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2017年12月8日号「12.5集会報告③」

「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」報告を続けます。
前便で坂元良江さんのお名前を、坂本と記してしまいました。
訂正いたします。坂元良江さんです。
なお、報告はこの後、もう1度続きます。
どうぞ、最後までお付き合いをお願いいたします。

●柳沢由美子さん(翻訳家)
 私は40年来、英語の翻訳をしている。
 外国の人々の思想を日本の言葉にすることだ。
言葉は主張のためにあり、そして言葉は理解のためにある。
世界には190を超える国があり、それぞれの国が主張し互いに理解し、理解されることを望んでいる。
どの国も平和を求めている。
 世界は分母で各国は分子、そして日本もたくさんある分子の一つだ。
世界は分母、日本は分子、この平和共存の思想こそ、地球に住むみんなが大切にしなければならないものだ。
トランプ大統領のアメリカファーストをはじめ、自国中心主義が声高に叫ばれている今だからこそ、平和共存・平和主義を、中心に据えなければならない大事な思想だ。
翻っていま日本の政治を見るとき、あまりにも世界は分母、日本は分子という視点が欠けている。
先の衆議院選挙でも、自民党はいうまでもなく新しくできた立憲民主党までも、世界の繋がりはどうあるべきかの思想を語らなかった。
 いま、日本と世界の接点は軍備拡張、北朝鮮への対応、自衛隊を憲法に盛り込むかに絞られている。
もっと大きな世界の問題、この地球でいかに他の国々と平和に共存するか、そのためにはどう行動するかの理念が語られない。
しかしこの理念がなければ、いま世界の国々を動かしている自国中心主義、軍事主義の波に呑み込まれてしまう。
実際、現アベ政権のもとでは、そうなっているではないか。
日本は自国中心主義に基づく行動で、第2次世界大戦で苦い苦しい経験をしている国だ。
日本は70年以上経った今でも、諸外国から人道に背いた行為が非難されている。
その日本が、過去のことはもう終わりにする、などと言ってはならない。
この姿勢そのものが、平和主義に背くものだ。
 私は日本の政治の基本理念に平和主義を入れて欲しい。
原発ゼロを目指すのと同じくらい強く、具体的に、日本は平和を希求し、あらゆる手段で平和を推し進め、世界の国々と丁寧に付き合っていくという姿勢を内外に提言して欲しい。
これこそが、現行の日本の憲法の基本精神だ。
 日本は第2次世界大戦の加害国であると同時に、被害国でもある。
唯一の被爆国であるからこそ、平和主義を強く主張すべきだと考える。
また第2次世界大戦で加害国であったからこそ、いま日本は非核・非戦争を主張することに重みがあるはずだ。
それなのに日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない。
核兵器廃絶国際キャンペーン ICAN が今年のノーベル平和賞受賞と決定しても、政府は公式のコメントを出さなかった。
なんとも残念でならない。
日本は独立国だ。
政府は大国の顔色を伺わずに、ヒューマニズムに則って、核兵器禁止・核廃絶の道を先頭に立って歩むべきだ。
それこそが、世界の多くの国々が抱いている日本の役割ではないか。
 いま、北朝鮮に対して圧力をかける、と政府は頻繁に言っている。
圧力という好戦的な言葉を公に使うこと自体、平和を望んでいることから程遠い。
政府に求めたい。
軍事的圧力、軍備拡張、最新兵器による威嚇ではなく、話し合い、繁く交流して人間関係を温め、相手国から信頼を得る努力をして欲しい。
でもそれは圧力ではなく、働きかけであり対話だ。
北朝鮮に対し不断の働きかけをして平和的解決を探るという姿勢を、政府に強く望む。
 勇気あるアイスランドの女性大統領の言葉を紹介したい。
1986年に首都レイキャビックで、当時のアメリカのレーガン大統領と、ゴルバチョフソ連共産党書記長の平和対談を実現させたのは、アイスランドのわずか30万人の国の女性大統領ヴィグディス・フィンボガドゥティルさんだった。
彼女は、米ソの対談をどうやって実現したのかとマスコミに聞かれて「小さな国にも果たすべき役割がある」と答えている。
 意志があるところに道は拓ける。
私たちの意志は平和主義、平和共存だ。
世界は分母、日本は分子。
世界平和あっての日本という原点を忘れないように、政府に働きかけていきたい。

●渡辺一枝
 少し私事を話します。
 私は1945年1月に満州ハルピンで生まれた。
半年後の7月20日、父は現地召集され、8月9日ソ連軍参戦、15日日本の敗戦で戦争は終わった。
翌年1946年秋に、母に背負われて日本に引き揚げた。
父はそれきり戻らず、私が4歳の時にお葬式をした。
またその後、引き揚げ生活が少し落ち着いてくると、ハルピンで共に過ごした母の知り合いたちが集まり、当時を語り合っていた。
 子どもの時にはお彼岸やお盆には母と一緒に、あるいは母が仕事で行けない時には母に言われて、私一人で御墓参りに行った。
けれども6年生のある日、父の墓には紙切れしか入っていないことを聞かされ、母に不信感を抱くようになり、それからは墓参りを拒むようになった。
また戦争中のことを学ぶにつれて、母や大人たちがハルピンを懐かしげに語ることを許せず、同時に侵略地で生まれた自分を疎ましく思うようになり、私は母に心を閉じた。

 母は山梨県で9人きょうだいの下から3番目だったが、若くして亡くなった長兄の本棚には左翼思想関係の本が多くあり、母もその影響を強く受けていたようで、女子師範を出て教師になったものの戦意高揚を教えるのが嫌で教師を辞めて上京し、旋盤女工になった。
 また父は4歳で両親を亡くし祖父に引き取られたが、12歳で祖父も亡くし家督を継いだ。
親戚が後継人になって旧制中学に通っていたが、帝国主義を鼓吹する教師としばしばぶつかり、自ら退学して上京し、セメント屋の住み込み店員になって自活しながらエスペラント語、中国語を学び始めた。
20歳で徴兵検査を受け甲種合格、所属の静岡連隊は満州へ渡り2年後に戻って除隊となったが、除隊後父はまたすぐに単身ハルピンへ渡り、学んでいた中国語を活かして役所の2等通訳として職を得た。
職場の上司に気に入られ見合いを勧められたが、その上司の妻は母の2番目の姉だった。
母もまた姉から勧められ、二人はハルピンで会い意気投合して結婚した。

 私が母に心を閉じたのは、父も母も戦争にひた走る当時の流れに反対する考えを持ちながら抗いの声を上げずに侵略地へ渡ったことが許せなかったのだ。
もちろん当時の日本は、それは命にかかわることだったと知ってはいても、それでも抗うべきだったと思う私だった。
また、なぜ現地召集を拒まなかったのか、母が止めれば父は出征しなかったのではないかと思い、それは若者特有の一途な正義感だっただろうが、戦争には反対だったという母に不信感を抱き、母を責めていた。
 やがて私も結婚して子どもも生まれ人生の経験を積む中で母を理解し、「いつか一緒にハルピンへ行こう」と話すようになっていた。
けれども母は67歳の誕生日の数日後に倒れ、寝たきりで言葉も出ないまま半年後に亡くなった。
 母が死んだ翌年、私は勤めを辞めてハルピンへ行った。
敗戦までの生活を母たちは懐かしげに語ったが、現地の人たちは、当時どんな暮らしをしていたのかを知りたかった。
初めて行ったハルピンでは、父と母が暮らし私が生まれた家を探した。
家は見つからなかったが、そのあたりに住むおばあさんが自分の家に招き入れてくれた。
見ず知らずの日本人にお茶を勧めてくれるおばあさんに、「私たちの国は、中国の人たちに本当に申し訳ないことをしました」と、それだけは伝えたいと思って私は言った。
するとおばあさんは「それはあなたのせいじゃない。日本の軍部がやったことだ。あなたも犠牲者だ。あなたがここで生まれたなら、ここは故郷だ。懐かしくなったら、いつでも訪ねてきなさい」と言ってくれた。
 残留孤児や婦人は他人事ではないと思っていたが、2度目に行ったハルピンで思いがけずに残留婦人に会った。
心の準備もなく突然の出会いだった。
「お会いできるとは思わず何もお土産を持たずにきました」と言うと、「お土産なんか要りません。日本語が話せるだけで嬉しいです。きっとまた来てください」と言い、苦労された来し方を聞かせてくれた。
 それからは中国人から当時のことを聞くだけではなく残留日本人に合うことも目的にして、旧満州、中国東北部への旅を重ねた。
 関東軍の荷役の苦力だった中国人からは「物資のジャガイモを運ぶ時に袋からこぼれた芋をポケットに入れたのが見つかり、裸で木に縛られて鞭打たれた」と聞き、また「食べるものがないからドングリを食べていた」と言った人もいた。
 開拓団員だった人や看護婦、女学生、カフェの女給など様々な立場だった残留日本人たちに会い話を聞いた。
敗戦後の逃避行では、昼間は隠れて夜間に歩いたが子どもが泣くと見つかると皆に責められて、濁流の河に我が子を投げたことや、3歳と4歳の子どもを連れた女性が死ぬと、足手まといになる幼い兄弟は、同行者たちに生き埋めにされたことも聞いた。
 会った途端に「ようこちゃん」と言ったのは、私より5歳年上の女性だった。
幼い日々に呼ばれて覚えていた自分の名前だけが、彼女と日本をつなぐ縁だった。
赤ん坊の時に着せられていた着物の小さな切れ端を見せ、それを手掛かりに肉親を探して欲しいと泣かれたこともあった。
 旅を重ねながら私は、母が語らなかった満州を知り、若い日に抱えていた大人への不信感や自己否定感もほぐれていった。
私が出会った人たち、どの一人も戦争に蹂躙されて人権を踏みにじられ、人生を弄ばれ傷つきながらも、それでも必死に生きてきた人たちだった。
中には、日本が戦争をしない憲法を持ったのは「とても良い」とはっきりと言葉にする人もいたが、そう語らずとも、彼らが聞かせてくれた体験の中に、戦争を否定し平和を願う思いが如実に語られていた。
戦争のない平和な世界を願うのは、国家を超えて、人としての願いなのだ。
 戦争で父を奪われ、戦争が起こす悲惨を他者の体験から我が事として感じてきた私は、
9条改憲を断じて許さない。
そして、反戦の思いを行動で示せなかった時代を生きた父母たちの無念をも合わせて、アベ9条改憲NO!を大きく叫ぶ。

●渡辺美奈さん(アクティブミュージアム女たちの戦争と平和資料館wam)
 先ほど戦争未亡人の子どもは就職差別を受けたという坂元さんの話があった。
私の祖父はビルマで戦死し、私の父も戦争未亡人の子どもとして就職差別を受けたと言っていた。
これを友人に言っても誰も信じてくれず、そんなこと有り得ないと私は言われ、「でも本当らしいよ」と言っても信用されなかったが、坂元さんの話を聞いてやっぱりそうだったんだと思った。
戦争で死んだ人の子どもを差別する社会だったというのが、私個人の中では、私がこういう運動をしていることの一つの理由かもしれない。
 私は日本軍慰安婦を中心に戦時性暴力の被害を伝えるミュージアムを運営して今年で12年目になる。
日本軍慰安婦にされた人たちの告発というのが、先ほどサンフランシスコの事例もあったが、今なぜこれほどまでに、アベ政権、メディアを含めた日本社会がヒステリックな反応をしてまで否定しようとするのか。
それは単純に女性蔑視だけではなく、一人一人が日本の植民地支配と侵略戦争において、日本軍、軍を肯定する日本人、植民地支配や満州國と呼ばれたところで生きていた一人一人の加害性について問うことがなかった日本の戦後72年を、「私が証拠だ」と、慰安婦にされた女性たちが体を張って告発しているからに他ならない。
だからこそ「隠れてないで出てこい」というふうに韓国のハルモニが言った。
 しかし、アベや菅は耳を塞いで出てきもせず、直に声を聞いたことは一度もない。
耳を塞いで聞こうとしない人たちは、残念ながらこの会館の女性たちの中にもたくさんいるだろう。
その事と日本の軍事化の進行は、深く繋がっていると思う。
 天皇の軍隊は女性を守ってこなかった。
そして戦後、男たちは自分たちより強い男に女を差し出して生き延びた。
それは戦後、占領軍に対する慰安所RAだけでなく、満蒙開拓団の女性たちの証言からも判ってきた。
 男は守ってくれるという幻想は、軍隊が守ってくれるという妄想と地続きだ。
戦場の男も戦場の軍隊も、脅威でしかない。
暴力を振るう事を目的に敵の殺し方を日夜訓練している軍隊の側で、平和に生きていく事ができるだろうか。
これは、高校生の時に米兵から性暴力を受けた沖縄の女性が発した、根源的な声だ。
攻撃のターゲットとなる軍事基地のある場所が、戦争中も日常も、最も危険な場所である事を、沖縄の戦中・戦後は伝えている。
 今日の話の中で、誰も自衛隊は違憲だと言わなかった。
私は今も自衛隊は違憲だと思っている。
憲法9条を実現するために時間がかかったとしても、自衛隊を解体していく事は、そんなに非現実的な事だろうか?
私にとっては、Jアラートや発射されたミサイルを撃ち落とす事が、あるいは専守防衛の名の下に中国に対抗するような軍隊を持つ事の方が、よっぽど非現実的に見える。
北朝鮮からのミサイルが飛んだ上に、日本海沿岸部に並ぶ原発をなぜ廃炉しないのか?
その方が武器のマーケットでショッピングをしているよりも、緊急事態という時に一番できる現実的な政策だと思う。
 3.11の時に沖縄の高里鈴代さんがTVで自衛隊がヘリコプターで下りていくのを見て、「怖い」と言っていた。
自衛隊を解除して災害救助隊にする。これは災害列島日本の現実的なニーズだと思う。
全然救助の訓練さえ受けていない若い自衛隊員が、非効率的でも頑張っているからと褒めるのは、政策的にはアウトだ。
暗がりでは迷彩服は見分けられない。
使うかどうかわからない戦闘機に多額の税金を使うのではなく、天候が悪くてもどんな悪環境でも、安全に人命救助ができるヘリコプターを開発していく事は、現実的なニーズだ。
そして災害救助隊であれば、女性も安心して働ける。
女性の雇用確保につながる。
地震の多い日本の経験を生かした災害救助隊を海外に派遣していく。
血を流すのではなく、汗をかく。
人間による貢献、これこそが日本の憲法に則した国際貢献であり、貢献と信義に信頼して安全と生存を保持する、その術の一つだろう。
 残念ながら現在仮想敵国と思われるのは、日本がかつて侵略戦争と植民地支配によって甚大な被害を与えた国々だ。
アジアの人々から信頼を回復して、信頼を増幅する事、この事が日本軍の慰安婦にされた女性の人間回復、そして戦争での植民地支配で被害を与えた人々への償いというものは、緊急を要する現実的な安全保障政策の一つであると思う。
 米国に追随した軍事増強というのは、最も危険な選択肢だ。
戦争のない、軍隊のない世界、自衛隊も米軍もいない日本を作るために、私たちの宝である憲法の実現に向けたロードマップを作る事。
すぐにできなくても、どういう順序でやるかというロードマップを作る事、こんなに楽しくて難しい政策は、女性にしか作れない。
議員の皆さんには、是非その政策を作っていただきたい。
そして暴力で解決する社会からは、性暴力は無くならない。
女の考える知恵を集めてみんなで頑張りましょう。


2017年12月7日号「12・5集会報告②」

*12月5日の「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」集会報告続きです。

●伊波洋一さん(「沖縄の風」参議院議員)
 沖縄は辺野古新基地建設の問題で、毎日100名を超える人が現場で座り込みをしている。
その思いは、2度と沖縄戦のような戦争を起こさせないという思いからだ。
今の沖縄の状況は、アベ政権になってから先島諸島にも自衛隊の基地が作られ、それは対中国戦争シフトというのでこれが進んでいる。
北朝鮮問題が緊迫しているが、北朝鮮はアメリカが攻撃する可能性が高く、沖縄の米軍基地は今、とても緊迫している。
そうなると日本が巻き込まれる訳になる。
 中国については、当初アメリカは中国に対しかなり攻撃的姿勢だったが、今日経済があれだけ発展して大国になると変わってきている。
アメリカの情報機関CIA の調査では、もはやアメリカの経済は世界で3番目で、1番目は中国、2番目はEU 3番目がアメリカで4番目がインド、5番目が日本となっている。
そういった中で、アメリカの代わりに日本が戦えという状況になっている。
そういう状況で日本は、積極的に中国との戦争の準備をしていると言っても過言ではないのではないか。
 その一つが、9条の改憲論だ。
アメリカの代わりに戦争ができる国にしていく。
戦争がどこで行われるかというと、日本の領土で行われる。
日本の国内の人が、アメリカのもとで闘う場所を誘致付けられているというのが、今の日米安保になっている。
かつて日米安保はアメリカが日本を守るための条約ということで、日本が攻撃されればアメリカが助けるということだった。
アメリカは北朝鮮を攻撃しようとしているが、中国はもう攻撃しないと決定している。
そういう中で9条をなくすのがいかに危険かを考えないといけない。
 日本は米軍にとって住みやすい。
どんなことをしても法律で罰せられず、思い通りのことをさせてくれるし、9,000億くらいのお金も年間日本政府が負担しているから、世界のどこよりも米軍にとって日本は住みやすい。
 今年は日中国交回復45周年だったが、何も行われず、来年は日中平和友好条約40周年だ。
今年から来年にかけての節目の年を大事にしながら、9条のまま平和な日本であり続けるためには、日中友好こそが一番大事だと思う。
少なくとも日本の運命を変えるかもしれないようなことが、いま行われていることを理解していただきたい。
日本を戦場にするかしないか、平和を実現するかということで9条はとても大事だということを伝えていきたい。
一緒に頑張りましょう。

●畑野君枝さん(日本共産党衆議院議員)
 沖縄に次いで米軍基地が集中している神奈川に住んでいる。
横須賀に置かれている米第7艦隊は、地球の3分の1を覆う最も強力な軍隊基地が置かれて、動く原発と言われている原子力空母レーガンの母港にされている。
11月21日午後に東京の太平洋上で、この艦載機が墜落事故を起こした。
行方不明者も出た。
横須賀では相次いで、イージス艦の事故が続いている。
なぜこんなことが起きるのか、日本政府に聞いてもまともに米軍に追求せず、そして繰り返される状況だ。
一つの事故の場合は、艦長が切れて勝手に船を止めてしまって相手の船がぶつかったという状況だ。
オスプレイの問題もあるが、米軍がコントロールが効かなくなっている状況だと思う。
 12年前の朝に横須賀で通勤途上に米兵から基地はどこかと英語で問われ、丁寧に教えてあげた女性が殴り殺される事件があった。
裁判は和解としたが、基地があるゆえの被害は沖縄や全国で続いている。
12年前に私たち女性はパレードで抗議をし、基地へ行った。
米兵が出てきて泣いて言った。
「自分たちは日本に来たくて来ているのではない、ママのところへ帰りたい」と。
レイプ事件が起きた時、司令部の女性が来て「本当に申し訳ない」と言ったこともある。
だから女性が世界で手を結ぶことが、本当に大事だ。
それは男性兵士をも救うことになる。
 「誰の子どもも殺させない」みなさんの闘いは、本当に大事で、なぜそれを言うことができるかといえば、世界の宝9条を持つ国であり、そして核兵器の被害を受けた日本だからだと思う。
加害の国であり被害の国である日本の女性は、世界の女性、世界の人々と結ぶ要になると思っている。
 私の母は東京大空襲の被害者で、大叔父は長崎原爆の犠牲になった。
だから私は憲法9条が大好きだ。
安倍首相は9条3項に自衛隊を書くと言っている。
答弁では、ただ書くだけだから今までと何も変わらないと言うが、書かなくてもずっとやってきて、今のこの危険な自衛隊の状態だ。
書いたら、一体どうなるのか。
安保法制では、まさに海外に行く自衛隊になってしまった。
書くということは、海外で無制限に戦争に参加する自衛隊になるということだ。
横須賀の自衛隊員の皆さんと家族の皆さんは、9条があるので自分たちは海外での戦争に行かずに済んだと、密かに声を立てている。
 母は「戦争を起こしてしまったのは、あの戦争中は女性に参政権がなかったからよね。
今は選挙権があるのだから、あなたの時代に絶対に戦争を起こさせてはならない」と言い、私はそう教え込まれてきた。
その思いを若い世代にも伝えていきたい。
国会で頑張ります。皆さん一緒に頑張りましょう。

●尾辻かな子さん(立憲民主党衆議院議員)
 大阪は維新の皆さんがいて、私は大阪市の本部選出議員だが、最近大阪市は、サンフランシスコ市との姉妹都市を解消するということがあった。
これは戦争をどう捉えるのかということで、歴史修正主義に基づいた解消ではないか。
戦時下の女性への性暴力をあたかも否定しているようなこのことに、大阪に住む一人として、議員の一人として、非常に危機感を覚えている。
 2013年に、当時の橋下市長の従軍慰安婦に対しての発言があった。
戦時中は兵士を慰めるためにそういうことは当然あってしかるべきであり、世界で同じようなことが行われていたという発言だったが、かなり問題になって橋下氏はサンフランシスコへの訪問を断られた。
その経緯があって、その流れがそのまま維新の中に引き継がれている。
そこでこのように、姉妹都市解消をするところまできてしまった。
 これほどまでに過去の事実を否定するような動きが現実になっていることに、非常な危機感を覚え、そこで女性に対して行われた性暴力をあたかも否定するようなことにも、非常な危機感を覚えている。
このような歴史を修正するような人たちに対しては、しっかりと歴史の事実を発信していくことが大事になっていく。
戦争によっていかに人生が狂わされ、女性の人権がなくなるのかという事実を否定してしまう社会は求めない。
こうした流れに対して、みなさんと一緒に声を上げていきたい。
 大阪の動きに注目してほしい。
今日は大阪では有志の皆さんが、姉妹都市解消に抗議申し立てを出すようだ。
こうした動きは福岡でも起こり始めていると聞く。
ぜひ皆さん、手を携えて一緒に連帯していきましょう。

●吉良よし子さん(日本共産党参議院議員)
 国会に送っていただいて4年半経ったが、この4年半はまさに安倍政権の暴走と共にあった4年半だ。
安倍首相はことあるごとに“平和””積極的平和主義”“平和安全法制”、と平和を連呼しながら憲法を踏みにじり、防御すべきと言って今度は9条そのものにも手をつけようとしている。
でも、そうやって憲法に自衛隊を盛り込むことは安保法制を通して自衛隊を地球の戦場へ送ること。
武力によって勝ち取るのが平和とでも言うのだろうか?
絶対に違う。
 2歳の子に読み聞かせている絵本がある。
浜田桂子さんの『平和ってどんなこと』という絵本だが、そこにはちゃんと書いてある。
戦争しない、爆弾なんか落とさない、おなかいっぱい食べられること、安心して眠れること、ちゃんと意見が言えること、君が、僕が生まれて良かったということだ、と。
まさに、この世に生きるすべての人の命を互いに喜び合う、自分が自分らしく生きられる、それこそが平和、本当の平和の始まりではないだろうか。
 それを壊すような戦争、軍事力、絶対に認められない。
だからこそ、アベ9条改憲を絶対に認めない。
明日は参議院憲法審査会だ。
しっかり訴えたいし、本当の平和を求めていく闘い、みなさんと共に手を携えてやっていきたい。

●鈴木直子さん(安保関連法に反対するママの会@埼玉)
 私は3.11の原発事故により、いわき市から埼玉に自主避難している。
その中で「安保関連法に反対するママの会@埼玉」で活動している。
これは2年前の7月に「誰の子どもも殺させない」という言葉に集まって、全国でできたママの会だ。
安保関連法に反対するためにいろんな活動をしてきた。
今も全国で頑張っているが、その中には私と同様に各都道府県に避難した人たちもいる。
 なぜ私が避難したか、それには二つの大きな理由がある。
一つは被ばくが怖かったからだ。
他の一つは差別・偏見が怖かったので夏休みまでの3ヶ月だけ避難したという既成事実を、二人の娘に作ってあげたかったからだ。
だが3ヶ月では放射能は無くならず、未だに各地に汚染がばら撒かれたままだ。
 健康被害も風評被害ではない。
100万人に1人と言われていた小児甲状腺癌が、今現在判っているだけで194人、70人に1人の割合ででている。
その検査は、子どもがここに(と言って喉を指差す)針を刺されるのだ。
本当にかわいそうだ。
私の子どももいつそうなるか、という思いで怯えている。
だから避難したいと思うのは当然の権利ではないだろうか。
それなのに、7年経つのだから自己責任で生活しろ、これはあまりにも酷な言い方だと思う。
 私も埼玉で避難者支援をしていて、避難者からいろいろ話を聞く。
避難や放射能に関して、夫との意見の違いから震災離婚した人が大勢いる。
本当に生活が苦しい。
いま全国では年間所得が300万円以下が40%も占めるが、家族があっても独居でもそうだが、なおさら母子避難者は苦しい。
自分の息子に一緒に死んでくれと言うなど、そこまで追い詰められている人もいる。
首つり自殺した人もいる。
これは大げさな話でも、風評被害でもない、実害だ。
震災関連死も増えている。
 この事実を国は隠蔽して、「寄り添います」「お一人お一人のお気持ちを大事にします」と、私たちは言われ続けて7年目になる。
何も変わっていず、むしろ生活が苦しくなっている。
 憲法前文に書いてある「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」、この素晴らしい言葉があるのに、私たち被災者は辛く悲しい毎日を過ごしている。
 時間の経過とともに苦しくなっていくのが、この原発事故災害の恐ろしさだ。
憲法13条の個人の尊厳もない。
放射能が怖いと言えば発言を止められたり、その場から退場させられたり、言論統制があるのが事実だ。
県内でも放射能が怖い、保養に行きたいと言っても認められなかったり、本当に避難したいのにできない母子たちもたくさんいる。
 どうしてこんな国になってしまったのか。
先ほどの戦争体験者の話を聞きながら思った。
私の親の団塊世代も団塊世代ジュニアの私の世代も、全く経験していない平和ボケの中で育ってしまったからなのか。
それに対して私はいま、ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める元軍人が立ち上げた組織)という世界にある団体の日本支部をいろいろな人たちと起ちあげた。
 原子力・核による被害は世界中にある。
核廃絶のきっかけを作ったゴールデンルール号に乗ったヘレン・ジャッカードさんと鎌仲ひとみさんのお話が12日にあるが、昨日打ち合わせでいろいろ伺った。
ウラン鉱山が世界中にあり、退役軍人がPTSDになったりとか、レイプが横行して大変だとか、知らない話を聞くにつれ、平和って何なのかと考える。
戦争はダメだと教えられてきたが、本来の意味での戦争被害を私たちはまだ知らない。
 これから勉強して、同世代、子育てをしている仲間たちに、生活が精一杯でという状況もあるが、もう余裕がないなどと言ってはいられない。
もう戦争の足音は、目の前に来ている。
福島県民として、長州にはもう2度とやられたくないと思いながら、明るく前向きに、ピンチをチャンスにして頑張っていきたい。
 後ろに12日のチラシと埼玉の自主避難者の気持ちを載せた冊子「ぽろろん」を置きます。お手に取ってください。

●福島瑞穂さん(社民党参議院議員)
 この間東京地裁で、安保法制違憲訴訟の原告として意見陳述をした。
角田由紀子弁護士をはじめとし、全国の皆さんに大変お世話になった。
裁判所で弁護士として意見陳述の機会は何百回とあったが、原告として「安保法制は
違憲だ。裁判所はそう言ってくれ」と言うことができたが、それが本当に裁判所に伝わるようにと思っている。
 いま憲法が最大の危機になっている。
自民党は今度の衆議院選挙の選挙公約に、憲法9条3項に自衛隊明記、緊急事態への対応、教育の無償化、参院の選挙区の合区解消のための憲法改正など4項目を掲げている。
安倍総理は2014年秘密保護法、2015年戦争法、安保関連法、そして今年は共謀罪の強行成立と施行をした。
来年にでも憲法改悪をやろうとする、戦争ができる国にする行程表の総仕上げとして、9条改悪をやろうとしていると思う。
 安倍総理は2020年9条を変えて施行するといった。
だから早ければ2018年か19年、一番早ければ2018年6月に発議、8月国民投票。
改憲手続き法は発議から60日〜180日で国民投票しなければならないとあり、60日が最短だが、この最短でやるだろう。
最も遅くて2019年7月の参議院選で、同日の国民投票をやるのがデッドライン。
来年9月が自民党総裁選で、総裁選をまたぐという説もあり、発議をしたからやってくれという可能性もあるが、私は国民の間に広がる前にできるだけ早くにやろうとするのではないかと思っている。
 11月30日参議院の予算委員会で、私は質問した。
9条3項に自衛隊を明記するということは、集団的自衛権を行使する自衛隊のことですね?
安倍総理は「憲法9条1項、2項の解釈を変えて限定的に集団的自衛権の行使を認めたので、そのままです」と言った。
 つまり、1点目。
集団的自衛権の行使をする自衛隊の明記だということを明言した。
災害救助や国土防衛のための自衛隊ではない、世界で戦争する自衛隊だ。
 2つ目、憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めると言った。
1972年の砂川判決で、判決から集団的自衛権の行使は認められるとして解釈は変えてないと言っていたのに、答弁では解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めたと言った。
 安倍総理は、質問をするたびに答弁が変わる。
加計学園の問題でもそうだが、それはさておき、とにかく大変な状況だ。
安倍政権がやろうとする憲法9条改変の発議を、人々の力で止める。
国民投票に絶対に行かないように、憲法改悪発議を止めたい。
2週間前まではCMは全く自由であるとか、最低得票数も書いてないとか、国民投票法には、まさに欠陥がある。
国民投票をさせない。
発議を止めていく。
そのために一番有効なのは、女の口コミ作戦だと思う。
とにかくあらゆるところで、3000万人署名も含めてあらゆるところで、憲法9条を変えさせない声を上げて広めていこう。
みんなの力で憲法9条を変えさせない。
時間との戦いだと思うが、大きく大きく、楽しく愉快にチャーミングに広げていけるよう、一緒に頑張りましょう。

*大変長くなりましたが、12.5集会報告はもう少し続きます。
どなたの発言も、ぜひお伝えしたい内容なのです。       

いちえ


2017年12月6日号「12•5集会報告①」

◎「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」
12月5日、参議院議員会館講堂で、件名の集会がありました。
主催は「安保法制違憲訴訟・女の会」と「一票で変える女たちの会」です。
国会では幾つかの委員会が開かれている時期だったので、随時駆けつけた議員の発言を挟みながら予定された市民の発言が続きました。
市民、議員合わせて17名の方が発言しました。
発言順に記します。(「です。ます」調で話されましたが「だ。である」調で記します)
●角田由紀子さん(弁護士)
主催の二つの会のどちらにも関わっているので、主催者挨拶に代えてお話しします。
1 集会のタイトルは「憲法9条は世界の宝」だ。
憲法9条は日本の宝であることはもちろんだが、世界を戦争のない場所にするためには9条思想を世界中に広め、世界の宝として共有したいという願いをタイトルに込めた。
憲法9条は、私たちに生きることを保障しているが、9条が生まれた歴史がそれを示している。
アジア・太平洋戦争で多くの人々が殺されたが、それらの命と引き換えに、日本人は9条を手にした。
戦争の時代との決別の宣言でもある。
平和的生存権を保障する憲法前文に明記されている言葉は、そもそも9条が初めから
世界の宝たらんとしたことを示しているのではないかと思う。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいとおもふ。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たふとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
この平和的生存権を実現するために、憲法9条、13条をはじめとする条文が置かれた。
憲法9条は次のように謳うがその断固たる決意を語る言葉は、何度読んでも美しく、心を奮い立たせ、よく生きよと呼びかけ、安らぎを与えてくれるのではないだろうか。
(1項)(戦争の放棄)
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2項)(軍備及び交戦権の否認)
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
2 世界は平和に生きることを熱望している。
1945年以降も世界のあちこちで戦争があり、今もシリアでは子供たちが殺されている。
沖縄では米軍占領の事実が続き、平和憲法を持つ祖国への復帰を熱望した沖縄県民は、その願いを実現できていない。
私たちは、憲法9条を世界の宝にと訴えると同時に、沖縄に憲法9条をと訴える義務がある。
ほとんど裏切りでしかなかった本土復帰は、今でも沖縄に憲法9条をもたらしていない。
日本政府はアメリカとともに昨今の北朝鮮情勢を口実に、再び沖縄を戦火に曝すことを密かに企んでいるのではないかとさえ思わせられる。
世界中が外交での問題解決を訴えているのに軍事的解決で北朝鮮を脅迫するアメリカのやり方に、安倍首相は諸手を挙げて賛成を叫ぶ。
しかし世界は、平和の実現を諦めず、むしろ平和への道を具体化しつつある。
2017年7月7日、国連は「核兵器禁止条約」を122カ国の賛成で採択した。
戦争放棄の国コスタリカのエレイン・ホワイトさんが条約成立の議長として尽力した。
現代戦争のリアリティは全員が敗者になることであり人類を消滅させることをもたらし得る核戦争は、端的にそれを示す。
核兵器のいかなる仕様も壊滅的な人道上の帰結をもたらすのだから、「完全な廃絶」が必要だと条約は明言している。
条約に先立ち2016年11月、国連総会は「平和への権利」を国際宣言として採択した。
この権利は2005年に市民からなるスペイン国際人権法協会の提案から始まっている。
こう見てくると私たちの憲法9条は、現在の国際的な動きを先取りしたものであることがわかる。
3 憲法9条が私たちに保障してきたもの
憲法9条は私たちを戦争から守ってきただけではなく、軍事費を抑制することで国民生活を向上させたし、学術・文化も軍事優先から決別し世界の平和と福祉の増進に貢献してきた。
安保法制法の制定で憲法9条が70年にわたって保障してきたものが、私たちから奪われようとしている。
この法律によって女性の権利が侵害されている。
まだ日本が巻き込まれる戦争は起きていないが、既に戦争という究極の暴力が法律で肯定されてしまった。
物事の解決を暴力によることを認め、社会をそのように変えていく結果をもたらす。
歴史的にも女・子どもはいつも、暴力で人権を剥奪されてきたし性的人権がやすやすと侵害されることも続き、戦争の時代には、それが極限に達した。
4 憲法9条3項は何をもたらすのか?
安倍首相は詐欺的な9条3項の加憲を提案しているが、その内容は次のようなものだ。
「前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない」
自衛隊を憲法に書き込むことで、自衛隊は9条1項・⒉項と矛盾しない、つまりそれらをなきものにする。
自衛隊が憲法上の存在として軍隊であると公に認められることで、日本社会はガラリとその性格を変えてしまう。
これがもし国民投票で承認されると、自衛隊という軍隊に国民が正当性を与えたことになる。
伊藤真弁護士は軍国化された社会の姿を、次のように言う。
「政府は軍隊をしっかりしたものにするために、自衛隊の活動範囲を広げ、防衛費を増やし、軍需産業を育成し、武器輸出を増進し、自衛隊の募集を強化し、国防意識を教育現場で強制し、大学等の研究機関に対して学問技術の協力を要請するなど、高度国防国家へ進むでしょう。」
「国防のための人権制約も進み『国防』の名のもとに思想が統制され、言いたいことが言えず、学問研究や宗教も国防の犠牲になり、国防のために逮捕・勾留される…そういう自由が抑圧される国へと向かうでしょう」
これらの一部は、既に特定秘密保護法や共謀罪、安保法制法によって現実化されているが、9条3項はそれらにも憲法が承認を与えることで固定化しようとするのだ。
戦前復帰を超える窒息しそうな社会が待っているだろう。
5 連帯して行動しよう
スペイン領カナリア諸島に憲法9条が書かれた碑が建っている。
既に、憲法9条は世界で大事なものとして評価されているのだ。
2017年3月のNHK世論調査では、82%の人々が9条は日本の平和と安全に役立っていると答えていた。
9条改憲には立法事実がない。
コスタリカやカナリア諸島の人々を始め、世界中の人たちと手をつないで今こそ9条が保障している中身の実現を政府に迫り、9条改憲の野望を粉々に打ち砕かねばならない。

●田村智子さん(日本共産党参議院議員)
この会場に来る途中の廊下の正面は自民党本部だが、「この国を守る」と書かれたでっかい垂れ幕がかかっている。
安倍政権の異常な強硬姿勢が、垂れ幕に現れている。
先ほどの話にもあったが、9条改憲は国際社会での孤立化の道を歩んでいる。
北朝鮮の問題でこれほど対話を拒否するのは、世界の中で安倍首相だけではないか。
アメリカのトランプでさえ対話の余地はある、対話の準備はあるという発言が繰り返され、中国や韓国へ行った時にも対話が完全拒否ではないという態度を示している。
その中で、対話をしてはダメという安倍の態度は異常だ。
米国と一体化して自衛隊を活用して、先制攻撃も辞さないような北朝鮮への対応はおかしい。
私たちが知らないうちに、北朝鮮の問題で日本が武力行使に巻きこまれかねない。
核兵器禁止条約にも完全に背を向けて、核抑止力に固執する国に成り下がっている。
こういう人たちが9条を壊そうとしていることを、国民の皆さんに知らせていかないといけない。
私たちは議会が彼らに3分の2を占められてしまっても、国民の世論や運動の力で改憲を発議させないことは可能だという立場で、大きな運動を広げていく覚悟だ。
9条の問題を考えるという大学生の集まりに、先日呼ばれた。
グループ討論で「9条をどうするか」という提案を受けてコメントする立場で呼ばれた。
驚いたことにグループの大学生たちはみんな「9条に自衛隊を書く」という提案だった。
なぜかと聞けば、勝手な解釈をさせないため、自衛隊に戦争をさせないために9条に書くと言う。
彼らは不勉強ではあるが、安保法制で勝手な解釈をされたという思いが学生たちにはあるのだと思う。
そんな風に勝手な解釈をした安倍政権が9条を変えたらどうなるか。
イラク戦争の時に9条があったから自衛隊は戦闘地域に入ることができなかったということを、もっともっと若者たちに伝えて、安倍9条改憲の危険を若者にも訴えて広めていきたい。
共に頑張ろう!

●是恒香琳さん(元SEALDs)
20代の視線から改憲について思うことを話したい。
特定秘密保護法、TPP、集団的自衛権行使容認、原発再稼働、沖縄米軍基地問題、自衛隊日報隠し、テロ等準備罪、共謀罪、森友学園・加計学園事件、労働基準法改定など次から次へと抗議しなければいけないことが登場して息切れしている中で、これまでにない危機感を持って改憲が迫っている。
日本国憲法は、謂わば、先ほどの山のような問題と闘う時に私たちが拠り所にしてきたこの国の良心であり尊厳だ。
次々と溢れ出てくる問題に押し流され、なし崩しにされないように私たちが重ねてきた命綱は、今のこの憲法だ。
だから改憲によってこの命綱が切られてしまうことを、私はとても恐れている。
自民党の憲法改正推進本部は、先月初めに改憲に向けてのロードマップを出したがそれによれば来年発議し2019年夏に国民投票でとしている。
安倍政権がこれまでのような強引さで進めれば、日程のように進む
私たちはこれから1年半、もしかしたらもっと早まるかもしれない間に、より多くの人に改憲のことを伝えなければならない。
改憲させないためには日本国憲法を身近なものとして知る必要があるし、みんなが憲法や条文を自分の言葉で語る必要がある。
憲法が、政治家や法律家の話題と思われている状況を変えなければならない。
餅は餅屋というけれど、主権者は私たちだ。私たちが餅屋なのだ。
改憲は9条の破壊だけではなく、基本的人権や国民主権を破壊し、その性質を根本から変えてしまう可能性があることも伝えていかなければならない。
私たちは北朝鮮という具体的な敵を掲げられ、恐怖を煽りミサイルの映像を毎日のように見せられている。
国難を突破するには時代にあった新しい憲法を作るべきだ、緊急事態条項を新設する必要があるという盛大なコマーシャルにさらされている。
一昨年SEALDsが心がけたことの一つは、このコマーシャルを乗っ取ることだった。
私たちの言葉を、マスメディアにとりあげさせようとした。
これは確かに、国会で何か起きていると多くの人に関心を向けさせることはできたが、その中身をマスメディアに盛り込ませられなかった。
変わった若者たちとして、お茶の間のタネとして消費されたように思える面もある。
しかし、組織や権力を持たない私たち小さな人間が我が身を晒して、巻き込まれながらも巻き返していくしかないと思っている。
金や権力を後ろ盾にした盛大なコマーシャルに対抗する手段は何か?
それは口コミだ。
生活の言葉は、井戸端で語られる。
身近な言葉は食卓で語られ、友人の間で語られる。
人に届く言葉は、身を晒した等身大の言葉だ。
1週間ほど前に、戦争体験者の92歳のおじいさんに話を聞いた。
フィリピン・ミンダナオ島で飢餓地獄を体験した人だ。
「人間はジャングルで死ぬと、水分がある目と口から蛆がわく。
まるで笑ったように見える。
それが70年経った今も忘れられない」と、涙を流し声を詰まらせながら話してくれた。
その人はまた、太平洋戦争に踏み切った時の日本と、今の北朝鮮が似ているという。
「誤解を招くかもしれないが、これだけは言いたい。
アメリカの尻馬に乗って、これ以上北朝鮮を追い込まないでほしい」と言った。
私の友人には、「北朝鮮怖いし、やられる前に先制攻撃したほうがいい」という子もいる。
このおじいさんは、北朝鮮の人々に70年前の自分の体験を重ねて語った。
その言葉のほうが盛大なコマーシャルよりも、ずっと人の心に届く。
北朝鮮と当時の日本が同じだとは言えないが、おじいさんの言葉は理屈を超えて、惨たらしく殺された人々と、殺す側の傲慢さ、殺せと命じる者のお気楽さを浮き上がらせて教えてくれた。
私たちもその言葉の力で、日本国憲法という命綱を切られないように、国のコマーシャルと闘っていこう!

●山添拓さん(日本共産党参議院議員)
私は憲法審査会委員として、引き続き国会でも発言していきたいと思っている。
国会はようやく1週間前から答弁が始まったばかりだが、今週末には早くも閉幕が予定されている。
TVをご覧になっている皆さんは、何度かTVに物をぶつけて怒りをぶちまけたいと思ったのではないだろうか。
あれほど国会審議から逃れ続けようとし続け、野党の質問時間も削ろうとする安倍政権が、憲法審査会だけはしっかり開き進めようという姿勢をとっている。
参議院では明日(6日)1時から、開かれる。
衆議院では一足先に11月30日に開かれ、自民党側は総選挙を終えて自公の改憲勢力が3分の2を占めたので、改憲に向けて勢いを示したい思いもあったろうが、ちょっと様子が違った。
この夏に審査会メンバーがヨーロッパに視察・調査に行った、その報告がされた。
イギリスで議員に会見した自民党議員が、自衛隊明記の憲法改正をやろうと思うと誇らしく話したら、相手のイギリス議員は「今まで自衛隊は憲法のもとで存在してきたではないか。なぜ変える必要がある?変えるということは防衛のためではなく攻撃のための自衛隊にしようと思っているのではないか?」と言われた。
世界から見れば異常な安倍政権のもとで、憲法を変えて自衛隊を書き込もうとする狙いは、とっくにお見通しということだ。
しかも、多くの国民はこれを望まず、他にやることがあるだろうと思っている。
他にやることがいっぱいあるのに、憲法を変えようとする、戦争する国に変える改正をしようとしている。
法律上、憲法上、自衛隊を持ち集団的自衛権を行使できるようにするだけでなく、暮らしの中の様々な予算が削られることだ。
安倍首相はいつも、お金がないからこの予算は削るなど小泉政権の時よりも抑制していると威張っているが、トランプに言われればホイホイと新しい武器を買っている。
一体どこにお金があるのか?
9条を変えて戦争する国に変えるということは、日本社会のあり方を大きく変える。
戦争する国にすることは、海外で武力で相手を傷つけ殺すだけではなく暮らしを変えていくということだ。
国会で、発議をさせないようにしていく。

●坂本良江さんさん(プロデューサー)
私がなぜ平和憲法を何が何でも守らなければと思っているか、私の人生体験を聞いていただくことで訴えたい。
戦争が終わった時、私は小学2年生だった。
大人たちはこれからの暮らしなどいろいろ話していたが、私はただただ、お父さんが帰ってくるということを嬉しく思っていた。
3月の大空襲で母と私を頭に4人の子供で信州に疎開していたが、父は帰ってこなかった。
親戚も知り合いもない信州での疎開生活で、大変な苦労をした。
母は慣れない農作業を手伝ったり、ミシンを踏んだりして子どもたちを育てた。
たけのこ生活で、父の背広や時計など父が身につけていた物や子どもたちを写してくれたカメラ、私達姉妹のために残してくれた晴れ着、茶の間にあった電蓄、みんな食料に変えた。
母は子どもたちに食べさせ自分は食べない生活で、肺結核になってしまった。
農家の2階を借りていたが極貧の生活で、生活保護を受けていた。
生活保護家庭の子ども、戦争未亡人の子ども、片親の子どもということで、大変差別を受けた。
私より1つ上の戦争未亡人の子どもは、どんなに優秀でも高校へ行けなかった。
紡績工場の女工になるか、商店の店員になって都会へ働きに出た。
私が中学3年の時に戦没者の家族に遺族年金が出ることになり、それで私は進学できた。
アルバイトをし、奨学金をもらって大学に行くことができた。
ところが卒業し就職試験を受ける時に、父がいないことでまた差別を受けた。
60年安保の時代で、試験にはデモに行ったかも聞かれ面接で落とされたが、幸いそれを問わない会社に就職でき社会人としての一歩を踏み出した。
結婚して男の子が生まれ、その子も結婚して男児の孫も生まれたが、孫は今16歳だ。
私の祖父は日露戦争で戦死したので祖母も戦争未亡人なので、2代続いて戦争未亡人の家庭だ。
父の弟も戦死したので、いとこも戦死した父親のおかげで大学に行った。
私の家庭は、2代続いてそういう家庭だった。
そういうこともあって、結婚して夫も息子も戦争に行くことがないことを、本当に幸せに思う。
息子がティーンエイジャーだった時、一緒にベトナム戦争の映画を観に行ったことがあるが、18歳、19歳の兵士、ベトナムの若者が殺され死んでいくのを見て、隣に座っている息子が戦争に行かない、戦争で死ぬことがないのが、こんなに幸せなことかと、そのことに涙がこぼれた。
平和憲法がどれほど大切か、身をもって感じた。
2代続けて戦争未亡人になった家庭だが、2代続けて男たちを戦争に送らなかった。
2代で終わらせず、孫たちもまたその子どもたちも、4代も5代も、もう戦争に男たちを送らないために、平和憲法を守りたい。
一昨日、アベ9条改憲NO!3000万人署名活動をした。
9人で取り組み100人以上の人が署名してくれたが、若い女性たちは全く署名せず、それにはめまいを感じるほどショックだった。
一番多く署名してくれたのは中高年の男性で、中学生を連れたお父さんと話をした。
「この子にきちんと思いを伝えます」と、お父さんは言ってくれた。
見ず知らずの人と出会いそんな風に話ができるのも署名活動で、これからも署名活動や一票で変える女たちの会の活動をしていきたい。

*長くなるのでここで一度切り、集会報告は分けてお送りします。

いちえ


2017年12月5日号「報告とお知らせ」

◎報告1 12月1日 原発事故被害の今とこれから 求められる「国」の関与とは
主催:原発事故被害者の救済を求める全国運動
共催:「原発事故子ども•被災者支援法」推進自治体議員連盟
協力:避難の共同センター、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)、「避難の権利」
   を求める全国避難者の会
 上記集会と政府交渉が衆議院第1議員会館国際会議室で行われました。
●開会挨拶:佐藤和良さん(全国運動代表、いわき市議会議員)
 2013年9月に県文化センターで原発事故被災者の救済を求める全国運動が起き、
①住宅問題、②保養、③健康の三点について政府交渉してきたが、ほとんどすべて蹴られてしまった。
 住宅無償提供もこの3月で打ち切られ、雇用促進住宅入居者が追い出しを受けて訴えられている。
災害救助法に拠る毎年の更新ではなく、原発事故被害については新たな支援法を確立すべきで、原発事故子ども・被災者支援法に基づき、きちんと対応してほしい。
これは最初から対象地が分断されるかたちで作られたもので、請願の中にも健康診断を含めてちゃんとして欲しいと言っても認められない。
 保養問題は県では自然体験という形で行われ、これが唯一のものだが、これも縮小され継続的にと交渉を続け、今年2月にも交渉したがアベ政権では非常に壁が厚い。
これら三点について、これから、またここから頑張って交渉していく段階での今日の集会だ。
*参加議員挨拶:菅直人さん
 原発事故時に総理の立場であったが、子ども・被災者支援法の超党派の会議で交渉があった。
山形県の雇用促進住宅の追い出し訴訟はとんでもないことで、原告の機構は独立行政法人と言っても元は厚労省の管轄のことであり、機構独自に訴訟を起こしているのはおかしいし、通らない話だ。
機構の資金全額を厚労省が出している。
管理する機構は管理しか考えていず、管理責任だけで判断しているのは間違いだ。
原発事故の責任は国と東電にあるのだ。

❶避難者の住まいと暮らし
*現状報告:瀬戸大作さん(避難の共同センター)
 政府は自主避難者の住宅支援を2017年3月で打ち切ることを閣議決定し、避難当事者に応急みなし仮設提供を終了した。
これによって被害者である避難者は経済的理由から汚染された地域に自らの意思に反して戻らざるを得なくなるか、貧困を覚悟して避難生活を継続するかなどの選択に迫られた。
このような政府の方針は、2012年に全会一致で成立した「原発事故子ども・被災者支援法」に違反しているとともに、日本が締結している複数の国際人権に関する条約にも違反している。
 避難当事者と支援者が中心となり昨年7月12日、避難先での生活支援や情報共有、相談、自治体への支援継続要望などを行う「避難の共同センター」を設立した。
避難当事者と支援が「共同」することを大切にし、生活困窮者やシングルマザー支援団体、法律家、自治体議員、保養事業を行う市民グループなどの代表が「共同」して運営を担い、避難当事者からの「住まいに関する相談」「生活困窮に伴う問題解決の為の支援」を行ってきた。
 しかし住宅支援が打ち切られた4月以降になって「生活困難、経済的困難に陥り、4月以降の家賃支払いが困難」「生活保護申請しても、さまざまな理由で受給が断られる」「応急仮設供与が終了したのだから福島に帰れと言われる」などの事例が発生している状況だ。
 避難者への個別事情に応じた生活再建(自立)支援を怠った結果、住宅無償提供打ち切りによって一気に問題が深刻化、避難者を深刻な貧困に追い込んでいる。
経済的貧困、つながりの貧困、情報の貧困が連鎖している。
東京都や山形県の避難者調査でも明らかになっている。
特に公営住宅に入居できず民間賃貸住宅、雇用促進住宅で避難を継続されている皆さんの経済的困窮が深刻化されている報告がされている。
 自主避難者に対する個別の状況把握と、それに合わせた支援策が整備されない状況で「命綱」であった住宅無償供与を打ち切ってしまった事実が、今日の状況を招いたことを認識してほしい。
 希望する自主避難者が等しく公営住宅の優先入居及び民間賃貸住宅など継続的な家賃支援などの支援を行ってほしい。
母子避難、高齢者世帯など個別の状況把握をすすめ、必要な生活支援を行ってほしい。
 山形の8世帯の方々を含め、避難者に対して強制退去をさせないよう、国・県として措置を講じてほしい。
山形の被告代表の武田さんは、訴えられた訴訟の被告代表になった理由を、この裁判は自分たちだけの問題ではなく避難している被害者全体の問題だと考えるからだと言っている。

*講演:塩崎賢明(よしみち)さん(立命館大学特別招聘教授)
 ⑴神戸・阪神大震災でも同種の問題が起きていてそれは今も続いているし、今後も起こりうるので、災害復興における住まいの問題として考えたい。
 住まいは死活的な条件で、被災者、生活困窮者には住まいの確保が第一だ。
 憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限殿生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあり、「住まいは人権」なのだ。
 憲法前文「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。
 住宅復興には長期の時間が必要だが、次第に忘れられる傾向にある。
長い復興過程で生じる「復興災害」を避けることがきわめて重要だ。
しかし、現行の「災害対策」では、復興過程で必要な施策が考えられ、制度化されていない。
⑵原発災害自主避難者の追い出し訴訟について
 2017年3月末に自主避難者への住宅提供打ち切り
 2017年9月25日、米沢市内の雇用促進住宅に入居する8世帯を「高齢・障害・求職者雇用支援機構」が提訴。原告の機構は、福島県が3月末に自主避難者への住宅無償提供を打ち切ったため、雇用促進住宅の貸与契約は終了し、8世帯は不法占拠にあたると言い、4月以降の家賃支払いと明け渡しを要求している。
・福島県からの避難者35,000世帯,自主避難者26,600世帯,12,000世帯への支援打ち切り。
・福島県による家賃補助,東京都などによる公営住宅提供は極めて不十分。
・生活困窮,行き場を失った人々に対してそこに強制退去の裁判。
・これは「原発事故子ども・被災者支援法」違反する行為だ。
第1条「一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し,または居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者(以下「被災者」という)が、健康上の不安を抱え,生活上の負担を強いられており……,被災者の生活を守り支えるための被災者生活支援等施策を推進し,もって被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与することを目的とする」
第2条 被災者生活支援等施策は,被災者一人一人が第8条第1項の支援対象地域における居住,他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。
・自主避難者も一人一人が道を選択し,きちんと生活できるように、国が支援する義務がある。(望んでふるさとを捨てた人はいない)
⑶借上げ公営住宅からの追い出し
阪神淡路を例にとれば住宅からの退去を迫る根拠に、期限切れ、公平性(退去した人もいるのにあなただけ認めるわけにいかないなど)、財政負担、転居の容認性がある。
強制転居により起こる問題は、高齢者や病気持ちの人にはケア施設や医療施設が無いことが起こりうるし、ネットワークが破壊されて孤独死に追いやられたりする。
住宅は単なる箱物ではなく、そこにコミュニティがなければならないのだから、被災者の生活再建のための制度的な備えが必要だ。
 日本は災害大国で原発密集国なのに、住宅セイフティネット法改正されたが「被災者」を災害発生から3年に限定している。
日本と同じく地震国のイタリアでは「市民安全省」「災害防衛庁」があり、職員たちは24時間体制で働いている。
市民防護対策として、警察・消防・軍・アルプス救助隊などが連携していて、トイレ・キッチンカー・べっと・を250人分を1セットとしてまず用意している。

❷保養のニーズと現状:矢野恵理子さん(FoE Japan)
・保養プログラムが生まれた経緯
 本来少なくとも公衆の被ばく限度を「年1mSv」という国際勧告を守り,幅広く避難の兼裏を認めるべきだが311後の日本政府の基準は「年20mSv以下の地域に住む人は避難の必要はない」とした。
避難できない子どもと妊婦のために線量の低い場所で野外活動をと、全国の市民団体が福島県や近隣県の子ども達を呼んで野外活動を行う保養プログラムの開催を始めた。
・自然体験,野外活動支援事業
「原発事故子ども・被災者支援法」
 放射性物質による放射線が健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないことを前提に、子ども達の健康を,国が支援することが定められた。
基本方針に基づき予算化された「ふくしまっ子自然体験・交流活動補助事業」
・チェルノブイリで保養は,チェルノブイリ原発事故5年後に「チェルノブイリ法」が作られ,汚染地帯に暮らす18歳までの子どもは1年に3週間保養の権利があるとされている。
ウクライナでは15万人中5万人(2012年)が、ベラルーシでは15万人中10万人(2013年)が対象で実施。
・日本で107団体により9000人の子ども達が県外への保養に平均5,3日参加し、1回の保養で一人の参加者に、7万円以上の費用がかかっている。
全国の保養団体は資金的・人的に疲弊している実態が明らかになった。
・原発事故後7年目を迎え保養希望者は増加している。
FoE Japanは、他団体と協力して2012年1月より「福島ぽかぽかプロジェクト」という週末保養プログラムを開始し、2013年4月から拠点を土湯温泉から猪苗代に移して、対象を福島県全域に広げた。
猪苗代「ぽかぽかハウス」で年間8回、南房総で年間2回開催し、年間約250名受け入れ、約500万円かかっている。
 保養の役割は①子ども達が、安心して思いっきり外遊びできること、②お母さん、お父さんが放射能に関して不安な気持ちを話せたり、共有できること、③福島で子育てすることを選んだ人たちを全国の支援者が寄り添い応援していると伝えられること。
・保養の今後と福島ぽかぽかプロジェクトの試み
 参加者だった小学生や中学生が高校生や大学生になりボランティアとして関わり、またお母さんやお父さんもスタッフへ。
 お母さん達が自分たちが必要としている保養を仲間を募って自主企画し、メニューやスケジュールを自分たちで決め、自ら運営し、食材やボランティアなどを事務局が手伝う形に。
 1回あたりの経費を減らし、回数を増やす。来年度以降徐々に自主企画を増やし、将来的に自主企画でのぽかぽか保養を目指す。

❸健康 子どもたちの甲状腺がんは?:吉田由布子さん(NPO法人3.11甲状腺がん子ども基金専務理事)
・福島原発事故後の甲状腺検査
 国は、甲状腺がん予防のための安定ヨウ素剤の投与を的確に指示しなかった。
子どもたちの甲状腺の被ばく量もきちんと調べなかった。
本来は国の責任で、放射能が拡散した地域の子どもたちを守る施策が必要。
「子ども・被災者支援法」ができたが、国は福島県以外には保健対策を講じていない。
・原発事故後に増加した甲状腺がん
 チェルノブイリ事故後、住民への健康影響として国際機関が放射線との因果関係を唯一認めているのが事故の時の子ども(0〜14歳)および青年(15〜17歳)だった人々に増加した〈甲状腺がん〉
 汚染状況重点調査地域(1〜20mSv/年)は、県境を越えて広範に広がっているが、「子ども・被災者支援法」に基づく復興庁基本方針による支援対象地域は福島県内の汚染状況重点調査地域にほぼ等しい。
・3•11甲状腺がん子ども基金 手のひらサポート
原発事故以降に甲状腺がんと診断された子どもに対し、経済的な支援を行うために、療養費給付事業「手のひらサポート」を開始した。
目的は「原発事故子ども・被災者支援法」第13条3項に掲げられた「医療支援」について政府の包括的支援策が未だ講じられていず、緊急に民間レベルでの支援を実現することを目的とし、また経済的支援にとどまらず、患者の治療環境と生活の質の向上などにつなげていくことを目指している。
・給付対象者と給付金額など
 対象者は2011年の原発事故以降に甲状腺がんの手術を受けた人、および穿刺細胞診において甲状腺がんまたはその疑いと診断された25才以下の人で、事故時、青森を除く東北以南の1都15県(パワーポイントで図で示された)に在住していた人。
給付金額は一律10万円、遠隔転移などでアイソトープ治療の必要がある人には10万円追加.がんの再発や転移などで再手術を受けた人に10万円追加。
・これまでの給付と特徴
給付人数 105名+特例2名(福島県内75名+2名、県外30名)
アイソトープ適用 福島県内2名.県外11名
再手術 福島県内6名、県外3名
*福島県外では、何らかの症状ありでの受診が多いため、診断時点でアイソトープ治療適用の割合が多い。
福島県は早期発見ができていると思われる。
 2巡目の検査結果(早い進行)からは「過剰診断」とは言えず、手術例から見ても「過剰診断」とは言えない。
 しかし県民調査では一次検査でのう胞または結節がなかった人は次回検査になるが、次回は保険診療となる。
また一次検査でのう胞・結節があり二次検査の結果寮生診断を受けた人は経過観察となるがこれも保険診療となる。
二次検査後の細胞診検査で悪性または悪性の疑いと診断され手術など治療が必要となった場合も保険診療となる。

問題山積みの「原発事故被害の今とこれから」が集会で明らかになりました。
この後第二部では、厚労省、復興庁、国交省、文部科学省の各省への質問書を提出し政府交渉となりましたが、私は集会参加のみで第二部には参加せず帰宅しました。

◎報告2 毎月3日「アベ政治を許さない」スタンディング
 国会前は、銀杏並木の黄葉が晩秋の青空にとてもきれいでした。
70名ほど集まったでしょうか、皆で「アベ政治を許さない」プラカードを掲げました。
澤地久枝さんもお元気で、嬉しいことでした。
「2015年の7月に最初の回をやって、それ一度と思っていましたが、状況があまりに酷く毎月3日に続けましょうということで11月3日から再開しました。
その時には次の選挙では状況が変わってこの集まりも必要なくなるだろうと思っていましたが、とんでもない。
一層酷い状況で、この状況を変えるまではやめられません。
来年1月3日にまたここで皆さんにお会いしましょう。
どうぞ、みなさん体に気をつけて、よい年をお迎えください」と挨拶されました。

◎お知らせ
「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」は、明日5日,11:30〜13:00です。
会場は参議院議員会館講堂で11:00より会館ロビーで通行証が配布されます。
どうぞみなさん、ぜひご参加ください。
私も話します。                            

いちえ


2017年11月24日「11月22日のこと、そしてお知らせ」

◎住民訴訟
 11月22日、東京地裁第103号法廷で「警視庁機動隊 沖縄への派遣は違法 住民訴訟」第4回口頭弁論が行われました。
都税を沖縄への弾圧に使わせない!と起こされた裁判です。
 高江ヘリパッド工事に反対する現場では全国から派遣された機動隊による、反対住民らの強制排除、恫喝、暴力、違法行為が横行しました。
政府が国策で強行する米軍基地建設に機動隊を導入することは、公権力、警察権力の乱用で許されません。
警視庁の警察官には私たちが納めた税金から給与が支払われています。
 この裁判のことを私は知ってはいましたが、口頭弁論傍聴は初めてのことでした。
この裁判は、機動隊派遣での公金支出は違法として東京都に提出した監査請求が門前払いで却下されたことから、住民訴訟として提訴されたものです。
 この日は原告2人の意見陳述がありました。
 最初に陳述したのは若い女性でした。
秘密保護法が強行採決されたことへの抗議行動に国会前の集会に参加した時のことを述べ、その後高江の集会に参加して、高江での機動隊の暴力行為を目の当たりにした体験を述べ、機動隊派遣に税金を使うことの不正義を説きました。
そして裁判官に「現実をしっかり見据えて司法として公正な判断を」と訴えました。
 次に陳述した男性は元公務員で組合活動をしていた体験から、公金がどのように使われどのように情報開示請求に答えて開示されるか、あるいはされないかを話し、中でも警視庁内の会計はかなり杜撰で財務会計上の不正があっても、情報開示もされないことを話しました。

 警視庁機動隊の沖縄派遣は違法であると住民訴訟が提訴された時、高江のヘリパッド建設に反対するにはそんな方法もあるのだと心に刻んだつもりだったのに、その後は頭から抜けていました。
今回の裁判を傍聴して、改めてこの訴訟を支援しようと思いました。
第5回口頭弁論は1月24日(水)、東京地裁第103号法廷で11:30開廷です。
来年のスケジュール表に、予定を書き込みました。
高江に、辺野古に行きたいと思いながらなかなか行けずにいますが、この裁判を通して沖縄への連帯の思いを行動にしていこうと思いました。

◎武蔵野スマイル 望年会
 夜は、福島から武蔵野市へ避難している人たちと支援者の集まりである「武蔵野スマイル」の少し早い「望年会」がありました。
9月に飯坂から武蔵野に避難している岡田めぐみさんにお話を聞かせてもらい、その時に「武蔵野スマイル」のこともお聞きし、早速私も会員になっていたのです。
「忘年会」ではなく「望年会」って、いいなぁと思います。
 老若男女、子どもたちも交えて、和気藹々の楽しい集いでした。
そしてそこで会ったI子さんから聞いた話を、忘れずに心覚えにしておきたいと思いました。
● I子さんの話
 I子さんの自宅は郡山です。
2011年3月11日地震が起きた日は、中学2年生でした。
高校卒業まで郡山で過ごした後東京の大学に進学して、現在大学3年生です。
そのI子さんから聞いたことです。
 震災後、地元の郡山ビックパレットには多くの避難者が身を寄せていました。
I子さんの学校では学校ぐるみで被災者支援活動に取り組み、I子さんも熱心に活動してきました。
原発事故が起きた時、家族も周囲も放射能の危険などには思いもよらず、そんな話題もなかったのでI子さんもその危険性には気付かずに過ごしていました。
 進学で東京に出てきたのですが、出身地が福島だというと「被災者ね」と言われ、大きなショックと違和感を覚えたと言います。
「支援者だと思っていたけれど、被災者だった?」と。
 その後岡田めぐみさんと出会い、原発事故による放射能被害について知り、学び始めていますが実家の家族たちは政府の「安全」という言葉を信じていて、I子さんの言葉には耳を傾けないそうです。
熊本での地震の後でバイト先の飲食店ではお客さんにも呼びかけて義援金を集めて送ったのですが、その時にI子さんが店長に「寄付を呼びかけて送ることができてよかったですね」と言ったところ、店長から「福島は毎年貰っているでしょう?」と言われたそうです。
またこの店長はI子さんが休みの日に実家に帰る話をしたら、「え?福島には入れるの?」と言い、それを聞いてI子さんは、あまりにも現状を知らない人たちとの気持ちのギャップにショックを受けたと言います。
 通っている大学には福島出身の友人たちも何人かいますが、3.11のことや原発事故のこと、実家のことなどは、互いに話題を避けているそうです。
自分から話し出せば別ですが、相手が話さないことを聞き出すことはしないので、友人たちがどんな事情を持っているかは知らないと言い、「本当はお互いにもっと知りたいと思っているのに、互いに触れられない」とも言いました。
 この日は大勢が賑やかに歓談する中で、少しの間I子さんと話しただけでしたから、今度またゆっくり話を聞かせてもらおうと思いました。
でもこの日に聞いたことからだけでも、考えさせられる点が多々ありました。
福島の被災の実態は、知ろうと意識していない人たちには、ほとんど(と言うか、全く)伝わっていないのだとも思いました。

◎お知らせ
 在日チベット人の友人ロディ・ギャツォが、映画を作りました。
ぜひ多くの方に見て頂きたく、お知らせします。
彼の生まれ故郷、東チベットのツァワ・ポンダの祭りの様子を記録した映画です。
「故郷チベットの暮らしを、記録に止めておきたい。みんなに知って欲しい」そんな彼の熱意がこもった映画です。
 映画監督が作った「作品」ではありませんが、そこからは生のチベットが伝わってきます。
私も以前に数回、撮影現場の村ポンダを通ったことがありますが、村人と交わったことはなくこのような祭りがあることを知らずにいました。
大きな画面でこの映画を見るのが楽しみです。
 上映会のチラシを添付します。
 どうぞ、皆様のおいでをお待ちしています。            

いちえ

ぼくの村ー表1

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2017年11月22日号「安保法制違憲訴訟・女の会 第3回口頭弁論報告」

11月15日(水)14:30〜、東京地裁第103号法廷で「安保法制違憲訴訟・女の会」の国家賠償請求事件、第3回口頭弁論が開かれました。
女の会の原告は少ないので、傍聴への参加が呼びかけられていましたが、傍聴席を満たすよりやや多い人数が集まり、傍聴券は抽選になりました。
私は幸い抽選に当たり、傍聴席に座ることができました。

◎第103号法廷
●意見陳述の前に
はじめに裁判長が原告・被告双方の代理人に、準備書面についての確認をしました。
裁判長の問いかけに原告代理人は傍聴席にもはっきりと聞こえる受け答えをするのに、マスクをしている被告代理人の返答はモソモソとして全く聞こえません。
裁判長が、その被告代理人の言葉をまるで通訳のように繰り返して「ということですね」と確認をしたので、かろうじて被告代理人が何を言ったかが分かりました。
でもその言葉がことごとく「認否しない」とか「すでに答えている」とかで議論にならないようなことだったので、裁判長はそのモソモソ声を通訳のように繰り返した後「答弁する気はまったく無いようで、…と、まるで木で鼻をくくったように言ってます」と伝えたので、傍聴席から失笑が漏れました。
●続いて原告本人の意見陳述がありました。
この日は原告のお二人、柴山恵美子さんと福島瑞穂さんが意見陳述をしました。
❶柴山恵美子さん陳述
柴山さんは1930年生まれで今年87歳、徹底的な軍国主義教育で育てられた「15年戦争世代」です。
病弱なお母さんが5人目の子どもを身籠り、これ以上子育てはできないと堕胎したことを密告されて堕胎罪で逮捕されたこと、日中戦争勃発直後に招集されたお父さんが中国戦線から戻ってきた時のことなど、衝撃的な事実を証言されました。
お父さんが持ち帰った写真は、長靴・軍服姿で長剣の柄に両手を重ね胸を張る中隊長と、その両脇に立つ部下でした。
部下の一人は笑顔のお父さんで、中隊長の足許には首のない民間中国人男性の死体が転がっていました。
「死を覚悟して戦うため、中隊長が手本を見せて兵隊たちに首を切らせた」というお父さんの苦渋の告白を聞きました。
1945年女学校3年の春からは学徒勤労令で旋盤女工として戦闘機の部品作りの日々となり、8月15日の敗戦の日まで続きました。
8月15日の玉音放送は、祖父と父と共に3人で聞きましたが、祖父は「これからはデモクラシーの時代が始まる」となんども万歳をし、父はうなだれ、柴山さんは「必ず勝たなければ、竹槍を持って戦う」と、祖父と言い争ったと言います。
柴山さんの自分史はこの日から始まり、1年後の東京裁判を通して、望まずして侵略戦争加害者であったことに気づき、侵略戦争の道具を作ってきたという罪責感にとらわれ、悩むようになりました。
それからしばらくしてイタリアのレジスタンス運動の女性たちのことを知り、当時の社会党関係者から調査先を紹介してもらってスポンサーもないままイタリアへ行き、調査研究をしました。
イタリア女性たちの経済的自立や堕胎罪廃止の取り組みを紹介し、日本の女性運動と平和に役立つ活動を続けようと思いました。
ナディア・スパーノ著『イタリア女性解放闘争史—ファシズム・戦争との苦闘50年』の翻訳出版は、その仕事の一つです。
母と同世代のナディアさんは、憲法制定議会の21人の女性議員の一人で、反ファシズム・平和のために生涯を捧げました。
産む・産まないは女性の権利です。
敗戦の日から72年にわたって、戦争に加担した罪を償おうと必死の思いで努力してきた柴山さんの自身の歴史を否定するものであると陳述しました。
「徴兵は命かけても阻むべし 母祖母おみな牢に満つるとも」は、夫君の友人のお母さんの、朝日歌壇に載った歌です。
日本近現代史は、ほぼ10年未満の間隔で戦争を起こし続けてきましたが、15年戦争・第2次世界大戦後は辛くも72年間、戦争のない時代を築いてきました。
それはこうした人々の努力があったからで、安保法制はその努力を無にするものです。
二度と戦争に加担したくありません。
日本と世界の女性たちの名において、未来を担う子どもたちのために、戦争を許す法制度は断固として拒否します。
❷福島瑞穂さん陳述
1、2014年7月1日の安保関連法についての閣議決定から強行採決に至るまでの国会審議の経過と内容は、憲法の基本を解釈によって捻じ曲げ、立憲主義を踏みにじるものです。
国会議員として、憲法99条に基づく憲法尊重擁護義務を負う者として、違憲立法は許さない立場で粉骨砕身努力してきましたが、安保法制を可決成立させたことによって、国民から負託された義務を果たせず、また国会議員としての権利が踏みにじられました。
2、2014年7月1日の閣議決定と本件法制については、元内閣法制局長官がこれまでの政府解釈を全く異なるものに変え、憲法違反・立憲主義違反を犯すと指摘し、元最高裁判事や憲法学者も、口を揃えて違憲であるとしてきました。
政府が使った砂川判決も、集団的自衛権行使を容認する判断ではないと明らかになりました。
3、また、立法事実がないことは誰の目にも明らかです。
集団的自衛権行使を認めなければならないという説得力は政府には皆無で、唯一必要だといったホルムズ海峡の機雷除去さえ、総理は最後には「想定していない」と言い、米艦防護における日本人母子も必要条件でないことが明らかになりました。
集団的自衛権の武力行使を認める正当性や基準はあいまいで、国会など民主主義的コントロールも効かないことも暴露されました。
このように立法事実は、国会審議を通じて雲散霧消してしまったのですからこの法案は、直ちに廃案にすべきでした。
そうでなければ、これまでの審議で取り上げられなかった課題についてさらに質疑がなされるべきでした。
4、参考人質疑は、衆議院で2回。参議院では1回のみです。
公述人と参考人には女性は一人もいません。
9月16日には、衆参女性国会議員有志で女性の意見を参考人及び公述人として聞くよう、参議院特別委員会鴻池委員長に手渡しましたが、それは、国会議員は国民全体の代表として、平和憲法下における女性参政権の意義を重んじ、国民の負託に応えるべき責任があるからです。
女性の声が十分に反映されていない点で、国会の審議手続きには瑕疵がありました。
5、審議手続きの違法は、他にもあります。
国会議員の質問権、討論権、表決権が侵害され、不利益を受けました。
9月15日、参議員安保関連法特別委員会で中央公聴会が開かれました。
そして9月16日に、横浜で地方公聴会が開かれました。
9月17日、特別委員会の委員長の不信任動議が否決され、委員長が着席した途端、強行採決になりました。
地方公聴会の後は、1秒も審議はされていません。
これは憲政史上初めてのことで、公聴会を冒涜するものです。
公述人の意見が、審議に反映されることはありませんでした。
地方公聴会は、派遣された委員のみで行っているので、その結果を委員会に報告する手続きは必須なのに、その報告がないまま採決するという憲政史上初めての暴挙がまかり通りました。
議事録も掲載されていません。
2015年10月に発表された議事録は、末尾に、地方公聴会の議事録が「参照」として掲載されていますが、報告もされていない内容を議事録にあったものであるかのように掲載するのは、違法を取り繕うものとしか言えません。
また与党は、この日2時間の総理への締めくくり質問をセットすると伝えてきており、安保特別委員会の委員である私は質問を用意して待ち構えていたのですが、その質問権が侵害されました。
国民の負託を受けて質疑をする国会議員としての基本的な権利が侵害されたことで大きな不利益を被り、さらに強行採決は私の討論権と表決権も奪っていきました。
6、第二次世界大戦中の日本人の300万人、アジアで2000万人以上といわれる犠牲者の上に、私たちは、日本国憲法を手にしました。
そして、憲法9条は、戦争しない、加担もしないという戦後を築いてきたのです。
このように立憲主義が踏みにじられ、その過ちが司法によって糾されなければ、人々は憲法も法も司法も信じません。
私は、憲法は権力者を縛るものというごく普通の憲法学に従って、弁護士として、国会議員として活動してきましたが、これほどの憲法と法の支配の危機を経験させられることになるとは想像もしませんでした。
違法な手続きに基づく違憲立法は正義によって修復されなければなりません。
その責任は、まさに司法に問われるものであることを指摘して私の違憲陳述とします。

◎報告集会
閉廷後、参議院議員会館で報告集会が行われました。
●原告代理人:中野麻美弁護士
第3回の今日も傍聴席を埋めてくださって、ありがとうございます。
毎回傍聴席がいっぱいになることは、裁判長にとってはこの審議は非常に意識してやっていかなければいけないと考える、何よりもの前提になります。
今日までの間、国からは第2次提訴文に対しての答弁書が提出された。
前回の法廷で国は「原告は権利利益の侵害を主張していない、それと合わせて安保法制が制定されたことで直ちに権利利益の侵害があることではない。法の執行などで損害が発生するかもしれないが、議決されただけでは発生しない」と言い、「直ちに」という言葉を使った書面を出して、私どもの主張を切り捨てるようなことがあったので、前回の法廷で「直ちに」というのは因果関係を指すのか、それとも事実上のことを言うのかを問うた。
すると答えられないというので、書面で釈明を求めた。
8月15日に回答があり、その内容は主張の繰り返しで、何を言っても答えない態度を国は明らかにしてきた。
仕方がないので、それに対する反論と、改めて損害を主張するということで第5〜第7の準備書面を提出した。
第5書面の権利利益の侵害についての裁判所の新しい傾向について、靖国訴訟などいろいろと最高裁の判決が出ているが、それに対する学界から、民法学の観点から国賠法上の権利利益の侵害はかなり広く採られているなどの解説が重ねて出ているのでそれら文献を引用して、権利利益の侵害とは何かを反論した。
併わせて本件において原告らはどのような権利利益の侵害を主張するかの骨子を示した。
直ちに原告らの権利は侵害されたということを、七点にわたって主張している。
もっと強調したいことの一つは、この原告ら戦争を体験した方々、戦後しばらくして生まれた方々、それらの人たちに共通していることは、戦争に対する痛み、貧困、暴力、差別など戦争によるネガティブな影響を受けながら今日までそれと闘って生きてきた。
その闘いを余儀なくされたことは、憲法の構造にある。
日本国憲法は、平和・平等・人権を不即不離の関係に立つものとして捉え、それを前面に押し出して人々に保障すると言ったが、しかし国民統合の象徴として家父長制の頂点として天皇を据えたことや、差別は社会の中に根強くある構造とされていて、私たちが憲法を手にしたからといって、そこで全て平等という人生を享受したわけではなかった。
みんながそれぞれの立場で、家父長制や差別や暴力と闘わねばならなかった。
それが例外なくいろいろな人に言えるということは、陳述書を読んで強く思う。
その闘いを支えたのが憲法であったのはとても大事なことで、72年間にわたり積み重ねてきた私たちの努力が、閣議決定・強行採決で、その努力が無視された。
そのことによる損害は、とても大きい。
人権のため、平和のために闘うということに価値があるという自尊の、最も根幹にある憲法を否定するわけなので、そのことへの私たちは怒り、怒りも損害のうちの一つだ。
被害は、今日までみんな戦争の中を生きているという側面もある。
被ばくした人は、未だにトマトの皮の湯むきもできない。
これは一体なんなのか、そういう被害を受けながら必死に生きている。
それらの人たちのことを、一体政府はどう考えてきたのか。
安保法制の、最も深刻な部分だと思う。
それから、何より武力で紛争を解決することを法的に承認するというのが、安保法制の肝の部分だと思うが、でも私たちの日頃は性暴力に対して反対したり、差別に抗って生きていく権利を主張してきているが、それは、力関係で物事を決めない、どんな人間でも互いに対等な存在だということが基本になっている。
戦争しないというのは、そういう考えをベースにしているが、安保法制は紛争を武力で解決する。
テレビなどで溢れている「もっと圧力をかけて」などという言葉が、子どもたちの口からも出ていることに非常に心が痛む。
法的にこういう考え方を承認するというのが、社会におけるそのリスク環境を強度に作っていく。
それを文化に反映させられていく。
生活の中に支配的な考え方として浸透してきたときに、女性たちに対する暴力が増長させられる。
現にベオグラード、ユーゴスラビアの紛争のときに、武力衝突は終わったけれど、女性たちは戦争が終わらず、家庭の中で暴力を受け続けている。
そういう構造をどれだけ審議したのかということも重要な問題で、そういうことを中心に具体的に損害を主張することにした。
第6は、柴山さんの陳述を中心にしながら、具体的に主張した。
これは戦争を体験した者としての損害ということで主張した。
第7は、立法過程を詳細に検討しなければいけないということで、議事録などを引用しながら、内閣の憲法解釈を変えた閣議決定をめぐる審議から安保法制をめぐる審議まで、ずっと経過を追って、それに法的評価を加えた。
審議経過自体が、法の支配に反している。
福島さんが、意見陳述した。
そういった準備書面を出し、裁判長はよく読んでくれていると思ったが、今日はそれに対する認否を迫ろうと思った。
国側を引きずり出して争点化することによって、議論することが重要だと考えたが、国はあんな答弁で、裁判長は「答弁する気はさらさらないようですよ」と、さすが落語をやっていた裁判長で傍聴席を笑わせるのは上手いが、そういう国の反応だ。
それをとても遺憾に思って「あなたがたはシビルサーバントというのですよ。私たち市民のために仕事をするのでしょう?市民がこういう点が疑問だとか、こういう事実があったと言うときに、そんなことは認否に値しないというのでは責任を果たしていることにならないのではないか。
裁判長は「国として認否に値しないということは、大枠のところは認否反論したのであって、詳細なところは認否反論に値しないということじゃないでしょうか。さすがに認否しないことによって、擬制自白として認めてしまったと言うことになれば別だが、今の所そういう主張ではないと思う。むしろ原告が権利利益の侵害を主張立証したらどうか。早く陳述書を提出してください」と言った。
この裁判所の訴訟指揮については非常に異論がある。
また、良い訴訟指揮と捉える見方もあるが、私はかなり問題で、早く決着をつけようという動きにとられかねないと思うので、そのことに注目して次回に臨みたい。
どうぞこれからも、ご支援ください。

●原告本人:福島瑞穂さん
今日は原告番号87番として、意見陳述しました。
私は裁判所での意見陳述は弁護士として何百回とあったが、原告としては初めてで嬉しかった。
嬉しかったと言うのはおかしいかもしれないが、安保関連法は違憲だと言えることは当たり前だから、嬉しかった。
準備書面7に纏めたが、歴代の自民党政権も、内閣法制局長官も集団的自衛権は違憲だと言い、法律家のほとんどすべても憲法9条に違反するので集団的自衛権の行使はいけないと言っている。
安保関連法、戦争法は、違憲の法律を成立させたということ、また先ほど中野弁護士が言ったように、様々な被害があるということと両方で、この裁判でしっかり認定してもらいたい。
国会の中での審議が、立法事実が消えたことも主張し、同時に審議が憲政史上あり得ない、初めてのものであることも主張した。
というのは中央公聴会、地方公聴会があって、普通は地方公聴会の後で審議をする。
中央公聴会は一部の委員しかいないから地方公聴会があり、それを報告書として議事録に載せて審議するわけだが、1秒も審議していない。
委員長の不信任案が否決されて、委員長が席に着いた途端に強行採決されたから、1秒も審議していない。
これは公聴会、公述人を冒涜するものだ。
意見を聞いたがそれを反映する機会が質問に反映せず、報告書を委員会に報告していない。
地方公聴会の議事録が全く載っていない。
10月になって「参照」という形で地方公聴会の議事録が載った。
国費を使って正式にやったものが、なぜ委員会に報告しないのか、しかも報告しなかったものが、参照として議事録に載せられるのか?
これも憲政史上初めてのことだ。
手続きのことだが、やはり憲法尊重擁護義務を国会議員は持っている。
天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官など公務員は憲法尊重擁護義務がある。
そしてその過程の中で、質問権、討論権、表決権が奪われたという具体的な権利が侵害されたことを主張した。
憲法尊重擁護義務が踏みにじられたわけで、異常な形で成立していることも、裁判所に理解して欲しいし、具体的被害が発生していることも理解して欲しい。
この裁判はとても意味がある。
とりわけ女性たちが原告として提訴したことは大きい。
参照人、公述人には、女性が一人もいなかった。
安倍政権が憲法9条3項に、自衛隊を明記するといっている。
この自衛隊の自衛権行使は、個別的自衛権でも災害救助でもない。
まさに集団的自衛権の合法化であり、安保関連法・戦争法を解釈改憲で捻じ曲げて、その合憲化でしかない。
世界で戦争をする自衛隊の明記でしかない。
安保関連法が違憲で問題だという裁判をトコトン闘うことで、明文改憲をおかしいぞという声を一緒にあげることができれば、と思っている。
最後に裁判官にも、憲法尊重擁護義務があるわけで、集団的自衛権の行使は違憲なのに、それを看過する裁判所は三権分立ではない。
裁判所こそ、法の支配がこの国にあるのだということを理解して欲しい。
裁判所が、当たり前の法の支配の観点に立ち、立憲主義の立場に立って判断してくれることを心から望む。

●原告本人:柴山恵美子さん
私の世代とその前の世代のことが、たえず頭にある。
私の世代は「進め、進め、兵隊進め」の、純粋培養の世代だ。
第1次大戦後にドイツは、ワイマール共和国憲法という世界で最も新しい憲法を作った。
ワイマール憲法そのものは、人類の歴史にとって抹消できない一里塚だと思う。
ところがヒットラーが登場し、ワイマール共和国を泥足で踏みにじり政権を打ち立てた。
ヒットラーがその過程を述べているのが『わが闘争』だが、その中で述べているが、「第1次大戦で苦労した世代に、我々は期待してはいけない。期待するのは戦争を知らない子供たちだ」と言っている。
それを読んだとき私は、「自分の人生はこれだ」と思った。
もう一つ『わが闘争』の中で言っているのは、「嘘は大きいほど真実味を持つ。人民はこれを見破ることができない」と言っている。
今、北朝鮮の問題、ミサイルが来る、来ると言っている安倍の支持率が、残念ながら上がっている。
戦争経験者として、いま動いている現実がすごく戦争の匂いがする。
その根拠の一つに人口政策がある。
戦時中は、とにかく5人産め、10人が理想と国が強調する人口政策を採ってきた。
最近、国は1.8人を言い、実質的に厚労省から、これを目標にすると具体的に数字が出ている。
今ほとんど死法みたいに動かない状態にあるが、明治40年にできた刑法の29章には
堕胎の罪というのがあり、いくらでもこれが使える。
ところがイタリアでも同じような法があり、しかもカソリックの国で堕胎は教義に反する絶対悪だが、1970年代に女性たちが一致団結して国民投票までもっていって堕胎罪を廃止した。
私はこれまでイタリアのそういう歴史を本や論文でも書いてきたが、まだまだ足りないと思っている。
いずれにせよ、日本は戦争の匂いが出るものがある。
既に1.8人の人口政策で、匂いがプンプンしている。
それからもう一つは「人づくり」ということで、政府は言い始めている。
大人は期待しないが、子どもに期待すると言っている。
お金をつぎ込んで無償にすると甘い汁を吸わせて、しかし人づくりは上意下達で動く人間を作るということだ。
戦争は一つ一つの態勢を柱のごとく作っていかないと戦争体制は完成しない。
人口政策であり、人づくり政策であり、常に匂いをプンプンさせるものがスタートを切って行われていることに、大きな危機感を抱いている。
もうひとつ、労働問題がある。
私は13歳で、深夜労働を含む12時間労働の旋盤工として、戦闘機の部品を作った。
なぜこれができたかというと、政策を変えたことによる。
男性が戦地に行き戦死者がどんどん出て、国内でも労働力が足りないということで、積極的な労働政策を次々出してきたなかで、13歳の女子学生は労働力になった。
だから私の中では、長時間労働と戦争は一体のものだ。
最近出してきた成果で賃金を払うなどは、あれほどの誤魔化しはない。
つまり「時は金なり」とか「金は天下の回りもの」など日本の社会で普通に語られていることは、みんな破壊しようとしている。
求人倍率がいいなどと言っているが、賃金は3%下がったという。
何が問題なのか。
膨大な利益を上げながら労働者の方に循環しないと、こんなことでは資本家だって自分の首を絞める。
経済はお金が回って、企業は活動ができるのに、このリズムが崩れてしまう。
一つ一つ検討していくとメチャクチャで、本当に私たちが意志を持って、国を、憲法をしっかり守って発展させていく内実化させていく使命を、私たちは持っている。
自覚を持って、私は命ある限りやっていきたい。
今日は内緒の話ですが、私は2枚の写真を持ってきました。
1枚は私を産んだ実の母の写真、もう1枚は私の研究の母、ナディア・スパーノの写真です。
内緒話を打ち明けました。

●安保法制違憲訴訟の会共同代表:杉浦ひとみ弁護士
4月26日の東京での国家賠償請求が最初だったが、全国21都道府県、北は旭川から南は沖縄まで21都道府県で24の訴訟が提訴され、いま名古屋でも準備していて間もなく提訴する。
11月25、26日と全国弁護団から弁護士が集まり、それぞれの闘い方をどう進めるか、どの論点にどう取り組むかを話し合った。
安保法制ができたからといって、何も被害は起こっていないだろうと裁判所も国も言っているが、実はそうではないということをどのように主張していくかがポイントで、その辺りを皆で頭を寄せ合って検討していきたいと思っている。
裁判の中で一番進んでいるのが東京で、いよいよ1月26日から尋問が始まることになった。
尋問はいままで主張してきたことについて、本当に裏付けがあるかどうかを裁判所が調べようというもので、調べ方として人の口から出る話が本当かどうか、証人あるいは本人が口頭で話すことについて、場合によったら国からの反対尋問もあったり、ということで裁判所側がどれほど真実性があるか、切迫性があるかを聞き取る機会だ。
こういう大きな裁判、特にこの裁判では、本当に被害があったかどうか判らないと多くの人が思っていた裁判で、元々は裁判が早くに打ち切られていたり尋問に入らずに「言いたいことを言いたいだけ言ってください、それで判断します」と成る可能性もずいぶんあったので、尋問に入れたのは大きな成果だ。
こちらは、こんな尋問をしたいということを裁判所に提出するが、国に対してもこの裁判にこういう尋問が必要かどうか、どんな意見を持っているか、国側にも質問をする。
その書面の中に国側から出てきたのが、何の被害も何の利益侵害もないだろう、そんなのは尋問するに値しないということで勝手にシャットアウトという書面が出てきた。
進行協議をして尋問する必要を国は完全に否定しているが、裁判所としては尋問を行う判断をしてくれた。
これは非常に大きな快挙だ。
私たちは当初、証人から尋問する計画を立てていた。
元内閣法制局長官、最高裁の裁判官、国会議員には成立過程を、法学者、精神科医、人権に関する学者、ジャーナリスト、半藤一利さんなどを候補に挙げて、尋問は先に証人から聞いてもらい、その後に原告本人からと考えていた。
だが先ほどから話が出ているように裁判所が一番気にかけているのは、被害があったかどうか、どんな権利が侵害されているか、そこが一番の焦点だと考えていて、まず被害を受けた原告から話を聞こう、となった。
原告の話を聞いた後で、必要があれば証人の話を聞こうという段取りになった。
予定としては狂ったが、私たちとしては原告がこんな被害を受けた、こんな利益が侵害されたということを裁判官にしっかり聴かせなければ、絶対に勝ちはあり得ないので、まずこれを乗り越えなければいけないと思っている。
まず最初に原告の尋問をするということで私たち弁護団としては、非常に緊張感を持って、どうやって被害を訴えていくか相談しているところだ。
原告のメンバーも絞り、担当の弁護士も決めて、今後集中的にその準備をしていくが、
もう一度繰り返すが、裁判所が尋問に踏み切ったということは、この裁判にとっては大きな画期的な第一歩である。
東京がこういう過程をとっているので他の裁判所もこれに追随してくれることを期待したいが、裁判官を後押しするのは原告や代理人だけではなく社会の大きな世論だ。
裁判官は中立であって法律でしか動かないとよく言われるが、裁判官を父に持つ人に聞いたことがあるが、「お父さんは新聞の『声』欄を一生懸命読んでいる、世論調査をすごく気にしている」などと聞いたことがあり、そういうものだと思う。
社会の風がどちらに向いているかということで、裁判長の気持ちを変えていけると思う。
まずは法廷で私たちが、ちゃんと監視をする。
この勢いを社会に反映させて、「この法律がおかしいと思ったらちゃんとおかしいと言え」と裁判官を後押しする空気をつくっていくことが必要だ。
その空気をどう作っていくか、全国でその風を吹かせていく、自分たちの地域地域で、どうやってこれを広げていくかは、弁護団・原告だけではなく多くの皆さんの知恵が必要だと思う。
ここまで来たので、ぜひこれから全国あげて闘って、大きな成果をあげていきたい。
これからも、みなさんの大きな支援をお願いします。

◎質疑応答など
杉浦弁護士の話で報告は終わり、ここからは参加者からの質問や意見を受けました。
❶損害に関して経済的な損害も、私たちは受けている。
安保法制によって、先日もトランプ来日で、安倍首相は巨額な武器を購入するという流れになったが、私たちはそのために税金を払っているのではない。
それは将来の子供達の経済生活に影響するし、一人数百万円の借金を背負っている財政がこの安保法制によって、ますます悪化する危機を負っていることも私たちの損害なので観点として主張して欲しい。
❷1943、44、45年あたりの堕胎罪で逮捕された人は、どれくらい居たかなども調べて出したらいいのではないか。
❸富山から初めて傍聴に来て、柴山さんの陳述に感銘を受けた。
初めて傍聴した個人の印象だが、裁判官が国の態度に対して「木で鼻をくくったような」と言った時に傍聴席から笑いが漏れたが、私は笑えなかった。
私は、「なんだ、この裁判官は」と思った。
そんな風に誤魔化すのでなく国に対してちゃんと反論するように促すべきだし、その前に国の代理人がマスクをしてぼそぼそ言うのを傍聴席から「聞こえません」と言ったことに対し裁判官は、傍聴席からの発言を抑えて、そして自分が国の言い分を通訳をするように繰り返したことに裁判官に不信感を持った。
今後傍聴の時も、裁判官のそのような態度に対して笑うということは改めて欲しい。

*ここで出た意見や質問については、今後の法廷で生かすよう弁護団で考えていくと話され、報告集会は終わりました。
繰り返し原告代理人の弁護士から話されましたが、毎回の法廷で傍聴席を埋めることは、安保法制違憲を勝訴に導くために、とても重要だと思います。
東京地裁での予定を下記します。
どうぞ、傍聴に詰め掛けてください。
*安保法制違憲・国家賠償訴訟 1月26日(金)13:30〜17:30
*安保法制違憲・差止請求訴訟 2月5日(月)10:30〜
*安保法制違憲訴訟・女の会  2月21日(水)14:30〜
いずれも東京地裁103号法廷です。
傍聴券抽選は、開廷時刻の20分前に締め切られますから、早めにお越しください。
なお各地での裁判や期日は、安保法制違憲訴訟の会HP(http://anpoiken.jp)でご覧ください。


2017年11月17日号「11月9日 被災地ツァー③」

伊達東仮設住宅の菅野榮子さんをお訪ねしました。
“被災地ツァー”では、飯舘村の学校建設現場を見てきたばかりでした。
ご挨拶の後で私は、「再開される飯舘村の学校に通うという人が以前の調査時よりも増えているようですが?」とお聞きしたことから話が始まりました。
◎菅野榮子さんの話
●子どもは天から降ってきたんだべか?
 学校一生懸命だけど、一生懸命働いてきた年寄りのことは考えてんのか?
子どもは天から降ってきたんだべか?
じいちゃん、ばあちゃんが居っから、ちゃんと子どもが居るんだよね。
(飯館の学校に通いたい)子どもの数増える?
アレ嘘言ってんだよ。
一流デザイナーのコシノヒロコさんのデザインした制服だって、そういうことやってんだよ。
だから思春期の子どもたちが、そういうのに憧れるんだな。
ほんで何十人か増えたって、教育委員会では喜んでるの。
県内だけでも住宅もちりじりになってっから、今度はスクールバスの手配だって大変でしょう。
●自主避難と同じだ
ほんで私らの年代の二人暮らしの人たちは、じいちゃん認知症入ったから、どうせなら村に帰るって帰った人たちいるけど、そういう人たちは戸惑っている。
また仮設に戻りたいって人が、いっぱい居る。
 帰村宣言されてから、私らここに居ること自体が、自主避難と同じだ。
だから、どうなってんだかな。
エコー調査なりアンケート調査で、村民一人ひとりの、一世帯一世帯の「帰る、帰らない」のエコー調査(の返答)はまとまってんだから。
だからそれに対して、どう対応すっかをしないんべ。
●大きな国政の中で
 村議選で佐藤八郎がトップ当選したけど(注:八郎さんは共産党で、現村長の村政に反対意見を持つ)、それには八郎の人柄もあったけど、なんで八郎があそこまで来たかを掴んでいない人もいるわけだ。
んだけど、そんなこと言ってみたって人の考えはみんな違うし、まぁ(村政は)変わってもらわなけりゃ、どうにもなんねぇ。
一人ひとりが変わってもらわなけりゃ。
 村長は自分が支持されてるとは思っていないべぇ。
だけど、国の大きな政治の枠の中で動くのは大変なんだなぁ。
現職議員10人の内7人も辞めたんだよ。
それ見たって、原発事故には勝てないと思う。
村づくりの施策が、見えないんだよ。
見えないところで「私は村議会やります」って言えないから辞めたんだと思う。
そういう中で村長は誰もやる人居ないから残って、してみたって大きな国の行政の中で、どうにもなんねぇからな。
がんじがらめだもの。
 今回の国政の選挙だって、なんで解散すんだか、なんで選挙すんだか、私らバカだから判んねぇよ。
ほして今度は解散前の閣僚だって、みんなそっくりそのままいったんだもん。
解散すっこと何にもないんだ、誰一人変わってないもん。
ほんだったら、何百億の金かけて、誰の金だっていうの。
今野さん(以下、青字は今野さん)
 選挙に使った700億円で仮設住宅とか借り上げ住宅に、9年間住めるからね。
年間80億あったら仮設住宅まかなえるんだから。
ただ何にも変わらない選挙のために700億、この前の参議院選に600億、まぁ参議院選は3年に1回だから仕方ないけど、その前の衆議院選に750億。
オスプレイ買う金あったら。
 その中で私らは国民として命ある限り、生きていかなきゃなんねぇから。
どういう生き方したらいいか判んねぇわ、ね?
つくづく考えさせられた。
●私ら、自然の中の動物なんだから
 伊達の学校さ行って、3年間、味噌作った。
美味しいのができたよぉ!
伊達のここの里の味噌種が入ったんだわ。
家庭科の栄養士さんが時間受け持って、講師になってやってくれたんだけど、いま子どもたちの食育から目指さないと。
自然を大切に、自然は素晴らしいもの持ってんだから。
その自然の中で、精一杯。
私らは動物なんだから、自然の法則の中で生かされて生きていくのが当たり前じゃないかと、私は思う。
なにも無理して自然を破壊するような中で、頑張って生きなくてもいいんじゃないかね。
●経済優先の旗立てて進む限り、どうにもなんねぇ
 原発事故には感謝しないけど、原発が事故起こしたからいろいろな人に出会った。
やっぱり事故がなかったら、(互いに)全然に判らないで生きるお互い様だよな。
 そうだよ。
俺だって事故がなけりゃ榮子さんと会うことなかったし、一枝さんとも会わなかった。
 この頃はウラン採掘や世界の核燃料扱ってる人たちのことや、核廃棄物をどこに持ってくかってことも考えるね。
採掘してる所はどのくらいの線量のところに人が住んでるの?って聞いたら、7マイクロ位の所なんだってね。
その中で当たり前の生活して、子ども産んで、ほうしているんだって。
それを今度は加工して、どんどん加工して利用して、一番最後に捨てるカスが、ものすごく人に悪影響及ぼすのに、そういうものにして捨てるわけなんだよ。
鉱山で働いている人たちだけじゃないんだよ。
世界全体の問題だ。
 チェルノブイリが爆発したときだって、ホットスポットはソ連さ落ちたんでねぇって。
他国に国境を越えてねぇ、落ちて大騒ぎしてんだから。
日本だって、(原発事故の)放射能、世界に流れていってる。
日本だけに留まっているわけでねぇ。
そんなのみんな、科学者だって私らより頭良いんだから、ちゃんと知ってるわいな。
黙ってるだけだ。
 そういう中で私ら生きてかなきゃなんねぇんだから、大変だよな。
そういう中で生きてかなきゃなんねぇから、やっぱり一人ひとりが考えてかなきゃどうにもなんねぇ。
経済優先の旗立てて進むような限りは、どうにもなんねぇな。
●飯舘ではいい人生だった
 まぁ、いろいろ考えさせられたり、悩まされたり、泣いたり笑ったりの人生が、人生なんだけどな。
私らは原発事故無ぇうちに人生の大半歩んできたから、ここさきてアルバム整理すっぺって思って、子どもん時からずっとのやつ、要らないもの捨てて整理したの。
よっちゃんに手伝ってもらって2人でやっから、助かるんだよ。(注:よっちゃんとは、菅野芳子さんのこと。飯舘村でもお隣同士、この仮設住宅でも)
「よっちゃん、考えてみれば飯舘にいた時、あん時はいい人生だったね」って。
 それこそ、自立か合併かって大きな選挙して村を二分して、村民一人ひとりが自分が村長になるような気持ちで闘って、自立の村を選んだわけだ。
500票くらいの差で、選んだわけだ。
飯舘の村民が自立の村にしていくって一生懸命やってきたから、あれだけの村になったんだ。
●「までいの村」誕生
 それだって、私ら本気になってウジャウジャ言わねぇで自分の腹割って、「ああだ」「こうだ」と意見出し合って、「までいの村」って。
その「までい」だって選挙で自立を選んでから、昔、明治の頃にじいちゃん・ばあちゃんが使ってた言葉が出てきたんだよ。
役場の若い職員から出てきたんだよ。
そん時は「なんだべな」って思ったけどよ、私ら子どもの頃に「までいにしろよ」って言われて育ってきたわけだ。
なんでも物は「までいにしろよ」って。
ご飯なんかこぼすと、「ご飯、までいに食わなきゃだめだぞ」って。
 そういう風に言わっちきた「までい」の言葉が、すべてに、そういう心の面でも「までいの心」を持たなきゃダメだっていうのが、みんなに「なるほどな」って。
子どもの頃から言わっちきたんだもの、それが普通に使われるようになって、みんな頑張ってきたんだもの。
●木の葉があったから
 でもねぇ、この原発で避難して、私ら放射能に出会ったってことは、環境すべてが汚されたんだな。
飯舘に帰ったって、元の通りには戻らねぇんだから。
やっぱり生きるってことに、人生ずうっと生きることの負を背負って生きなきゃなんねぇんだなって、私は思ってる。
飯舘村は子々孫々、負を背負って生きなきゃなんねぇんだなって。
 でも、行ってみると綺麗、紅葉なんか山さ入ると、もう綺麗なんだよねぇ。
「わぁ、綺麗!」って思うけど、「ああ、でも放射能だもんなぁ」って思うもんな。
どんなに落ち葉がいっぺぇ落ちてたって、一枚の木の葉だって利用できねぇんだもの。
 木の葉があったから、飯舘の農業はできたんだよ。
木の葉があったから、飯舘の農業はあれまでになったんだよ。
木の葉集めて、堆肥を作ることによって土になるんだもの。
木の葉が落ちて腐るからプランクトンが誕生して、川の水と一緒に流れて海に行って魚が育つんだから。
●佐須の三羽烏
 佐須の友達で帰ってる人がいるんだ。(注:高橋トシ子さんのこと。榮子さんと芳子さん、トシ子さんの3人は仲良しで三羽烏と言われる)
「帰って飯舘村に居るとホントいいよ」って、そう言うんだ。
「静かだし空気も綺麗だし、いいよ」って。
「だから早く帰って来て」って言わっちからな、「うん、帰るよ」って言うけどな。
まぁ帰っても年寄りの問題はなかなか見えてこないし、デイサービスも動かないし、医者に行くだって、家族で帰ってる人はいいよ。
車運転できるうちはいいよ。
だけど一人暮らしだったり、そういうこと考えるとなぁ。
 そんなことウジャウジャ言ってたってしょうがねぇから、3人して集まって誰もやんねぇ時は私らだけでもいいから、デイサービス始めっぺぇって。
(そう言うとトシ子さんは)「待ってっからなぁ」って。
(トシ子さんは) 2年前くらいに階段踏み外して、それから調子悪くして体弱い。
 そんなこと話してた時、ちょうど古居さん(注:ジャーナリスト・映画監督の古居みずえさん)来てたの、斎藤さんって人が運転して。
斎藤さんは私らの会話聞いてて、「う〜ん、榮子さんとよっちゃんだけだとうまくいかねぇんだな。よっちゃんとトシ子さんだけでもうまくいかねぇんだな」って言ってたって。
 そういう風にして佐須の集落で3人で居たから、踊りも20年踊ってこれたし、山津見神社の茶屋の簡易食堂の出店も、30年もやってこれた。
踊りだって名取さんや師範格にはなれなかったけど、地域づくりと仲間作りで頑張ってきたからなって、こういう風に言ったのな。
したら、「面白かったなぁ」って、3人して笑ったの。
●共に生きる
 そういうものが、これから大事なんだよな。
やっぱりこころの時代で、目立たなくても共に生きるって。
私はそう思ってる。
 まぁね、それなりに村もだんだんに考えてってくれっぺって思ってる。
私らが帰って自主的に動き出せば、ね。
 (役場の前にある村営の介護施設は)お知らせ版なりインターネットで、介護職員募集してますって出してるけど、だけど、それだけでは誰もこない。
原発だから線量の高いとさ、黙ってたら誰もこないよ。
 私んとこ、明日また来るんだけど仙台の看護学校から、仙台の看護大学のサキヤマ先生って先生が、学生連れて来て何回か勉強会してるの。
集会所でここの人たちと交流会やって学生たちにそれを経験させるんだけど、それの報告集を私のとこに送ってきたの。
やっぱり感受性の強い子どもたち大学生だから。
この間70人くらい来て、東京の先生が子どもたちに放射能の講義やったの。
測り方とか、被ばくの計算の仕方とか、そういうの教えたんだって。
そして『母ちゃん』の映画(注:古居さん監督の『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』)見て、私らと喋ったりなんかして行ったんだけど、そうして感じたことまとめた報告書。
 学籍番号からズラ〜っと並べて、私のとこ持ってきたの。
そん時ちょうど役場の自治会長さんが居て、私ら役場になんだかんだ言っても村さ届くわけねぇんだから、自治会長が会議ある時行って、伊達の東(仮設住宅)では、学生が来てこういうことやってんだって言ってみてって頼んだの。
 そしたら行って言ったら、村長が出るってことになってたの。
だけどやっぱり村長は来れないことあんだな、そんなこと言わねぇけど。
(村長は来ないで代わりに)課長が二人来たの。
保健福祉課の課長と、もう一人の人とな。
挨拶して飯舘村の現況を子どもたちに話してくれたし、そのことだけでも効果があった。
そして、ああ良かったなと思ったら、その報告集自治会長さんとこ持ってきた。
私とよっちゃんとこさも持ってきた。
自治会長さん私らが持ってるの知らないで「貰わねぇんでねぇか?」って持ってきた。私もよっちゃんも貰ったって言ったら、自治会長が「余ったから持ってきた」って言うから「ジャァ役場さ持ってって、この前来てくれた課長2人居っから、その人さやってくれろ」って言ったら、「うん、そうする」って。
 それ課長が読めば、自分来て挨拶したんだから、子どもたちはどういう風に受け止めたか、ちゃんと判っぺ。
報告書にちゃんと出てんだから。
飯舘村のこと、看護大学の在宅ヘルパーや看護師の研修受けてるし、保健婦の勉強もしてるから、報告書に出てるから。
それを持ってったべ?したら課長読むべだよ。
 まぁ、最後にどう決めっかは、村長だからな。
なんぼ下がワイワイ騒いだって、村長がやる気なければどうにもならねぇと、私は思う。
黙ってたって判んねぇから、それなりにいろいろな人に矢を向けながらやってかなきゃ、と私は思った。
 まぁ、飯舘さ帰るわ。
帰って本当に人が生きる道を、人間が生きる道を、お互いに模索しながらやっぱり生きてかなんねぇなって思ってる。
まぁ、出てしまった放射能、なんぼ拾ったって下がんねぇんだから、そういう環境が変わった。
世界が変わった中だって、その足跡を残すべきだと思ってる。
 味噌は残さなきゃ。榮子さんたちが作った味噌だから。
 飯舘にいればな、米と味噌さえあれば、そういう生活できたから。
今度は米と味噌あったって生きらんなくなるは、飯舘で。
山さ入ったって、食べるもの採ってこられねぇ。
だから、そこんとこが悔しいのな。
そこの中でどういう風にして生きっかなぁ。
●共に働いて自立を
 私らの集落は佐須だから、東大の農学部退官した先生や現職の先生たちが、11年の6月から入ったの。
「再生の会」ってNPO立ち上げて、今は何百人も会員居るんだけど、その人たちがここの仮設住宅を佐須さ持ってって建てて住みたいって言ってるの。(注:伊達東仮設住宅は木造で、解体して払い下げられる)
 (村内で)家壊したとこあるじゃん?そういうとこ借りて。
ここ、持ってくのは運んでくれるんだって。
この間大工さんやってる人が見てったの。
家族で来て住みたいって言ってる人もいるし、もう70歳くらいになると子どもも自立してるでしょうし、理事長の先生なんか飯舘村さ住民票持ってきたんだよ。
そういう人たちだの、定年退職した保健師だの介護士、介護福祉士や社会福祉士など、そういう資格持った人たちが入ってんの。
 そういう人たちにお手伝いいただいて、デイサービスでもなんでも基本的なものやればと思ってる。
やってれば、それなりに村が黙ってない。
これまで3回くらいやったのな。
毎月の最後の日曜日にやってたの。
したら老人会のやってる人、帰ってる人居っから。
区長が、村から部落で何かの役に立つなら使ってくださいってお金100万とかきてっから、それを利用してここで年寄りが集まってみんなして、ご飯炊いて食べるとかボーリングやるとか、何かそういうのやったらいいんでねぇかって出てきたのな。
だから、そういう風なのあれば、それに該当する中での活動計画を立ててやることにしたらいいべって、私は言ったの。
●持ってるもの出し合って
 トシ子さんも杖ついて歩いてっけど、何回も病気して三途の川渡る経験してっからな。
そうすっとナ、「巫女さんみたいな人が来て静かにして休みなさいって言うんだよ」って、私に言うの。(注:重篤な状態の時の夢の話)
言うのも聞くのも、笑ってっけどな。
やっぱり歳取ってから一人では生きられない歳になってるんだから、持ってるものを出し合っていくのが大事なんでないかなって思ってる。
私らよっちゃんと一緒だから、一人でここに居られる。
誰でもいいわけじゃないけどな。
 飯舘も年寄りは帰っても介護施設がないから、(仮設を)出て行った人も、伊達やなんかに古家でもなんでも買って住んでる。
私もどこまでやれっか判んないけど、よっちゃんと二人で一人前だから、認知症でおかず作ったって1品ずつ作って、何か入れるの忘れて「よっちゃん、砂糖入れて煮たっけ?塩か?」って。
●声掛け合って
 ここに来た時何でもなかったって、7年もいれば認知症がどんどん進んでる人もいるわけ。
こうなっと、「あ〜」って思う。
毎日朝晩、声かけてって私は言うのな。
やっぱり向き不向きがあっから、私は違う集落から来てるから私ら行って何か言うより昔から知ってる同じ集落の人が声かけるのがいいからな。
 まぁ誰でもその線は超えてかなきゃなんねぇ峠だからな。
まぁそういうもの認識しながら晩年を生きるってのは、大変だね。
 私らばっかりでねぇって、この間思った。
仏壇売りに来た人が、家新しくしたりの人がいるから売りに来んのな。
その人が言ってたんだよ。
今の子どもは結婚すっと、「私ら出ます」って言うって。
そして新興住宅みたいな団地みたいなのにローン組んで、そういうところに暮らすって言うんだって。
親が建てた家は親が歳とって死んだら、空き家になっていくんだって。
そういう時代だよって、セールスに来た人が言うんだ。
だから私らも、人が生きる、そういうのを改める機会なんだね。
共に自立して生きるっていう施設のあり方も考える時代だなって。
そういう生き方しないと、(子や孫と暮らすなどを)考え直さないと自分が哀れになるから、本当にそう思う。
まぁ、色々そういうことを考える機会を与えてもらったんだから、まぁね、生きてることに感謝しなきゃ。
 毎日、私らテコテコ朝早く歩いて、あそこにある観音様拝んで帰ってくる。
ここに来た時は阿武隈川の堤防さ行って、道のりも長かったけど、80になったんだから、そうそうはね。
*こんな話をしていたところへ、お隣の菅野芳子さん、よっちゃんが顔を出しました。
芳子さんもお元気そうな様子です。
「これ飲んで」と芳子さんが持ってきてくれたヤクルトを、私たちは頂きました。
●たいしたもんだよ、飯舘は
 みんな、やっぱり避難している人たちは考えるでしょう。
大熊とか帰還困難区域はどうなっかなぁ?
私はよっちゃんと2人で帰るわ。
家建ててもらったの、息子にな。
前の家、そっくり壊してな。
味噌桶も投げたわよ(注:壊した)。
 松川で(飯舘の人たちの居る、この伊達東とは別の仮設住宅)最後の芋煮会したの。
味噌の里親さんも40人くらい来て、その人たちみんなに50gずつくらいあげたの。
こんなしてやれただけたいしたもんだよ、やっぱり飯舘は。
そういう風にピカ一のものが出来るんだ。高原で温度差があるから。
発酵食品は、どこさ出しても負けないな。
 発酵食品は低温でじっくりがいいからな。
味噌も、どぶろくも発酵食品は飯舘みたいな土地が合ってる。
 野菜だって日持ちがいいし、花だって色がいい。
そういうものも私ら、当たり前だと思って判らないできた。
判んないで生きてきたけど、までいな生活しなきゃって築いてきた。
だから若い人たちも一生懸命やるようになった。
牛の育て方も、花の育て方も、もう就職した人たちが帰ってきて、父ちゃんが歳とったこともあったけど、そうして力入れ始まった時の爆発(注:原発事故)だもの。
●この歳になんねぇと判らない
 そんなわけで、私ももう少し若かったらな。
息子に「なんぼになったと思ってんだ。いつまでやる気なんだ」って言われっけど。
一枝:子どもってのはそういうもんだ。言わせておけばいい。
あんたが私の歳になったらわかるよって。(以下緑の文字は私)
その時は親は居ねぇからな。親居なくても、あの時は悪かったなって思うから。
私もそう思うもの。
お墓参り行って線香あげて「じいちゃん、ごめんな。あんなこと言って」って。
嫁姑で、じいちゃんとよく喧嘩したから、手合わせて「ごめんな。私もじいちゃんの歳になりました」って。
 この歳になんねぇと判んないこといっぱいある。
でもよっちゃんがいるし、2人で一人前でいいな。
なんとか2人で顔出して一人前でな、いい人生だったなぁって。
仲間がいたってことに感謝して。
 日野原重明先生が元気だった頃、私『生き生き』って雑誌ずっと読んでたの。
あの先生の言うことや菊池体操、ずっと読んできたの。
ああ、こういうわけなんだなぁ、生き方も考えなきゃなぁって。
そう思ってあの山ん中で働いてきたよ、腰も足もぶった切れるくらいに。
『生き生き』の本に出会って、女だってちゃんと意見もって生きなきゃなんねぇって若いうちから思ってきた。
●民主主義の教育
 んでも、子どもの頃はおとなしくて喋んなかったんだよ。
小学校の時は男女共学じゃなかったべしサ、中学校になって戦争負けて民主主義の教育が入ってきて男女共学になったの。
中学で男の子が生意気になってくっぺし?
そういう風になって生徒会やなんかがあるの。
そういう風にして男と喧嘩して喋るの、負けらんねぇ。
ほんでやっぱり民主主義も習ったし、そうやって喧嘩しいしい育ってきたから、同級生はみんな仲良いよ。
ほうして歳とって、男の人なんかハァ、ペンギン歩くような格好して歩いてんの。
いつも喧嘩してた男の子が、ペンギンになっちゃったかって。
こういう格好して歩ってんだから。
(榮子さんが太ってお腹が出た人の歩き方を真似て見せるので、みんなで大笑い!)

*大笑いの後でお暇しました。
別れ際に榮子さんは「『たぁくらたぁ』いい雑誌だなぁ。読んでてスカッとする。読んでも性に合わない雑誌もあっからな。来年暖ったかくなるまでここに居っから、また遊びに来てください」と言って下さいました。
榮子さんの話を口調をそのままにお伝えしたく、長くなりましたがお読みくださってありがとうございました。
「榮子語録」を、私は心の記憶にとどめておきたいです。       

いちえ

関連:

2017年11月15日号「11月9日 被災地ツァー②」

◎南相馬
●津波浸水域
 9日は被災地訪問が初めての友人たちを案内して上野敬幸さんの自宅のある萱浜に行き、慰霊碑の前で黙祷してから鹿島へ向かいました。
被災から6年8ヶ月経ち大津波の痕跡を示す物はほとんど見えませんが、私が見た2011年夏の光景を話しました。
萱浜から北上してサーフィンのメッカ北泉、そして右田浜、海老の海岸を通りました。
右田浜、海老では津波浸水域に建設されたメガソーラーや建設中の風力発電を見てから、鹿島の仮設住宅に行きました。
●小池第3仮設住宅
 小池第3仮設住宅集会所には、ヨシ子さんとハルイさんが待っていてくれました。
二人ともすでに仮設住宅を出て新居で暮らしていますが、手芸品のぶさ子ちゃんの代金をお渡ししたく、この日は事前に連絡をして集会所に来ていただいたのです。
二人とも元気そうで、先月末に仮設暮らしの仲間たちとみんなで行ったバス旅行の紅葉狩りは、生憎の天気で山は雪だったことを面白おかしく話してくれました。
 テーブルには、おふかしのおにぎりや白菜、大根の漬物が並んでいて「食べて」と勧められました。
まだお昼には早い時刻でしたが、ほかほかと温かいおふかし、ヨシ子さんが漬けた沢庵、ハルイさんが漬けた白菜を、私たちは「おいしいねぇ」と舌鼓を打っていただきました。
食べきれないほど用意してくださっていたおふかしや漬物を、「持って行ってお腹が空いたら食べて」と言われて、遠慮なくいただいて失礼しました。
 白菜も大根も、ヨシ子さんが自宅の庭の菜園で育てた野菜です。
被災前には小高で農業を営んでいたヨシ子さんは、この仮設住宅のすぐ近くの集団移転地に新居を建てました。
そこで長男家族と共に新たな暮らしを始めています。
新興住宅地の庭ですから以前のような大きな畑ではないですが、家族が食べても余りあるほど収穫できます。
白菜もハルイさんにお裾分けし、それをハルイさんは塩漬けにして持ってきてくれたのでした。
ハルイさんも被災前は小高でヨシ子さんの隣の集落でしたが、原町に新居を建ててそこでまた子どもや孫との暮らしを再現しました。
 2013年か14年だったと思いますが、ヨシ子さんが仮設退去後のことを話してくれた時のことです。
鹿島の集団移転地に新居を建てることにしたと言いながら、「小高の人が鹿島の人になっちゃうんだよなぁ」と、ぽつりと言ったのです。
私は被災前の福島の地域のことを知らなかったのですが、あの夏から通うようになって、平成の大合併で鹿島町、原町市、小高町の2町1市が合併して南相馬市となったことを知りました。
通いながら感じてきたのが、まだうまく言葉にできないのですが、鹿島と原町、そして小高は、それぞれ土地も人も醸し出している気質が違うような気がしているのです。
土地が人を作るのではないかという気がしてなりません。
私がそう感じるようになったのも「小高の人が鹿島の人になっちゃうんだよなぁ」と言ったヨシ子さんの言葉が心に残っていたからなのか、あるいは小高と鹿島はなんとなく違うと私自身が感じていたからヨシ子さんの言葉が心に残ったのか、それもどちらか判らないのですが。
●寺内塚合仮設住宅
 談話室には社長(菅野さん)、営業部長(天野さん)、山田さんの、いつもの3人が居ました。
初めて訪問した友人たちに3人を紹介すると、「ここは会社だったのですか?」と問われ、みんなで大笑い。
でも以前のように、天井からも壁にも棚にも部屋いっぱいに手芸品が飾られていたら、会社組織の手芸工房と思われても、不思議はなかったかもしれません。
そうではないと答えるとまた「なぜ社長なんですか?」と問われ、菅野さんは「一番年上だから」と答えました。
 以前はこの談話室には、毎日6人が集っていました。
初めの年、菅野さん80歳、他の人たちはみんな70代でした。
あれから6年が経ちました。
今、菅野さんは86歳、天野さんは85歳、山田さんは84歳。
6人はみな、小高に家があった人たちですが、天野さんと同年齢の井口さんは鹿島に息子が建てた家に移り、山田さんより若かった紺野さんは小高の自宅に戻り、村井さんは災害復興住宅に入居しました。
 社長も山田さんも、押し車がないと歩行は困難です。
社長は仮設住宅を退去して、娘夫婦が鹿島に建てた新居に暮らしていますが、昼間は家の中で一人になってしまうので、デイサービスのない日には娘婿さんがこの談話室へも送り迎えをしてくれて通っているのです。
山田さんは小高の自宅の修復ができたら、息子の家族とそこへ戻って暮らします。
天野さんは原町に娘が家を建てる予定ですから、完成したらそこへ移ることになるのでしょう。
山田さんも天野さんも大工さんが手薄で、まだ住まいが用意できずにいるのです。
二人がここを出られずに残っているので、コミュニティが保たれています。
でも、その後はどうなっていくのだろうと案じます。
自分で車の運転もできず、自力歩行は押し車に頼らねばならない高齢者は、送迎してもらえるデイサービスに行く以外は、部屋に蟄居しているしかないのでしょうか。
昔から馴染んだ地域でならまだしも、馴染みのない場所、ご近所のなかで、寂しい老後を過ごさねばならないのは、酷いことだと思います。
 今野さんは以前も一緒に来たことがあり、社長たちは「浪江の人」として今野さんをよく覚えていました。
小高と浪江は生活圏として同地区だったといえるでしょうか。
そんなことにも、小池第3のヨシ子さんの言葉「小高の人が…」を思い浮かべました。
 天野さんの実家は田村の養鶏場で、弟が継いでいます。
そこから送られた卵で、天野さんは美味しい煮卵を作って用事してくれていました。
煮卵を頂きながら初めて訪ねた友人たちを交えて談笑し、「こうして笑うのが一番だな」と互いに頷きあって、「また来ますね」と失礼しました。

◎南相馬
●津波浸水域
 9日は被災地訪問が初めての友人たちを案内して上野敬幸さんの自宅のある萱浜に行き、慰霊碑の前で黙祷してから鹿島へ向かいました。
被災から6年8ヶ月経ち大津波の痕跡を示す物はほとんど見えませんが、私が見た2011年夏の光景を話しました。
萱浜から北上してサーフィンのメッカ北泉、そして右田浜、海老の海岸を通りました。
右田浜、海老では津波浸水域に建設されたメガソーラーや建設中の風力発電を見てから、鹿島の仮設住宅に行きました。
●小池第3仮設住宅
 小池第3仮設住宅集会所には、ヨシ子さんとハルイさんが待っていてくれました。
二人ともすでに仮設住宅を出て新居で暮らしていますが、手芸品のぶさ子ちゃんの代金をお渡ししたく、この日は事前に連絡をして集会所に来ていただいたのです。
二人とも元気そうで、先月末に仮設暮らしの仲間たちとみんなで行ったバス旅行の紅葉狩りは、生憎の天気で山は雪だったことを面白おかしく話してくれました。
 テーブルには、おふかしのおにぎりや白菜、大根の漬物が並んでいて「食べて」と勧められました。
まだお昼には早い時刻でしたが、ほかほかと温かいおふかし、ヨシ子さんが漬けた沢庵、ハルイさんが漬けた白菜を、私たちは「おいしいねぇ」と舌鼓を打っていただきました。
食べきれないほど用意してくださっていたおふかしや漬物を、「持って行ってお腹が空いたら食べて」と言われて、遠慮なくいただいて失礼しました。
 白菜も大根も、ヨシ子さんが自宅の庭の菜園で育てた野菜です。
被災前には小高で農業を営んでいたヨシ子さんは、この仮設住宅のすぐ近くの集団移転地に新居を建てました。
そこで長男家族と共に新たな暮らしを始めています。
新興住宅地の庭ですから以前のような大きな畑ではないですが、家族が食べても余りあるほど収穫できます。
白菜もハルイさんにお裾分けし、それをハルイさんは塩漬けにして持ってきてくれたのでした。
ハルイさんも被災前は小高でヨシ子さんの隣の集落でしたが、原町に新居を建ててそこでまた子どもや孫との暮らしを再現しました。
 2013年か14年だったと思いますが、ヨシ子さんが仮設退去後のことを話してくれた時のことです。
鹿島の集団移転地に新居を建てることにしたと言いながら、「小高の人が鹿島の人になっちゃうんだよなぁ」と、ぽつりと言ったのです。
私は被災前の福島の地域のことを知らなかったのですが、あの夏から通うようになって、平成の大合併で鹿島町、原町市、小高町の2町1市が合併して南相馬市となったことを知りました。
通いながら感じてきたのが、まだうまく言葉にできないのですが、鹿島と原町、そして小高は、それぞれ土地も人も醸し出している気質が違うような気がしているのです。
土地が人を作るのではないかという気がしてなりません。
私がそう感じるようになったのも「小高の人が鹿島の人になっちゃうんだよなぁ」と言ったヨシ子さんの言葉が心に残っていたからなのか、あるいは小高と鹿島はなんとなく違うと私自身が感じていたからヨシ子さんの言葉が心に残ったのか、それもどちらか判らないのですが。
●寺内塚合仮設住宅
 談話室には社長(菅野さん)、営業部長(天野さん)、山田さんの、いつもの3人が居ました。
初めて訪問した友人たちに3人を紹介すると、「ここは会社だったのですか?」と問われ、みんなで大笑い。
でも以前のように、天井からも壁にも棚にも部屋いっぱいに手芸品が飾られていたら、会社組織の手芸工房と思われても、不思議はなかったかもしれません。
そうではないと答えるとまた「なぜ社長なんですか?」と問われ、菅野さんは「一番年上だから」と答えました。
 以前はこの談話室には、毎日6人が集っていました。
初めの年、菅野さん80歳、他の人たちはみんな70代でした。
あれから6年が経ちました。
今、菅野さんは86歳、天野さんは85歳、山田さんは84歳。
6人はみな、小高に家があった人たちですが、天野さんと同年齢の井口さんは鹿島に息子が建てた家に移り、山田さんより若かった紺野さんは小高の自宅に戻り、村井さんは災害復興住宅に入居しました。
 社長も山田さんも、押し車がないと歩行は困難です。
社長は仮設住宅を退去して、娘夫婦が鹿島に建てた新居に暮らしていますが、昼間は家の中で一人になってしまうので、デイサービスのない日には娘婿さんがこの談話室へも送り迎えをしてくれて通っているのです。
山田さんは小高の自宅の修復ができたら、息子の家族とそこへ戻って暮らします。
天野さんは原町に娘が家を建てる予定ですから、完成したらそこへ移ることになるのでしょう。
山田さんも天野さんも大工さんが手薄で、まだ住まいが用意できずにいるのです。
二人がここを出られずに残っているので、コミュニティが保たれています。
でも、その後はどうなっていくのだろうと案じます。
自分で車の運転もできず、自力歩行は押し車に頼らねばならない高齢者は、送迎してもらえるデイサービスに行く以外は、部屋に蟄居しているしかないのでしょうか。
昔から馴染んだ地域でならまだしも、馴染みのない場所、ご近所のなかで、寂しい老後を過ごさねばならないのは、酷いことだと思います。
 今野さんは以前も一緒に来たことがあり、社長たちは「浪江の人」として今野さんをよく覚えていました。
小高と浪江は生活圏として同地区だったといえるでしょうか。
そんなことにも、小池第3のヨシ子さんの言葉「小高の人が…」を思い浮かべました。
 天野さんの実家は田村の養鶏場で、弟が継いでいます。
そこから送られた卵で、天野さんは美味しい煮卵を作って用事してくれていました。
煮卵を頂きながら初めて訪ねた友人たちを交えて談笑し、「こうして笑うのが一番だな」と互いに頷きあって、「また来ますね」と失礼しました。

◎飯舘村
●“被災地ツァー”名所(?)巡り
 飯舘村では友人たちにぜひ見て欲しい場所として、4ヶ所を巡りました。
①初めに行ったのは蕨平の焼却施設です。
墓地に隣接してこんな施設があっては、死者も静かに眠れまいと思うのです。
小高い山状のところに墓石が何柱も立ち、まだ新しい墓碑もありましたが、土の部分は茶色のビニールシートで覆われていました。
長雨が続きましたから、土が流れるのを防ぐためだったのでしょうか。
 焼却炉の煙突からは、白煙が勢いよく噴き出していました。
相当量の除染廃棄物を燃やしているのでしょう。
村内の各所に積み上げられて緑色のシートを被せてあったフレコンバックの山が、シートだけを残して山が消えている場所を何ヶ所か目にしました。
そこにあったフレコンバックは焼却施設に運ばれ、燃やされているのでしょう。
焼却施設を、「減容化施設」と呼ぶわけです。
フレコンバックの山も、2020年のオリンピック開催までには目につかないようにしたいのでしょう。
 そんな事を思いながら焼却施設を後にしたのですが、その先で???の光景を目にしました。
10数個の黒いフレコンバックが1段に並べてあるのですが、ショベルカーが動いていてフレコンバックの上に土を被せていたのです。
まさか土を被せて隠してしまう訳ではないと思いますが、どうなのでしょう?
不可解な謎でした。
②次にまわったのは、学校とスポーツ公園建設現場です。
そのすぐ手前には葬祭場がありましたが、それは必ず必要な施設だろうと思います。
村に戻るのは、ほとんど高齢者ばかりです。
建設中のスポーツ公園や学校の施設規模の大きさに、友人たちはため息をついていました。
③そして「ふれ愛館」に行きました。
ここでも友人たちは、木彫のオブジエにため息をつき、奥のホールのカーテンの向こうに見える「嫌味百景」のフレコンバックにもため息をついていました.
④名所(?)めぐりの最後は「道の駅」でした。
友人たちは道中で見てきた村内の光景とのギャップに、憤りとも、やり切れなさとも、不可解さとも言える複雑な思いにかられた様子でした。

*飯舘村から伊達の仮設住宅に行き、菅野榮子さんを訪ねました。
榮子さんの話は「被災地ツァー③」でお伝えします。        

いちえ


2017年11月7日号「安保法制違憲・差止請求事件第5回口頭弁論②」

◎報告集会
●安保法制違憲訴訟共同代表挨拶:寺井一弘弁護士
 9月28日に「私たちは戦争を許さない市民大集会」に、多数ご参加ありがとうございました。
私たちの会は団体や組織のバックがなく不安でしたが、802名定員の会場で立ち見が出る集会になり非常に有意義な集会でした。
たまたまですが、衆議院の解散の日と重なり、全く大義なき解散でしたが、その日の夜に我々の集会を開き大成功させたことは大きな意義があったことだと思います。
ひとえに皆様のご協力、ご尽力のおかげと感謝しています。
 今日は二点について申し上げます。
一つは今回の総選挙の結果です。
皆様いろいろな感想をお持ちだと思いますが、憲法9条を変えようと標榜していた議員の当選は15%でした。
新聞各紙も80%以上が改憲に向けての解散と言っていましたが、15%、議席数は69議席でした。
 しかし、闘いはこれから始まるのだと思います。
非常に情勢がすっきりしていて、憲法9条を死守して安保法制を廃止に追い込んでいく構図が判りやすくなりました。
これからが本当の闘いです。
 今日の朝日新聞によれば、希望の党に合流した内の7割が安保法制反対であります。
あのような踏み絵を踏まされ、誓約書を書いた方々も安保法制には反対であると出ていました。
護憲政党三党がしっかり連帯して、希望の党あるいは無所属の議員など含めると、新しい動きが始まっていると、日曜日の総選挙の速報を聞きながら、これからが本当の闘いだと思いました。
少なくとも護憲政党に投票した人は1,700万人、昨日小池さんは希望の党に投票したのは1,000万人と言いましたが、それをはるかに超える1,700万人の方々が護憲政党、憲法改悪阻止、そして安保法制反対という意思をはっきりと示された。
1,700万人、すごい数字です。
一人が一人に働きかければ、3,400万人、もう一人加えればとんでもない数字になり、それは可能だと思います。
 これからが闘いの始まりです。
その中で代表を務めています私どもに寄せられている声は、「違憲訴訟を昨年4月26日に東京を中心に提訴して良かった」「全国的に広がりを持ったことになり良かった」「これは非常に救いだ」という声が寄せられています。
これからが闘いです。
ぜひ皆様と一緒に闘っていきたいと思います。
 二点目は、私は鹿児島での訴訟でも代理人の一人になっています。
原告は22名で、先日裁判がありましたが、傍聴席は裁判員裁判をやっている大法廷で一番大きい法廷です。
22名の原告はほとんど来ていましたが、傍聴席が厳しく見て3割くらい空席でした。
私は報告集会で「本当にみなさんはご苦労様ですが、2割3割の空席があってはいけない、裁判所を包囲するためには傍聴席を満席にしてほしい。鹿児島の弁護士さんは遠慮して言わないでしょうが、私は東京から手弁当で来ているので、お礼代わりに言いますが、誠に残念です」と話しました。
すると後から聞いた情報では、鹿児島の弁護士さんに裁判所が、次から小法廷にしましょうかと言ってきたそうです。
小法廷は10人か20人が入る傍聴席で、そこにしようかと言ってきたと。
 今日も傍聴席をチラッと裁判官が見ていました。(注:傍聴席は抽選にならず希望者全員が入れました。傍聴席がいっぱいにならなかったのです。)
 私たちは裁判所に私たちの声を、本当に反映させなければいけない。
そのためには国会包囲の大きな集会や日比谷公園での大きな集会、それらも大事ですがそれと同じように傍聴席を毎回満席にすること、これは欠かせません。
 裁判官も人の子です。
いろいろ考えながら膨大な記録を一つ一つ読み上げて判決をする裁判官もいるかもしれないですが、裁判官によっては「エイヤッ」と、どっちにするか決めて、そのために理屈をつけていく人もいるかもしれません。
刑事事件などは、罪を犯したかどうかかなり丁寧に分析していくことができますが、このような政治的判決の場合は、裁判官も人の子なので国民の声を気にしたり、権力を忖度したりいろいろなことを考えます。
そのために、権力を忖度するよりも国民の声が、もっともっと大きなものにならないといけません。
そのためには傍聴が非常に大切です。
 11月15日は安保法制違憲訴訟・女の会の裁判があります。
女の会も原告が少ないですが、傍聴席を満席にしなければいけません。
裁判官の中には、今の政治はおかしいぞ、怪しいぞ、論理も真実もないぞと、いろんなことをごまかしながらモリ・カケ問題を含めて誤魔化しながら進んでいるぞ、ヒタヒタと軍国主義の道を進んで戦争ができる国家になっていくのではないか、とみなさんと同じように裁判官も心のどこかで感じていると思います。
 こっちを向けさせなければなりません。
鹿児島地方裁判所で私は、裁判官に向かって「裁判官、あなた方は忖度するような信頼できる内閣ですか?よく考えてください。一人の人間として裁判官として、バランスをとった判決を出すのでなく、日本の未来を、子供たちのことを考えてください。その上でしっかりした判決を出してください。その前提として審議をしてください」と言いました。
 裁判官を追い詰め、その力を持って国家権力を追い詰め、安保法制を必ず廃止して平和憲法を死守してまいりたいと思います。

●古川(こがわ)健三弁護士
 「処分性」というのは判りにくいでしょうが、国はここで勝負しようとしている。
では国はどんな反論をしているかというと、はっきり言って反論していない。
新安保法制が違憲ということに、はっきり反論していない。
その代わりに、我々が差止を求めている集団的自衛権の行為は、「行政訴訟として、裁判で差止できるものではない。これを行政処分というが行政処分に当たらないから差止の対象にならないから、この裁判は却下、門前払いするものである」という主張をしている。
 ここは難しい話だが、きっちり議論していかなければいけない。
国がなぜ処分に当たらないというかの論拠に、昭和39年の判決を引っ張ってきて、これがあるから処分でないという。
しかし39年の判例は非常に古くて、それ以降に法律の改正もあり、特に行政訴訟法は平成16年に大改正があった。
 日本の行政訴訟は非常に間口が狭くやたら門前払いにしてしまうが、学会の中で学者たちからも酷いという声があり、間口を広げていく動きの中に司法改革の中で行政訴訟法の大改革が行われた。
平成17年の最高裁判決で藤田宙靖さんは、砂川判決が集団的自衛権の容認の根拠にはならないと、はっきりと言っている学者さんだが、藤田さんが最高裁裁判官だった時にかなり細かい補足意見を書いている。
昭和39年の判決は今の行政指導や行政が複雑になった流れの中で、最高裁も従来は行政処分ではないとして門前払いしてきた判決を判例変更して、行政訴訟の間口を広げてきている。
 そうした中で被告が言う昭和39年の判決をいうのはおかしいでしょ?ということだ。
また国は、集団的自衛権の行使で国民に不利益は生じないというが、そもそもその言い方はおかしいのであり、集団的自衛権の行使を行うこと自体が、戦争の当事国になる意味合いを持つものだ。
日本の領土が戦場にならなくても自衛隊が出ること自体が、戦争に参加することになるのだから、それで戦争が起きていないとか戦争の危険がないとか言うのはおかしい。
戦争になるおそれがある危険性が国民に不安を抱かせるのであって、戦争が起きなければ危険ではないというのは、全くの詭弁だ。
 私たちが本件は行政処分であるとした一つの大きな根拠は、昨年12月の厚木基地の判決だ。
結論自体は国側を勝たせた判決だが、門前払いではなく具体的に中身の判断をしていて、飛行機が飛ぶということ自体が行政処分であると認めている。
飛行機が飛ぶことによってなんらかの法的義務が生じるとか住民に法的な権利、義務が障るというのではないが、大きな被害が生じることを捉えて、最高裁は飛行機が飛ぶことを含めて行政処分であるから、中身で判断すると言っている。
 この言い方は安保法制でも使える話で、国のいう別のもの、厚木は厚木こっちはこっちというのも当たらない。
 もう一点は、民事訴訟として差止を求めていた横浜地裁での安保法制違憲訴訟がある。
国は民事訴訟の差止は認められない、集団的自衛権の行使は行政権の発動であり民事訴訟の対象にならないと言ってきた。
東京では行政処分でないと言い、横浜では民事訴訟はダメと言うのはおかしい。
国は、横浜と東京で都合よく使い分けている。
それに対して私たちは、横浜では民事訴訟ではダメで行政処分だと言ってるじゃないかと主張すると、国はムニャムニャと変な反論をしてきた。
 これについては、その矛盾について国はちゃんと説明をするようにと指摘した。
処分性の問題で門前払いで却下しろ、というのが国の戦略だ。
ただし処分かどうか考える上でも、安保法制が違憲かどうか議論せずに、議論を避けて通ることはできないだろう。
従って、本論について認否しないなどと言わずにちゃんと認否せよと言っている。
 今日の裁判官の対応を見て思ったことがある。
国の代理人は本件について答弁する必要はないなどと言ったが、裁判長は事実関係を認否反論するようにと言った。
処分だ、処分じゃないなどと空中のところでの話にせずに、中身について議論するようにという姿勢が見られると感じた。
これはもう少し押していく点だと思うので、ぜひ傍聴に詰め掛けてくださるようお願いします。

●福田 護弁護士
 行政差止訴訟の5回目だったが、3ヶ月に1度くらいの割合で開廷され、今日までに提出した書面は400ページくらいになる。
今日はPKOと米艦防護、武器等防護の追加提訴した書面について説明した。
これまでに言ってきたことは、安保法制の違憲性について総論と各論、集団的自衛権・後方支援・PKO・武器等防護・協力支援の5件について国会審議の中身に基づいて、学者や元最高裁裁判長の違憲を含めて書面にした。
 安保法制の外郭の問題で非常に重要なのはガイドラインだ。
国会審議の前に米議会で演説し、夏までに安保法制成立させると言ってしまった。
安保法制とガイドラインの関係はどうなのか、また安保法制が通り国民生活に浸透したら、この国はどう変わっていくのか、大きな問題だ。
 武器輸出三原則が切り替えられて軍需産業、鉄鋼業会など鵜の目鷹の目で自分たちの製造ラインで活用できないかと目論み、それが海外に進出してアメリカ企業と一緒になって製造しようとしている。
国も一緒になり、企業が変わり軍需産業が大きな割合を占めると、そこで働く労働者はどこかで戦争が起こることを望むようにならないか。
学術研究者が軍需的研究と生活と両用できるものだからと防衛省予算が軍学共同、軍産共同という事態が進行している。
これらによって国民生活がどう変わっていくかなど、とても大事な問題が、安保法制に関連してある。
 こうしたことを含めて準備書面に書いて、今回提出した。
5回を迎えて、こちら側の主張の一つだけ残して、今日でだいたい言うべきことは一通り裁判所に伝えてきた。
残しているもう一つは、伊藤弁護士が書いてくれている、司法が積極的に憲法判断すべきであるという違憲審査制の問題で、これを次回に陳述する。
 国は憲法違反論に対して、事実にも争点にも関連しないから認否せずという反論をしてきているから、これもそう言ってくるだろう。
次回は2月5日が期日だが、その時に国に然るべき対応を求めていく。
だいたい次回で互いにメインの主張は出てくるだろうから、その先が証人尋問に入るかどうかが問題だ。
裁判官によっては弁護士の話はよく聞くが原告の話は控えてということもあるが、原告本人の話をちゃんと裁判官に聞いてもらうようにしたい。
これが、これまでの差し止め訴訟の流れだ。
 今日は違憲の問題についてどういう考え方かを示した。
自衛隊が海外で武力行使をするというのが、一番の核になる。
これまでは自衛隊は、他国の攻撃を排除するために日本の領域内で活動できるという
ことで自衛隊と憲法の辻褄を合わせてきた。
 世界に出向いて兵站活動をし、武器弾薬使用も認められ、戦闘の起きているすぐそばで活動できるとなったら、紛争当事者と見られるようになる。
それが世界中で起きるとようになると、自衛隊は国内で実力行使するだけでなく、外に出向いて行って、そこで実力行使をする。
それは外国の軍隊と同じで、戦力以外の何物でもない。
憲法9条2項で禁止する交戦権の行使になる。
 安倍首相はごまかしてホルムズ海峡以外は念頭にないと言うが、いま念頭になくてもいつそれが変わるかわからないし、それが通ってしまう国会で行政と国会が暴走し、それを止める力がない。
そういう無理を通すために強行採決をしたことが問題だ。
海外で武力行使は、自国を守る自衛ではない。
それができるようにしたのがガイドラインで、ガイドラインを先行させて、ガイドラインの中には閣議決定を全て盛り込む。
閣議決定には政府で検討してきた安保法制を全て盛り込む。
こういう流れの中で安保法制が国会審議に移る。
ガイドラインには安保法制に書いてあること、日米でやろうとしていることが全て盛り込まれている。
 いままでは憲法9条で、断ることができた。
90年前後の朝鮮危機の時、アメリカから後方支援を頼まれ、千何十件かのことを要求されたが、日本は憲法9条があったので断れた。
これを断れないようにするために97年にガイドラインができ、周辺事態法ができたが
さらにグローバル化したのが今回の安保法制だ。
 いま朝鮮半島で米朝が緊張関係にあるが、朝鮮戦争で休戦状態の中で、アメリカと北朝鮮が軍事的対立をしている。
そこになぜ日本がアメリカの肩を持ちしゃしゃり出るのか。
5月以降、米イージス艦に日本の補給艦から燃料補給が繰り返されている。
物品・役務の提供も広げられた。
北朝鮮から見たら日本は、アメリカと一緒になってミサイル防衛していることになる。日本は武器等防護や給油活動を通じて、軍事的対立者として北朝鮮とアメリカの中に割り込んでいる。
それを可能にした安保法制だ。

●福田 護弁護士(武谷直人弁護士が席を外していたため、福田弁護士から報告)
 若手の武谷弁護士が法廷で話したPKOについて、私から簡単に報告を。
 PKO協力法の中で、この新安保法制で導入された大きな項目として「駆け付け警護」と、「安全確保業務(住民保護)」と呼ばれるものがある。
これらの目的のために強力な武器の使用を認めた。
 駆け付け警護ではPKOの活動関係者が武装勢力に襲われたような時に、自衛隊がそこまで行って救出をするということだが、そのためには武器を持った相手を打ち負かさなければ救出できない。
武器を持った相手とやりあうには、武器を使用するということで、これは戦争と紙一重となる。
昨年7月11日からの南スーダンの現場で起こっていたことは、現地自衛隊の日報に「戦闘」とか「〜の方向で発砲の音」「戦車が多い」など具体的に生々しい記録があった。
政府は日報は廃棄したと言って覆い隠そうとしていたが、ジャーナリストの布施さんが開示請求をして、データとして残っていることが明らかになった。
自衛隊のすぐそばのビルで銃撃戦があった。
 もう一つ、テラインホテルに援助関係者が詰めていたが、そこへ政府軍が押し入り、暴力沙汰、略奪、レイプなどをしたが、PKOの司令部が他の国の部隊に救援の指示をしたのだが、あまりにも危険だからとどこの部隊も動かなかった。
そのように活動関係者が襲われている時に救出に行くのが、まさに駆け付け警護なのだが、自衛隊はそういう任務を負わされて派遣されていた。
自衛隊は、本当に危険な任務を負わされて現地に派遣されていた。
 情報問題もだが、PKO5原則は完全に破綻していることを覆い隠せなくなって、自衛隊は5月に撤収した。
 いま国連のPKOは、以前のように停戦の監視業務がメインの任務ではなく、むしろ治安の維持がメインになっている。
南スーダンのPKOも最初は停戦監視だったのが、途中からは住民保護のための武力の行使が認められ武力行使の主体になっていった。
自衛隊は武力行使はしない、自己保身のための武器使用だけをすると言ってたが、それでは日本は、自衛隊の立つ瀬がないということで作られたのが任務遂行のための武器使用だ。
 1992年にPKO協力法が成立したのは、憲法9条に違反しないように自己保身以外の武器使用はしないということでできたのだが、それを破ったのが今回の安保法制だ。
1992年までは停戦合意の監視のためがメインだったが、1994年のルワンダでの虐殺を止めることができなかった時から、保護する責任が強調されるようになり、いまのように治安を維持するのがメインになっている。
そういう状況の中に自衛隊が置かれている。
今後自衛隊が、駆け付け警護や安全確保業務に行かされる危険性があるということで私たちは差し止めの訴えを起こした。

●伊藤 真弁護士
 先日の衆議院選挙の結果を、皆さんはどう受け止めただろう。
評価や反省はあるが、「安保法制が違憲・憲法に自衛隊明記を許さない」を、はっきりと主張する立憲民主党が野党第一党になったことを、大きく評価したい。
民進党が三分割されたということはあるが、やはり野党第一党の党首が安保法制は憲法違反であると言い、その理由として海外で自衛隊が戦争するのは許されない、安保法制はそれを認める法律だと、はっきりとメディアでも言ったことは大きな意味がある。
それを固定化するような、自衛隊明記は許されない。
 国民の多くは自民党のいう自衛隊明記について、よく判っていない。
災害救助で頑張っている自衛隊を明記しないと自衛隊がかわいそう、とか専守防衛なんだから明記していいんじゃないなどと思う人がいる。
そうではないのだということをしっかり伝えていくことで、今回の選挙結果は、とても意味があった。
自公は組織で勝ったが、立憲民主党は市民が立ち上がらせ市民が後押しして勝った。
 自民党の憲法改悪には3つの問題点がある。
1つは、憲法9条2項を空文化してしまうことだ。
自民党案は9条2として、我が国を防衛するための必要最小限度の自衛隊を設けることを加えるというが、それは9条2項で「交戦権」を禁じていることを空文化する。
戦力だろうが交戦権だろうが我が国を守るためなのだから構わない、という理屈だ。
9条2で自衛隊を明記することによって、その条文で9条2項を削除、まるで無いものであるようにするのと同じ意味を持つ。
2つ目は自民党案の憲法改変が通ってしまえば、次は国民投票で、直接国民の意思とされる。
憲法に自衛隊明記があれば、それは国民の意思となってしまう。
国民の初めての直接の意思で、認められたことになる。
3つ目は、国防・防衛は、現憲法にはない。
 人権を制限するとき、どういうときに制限できるかというと憲法上の一定の要請がある時にしか、人権を制限することはできなかった。
他者の人権を守るために、人権が制限されることはあっても仕方ない。
表現の自由、裁判の公正など、憲法上の要請として人権を制限することはできた。
 それが今度は、我が国を防衛するために必要最小限度の組織として防衛・国防が憲法上の概念として登場することで、新たに人権を制限する憲法上の根拠が生まれる。
信教の自由・表現の自由・学問の自由などなどや生存権などを含めながら、あらゆる人権が国防の名の下で制限される。
 これまでは公共の利益・公共の福祉を介在しないと、国民に不利益を強いることは難しかったが、防衛・国防の憲法上の要請として、しかも国民の直接の意思によって、そういうものが憲法に明記される。
「何も変わりません。単に自衛隊を明記するだけです」に騙されたら、どんな結果が待っているかということを、もっともっと伝えていかなければいけない。
安倍首相は大義なき解散をして、次は大義なき国民投票に持ち込みたいのだろう。
最終的には数の力でくるだろう。
 こういう流れの中で、安保法制違憲訴訟は、9条改悪を阻止するためにも重要な意味がある。
安保法制違憲訴訟は、市民と共に安保法制を廃止させる市民運動と、そして政治のルートでそれを実現する、それと共に裁判・司法のルートでこれを闘っていく。
安保法制を廃止させる。
最近は安保法制を廃止させるという重要な意義があるだけでなく、9条の改悪を阻止する意味でも、この安保法制違憲訴訟は極めて重大な意味があると考えている。
 そのためには市民の皆さんとどこまでも強く連携し、政治の部門では立憲民主党ができたこと、共産党・社民党もあり、そういう場はできている。
憲法改悪許さないぞという運動を全国の皆さんを巻き込み一緒にやっていく場が新たに生まれ、それがとても重要な時期だと思っている。
 この国は法の支配、憲法の支配の国であり、人の支配する国ではない。
安倍の支配や小池の支配、誰か特定の人が支配するのはおかしい、憲法という法の支配でなければいけない。
そのためにも立憲民主党を市民が立ち上がらせ、市民が支えていった。
同じようにこの裁判もみなさんの力で支えていかなければ、裁判官に対してもそうです。
 これから、闘いが始まります。
みなさん、一緒に頑張っていきましょう。

*この後、北村弁護士、黒岩弁護士、橋本弁護士からも短いスピーチがあって報告集会を終えました。
集会の冒頭に寺井弁護士が言っていましたが、今回は傍聴席が埋まりませんでした。
傍聴席を満席にすることが裁判官を押していく力になります。
11月15日には東京地裁では安保法制違憲訴訟・女の会が、14;30〜開廷されます。
原告が少ない女の会の訴訟です。
少ない原告を支えて傍聴席を埋めるよう、どうぞ傍聴に詰め掛けてください。     

いちえ


2017年11月6日号安保法制違憲・差止請求事件第5回口頭弁論

 10月27日(金)、安保法制違憲・差止裁判が、東京地裁第103号法廷で開かれました。
法廷での様子と、閉廷後に衆議院議員会館で開かれた報告集会の様子をお伝えします。
長くなりますので、法廷での様子を①に、報告集会を②としてお送りします。
①の原告代理人の違憲陳述は、言葉遣いが法廷独特のものもあって判りにくいかもしれませんが、報告集会で噛み砕いた説明がされますから、合わせてお読みいただけたらと思います。

◎第5回口頭弁論
 今回は原告本人の違憲陳述はなく、代理人弁護士から原告らの主張に基づいた意見陳述がされました。
●原告代理人:古川(こがわ)健三弁護士
 被告は、集団的自衛権の行使は、行政訴訟法3条2項の詩文に当たらないと主張している。
しかしこの主張は、原告らの主張を正解せず、原告らが引用している判例に対する誤った理解に基づくものである。
1、処分性に関する最高裁判例について
 被告は、被告が処分性の一般的判断基準であるとする昭和39年最高裁判決は、何ら変更されておらず、原告が引用する病院開設中止勧告の処分性に関する平成17年7月15日の最高s第判例は、事例的な意味しかないと主張する。
 しかし、前記平成17年最高裁判例と同種事案である平成17年10月25日の最高裁判例において、藤田宙靖判事は補足意見の中で、昭和39年の判決の考え方を「従来の公式」と呼び、「従来の公式」は現代の複雑な行政メカニズムには対応できず、そのような事実関係のもとで「従来の公式」を採用するのは適当でない、との趣旨を述べている。
 そして、前記平成17年判決以外にも、最高裁は、「実効的な権利救済のために当該行為を抗告訴訟の対象として取り上げるのが合理的かどうか」という事例を考慮すべきと述べて、土地区画整理事業計画決定の処分性を否定していた従来の判例を変更した(最高裁大法廷平成20年9月10日判決)。
その後も処分性を拡大する判例が相次いでおり、最高裁が昭和39年判決の考え方をもはや維持していないことは明白である。
2、本件集団的自衛権の行使が、原告らに不利益な効果の受任を義務付けることについて
 被告はまた、本件集団的自衛権の行使等は、原告に何ら不利益な効果の受任を義務付けるものではないとし、その理由として、原告らの主張する「平和的生存権」「人格権」及び「憲法改正・決定権」の具体的権利性を争い、また、原告らの主張は、本件命令等にかかる事実行為が行われることにより必然的に我が国が戦争に巻き込まれるという過程が成立してはじめて成り立つが、そのようなことは言えない、という。
 原告の主張する権利の具体的な権利性についてはすでに他の準備書面で詳しく述べた。
被告の後段の主張は、原告の主張を誤解するものである。
原告らは、現に戦争が起きる場合はもちろんであるが、戦争が起きる危険性が生じることによっても原告らの権利が侵害される、と主張しているのである。
そして、集団的自衛権の行使が行われた場合、我が国が戦争当事国となることを意味することはジュネーブ条約に照らして明白であるから、戦争の危険は必然的に生じる。
3、厚木基地訴訟に関する最高裁平成28年判決について
 被告は、最高裁28年判決は、本件と事案を異にする、と主張する。
 しかし、最高裁28年判決及びその判断の前提とされた最高裁平成5年判決がいう「受任義務」とは、法的義務とは言えない。
厚木基地周辺住民が航空機運行によって受けているのは航空機の運行に伴う不利益な結果を受任すべき「一般的な拘束」であって、法的地位や権利関係の変動ではない。
 そして、最高裁平成28年判決は、健康被害そのものを認めているのではなく、不快感や健康被害への幅広い被害が、処分性及び損害の重大性を基礎づける、という判断をしたものである。
 この判断枠組みは、本件においても当然考慮されなければならず、「事案を異にする」という被告の主張は当たらない。
4、「行政権の行使」は民事訴訟の対象ではない、とする被告の主張
 被告は、横浜地裁での主張内容が本件の主張と矛盾する、との原告らの指摘に対し、「行政権の行使」は民事訴訟の対象得ない、という。
しかし「行政権の行使」であっても「公権力の行使」に当たらない非権力的行為が民事差し止め訴訟の対象となることは確立した判例であって、被告の主張は誤りであり、詭弁と言わざるを得ない。
 原告は被告が主張する「当該行為の属性」とは何か、また被告のいう「行政権の行使」が「公権力の行使」と同一であるか否かについて釈明を求める。
5、まとめ
 処分性の核心は、本件集団的自衛権の行使等が、原告らに対し、如何なる不利益をもたらすか、という点にある。
そしてその憲法適合性を具体的に検討せずして、処分性の判断をすることはできない。
 被告は、概念的で空虚な反論に終始することなく、集団的自衛権の行使の権利侵害性と憲法適合性について、正面から認否反論すべきである。

●原告代理人:福田 護弁護士
1、海外で武力行使をする自衛隊は「戦力」である
 ①原告らは、準備書面において、新安保法制法の内容の具体的違憲性、その制定による立憲主義の破壊、これらによる国のあり方の変容の危険等について論じた。
 新安保法制法の何が違憲なのか。
その問題の核心はやはり、自衛隊が海外に出向いて武力の行使をしまたはその危険を生ずることにある。
これを是認することによって、日本が戦争当事国となる機会と危険を大きく拡大した。
新安保法制法は、従来の政府解釈が、そうならないように設けていた最低限の歯止めの、根幹部分を外してしまった。
 従来の政府解釈とそれに基づく防衛法性の基本原則は、日本の領域が外部からの武力攻撃によって侵害された場合に限って、その武力攻撃を日本の領域から排除するためにのみ、自衛隊による実力行使を認めるというものだった。
だからその活動範囲も、基本的に日本の領域またはその周辺の公海、公空に限るとされてきた。
従来の自衛権発動の3要件は、この原則の表現だった。
 ところが新安保法制法は、自衛隊が海外で集団的自衛権による武力の行使をすることを認め、あるいは海外での武力行使につながる後方支援、他様々な危険な活動を認めた。
このように日本の領域を守るだけでなく、海外を戦場として武力を行使する自衛隊は、もはや他国の軍隊と異なるものではなく、紛れもない「戦力」であり、「交戦権」の主体に他ならない。
②安倍総理大臣は、国会審議の中などで繰り返し、新法の下でも「自衛隊が武力行使を目的として、かつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるもので許されない。これは新三要件の下で集団的自衛権を行使する場合であっても全く変わらない」「他国の領域での武力の行使は、ホルムズ海峡以外は念頭にありません」、などと強調した。
 しかし、存立危機事態において「他国の武力攻撃」を排除する自衛隊の武力の行使は、その性質上当然に、当該他国の領域における武力の行使を予定するものであり、もちろん法文上のどこにも、外国の領域を不可として限定する規定はない。
すなわち新安保法制法は、自衛隊の海外での武力の行使を前提とするものだ。
政府も国会答弁で、「法理上」はそうなることを認めざるを得なかった(2015年5月28日衆議院安保法制特別委・安倍総理大臣・中谷防衛大臣答弁)。
2、新ガイドラインによる自衛隊の米軍と一体的行動の危険性
①2015年4月27日、新安保法制法の閣議決定・国会提出に先立って、法案の内容を先取りする新たな日米ガイドラインが両政府によって合意され、しかもその際安倍総理大臣が米議会で演説し、新安保法制法の制定を約束してしまった。
そのことの本末転倒、国会無視の問題性は言うまでもないが、そのことに象徴されるように、新安保奉仕法は新ガイドラインの実施法であり、米軍支援法にほかならない。
 そして新ガイドラインは、平時から有事まで「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応」を目的とし、その共同対応体制として、平時から緊急事態までのあらゆる段階に対処するための「共同調整メカニズム」の整備を定めた上、新安保法制法による新たな、そしてグローバルな自衛隊の諸活動と米軍の共同関係を定めている。
②ここで重大なのは、新安保法制法によってこれまでの憲法の制約を破って可能とされた集団的自衛権の行使、戦闘現場近くでの物品・役務の提供、PKOにおける駆け付け警護、米軍の武器等防護などが、この新ガイドラインに基づいててアメリカから要請されれば、これに応じて自衛隊が米軍と共同・連携し、あるいは一体的な行動をとることになることだ。
日本はもはや、憲法9条によって禁じられているからとの理由で、これらのアメリカの要請を断ることはできなくなってしまった。
否むしろ、アメリカのこのような要請に応えるために、新安保法制法が制定されたと言うべきだろう。
3、新安保法制法の適用事例の危険性と問題性
①原告らは、去る8月10日、追加の提訴をして、PKOにおけるいわゆる安全確保業務と駆け付け警護の実施、及び自衛隊法95条の2に基づく米軍等の武器等防護の実施の差止めを求めた。
これは、新安保法制法が制定・施行されてから現実の適用事例が発生し、その危険性が明確な形をとって現れたからだ。
②PKOの駆け付け警護等については、相代理人が述べるが、もう一つの武器等防護は、本年5月、北朝鮮に圧力を加えるために日本海に米空母カールビンソンの艦隊が展開する最中に、防衛大臣の命令により、自衛隊の最大級護衛艦「いずも」ほか1隻が、米軍補給艦の武器等防護のための護衛の任務に就いたものだ。
これは米軍艦船に武力攻撃とまでは言えない侵害が発生した場合に、自衛官に米軍艦船の防護のための「武器の使用」を認めるもので、場合によってはミサイルの発射までもそうていされるものだ。
 この武器等防護の発令は、トランプ政権は軍事力を誇示して力による外交を展開し、これに対抗して北朝鮮が弾道ミサイルの発射を繰り返すという、米朝関係が極度に緊張する状況の中で、日本が米軍を守ろうという立場に軍事的にコミットするもので、これによって日本は明確に、軍事的対立の当事者となったことになる。
 さらに、報道によれば、今年5月以降数回にわたり、自衛隊の補給艦が、日本海等で弾道ミサイルを警戒している米イージス艦に燃料を補給しているが、これは物品・役務の提供の機会を拡大した改正自衛隊法100条の6に基づくものと解される。
これもまた、自衛隊が米軍と共同して、北朝鮮の弾道ミサイル警戒活動を行っていることになり、日本を米朝の対立の当事者にしてしまうものだ。
③もともと日本は、北朝鮮と対立関係にあったわけではない。
対立当事者はアメリカと韓国であり、北朝鮮のミサイル発射や核実験もアメリカに対する対抗戦略であることは明らかだ。
上記の自衛隊による米艦防護や物品・役務の提供は、その他国同士の軍事的対立に割り込んで一方的に加担し、自ら危険を買って出る行為と言わざるを得ない。
新安保法制法と新ガイドラインんは、こうして日本を戦争の危険に導くものであり、戦力を持たず、武力の行使を抛棄し、平和主義のもとに国民の人権と生存を保障しようとする憲法9条に真っ向から反するものにほかならない。
4、処分性に関する予備的主張について
 原告らはこれまで、本件における行訴法3条2項にいう「処分」について、集団的自衛権の行使等という事実を捉え、これらの事実行為が原告らの平和的生存権等の権利を侵害し、その侵害状態の受任を強いるものとして、原告らに対する公権力の行使に当たると主張してきた。
 このたび行政法学の大家である兼子仁東京都立大学名誉教授から、このような処分の捉え方は行政法条適法と考えられるとの意見とともに、集団的自衛権の行使に先立つ自衛官に対する関係大臣の命令を処分として捉える方途について示唆をいただいた。
 このような意見及び本件請求の趣旨等を総合考慮し、本件処分の捉え方について、予備的請求原因としての主張を追加したく、書面の通り主張する。

●原告代理人:武谷直人弁護士
PKO新任務と任務遂行のための武器使用の違憲性
1、はじめに
 強行採決された新安保法制の一つに、国連平和維持活動協力法いわゆるPKO協力法の改正がある。
 この改正で、自衛隊が行える活動領域が大きく拡大された。
それはいわゆる「安全確保業務」(住民・被災民の危害の防止等特定の区域の保安の維持・警護などの業務)と「駆け付け警護」(PKO等活動関係者の不測の侵害・危難等に対する緊急の要請に対応する生命・身体の保護業務)が追加され、それと共に、武装勢力等の妨害を排除し、目的を達成するための強力な武器の使用、すなわち任務遂行のための武器使用が認められたことだ。
2、国連平和協力法制定の経緯
①PKO協力法制定に至る論議
 そもそもPKO協力法は、いわゆる湾岸戦争契機に湾岸戦争後の国連貢献策の名の下に成立した。
 この審議過程において最も大きな争点となったのは、自衛隊の武器携行とその使用についてだった。
PKO協力法は、自衛隊が平和維持軍に参加する以上は、国連の指揮の下で、組織的な武力行使をせざるを得ないことになり、国連平和維持軍への参加は、武力の行使を禁じた憲法9条に反すると当初から批判されていた。
しかし政府は、「平和維持軍(PKF)への参加は当面凍結され、いわゆるPKO5原則(ⅰ停戦合意の成立、ⅱ紛争当事者のすべてのPKOへの参加の同意、ⅲPKO活動の中立性、ⅳこれらいずれかが満たなくなった時の部隊の撤収、ⅴ生命等防護のための必要最小限度の武器使用)を設けることによって、憲法9条には違反しないととして、1992年6月に可決成立させた。
このようにもともとPKO協力法そのものが、PKO5原則の下でかろうじて、合憲性を維持しようとしていた。
3、PKO活動の拡大(今回の新任務付与)の違憲性
①PKOの役割の変化
 さらに新安保法制においてPKO活動における自衛隊業務の拡大の背景には、国連のPKO活動の変質・変遷がある。
 従来のPKOは、PKO5原則の下で行うことが活動の中心だった。
 しかし、1994年、ルワンダにおける停戦合意の崩壊、PKO部隊の撤退による大量の住民が虐殺される事件が発生したことを契機として、国連PKOの性質も変化し、「停戦や軍の撤退などの監視活動」だけでなく、紛争当事者による住民の虐殺などが発生した場合には、停戦の有無と関係なく、PKO部隊は、紛争当事者と「交戦」して住民を保護するという「住民保護」もその目的となった。
 これでは、そもそもPKO5原則すら維持できず、特に必要最小限の武器使用という原則も通用しなくなる。
②PKOにおける新任務及びそれに伴う武器使用の違憲性
 今回のPKO業務の追加と武器使用権限の拡大について、政府は、PKO業務において、紛争の一方当事者との抗争に至ることはないとしている。
 しかし、南スーダンでPKOに参加していた陸上自衛隊が2016年7月11日から12日に作成した日報には、「戦闘」という言葉が多用されており、まさに、停戦合意が崩れ、現地では戦闘状態が現出していることが明らかになった。
かかる状況下において、仮に自衛隊が駆け付け警護のために武器を使用したとすれば、それは戦闘行為からさらに政府軍ないし反政府軍に対する武器の使用に至る危険性は明白であった。
4、結論
 以上の通り、南スーダンの事例を見るまでもなく、今後、再び紛争地帯においてPKOに寄って派遣された自衛隊が武器を使用する事態が生じる場合には、これは単なる「武器の使用」ではなく、「武力の行使」というべきである。
従ってPKO協力法における新任務は、もはや政府の従来の解釈で正当化することはできず、これは武器の使用を禁止した憲法9条1項及び交戦権を否定する憲法9条2項に違反することは明白だ。

*法廷での意見陳述はここまでです。
報告集会については②に続きます。          

いちえ


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