり)を怠る家もなし

その通り!!

歌詞が先か、村民が先か、それは今となってはわかりませんが、

信級この通りなんです。

もちろん小学校1年生でこの文語体の歌詞がわかるわけないですが

でも、この歌をずっと歌い続けていったら、いつかその意味が体の一部になっていくのかもしれません。

そんなこと思いながら………。

そのあとは、どんなこと喋って、どんな反応したのかよく覚えていないのですが、

途中で、録音してくれた小森君に電話をつないで、録音の時の模様をレポートしてもらい

「限界集落というより元気集落って感じですね~!」なんていい言葉を言ってもらって大感激!

そしていろんなこと喋りながらも 、カモにCDに入れてもらった矢沢永吉の「時間よ止まれ」と

ベッドミドラーの「ROSE」をかけてもらったら放送は終わりました。

ああ、終わっちゃった~~!

意外と短く、言いたかったことの半分も言えなかったような感じでした。

掘りごたつ式スタジオの壁にかかってる寄付してくれた人の木札に「福山雅治」の名前を発見し、

なんだか有名人も近くにいるような気分にもなったりの55分間の生放送でした。

ふ~~~!

食堂「かたつむり」で聴いててくれたカモに電話すると

「みんなでスマホの周りに集まって、固唾をのんで聞いてました~。よかったんじゃないですか~(笑)」

みんなで集まって聞いてたのか……。ありがとう!

渋谷の工事中のあの雑然とした人混みと、クラクラするような夏の日差しとともに

今日のこの気持ちはきっと忘れられないな~と思いながら

アニキたちと4時過ぎの渋谷の居酒屋の生ビールに突進していってしまった私でした。

………… …………

そして16日・17日は食堂当番。

かき氷やおやきの試作をしながら、一人店番は大忙し。

17日にはサトーちゃんが助っ人で来てくれたのに、たいした売り上げはなかったけれど

なんだか賑わいいっぱいのかたつむりとなりました。

近所のちびっこが「かき氷だ~!」と走ってきてくれます。

お母さんたちも集まって、笑ったりしゃべったりしています。

幸恵のお母さん(84)が、おやきを教えにきてくれて、みんなで失敗しながらやってみて

そこにコーヒー豆を持ってきてくれた鈴木君たちも加わり、常連さんがきてくれて……。

売上は………だけど、これだけでもう十分だな~と思えるぐらい、

かたつむりには笑顔と会話と元気があふれていました。

いつかチカオさんが言ってくれた名言。

食堂になにがあるんですか?「コミュニケーションだ」。

お金はない。小屋もまだまだポンコツ。でも何かがとっても豊かなのです。

♪♪ 尋ねまほしき当信(たにしな)の ふりにしさとの跡とえば

   神のやしろに川の名に 流れて世にも残るなり

私の頭の中に、いつまでも信級小学校校歌が流れているのでした。

今年の夏はお盆もフル営業!

校歌のCDブックセットも販売する予定ですのでご購入よろしくお願いします!!


 

 


なんと、7月15日に渋谷のコミュニティFMラジオで、信級のことを喋ることになりました。

東京在住の信級生まれの先輩である寺島祐二さんに声をかけていただいたのです。

祐二さんは私が3歳まで暮らしていた山の上の集落「林」の下の集落「栃ノ木」で生まれ育ちました。

私の両親が尊敬し、兄のように慕っていた「栃ノ木のとうさん」。

栃ノ木の家には、庭の前の木の下に、湧き水を溜める井戸のような水場があり、

夏行くと そこにスイカやビールが冷やしてありました。

「ここの水はうまいんだぞ」とフキの葉っぱを摘んでくるっと丸めてコップにし、父が飲ませてくれました。

牛もいた、ニコニコといつも優しく笑って迎えてくれるおばさんもいた。

そこの家の2番目の息子が祐二さんです。

もう最近までずーっと会っていなかったけど、なんだかひとたび顔を合わすと懐かしさがこみあげる。

ふるさとの底力はすごいもんです。

で、「のぶしなカンパニー」を始めてから何かと応援してくれている祐二さんが、

今回の「渋谷のラジオ」出演を段取りしてくれました。

お国自慢の番組があって、そこに私とともに出演し、大いに信級を語るということでございます。

ありがた~い!!

東京の真ん中で「信級」の名前を発信する。なんてすばらしいんでしょう!!

で、その連絡事項のメールをいただくなかで

「校歌の音源があったら持ってきて」との指令がありました。

校歌とは、今から40年前に廃校になった信級小学校の校歌のことです。

この校歌、長野県民ならだれもが歌える「県歌・信濃の国」の作者と同じ浅井冽の作詞です。

信級出身者の集まりでは、同級会であれ、在京信級会であれ、常に「〆」は校歌斉唱!

そのぐらい沁み込んでいる歌なのであります。

校歌がラジオから流れる……しかも渋谷のラジオ。

考えただけで胸が熱くなってきます。いいっ!すっごくいいっ!

祐二アニキの発案に一も二もなく大賛成です。

で、校歌が録音されたテープでもレコードでもいいから、どっかにないか

こころあたりに声をかけ、探してみました。

いろんなしかるべき人に聞いたり、信州新町支所にもお願いして探してもらったりしたのですが

「どっかにあったはずなんだがな…」「もう40年もたってるからな~」といった状況で

音源を見つけることはもはや不可能と思われました。

そんななか、支所の藤森さんが「かたつむり」で集まりをやったときに

「楽譜だけはあったんですよ~。学校の記念誌のなかの1ページにあったのを探してコピーとってきました」

とA4一枚のぺらっとした楽譜をもってきてくれました。

おおおお~~~!

楽譜がみつかった。歌える人はまだまだたくさんいる。だったら歌うか!!

というわけで、移住民の西川ちゃんに

「あんたピアノ弾けたっけね。校歌をみんなで歌うから伴奏してくんない?」と頼み、

前から信級に取材に来たいと言ってくれてたSBCラジオの小森君に

「力を貸してほしいんだけど、録音してくれない?」と頼み、

通信を配る時に「校歌を歌いませんか」とお知らせを回し、

7月7日金曜日に、学校で校歌の録音会となりました。

私の母カツエやおばタマエ、としゆきオジをはじめ、ムラ子おばさん、

そして「校歌を覚えて歌えるようになりたかったんです」という移住民のゆみこさんなどなど

総勢10名の村民に加え、その日に遊びにきていたきぃちゃんたち友達3名、

そして楽譜を見つけてきてくれた藤森さんまでが集まってくれました。

校歌の歌詞をプリントした紙を配ったものの、みんな覚えているので紙などいりません。

西川の電子ピアノの伴奏、藤森先生の指揮に合わせて、校歌を何度も歌いました。

     ♪ 山水清く秀でたる 信級村はおのづから 人の心もすなおにて 生業を怠る家もなし

  ♪ 進みゆく世におくれじと いとも広らにきづきたる 学びの庭の教え草 栄ゆくこそうれしけれ

  ♪  尋ねまほしき当信の ふりにしさとの跡とえば 神の社に川の名に 流れて世にも残るなり

何度も何度も歌ううちに、みんなの声も大きくなってきました。

それと同時に、校歌の歌詞の意味が心に沁みる……。

いまは公民館として使われている学校の教室。

周りには歴代校長先生と、信級村村長さんの写真。

そんな昔からの目に見えないものに見守られながら、信級小学校校歌の録音が進みました。

「小学校も中学校もおんなじ校歌だからね。今はやりの小中一貫教育だで~(笑)」

「また学校に入学してえな~(笑)」

本当に歌詞の通りの信級です。

だんだん良くなっていく合唱。

最後、これでいいかといったときに遅れてやってきた和正さんも加えて 歌ったちきには

市民合唱団のごとく素晴らしい校歌斉唱になりました。

………………

いろんなことがわからなくなってしまったお年寄りでも

枕もとで「校歌斉唱」というと、目がしゃっきりしてこの校歌を歌うそうです。

一瞬にしてみんなと校歌を歌ってた小学生の頃に戻っているのかもしれません。

校歌ってすばらしい!

そして、違う土地から移り住んできた人が、この校歌を覚えて歌ってくれる……。

なんだか信級ってところがほんとに魂のふるさとなんじゃないかと思えてくるのでした。

やがて校歌を歌ったこともない人が増え、校歌は忘れられていくのかもしれませんが

この歌のなかに生きている想いは、なんとか伝えていきたいな~と思いました。

7月15日(金)15時~15時55分 渋谷のラジオにて校歌を流してもらいます。

ぜひぜひたくさんの方に聞いてもらいたいです。


 

 


安倍首相が、先日の講演で

「あいまいにしていたことがいけなかった。今治だけでなく、獣医学部を作りたいところがあるなら2つでも3つでもどんどん設立を認めていく」と言っていました。

この発言を聞いたとき、とうとう安倍さんおかしくなっちゃったのかな…と思いました。

だって、 あいまいにしているのは加計学園に決まった経緯や理由なんであって

2つでも3つでも国のお金で獣医学部を設立してどーすんだ!って話です。

うようよと獣医学部ばっかり作ってるなら、その予算をもっと他のことにつかってちょーだい。

信級に温泉付きの小さなデイサービスを作りたいんです、私たち。

年寄りの一人、二人ぐらしの多い信級では、みんなのすぐそこにある未来の暮らしが心配です。

たとえ冬だけでも、みんなが集まって、少し大きな温泉お風呂にいつでも入れて

バリアフリーの広いトイレがあって、

みんながそれぞれにできることをもちよって、共同で暮らせる場所がほしいんです。

足は痛くても手は動く。だったらゴボウは刻んでもらう。しめ縄を作ってもらう。

おやき作ったりしてもいい。

ゆっくりでいいからいろんな仕事もしてもらう。

そんなふうにみんなが少しずつ役立ちあって、そこに私たちのような食堂も関わって、

保育園や小学校に行ってる子どもたちが帰ってきたら、その場所でお母さんやお父さんが帰ってくるまで預かって

お年寄りたちと遊んでいたり宿題やったりして。

ときどきはピンポンパン体操みたいな体操やバランスボールを子どもと遊びながらやったっていいし。

そんな場所をピカピカの新しい建物じゃなくて、いまある古い建物を利用しながらつくれないものかなあ、と思うわけ。

私たちにないのはお金です。

獣医学部を新設することを思えば、お金なんていくらもかかりません。

でも、そういうことには国はお金を使おうとはしてくれないのです。

総理大臣なら国民の一番弱いところに眼差しを向けてほしい。

強いものをより強くすることで国を強くしようと思っていると

その先に出てくるのは力の比べ合いであり、戦争です。

鶴見俊輔さんは、自殺していいのはどういうとき、という質問に

「目の前で誰かを殺せと言われたときと、レイプしろと言われたとき」と答えていました。

これはあくまで鶴見さん自身の判断です。

戦争中に、国の命令で誰かを殺した経験がある人がいるかもしれません。

その時の狂った状況の中で、現地の女性を強姦した人がいるかもしれません。

人間は、戦争という狂った状況の中では、そのことが正当化され、もしかしたら

こんなにいいお父さんが、とても礼儀正しい青年が、こういうことをしてしまうかもしれないのです。

それは、「死」と同じ……。

なんとなく、いま鶴見さんのその眼差しを、ものすごく感じる毎日です。

前文科事務次官だった前川さんのことを「次官の地位にめんめんとしがみついた……」と言っていた菅官房長官。

そんな人じゃなかった…前川さん。

この間の新聞の投書に、夜間中学校をつくって人種や国籍の別なく学ぶ機会をつくってこれなくてごめんなさい、と謝ってくれた人だ、という記事が載っていました。

大人のくせに一人の人間を薄汚い言い方でイジメてたのだから謝りなさいよ。

籠池さんのやってきたことの良し悪しは別にしても

昭恵さんまで名誉校長になっておきながら、犯罪者にして葬り去る方法もどうでしょう。

子どもたちが見ていますよ。

「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」と小さい子供が言ってたじゃないですか。

国の土地を8億円も値引きしたのはなぜなんだ、という疑問に財務省も大阪府もひとつも答えてはいないのです。

責任とるのは籠池さんだけですか?

このまま憲法改正までもってくつもりかもしれませんが、

神様は全部見ていますから。

悪いことをしているときっとどこかで罰が当たると思います。

思いもかけないところから自分を滅ぼすものが出てくる。

そんな予感がするのであります。

まあ、国はどうあれ、われらは田舎の片隅のちっちゃな地区で、助け合い支え合い、

笑い合い、泣き合い、育ちあえる、そんな居場所を作っていくのだ~!!

岩盤にドリルで穴を開けるのでなく

草むらに雨露みたいに沁みこんで土壌を豊かに変えていく

そんな変革がいいよな~と思うのであります。


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