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2017年10月16日「チベットを生きる」ということ

◎キキソソチベットまつり
 13日〜15日、小諸のエコビレッジで「キキソソチベットまつり」という催しがありました。
長野県在住の在日チベット人のゲニェン・テンジンさん、柳田祥子さん夫妻が発起人で、今年で3回目になる催しでした。
「キキソソ」というのはチベット人たちが特別の日や峠を越える時などなど、節目になるような時に唱える祈りの言葉「キキソソ、ラーギャロー!」なのです。
神仏をはじめとして山や川、湖などの神々を讃えて感謝し、自分たちをお護りくださいと言う願いを込めて、ツァンパやタルチョを天に撒きながら唱えます。
 現在日本にはおよそ100人ほどの在日チベット人がいますが、日本の各地で暮らしている彼らは、日頃はチベットの文化とは離れた暮らしを送らざるを得ませんし、チベット人同士での繋がりも日常的には持てずに過ごしています。
チベット人たちが集い、自分たちの文化を楽しみながら、チベットを多くの日本人に知って欲しいと企画して続けてきた祭りです。
 私は14日に、ここで「チベットを生きる」というタイトルで講演をさせていただきました。
ゆっくりできなかったのが残念ですが、会場のエコビレッジは楽しい雰囲気が溢れていて、チベット人も日本人も子どもたちも笑顔がいっぱいでした。
 そこでお話ししたことを、下記します。
お読みいただけたら嬉しいです。

◎チベットを生きる
1、はじめに
 幼い頃に大人たちの会話で漏れ聞いた言葉「チベット」が心に残り、チベットにあこがれた。
話していた大人たちはチベットについて何か具体的なイメージがあっての会話だったのではなく、話の流れで「チベット」という名詞が出てきただけだったと思うが、その響きに私は反応したようだった。
子どもは、「大きくなったら◯◯へ行きたい」などと夢を語ることがあるが、私の場合◯○は、アメリカでもフランスでもアフリカでもなく、そこがどんな所か何も知らなかったのに、なぜかチベットだった。
それで子どもの頃のあだ名は「チベット」だった。
 初めてチベットについて具体的に知ったのは、中学2年生の時に読んだ新聞記事からだった。
川喜田二郎さんが隊長の、西北ネパール学術探検隊の調査報告だった。
記事の見出しは「チベット人、鳥葬の民」だった。
チベット人が暮らすネパールのドルポで文化や植生などを調査したもので、見出しにあった「鳥葬」についても書かれていた。
それを読んでチベットに一層惹かれるようになった。
 未知のチベットが、次にまた具体的に目の前に現れたのも新聞の記事でだった。
中学3年の卒業間近の時に「ダライ・ラマ法王インドに亡命」という記事が載った。
それを読んで初めて地理上だけではない、チベットの “位置”を理解した。
 チベットは憧れる所だけれど、行くことは叶わない地だと思っていた。
2、初めてのチベット行
 1987年3月25日、18年間の保育士生活に終止符を打って、「チベットの仏教寺院を訪ねる旅」というツァー旅行に参加し、高野山大学の松永有慶学長(当時)を団長に高野山のお坊さんや尼さんらとチベットに行った。
お寺には全く関心もなく、寺院の見学は楽しめなかったが、お参りに来るチベット人との触れ合いや、畑で農作業をするチベット人たちとの触れ合いがとても楽しく心に残り、
「この人たちと一緒にいると、なぜこんなに心が和めるのか」、その訳が知りたくなって、それからチベットに通い始めるようになった。
3、チベット医学院
 初めの頃は旅行の仕方も判らず、旅行会社のツアー旅行に参加したり、親しい友人が企画を立ててくれて一緒に行ったりと、いつも団体での旅行だった。
 チベット医学に関心があり、3度目のチベット行でラサのチベット医学院を訪ねてチベット医に受診した。
現代西洋医学とは違う診察法や投薬の仕方に、なおチベット医学への興味が増し、そしてまたチベットのことをもっとよく知りたいと強く思った。
4、個人旅行に切り替える
 団体旅行では行動の幅が限られることに気づき、自分で旅程を立てて個人旅行で訪ねるようになった。
だがそれでも車で移動しているだけでは、チベット人の暮らしや思いを知るのが難しく、馬で行こうと考え、1995年にほぼ半年かけてチャンタン(チベットの西北部高原)を馬で旅行した。
馬旅を通して、初めてチベットの深部に触れることができチベットに受け入れてもらえたように思えた。
5、チベット仏教って?
 初めてのチベット旅行は高野山のお坊さんたちと同行のお寺巡りだったが、その時に私の関心は仏教ではないと思い込み、馬旅までの間の幾度もの旅行では僧院を訪ねるのもあまり積極的ではなく、旅先に有名寺院があれば訪ねるだけだった。
馬旅でチベット人の日常や考え方に触れて、チベット人に深く根付いている仏教を避けていてはチベットのことはわからないと思うようになった。
それ以降は行った先の小さな寺院、僧院なども積極的に訪ねてきたし、高僧の法話なども機会があれば傾聴するが、正直に言って私には理解がむずかしい。
けれども、チベット人の日常の言動から学ぶことがとても多い。
6、出会った人々の言葉や振る舞い
*ギャンツェの博物館で「イギリス人はチベットに何をしたか」の展示を見て私が、「これを言うなら中国人はチベットに何をしたか」を展示するべきだ」と言うと、ガイドが言った言葉。
「それは違う。『中国はチベットに何をしたか』であって、中国と中国人はちがう」と。
*かかりつけだったチベット医が私に言った言葉。
「あなたにはこの薬が合っているけれど、でも薬よりも大事なことは、あなたはいつも何かに怒っているようだけれど、怒りを鎮めて平穏な心でいることが何よりもの薬なのだ」
*別のチベット医に通うようになったが、新たにかかりつけになった医師の言葉。
「状況を変えようと立ち向かうのではなく、心の有り様を変えて御覧なさい」
*馬旅で数日を共にした巡礼の尼僧が、別れを惜しんで涙する私に言った言葉。
「イチ、泣くことは何もない。私たちは共に幸せな時を過ごした。だからこれからは祈りなさい。祈っていればいつも幸福な心で居られる。元気な時も病気の時も、祈りなさい。そしていつも、幸せな心を保ちなさい」
*塩湖で。そこで採取している塩を買いたいというとたっぷりと袋に入れて渡された。
代金はいらないと言うので何かお礼を渡そうとしたら、叱られた。
「遠くから来たあんたにあげるのだ。人の行為は黙って受け取れ」
*粉挽き小屋のおじいさんは、ツァンパを買いたい私が小屋に入ろうとするのを止めて「祈りの言葉を唱えなさい」といきなり言ったので、私は釈迦牟尼仏、薬師如来、緑ターラー観自在菩薩の真言を3回ずつ唱えたら小屋に入れてくれて言った。
「最近は観光客が増えて大勢がやってくるが、祈りを知らない者にはツァンパは売らない。世界ではあちこちで戦争が起きているが、みんなが武器を捨てて祈れば、平和になるのだ。祈りを忘れてはいかん!」
*宿をとった招待所で。足の悪い女性服務員が魔法瓶のお湯を運んできてくれた。彼女が去った後で同行のチベって人たちが、彼女の歩き方を真似して笑った。それを見て私は、チベット人って、こんな風にハンディのある人を笑い者にするのかと思った。
さっきの女性服務員がもう一度部屋に来た時に彼女を笑ったチベット人たちが「お前の歩き方はこんなだな」と真似て見せると彼女は笑いながら、「そうなのよ。子供の頃から私はこうやって歩けるけど、あんたたちはこんな風には歩けないでしょ」と言い、笑った者も笑われた者も、言った者も言い負かされた者も、互いに声たてて笑いあった。
それを見て私は、彼らが彼女を真似て笑ったのは差別や蔑視ではなく、また彼女と彼らが笑い合ったのは違いを認め合っての笑いだったと知った。
*サカダワ(チベット暦の4月15日の祭礼)で中国人のあくどい商売を見て、怒りに任せて文句を言おうとした私に、見知らぬチベット人が言った言葉。
「あんたがカリカリと怒っても、仕方ないだろう。それよりあんな商売をする哀れな男のために、あいつの来世がよくなるように祈ってやりなさい」
7、2000年西部大開発計画により鉄道工事が始まると
 鉄道開通前には、物価が安くなるだろうという期待もあったが、一時的に物価は下がったが、それによって生活が楽になったわけではない。
以前は牧畜地帯の住民と農業地帯の住民が収穫期に交易で生活必需品を手に入れていたが、物産の集積馬や加工工場ができて、必要な品は現金で買うようになったので現金収入がないと生活できない。
 またビニールやプラスチックなど環境に悪影響を与えるゴミが散乱するようになった。
便利を求めればきりがない。便利は欲望を道連れにしてやってくる。
 また鉄道開通後は他省から移住してくる漢人が激増し、それもチベット人の暮らしに様々な影響を与えている。
8、良い人も悪い人もいるし、好ましい人も嫌な人もいる
 チベット人、中国人、日本人などを問わず、どの国にも良い人もいるし悪い人もいる。
チベット人の商人に確かに私は紙幣を10枚渡したのに、9枚しかもらっていないと言って誤魔化されたこともあるが、私が自分の手元に目をやって彼女が1枚を隠すのを見ていなかったからで、私の方に油断があったことだった。
 また生産者が道端で売っているバターを買ったときのこと、宿に戻ってバターを切ってみると、中に茹でジャガイモが入っていた。それで重さを誤魔化されたわけだが、それもやっぱり買った私たちに見る目がなかったと言える。近くに市場があったのだから、そこで買えばよかったのに、産直だからと信用してしまったのが迂闊だった。
9、2008年以降
 2008年に北京でオリンピックが開催されたが、それに先立ってチベットでは大きな抗議運動が起きた。
抑圧されてきたチベット人たちが、自由と人権を求めて各地で非暴力のデモを行った。
初めは、ラサで起きた数人の僧侶のデモが公安に抑えられ、それがニュースやネットで流れると、抗議行動はチベット各地に燎原の火のように広がった。
政府は強硬な弾圧に乗り出し、多くの人が拘束され虐待・暴行を受けて亡くなった人もいる。
そればかりか政府は、その後一層、締め付けを強化し、現在チベット人たちはチベット内での移動の自由も制限されている。
 少し大きな会社などでは、従業員はチベット人も中国人もいるが、以前は政府のやり方に関わらず互いにわだかまりなく、例えば昼時には誘い合って食堂に行ったりしていたが、あれ以来「僕たちと中国人の間には大きな溝ができてしまいました。僕たちは隣の人とは仲良く暮らしたいと思っていたのに、とても残念です」と、知り合いのチベット人は言う。
10、終わりに
 私が30年通い続けて、そこで見聞し感じてきたチベットを話しました。
この日の講演タイトルは「チベットを生きる」としましたが、チベットの人たちからは多くを学んできたし、これからも私は「チベットという生き方」を求めていきたいと思っています。
 チベット問題というと政治的な意味合いで語られることが多く、私自身も中国政府の少数民族に対する施政には憤りを抱き、強く抗議を申し立てます。
 けれどもチベット問題を語るときに、政治だけで語るのは違うように思います。
現在のグローバル化した経済システムから考えるべきことが、多々あるように思います。
政治問題とだけ捉えれば、自分は“正義”の場に立って中国政府を批判していればいいのかもしれません。
中国政府もグローバル経済至上主義にどっぷり浸かっています。
けれどもこの経済システムの中では、一部の富める者はより富んで、格差は大きくなるばかりです。
 チベット問題を政治問題としてだけではなく、経済問題として考えた時にこそ、チベット問題は人ごとではなく我が事としてとらえていけるのではないでしょうか?
 またチベット問題は、チベット人たちの自由や人権が抑圧されているだけではなく、文化が抹殺されることも大きく危惧されていることです。
言語や宗教や、暮らし方などなど文化に含まれる具体的な事柄は多々ありますが、それらの文字で表したり、映像などで記録していけるものばかりが文化ではなく、チベットの人たちの生き方そのものが文化なのだと思うのです。
「チベットを生きる」のタイトルは、そんな思いからつけたのです。
チベットという生き方は、「思想」と言っていいのではないでしょうか?
その思想が消されることを憂うるなら、消そうとする者への抗議だけではなく、その思想を受け継ぎ伝えていく努力をしたいのです。

長文、お読みくださってありがとうございました。
来月、亡命チベット人女性に取材したドキュメンタリー映画が公開されます。
多くの方にご覧いただきたく願っています。
東京では11月18日からポレポレ東中野で公開されますが、全国各地で公開予定されています。

いちえ
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2017年10月11日号「世界平和アピール七人委員会講演会」

先日の「一枝通信」で、世界平和アピール七人委員会の声明文をお伝えしましたが、来月鎌倉で講演会が開かれます。
『壊してはいけない日本国憲法〜今こそ凝視、この国の行方—』
日 時:11月16日(木) 14:00〜18:00(開場 13:30)
場 所:鎌倉芸術館小ホール
入場券:999円(20歳以下無料)全席自由 前売り開始9月19日(火)
主 催:世界平和アピール七人委員会/鎌倉・九条の会
*入場券の申し込みはメール、FAX、店頭で。問い合わせ:0467−24−6596
メール:kamakura9jo@gmail.com
    氏名、電話、予約枚数を書いてください。返信メールをお送りします。
FAX :0467−60−5410/0467−24−6577
    氏名、住所、電話、FAX番号、予約枚数を書いてください。
    入場予約券(FAX、ハガキ)をお送りします。
店 頭:島森書店、たらば書房、松林堂書店、鎌倉芸術館

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2017年10月9日号「お知らせ3件」

◎お知らせ①
「トークの会 福島の声を聞こう!vol.25」は申込受付が始まっています。
今回のゲストスピーカーは、大熊町から避難して長野県白馬村で長女の舞雪さんと暮らす木村紀夫さんです。
久村さんのお話を、ぜひお聞き頂きたく、皆様のご参加をお待ちしています。
日時:10月20日(金)午後7時〜9時
場所:セッションハウス・ガーデン(東京都新宿区矢来町158 2F)
参加費:1500円(参加費は被災地への寄付とさせていただきます)
主催・お問い合わせ:03–3266–0461(セッションハウス企画室)


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◎お知らせ②
「キキソソチベットまつり」vol.3
日時:10月13(金17:00スタート)14(土9:00〜23:00)15(日8:30〜14:00)
場所:小諸エコビレッジ(長野県小諸市甲4717 小諸駅から車で10分)
まつりは3日間にわたって開催されますが、私は14日17:00〜18:30二チベットの話をします。
チベットの歌や踊り、チベットの牧畜民のドキュメンタリーフィルム上映、チベット医学の話、チベット仏教のお話、チベット伝統仮面舞踏のほか、売店ではチベットレストラン・タシデレのチベット料理、ケメケメのブータン料理、のほか台湾ビーフン、十割そばなどの食堂や手作り・フェアトレードの服や雑貨の販売があります。
ワークショップや写真展、などなど多彩な催しで、小諸にリトルチベット出現です!
お時間ありましたら、是非お出かけください。
チケット:1Day:予約;2500円、当日3000円
     2〜3Days:予約4000円、当日4500円
予約・お問い合わせkikisosotibet@outlook.com/080-6144-7203(ヤナギダ)
キャンプ、車中泊OK、ゲル、体育館も利用可、テント、寝袋、マットのレンタルあり(1セット2000円.要予約)

◎お知らせ③
「奈須りえが聴きたい、あの人の話」第1回
奈須りえさんは大田区の女性区議会議員さんですが、奈須さんに呼ばれて私が『福島の空はチベットに続く』を話します。
私は大田区の住民ではありませんが奈須さんを応援していて、そのご縁です。
日時:10月22日(日)13:30〜15:30
場所:エセナ大田 和室(大田区大森4−16−4大森駅東口より徒歩8分)
参加費:無料
主催:フェアな民主主義 奈須りえ
*衆議院選挙投票日ですが、こんな時代だからこそ是非お聞きいただきたいことを話すつもりです。
お近くの方、どうぞお越しください。            

いちえ


2017年10月8日号「世界平和アピール七人委員会」

世界平和アピール七人委員会の大石芳野さんから、メッセージが届きました。
皆様にも是非お読みいただきたく、添付いたします。        

いちえ

WP7 No.127J
2017年10月7日

国民不在の政権奪取ゲームに躍らされてはならない
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫 島薗進

安倍晋三首相の臨時国会冒頭解散から10月22日の衆議院選挙に向けて、日本の国のかたちの根幹が、日に日に戦後最大の激動を続けている。
安倍首相は、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽などに見られる情報操作によって国民の判断を誤らせたこと、森友学園・加計学園に見られる政治の私物化・不公平化と、国民とその代表機関である国会への説明を拒否したことによって人間性が欠如した政治家であることを露呈した。
私たち世界平和アピール七人委員会は、日本国憲法の下で積み上げてきた国のかたちを、特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法によって根本から否定する立法の、相次ぐ世論無視の下での強行を、既成事実として認めることはできない。
自衛隊が集団的自衛権を含めて米軍の傘下で一体化した活動を行っている現状が、日本国憲法の前文と第九条の一、二項と矛盾しているからといって、直ちに現行憲法に自衛隊を明記し、国民投票を目指そうとする動きは、日本人が70年間大切に積み上げてきた民主主義への思いとまったく相容れない。いまここで現行憲法に手を加えなければならない必要はどこにもない以上、改憲は無用であり、無用なものを押し通す勢力に対しては、あらゆる力を結集して阻止していかなければならない。
与党勢力に立ち向かうはずの野党が、集団的自衛権行使の容認、安全保障関連法容認、憲法改定賛同の動きを顕在化させた与党の補完勢力と、これを否定する護憲勢力に分かれているのが実情である。従って、この状況は、3つの勢力からの選択の選挙ではなく、民主主義を大切と思い歴史の流れを進める勢力と逆行させる勢力の2者からの選択と考えなければならない。
私たちは、一人一人の基本的人権が尊重され、武力行使に訴えることがなく、立法・司法機関が行政機関とのバランスを回復する日本を目指したい。また、互いの生き方や歴史的背景を認め合って一歩一歩進む世界にしていくことに努めたい。
連絡先:http://worldpeace7.jp


2017年10月3日号「9月27日28日④」

9月28日、日本教育会館で18:30〜21:00、「私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える市民大集会」が開かれました。
主催は「安保法制違憲訴訟の会」、協賛は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会でした。
会場は800人収容の大きなホールでしたが、立ち見も出るほどいっぱいの人で埋まりました。
司会はこの訴訟の原告弁護団メンバーの内村涼子弁護士と棚橋桂介弁護士でした。

◎「私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える市民大集会」
1、合唱「もう二度と(ビデオ上映による)」:被爆者歌う会“ひまわり”
 長崎の被爆者の方たちによる合唱団が寺井一通さん(訴訟の会の共同代表である寺井一弘弁護士の弟さん)の指揮で、2017年8月9日の平和式典で歌った時のビデオが映されました。

2、主催者挨拶:寺井一弘弁護士(安保法制違憲の会共同代表)
 「戦争が終わって、今や戦前に」私たちは戦争を絶対に許さない
    ——平和運動に命を捧げられたお二人の死を悼む
 私は9月9日、故郷の長崎で開かれた安保法制違憲の市民集会に参加させていただきましたが、平和都市の長崎の街は深い悲しみに覆われていました。
「全身を晒し原爆の非人間性を訴えた人物である」との言葉は16歳で被曝して「赤い背中の少年」と呼ばれ、長崎原爆被災者協議会の会長や安保法制違憲訴訟長崎原告団の団長でもあられた谷口稜嘩(すみてる)さんを表された土山秀夫先生のものでした。
その土山先生も長崎大学医学生の時に被曝されましたが、医師として被爆者の救護に奔走され、その後長崎大学の学長、世界平和アピール7人委員会の委員を務められ、長崎を始め世界の平和運動の理論的リーダーとしてご活躍された敬愛すべき方でした。
 そのお二人が一ヶ月足らず前の8月30日とその3日後の9月2日に相次いで逝去されたのであります。
安倍政権による軍国主義化が急ピッチで進み、核戦争の危機が叫ばれている現在、平和活動家の二つの巨星が堕ちた衝撃は図り知れないものでした。
私は「平和憲法を守る長崎ネットワーク」の共同代表の一人として土山先生の教えを数多く受けて参りましたが、土山先生の戦争を憎み、憲法9条を死守するというお気持ちは表現ができないほど迫力に満ちたものでした。
「戦争が終わって今はまた戦前になっている。全力で戦争を阻止しなければならない」と私に語られた言葉はその表情とともに胸に強烈に焼きついております。
 私は9月9日の市民集会において「安倍政権を問う」というテーマで講演させていただきましたが、お二人の生命をかけた戦いに深く敬意を表しながら「土山、谷口さんという偉大なお二人の意志を引き継いでいくことを皆で誓い合って、一人ひとりの人間が平和憲法死守と人間の尊厳をかけた戦いに挑んでいくことが今こそ求められている」ということを参加者に訴えました。
 安保法制違憲訴訟の戦いは現在、全国の21の裁判所で24の訴訟が進行していますが、集団的自衛権の閣議決定と国会成立の暴挙をひたすら国民が「忘却」することを目論んでいる安倍政権の策動を見抜いて私たちが心と力を一つにして「戦争を絶対に許さない」という松明(たいまつ)を高く掲げてひたすら前進していくことが歴史的使命であると確信してやみません。

3、基調講演:伊藤慎弁護士(安保法制違憲訴訟の会共同代表)
   私たちはなぜ戦争を許さないのか
❶はじめに
 憲法が施行されて70年、5月3日に有明に55,000人の皆さんが集まった。
どんな政権になろうが、どんなに政治が動こうが、私たちのこの憲法が自由と平和を下支えしてきた。
この憲法が戦争をしない国を作り上げてきた。
ところが安倍政権によって安保法制が成立し、集団的自衛権が強行採決されてしまった。
そこで私たちは、この訴訟を起こした。
❷戦前は、なぜ、戦争を許してしまったのだろうか
 ⅰ明治憲法下の神権国体思想
 ⅱ外見的立件主義
❸政府に二度と戦争させないために憲法を制定した
 ⅰ真の立憲主義を確立
  ・三位一体の解体
  ・個人の尊重と人権保障
  ・徹底した恒久平和主義
  ・司法権の独立と違憲審査権
 ⅱ世界の戦争違法化の潮流の先を行く先駆性
  ・平和的生存権と人間の安全保障
  ・核兵器を使ってしまった後の人類の課題を自覚した9条
❹私たちはなぜ戦争を許さないのか
 ⅰ個人を苦しめる
  ・個人の生命・身体・財産等の侵害
  ・人の内面からやさしさと心を奪う
  ・女性の尊厳を奪う
  ・学問、科学、医療などが本来の目的から逸脱
  ・信仰心、内心の破壊
  ・人を人でなくしてしまう
 ⅱ社会を崩壊させる
  ・安全な社会生活を危険にさらす
  ・軍事予算の拡大と社会保障の削減
  ・財政破綻と将来世代への負担
  ・民間企業や市民の軍事徴用
  ・差別、弾圧、格差の蔓延
  ・力による支配の正当化
 ⅲ日本の国柄を変えてしまう
  ・国防国家への変貌
  ・平和国家としてのブランドを失う
  ・米軍の下請けとして日本の若者が犠牲に
  ・武力攻撃、テロ等の標的になる
  ・沖縄への弾圧、差別、無視と国家の分断
 ⅳ世界(地球)への影響
  ・北東アジアを含めた世界平和への貢献が困難になる
  ・人間の安全保障への貢献が困難になる
  ・非核、軍縮、平和構築、地球環境への貢献が困難になる
❺最後に
 このように戦争は、個人に甚大な害を及ぼし、社会を劣化させ、日本国の価値を貶め、さらに世界(地球)への負の影響は限りなく大きい。
それ故、私は戦争を絶対に許さない。
  ・歴史の中で、憲法9条の意義を再度、確認する必要がある。
  ・世界の中で、憲法9条の意義を再度、確認する必要がある。
 私たちは、殺しあうために生まれてきたのではない。
人類の命の鎖を次につなげるために、今、ここにいるはずである。
地球上の小さい存在である私たちには、大きな責任があると思う。
こうした時代だからこそ、人類の進歩に貢献する憲法9条を実現する責任が、今を生きる私たちにはあるはずである。
それを自覚し、覚悟を決めて、一人ひとりがそれぞれの役割を果たすべきときではないだろうか。
 私は、市民のみなさんと共に自分の役割を果たし、この訴訟で勝つために全力を尽くす。

4、原告意見陳述
・河合節子さん(戦争体験者)
・服部道子さん(被爆者)
・本望隆司さん(外国航路船員)
・井筒高雄さん(元自衛官)
*4人の方はこの日の法廷で意見陳述された方たちではなく、これまでの裁判期日の中で意見陳述された方たちです。
今集会では、法廷で意見陳述された内容を短く発言されましたが、8月に岩波書店から出版された『私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える』に、4人の意見陳述が載っています。
ぜひこの本をお手にとって、お読みください。

5、来賓挨拶
●濱田邦夫さん(最高裁元判事)
 安保法制の違憲性については、私の見解は、一昨年9月15日の参議院中央公聴会で公述人として話した通りです。
安倍内閣は2014年7月の閣議決定で集団的自衛権行使可能だとしましたが、その根拠に昭和47年の政府見解を言っています。
このときの内閣法制局長官の意見を、政府公式見解としたものです。
憲法9条の解釈として、我が国が外国から攻撃された場合には自衛する権利がある、それは独立国として認められている自衛権の範囲内であるとしたものであって、自衛隊の海外派兵を認めるものではないことは、繰り返し確認されています。
 また安倍内閣の閣僚は集団的自衛権について、昭和34年の砂川判決で認められていると言っているが、砂川判決は非常に問題がある。
ときの最高裁長官がアメリカにせっつかれて出した判決で司法の汚点になっているもので手続き上も判例上も非常に問題が大きい。
 憲法解釈は解釈権のある裁判所が憲法全文から見て、解釈していくもので、一片の内閣が閣議決定でするなどは許されるものではない。
昭和47年の政府見解は、憲法解釈で判断するかどうか、ギリギリの線上の事例でそれを超えるなら条文として書いていかなければならない。
 本件の安保法制は、それを超えて勝手に解釈しているということで違憲性があるということです。
それが立憲主義を無視した行為だとして、多くの憲法学者が言っているのです。
これは手続き民主主義から言っても憲法違反ですが、実質的に戦後70年に事実上形成されてきた憲法規範を無視しているという意味でも憲法違反、つまり形式的にも実質的にも憲法違反です。
 旧約聖書に、モーゼが裁判をする人にこう言っています。
「地位や身分にとらわれず、紛争の当事者の言い分をよく聞きなさい。
人の顔色を見てはいけません」
我が国の裁判所も、時の政府の意向を忖度するのではなく、正しい判決を出すよう希望しています。

●青井未帆さん(学習院大学教授)
 臨時国会開催を、野党も国民もずっと求めていた。
立法府として臨時国会を開くことを求めていたにもかかわらず開かないで、開いた途端に解散するとは、議会制民主主義とは到底言えない。
この点について私たち憲法学者は非常に怒っています。
そして声明を出しました。
 国家が国家として進むべき方向を、言論によって決めるのが国会の役割です。
その役割を果たすために、53条で野党の意見を聞こうと定めています。
(注:53条:内閣は、国会の臨時会の招集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その招集を決定しなければならない。
 内閣が自分を律することができず、国会議員が内閣を抑制することができない。
誰が国会を憲法の中に留めることができるのか、私たちしかない!
立憲主義、私たちが憲法に政治を従わせる。
それには一票を投じることだが、この訴訟はとても重要です。
私たちが、私たちの方法で立憲主義を作る。
それによって議会制民主主義を作るということに、今、私たちは直面している。
 頑張りましょう!

●柚木康子さん(安保法制意見訴訟女の会)
 2001年1月の女性週刊誌上での石原発言「文明がもたらした最も悪しき有害なものはババァ。生殖能力のない女性が生きているのは無駄で罪」に怒って、謝罪と撤回を求めて裁判を起こした原告の一人です。
石原都知事は「大学教授の言葉を引用しただけ」と言い逃れましたが、判決は石原都知事の見解であると認められました。
外国でこんな発言をしたら、政治生命がなくなります。
しかし日本では、それからも女性蔑視の発言は続いています。
 安倍政権が多くの市民の声を無視して、違憲の安保法制を強行採決しました。
こんな空気をどうしたら止められるか、司法を通じて止めることはできないかと、心から思いました。
石原裁判を一緒に戦ってきた女性たちを中心に、なんとかしたいと考えていた時に安保法制違憲訴訟の呼びかけがありました。
私たちは女性の立場で、女性の視点でこの裁判の原告になろうと2016年8月15日に原告122名で提訴しました。
 日本国憲法ができるまで女性には参政権もなかったのです。
この憲法の下では、人はみな平等だとされています。
だからこそこの平和憲法を守りたい、そう考えて活動してきた私たちは憲法違反で安保法制が成立したことで、これまでの活動や人生を否定されるようでいたたまれない気持ちです。
2015年に95才で亡くなった母は、「平和が一番。もしあの戦争で日本が勝っていたら、国民は軍隊の奴隷になっていた」といつも言っていました。
 8月4日に発売された『私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える』の本を、姉や兄の連れ合いたちに送りました。
姉から電話があって「どこを読んでも、そうだ、そうだと思った」と言い、また初めて聞く話をしてくれました。
姉は集団疎開先で5年生の時に先生から「死ぬ前にアメリカ兵を一人でも殺して死ね」と言われて竹槍で藁人形を突く訓練をさせられたと言いました。
 安保法制を巡って衆参両院で都合42名の憲法学者や他の方たちが意見陳述をしましたが、女性は一人もいませんでした。
女性の意見は国会では聞かれない、男女平等は実現していない。
安倍首相は日本人女性と子どもが米艦船に乗っているパネルを使って、自衛隊出動の要を説き、米艦船には日本人は乗れないことを判っていながら女子供を利用しました。
 戦争は差別と暴力の究極の形です。
人を序列化し、自己決定権は認められない、富国強兵政策で女性は産む道具。
日本軍慰安婦制度は、性暴力が軍事のために組織化された究極の形態です。
戦後、日本国憲法下で女性は解放され、性の自己決定権が確立されたにもかかわらず、
日米安保条約の下、沖縄では米兵による性暴力が日常的に発生しています。
 私たちは行動する主体として憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」を実行するためにこの裁判を起こしました。
みなさん、一緒に闘い抜きましょう。

6、特別報告:山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
 労組出身の、がさつでひたすらアジテーションばかり吠えまくっている、ネット上では日本一のテロリストと言われている山城博治です。(笑)
大会場で多くの先生方の格調高いお話を聞いて、緊張しています。
心から感謝しています。
 拘置所にいた時に地元の新聞が社説でメッセージを出してくれました。
「博治さん、あなたはそこでは一人かもしれないが、外ではみんなと繋がっている。がんばれ!」
嬉しかったです。涙が出るくらい嬉しくて、頑張ろうと思いました。
その言葉通り、全国駆け回って、みなさんと繋がっています。
アベ、ざまぁみろ!見たか!
 私を拘置して運動現場から引き離して沖縄の闘いを止めたい、終わらせたいと思ったのでしょう。
私たちの闘いは、このように全国に広がり、世界に広がっていると、今日改めて感じます。
みなさん、頑張ってやりましょう。

 今日は別の集会にいて、防衛省との交渉でしたが、質疑で私はこう言いました。
「前の大臣は普天間の危険性を除去するのに辺野古に移すのが唯一の方法だと言って96年から騙し続けて、辺野古の基地が出来ようとしたらまたハードルを上げて、辺野古新基地は滑走路が1,500mしかないので、3,000m級の飛行場ができないと普天間は返さない。稲田はノウノウとそう言った」と、その話をしたところ、こんな言葉が返りました。
「いや、稲田さんが初めて言ったのではなくて、前から言ってます。97年の日米交渉で書かれています」
ふざけるな!!アホッタレ!
 もしそんなことを言うなら、普天間の危険性を除去するために辺野古に移す。同時に辺野古新基地は滑走路が短いので、那覇飛行場の一部を使わせてもらう条件でなければ、普天間は返さない、と言うなら県民は怒り狂って誰一人として承認しなかった。
そのことを今になって言い出す。
いい加減なもんですよ。
アベ、許さないぞ!
そんな怒りでいっぱいです。
 そういうことがたくさん、たくさん隠されて、この国は国民に知らされないまま、政治が蠢めいている。

 寺井、伊藤先生のお話から、憲法がどのように作られ今日に及んでいるか、憲法の精神を伺いました。
その憲法があるのに自衛隊を、軍隊を持つという時、私たちが若かった頃から“専守防衛”という論を持ち出して専守防衛に必要だといい続けてきた。
どう考えても、軍隊と憲法の精神は合わないのに、それを認めさせるために専守防衛を持ち出してきた。
 ところが今、グァムに向けたミサイルが日本列島を渡っていく。
集団的自衛権を持ち出す頃になって、ミサイルを撃ち落とすと言って憚らない。
狂犬のようなトランプさんと北朝鮮の喧嘩を、笑って見てればいいのに、俺もやる俺もやると入っていく。
米朝の戦争でなく日朝の戦争なら、沖縄の周辺に4発落とす、あるいは京都の経ヶ岬のレーダー基地、嘉手納、三沢、横田、佐世保、横須賀に。
そういうことがあるのに、踏み出そうとする総理大臣がおる。
屁理屈をつけて成立させてしまった安保法制。
悔やんでも悔やんでも、悔やみきれません!
あなた方は戦後70年専守防衛と言って騙してきた。
専守防衛なら、専守防衛 張れよ!
なんでトランプと一緒になって戦争へ行くんだ!
アホ‼︎ やめなさい‼︎
やめさせましょう!
やめさせないと、将来大きな禍根を残すでしょう。
 ぜひ、今度の選挙でアベを落としましょう。
アベはミサイルで人気を取り戻したから選挙に出たんでしょう。
あの国の偉いさんとこの国の偉いさんと、どこかでつるんでいるのじゃないか。
お前ら仲間じゃないか、と思ってしまう。
勝つだろうと思ってやったんだろうが、昨日あたりから(小池都知事が希望の党を言い出した)、間違ったかなと思っているのじゃないか?
ヨッシャ、そうなら間違いだったことを見せてやろうじゃないですか。
 沖縄は叩かれて叩かれて辛い局面でありますけれど、必ず4名の衆議院議員をもう一回通し、稲嶺市長を通し、翁長知事を再選させ、必ず基地建設を止め、そして南西諸島ミサイル配置していざとなったら中国とドンパチするんだ、沖縄は木っ端微塵、死のうが生きようが、島が沈もうが構わないという国防論のなかで差別される今の事態に、必ず歯止めをかけていきたい。
全国の皆さん、力を貸してください。
 昨日、辺野古で頑張っている島袋文子さんの88歳のお祝いを、みんなでやったそうです。
戦場で生きながらえた人たちの苦労、怒り、悲しみを彼女はゲート前でいつも言っています。
戦争だけはさせない!
もう一回戦争をするなら、私を殺してからやれ!と言っています。
そういう思いを、たくさんの思いを、私たちも引き継いでやっていきます。
ぜひ、平和を守るために、戦争をさせないために、頑張りをしたいと思ってます。

 若者たちに言いたい。ネットに毒されるな!
どうせ毒されるなら、君たちのおとうさん、おかあさん、おじさん、おばさんたちの言に毒されなさい。
そうすればあなた方は平和主義者になる。
ネットなんかに毒されてはならない!
ぜひ多くの皆さんの話を聞いて、しっかり時代に向き合いなさい。
どこへ行っても私たちの世代は元気です。
シルバー世代は元気です。若者たちに伝えていきましょう。
私たちの思いを、憲法を守ってきた思いを伝えましょう。
アジアを友好と平和の豊かな地にしましょう。
私たちもそのためにこそ頑張りをします。
 ♪♪今こそ立ち上がろう
  今こそ奮い立とう
     今こそ立ち上がろう
     今こそ奮い立とう♪♪

●アピール採択
 「平和憲法施行70周年記念アピール案」
 読み上げられた後、800名強の参加者による大きな拍手で採択されました。
 *アピール文を添付します。

●閉会挨拶:杉浦ひとみ弁護士(安保法制違憲訴訟の会共同代表・事務局長)
 みなさん、今日の市民大集会はいかがだったでしょうか?
 安保法制違憲訴訟は、いよいよ証拠調べに入っていきます。
つまり法廷で証人や原告本人が訴えている事実が真実であることを証言する尋問という手続きで進められます。
原告が本当に被害を受けていることを証言するのです。
 今日の登壇者やゲストの方たちのお話を、思い起こしてください。
 空襲の被害は、空から焼夷弾が火の雨のように降ってきて母や兄弟を焼き殺しました。
その風景が想像できるでしょうか?
 原爆の被害は一瞬にして街がなくなり、頭や手足がなくなり、内臓が電線にひっかかる。
そんな、この世のものと思えない風景が繰り広げられました。
 弾丸に沈められるかも知れない危機感の中を、日の丸の旗を船に描いて、昼間日の丸が見えるようにして、命がけでペルシャ湾を、原油を日本に運んできた船員の緊張感を感じられたでしょうか。
 戦場に自衛隊が行かされるとはどういうことか。
若い人たちが一番危険なところに行かされる。
武器を買えば、中国もロシアも日本が戦争をするぞと、喧嘩を売っていることになる。
 沖縄では、戦争は終わっていません。
騙されて、叩かれて叩かれて、苦しい思いをしてきました。
島々は、自衛隊配備で捨石になるかもしれない、そんな危惧感のなかにおられます。
 私たちは被害を受けている当事者の話をこうして生で聴くことで、初めてその現実を少しだけ想像できます。
現実に誘われます。
そして私たちは、これから裁判所をこの現実の世界に誘わなければいけないのです。
現実を見るつもりもない者が作った法律や判断が、私たち市民を考えていない中で行われ、市民が苦しんだ事実は72年前の戦争で明らかでした。
 今年8月19日にNHKスペシャルで「戦慄の記録インパール」が放送されました。
この中では当時の記録や体験者の記憶で構成されていました。
最も無謀と言われた作戦で、3万人の兵士は誰もインパールには着けなかった。
補給を度外視したので、兵士は密林に倒れていった。
戦後連合軍が、インパール作戦を進めた首謀者を尋問した記録では、首謀者はこう言った。
「戦況を変えるための有効な作戦だと、強い信念に基づいた。いかなる犠牲を払っても、精神的価値として続ける意味があった」
 そんな精神論で若い兵士が犠牲にされたのです。
首謀者に付き従った若い兵士の残した記録によれば、
「反対意見は封じられていった。刑事部長でさえ補給は全く不可能と明言したが、卑怯者!大和魂はあるのか!と叱責された。
参謀部に将校から、○○人殺せばどこかを取れるということを、よく耳にした。
この殺せばというのは敵のことかと思ったら味方の師団のことで、5,000人の損害が出るということだった。
まるで虫けらでも殺すみたいに、部下たちの損害を表現すると思った」
そう記録していました。
その人は最後に番組の中で車椅子で姿を見せ、
「屍体には兵や軍属が多かった。将校、士官は死んでいない。
日本の軍人は、これだけ死ねば取れると自分たちが計画した作戦を成功させる。
軍隊の上層部は、悔しいけど兵隊に対する考えはそんなものです。
だから上層部の考えを知ってしまったら、辛いです」
と、嗚咽しました。
 そして殺し殺された結果、国内でも国外でも親を失った子供たちは一人で死んでいきます。
72年前の終戦後の上野の地下道は、浮浪児であふれ、数え切れない子供たちが餓死、凍死していきました。
生きた証さえ残せず、「おかあさん」と呟き、一人で死んでいった。
原告、金田マリ子さんの証言です。
 私たちは安保法制によって起こる危険、これによって平和の中で生きる権利を奪われ、また戦わない国で暮らす誇りを傷つけられ、人格を侵害されています。
国会で自分たちの代表が討論して決めると信じていたのに、乱暴に強行採決されたあの法律は、私たちの主権を踏みにじりました。
 今後の証人尋問では、この成立の過程を国会議員を証人として呼び、法廷の中で事実を伝えようと思います。
こんな法律を日本はずっと認めてこなかった憲法解釈という事実を、元裁判官から、元内閣法制局長官から、裁判官に説得をしたいと思います。
憲法や法律にどう違反しているのかということも、今日お話しくださった青井先生や学者の方々に、法廷で裁判官に国会や国政の歴史を誘います。
 こんな風にこれから私たちは、法廷で裁判官を現実の世界に誘っていきます。
裁判官を誘うためには、まず私たち市民が過去の現場を訪ね、その悲しさを知らなければなりません。
 この72年間、日本は一発も発射しなかったと評価されてきたアジアや中東へ行き、今の日本の危険な状況を見極めなければいけないのです。
もちろん現実に時間・空間を超えてということではありません。
私たちは目を見開いて、いろんな事実を知らなければいけない。
そしてそのことは、たくさんの人で共有して、裁判所を後押ししたいと思います。
 今日お越しの皆さん、さらに多くの皆さんと一緒に、この裁判を市民の代表の裁判として闘っていきましょう。
裁判所を私たちの現実に引き寄せ、時の政府の顔色を見なくても良いんだよと言いながら、裁判所を説得しましょう。
 今度皆さんとお会いするのは、10月27日差止裁判があります。
またたくさん、おいで下さい。
その中で私たちは、着々と裁判官を現実に誘います。
そして、この裁判を勝利に導きます。
 今日は、ありがとうございました。
*こうして、この集会は終わりました。
登壇された皆さんの言葉が、深く胸にしみた集会でした。
寺井弁護士の決意に頷き、伊藤弁護士のパワーポイントを使っての歯切れ良い基調講演には、明治以降の憲法と政治を学び、原告の方たちの意見陳述に思いを寄せ、来賓の方たちの挨拶に大いに賛同し、山城さんの言葉には連帯の思いを強く抱き、そしてまた心を鼓舞させられました。
杉浦弁護士の爽やかな弁舌に聞き入って、閉会となりました。

明日(いえ、もう今日でした)は、3日。
「アベ政治をゆるさない」一斉行動日です。
私は都合があって国会前にはいけませんが、移動先でプラカードを掲げます。    

いちえ

平和憲法施行70周年記念アピール案


2017年10月1日号「9月27日、28日報告③」

安保法制違憲訴訟第5回口頭弁論、傍聴の続きです。
前便では原告代理人の弁護士3人の意見陳述をお伝えしました。
福田弁護士・島村弁護士の言葉に、国会の異常さ、虚言と詭弁に満ちた政府答弁が脳裏に蘇ってきて、改めてこの裁判の重要性を思いました。
伊藤弁護士の「憲法を学んだ同じ法律家として、司法には、政治部門に対して強く気高く聳え立って欲しい」の言葉に、裁判所・裁判官はしっかりと応えて欲しいと強く願います。
裁判官は前回までの3人とは代わっていました。
自分たちに語りかけられる伊藤弁護士の言葉を、どのように受け止めていくのか、これからも原告の一人として、しっかり見続けていこうと思います。
 今回の報告では、原告本人の意見陳述を記します。

◎安保法制違憲訴訟第5回口頭弁論
●原告本人:T・Rさん(女性)
 1941年生まれで、仙台で空襲に遭った。
1945年7月10日未明の仙台大空襲時、3歳8ヶ月だったが、燃え盛る街なかを母に背負われて逃げた記憶が鮮明にある。
 翌朝、幸運にも焼け残った自宅の一室に、焼夷弾を受けて亡くなった父の友人が運ばれてきた。
覗いてはいけないと言われていた部屋をそっと覗くと、畳の縁に白い米粒のようなものが一面にびっしりと張り付いて、それが蠢いていた。
今も「戦争」という言葉には、この光景が鮮明に蘇る。
 戦争の記憶は重苦しい空気の記憶でもある。
 父はキリスト教会の牧師だった。
現人神である天皇以外の神を礼拝することが許されなかった戦争の時代は、父母にとって本当に辛い時代だった。
信者の礼拝出席はゼロになり監視の特高警官だけが、熱心な信者であるかのような皮肉な光景だった。
父は何度も特高から呼び出され、事情を聞かれた。
隣組が組織されて近隣からは「耶蘇教の牧師なんて英米のスパイだ」と言われ、近所から孤立していた。
幼い私には事情は分からず、父が家から連れて行かれる時の恐ろしさと不安、父が戻ってくるまで母が合掌して祈っていた光景が記憶に残っている。
 家のなかいっぱいに漂う、不安で恐ろしい空気は忘れることができない。

 私は長く保育園で子どもと関わってきたが、3歳から5歳くらいの時期に感受性が育つ。
私が体験した街が焼かれ人が亡くなる戦争の体験は、子どもの心に刻印され消えることのないものだということを自分の仕事を通しても学んだ。
 この自分の体験から、二度と戦争を起こさないため、子どもたちを戦争に巻き込まないために、戦争の時代にあったことを伝える冊子作りの活動をするようになった。
その活動の中で、戦場に行かされた兵士の苦しみにも出会った。
日本軍の常軌を逸した残虐性、軍隊内の隷属関係、兵士を見殺しにするような無謀な作戦や他民族蔑視など、人が人でなくなる戦場の実相を知るようになった。

 戦後、二度と戦争を起こさないように、日本国憲法が作られた。
戦前の言論弾圧や思想良心、信教の自由が侵害されたことから、これらを強く保障する規定も整備された。
にもかかわらず2015年9月に安保法制が強行採決されて以来、精神的自由が奪われていた幼児期の息苦しさが蘇り、元兵士たちが伝えてくれた戦場での経験を反芻し、悪夢を見る思いでいる。

 この国は三権分立が貫かれており、立法や行政が誤ったことをした時には司法が正しく判断してくれる人権の最後の砦だと信じてきた。
ところが原発、沖縄、全国にある米軍基地について、判断を避けてしまっているように見えることに対し、司法に信頼が持てなくなっている。
どうか、私たちがこの安保法制によって負っている戦争の不安、苦しみを分かって下さり、司法の使命を果たして下さい。

 空襲の後亡くなった人の周りで蠢いていたウジの話を、最近になって2歳上の兄に話したら、兄ははっきりと覚えていて、「あの時は7月で暑くて臭がひどかったから、僕は何度もヤマユリを採りに行き、たくさん摘んできてその人の周りに置いた。遺体を焼く薪を運ぶ手伝いもした」と初めて話してくれた。
兄の心の中にも、重苦しいものがずっしりと残っていた。
 二度とこんなことを日本でも他国でも起こすことのないようにしてください。

●原告本人:T・Hさん(男性)
⑴私は北海道出身で1978年に国鉄に就職し、その後分割民営化で清算事業団を経て、1989年にJR東日本に採用され現在に至っている。
 高卒で就職し仕事を覚える傍ら労働運動に出会い、労働に対する見方、国鉄赤字に対する政府や財界の思惑などを知る中で、政治や社会について考えるようになった。
私が属する国労は、日本がアジアの多くの民衆を犠牲にしてきた戦争を二度と繰り返さないこと、翼賛会政治のような潮流には決して流されないことを誓い合い労働者の団結のもとに結成された。
結成当初から現在まで一貫していることは、団結と平和の追求だ。
私は戦争を知らない世代だが、第二次大戦後も世界で起きている戦争を見る時に、日本が当事者となって引き起こした戦争を反省し、誓った平和憲法こそ紛争の絶えない現代世界の中で胸を張って広めなくてはならないと思う。
⑵ところが2015年9月に、多くの国民の声を無視して安保関連法が成立させられた。
平和憲法に反するものであり、精神的苦痛は体調にも影響を及ぼしている。
私たち公共交通に従事する者は、必ず戦争に加担することになるからだ。
戦中の国鉄は、兵隊と戦車と爆弾を載せて走った歴史がある。
現在でも、米軍基地へのジェット燃料輸送にJRが使われている。
アメリカの戦争にいかなる形であれ参戦することになれば、自ずと敵対国の標的にされることになりかねない。
そして私たち鉄路同様に空路、航路に従事する労働者、医療労働者など過去の戦争に関わった多くの産業労働者、直裁的に関わる自衛隊員、その家族の悲惨な心情は、戦後70年間続いてきた日本の平和を覆すだけでなく、アジア各国に対する信頼の崩壊に繋がりかねない。
⑶7年前から東京の目黒駅で、出札や改札、緑の窓口などを担当している。
 目黒駅は1日のJR利用者が11万人ほどで、それ以外にも私鉄や地下鉄もあり、乗降人員は70万人近くになる。
場所柄大使館等が多くあるので、外国人でも目立つことはない。
監視カメラは駅に何十台とあるが、警察官の姿もカメラにはよく写っている。
監視やコントロール手段が充実してきているとはいえ、鉄道の駅は空港などとは違い、基本的にセキュリティチェックはない。
切符さえ買えば、爆弾を体に巻きつけた人でも紛れ込める。
この状況を冷静に考えればこの人混みでテロを行うことは容易であり、その被害は膨大で、惨状は想像できる。
それは一つの駅で事件が起きれば、東京はあっと言う間に交通も生活もマヒする。
 アメリカと一緒になって武器を持って戦う国になることは、テロの危険を招くことになる。
監視カメラや警官の監視では防ぎきれない。
このことへの不安は、安保関連法ができて以来、片時も私の心から離れる時がない。
カメラに映る多くの人波を日々目にするとき、穏やかにこの駅を通過し無事に目的地に着いて欲しいと思う。
日々行き来する乗客に危険は絶対に来ないで欲しいと祈る。
 司法には、この危険な憲法違反の安保関連法が違憲であることをはっきりと認めて欲しい。

●原告本人:K・Sさん(男性)
⑴私は2011年3月11日の東日本大震災の頃は、浪江町で妻と幼稚園の息子と暮らしていた。
 原子力従事者の私は、当日は女川原発に出張中だった。
女川湾も津波に襲われ移動できず、3月15日まで足止めになった。
 3月11日夜、ニュースで福島第一原発が全電源壊失し、原子炉水位が低下していることを知り、メルトダウンしているのは確実だと思った。
家族はちゃんと遠くに避難しているかと、いても立ってもいられない思いだった。
 15日にやっと福島に向かったが、自宅のある浪江町はすでに立ち入り禁止区域になっていた。
 妻や息子は誘導されて避難していたが、そこは自宅周辺よりも放射線量の高い地域だったことがわかった。
国や県はSPEEDIのデータを生かさず、汚染の状況や被ばく量を隠し続けて、汚染の酷い高線量地域に人々を留めおき、不要な被ばくを受けさせ続けた。
情報が広報され誘導に生かされていればと、悔しくて仕方がない。
国も自治体も、安定ヨウ素剤の配布も、服用もさせず、避難させず、何の対策も取らないどころか、被ばく拡大をした。
その後、故郷に帰れない私たちは転々として、現在福島市飯坂温泉にできた復興公営住宅で避難生活を続けている。
 仮住まいで転校させた子どもも小学校を卒業する年になり、不安定に6年を過ごさせたのではないか、あるいは、子どもの世界での「原発避難のいじめ」にも日々心を痛めている。
⑵幼稚園だった息子は、確実に被ばくし、事故後半年くらい経ってから、1ヶ月に2度、風邪を引くようになった。免疫力の低下によるものと思われる。
2年間くらい続いた。
私たち大人はともかく、まだ小さな子どもの受けた内部被曝の影響が今後どのように出てくるのか、本当に不安でたまらない。
 行政は、被ばく量を測定して欲しいと希望しても行わなかった。
高い数値が出ないように、半減期が過ぎる物質があればそれを待ちたかったのではないか。
また旅館に避難中、当時出産直前の女性が、生まれてくる子に母乳が飲ませられるかどうか知りたく母乳の汚染検査を求め県庁に何度も依頼に行ったが、「国や県の意向で測ることはできない」と言われた。
数値が高いことを明らかにしたくなかったのだろう。
彼女は初乳だけを赤ちゃんに飲ませ、あとは乳を捨て支援物資の粉ミルクを与えていた。
 放射線障害防止法は「一般人の追加被ばく線量年間1mSv以下」という基準を定めていた。
ところが事故後は、年間20mSvまで許容されるなどとしている。
私は原子力で29年間働いてきたが、今までで最高の被ばく線量は、年間12mSvだ。
いかに、20mSvの数値が大きいかということだ。
原子力従事者より多くの被ばくを、小さな子どもたちに強要している。
子どもの将来をいったいどう考えているのかと、本当に許せない思いでいる。
⑶安保法制ができたことによる現実的な恐怖
 安保法制の成立により、これまでは戦争をするアメリカとは一線を画してきたが、これからはアメリカと一緒になって戦争をする国になってしまった。
日本もまた他国から疎まれて、テロの対象になる可能性が高くなった。
日本各地にある原発は格好の餌食だ。
少し前のパリのテロの時も、フランス政府は原発へのテロを警戒したという。
原発が狙われるというのは、私の思い過ごしではない。
 原発が狙われた時には、その被害は甚大だ。
近隣住民は故郷を失い、生活の安定を失い、健康被害を受け、さらには私たち大人が守らなければいけない子どもたちが、将来どんな被害を生じるともわからない被ばくの結果を残す。
原発の被害は絶望的な被害で、それを受けた者の苦しみは言葉で言い尽くせない。

*第5回口頭弁論傍聴の報告はこれで終わります。
いつもだとこの後、参議院議員会館で報告集会が開かれますが、この日はより大きな市民集会となりました。
「私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える市民大集会」です。
集会の様子は後ほど続報します。                   

いちえ


2017年10月1日号「9月27日、28日報告②」

28日は前日に王子の北トピアつつじホールで催された市民集会に続いて、「辺野古の工事、いまどうなっているの? 〜生命かがやくサンゴ礁の海 大浦湾を守ろう!」の院内集会と防衛省交渉が行われました。
私はこの日は安保法制違憲訴訟の傍聴に行ったので、それには参加できませんでした。

◎安保法制違憲訴訟第5回口頭弁論
●原告ら訴訟代理人:福田 護弁護士
新安保法制法の基本的な違憲性と立法事実の不在について
1立法事実なき強行採決
⑴憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を認める2014年7月1日の閣議決定は、同年5月15日の安保法制懇の報告を受ける形でなされた。
その報告当日、安倍首相は記者会見で「基本的方向性」を発表した。
それは紛争地域から避難する日本人母子が乗っている公海上の米軍艦を描いたパネルを示し自衛隊がこの米軍艦を守らなくていいのかと熱弁をふるい集団的自衛権行使の必要性を訴えた。
同じ事例を本閣議決定当日の記者会見でも重ねて訴えた。
 ところが国会審議の中で、この米艦に日本人が乗っているかどうかは存立危機事態かどうかの判断にとって無関係であることが明らかになった。
⑵もう一つ繰り返し強調された事例が、ホルムズ海峡の機雷掃海の必要性だった。
これは2012年8月のアーミテージ・レポートで日本による実施が求められ、安保法制懇が取り上げ新安保法制案の国会審議の中でも繰り返し取り上げられてきた。
 そこでは、日本が輸入する石油の8割が通過するホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合、機雷除去を自衛隊ができなければ国民生活に死活的な影響が生ずるとして、集団的自衛権行使の必要性が訴えられた。
しかも、他国の領海での自衛隊の武力行使は念頭になく、ホルムズ海峡だけが唯一の事例だと説明された。
 ところがこの事例についても、国会審議の終わり頃になって安倍首相は「今現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と答弁をした。
⑶それならば、この法律はいらないはずだ。
大騒ぎをして、集団的自衛権の行使ができなければ大変なことになると煽情的に訴えられた事例が両方とも立法事実たり得ないことが明らかになった。
そうであればこの法案は、一旦撤回されるべきであった。
ところが国会では、問答無用の強行採決が敢行された。
2海外派兵はしないという詭弁
 また。安倍総理は前述の安保法制今報告当日の記者会見を含め、新安保法制法の下でも、「自衛隊が武力行使を目的として、かつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは決してありません」「武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣する海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるもので許されない。これは新三要件の下で集団的自衛権を行使する場合であっても全く変わらない」「他国の領域での武力行使は、ホルムズ海峡以外は念頭にありません」と繰り返し強調した。
 しかし、存立危機事態における「他国に対する武力攻撃」を排除する自衛隊の武力の行使は、その性質上当然に、当該他国の領域に置ける武力の行使を予定するものであり、法文上も、外国の領域を不可とする何の限定もない。
すなわち新安保法制法は、自衛隊の海外での武力行使を前提とするもので、政府も国会答弁で「法理上」はそうなることを認めざるを得なかった
そして、海外での武力行使をする自衛隊は、憲法9条2項の「戦力」に該当することをもはや否定できず、「交戦権」行使の主体となることも明らかだ。
 安倍総理の海外派兵はしない、できないという答弁は、安保法制法の最も基本的な違憲性と大きな危険性から国民の目をそらそうとする詭弁にほかならない。
このような詭弁がまかり通ってしまう行政府と立法府の現状は、真に憂慮すべき事態にある。

●原告ら訴訟代理人:島村海利弁護士
新安保法制法の違憲性・各論
1、はじめに
 新安保法制法の強行採決の成立と施行により、自衛隊法の95条の2が新設された。
この条文は、自衛隊の武器等防護のために、自衛官が武器を使用することを定めた自衛隊法95条の適用場面を拡張し、米軍等の部隊の武器等を防護するため、平時から自衛官に武器の使用を認めるものだ。
2、米艦防護等の実施
 米軍等の部隊の武器等防護については、平成29年5月に、海上自衛隊護衛艦「いずも」と「さざなみ」が房総半島沖周辺で米海軍の補給艦と合流し、任務を行った。
この間、海上自衛隊護衛艦の艦載ヘリコプターを補給艦に着艦させ、海自艦が、補給艦から燃料の補給を受ける手順を確認するなどの訓練も実施したという。
また、平成29年4月以降、海上自衛隊の補給艦が、北朝鮮の弾道ミサイル警戒にあたる米イージス艦に給油を行っていたことが明らかになった。
これは、新安保法制法の一環として改正された日米物品役務相互提供協定(ACSA)の発効を受けたものだ。
3、問題点
⑴そもそも、自衛隊法95条の2のもとになった95条すら、憲法上疑義がとなえられてきた。
武器等防護のための武器使用は、防護対象が武器であるため、生命・身体に対する自然権利とは言えない。
従来95条の解釈として、我が国の防衛力を構成する重要な物的手段を破壊、奪取しようとする行為に対処するため、武器等の退避によっても防護が不可能であること(事前回避義務)、武器等が破壊されたり相手が逃走したりした場合は浮き使用ができなくなること(事後追撃禁止)など極めて受動的、限定的名必要最小限の使用のみが許されてきた。
 米軍の武器等防護のために自衛艦が武器を使用することに、憲法上の根拠があるとは考えられず、国際法条の説明も困難である。
⑵また、武器等防護行為から、集団的自衛権の行使に発展する恐れがある。
米軍の武器等防護が実際に行われているときに、相手国等から米軍に対し武力行使に当たらない程度の何らかの侵略行為があったとし、その時に自衛官による武器の使用がなされたら、相手国からすれば自衛隊が反撃してきたと思うのは明らかだ。
するとそれは集団的自衛権の実質的な行使であり、国会の承認も内閣総理大臣の防衛出動命令もないまま、日本が国際武力紛争の当事国になる。
⑶つまりそれは、文民統制が機能しないことを意味する。
戦争はいつも、現場での小競り合いをきっかけに始まる。
さらに危険なのは、米艦防護等の実施については、特異な事象が発生した場合のみ、速やかに公表するとされ、政府は現在も、「運用上の理由」を盾に実施状況を公表していない。
国民には何も知らされないうちに、自衛官が米軍のために発砲し、戦争が始まってしまう危険性がある。
4、なし崩し的に続く米軍との一体化
 前述の通り、新安保法制法の違憲性が叫ばれる中でも、米艦防護や米イージス艦への給油がすでに行われている。
 今回の実績をもとに、日本海に展開する米原子力空母カール・ビンソンや米イージス艦に対する「米艦防護」や、米戦闘機に対する「米軍機防護」などへと拡大する危険もある。
 その先にあるのは、集団的自衛権が行使され、米軍との一体化がさらに進むことだ。
他国と一体となっての武器使用を許すことは「武力の行使」にあたり、またその具体的危険性を生じさせるものだから、憲法9条Ⅰ項に違反する。
また、戦争に容易につながる行為を認めているという意味で、憲法9条2項にいう交戦権の否認にも反する。
 従って、新安保法制法により新設された自衛隊法95条の2は、違憲である。

●原告ら訴訟代理人:伊藤 真弁護士
違憲審査制と裁判所の役割
1、民主的な政治過程との関係について
 裁判所は議会に敬意と謙譲を払いつつも(司法消極主義)、必要な場合に合憲性の統制に積極的にならなければならない(司法積極主義)。
「必要な場合」かどうかは、「広く、立法事実や憲法事実、社会的背景や権力機関の機能状況等」を総合的に考慮して判断するほかはない。
 新安保法制法案の審議過程において、国民の声が反映されていたかといえば、全くそうではなかった。
むしろその不十分さと異常さが顕著な国会というほかはなかった。
首相らの答弁が二転三転し、委員会決議がないままに採決が強行された。
このように、新安保法制法の審議過程における不十分さと異常さに照らせば、国民の声がそこに届いていたとは言いがたく、憲法が予定する議会制民主主義を破壊して作られたものとさえ言える。
そうだとすると裁判所は、合憲性の統制に積極的に乗り出さねばならない。
2、統治行為論について
 砂川判決の統治行為類似の理論に従って今回の新安保法制法を判断すれば、「一見極めて明白に」違憲無効か否かの判断を避けて通ることはできない。
 統治行為論は、政治問題については、裁判所よりも国民の意思が直接反映されている国会で判断するほうが民主主義に適合することに支えられている。
ところが先に述べたように新安保法制法は不十分な審議経過と異常な議決によって成立し権力感のバランスが崩れる中でなされたものであり、国会判断に敬意と謙譲を払うべき場面ではない。
 政治部門が憲法破壊を進める状況にありながら、司法が何もできないとしたら、憲法81条で違憲審査権が認められたことの意義が大きく滅殺される。
3、憲法判断の回避について
 憲法判断回避の準則によって裁判所が自己抑制をすることがあるが、これは絶対的なルールではない。
どのような場合に裁判所が憲法判断を行うかについては、憲法にも法律にも明文の規定はない。
むしろ、類似の事件が多発する恐れがあり、明確な憲法上の争点があるような場合に憲法判断することは学説上も是認されてきた。
憲法判断回避のルールによらず憲法判断に踏み切る際に考慮すべき要素として「事件の重大性」、「違憲状態の程度」、「その及ぼす影響」、「権利の性質」をあげる。
これらの要素を当てはめてみても、新安保法制法の憲法適合性に関わる本件訴訟は「憲法判断回避」の準則を適用できる場合ではない。
4、外国の違憲審査制
 日本の違憲審査制のあり方を考える際に、日本と同様に立憲主義、法の支配、権力分立、民主主義、司法権の独立、基本的人権の保障などの憲法価値を重視している外国の違憲審査制のあり方が参考になる。
 アメリカでは裁判所が積極的に違憲審査権の行使に踏み切ってきた事実がある。
日本では司法消極主義の根拠として民主的基盤を持たない裁判所は民主的基盤を持つ政治部門の判断に対して謙抑的であるべきと主張されることがあるが、フランスでは裁判所の判断は違憲判断であっても最終的には憲法改正国民投票を含めた国民の判断に委ねることになるから民主主義の観点から全く問題がないとし、裁判所は政治部門と比較した際の自らの民主的基盤の弱さを理由に、積極的に憲法判断、違憲判断を下すことを躊躇する理由はない。
 ドイツでは憲法擁護のための機関として、連邦憲法裁判所が憲法に明記された。
議会の決定がファシズムへの道を開いた歴史的事実から、かつての議会への信頼が失われ、それを統制する必要性が広く共有されたからであった。
 アメリカやフランス、ドイツでは「人権保障」のために裁判所が積極的に違憲審査権を行使し、憲法違反との判決を下すことに躊躇しない現実がある。
5、裁判所と裁判官の職責
 新安保法制法を巡っては、日本の裁判所は「人権保障」の職責を自覚し、違憲判断を行うべき緊急性がアメリカやフランスの事例以上に高いものになっている。
裁判所が新安保法制法に対して憲法判断を避けることにより、違憲の既成事実が積み重ねられることを黙認したり、あるいは誤った合憲判断を下したりした結果、新安保法制法が存続することになれば、多くの自衛官が海外での戦闘で殺傷されるような事態を招くことになろう。
 言うまでもなく戦争は、最大の人権侵害である。
国家が戦争に近づくのを阻止することは、最大の人権侵害を未然に防ぐことを意味する。
人権保障のためには、憲法9条や前文の平和主義が要請する平和国家としての憲法秩序の維持が必要であり、憲法秩序を保障するために、裁判所が「憲法保障機関」としての役割を果たすことが要請されるのである。
 新安保法制法は日本人を危険な状態に陥らせる可能性が高い。
日本人が戦争やテロなどで生命や身体、安全が危機にさらされる事態、日本人が戦争で人を殺傷し、殺傷される事態を事前に予防するために、「防波堤」である憲法前文や9条の平和主義の価値を擁護する「憲法保障機関」としての裁判所であることも要請されているのである。
 原告らの精神的苦痛を無視して、具体的な権利侵害がないから違憲審査をしないなどという立場に立つのであれば、新安保法制法のために日本人が人を殺傷し、殺傷される事態が生じたとき、新安保法制法を成立させた安倍内閣、そして国会とともに裁判所も共同で責任を負うことになる。
人権保障の役割を遂行するためには、「憲法保障」のための裁判所としての役割を果たすことも求められているのである。
 そして政府が立憲主義に反する姿勢を取っているときに、裁判所には、これを是正する職責がある。
内閣法制局が、内的批判者たる法律家としての役割を自ら放棄してしまった今回のような事態においては、政治部門の外にいる裁判所が、立憲主義の擁護者としてその役割を積極的に果たす以外に、日本の立憲主義を維持貫徹する方途はない。
これまでにないほど立憲主義、平和主義、民主主義といった憲法価値が危機に直面している。
こうした時だからこそ、果たさなければならない司法の役割、裁判官の使命があるはずである。
 私たちは裁判所にあえて「勇気と英断」などは求めない。
この歴史に残る裁判において、裁判官としての、法律家としての職責を果たしていただきたいだけである。
憲法を学んだ同じ法律家として、司法には、政治部門に対して強く気高く聳え立って欲しい。
このことを切に願う。


2017年9月30日号「9月27日、28日報告①」

27日(水)は、「辺野古の工事、いまどうなっているの?」市民集会が、王子の北トピアつつじホールで開かれました。
28日(木)15:00〜は、東京地裁103号法廷で「安保法制違憲 国家賠償訴訟」の第5回口頭弁論が開廷され、閉廷後18:30〜は日本教育会館で「私たちは戦争を許さない
安保法制の憲法違反を訴える市民大集会」が開かれました。
その2日間の報告です。

◎9月27日「辺野古の工事、いまどうなっているの?」
主催:「辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク」「FoE Japan」「美ら海にもやん
ばるにも基地はいらない市民の会」「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」
協力:「『止めよう!辺野古埋め立て』国会包囲委員会」

●開会挨拶:辺野古への基地建設を許さない実行委員会
●辺野古の工事の現場:北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会/抗議船船長)
北上田さんはパワーポイントで、現場の写真や図表を見せながら話しました。
工事は、当初発表されていた計画通りに進んでおらず、少し手をつけては別の場所の工事にかかったりもしている。
新たな海上ボーリング調査を発注しているなどから、海底地盤に問題があるのは確かだ。
防衛局は工事の大幅変更が必要になってきているが、設計概要変更申請では知事の承認を取らなければならない。
今後の知事権限、名護市長権限で、工事は頓挫する可能性がある。
にもかかわらず工事を強行している政府や防衛局の狙いは、簡単な工事を進めて「事業の進捗」を見せかけて、県民の諦めを誘うのが目的だ。
政府も防衛局も今後の名護市長選、県知事選で状況の転換を図ろうとするだろう。
焦っているのは防衛局だ。
今後の展望がないまま、県民の諦めを誘うために、当面、浅瀬の工事を進めているにすぎない。
諦めることはない!
今後の知事、名護市長権限で工事は止められる!
しかし、楽観してはならない。
違法工事も、県・県民が問題にしなければそのまま通用してしまう。
ゲート前で工事車両の進入を遅らせれば、状況は変わる!
毎日ゲート前で200名の座り込み体制確立を!
全国から辺野古への結集を!

*北上田さんのブログ「チョイさんの沖縄日記」には、この日に報告された内容が逐次載っています。
私は昨年、辺野古ゲート前の座り込みで北上田さんのお話を直接聞いて以来、ブログを拝読していますが、元土木工事設計者だった北上田さんの情報は、丁寧に現場を見、法令を調べ、政府や防衛局の違法性を追求しているので、とても勉強になります。
これらの資料を持って、翌28日に防衛省との交渉に臨まれました。

●沖縄ジュゴン裁判について:和田重太さん(弁護士)
この裁判は辺野古新基地建設によって絶滅危惧種のジュゴンの生息が危ぶまれる事態になるとして、2003年に沖縄県民を含む原告(米国の環境保護団体も加わっている)が米国防総省を相手取って提訴した裁判です。
2015年に連邦地裁は「原告適格なし。政治問題であり裁判所は基地建設を禁じる権限を持たない」として棄却しました。
けれども今年8月にはサンフランシスコ連邦控訴裁判所は、米国外の事業でも文化財への悪影響を考慮しなければならないという〈国家歴史保存法〉があるとして、地裁判決を覆して、地裁に審理を差し戻しました。
和田弁護士はこの裁判経過を話しました。

●「決して諦めない!立ち上がろう!」:山城博治さん(沖縄平和運動センター)
博治さんはこの日は定期検診で病院に行き、それを終えてから駆けつけました。
島袋文子さんの事から話し始め、この日は辺野古ゲート前のテントでは、文子おばぁのトーカチ祝い(88歳のお祝い)で歌い踊り三線が奏でられ、みんなで賑やかにやっているでしょうと伝えてくれました。
博治さんや文子さんや多くの人たちによる座り込みや非暴力での反対の意思表示が、警察・機動隊の暴力的な弾圧にあっている現状、勾留されていた日々の事など話しながら、話しの間に歌い、すると会場から指笛が飛ぶのでした。
共謀罪の先取りのような事がまかり通っている辺野古・高江の状況を話す博治さんの姿は、時にはくじけそうになる心を歌や踊りで自ら鼓舞しながら、したたかにしなやかに闘う沖縄の運動の様子をそっくり体現しているように思えました。
会場からの質問で、「先島諸島への自衛隊基地建設に関して辺野古・高江の反基地運動はどう関わっているか」との声が出ました。
博治さんは、具体的に現地へ行っての運動は物理的に難しいが反対運動の思いは同じ線上にあると考えていると言い、島々に自衛隊基地を作る事は中国にケンカを売るような行為で、アベ政権はしきりに北朝鮮の脅威を煽っているが本来なら韓国や中国と共に手を携えて北朝鮮の暴走を止めるように努めるべきなのだと答えました。
そしてにわかに衆議院が解散となり選挙になるが、この選挙も、また来るべき名護市長選挙、県知事選挙でも沖縄の民意を示すために頑張り抜くと話しました。

●閉会挨拶:野平晋作さん(「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会)

*この集会は、翌29日は参議院会館で院内集会を持ち続いて防衛省交渉に続きました。
この時の様子は北上田さんのブログ「チョイさんの沖縄日記」にアップされています。


2017年9月22日号「9月7〜9日福島行⑥」

大変遅くなりましたが、先日の福島行の報告の続きです。
今回も長文になりましたが、ぜひお読みいただきたいと願っています。

9日は郡山で私立高校の先生をしていらっしゃる渡辺紀夫さんにお会いしました。
渡辺さんに直にお会いするのは初めてでしたが、以前ある学習会でスクリーン越しにお話を聞いたことがあり、是非お目にかかってお話をお聞きしたいと思っていたのです。
郡山駅構内の喫茶店で、紀夫さんとお連れ合いの久仁子さんのお二人からお聞きしました。
3時間にわたってお話くださった内容を全てお伝えできないのが残念ですが、少しでもお伝えすることができればと思います。(「です」「ます」調で話されましたが、「だ」「である」で記します)

◎渡辺紀夫さん、久仁子さんの話
●2011年3月11日 (紀夫さん)
 3月11日、地震で学校がかなり損傷し、さらに給水タンクが破裂したり石油ストーブも倒れ、水浸しになリ、3月14日(月)職場の掃除をしていると校長から緊急職員会議の招集がかかり、100人ほどいる職員たちが集まった。

 そこで校長が言ったのは「知り合いから原発が危ないと情報が入った。すぐに逃げてください」だった。(その後1ヶ月間復旧ができずに休校となった)
それを聞いても意味がよく判らず、だが、ただならぬ状況だとは思った。
3月14日の帰りがけに郡山南インターでレスキュー車や自衛隊の車が何台も走って行くのを見て、「これはまずい状況か?」と思った。
また、自宅は駅のそばだが、その駅構内の線路に中途半端な位置に貨物列車が1か月近く止まったまま動かないので、おかしいと思った。
ラジオ・テレビでは、高速道路は使えずガソリン入手もできないと報じていた。
 その頃は紀夫さんも久仁子さんも、原発事故の怖さについてまだあまり判っておらず、
4月から大学生になる長男と4月からは高2になる次男と4人暮らしだったが、水を確保するのに家族が分散して雨の中をあっちのスーパー、こっちのスーパーと回って入手していた。
後で考えれば、その頃は自分たちに知識がなかったために、家族に初期被ばくをさせてしまったと思う。
●避難者で溢れていたビックパレット(久仁子さん)
 2010年秋から市の民生委員・主任児童委員になっていた久仁子さんは、自主的に避難者で溢れているビックパレットの子どもたちのケアを手伝うよう言われて行った。
被災から3日経っていたので、避難者の数は凄かった。(約2,300名)
避難してきた人たちは廊下の床に毛布1枚敷き、周りをダンボールで囲った簡素な空間で足の踏み場もない状態で過ごしていた。
 久仁子さんからこの話を聞いて、紀夫さんもビックパレットにボランティアに通った。
自主的なボランティアは既に入っていたが、支援物資配りや体調の悪い人の医療ケアなどに手が取られ、子ども達は全く野放しでケアができていなかった。
多くの避難者が寝泊まりする同じ空間に、子どもが遊べるスペース(キッズコーナー)を作ったが、子どもたちを別にしないと彼らが荒んでいくと思った。
「いつまでここに居るのか?」「始業式はどうなるのか?」「大人の言う事を信用していいのか?」など、子どもたちの抱える不安も大きかった。
3食の配給を配る姿を子どもたちが見ており、親としての尊厳が薄れていく中での子どもたちの精神状況はとても心配だった。
 そこで、他のボランティアと共に仕切りをしてキッズコーナーを何ヶ所か作り、寝泊まりする場所から離し、食事の配給場所から目隠しする仕切りを設け、交代で1〜2時間遊ばせたり、勉強する場所を作って勉強を教えたりした。
2、3か月後に県のボランティアセンターができ、それまで自主的に集まったボランティアは解散させられた。
ビッグパレット福島という施設は郡山にあるものの、市の施設ではなく県の施設のため、縦割りの行政の問題も内部では起きていた。
県の許可がなければ、目の前の椅子や仕切りの衝立、机、コンセントなど使用が認められないという災害時の特別措置が内部ではできにくかった。
県の施設に避難した富岡町・川内村の役場職員ですら自由に施設を活用できないという不思議な現象が何か月も続いていた。
 紀夫さんはビックパレットに通いながらも勤務先の学校の復旧のために通い、学校構内の側溝の掃除などをしていた。
学校前の道路の草木の掃除、側溝にたまった汚泥をスコップで掻き出さ作業では、高圧洗浄機やスコップだとうまく取り除けない時には、軍手で取り除いたりもした。
●入手困難だった線量測定器
 避難所に入所する時の初期の段階でスクリーニングしているのを見ても、初めは何をしているのか判らずにいたが、ニュースを見たり調べたりしていく内に、「これはとても、やばい状況ではないか?」と思うようになった。
また避難者たちから、「富岡に帰れますか?」とか「富岡はどうなっていますか?」などと質問攻めに合うようにもなった。
原発の爆発で放射能が漏れていることは判っても、現場がどうなっているか、ここは安全なのかも判らなかったので、みんな不安を抱えていた。
 5月頃に線量計を入手しようとしたが、注文しても半年待ちとか、値段がバカ高いなどで、手に入れられなかった。
その頃から放射能についての勉強会が各地で開かれるようになり、参加していった。
そして線量計貸し出しのボランティアを作り、測定器が10数台集まったので無料の貸し出しボランティアをし、測定方法のルールを作り、線量計貸し出しを始めたが線量計の数はとても足りず、貸し出しボランティアといっても糠に釘のような状態だった。
 当時、富岡町の自宅に一時帰宅(注:この時期の一時帰宅では滞在時間2時間)する避難者に頼まれて、貸し出しをしていたが、その頃出ていた市販の線量計は9,99μSv/hまでしか計れず、原発近くで測ると針は振り切れてしまってエラーと表示し、きちんとした数値が測れな位線量計が多かった。
●それなら作ろう
 紀夫さんはもともとエンジニアで、大学では電子・電気を研究していたので、測定器は作れるのではないかと思った。
5月頃から測定器を作るための勉強会もでてきて、会津大学や秋葉原などでの勉強会に参加し、費用もさほどかからず簡単に作れることが判り、作ることにした。
 廉価で扱いやすく9,99μSv/hまでではなく、100〜1,000までも測れるちゃんとした測定器をと、紀夫さんは試作品を作り、実証実験もして性能の良さも確認できた。
そして紀夫さんは友人と組んで大量生産に向けて動き、製作にあたる工場も頼むことができて製品化に向け、2011年の年内に6,000台予約を受け、少しずつ測定器を製作した。
9月には試作の製品が完成したが、発売は11月からにした。
発売時期をずらしたのは、電力ムラや企業の圧力を避けたかったからだった。
また、新規参入したメーカーの線量計の一部には福島で製造されているものもあり、その企業の損害を出さないために、発売時期が重なっていたので発売時期を遅らせ、多くの線量計が県内にいき渡るように考えた。
実際に販売を始めると、多少の妨害や嫌がらせも起きた。
たとえば、「テメェラ、そんな安い値段で売るというのか!」などと脅迫電話も入った。
●高校で就職担当の教師としての使命
 高校教師の紀夫さんには、別の使命感もあった。
紀夫さんは高校の就職主任として、震災前から就職希望の卒業予定者全員の就職先を決めていたが、卒業式直前に震災があり、就職取り消しが相次いだ。
会社倒産・倒壊などで10人が内定取り消しにあい、また、給料を払える見込みがないから辞退して欲しいと言ってくる会社も出てきた。
 新年度の卒業予定者の求人開拓のために企業回りをしていくと、「求人どころではない、仕事がほしい」と言われ、何社も回って同じように言われて考えたのが、福島県内の中小企業の仕事が回れば将来に繋がるということだった。
 そこで測定器の部品は県内の中小企業にパーツ毎に分散して量産して作らせれば仕事が回り、それがいつか復興に繋がるのではないかと考えた。
県内の中小企業100数社以上に、「線量計の部品のこういうものを作れますか?」と聞き歩き、最終的に開発に協力してくれる中小企業を見つけ、製品の大量生産をしてもらいつつ、生徒の求人開拓の活動もしていった。
県内の何社かが求人に応じてくれ、また違う会社を紹介してくれるところもあって、最終的にはすべての生徒達を就職させることができた。
 ●放射線量マップ
 線量計製作にかかる前から、借りた線量計で付近を点々と測定して数値を地図に落と
していた。
行政が設置したモニタリングポストは市内に10数ヶ所あったが、そのすぐそばで線量計の数値を計測すると数値はほぼ同じだが、1、2歩ずれた場所では数値が大きく変わった。
そのため測定する場所を点ではなく線や面に繋げて測り、県内全ての線量数値を計測し地図を作ろうと動いていった。
そのうちに同じように計測している外国人グループのセーフキャスト(safecast.org)に出会い、一緒に活動するようになりGPSで自動測定して効率よく自動車で走行しながらリアルタイムに放射線の数値を計測し、マップを作リ世界中に公開することができた。
●痛手を乗り越えて
 2011年11月から線量計の販売を始めたのだが、販売・製造を依頼した仲間から「(ビジネスの)素人は黙っていろ」と線量計開発の仲間から外され、紀夫さんは自分が製作に関わった製品の権利を失ってしまった。
寝耳に水のような出来事だった。
紀夫さんが線量計製作に取り組んだのは、もともと金儲けのためではなかったとはいえ、
心に大きな傷を受けた。
 4、5月くらいから、測定器製作と測定マップ作りを学校の仕事と並行してガムシャラにやってきたが、このことがあってから精神的に落ち込み、生徒の就活のために県外まで足を運び体力的にも限界をきたし、一時は鬱状態にもなってしまった。
 親友だからと契約書を交わさずにやってきたのが失敗だったと思うが、それよりも線量計販売で得た利益を元に、次は食品ベクレルモニターの開発や。放射能除去に関する研究をする計画だっただけに、全てが頓挫したことに落胆した。
今は、事故当時、線量計不足や線量計の高騰を改善するプロジェクトに関われたことだけが誇りで、開発費も回収できなかったけれど、誰かの役に立てただけで満足しようと思えるようになった。
これもまた、原発事故が生んだ物語の一つでしかなく、線量計開発中に出会った多くの専門家や学者・技術者・有識者に政治家、一般のボランティアなど数え切れない人と知り合えたことを宝にしたいと思った。
 大量生産できたことで、中小企業に仕事を回すこともできたし、必要な人に適正価格で販売することもできた市、高騰していた線量計も安価になり、良かったと思っている。
また紀夫さんは、販売からはじき出される前にもう一つ新たな製品を作っていた。
それは盲人のための線量計で、計器に数字が現れるのではなくボタンを押せば音声で数値を伝えるというものだ。
盲人協会の依頼で開発した「しゃべる線量計」は見えない盲人の方々のニーズに応えることができたと思っている。
価格は高く設定されていたが、保険適用になるので必要な人の手に渡ることはできたと思う。
●就職担当者として
 一方で、勤務先の高校は女子生徒が多い学校で、震災前から就職担当をしていた。
東日本大震災と原発事故のダブルパンチで、県内の企業は大打撃を受け、当時の就職氷河期から脱出する兆しが見えた矢先に、求人数は壊滅状態になった。
特に女子の求人は県内からほぼゼロになる事態となり、県外まで求人開拓に奔走した。
さらに被災後は地域の危険性と風評被害の問題が徐々に判ってきたので、求人先はなるべく県外からも探していた。
あるとき保護者を集めて、数年間でもいいから子どもを県外に出して住所も移すようにとアドバイスもした。
県内に残して住所もそのままだと、もしかすると差別に合うかもしれないからと親を説得し、2割くらいは県外に就職を斡旋した。
 2011年暮れあたりから浜通りの双葉・相馬では差別が問題になってきて、中通りの郡山でもチラホラ問題にされるようになってきていた。
●放射能除去装置
 2011年の夏から秋にかけては、放射能除去装置も試作することになった。
トラック2台分くらいの大きさだったが、実証実験すると99,99%くらいまでセシウム除去に成功した。
そこで企画書を作り、高濃度の汚染物は中間貯蔵施設に置くようにして、それ以外はこれを使えば田畑の放射能を除去して農地再生できると県や市に企画書を提出したが、歯牙にもかけられなかった。
 放射能除去装置は東電もいろいろ考えていて、2013年には国産機アルプスを使って実証実験をしたが、芳しい結果は出なかった。
紀夫さんたちは既にそれ以前に実証実験で性能を確認していた試作品を提示していたのだが、それは採用されなかった。
しかも紀夫さんたちが作ったものは1億円くらいで製作可能だが、アルプスの場合は桁違いに高額になっていた。
 国は2011年からベクレルモニター、除染技術の募集をしていたが、国のある議員が持っている予算3億円くらいの内2千万円づつ県内企業での開発を支援する事業があり、20数社が応募し、紀夫さんたちも県内企業数社にも話を持ちかけ応募しようとしたが、事前に取りやめた。
記者に調べてもらうと応募した会社は、既に現物を作り実証実験もしていた紀夫さんたちと違って、1枚のA4の紙に記した企画書を出しただけで、それでも採用され、2千万円程度の補助金が決定したが、噂では国のある部署から「企画書を1枚書けば2千万下りるから、ある程度キックバックしろ」と企業に話を持ちかけていたところもあったとか胡散臭い話もあった。
 多くの自治体が県内で開発された除染技術や、フレコンバックに変わるコンクリートボックスなど採用してくれれば、県内の中小企業も潤い、自治体も助かる面もあり、さらに高額な予算を使って、県内にはほとんど予算が回らない仕組みもなかったと残念に思っている。
 もともと放射能除去装置は、ある大学の教授が中国の重金属汚染問題に関して、その除去装置を開発していたのだが、それをセシウム除去に転用できないかと考え、線量計作りを委託した会社で実証実験をして良い結果が得られたものだった。
この時の実証実験の様子は、当時アルジャジーラが取材し報道してくれた。
●国の思惑
 こうして2011年にいろいろ学んだので、国の利益が誘導できるような利益構造を作りながら、国の補助金が下りやすくするシステムを考え、採用してもらおうと考えた。
川の汚染、汚泥を測る機械を試作して、ある程度の利権(開発や運用上の企業痛くなどの仕組みや、国としてのサクセスストーリーを描いて)が発生するということも添えて、国土交通省などに提案を出したこともあった。
 県内には国土交通省管轄の1級河川の阿武隈川があり、将来は県内の汚染水や汚泥が河川を通じて太平洋に流れ出し、さらなる汚染を引き起こす可能性を推定し、また他に原発から半径20キロ圏内の河川やため池、ダム湖にその計測器を突き刺して自動モニタリングをするシステムの将来的な必要を訴え、それは国交省にとっても将来にわたって良いのではないかと提案し、話は良いところまで進んだこともあった。
だが法的な面もあって紀夫さんたちの開発したものは採用されず、堀場や日立、東芝などの大手メーカーがのちに実証実験するようになった。
 大手メーカーで高額な費用でなく、安い費用で県内企業が製作し、除染もゼネコンではなく県内企業で分配できるようにと、疲弊しきっている県内の中小企業の復活ということで県に話を持っていっても、県は動かなかった。
「面倒だ、ゼネコンに任せた方が容易い」ということだった。
行政も利権が絡まなければ動かず、面倒なことはしない。
●甲状腺に腫瘍、そしてPET検査
 県では2012年2月に甲状腺検査説明会が開かれるようになったが、2月は次男の大学受験の時期なので該当年齢の子どもには非常に受けにくかった。
県に時期をずらしてほしいと要望したが聞き入れられず、2013年夏に民間の医療機関で家族で検査を受け、その時に紀夫さんに大きなウズラ卵サイズの甲状腺腫瘍が見つかった。
良性だろうが経過観察が必要と言われた。
1年後の検査で腫瘍は大きくなっていて、別の病院でのPET検査の結果、悪性腫瘍と診断された。
だがそれが、以前からあったものが震災を契機に急に大きくなったものなのか、
それとも震災後にできたものなのか、これは誰にも判らず、また誰にも言及できないと言われた。
 PET検査治療を選んだ紀夫さんだが、これは病院で生成した半減期の極めて短い(2時間程度)放射腺物質体内にグルコースと組み合わせて注射し、癌の栄養源である糖分(グルコース)が甲状腺に集中すれば、悪性癌がある部位が確定できる仕組みだ。
良性と悪性では癌保険適用の問題もあり、またPET検査なしで手術をすれば、どの範囲をどの程度切除すればいいのかの手術方針が決めずらくなるため、最小限の切除で済むようにと検査を望んだものだった。
 PET検査は放射性物質を体内に注射するため、24時間は体から高線量の放射線が出てしまうため、小さな子供を抱いたりすることは禁止されている。
PET検査後に自宅に戻った時は、家中に在る多数の線量計のアラームが鳴り出したほどであった。
 紀夫さんは自身の身に起きたことを、しっかりデータで記録しておこうと思った。
検査後5、6時間経って自宅へ戻った時に腹部に測定器を当てると、56マイクロシーベルトを表示した。
「これでは子どもを抱くことはできないなと思った」と言う。
首筋はもっとずっと高い数値だった。
時間の経過とともに数値は下がり、24時間後には通常値に戻った。
 PET検査自体は麻酔をかけるわけでもなく、切開するのでもないので、肩鎖直後に歩いて自宅へ戻ることもできる。
だが、もしそんな人が満員電車に乗っていたら近くの人を被ばくさせる結果にもなるので注意が必要だ。
●生徒の前で手術を受けたことを公表した
 紀夫さんは担任しているクラスや担当するクラスの授業で、甲状腺の検査やガンの摘出手術を受けたことを少しずつ説明していた。
話しながら、もし君たちの中で手術をした人がいたら、また疑いがあると言われた人がいて不安を感じていたら相談に乗れるよと言い、後に3人の生徒が「切りました」と言ってきた事例があった。
1つの学校で3人も切除した生徒が居たのを知って、ショックだった。
 彼らは自分に伝えてくれたが、公表できない子どもが多数いるだろう。
公表すると様々な問題が起きるかもしれないからだ。
10代の子どもが癌手術したと判ると生命保険に入れない場合もある。
また長い人生、病気や再発の不安を抱えて生きながら、治療費など経済的な問題をも背負ってしまう。
もしかすると、親も周囲も内緒にして公表しないのは、そんな不安があるからかもしれない。
また就職の時に健康診断書を書いたり聞かれたりして就職に影響が出たり、住宅を得る時の社会的担保にも影響
する可能性もある。
甲状腺癌の摘出手術には二次的被害の問題もとても大きい。
甲状腺検査で多数の子どもたちに嚢胞や腫瘍が見つかったことを「スクリーニング効果だ」などと言うなら、その後に待っている子どもたちの補償も国が背負う必要があると思う。
子どもを守れない国とは、なんだろう。
18歳選挙権などと言っているが、自分たちを守れない政治に、子どもたちが興味を持つだろうか。
 震災の年に高2だった次男は、後に北海道の大学に入学した。
震災後に次男は、「福島に住んでいたら、将来結婚して子どもが出来るかどうか心配だ」とつぶやいたことがあり、また親しかった友人が原因不明で目がかすみ、原因がわからず病院を転々として最終的には脳腫瘍と診断され、福島に住むことに強い不安を抱いたことも県外に出た要因の一つだろう。
北海道に行った次男は、「福島を離れて、福島が見えてきた」と言った。
●子どもたちが心配と久仁子さん
 原発事故後、未就学児の外遊びは30分に時間制限され、外での活動も砂遊びはダメ、草花を摘んではダメなどと禁止事項も多く、先生たちは子どもを外へ出すために準備や片付けにも時間を取られ、出ても禁止事項が多いことなどから、次第に子どもたちを室内のみで活動させるようになっていった。
 その頃から奇声をあげる子どもが増えてきた。
子どもたちに体感が育っていないのではないか。
奇声をあげる、情緒不安定、LD(学習障害)など、正常な成長が阻害されていることを感じるようになった。
 外で充分体を使って遊べないから肥満が増えているなどと、原発問題と肥満や子どもの糖尿病などが問題にされてきたが、子どもたちのストレスや体感に関して、もっと注意を向けなければならないのではないかと思う。
 県では子どもたちの校外授業や遠足など全て県内で実施としているが、県内でという縛りを入れず、県外の安全な場所への保養にも出して欲しい。
教育委員会が従来通りに県外に出ることを禁じているのは、おかしい。
 2012年から学校プールも始まった。
2011年からプール内にあった水は汚染されているので、本来なら流してはいけない水であった。
けれども水の除染の方法はないし、プール開きのために掃除をしなければいけないということで、いつの間にか流してしまった。
プールの水は定期的に入れ替えるよう要望が出したが、そんな費用がかかることはできないと却下され、2011年の原発事故以降、屋内スイミングスクールに入る子どもさんが激増した。
●紀夫さんはチェルノブイリに行った
 この夏、紀夫さんはベラルーシに行ってきた。
6年前からベラルーシに視察に行っている団体があり、そこに参加してのことだ。
 ベラルーシは貧しい国だが、国を挙げて30年前から子どもの保養を行っている。
費用も全て国で持ち、ドイツ、ウクライナ、モスクワなど隣国からの保養も受け入れている。
福島で、なぜそれができないのか?
経済復興を優先させるあまり、子どものことは考えていないのではないか。
 ベラルーシ視察は、福島の中高校生たち50人を引率しての訪問だったが、中高校生たちは現地の子どもたちとの交流で学ぶことも多かっただろう。
現地の子どもたちは学校で、放射能や原発事故について、また自分たちの体が受けている影響についてきちんと小学生の頃から学んでいる。
福島の学校でそのような教育がなされていないと知って現地の子どもたちは、「なぜ?」と疑問に思っていた。
日本ではすべて安心・安全で原発事故もそれによって受けた被害も忘れさせようとしているのではないか?
●教師として
 福島における子どもの教育は「安心・安全」に意図的に誘導するのではなく、客観的事実や実際のデータをもとに個人が検証した内容をそのまま教えて、そこから先は安全か危険かを自己判断できるようにすることが、これからの教育として必要だと思う。
 今の福島には「安心・安全」という人と、「危険」という人がいて、その間で声に出せないで不安を抱いている人や、考えないようにしている人たちが大勢いる。
このグレーゾーンの人の声なき声を救えないか、「見ざる言わざる聞かざる」担っている人も含めて、将来の子どもたちのために、大人ができることを模索したい。

===渡辺紀夫さん、久仁子さんからお聞きしたお話は以上です。====
 報告が大変遅くなりましたが、お聞きしたことをまとめた文章をお二人に点検していただき、訂正・加筆もいただき、そうして改めて私自身が、お二人のお話から多くを学びました。                           

いちえ


2017年9月16日号「9月7〜9日福島行⑤」

◎9月8日報告追記
前便で「9月8日の報告はこれで終わります」などと記しましたが、大きなことを書き落としていました。
これもまた頭がクラクラする原因の一つだったのに!
●南相馬市メガソーラー
寺内塚合仮設住宅を出て、海沿いの県道を原町区へ向かって行きました。
鹿島区海老、右田の両地区は、津波で壊滅的な被害を受けた地域です。
以前は田畑が広がり、人家もありました。
3.11後、災害危険地域に指定されました。
住宅地や農地は安全なエリアに移転させ、被災したこの地域を市が取得して、メガソーラーが建設されていました。
距離はおよそ1km、幅は400mほどでしょうか、ソーラーパネルが敷き詰められていました。
元は田んぼだった地域に並ぶパネルは、丈がとても低く、低い側の辺は地面から30cmほど、高い方の辺は地上1mほどでしょうか。
パネルの下が水浸しなのは長雨のせいもあるでしょうが、元は田んぼだった地域だからでしょう。
そして草がぼうぼうに生い茂っていました。
まるでソーラーパネルの畑みたいでした。
パネルよりも丈高く、草が生い茂っているのです。
パネルの間からニョキニョキ突き出て生えている草もあって、こんな事で大丈夫なのかしら?と思いました。
たまたまパネル畑の中で、設置してある計器を点検している人を見かけてお声かけしました。
草がパネルを隠さんばかりに茂っている事についてお聞きすると、やはり発電効率は下がると言っていました。
草の始末のために除草剤をまくのだとしたら、周囲の環境への影響が心配です。
その人にお聞きすると、人力で草刈りをするという答えでした。
草刈り機で刈るとしたら、パネルを傷つけないように機械を操作するのは大変だろうと思います。
パネルの下辺が地面からわずか30cmなのですから。
下が水浸しなのも、気にかかります。
何かの拍子に漏電する事はないでしょうか?
そんな事にでもなったら、大変ではないでしょうか。

帰宅してから調べると、電力の自給率100%を目指す南相馬市では、この右田・海老地区と隣の真野地区、合わせて106haの土地に発電能力59,9MWのメガソーラーを稼働させる計画だそうです。
現在はまだ稼働していません。
ソーラーに併せて、また大規模な風力発電も建設を予定しています。
風力発電はまだ1基も立っていませんでしたが、建設予定地は看板で示されていました。
電力自給率100%を目指す事には大いに賛成です。
それも再生可能エネルギーでのことですから、素晴らしいとも思います。
しかも災害危険地域で建物も建てられない、農地にもできない土地を利用してメガソーラーにという考えは、きっと多くの人が受け入れやすい考えだと思います。
だがしかし、と私は思うのです。
目にした光景は「素晴らしい!」と、賞賛したい思いには駆られなかったのです。
FITが終わった時の事を考えると先行きがとても不透明で、大船に乗った気持ちには、とてもなれないのです。
ソーラーパネルを覆い隠さんばかりに生い茂っている草たちですが、草が茂るままにしておいてはダメなんだろうか?
土地を、土地のままでおいたらダメなんだろうか?
水辺に草が茂り野鳥や水鳥たちのサンクチュアリになり、やがて野鳥たちが落としていく種が芽を出して植生が変わっていく。
そして、いつの日にか樹木も生える場所も出てきて……。
自然の営みに任せてはいけないのだろうか?
もちろん人の暮らしにエネルギーは必要ですが、もっと暮らしを縮めていく事と併せて再生可能エネルギーを考えていく事はできないでしょうか?
原発事故は、大きな不幸な出来事でした。
でもそれを契機に、私たちは私たちの暮らしを考え直さなければいけなかったのではないかと思うのです。

●「深山の雪」木村さんの生き方
先月私は信州白馬「深山の雪」に行ってきました。
木村紀夫さんは、そこで「持続可能な生活」を模索しています。
エネルギーを贅沢に使う事はせず、けれどもケチケチ暮らすのではなく、必要なものは自分で作ったりもしながら、長女と二人で暮らしています。
木村さんの選んだ生き方から学ぶ事は多々あります。
南相馬のメガソーラーを見ながら、私は木村さんを思い出していました。
*トークの会「福島の声を聞こう!vol.25」、ゲストスピーカーは木村紀夫さんです。
ぜひ多くの方に、木村さんの話をお聞きいただきたいと思います。

いちえ

vol25


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