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2018年2月16日号「お知らせ3件」

◎お知らせ①『たぁくらたぁ』最新号
 【信州発】産直泥つきマガジン たぁくらたぁ 44号が発売されました。
特集は「福島第一原発事故から7年目の春」
特集以外の連載記事も、また巻頭の記事も読み応えのある内容ばかりです。
 浅井大希さんの連載「ノ パサラン No pasaran やつらを通すな!」は、つい先日の名護市長選について書かれています。
 また自然エネルギーを旗印に掲げての太陽光発電建設によって起きている問題や、リニアモーターカーの環境破壊など、A5販76ページの雑誌は、実に中身が濃いのです。
〝除染先進都市〟として脚光を浴びた伊達市に住む島明美さんに、野池元基編集長がインタビューした記事など、インタビューも2、3ありますが、他は〝そのこと〟の当事者の方たちが書いています。
 職業ジャーナリストの記事ではないので、だから原発事故による避難者の声も、性的虐待を受けた人の声も、人ごとではなく「私のこと」として伝わってくるのです。
 是非、多くの人に手に取ってほしい!読んでほしい!と願っています。
私は、この雑誌に関わっていることを誇りに思っています。
ご注文はお近くの書店か、または下記まで。
オフィスエム TEL:026-219-2470 FAX:026-219-2472 e-mail:order@o-emu.net
オフィスエムのHPもご覧ください。http://o-emu.net
1冊476円+税で514円ですが、定期購読(1期4回分〜)をおすすめします。
1期4回分で、送料込みで2,800円です。

◎お知らせ②
 1年前のトークの会「福島の声を聞こう!vol.22」で、ゲストスピーカーとして話してくださった菅野瑞穂さんから、イベントのお知らせが入りました。
【原発事故から7年。 飯舘村から届ける若者たちの声】
日 時:3月10日(土)13:00〜16:00(受付12:30)
場 所:飯館村交流センターふれ愛館研修大ホール
参加費:500円
第1部
 フリーペーパー「みんなのきもちvol.2」発行報告会
第2部 15:00〜16:00
 畜産農家 山田豊さんの放牧牛など地区の取り組みの視察(会場より車で5分)
 *トークゲスト
 菅野義樹さん 1978年生まれ飯舘村出身 和牛繁殖畜産農家。北海道栗山町在住
 山田豊さん 1982年生まれ飯館村出身 畜産農家。福島市在住
 *コーディネーター
 菅野瑞穂さん 1988年生まれ 二本松東和在住
主 催:フリーペーパー「みんなのきもち」製作委員
事務局:菅野瑞穂 mizuho.sepak@hotmail.com FAX:0243-47-3446
http://kokucheese.com/event/index/5087441/

◎お知らせ③
 第7回江古田映画祭「2018 3・11福島を忘れない」では、3年前の夏にトークの会vol.16で話してくださった渡部義弘さんのトークと相馬高校放送局の生徒たちの作品の発表があります。
日 時:3月4日(日)13:00〜「福島県立相馬高校放送局震災を伝える」(120分)
         15:20〜相馬高校クロニクル主宰・元相馬高校放送局顧問 渡部義弘
場 所:ギャラリー古藤(江古田駅南口徒歩6分)
映画祭は2月24日から3月11日まで、多彩な作品で開催されています。
https://www.facebook.com/ekodaeigasai
HPは「ギャラリー古藤」で検索してください。           

いちえ


2018年2月12日号「お知らせ」

チベット関連の催し2件のお知らせです。
◎映画上映会
 以前にもお伝えしましたが、再度お知らせします。
2月24日(土)北大塚のシネマハウスで映画上映会を催します。
『チベット今昔物語 ミニヒマラヤ映画祭』
上映作品
①13:00〜
『秘境ヒマラヤ』1957年西北ネパールのドルポで撮影された秘蔵映像。
上映時間78分。上映後トーク:渡辺一枝
②15:30〜
『ぼくの村は天空にある』自らの故郷を2010年より記録したチベット自治区の素顔。
上映時間56分。上映後トーク:ロディー・ギャツォさん
 この映画祭の収益は、チベット人学生の奨学金に充てます。
*お席が少なくなってきています。
参加ご希望の方は、お早めに tibetcinema.com へお申し込みください。

◎渡辺一枝トークの会
「私の出会ったひと・もの・こと」と題して、チベットの話をします。
日 時:3月4日(日)15:00〜17:00
場 所:チベットレストラン&カフェ タシデレ
         新宿区四谷坂町12−18 四谷坂町マンション1F
           都営地下鉄新宿線「曙橋駅」A4出口から4分(409m)
           JR「四谷駅」四谷口下車8分。「市ヶ谷駅」下車12分
          東京メトロ丸ノ内線「四谷3丁目駅」10分
参加費:1000円(バター茶またはチャイ付き)
要予約:03−6457−7255 タシデレまで。             

いちえ    

チベ映画2018


2018年2月10日号「2月8日裁判傍聴と原子力規制委員会への要請書提出」

 2月8日は10:00〜12:00「福島原発事故刑事訴訟」第3回公判が東京地裁第104号法廷で開かれ、15:30〜は、原子力規制委員会への要請行動がありました。

◎福島原発事故刑事訴訟 第3回公判
●傍聴券入手、そして入廷
 傍聴券配布は8:20〜9:00なので、7時40分に家を出ました。
地裁前に着くと、そこには既に武藤類子さんや佐藤和良さんの姿があり、早朝に出てこられたのだろうかそれとも前夜は東京に泊まられたのだろうかと、これから幾たびも続く公判に参加されるご苦労を思いました。
 9時に抽選発表があり、67席分の番号が貼り出されました。
私は幸い傍聴券を手にすることができました。
この裁判の傍聴は前回の第2回公判に続いて2度目のことですが、それ以前に私が関わってきた、そして今も関わっている裁判はどれも民事訴訟で、刑事訴訟は、これが初めてでした。
民事訴訟と刑事訴訟では傍聴者の入廷の手続きに大きな違いがあることを前回初めて体験し、その物々しさに驚きました。
 まず104号法廷の入り口近くで係官に当選番号の記された紙を見せ、荷物を預ける場所に進み、そこで荷物を預けます。
法廷内に持ち込めるのは貴重品と筆記用具、他はちり紙ハンカチのみです。
携帯電話、スマホ、カメラなどは持ち込み禁止です。
荷物を預けて荷札を受け取り、並びます。
一人ずつ係官の前に進み手にした筆記具などをトレーに入れ、金属探知機でボディチェックを受けます。
それが済むと男性は男性の、女性は女性の係官の前に進み、今度は係官の手で体を触られてのボディチェックです。
そしてトレーの荷物を取って係官の前で、ノートはページをパラパラめくり、筆箱は開けて中を見せという具合に“入念な”チェックを受けて、法廷前の廊下に並ぶのです。
10人ほど座れるベンチもあるのですが、そこに順に並んですわり、その後は廊下に貼ってあるテープに沿って並んで立ちます。
ベンチの列には1の番号が廊下の床に貼ったテープは3本あって、2、3、4と番号が付いています。
先にセキュリティチェックを受けた人から順にそこに並んで、全員のチェックが終わるまで待つのです。
全員のチェックが済むと、1列目の人から順に入廷するのです。
 前回私は、その物々しさに驚きながらも、刑事裁判だからこのように厳しいのだろうと解釈して、このあり方に疑問も持たずにいました。
ところが今回、チェックを受けるのに並んでいた人たちの何人もから「なにこれ、気持ち悪い」「なんでこんなチェックがあるの?」という声が上がりました。
私が「刑事事件だからじゃないですか」と言うと、「これまで刑事事件でも、こんなチェックはなかった」と言う人もいて、私は自分の知ったかぶりを恥ずかしく思いました。そしてチェックを受けた後で入廷まで並んで待つ間、係官にこの厳重なセキュリティチェックの理由を聞く人もいました。
耳の悪い私の聞き間違いかもしれませんが、係官は「裁判長の意向です」と言ったように聞こえました。
また、「オームの時もこんなだったんですか?」と問う人もいて、そうだったと答えが返ったそうです。
係官の服装も民事とは違うのです。
民事は紺色のスーツですがこちらはカーキ色の制服で、それもまたなにやら物々しい感じです。
 こんなことを通して私は、私自身の甘さを痛感しました。
もっと疑問を持たなければ、と学んだことでした。

●刑事訴訟第3回公判
 開廷前にカメラが入りましたが、今回もまた被告席は空席のままの撮影でした。
被告の3人、勝俣、武藤、武黒の3人は撮影後に入廷し、3人が着席して裁判は始められたのでした。
 第3回公判では、検察官役の指定弁護士と被告側の弁護士が追加の証拠を提出しました。
被告側は、平成14年に公表された福島沖の地震の可能性について内閣府の中では「信頼性が明らかでない」という意見が出ていたことを示すメールを提出しました。
また、原発事故の後で東電が行ったシミュレーションを図表で示し、当時の想定に基づいて原発敷地の南側に防潮堤を建設していたとしても事故を防げなかったとする結果を証拠として提出しました。
検察が3人を不起訴にした際の捜査結果をまとめた資料の中には、「23m以上の防潮堤が必要だった」などと記されていたともいいます。
 被告の陳述は言葉だけではなく左右の壁に映像が映されて可視化されてはいるのですが、首を捩じらなければ見えず、また文字などが読み取れず首も頭も痛くなり、途中からは集中できなくなってしまいました。
 隣に座った男性はメディアの人だったのでしょうか、法廷の様子をずっとスケッチしていて、裁判官、検察官役弁護士、陳述する被告側代理人やその後ろの被告の姿を1枚の上に描いていましたが、描き終えるとさっと席を立ち退廷しました。
 12:00ころ閉廷、預けた荷物を受け取って裁判所を後にしました。

◎原子力規制委員会へ
 15:30、六本木のファーストビル前に行きました。
ここは、原子力規制委員会が入っているビルです。
委員長の更田豊志氏が発言した「トリチウム海洋水放出」に抗議しトリチウム水の安全な保管を求める要請書を提出するためです。
先月、武藤類子さんから要請への賛同団体を求めるメールが届き、「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」として即座に賛同したのでした。
そしてこの日の要請行動に参加しました。
賛同団体は144団体に上りました。
 ファーストビル前での抗議集会では、脱原発福島ネットワークの佐藤和良さんの「原子力規制委員会は、『原子力規制緩和委員会』ではないか」の言葉に、深く頷きました。
トリチウム汚染水を海に流すなど、とんでもない暴挙です。
断じて許せません。
 規制委員会では入室を拒みましたが、4時に職員が要請書を受け取りに出てくると言い、私たちはそれまでそこで抗議のスピーチを続けました。
4時、職員が来て佐藤さんが要請書を渡し、30日以内に返答を求めたい旨告げました。
確実に返答をもらうために佐藤さんはその職員に名刺を求めたのですが、彼は手持ちしていないと言い、名刺を取りに行ってもらいました。
取りに戻った彼はビル内に消えましたが果たして名刺持参で戻ってくるかと案じましたが、数分後に戻ってきて佐藤さんに名刺を渡しました。
更田委員長からどんな返答がくるか、30日後が待たれます。
提出した要請書を添付します。      

◎福島原発刑事訴訟支援団
 最初にお伝えした刑事訴訟は、今後も続々と公判が控えています。
次回第4回公判は2月28日10:00〜17:00です。
これと併行して参議院議員会館で、院内集会を持ちます。
院内集会は昼休憩を挟んで、11:00〜16:30頃まで、参議院議員会館B107室です。
第5回以降の公判期日は以下になります。(時間はいずれも10:00〜17:00)
【4月】10日(火)、11日(水)、17日(火)、24日(火)、27日(金)
【5月】8日(火)、9日(水)、29日(火)、30日(水)
【6月】1日(金)、12日(火)、13日(水)、15日(金)
 3人の被告が存命の内に決心して欲しいと思いますが、このように日程が詰まっているのは何か魂胆があるのでは?と勘ぐってもいます。
国、あるいは皇室の動きと、無関係ではないのでしょう。
支援団の仲間たちと交わす会話は、「◯◯(被告の名)より先に死ねないから、元気でいましょうね」です。                         

いちえ

トリチウム水安全保管要請書


2018年2月10日号「警視庁機動隊沖縄への派遣は違憲」住民訴訟

 1月24日(水)10:30〜、東京地裁第103号法廷で件名の訴訟第5回口頭弁論が開廷されました。
 法廷内では被告側からの陳述はなく、原告代理人から証人申請の陳述と原告本人の意見陳述がありました。
◎103号法廷
●証人申請
 9人の証人を申請したい。
沖縄から東村村会議員の伊佐真次さん、北上田毅さん(沖縄平和市民運動連絡会)、安次嶺さん(高江住民)、宮城さん(やんばるの森の蝶など自然研究者)、小口さん(弁護士)、古賀さん(高江の運動の映像記録を撮っている)、原告の田中さん、警視総監2名の計9名を申請したい。
●原告意見陳述 斎藤さん
 2017年12月13日、沖縄県の普天間基地に隣接する小学校の校庭に、米軍ヘリの窓が落下する事故がありました。
沖縄県知事の申し入れにもかかわらず、米軍は事故の6日後には同型のヘリを飛行再開し、せめて小学校の上を飛ばないでくれという校長の要請も聞き入れられませんでした。
あたかも日本国憲法を見下すようにして米軍機が沖縄の空を飛び回り、県民の基本的人権が踏みにじられています。
高江でのヘリパッド建設によってその危険性と被害はさらに拡大しつつあります。
 沖縄でヘリパッド反対運動の弾圧を行った警視庁機動隊の派遣費用が、東京都民の税金によって賄われている以上、この法廷にいる全員が当事者であり、沖縄県民に対する加害責任を負っています。
私が高江に行った時、機動隊員は道路を封鎖して違法な検問を行い、法に反して力ずくで私たちの通行を妨害しました。
機動隊は住民の生活を混乱と恐怖に陥れました。
法の番人として義務を負う武装した集団が、自ら法を無視して市民を暴力的に威圧していたのです。
司法がそれを正そうとしないなら、それは法の支配に名を借りた、単なる暴力による一方的な凌辱と抑圧にすぎません。
裁判所は厳粛な場です。

そこでは時に人命をも左右する決定がなされます。
法廷は日本国憲法で規定された基本的人権に基づく、法の支配を行うためにあります。
三権分立・司法の独立ということは学校で教わることです。
憲法76条、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」。
司法は政府や警察から独立した公正・中立なものであり、憲法に基づく法の論理が貫かれていなければなりません。
裁判所の権威はこの前提に基づいています。
しかし、もし何人も司法の独立を信じ、それを擁護しないのならば、どこに司法の独立と権威があるのでしょうか。
私たちは沖縄県民を踏みつけている私たちの汚れた靴を今すぐどかすべきです。
そして、法を踏みにじって暴力と脅迫を行った警視庁から、私たちの税金を取り戻し、憲法で保障された自由と人権を取り戻したい。
裁判所がこの住民訴訟の意義を正しくとらえ、司法の厳粛なる役割を果たすことを求めて、私の意見陳述とします。
◎報告会
●高木一彦弁護士
 前回のやり取りに基づき、今回は新たな請求を出した。
高江へ派遣された機動隊には特殊勤務手当、超過勤務手当が支給されていただろうが、これらは本給とは違い高江への派遣ということで支給されたのだから、よりこの住民訴訟に即した具体的な請求であり即した内容だ。
 都は金額を明らかにしていないが、裁判所はこちらが金額を明らかにしなくても都では判っているだろうから、特殊勤務手当、超過勤務手当支給は違法とする内容で請求すれば、裁判所としては受け止めるということだった。
だから金額はわからないが、特殊勤務手当超過勤務手当も賠償の対象になる。
裁判所が受け止めたのだから、都側がこれを受けて金額を明らかにするかどうかが注目される。
 警視総監が違法な給与の支払いについて責任を負うということで裁判を進めてきたが、これに対し都側の方は文句をつけてきた。
このことについて裁判所側から違う方法をとったらクリアできると示唆されて法律構成を変えて改めて出した。
 基本的な法律論争はこれまでで出尽くされているだろうから、これからは実態の問題で、中身の審議に入るべきである。
 裁判所から示唆があったが、高江への機動隊派遣の違法を立証するために証人の申請をしようということで、証人申請をした。
9名の証人申請をしたが、内7名は沖縄関係者と原告で他は警視総監2名だ。
裁判所はどういう証人をどういう方面で聞いていくか、もう少し検討したいということだ。
 裁判所から今日出されたのは、事実関係について詳しく主張を出し、それが法律上どういう意味を持つかも明らかにしてもらいたい、そのような準備書面を次回期日までに出して欲しいということだった。
 もう一度提訴の段階に立ち戻って、高江で機動隊が何をやったのか、具体的にどういうことをし、どのような被害を及ぼしたのかを、改めて検証して詳しく主張した準備書面を次回までに出したい。
次回も今日と同じく30分くらいの法廷だが、私たちの意見を詳しく陳述することになる。
●弁護士(お名前がわかりません)
 これまでせめぎあってきた形式論、入り口の論争に結着がついて、これからは実際に、なぜ違法なのか、どんな違法がなされたのか、だから返さねばならんという議論に入る。
ただ、裁判所が本気で調べようとするか、それとも形式的に早く終わらせようとするか、まだ判らない。
 これまで入り口の論争ばかりやってきたので、あの時期に東京の警視庁から機動隊が行って住民弾圧したことがなぜ違法で、なぜそれに対して給料を払うのが違法かについて深まっているという気がしていなかった。
そこに入るかどうかの入り口での議論がいろいろあったので、そこに我々も神経を集中していた。行政法学者にも助けてもらい、そこを乗り越えた。
 裁判所が、もっと詳しいことがあるだろう、もっと言いなさいと言ってきたのは、法律家の目からいうと、裁判所はきちんとしていると思った。
ただ、それが出たところでほとんど証人の採用もせずに、言うだけのことを聞いたからもう終わりということになるかもしれない。
 ここはせめぎ合いだから、今度我々がどういう書面を出して、こんなことが行われたから違法だということを誰の目にも明らかになるような書面が書けるかどうかが試金石となる。
我々の力と皆さんの運動が問われている。
ただ一つの朗報は、1月16日に那覇地裁で出された三宅弁護士に対する警備行動は違法だという判決で、これは大きな力だ。
単なる偶発的なことでなく、繰り返し行われていた。
従って住民だけでなく現場に近づけなかった。
それについて検問には法的に何の根拠もなかったことが明らかになると、あそこで行われている警備行動が、相当違法だということを裁判所としては認めざるを得ない。
全体としてそういうことになった。
 機動隊が違法ということを我々がどこまで言えるかということなので、証人申請で証人からいろいろ聞けることを我々も集約して、裁判所にこれを証人から聞いてくれとしていかなければならない。
●弁護士(この方のお名前もわかりません)
 証人申請したことで、証人がどのような立場の人かを述べた。
原告の田中さん、東村の伊佐さん、北上田さん、安次嶺さん、宮城さん、小口さん、古賀さん、警視総監2名の計9名だ。
●弁護士
 高江はとても綺麗な土地で、蛍も多く星も綺麗だ。
そういう自然豊かな美しいところなのに、ヘリパッドができて騒音と危険を感じている。
高江の人たちに対して信じられないくらいの負担を、北部訓練所は与えている。
それに対してどういう立証をしていくかが、我々の課題だ。
伊佐さんたちが証人尋問できるように頑張っていきたい。
●意見陳述した斎藤さん
 我々一人ひとりの力で、この裁判を持続してしっかりした裁きを下してもらうように、司法の正しい姿勢を示してもらうように、支えていきたい。
◎質疑応答
Q:機動隊とは何か?
 警視庁の職員になると、いろいろ配属されて機動隊に回されるのだろうが、以前に聞いたことがあるが、機動隊は非常に厳しい訓練がされる。
泳げないのに水に入れられて、頭を抑えられて泳がされるなど暴力的な訓練や、寮生活で精神的に追い詰められて、そのはけ口のように暴力的になると聞いたことがある
誰がどうやって機動隊に配属されるのか?
A:どうなのか詳しくはわからない。
だが警視庁の内部組織なので、普通の辞令で配属されるのだろう。
警察学校を卒業後1〜3年の若い警察官の中から配属されるのではないか。
 大事な点だと思うから調べてわかったら情報を皆さんと共有すべくお知らせする。

*この日の傍聴は90名と、やや少なく、傍聴席を埋め尽くせませんでした。
傍聴者の数は裁判の行方に影響します。
次回の公判は3月14日(水)11:30開廷です。
傍聴券抽選の場合がある


2018年2月9日号「南相馬・避難20mSv基準撤回訴訟」傍聴報告

 1月22日は東京地裁103号法廷での、件名の第10回口頭弁論期日でした。
閉廷後、参議院銀会館で報告会がありました。
大変遅くなりましたが、報告です。
●この裁判は
 この裁判は、年間20ミリシーベルトという基準で国が避難解除をしたことの是非を争点としています。
2014年12月、政府は南相馬市の特定避難勧奨地点について、年間積算被ばく線量が20ミリシーベルトを下回ることが確実になったとして避難解除し、その後順次支援策や賠償を打ち切っています。
これに対して地点に指定されていた世帯や近隣の世帯、合計808名が、解除の取り消しなどを要求して2015年4月•6月に国(原子力災害対策現地本部長)を相手取り提訴したものです。
●原告の主張
 原告は、次の3点から20ミリシーベルト基準での特定避難勧奨地点の解除は違法であることを主張しています。
①公衆の被ばく限度が年間1ミリシーベルトを超えないことを確保すべき国の義務に反する。
②政府が放射線防護の基準として採用している国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に反する。
③政府が事前に定めた解除の手続き(新たな防護措置の実施計画の策定、住民等の意思決定への関与体制の確保)を経ることがないまま解除を強行した。
●これまでの9回の裁判期日の経過と現状
 そもそも特定避難勧奨地点の解除について、これを争う裁判が可能なのか(処分性の有無)という入り口論が争われてきました。
原告からは訴状に記載した解除の違法性をさらに論証する為に追加の主張立証を行ってきました。
①第2回期日
 国のいう「裁判に当たらない」に対して、その処分性に対する反論を主張。
②第3回期日
 現地の放射能汚染状況について、「ふくいちモニタリングプロジェクト」が作成した空間線量のメッシュ地図を提出。
③第4回期日
 南相馬市や国の資料に基づき、解除に易々たる意思決定の過程で住民が参加する機会がなく、住民の声を無視して解除が強行された事実を主張。
④第5回期日
 原告の陳述書、計21通を提出し、原告が放射能汚染に対して不安を抱えていること、解除によって住民が帰還を強要されていることを主張。
「ふくいちモニタリングプロジェクトが行った原告の原発事故当時の自宅の放射線量に基づき、原告の95%以上の世帯について、推計年間被ばく線量が、公衆の被ばく限度とされている1ミリシーベルトを超えることを主張。
 同プロジェクトが行った原発事故当時の自宅の土壌汚染状況を明らかにする資料も提出し、原告の96%の世帯で、放射線管理区域の基準に相当する1平米あたり4万ベクレルを超えるセシウム137に汚染されていることを主張。
⑤第6回期日
 原告の準備書面8を提出し、地域メッシュモニタリングの結果に基づき、原告らの居住する地域の土壌汚染状況について主張。
 準備書面9を提出し、原告の陳述書に基づき、本件解除が手続き上の要件を欠いた違法のものであること。本件解除が非指定世帯との関係でも国賠法違法であること、そして解除に対する原告の想いについて主張。
 被告の求釈明事項(原告に対し説明を求めている事項)に対して回答を提出。
「平成23年7月19日付原子力安全委員会による『今後の避難解除、復興に向けた放射線防護に関する基本的な考え方』及び平成23年8月4日付の原子力安全委員会による意見」が、特定避難勧奨地点の解除の際の基準となること等について説明。
また、本件解除手続きの違法を主張する際に根拠をする法律が、改正前原災法であることの理由について説明。
⑥第7回期日
 本件訴訟の前提とされるべき放射線の健康影響に関する科学的知見について主張。
具体的には、被告の主張の根拠である低線量ワーキンググループの報告書には、人選の偏り、検討期間の短さ、ステークホルダー(利害関係人)の欠如という問題点があることを指摘し、近年の科学的知見に基づく放射線の健康影響に関して主張。
⑦第8回期日
 本件訴訟の前提とされるべき放射線の健康影響に関する科学的知見について主張。
原爆放射線の人体影響及びチェルノブイリ原発事故での人体影響に関する調査研究について取り上げ、放射線の人体影響が明らかになるには長期間の歳月が必要であるにもかかわらず、低線量WGの報告書はこの点を無視していることを主張。
 原子力安全委員会による「防護に関する考え方」及び「解除に関する考え方」の法的位置付け似ついて、これらが本件解除に当たって原子力災害特別措置法に基づく原災本部長の裁量行使の基準となることを主張。
 解除手続きの違法性に関する被告主張に対する反論。
⑧第9回期日
 ❶本件解除がICRP勧告の放射線防護の原則に違反することに尽き被告の意見に反論しながら補充し、❷本件地域の放射線量(公衆の被ばく限度)や、❸土壌汚染について考慮することなくなされた解除は違法であることを主張。

◎報告会
●福田健治弁護士
 原告側は本日の期日に向けて提出していた2つの準備書面について、原告代理人が説明をした。
*準備書面15
 「特定避難勧奨地点」の設定は、法律に根拠があるのかを争点としている。
原子力特別災害措置法(原災法)という法律に基づいて、避難区域・警戒区域・計画的避難区域の指定が行われている。
同時に特定避難勧奨地点は、この法律に基づく緊急事態応急対策として行われた。
従ってこの解除、いつ解除していいのかにあたっては、当時「原子力安全委員会」が一連の意見を出しているので、この意見に従って解除すべきなのに、今回は住民の声も聞かず一方的な解除が行われた。
これが、違法の一つ。
 被告は、「そもそも地点の指定・解除は原災法に言う所の緊急事態応急対策に該当しないから、原子力安全委員会の意見に従わなくて良い」と後付けで主張を出している。
被告の言い分は、「緊急事態応急対策は緊急とあるのだから、そもそも直ぐにやるものだけがこれに当たる。しかし、特定避難勧奨地点指定は2011年7月の指定だったので迅速ではなく、だからこれに当たらない」
こんなおかしな屁理屈を言っている。
国が迅速にやっていなかったんだろう!ということなのに、ひっくり返ったことを言っている。
 もう一つ放射線の健康への影響が大きな論点になっている。
最近の知見を含めて主張したところ、国は100ページもの大規模な反論を出してきた。
これから、それに対する反論を出していく。
 特定避難勧奨地点が解除されて原告は不利益を被っていること、避難の権利が侵害されているというのがこの訴訟だが、その二つの大きな影響は❶東電からの賠償の打ち切り❷応急仮設住宅供与の打ち切りだ。
この裁判を始めた段階では、住宅供与は打ち切られていなかったが、昨年3月で打ち切られ、今回この問題が出てきたので、これについて追加の主張を行った。
現実問題として辛い状況にあるのだが、期日はだいたい3ヶ月ごとだが、その3ヶ月の間に2回、裁判の報告として原告の方202世帯808名の方に通知を出している。
そうすると3月4月の間に転居先不明でだいぶ戻ってきてしまう。
応急仮設住宅の打ち切りによって、避難の権利に明確な影響が出ている。
戻らざるを得なくなっているのかと、胸が痛い。
 訴訟はそろそろ終盤に差し掛かっていて、これから被害の状況を法廷の中で話していただく本人尋問で進めていきたい。
 もう一つ大きな影響があると思われるのは、3月で裁判長が移動になるだろうということだ。
彼がどういう人かは別だが原爆症の認定の関係で東京の集団訴訟の判決を彼が書いていて、それはまぁまぁ良い判決だったので、少なくとも放射能に関しては一定の関心がある人かなという感じはあるが、おそらく3月で移動になり、次の裁判長がどういう人かを、注目しているところだ。

●「ふくいちモニタリングプロジェクト」中村さんからの報告
 1月に原告の内の15世帯の宅地内の土壌汚染測定をした。
宅地内4〜6ヶ所、15世帯で63ヶ所の測定をした。
その結果は平均で403,000ベクレル/平米、高いところでは2,000,000ベクレル、低いところで10数万ベクレルだった。
2015年よりも高くなっている。

*この日は前の晩からの雪が朝の内はまだ降っていたのですが、傍聴席はいっぱいになりました。
南相馬からの原告団は、バスでの帰路が案じられたために報告会には参加せずに閉廷後南相馬へ戻りました。                        

いちえ


2018年2月9日号「安保法制違憲訴訟傍聴報告②」

◎安保法制違憲訴訟・国家賠償請求事件
1月26日(金)13:30、東京地裁第103号法廷で開廷。
第6回口頭弁論のこの日の法廷では原告本人尋問があり、7名の原告が尋問に応えました。
尋問は原告代理人の弁護士が原告の被害について簡略に述べた後、弁護士が原告に尋問し原告が答えるという形で進められました。
●横湯園子さん(戦争被害他)
⑴証すべき事実
 原告は、教育心理学、心理臨床の専門家であり、いじめ被害者やDV被害者の救援の活動をしている。
原告は空襲体験時の肉片や焼死体の映像を鮮明に覚えており、現在でも頭付きの焼き魚を見ると焼死体を思い出し、食することができない。
レアなステーキを見ても気分が悪くなる。
東日本大震災(3・11)後に東北を訪問した際にも、戦時中グラマン機で追い回され狙撃されたことや、爆撃後に母親を捜す少年の姿がフラッシュバックしたこと。
 原告の心の深奥で警鐘が鳴り出したのは特定秘密保護法が制定された頃で、全国的な行動を起こしたこと。
その後集団的自衛権の閣議決定がされ、危惧は現実となった
 また原告には、子どもや青年の間での神経症、トラコーマ、結核の増大から、戦争の兆候を見て取っていること。
 安保法制により日本国が再び戦争へ向かっていくために、原告を含む原告らはその心の傷を掻き毟られ抉られて多大な精神的苦痛を受けていること。
⑵尋問事項
1原告の経歴
2教育臨床心理学とはどのような学問であるか。
 心理臨床専門家としてどのような活動を行っているか。
3静岡県沼津市の空襲を経験したか。
4沼津空襲について記憶にあるのはどのようなことか。
5東北大震災3・11後の東北訪問したことはあるか。
6東北訪問でどのようなことを経験したか。
7安保法制法の制定について、教育心理学、心理臨床家として、どのように受け止めて
 いるか。
8安保法制成立の直前からの政権の動きによる女性の権利侵害を感じ女性の行動レッ
 ドアクション「女の平和」を企画し国会を包囲し、その動きが全国的な女性の行動に
 波及していったことについて。
9関連事項
●清水民男さん(障害の息子の親)
⑴証すべき事実
 原告の長男は生まれつきの内部障害があり、出生直後それがわかると苦悩したが、幼少時に友達からいじめに遭うのをかばいながら大切に育ててきたこと。
長男の障害は、心臓の疾患で300mほど歩くと息が苦しくなり休んではまた歩くことになるような症状であること。
 しかし内部障害であるため、怠けている甘えていると見られることが多くて辛い思いをしてきた。
 安保法制により戦争に駆り出されたり、作業に就かされることがあれば障害と見えず、無理を強いられるのではないか不安であること。
 茨城に住むのでテロで原発に事故が起きれば逃げることは難しく、息子は家族に「置いて逃げて欲しい」と考えていることを原告は知らされたことなど、安保法制により社会が変わる中、障害を持つ子を持つ父の苦しみについて。
⑵尋問事項
1原告の育った環境(母親の戦争被害の体験、父親の社会への思いと活動)について
2原告のこれまでの生き方と退職後の挑戦について
3原告の息子さんは障害を持っているが、どのような障害か
4障害を持つ息子さんのこれまでの生活と今の生活状況
5障害を持つ息子さんに対する思いについて
6息子さんも原告であるが、息子さんがこの安保法制についての被害を語っているその
 思いを聞いて
7新安保法制法の制定により、原告自身はどのような不安、苦痛を受けているのか
8原告が、本件訴訟の原告になることを決意した理由について
9その他、本件に関する一切の事情について
●平原ヨシ子さん(原爆被害)
⑴証すべき事実
 長崎の原爆被害を17歳で体験した原告は、爆心から3、6kmのところで建物に逃れ助かったが、街は地獄絵図のような状態になった。
被爆者は髪が抜け落ちたり、黄色い寒天のようなものを吐いたりしていた。
手の皮がむけて垂れていた姿はちょうどトマトの皮を湯剥きした時のようでその姿は忘れられず、原告は今でもトマトの湯剥きができない。
被爆体験とその被害の甚大さ、遭遇したことによるトラウマが消えることのないことについて。
 戦争中は一人でも多くの敵を殺せと言われ、原告がその製造を手伝った魚雷が敵艦に命中するとお祝いした。
洗脳されていた。
敵にも家族があるということが、分からないような状態になっていた。
当時の洗脳状況と安保法制による戦争への接近を感じる恐怖について。
 安保法制の成立により、人の心を歪め、人を傷つけ、生涯癒えることのない心の傷を残す戦争に接近していることを感じ、被害体験も蘇り苦しんでいる。
⑵尋問事項
1原告の生い立ちと経歴
2アジア太平洋戦争における原告及び家族の体験
3 1945年8月9日の長崎での被爆体験
4被爆体験によるトラウマ
5日本国憲法が原告に与えた意味
6その後の平和憲法に支えられた原告の生活と活動
7新安保法制法制定による原告の被害内容
8違憲訴訟を決意させた理由
9その他本件に関する事項
●新倉裕史さん(基地周辺住民)
⑴証すべき事実
 横須賀基地問題との関わりについて。
 横須賀基地の概要〜米海軍の構成、任務など。空母、艦船とその活動の特徴などにつ
いて。
 横須賀基地における海上自衛隊について。
 安保法制と新ガイドラインによる、米海軍と海上自衛隊の役割、機能、相互関係の変化について。
 横須賀を母港とする原子力空母その他の原子力艦船の危険性について。
 安保法制の成立・適用によって、増大した危険性について。
⑵尋問事項
1地位・経歴等と横須賀基地問題とのかかわり。
2横須賀基地の概要。
3横須賀基地における米海軍の構成、任務等。空母をはじめとする艦船とその活動の特
 徴など(ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争のとき等)。
4横須賀基地における海上自衛隊の構成、任務、その活動の特徴等。
5安保法制と新ガイドラインによって、米海軍と海上自衛隊の役割、機能、相互関係は
 どのように変化しつつあるか。
6 2017年5月に実施された横須賀基地から出港した自衛隊護衛艦「いずも」による
 米軍艦船の武器等防護は、横須賀市民にどう受け止められたか。
7横須賀を母港とする原子力空母その他の原子力艦船の危険性。原子力災害の現実性、
 想定される被害と市民の不安。
8基地の街に暮らす原告ら市民にとって、基地が戦争やテロの攻撃対象となる危険、脅
 威はいかなるものか。例えば9・11のとき、米軍はどう動いたか。
9安保法制の成立・適用によって、基地の町に住むことの危険性は増大したか。
10 原告が45年間、反基地、平和運動を続けてきたのはなぜか。その原告にとって
 安保法制の制定はどのような意味を持ったか。
11 その他関連事項。
●渡辺敦雄さん(元原発技師)
⑴証すべき事実
 原告は、福島第一原子力発電所などをはじめとして、約20年間原発の基本設計を担当したこと。
 原子力発電所の危機管理は脆弱であること。
 歴史的には原子力発電所は。これまでも空爆に遭ってきたし、9•11の際、ニューヨーク州の原発もテロリストの攻撃対象の一つだったこと。
 原発は空からの攻撃だけでなく、近傍送電線や使用済み核燃料を保管する燃料プールも狙われやすいこと。
しかし、日本の原発はテロ対策は何もしていないといっても過言ではないこと。
 原発の被害は長年月に影響を残すこと。
 安保法制により、原子力施設が空爆される恐れが高まり、原発破壊による放射線拡散の危険が極めて高くなったこと。
⑵尋問事項
1原告の経歴、特に原子力工学に関する知識経験について。
2原子力施設の構造について。
3原子力施設の設計の際、ミサイル攻撃やテロ攻撃に対する対策は取られているか。
 取られているとすればどのような対策がなされているのか。
4原子力施設をミサイル攻撃やテロ攻撃から防ぐことは可能なのか。
5原子力施設に対するミサイル攻撃やテロ攻撃等の実例について。
6日本の原子力施設ミサイル攻撃やテロ攻撃が行われた場合、どのような事態が想定さ
 れるか。
7新安保法制の制定の前後で、原子力施設に対する攻撃の可能性が固まっていると考え
 るか。また、そう考える根拠について。
8新安保法制の制定により、原告自身が受けている不安、苦痛の内容について。
9原告が、本件訴訟の原告になることを決意した理由について。
10 その他、本件に関する一切の事情について。
●菱山南帆子さん(若者〜障害者施設職員)
⑴証すべき事実
 20代後半の原告が「貧困」「差別」「戦争」が人々の間に憎しみを生むことを学んできたこと。
 皆同じように幸せに暮らしたいと願い、原告が社会に訴え、行動してきた事実について。
 安保法制の成立については、多くの人と一緒になり、またそれを代弁して市井の人々の声を政治に届けようと行動していることについて。
 主権者として原告や、他の市民の声が無視されて安保法制法が制定されたことが、憲法で保障された権利の侵害だと強く感じていることについて。
 特に、憲法を変えることができるのは自分たち主権者だけだと考えているにもかかわらず、政府が勝手に憲法の規範内容を変更してしまったことへの怒りと失望、苦しさについて。
 先輩の大人たちがやっている政治が自分たちの声を聞き入れない憲法違反のものであることに対する怒りと悲しさについて。
 それでも諦めずに闘おうとする原告の思いについて。
⑵尋問事項
1 1989年4月に生まれた原告の生い立ち
2原告の発想の原点となった戦争のことや戦争で肉親がなくなる悲惨さをどのように
 して学んだか。
3小学校時代、担任の差別発言に抗議したこと、そのことは間違っていないと指導して
 くれた教師に出会ったことなど、小・中学校の頃に身につけた価値について。
4読書をして学びながら、集会参加などの実践を重ね「社会はすべて自分の生活に繋が
 っていることを自覚し、私自身が世界にリンクできた」と感じた小学6年生の頃のこ
 となど。
5たとえば、現在の職場である障害者施設で、人手が足らずオシメ交換が間に合わず
 お漏らしをすることでベッドのスプリングが錆び、障害者がでこぼこのベッドに寝さ
 せられる福祉の貧しさ等の現実に直面し、憲法が保障する権利の重要性を認識した
 ことで感じる社会の矛盾への憤り。
6憎しみの連鎖を断ち切るために「貧困」「差別」「戦争」の三つの原因をなくすことが
 必要だと考える原告が、主権者であるのにその声を無視して成立させられた戦争法=
 安保法制に対して思うこと
7憲法改正しなければできないと考えていたことを主権者たる自分の意思を無視して
 強行されたことで、どれほどの苦痛を受けたか。
8原告が、本件訴訟の原告になることを決意した理由について。
9その他、本件に関する一切の事情について。
●安海和宣さん(東南アジアで布教)
⑴称すべき事実
 子供時代、日本がかつて侵略したインドネシアで暮らし村人や友だちから排除された
が、布教をする父は「かつて、日本軍は刀を持ってこの地にやってきた。しかし今、私は平和の福音を携えてこの地に戻ってきました」と語りかけ、現地の人々に受け入れられていったこと。
 9•11の時アメリカに留学していた原告は、アメリカが愛国心を喚起し戦争に突入していった状況を目の当たりにしたこと。
 安保法制法が成立し、日本が海外、とりわけアジアの国々から信頼を失うことが不安であり辛く恐ろしいこと。
 日本が9•11以降のアメリカに似てきていることを感じる等。
⑵尋問事項
1プロテスタント教会の牧師となった動機
2インドネシアで15歳まで生活して、何を学んだか。日本人ということで差別された
 ことがあるか、その理由とそれが解消された理由。
3アメリカへは何歳の時に、何の目的で行ったのか。
4アメリカでは何を学び、どんな経験をしたか。
5日本での牧師としての活動。
6日本国憲法の理解、特に9条と20条について。
7キリスト者にとっての平和の価値、安全保障について「平和つくり人でありなさい」
 という教えの実践について。
8新安保法制法の本質をどう理解しているか
9新安保法制法の制定によって、どのような危惧と精神的苦痛を感じているか心に本当
 の平和がないと、真の意味での平和づくりはできないという信念について。
10キリスト教牧師としての使命をどう考えているか。

★尋問は原告代理人弁護士が尋問事項に沿って、証言台の原告に丁寧に言葉をかけて思いを引き出していきました。
7人の方の尋問への答えは、どなたの答えも深く胸に染み入りました。
聞きながら、それぞれの体験やその時々の思いに私自身の心が誘われ、辛さを追体験する思いでした。
治安維持法でお父さんが獄中にある時、お母さんと二人でどこかの屋根裏に匿われていた時、数人の男が乱暴にその家に押し入ってきた物音に、お母さんは「声を出してはダメ、泣いてはダメ」と言ってしかと抱きしめてくれ、母娘で息を殺して潜んでいた幼い日の恐怖が70年を経た今でも蘇り、ドアのチャイムが鳴って見知らぬ人が立っていると、足がすくんで直ぐに応答できないなど、この法案が通ったことによって蘇り引き起こされる不安や苦痛が、どなたの言葉からも具体的に響いてきました。
原告の言葉は、きっと裁判官の胸にも響いたことと思います。
 原告代理人が尋問し原告が答え終えると、裁判官は被告に「何か質問は?」と、問いましたが、いずれの時も被告代理人は「ありません」で通しました。
私は、原告が話している間はずっと被告席に並ぶ面々を見ていたのですが、感情を押し殺しているのでしょうか、表情のない「顔なし」に思えました。
 次回の公判は5月11日です。
また2月21日は安保法制違憲訴訟・女の会の第4回口頭弁論期日です。
14:30〜103号法廷です。
多くの方に傍聴をお願いしたく思います。         

いちえ


2018年2月8日号「安保法制違憲訴訟傍聴報告①」

 2月5日「安保法制違憲差止訴訟」第6回公判が開かれました。
それより前の1月26日は「安保法制違憲国賠訴訟」の第6回公判がありました。
順は前後しますが、2件の裁判傍聴記録をお届けします。

◎「安保法制違憲・差止請求事件」第6回口頭弁論
 2月5日(月)10:30に、東京地裁103号法廷で開廷されました。
差止訴訟は原告が50名と少ないのですが、傍聴券抽選には97名が並びました。
98席の傍聴席ですから抽選なしで、全員入ることができました。
空席は一つありましたが、裁判官には傍聴席埋まって見えたでしょうから、良かったです。
 意見陳述は原告代理人弁護士の伊藤真さんと古川(こがわ)健三さんのお二人でした。
●原告代理人:伊藤真弁護士
 違憲審査権の意義と裁判所の役割について、新安保法制法の制定過程を踏まえ、諸外国との対比をしながら述べる。
1、民主的な政治過程との関係について
 違憲審査件(憲法81条)を行使する際には、私権保障型の付随的審査制を基本としながらも、それが憲法保障機能を持つべきことも十分に配慮しなければならない。
 その配慮とは、必要な場合に合憲性の統制に積極的になることである。
「必要な場合」かどうかの判断は、代議的自治の政治過程によって悪法を矯正できない状況にあったかどうかが、1つの指標となる。
 新安保法制法の審議過程において、国民の声は全く反映されていなかった。
声を聞くに不十分さと異常さが顕著な国会だった。
首相らの答弁が二転三転し、適法な委員会決議がないままに採決が強行された。
このように新安保法制法の審議過程における不十分さと異常さに照らせば、国民の声がそこに届いていたとは言いがたく、そうだとすると、裁判所は合憲性の統制に積極的に乗り出さねばならない。
2、統治行為論について
 仮に統治行為論を概念として肯定したとしても、本件訴訟は司法判断がなされるべき事案である。
砂川判決の統治行為類似の理論に従って今回の新安保法制法を判断するなら、「一見極めて明白に」違憲無効か否かの判断を避けて通れない。
 そもそも統治行為論は、政治問題については裁判所よりも国民の意思が直接反映されている国会で判断するほうが民主主義に適合するという考えに支えられている。
ところが先に述べたように新安保法制法は不十分な審議経過と異常な議決によって成立したのであり、統治行為論の前提を欠く。
こうした民主制の過程が機能しないにもかかわらず、統治行為論によって司法審査を避けようとするなら、それは司法の自己否定だと言わざるを得ない。
 また、統治行為論は、この理論の母国であるフランスでさえ制限されてきているし、アメリカ法における「政治的問題の法理」も、砂川判決に影響を及ぼした時代とは異なり、かなり制約された領域に関するものと解されている。
仮に、裁判所が本件で違憲審査を回避した場合には、憲法9条の法規範性が失われ、単なる理想条項になりかねないと園部逸夫・元最高裁判事は指摘し、「解釈改憲の果てしない継続は、日本における『法の支配』原理の終焉をもたらす」と、警鐘を鳴らしている。
3、憲法判断の回避について
 憲法判断回避の準則によって裁判所が自己抑制をすることがある。
しかしこれは、絶対的なルールではない。
むしろ類似の事件が多発する恐れがあり、明確な憲法上の争点があるような場合に憲法判断することは、学説上も是認されてきた。
この点についいて、芦部信喜教授は、憲法判断回避のルールによらず、憲法判断に踏み切る際に総合的に考慮すべき要素として「事件の重大性」、「違憲状態の程度」、「その及ぼす影響」、「権利の性質」をあげる。
これらの要素を当てはめてみても、新安保法制法の憲法適合性に関わる本件訴訟は、「憲法判断回避の準則」を適用できる場合ではない。
4、外国の違憲審査制
 日本国憲法の違憲審査制のあり方を考えるときに、日本と同様に立憲主義、法の支配、権力分立、民主主義、司法権の独立、そして基本的人権の保障などの憲法価値を重視している諸外国の違憲審査制のあり方が参考になる。
 アメリカやフランス、ドイツでは「人権保障」のために裁判所が積極的に違憲審査権を行使し、憲法違反との判決を下すことに躊躇しない現実がある。
アメリカでは最近でもトランプ大統領が出した入国禁止令に対し、様々な裁判所が積極的に違憲判断を下している。
 本件訴訟は、新安保法制法が違憲であるかどうかという憲法問題を問うものであり、こうした重要な法律問題を解決するために裁判所が積極的にその権限を行使するべき事案であることは、アメリカでの政治問題の法理の展開を見ても明らかである。
 フランスやドイツでも「憲法院」や「連邦憲法裁判所」の積極的な人権擁護の判断は、多くの国民の支持を得ている。
 なお近事は「付随的違憲審査制」(アメリカ型)と「抽象的違憲審査制」(ドイツ型)の両者が互いに歩み寄る「合一化傾向」があることも忘れてはならない。
例えば、アメリカ型では個々の権利救済が違憲審査制の一義的な機能とされ訴訟要件が制限されていたことが改められ、次第に当事者適格等を緩和するような運用が認められている。
それによってドイツ型のような客観的な憲法秩序保障に近いものがあると指摘されている。
5、裁判所と裁判官の職責
 新安保法制法をめぐっては、日本の裁判所は「人権保障」の職責を自覚し、違憲判断を行うべき緊急性が、アメリカやフランスの事例以上に、高いものとなっている。
 南スーダンにおいては、自衛艦は遺書を書かざるを得ないような状況に追い込まれても、安倍内閣は自衛隊を南スーダンから撤退させなかった。
自衛官その人は「平和的生存権」、「人格権」を侵害されているし、自衛官の家族や関係者、戦争体験者などの原告の中には自衛隊が人を殺傷し、そして殺傷されることに強い恐怖感を感じる人も少なくない。
海外での武力行使を認める新安保法制法を憲法違反と判示することは、自衛官やその家族や関係者などの「平和的生存権」や「人格権」を裁判所が擁護し、その職責を果たしたことになる。
 一方、裁判所が新安保法制法に対して憲法判断を避けることにより、違憲の既成事実が積み重ねられることを黙認したり、あるいは誤った合憲判断を下した結果、新安保法制法が存続することになれば、多くの自衛官が海外での戦闘で殺傷されるような事態を招くことになろう。
その場合には、新安保法制法を成立させた安倍内閣と同様、裁判所自身も「自衛官が人を殺傷し、殺傷される」ことへの共同責任を免れないと言わざるを得ない。
そして安倍内閣に忖度するような判決を下すのであれば、国民の裁判所への不信は募りワイマール共和国時代の裁判所と同様、後世において批判の対象となることを免れないであろう。
日本の裁判所もアメリカ、フランス、ドイツの裁判所と同様に、人権、そして憲法価値を守る存在であることを明確な判断で示し、日本にも「法の支配」が存在することを内外に明らかにする職責が裁判所にはあるのである。
 そもそも「人権保障」と「憲法保障」という目的は、「水と油」のような相いれないものではなく、むしろ重なり合う関係だ。
「人権保障」のためには、「私権保障型」の違憲審査制を固守するのではなく、「憲法保障機関」としての裁判所でもあるべきなのである。
 いうまでもなく、戦争は最大の人権侵害である。
国家が戦争に近づくことを阻止することは、最大の人権侵害を未然に防ぐことを意味する。
だからこそ、人権保障のためには、憲法9条や前文の平和主義が要請する平和国家としての憲法秩序の維持が不可欠である。
この憲法秩序を保障するために、裁判所が「憲法保障機関」としての役割を果たすことが人権保障の観点から要請される。
原告らの精神的苦痛を無視して、具体的な権利侵害がないから違憲審査権を行使しないなどとして「憲法保障」のための裁判所の役割を放棄してはならない。
 さらに、内閣法制局が、内的批判者たる法律家としての役割を放棄してしまった今回のような事態においては、政治部門の外にいる裁判所が立憲主義の擁護者としてその役割を積極的に果たす以外に、日本の立憲主義を維持貫徹する方途はない。
 そもそも裁判所は政治部門の判断を追認するために存在するのではない。
主権者国民が政治部門に委ねた憲法の枠組みに沿った国家運営がなされているのか否かを厳格に監視するためにその存在が認められているのである。
裁判所が、今回の新安保法制法の違憲性についての判断を避け、自らその存在意義を否定するようなことがあってはならない。
よって、たとえ被告が争点とするまでもないとして(争点とすることを避けるため)、反論をしなかったとしても、裁判所としては、新安保法制法の違憲性について、原告の主張を受け止め、十分な審理を尽くして憲法が裁判所に課した職責を全うすべきである。
そしてこれは憲法制定権者たる国民から負託(付託)された使命であり、裁判官にはこれに応える憲法上の義務(憲法尊重擁護義務については99条)があるのである。
 これまでもそれぞれの時代におけるその時代固有の司法の役割、裁判官が果たすべき役割があった。
今の時代は、政治部門が憲法を尊重しているとは思えない状況にあり、政治部門内での抑制・均衡が機能不全に陥っている。
これまでにないほど立憲主義、平和主義、民主主義といった憲法価値が危機に直面している。
こうした時代だからこそ、果たさなければならない司法の役割、裁判官の使命があるはずである。
 私たちは、裁判所にあえて「勇気と英断」などは求めない。
この歴史に残る裁判において、裁判官としての、法律家としての職責を果たしていただきたいだけである。
憲法を学んだ同じ法律家として、司法には、政治部門に対して強く気高く聳え立っていてほしい。
このことを切に願う。
●原告代理人:古川健三弁護士
第1、深まる戦争の危機と被害の蓋然性の高まり
 2018年1月1日、朝鮮労働党金正恩委員長は、「米本土全域がわれわれの核攻撃の射程圏にあり、核のボタンが私の机の上に常にある」と述べた。
すると米国トランプ大統領は翌日「私の(核のボタン)は、彼のよりももっとずっと大きく、パワフルだ」とすかさずツィッターに書き込んだ。
米国と北朝鮮は互いに軍事的威嚇に終始しており、核戦争の危機はこれまでになく高まっている。
 新安保法制制定後、日本政府はより一層米国に追随する姿勢を明確にしている。
昨年5月、新安保法制に基づき自衛隊護衛艦「いずも」等は米空母「カール・ビンソン」に対する米艦防護を行った。
この行動は、北朝鮮から見れば明らかに米国の戦争への参加として映る行動であり、武力による威嚇を禁ずる憲法9条と明らかに相矛盾する行動である。
現に北朝鮮は、「取るに足らない日本列島の4つの島を核弾頭で海に沈めるべきだ。
日本はもはや、我々の近くに置いておく存在ではない」などとする公式声明を発表して威嚇している。
新安保法制は日本が軍事攻撃の対象となる危険性を高めたのである。
 新安保法制制定後の自衛隊の軍備増強に向けた動きも急速に進んでいる。
昨年12月、イージス・アショアの導入が閣議決定された。
しかし日本のイージス・アショア導入に対し、ロシアは以前から強い懸念を表明しており、この導入決定に対しても「米露中距離核戦力全廃条約に実質的に違反する」と強く反発している。
日本の軍備増強は北朝鮮のみならず、周辺諸国の大きな摩擦を生み出している。
 目を国内に向けると、米軍機の墜落、不時着、部品落下が相次いでいる。
2016年12月のオスプレイの空中給油訓練中の墜落大事故をはじめとして、オスプレイの事故は多発している。
しかし2017年1月から木更津駐屯地においてオスプレイの定期機体整備が始まっており、日本国内各地にオスプレイは飛来し、横田基地への配備も今後予定されている。
 さらに2017年12月から2018年1月にかけて沖縄では米軍ヘリコプターの部品落下や不時着が相次いでいる。
特に2017年12月13日の宜野湾市普天間第二小学校校庭への窓枠落下事故では、当時約50名の児童が校庭におり、児童1名が落下の衝撃で飛んだ小石が当たって軽傷を負っている。
 新安保法制による自衛隊と米軍のさらなる一体化と情勢の緊迫は、基地の利用増化をもたらす。
これらの事故はその延長線上にあるものとして沖縄のみならず本土にある基地周辺の住民にも多大な不安と恐怖を与えている。
 このような状況のもと、原告らが新安保法制制定により受けている権利侵害は、一層顕著で深刻なものに発展している。
第2、原告らの被害の個別的検討
①準備書面15では、原告のうち、厚木基地周辺住民である原告5名、子を持つ母などである原告4名、運輸機関労働者である原告3名、被爆者である原告4名、計16名の具体的な被害を述べる。
ここでは、それぞれの類型につき原告らが主張している被害の概要を紹介する。
②厚木基地周辺住民
 厚木基地は、米軍唯一の海外展開航空団である第5空母航空団の基地である。
この航空団はアジアや中東での有事の際には、米国本土よりも素早く即応体制をとることができる。
また海上自衛隊の航空集団司令部等、海上自衛隊にとっても非常に重要な部隊が集中する基地である。
その基地の周辺で原告らはこれまでも爆音と隣り合わせの生活を余儀なくされており、心臓病を抱えて暮らす原告もある。
沖縄で相次ぐ事故は決して他人事ではなく、横浜でも米軍機が墜落して死傷者が出た事故が起きている。
新安保法制により自衛隊が米軍の指揮下に入り、後方支援すれば、安全な場所はない。
 ある原告は、「戦時中、真珠湾攻撃の戦果を大得意で母に話したら、母にポツリと『日本は負けるよ』と言われた。大人たちは戦争の行き着く先を知っていたが、誰もそれが言えずに止められなかった。同じことが起きる前に、止められない流れになってしまう前に行動しなければならない」と述べ、差止の必要性を強く訴えている。
③子を持つ母など
 子を思う母の愛は深く、それゆえ母たちは命の問題に最も敏感である。
新安保法制は、最愛の子どもや孫たち、次世代の若い命が国家の利益のために奪われる社会を出現させ、母たちに深い精神的苦痛をもたらした。
 ある原告は、その母から「戦争しない国に生まれてよかったね」と言われて育ってきたが、新安保法制の成立により、社会が戦争する国に変貌したことに戦慄し、息子が銃を担ぐ姿を思い描いては涙し、またアメリカ軍の戦闘機に青い目の兵士が乗っている夢を見るようになってしまった。
 またある祖母は我が子のようにして育ててきた孫が新安保法制が審議されていたその頃「戦争はしたくないよ」と話すのを聞き、胸を痛めると同時に大人の次世代に対する責任を痛感した。
 新安保法制制定後、現実に南スーダンに自衛隊の若者たちが送られたことはまぎれもない事実であり、原告らは、同じことが最愛の子や孫たちに降りかかるであろうという強い危機感に襲われたのである。
④運輸機関労働者
 運輸機関労働者は、新安保法制の制定により、テロの標的として危険にさらされる。
 国際線に就航する民間航空パイロットであったある原告は、南スーダンへの自衛隊派遣の際、日航機がチャーターされて自衛隊員を輸送したとし、今後、日本の民間航空機がテロの標的とされる危険性が新安保法制の制定により飛躍的に高まったことに大きな危機感を覚えている。
 また、船員である原告は、新安保法制制定後に民間フェリー2隻が防衛省にチャーターされた事実を指摘する。
このチャーター契約は、自衛隊員や武器弾薬などを常時輸送することを目的としており、防衛省によりチャーターされたフェリーは、防衛省との契約により、有事の際には「自衛隊法により海上自衛隊が運航」し、2隻のうち1隻の船員は「予備自衛官またはその希望者であることを確認して雇用する」とされている。
また船舶自体も弾薬の積載に耐えうることや船橋前、側部防護板を有すべきものとされ、実弾の飛び交う戦場へ赴くことが想定されている。
 海戦法規によれば、民間商船であっても、武器弾薬や兵員を輸送する船舶は敵国の軍事目標となる。
新安保法制法は、民間商船が軍事目標となる道を開いたものであって、船員たちにとっては極めて危険な法制なのである。
⑤被爆者
 新安保法制法制定は、この世の地獄を体験し、その体験ゆえに平和を切実に望んでいる被爆者である原告たちの心の拠り所である平和憲法を奪った。
 ある原告は、被曝当時10歳だった妹が「母ちゃん、早う戦争が済めばね」と言い残して息をしなくなったことやそれを母が繰り返し語っては涙していた様子を思い出す。
そして新安保法制法の成立に、当時のあまりにも酷い、頭から離れない風景が浮かんでは涙が止まらない。
 またある原告は、新安保法制法の成立に、再び日本が戦争の時代に逆戻りしていることを実感し、たくさんの同級生や友人知人の亡骸を目の前で焼いたその異臭、川に浮かぶ数え切れないほどたくさんの死体など、被曝の夏の忌まわし記憶が再び蘇っている。

 このように新安保法制法の制定は、原告らに現実の被害を与えており、また被害のさらなる拡大を防ぐためには、集団的自衛権等の事前差し止目が認められなければならない。
●意見陳述の後の法廷で
 伊藤弁護士と古川弁護士の意見陳述の後で福田衛弁護士が、被告は原告が求めている求釈明について、なんら答えていず、認否の拒否を繰り返している。
なんらかの答えを出して欲しいと発言があり、裁判官が被告に対して福田弁護士の発言を確認しました。
その後、裁判官は被告に対して反論の書面を、原告には実証計画を出して欲しいと言い、今後の進行について協議して閉廷しました。

◎閉廷後の報告会
●挨拶:寺井一弘弁護士
 今日の裁判では、違憲訴訟はどうあるべきか、裁判所の役割について伊藤弁護士から丁寧に説明された。
そして安保法制によってどれだけ被害があったかを、古川弁護士が具体的に事例をあげながら話した。
 その後、今後の進行についての話になった。
裁判所から立証計画を出して欲しいと言われたが、これは今後の証拠調べの段階に入るということで、非常に大きな力になる。
裁判を始めた当初は、門前払いになるかと思ったが、国賠訴訟ではすでに尋問に入っており、差止でも尋問に入るということは、結論がどうなるかはわからないが、裁判所は原告の言葉を聞く姿勢で、証拠調べに入るという画期的なことだ。
 次回の公判は6月20日だが、次回も傍聴席を満杯にして欲しい。
●質疑応答
 伊藤弁護士、古川弁護士、福田弁護士からそれぞれ法廷での発言を短く報告され、質疑応答になりました。
Q:イージス艦やオスプレイ購入など、国の支出、税金の使用法に対して税法上でなんらかの訴えはできないのか?
A:「納税者市民権」と言っているが、その点に関して弁護団として考え、前向きに検討していきたい。


2018年2月4日号「アベ政治を許さない」スタンディング

 昨日は3日、「アベ政治を許さない」スタンディングの日でした。
風もなく穏やかな冬空の下、国会前には60人ほどが集まりました。
いつもは麹町署から3人ほどが警備に立つのですが、この日は初めて見るお顔の署員が一人だけ。それもごく体格の良い人。
なぜかと思ったら、近くの日枝神社で行われる節分の豆まき行事に大勢で詰めているからだったそうです。
 参加者の一人が、こんなことを言いました。
「地下鉄の駅を降りて国会前に行こうとしたらお巡りさんが『原発再稼動反対集会に参加する方は、ここは通れません。向こうから行ってください」
言われてその方は、こう答えて回り道をしたそうです。
「私はその集会ではなく別の用事で来ましたが、原発再稼動には反対なのでここは通りません。向こうから行きます」
それを聞いていた何人かが、それぞれ「私ならこう言う」と盛り上がりました。
何にせよ、公道を個人が何の目的で歩こうとそれ自体を国家権力は通行を阻む理由にはならない筈だと思います。
さて、あなたならどう答えるでしょうか?                   

いちえ

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2018年2月2日号「諸々報告」

 早いもので、もう1月も終わりです。
◎裁判傍聴
 先週は裁判傍聴が続いた1週間でした。
22日(月)は「南相馬・避難20ミリシーベルト撤回訴訟」、24日(水)は「警視庁機動隊沖縄への派遣は違憲 住民訴訟」、26日(金)は「福島原発刑事訴訟」と「安保法制違憲訴訟」と続きました。
26日の「福島原発刑事訴訟」は、早朝から抽選に並び傍聴券を入手して10時から104号法廷で傍聴しました。
昼に休廷して午後引き続いて行われたのですが、私は午後から「安保法制違憲訴訟」が開廷されるので傍聴券を他の方に譲って出ました。
そして午後は103号法廷で「安保法制違憲訴訟」の証人尋問を傍聴しました。
 傍聴報告をと思っていますが、「福島原発刑事訴訟」は、もう既に刑事訴訟支援団の佐藤和良さんがブログ「風のたより 佐藤かずよし」で発信されています。SKAZUYOSHI.EXBLOG.JP
また「福島原発刑事訴訟支援団」の添田孝史さんも、支援団のツィッターで報告を載せています。https://shien-dan.org/soeda-20180126/fb.me/ympZnocP
私は午前中のみの傍聴でしたから、佐藤さんと添田さんの報告をご覧いただきたく思います。
 他の3件の裁判傍聴記は、いずれ「一枝通信」に載せたいと思っています。

◎1月30日 南相馬そして飯坂へ
●先ずは六角へ
 10日ほど前に南相馬の大留さんから電話がありました。
要件は、30日にアメリカからの取材があるので、六角に来て欲しいということでした。
他にも原発事故災害について話せる人を誘って来て欲しいというのです。
幸い私は30日には予定が入っていませんでした。
今野寿美雄さんに連絡を取ってみたら、今野さんも30日は他の用事がないということでしたから今野さんにもお願いしました。
 今野さんが大丈夫ということを聞いたので、小高から飯坂に避難している鈴木ちいこさんに連絡をしてみました。
ちいこさんの都合がよければ、30日に私は飯坂に泊まるようにしてちいこさんに会いたいと思ったのです。
嬉しいことにちいこさんからも、「会いたいです」とお返事がきました。
 出かける前の日にまた大留さんから電話があり、農家の人も誰か誘ってというのです。飯舘村の菅野榮子さんに電話をしてみたら、幸いにも榮子さんも話に乗ってくださいました。
福島駅まで今野さんに来ていただいて、今野さんの車で伊達の仮設住宅に榮子さんを迎えに行き、3人で南相馬の六角へ着いたのが2時少し前でした。
前の晩に大留さんからの電話がなければ、伊達の仮設住宅に寄らずに福島駅から南相馬でしたから、六角へ行く前に南相馬博物館で開催中の「日本の凧展—大橋コレクションー」を見るつもりでしたが、残念ですが時間がありませんでした。
 取材はアメリカではなくカナダからの取材班でした。
4時少し回った頃に私たちへの取材は終わり、ちょうど希望の牧場の吉沢さんと入れ替わりに、私たちは六角を辞しました。
 大留さんは取材の意図を勘違いしていたらしく、取材側は2011年か‘12年にも南相馬に取材にきて大留さんから話を聞いていたそうです。
それで大留さんを追いかけての取材したかったらしいのですが、大留さんは色々な人の話が聞きたいのだろうからと思って、私に声をかけてきたのでした。
榮子さんや私からも少し取材しましたが、今野さんが元原発作業員だと知って取材者は話を引き出そうと、今野さんに質問を投げかけました。
ところが取材者の質問に今野さんが答える前に大留さんが今野さんに別のことを問いかけたりしたために、なんだか今野さんへの取材は多分尻切れとんぼになってしまったのではないかと思えました。
今野さんは、なお聞きたいことがあれば2日から4日までは東京にいるのでそこで答えますと言って、私たちは六角を出たのでした。
取材の意図もはっきり掴めない取材でした。
●車中での榮子さんの話
 「よっちゃん(榮子さんの仲良しの菅野芳子さん)は家を直そうと思ったらな、直すとうんとお金かかっと言わっちゃって、なじょすっぺぇって悩んでたら娘が兄貴たちに『母さんが悩んでんだから兄ちゃんたち、相談に乗ってやって』って尻ッペタひっぱたくみたいに言ったんだそうだ。
したら息子たちが『かあちゃん、家直すってのは金かかっから、潰して新しく建てたほうが金もかからねぇし、そうすりゃぁ良いんだぞ』って言わっちゃって、正月に壊すことにしたんだよ。正月にそれを決めたんだ」
 農家は大きな家が多いですが、芳子さんの家も御多分に洩れずに間取りも多い大きな家です。
大きな家をリフォームするのはお金もかかるし、それに飯舘村に戻って暮らすのは芳子さんだけです。
以前のように子どもや孫との大家族での暮らしにはならず、たまに息子や娘が来ることがあっても基本的には芳子さんが一人で暮らす家ですから、こじんまりとした家のほうが暮らしやすいことでしょう。
以前に榮子さんと芳子さんは、伊達の仮設で花見をしてから引っ越そうなどと言っていたのです。
でも芳子さんが今の家を取り壊してから、新たに建築すると決めたのはこのお正月ですから、新居の完成は桜が咲くよりもっと後のことでしょう。
芳子さんに合わせて、榮子さんの引越しも先に延びることでしょう。

「この間、友達の葬式に行ってきたの。90才で亡くなったんだよ。
うんと明るい人だったんだよ。
杖ないと歩けないしね、体はそんなだけど、うんといい人だったんだ。
風呂の中で亡くなったんだよ。
一人で居っから、息子が毎日様子見に来てたんだけどね。
『母ちゃん、冷えっから風呂さへぇってあったまれ』って言わっち、風呂の用意してくれたんだと。
息子さんが『もういい加減で出てもいい頃なのに、音がしねぇけどかあちゃん、なじょしてっぺ』って風呂場行って見たら倒れてたって。
 息子さんバスの運転手だけど消防(消防団員)だったからな、一所懸命人工呼吸したけど、ダメだったって。
子どもや孫たちも葬式に集まったけど、孫は大きくなって見上げるようになってんだよ。
その孫が泣いてなぁ。
うんと孫のこと可愛がってたからな。『ばあちゃんは、いっつもあんたのこと言ってたよ。孫が来たから、ぬしゃ何しに来た?って言ったら、ばあちゃんの顔見に来たって言ってな、孫はかわいいなぁって、いっつも言ってたよ。ばあちゃんのこと忘れないで真面目にしっかり勉強すんだよ』って言ったら、『うん』って。
 息子さんが人工呼吸やって、お葬式には家族もみんな来て、孫たちもちゃんとばあちゃんを送ってあげたから、幸せだったと思うよ」
 この冬が過ぎたら飯舘村に戻る人も、また少し増えていくでしょう。
帰村宣言後もこの春までは仮設住宅に入居していることができますが、その後は退去しなければならなくなります。
前述したように榮子さんも芳子さんも、村へ帰ります。
本当に高齢者ばかりの村です。
医療や介護施設の充実していないところへ帰っていくのです。
榮子さんが言うように、この方の場合はたまたま息子さんが見回りに来ていた時だったからすぐに発見されたけれど、そうでなければ気づかれないまま日が過ぎていくかもしれないのですから、見回りも頻繁に必要になります。
 村に戻っても以前のように、また仮設住宅にいる時のように畑はできないでしょうから、榮子さんは村に戻ったら何をして過ごすのだろうと思ってお聞きしました。

「私は今80だから人生100年で、あと20年あるでしょう。
お正月は埼玉の娘のとこに行ってたから、孫に言って本買ってきてもらったの。
『ばあちゃんはこれから20年、やること見つけっから、ばあちゃんにできそうな編み物でも縫い物でも参考になりそうな本見つけてきて』って頼んだのな。
したら孫は私のこと、こう(やって)上から下までじいっと見て、『ふ〜ん、ばあちゃん100まで生きんのかぁ。んだら、何かしねぇとなぁ』って、いっぱい本買ってきてくれたんだよ。
してその本見てな、『こんなの作って欲しい』なんて、もう注文が入ってんのよ。
 もう着ないからって、着物もいっぱい貰ったのがあるのよ。
ほら、私はこんなして着るでしょ(と言って、榮子さんは今着ている上っぱりとモンペを示しました)。こんなして直してもいいし、袋物だって人形だって良いわな?
もう注文が入ってんだから、ぼけっとしてなんかいらんないだわ」
 凄い!‼
︎榮子さん、そんな風に先を計画しているんだ!
大きな声で「ワハハッ」と笑いながら話す榮子さんでした。

 飯舘村でのかつての日々。
冬になると村の男衆はみんな出稼ぎに行った村内で、出稼ぎに行かない男衆が2人だけいたそうです。
榮子さんのお連れ合いと、もう一人は心を病んでいる気持ちの優しい人で、都会ではとても過ごせない人の2人だけだった、と。
 榮子さんのお連れ合いが出稼ぎに行かなかったのは、酪農を始めたことと、榮子さんの才覚で取り掛かった凍み豆腐の生産販売が忙しくなって、二人でそれらの仕事を分業しなければ追いつかなくなっていたからです。
牛糞を堆肥にして大豆を育て、それで豆腐を作って凍み豆腐に加工するのは榮子さん。
牛の乳搾りや世話と、凍み豆腐の注文を受けて製品を届けるのはお連れ合い。
凍み豆腐は需要がとても多くて、そこからの収入は出稼ぎでの収入よりも上だったと言います。
 出稼ぎの話からまた私は、町村合併を拒んで「までいな村」として歩んできた村の歴史が、原発事故で無残に砕かれてしまった悔しさを思います。

 南相馬からの帰路は、飯舘村の佐須の榮子さんやよっちゃんの家の前を通って戻りました。
榮子さん、芳子さんと三羽烏の年子さんは、一足先に自宅に戻っています。
年子さんの家には灯りがともっていましたが、集落には他に灯りの灯る家はなく、暮れた空に小望月が白くありました。
 榮子さんを伊達の仮設住宅にお送りして、飯坂へ向かいました。

●ちいこさん
 ちいこさんとは、「絶好鳥」という焼き鳥屋さんで待ち合わせました。
ちいこさんとのご縁にも、経緯があります。
 私が南相馬に通い始めた年の秋に、児童書を出している出版社からその社のPR誌への巻頭言の原稿依頼がありました。
私は南相馬へのバスの窓から見た刈田の光景がとても珍しく思え、そのことを書きました。
それまで私が知っていた稲の干し方は、柱に横木をかけて干す稲架かけでした。
ところがこの時に見た干し方は杭に掛けて干し、それがずらっと1列に並んでいるので、まるで稲束小僧がお行儀よく「前へならえ」をしているみたいで、珍しくもあり愉快でもある光景だったのです。
東北地方で多く用いられる干し方らしいのですが呼び名もいろいろで、ごく普通に「杭かけ」と言ったり、「ほにょ」と呼ぶ地方もあるそうなのです。
「穂仁王」が訛って「ほにょ」になったようですが、稲束小僧が「ほにょ」だなんて、楽しく思えたのでした。
 そんなことを書いた記事を読んだ読者から出版社を通して、手紙が届いたのでした。
頂いた手紙に返事を書き、文通が始まったのでした。
手紙の主がちいこさんで、最初の手紙に小高から義母と3人の子どもと飯坂に避難していること、ご夫婦共に学校の先生で仕事の関係でお連れ合いは原町に部屋を借りていることなどが書かれていました。
そんなことからお付き合いが始まったのでした。
私よりもずっと若いちいこさんですが、特別支援学級で働くちいこさんの話は私にはとてもよく理解できて、私自身がちいこさんから学ぶこともとても多いのです。
 この日、久しぶりに会ったちいこさんの話もまた、とても胸に響きました。
特別支援学級にはいろいろな子どもがいますが、どの子にも、その子に合った付き合い方があるのだと、具体的な話をちいこさんは聞かせてくれました。
思っていることや発する言葉と行動が乖離している子どもに、ちいこさんは絵や文字を書いたカードを使って互いに食い違わない理解に持っていく工夫や、ちいこさんの実践はどれ一つ取っても、その子をしっかり受け止めようという思いから生み出されているものでした。
以前にちいこさんからは、叩いたり噛み付いたりの癖の強い子どもへの接し方でそれこそ「格闘」とも思えるような日々を過ごしていることを聞いたことがありました。
この日ちいこさんは、その子も噛まなくなり穏やかな顔つきで巣立っていったと言いました。
 この日のちいこさん、前にあった時よりも若く娘さんのように見えたのですが、長かった髪をセミロングにカットして、そのためだったのかもしれません。
ちいこさんは言いました。
「あの子が荒れてくると私の髪を撫でて、そうすると落ち着いてきたんです。
そんなことの繰り返しの中から、あの子も自分を律する仕方を身につけていったかな
と思います。
でも、もう卒業なので“私の髪も卒業”って思って切ったんです」
 私も保育の現場から離れて30年が過ぎましたが、子どもたちと過ごしたあの頃を思い出しました。
今の教育現場に、ちいこさんのような人がもっともっと増えて欲しいと思います。

 「これからどうするか、小高に帰るかどうか、今はここでの暮らしを大事にしているし、仕方なしにここに居るのではなく、私が選んでこの生活をしている。
この先も、その時々で自分で選んだ暮らし方をしていく」と言うちいこさんです。
「自分で選ぶ」この言葉は、他の避難者の方からも聞きました。
原発事故による避難は、もちろん望んで選んだことではありません。
でも、避難か止まるか、どちらかを「仕方がないからこうした」と思うか、それとも「私が選んでこうした」と言い切るかでは、大きな違いがあると思います。
ちいこさんの言葉に、私は心からの拍手を送ります。
 久しぶりにちいこさんに会えて、嬉しい夜でした。

◎前便「一枝通信」の訂正
 「一枝通信 1月21日トークの会報告②」に、大変な間違いがありました。
訂正します。
最初の項「☆不安がいっぱい」の下の方の文章です。

そんな状況なのに、上乗せされた8,03兆円が東京電力を使っている人たちの負担になっている。
東京電力が事故を起こしたのに、東電のも受け分はきっちりと取って、上乗せ分の8,03兆円は使用者の私たちに税金などで負担させている。

赤字部分が訂正です。
「8,03」を誤って「803」と記してしまいました。
お詫びして訂正いたします。

※「20ミリシーベルト撤回訴訟」「住民訴訟」「安保法制違憲訴訟」傍聴報告は、今少しお待ちください。
前後しましたが1月末の福島行報告を先にしました。           

いちえ


2018年1月31日号「1月21日トークの会報告②」

トークの会、鈴木直子さんの話の続きです。
長文を続投ですみません。

☆不安がいっぱい
 どうして避難していたいかと言えば、廃炉作業の不安。
未だにダダ漏れだし、汚染水タンクもいっぱいあるし、しかも漏れているし、650シーベルトも計測されている。ミリシーベルトではなくシーベルトだ。
1分くらいで死に至ると言われる高線量だから、ロボットを入れて撮影したが、あまりにも高線量で、すぐに壊れてしまった。
ロボットカメラも取り出せず、もうパイプを切って置きっ放しにしている。
実際はもうチャイナシンドロームのように溶け出していて、再臨回しているから未だにヨウ素が出ているのではないかなどと、いろいろな説が言われていて専門家でも内部がどうなっているかわからない状況だ。
 そんな状況なのに、上乗せされた803兆円が東京電力を使っている人たちの負担になっている。
東京電力が事故を起こしたのに、東電の儲け分はきっちりと取って、上乗せ分の803兆円は使用者の私たちに税金などで負担させている。

☆増えている甲状腺ガン
 20キロ圏内が避難指示だったが、実際は50キロ、60キロの伊達市、郡山市ほか高線量の地域がいっぱいある。
3月のあの時期で風向きが海に流れたから、まだ被害はこれだけで済んだのかもしれない。
3月15日いわき市は特にヨウ素がひどく流れたが、ヨウ素剤が配られたのは18日からだった。
何の意味もない、全くの無意味だった。
ヨウ素剤を飲むと、ヨウ素は甲状腺で飽和状態になるので、それ以上のヨウ素を摂り込まないので被ばくを避けられる。
それが配られたのが、放射性ヨウ素が既に75パーセント以上放出された後だったから、何の意味もなかった。
3月15日に放出されたヨウ素はいわき市で27,32マイクロシーベルトと記録されている。
だから相当被ばくしただろうことは、確かだと思う。
県内で197名の甲状腺ガンが出ている。
 福島県民健康調査で、事故当時18歳以下の子どもは2年に一度エコー検査を受けるが、1巡目でなんでもなかった人が2巡目で甲状腺ガンと診断されている。
ということは、甲状腺ガンは2年の間に進行するほど進行性が早い。
だが、「予後の良い良性のガンだから心配ない」「遺体を解剖するとかなりの割合で甲状腺ガンが見つかるが、発症せずに転移もあまりしないから甲状腺ガンは心配ない」という専門家もいる。
 想像して欲しい。
我が子がガンだと言われたら、どう思うか。
これが被ばくの影響ではないという方が、不自然だ。
それを組織ぐるみで被ばくを隠しているが、もう隠しきれないところにきている。
どんどん増えているし、経過観察が2151人あるが、経過観察となると枠を外され、経過観察からガンになった人は197名の中に含まれない。
おかしな話だ。
どれだけ過小評価をしたいのか!

☆3•11甲状腺ガン子ども基金
 特定非営利活動法人の「3•11甲状腺ガン子ども基金」が、心ある人たちによって立ち上げられて、医師たちのボランティアで検査が行われているが、県民健康調査を受けていない人も多数いる。
「子ども基金」での調査を見ると、静岡から秋田。岩手まで、広範囲に甲状腺ガンが出ている。
子ども基金では「手のひらサポート」として資金を集め、小児甲状腺ガンの子どもや家族へ、手術•治療代として10万円を給付している。
県内では甲状腺ガンと診断されたら復興の妨げだと言われるが、治療には経済的負担が大きくかかるので、少しでもその負担を軽くしてあげたいと考えての活動だ。
 県民は県立福島医大で治療を受ける場合は、18歳まで医療控除があって無料だが、他の医療施設での治療や、県民以外は医療控除は適用されない。
避難先で手術した人は、控除の対象外となる。
また驚くべきことだが、甲状腺ガンと診断された7割以上が転移している。
予後が良いガンで転移しないと触れこんで安全神話を吹聴していた医師たちは、転移していたことを伝えても、「転移してもヨウ素剤のカプセルを飲めば、ヨウ素が身体中に回るから、いっぱい転移しても治っている」などと言う。
医学会では死亡率が重要で死亡率で判断するので、甲状腺ガンは予後の良い、治りやすくて死なないガンとされる。
 甲状腺ガンの治療法の一つにアイソトープ治療があるが、それは患者を隔離して高濃度の放射性ヨウ素を内服させる治療法で、排泄物からも放射線が排出される。
そのために排泄物の処理も、自分でしなければならない。
家族の面会もできず、非常に辛い治療だ。
*チェルノブイリ法と日本の現状を比較してみた。
チェルノブイリでは避難の権利ゾーンは、日本で言えば名古屋あたりまで含まれる。
日本ではどれだけ過小評価されているか!
自主避難の今後の課題は、「避難を続けたい。生活環境を変えたくない。子どもの学校も転校させたくないし、いまやっと慣れてきた仕事を辞めたら、次に仕事先があるかどうか判らない。しかし住宅支援を打ち切られて避難生活を続けるには、経済的困難がある」
避難先によって支援の格差があり、一番深刻なのは家賃が高い首都圏に避難している人たちで、その生活は大変だ」
2020年東京オリンピックまでに避難者をゼロ西田井のが、国の目的だ。
国の犠牲になる避難者だ。
私たちは税金を納めているのに、理不尽な話だ。
オリンピックのための施設作りや、オスプレイやミサイルを買うお金があったら、私たち国民をまず救うべきではないか。
住宅支援打ち切りをしないでくださいと要望書を出したり、いろいろなことをしたが、結局打ち切られた。
明らかに棄民政策だ。
私たちは国民と思われていない。
 原発事故は国と東電が加害者で、私たちは被害者だ。
原発事故さえなければ、福島で自立して楽しく暮らしていた。
家族みんなで暮らせていた。
これは人災なのだ。
加害者には責任追及を!
罪のない原発被害者に理解を!
原子力村に対する再考と、そして世論を!
 私は避難先の川越で、川越市民と一緒に「原発避難者と歩む@川越」という会を一昨年6月に作った。
そこから行政交渉を重ねて、借り上げ住宅に住んでいる人たちに収入要件なしに毎年2万円を2年間という住宅支援を勝ち取った。
だが、家族が増えたので中古住宅を買ったという人への支援がない。
復興庁は避難者の定義として「故郷に帰れない人はすべて避難者」と掲げているので、それを根拠として、これからも川越市、埼玉県に働きかけを続けていく。
いずれは私たちも埼玉県民になる筈だから、と交渉を続けていく。
 埼玉県は住宅支援で優遇措置が取れたことを話したが、年末にとんでもないことが議会で採択された。世界で最も厳しい基準を乗り越えた原発再稼働を求める意見書が採択されてしまった。
自公過半数で、採択されてしまった。
世論がもっと問題にして、選挙で勢力を変えていくしかない。

●質疑応答
Q:県民健康調査はどの程度実施されているのか?
A:県の小児医学会会から、こんな意見が出されている。
「県内の子どもは、新生児検診や学校での歯科検診などを集団検診でやっている。県民健康調査も同様に集団検診だが、受けたくない権利もあるのに集団検診だと受けなければならない。それで過剰診断になるのだから、県民健康調査はやめてほしい」
子供の命を救うべき小児科医から、なぜこんな声が出るのか謎で、理解に苦しむ。
 県内で検査を受ける人は福島県立医大など病院は決まっていて、2年に一度の検査は県外で受けることもできるが、それも福島県立医大の息のかかった施設で、それなりの医師と設備が整ったところでないと受信できない。
他で受信した場合は費用は自己負担になり、福島県民健康調査以外でがんの診断が下された人は、カウントされない。
 県民健康調査は信用できないと言って受けない人もいて、いま受診率は40パーセント位に落ちているようだ。

◎参加した自主避難者の声
●大玉村から相模原の実家に避難している鹿野久美さん
 震災の2年前に建てた家に夫は残り、実家に母子避難している。
賠償は出ていない。
実家だから住宅支援はいらないと思われるが、二重生活なので生活費はかかるし家族を介護しなければならないとなれば、そういう支援があってほしい。
目に見えない部分で切り捨てられていると思うことがある。
 さっきDVDを見せてもらった。
その中に親しい人も出てきたが、彼の表情が私が福島であった時に見せていた表情とDVDの中で家族と一緒にいる時の顔つきが、まるで違っていた。
妻子が母子避難で、家族と離れて一人でいる時の彼は固く険しい表情だったが、家族といる時は柔和な顔つきだった。
やっぱり家族と一緒に、一つ屋根の下で生活することはとても大事だと思う。
 我が家でも、離れていると亀裂も大きくなる。
一時は「帰ってこなければ離婚だ」などと言われたこともあり、言葉を交わせば互いに傷つけ合うこともあった。
今はそういうこともなくなったが、でも、一つ屋根の下で暮らしていないと、他人になっていくのだなと感じている。
 問題が複雑すぎて、自分の中でどう処理していいかわからなくなる。
今はフルタイムで働いているので、移住しているのと同じような感じだが、けれども福島の家や家族が心にあるし、自分にとって普通って何だろう?と思う。
震災前に自分がどうやって過ごしていたかを、思い出せない。
福島に家で震災後のあの当時、幼い娘が自分の周りをチョロチョロしていた姿も思い出せない。
自分がいっぱいいっぱいになっている姿は思い出せても、他が思い出せない。
 私は避難した方がいいと思ったのだが、夫との軋轢もあって夏まではそこで過ごしてしまった。
一番線量が高い3ヶ月間、そこに住んでしまったことを今でも悔やんでいるし、娘に何かあったら、その期間のことを私は絶対に悔やむと思う。
いま娘はここで健康に過ごしているが、もし帰艦して放射能由来の病気になってしまったらと思うと、帰る決断はできない。
そうなったらそれこそ私は娘に対して一生責任が取れないし、その時々でベストを選んでいかなければいけないという強迫観念もある。
 それをずっと背負ってこの先も生きていくのは大変だし、ちょっと困難な生活をしなければならなくなったが、こうやって仲間がいて、繋がって、人としての大事なことはこの震災で教わったと思っている。
それを糧に、時々は落ち込んでウジウジしているが、そうでない時の自分は前を向いてみんなと繋がって手を取り合って頑張っていきたいし、理解をしてくれる人が増えれば私たちも笑顔が増えて子ども達を守れる世の中にシフトしていけるのではないかと思っている。
 相模原で私は、福島の親子のための保養活動をやっている。
安心して外遊びができない子ども達や、不安を抱えて生活している親達のリフレッシュのために2012年春から、春・夏の長期の休みごとに4泊5日程度の保養キャンプを行っている。
●飯坂から武蔵野市に避難している岡田めぐみさん
 福島市飯坂温泉から2011年3月15日に、東京へ避難した。
当時私は妊娠3ヶ月だったが、3歳と1歳の2人の子どもを連れての避難だった。
東京で無事に出産して、東京助産師会野方の支援を受けて近所に住むお母さん達を紹介していただき、そこで「むさしのスマイル」という団体を立ち上げた。
立ち上げて7年になる。
 そこでは避難者達が集まれる場を作ることや、福島へ帰艦した人や住んでいる人達との宿泊交流会を年に2、3回持ち、いまどういう状況が起きているかなど、普段なかなか見えないことを、県外避難者と県内居住者とで情報交換している。
 私の家族のことで言えば、両親や祖父母はずっと福島で、避難しているのは私だけだが、去年1年で親戚、家族が6人も入院することになった。
その中で心疾患が3人という状況だ。
大事には至らなかったが、心臓の疾患なので気にかかっている。
父が、先月苦しくなって検査入院したが検査の結果では心臓よりも甲状腺の異常が出たと言われ、薬を飲まなければいけなくなった。
60歳だが、甲状腺疾患は男性では少ないと聞いていたし、どういう影響なのかと感じている。
 こうして福島の声に耳を傾けて考えてくださる方がたくさんいることは、私たちも頑張って伝えていこうということの糧になるので、これからもよろしくお願いいたします。
●直子さんのもう一言
 先ほどのお二人も私も、人前で話すことを躊躇せずに饒舌になったのは震災のせいであるとも言える。
皆さんが関心を持って聞いてくださることで、私たちは「ここに居てもいいんだよ」と肯定されていると思え、話ができるようになった。
 避難したこと、原発事故は人生を大きく狂わされた憎むべきことだが、逆に言えば原発事故がなければ会えなかった方達に出会った。
そうでなければ私もずっといわきに居て、一生のほほんと過ごしていたと思う。
 でも今は、「安保法制法に反対するママの会」を立ち上げた。
VFP(ベテランズ・フォー・ピース)もやっている。
みずほ塾(福島瑞穂さんを囲む勉強会)もやっている。
などなど色々とやっている。
闘わなければいけない。
 先ほどの話にもあったが、自分の無知によって子どもを被ばくさせてしまったという思いがある。だから自分が無知だったら、次に何かあった時に行動できない。
政治の問題も、判らないといって声をあげないでいたら変わらないと思った。
判らないことは聞いて、グーグルで調べて、頑張って負けないようにしている。
避難者は、暗い悲しい、同情してほしいというマイナスのイメージがあるが、そうではなくてピンチをチャンスに変えて頑張っている姿を、どんどん発信していきたいと思っている。
弱かった自分だが仲間が増えたことで連帯して、子どもを守っているんだぞというふうにしていきたいと思っている。
 今日は、ありがとうございました。


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