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2018年6月22日号「裁判傍聴 6月20日福島原発刑事訴訟」

◎第18回公判
 20日(水)、福島原発刑事訴訟の第18回公判が開かれました。
東京電力の原子力設備管理部の金戸俊道さんが証人として、検察官役指定弁護士の渋村弁護士の尋問を受けました。
 金戸さんは平成8年に東電に入社し、津波対策を統括するグループに配属されグループマネージャーだった酒井さん、津波対策に中心的役割を担った課長の高尾さんの下で津波高の計算や他社との連絡などの実務にあたっていました。
●証人尋問、金戸氏証言
 酒井氏あるいは高尾氏から福島原発のバックチェックをするよう言われ、東電設計の久保氏と打ち合わせを行い、久保氏からバックチェックには地震本部の長期評価を取り入れないとまずいのではないかと、アドバイスを受けた。
この件を上司に報告した記憶は定かでないが、報告はしたと思う。
 長期評価は国のトップの学者たちがまとめた意見だから、これをとりいれずに安全審査が妥当だと評価されることはないと思っていた。
※これは酒井氏も高尾氏も同様に証言しており、津波対策を担当する現場では共通の認識だったことが改めて明らかになった。

 平成20年3月に、「長期評価」に基づいて最大15,7mの津波が襲うという計算結果をまとめ、沖合に防波堤を設置した場合などを検討し、6月には高尾氏とともに武藤副社長に報告をした。
 しかし7月に、武藤副社長は「さらに研究を続ける」と告げた。
これは時間をかけて検討するという経営判断だと思い、それには従うべきだと考えた。
長期評価では福島沖の巨大津波を伴う地震は絶対に起きるとは言えず、津波の高さや安全審査に通らないリスクも伝えて報告したつもりだったが、絶対に起きるかどうかわからないものについての経営者の判断だと思い、社員は従うべきだと思った。
長期評価を取り入れるかどうかは土木学会に研究が委託されたが、いずれは対策が必要になるだろうと思っていた。
 津波対策の実務担当者として他社と何度もやりとりをし、平成19年の会合では「三陸沖から房総沖の領域のどこでも巨大津波を伴う地震は起きうるとする長期評価を明確に否定する材料がないとすれば、長期評価を取り入れざるを得ない」と説明した。
これに対して女川原発を持つ東北電力の担当者は、「地震が三陸沖と福島県沖をまたいでで起きる波源モデルは考慮しないことにすれば、対策は取らずに済む」と言ったが、「それは難しい」と答え、電力会社間でも長期評価の取り扱いは議論になっていた。
平成20年には東海第二原発を持つ日本原電の津波担当者から、「主要施設設備建屋も浸水」「当社も非常に厳しい結果」などと書かれ防潮壁の設置や建屋の水密化などの対策を検討している旨が記されたメールが届いた。
 このように電力会社間で長期評価に関して議論は交わされてきたが、東電が対策を保留したことを受け、各社は共同で土木学会に研究を委託した。
※尋問の終わりころになって渋村弁護士から、3・11の地震の時にどう思ったか、対策を取っていれば事故を防げたと思うかを問われると、証人は次のように答えた。
「あの対策をしていたら今回の事故を防げたかどうか考えても、防げなかったと思う。
自分は地震直後は福島原発はあまり心配にはならず、まず女川原発が心配だった。
震源の範囲が長期評価と違いすぎていたからだ。
後で解析したが、波の遡上パターンが長期評価とは全然違うので、長期評価に基づいて津波対策を取っていても、事故は防げなかったと思う」
●この日の傍聴で思ったこと
 証人の金戸俊道さんが入廷した時の様子は、これまでの証人の誰よりも緊張しているように私には見えました。
証人席に座るのをとても恐れているように思えました。
最初に立って宣誓文を読み上げますが、その声も小さくはっきりとしていませんでした。
その後の証言は椅子に座ってマイクを通して話します。
 渋村弁護士の尋問に答える時「覚えていませんが、したと思います」というような「記憶にないが、そうだったと思う」のような言い方が午前中はとても多かったです。
けれども裁判長は身を乗り出すようにして、証人の言葉にしっかり耳を傾けていました。
私は、証人席に座るのはとても重圧感のあることなのだろうと思い、裁判長の姿勢にしっかりと聞いてくれていることを感じていました。
 午後になると金戸さんはだいぶ緊張もほぐれたようで、言葉もはっきりとして「覚えていませんが」とか「記憶にないですが」と言う言い方はほとんどなくなりました。
いつも傍聴席が隣同士のKさんとお昼をご一緒したのですが、その時にKさんも「『覚えていない』がすごく多いから、何回言ったか、数えたの」と言い、午後もKさんと隣同士に座ると、彼女は午前中に途中で気が付いて数えだし線を引いて正文字で数えていたのが、午後にはあまり線が引かれなくなっていました。
 そして午後も尋問が進んで、それまでは地震調査研究推進本部(推本)の長期評価に沿って対策をとるように現場では報告していたのに上層部がそれを怠ったという方向で証言をしてきた証人は、まるで「イタチの最後っ屁」のように、最後にあのような「長期評価に沿って対策をしていても防げなかった。長期評価と実際の津波遡上パターンが全然違う」という証言をしたのでした。
 それを聞いて唖然としたのは私だけではなく、傍聴していた仲間たち皆同様でした。
閉廷後の報告会で、被害者参加代理人の海渡雄一弁護士から、次のような説明がありました。
「検察側の証人尋問で何を聞くかは、予め証人には伝えられて証人はそれに対して答えていくので、検察側の調査に沿って打ち合わせ通りに証言をしていくが、最後のあの尋問は打ち合わせになかったことなのでしょう。だから証人は思ったままを言ってしまったのではないか」
 これを聞いて私には、裁判というもののあり方がまた少し判ってきました。
今回の裁判には当たりませんが、冤罪が起こる土壌のようなものが刑事訴訟にはあるのだとも思いました。
 そしてまた別のことですが、この日の裁判ではこんなことも思いました。
裁判長が、いつになくしっかりと証人の言葉に耳を傾けているように感じましたが(これはもしかすると私だけの感覚かもしれないとも思いますが)、もしかしたらこの証人は被告側に有利な証言をするだろうことを知っていて(つまり被告側弁護士と何らかの意思疎通があって)よく聞こうとしていたのでは?などと勘ぐっている私でもあります。
本来裁判には、そんなことはあってはならないでしょうし、私のゲスの勘ぐりなのかもしれませんが、裁判官は内閣に任命権があることを考えると、こんなゲスの勘ぐりも浮かんでしまうのです。

いちえ


2018年6月19日号「追記」

 前便で長々と私事など書いてしまいました。
多くの方が案じて下さって、返信を頂戴しました。
ありがとうございます。
そして、ご心配おかけしてごめんなさい。
 少し、追記したいことがあります。
かかりつけの眼科医で視野の検査をしても視野狭窄は無かったのに、普段の生活ではシャッターが半分降りたような見え方だったと書きました。
それは、こういうことではないかと思うのです。
 眼科医での視力検査の場合は、検査を受ける私が、そこに現れる光を見ようと意識して見ています。
だから視点を中央の緑の光に向けていても、検査版のどこに赤い光が光っても見落とさずに目に入ってきます。
意識していて見ている時には、視界に異常がないのです。
でも日常生活では、そこを見ようとしていないのに視界に入ってくる景色には無頓着でいるのですが、意識していなかったけれど見えていたものが視界に入らなくなった時に、初めて「意識していなかったけれど見えていたものがあった」ことに気づくのではないかと思うのです。
ちょっと回りくどい言い方ですがそんなことを感じ、それが手術を受けて視界が全開した時に思ったことでした。
このことは、心に留めておこうと思ったのです。
何か大事なことのような気がして。                  

いちえ


2018年6月19日号「お知らせ」

武器ではなく対話を

◎お知らせ①
 「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」の第19回集会の開催が迫りました。
今年はイラク戦争が始まって15年、日本は小泉政権のときでした。
2003年8月「イラク人道復興支援特措法」が、数の力で押し切られて可決され、イラクへの自衛隊派兵の道が開かれました。
多くの市民の反対がありながら、2004年1月に陸上自衛隊第1陣が派兵されたのです。
 友人の横井久美子さん、和田隆子さん、神田香織さんらと話し合い、自衛隊イラク派兵に反対の声をあげようと、「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」を立ち上げたのでした。
「平和を願う人、この指とまれ」のようにして賛同する仲間が増え、その年3月に第1回集会を持ちました。
集会の名称は「いま、語り 描き 写し 歌い 舞うとき」として、言葉で語る人、絵画や写真で訴える人、歌でダンスで思いを伝える人、様々な立場の人が、声をあげ思いを伝えてくれました。
 けれども私たちの平和への願いはなおも叶わず、ことにアベ政権になってからはますます危機感が募ります。
しかし一方では、南北朝鮮首脳の会談が実現し、初の米朝会談も実施されたことにかすかな希望を見出します。
このような世界の情勢のなかで、私たちはしっかりと「いま」を見つめて声をあげていこうではありませんか。
 皆様のご参加をお待ちしています。

◎お知らせ②
 〔信州発〕産直泥つきマガジン『たぁくらたぁ』45号が発売されました。
特集は【「種子」と「食」が危ない どうなる?どうする?種子法廃止】です。
また、3•11後は毎号、福島第一原発事故に関連した記事も載っています。
私は今号では、裁判傍聴記を書きました。
連載記事では沖縄から、浅井大希さんの「ノ パサラン やつらを通すな!」、大熊町から白馬に避難した木村紀夫さんの「白馬の森発 原発避難者の明日」ほか、読みでのある記事が満載です。
ぜひお手に取ってほしいと思います。
購入お申し込みは、オフィスエム(長野市上千歳町1137−2)へ。
電話:026−219−2470 Fax:026−219−2472 e-mail:order@o-emu.net
お近くの書店にご注文でも、大丈夫です。
1冊514円(郵送の場合は別途送料加算)ですが、定期購読(1期4冊)をお勧めします。
1期(4回分)講読料は送料込みで2,800円です。

※私事ですが
 先週の月曜日、眼瞼下垂の手術を受けました。
2年ほど前から、見え方に不快感を感じていました。
目が窓だとすると、シャッターが少し閉じかけているような見え方になっていたのです。
かかりつけの眼科医で緑内障の有無を調べるのに視野の検査も受けていますが、検査をすれば視野狭窄は全くありません。
でも日常生活では、いつも見え方にシャッターが閉じかかっているような不快感がありました。
 それがだんだん嵩じてきて、シャッター半分閉じている窓から見ているような感じになってしまったのです。
例えば向こうにある家を見ていて、その上の空を見なくても家を見ていれば普通にその上に広がる空が目に入っていて空を感じられたのですが、その感じがなくなってしまったと言えばいいでしょうか。
加齢からくる眼瞼下垂でした。
 かかりつけの眼科医で紹介された形成外科を訪ねました。
医師から説明を受けました。
瞼を閉じたり開いたりするのは、ミューラー筋という筋肉の働きだそうです。
その筋肉が経年劣化して瞼を上げる筋力が弱ってしまうために、眼瞼下垂が起きるのだそうです。
この伸びきってしまったミューラー筋を少し切って縮めると、また瞼がしっかり開くようになるというのです。
ただし手術して一時そのように治っても、また経年劣化してくるので瞼は下がってくるというのです。
それは人にもよるけれど数年先かもっと先かということで、1、2年後に再び眼瞼下垂ということはないと言うのです。
そう説明を受けて、手術を受けることにしたのです。
 両瞼に麻酔をして執刀が始まりました。
局所麻酔ですから医師や看護師の話は全部聞こえていますし、手術途中で医師から一度、閉じていた目を開けるように言われて見え方がどうかを問われて答えます。
執刀医は立ち会っている若い医師に、「これがミューラー筋」などと言って説明しているのも聞こえました。
 手術時間は、1時間半ほどだったでしょうか。
瞼の上はガーゼで抑えられていて目はほとんど開けられませんから、車椅子で病室へ戻りました。
外科病棟です。
3人部屋で、同室のお二人病名は判りませんが、巡回の看護師さんとの会話のから腹部の手術を受けたのだと知りました。
 私は目が塞がれているので、トイレに行く時はナースコールを押して、看護師さんに付き添われ、ガラガラと点滴液を下げる器具を押していくのでした。
痛みがひどくて痛み止めの頓服をもらって飲み、手術跡の痛みが薄らいでからも頭痛があり、今度は頭痛薬をもらって飲み、一夜明けてまた翌日も点滴を受けました。
 担当の医師が巡回してきた時に瞼の上のガーゼが外され、その時の嬉しかったこと!
半分閉じていたシャッターが、全開したように外が見えたのでした。
「もう一晩泊まりますか?不安だったらもう一泊していいのですよ」と言われたのですが、NYに住む娘がちょうど帰国している時だったので、彼女と一緒に過ごしたくて、退院しました。
 退院してからが辛かったです。
たぶん手術の間、また術後も、身体中が緊張していたのではないでしょうか、体全体がすっかり強張ってしまっていたのです。
前屈ができない、体をひねれない、手がよく伸びないなどなどロボットになった気分でした。
 若い時に腹部手術を3回受けていましたが、こんなことは初めてでした。
よほど緊張していたのだと思います。
今日抜糸しましたが、体の緊張もだいぶほぐれてきました。
術後はお岩さんかDV被害者かというような、内出血で紫に腫れていた患部も元に戻りつつあります。
明日からは社会復帰ができそうです。
先週は火・水・金と福島原発刑事訴訟の公判日だったのですが、傍聴に行けませんでした。
明日は、行こうと思います。
 長々と私事を記しましたが、眼瞼下垂で悩んでいる方がいらしたら何かの参考になればと思い、記しました。              

いちえ


2018年6月11日号「裁判傍聴 福島原発刑事訴訟第12〜14回公判」

 福島原発事故の刑事責任を問う裁判は、第12回公判が5月29日(火)に、第13回公判は5月30日(水)、第14回公判が6月1日に開かれました。
週に3日の公判でしたが、傍聴席には毎回福島からの方たちが多数詰めています。
私も可能な限り傍聴したいと思い、東京地裁に通っています。
公判ではこれまで隠されていた事実が、証人尋問で明らかになってきています。
今後の公判は、6月は13、15、20日の3回、7月は6、11、24、25、27日の5回が予定に組まれています。
8月は休みですが9月には再開され、結審は今秋の可能性もありそうです。
この裁判を、ぜひ注視してください。

◎第12回公判(5月29日)
 前回に引き続き東大名誉教授の島崎邦彦さんの証人尋問でした。
弁護側の岸秀光弁護士が、反対尋問をしました。
勝俣被告の弁護人である岸弁護士については前にもお伝えしましたが、質問の仕方がねちっこく、今回も地震本部での会議の様子を議事録の記載から細かく問いただそうとしていました。
★岸さんの質問
 長期評価(2002年)では、「三陸沖から房総沖の海溝よりのどこでも、マグニチュード8.2程度の地震が起こりうる」とまとめていますが、それまでには地震本部では専門家たちが様々な意見を出し合い議論して、最終的にそう評価したのです。
ところが岸さんは、議事録の中に「三陸沖よりもっと北の千島沖で発生した津波ではないか」「房総沖の津波地震は、もっと陸よりで起きたのではないか」などの専門家の意見があることを挙げて、長期評価は科学的に正解と言える評価ではないのではないかと質問しました。
★島崎さんの反論
 これに対して島崎さんは「専門家は自分の研究分野以外のことはよく知らないこともあるので、判らないからと遠慮するのではなく自由に活発に意見が出ることが大事だと考える。そういう雰囲気の中での専門家の議論は、右に行ったり左に行ったりしながら収束していく」と説明しました。
「文字に残すと荒い、雑駁で不用意な発言に見えますが、みんなの意見が出やすいようにしている。
1611年(慶長三陸沖)、1677年(延宝房総沖)、1896年(明治三陸沖)と、3回津波が起きたのは事実で、場所については議論が分かれるところもあったが、だからと言って長期評価から外してしまっては、防災に役立てられない」と反論しました。
★岸さんの質問
「証人は会合で、こう述べています。『やはり歴史地震の研究が不十分なところがあって、そこまではまだ研究が進んでいない。現在のことがわかっても昔のことがわからないと比較ができない』だから、証人自身も、地震計による観測がない1611年や1677年の歴史地震のことは、よくわからないと思っていたんじゃないですか?」
★島崎さん
 「歴史地震の研究は重要なのに、地震学者の間でさえその認識が行き渡っていないことが問題だという意味での発言で、『よくわからない』と『わからない』は違う。
震源域が図にかけるほどわかっているわけではないが、しかし全体的に見ていくと津波地震だ」
 島崎さんは本当にわかっていないことの事例として、天変地異を引き起こす巨大地震について説明しました。
ハルマゲドン地震と呼ばれますが、東北地方の日本海溝沿いでは、歴史上知られているよりもはるかに巨大な、陸地を一変させるようなハルマゲドン地震が起こる可能性があることは知られていました。
☆岸さんはこの日の反対尋問で「長期評価に信頼性はない」という被告側の主張を裏付けようとしたのですが、島崎さんの証言は岸さんの試みを跳ね返しました。

◎第13回公判(5月30日)
 第13回公判の証人は、元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣(つじよしのぶ)さんでした。
 都司さんは古文書を読み解いて歴史上の地震の様子を解き明かす「歴史地震」の第一人者です。
2002年に地震本部が発表した「三陸沖から房総沖までの日本海溝よりのどこでも津波地震は起こりうる」という長期評価をまとめた地震本部の海溝型分科会の一員でした。
 この日の公判は検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に都司さんが答える形で、長期評価がまとめられる過程で歴史地震研究が果たした役割を明らかにしていきました。
★都司さんの証言
 地震計を使っての近代的な地震観測が始まってから、まだ130年程しか経っていないから、古い時代に起きた地震を知るには古文書に書かれた記録や石碑に残る津波の跡を知ることが不可欠だ。
古文書に書かれた記述から、揺れの様子や津波の浸水域、被害の大きさを読み解き、地震学の科学的な知識と照らして、当時の地震の姿を解明するのが歴史地震学だ。
 毛筆で書かれた文章を読み、日本史の研究者とも協力して文書の内容を精査し、同時に津波の計算数値などの専門知識も生かして、古い時代の津波の姿を解明してきた。
そうして解ってきた地震の法則性を防災に生かすことができる。
 地震の記録が豊富に残っているのは約400年程前からで、江戸時代になってからのことだ。
幕府の支配で戦乱が起こらず古文書が散逸しなかったことと、江戸時代には寺子屋教育などによって識字率が高く、字を書く人が少なくなかった。
代官所、庄屋、商人、寺社などに記録が残っている。
 長期評価をまとめた海溝型分科会の専門家の間でも、歴史地震の知識は限られている人が多かったが、過去の地震について最新の研究成果をメンバーに提起して議論を重ねるうちに、意見は収束して1611年の慶長三陸沖、1677年の延宝房総沖、1896年の明治三陸沖は地震津波であるという結論に至った。
 1677年の地震は津波地震であることは、はっきりしている。
津波が広範囲で仙台の近くから八丈島まで到達したという記録があるので、陸地近くで起きた地震ということでは説明できない。
 まず古文書から福島県から千葉県沿岸の村の建物被害の記述を選び出し、当時の建物棟数と比べて被害率を計算する。
建物被害率が50%以上を浸水の深さ2mと算定し、村の標高を勘案して各地に到来した津波の高さを求めた。
その結果浸水の高さは千葉県沿岸で3~8m、茨城県沿岸で4.5~6m、福島県沿岸で3.5~7mと推定され、1677年の延宝房総沖地震は、従来考えられていたより高い津波をもたらしていたことが判った。
 調査の結果を生かして、茨城県は2007年に津波想定を見直した。
茨城県東海村の日本電源東海第二原発では、予想津波高が5.72mとなり、日本電源が2002年に土木学会の手法で想定していた4.86mを上回った。
このために日本電源は海辺の側壁を1.2m嵩上げする工事を始め、工事が終了したのは東日本大震災のわずか2日前だった。
襲来した津波は、嵩上げ前の側壁の高さを40cm上回っていたから、工事が終わっていなければ非常用発電機が動かなくなるところだった。
 歴史地震の研究成果が、東海第二を救ったと言える。
そして一方で東電は、歴史地震の成果を取り込んだ長期評価を無視しして大事故を引き起こした。

☆長期評価を生かして対策を採ったから大事故に至らずに済んだ原発(日本電源東海第二原発)もあったのに、長期評価を無視して対策を怠った東電の責任を、強く強く思いました。
 都司さんの証言はとても判りやすく、検察官役の久保内弁護士が古文書の解読について証言を求めた時には「古文書の8割以上は読み解けます。中にはどうしても読み取れない崩し字のようなものもありますが、前後の関係から内容は判ります」と答える様子など、研究への喜びが体にあふれているように思えました。

◎第14回公判(6月1日)
 この日の証人も前回に続き都司さんで、被告側弁護士の岸さんが反対尋問をしました。
★岸さん
 証人自身が1611年の慶長三陸沖は正断層地震と言ったり、海底地滑りでは?と考えていた時もあったようだが、現在は津波地震と言っている。
証人にもはっきりと確信が持てていないのではないのか?
計測できる地震計もなかった時代の、歴史地震研究は不確かなものではないのか?
★都司さん
 1611年の大津波は正断層地震や海底地滑りが引き起こしたと考えた時期もあったが、現在は津波地震だと考えている。
そのように迷ったのは、古文書の『宮古由来記』にあった僧の行動が原因だ。
1611年10月28日の午後2寺頃、宮古の常安寺の僧が法事のために寺から1キロ離れた家にいた時に、海の沖の方からポキンッと大きな音が聞こえて異常を感じ、急いで寺へ帰ったがそこで大津波に襲われて、高所に逃げて助かった。
この時の津波で宮古の中心街はほとんど壊滅し、民家1100戸のうち残ったものは6軒のみで、水死者110名だったと『宮古由来記』に記されている。
 正断層型地震の昭和三陸沖(1933年)の時にも大きな音の報告があり、それは太平洋プレートが日本海溝付近でポキンッと折れることによって生じるので、音は正断層型地震の特徴だ。
『宮古由来記』に記述されてあった僧が聞いた大きな音ということから正断層型と思った時期もあったが、もし正断層型だったら揺れによる被害も古文書に残されているはずなのに、多くの文献を読み直しても陸上での被害が全く見当たらず、陸上での被害がないのは津波地震の特徴だ。
古い文献には地震の揺れによる被害の記録がなかった。
 1998年にパプアニューギニアで海底地滑りが大きな津波を引き起こし、この時にも海で大きな音がしたという証言があったことから、1611年も地滑り説も考えたが、もしそうなら津波が明治三陸沖よりも広範囲を襲ったことと矛盾すると考えた。
そうしたことから、津波地震である可能性が最も高いという結論が導き出された。
いろいろな情報が入ってくるごとに、自然科学の研究者は過去の考えを改めることはあり、考えが変わらないことのほうがおかしい。
★岸さん
「地震の起きている場所が日本海溝よりも陸地によっているように見えるが?」と、2003年の渡邊偉夫氏の論文を示して質問。
この論文は、機械でしか観測できないような小さな地震も含めて津波地震が福島沖を含む日本海溝沿いにずらりと並んでいることを図示したもの。
★都司さん
 まだ全国に数台しか地震計がなかった明治時代の観測記録も含まれていて、一の精度の悪いものも入っている。
★岸さん
 なぜ精度が悪い論文を、法廷に出してきたのか?
★都司さん
 精度が悪いことと、全く情報がないことは違う。
ぼんやりではあっても、そこから一定の情報は引き出せる。
曖昧さが含まれているなら、全部消してしまえということにはならない。

☆岸さんは、まるで揚げ足取りのように証人の言葉尻を捉えて証言は矛盾していると言いくるめようとしましたが、その度に証人の反論は一層鮮明になったので、聞いていて私にも長期評価の正当性が尚よく理解できました。
都司さんの歴史地震の講義を受けているようにも思えて、とても勉強になりました。
 明後日12日は第15回公判、翌13日に第16回公判が開かれます。
私は11日一泊入院なので12日は傍聴できませんが、13日にはまた傍聴に行く予定です。                             

いちえ


2018年6月9日号「お知らせ その②」

お知らせを続投いたします。

「前財務事務次官のセクハラ問題から見えてきたこと」
添付の要領でシンポジウムが開かれます。
#Me Too #We Too #With You と声が上がり、そして広がった流れを途切れさせず確かな力にしていきましょう

日時:6月18日(月)18:30〜20:00
場所:毎日新聞東京本社ビル(パレスサイドビル)地下1階「毎日ホール」
報告及び発言者
*ビジネスインサイダージャパン統括編集長:浜田敬子さん
*「性暴力と報道対話の会」:小川たまかさん
*東海大文化社会学広報メディア学科教授:谷岡理香さん
*臨床心理士*斎藤梓さん
*司会は毎日新聞社記者:明珍美紀さん
お申し込みは「毎日メディアカフェ」 http://mainichimediacafe.jp/ まで。

20180618_前財務事務次官のセクハラ問題から見えてきたこと


2018年6月9日「お知らせ!」

 嬉しいお知らせです。
ぜひお運びいただきたい催しです。
1月22日にお送りした「一枝通信」でお伝えした『天福ノ島』、東京公演のお知らせです。
この日の「一枝通信」を、再送します。

*****一枝通信 1月22日配信********************
◎天福ノ島
 はぴーあいらんど☆ネットワーク演劇プロジェクトの公演「天福ノ島」の観劇に、三春のデコ屋敷に行きました。
「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」は、須賀川に拠点を置くNPOです。
原発事故後、ここに活動していた仲間たちが集まって2011年5月に立ち上げられました。
福島に住むことに正面から向き合いながら、多岐にわたる様々な、そして困難な問題を共有しながら、今を見つめ未来を考え活動を続けるグループです。
その活動も、健康相談会、保養プロジェクト、ワークショップ、演劇プロジェクト、ぷちゃ会(子育て中のお母さんを中心にしたお茶会)、はぴ☆フェス(日本各地から歌や踊り、アートの仲間が集って平和をテーマに催すフェスティバル)など、活動も多岐にわたっています。
「天福ノ島」は演劇プロジェクトの第2弾としての公演でした。
 第1弾は「U235の少年たち」として、戦時中の福島でウランの採掘に動員されていた少年たちを題材にした演劇でした。
今回の第2弾「天福ノ島」は、明治時代初期の頃、「西の土佐、東の福島」と言われた福島の自由民権運動に身を投じた青年たちの姿と、原発事故による被災という未曾有な経験をした福島が今抱えている問題をオーバーラップさせ、観る者に問いかけ、考えさせてくれる素晴らしい演劇でした。
 会場で配られたプログラムにあった言葉を記します。
「福島自由民権運動の発祥の地」と言われる三春の地での再演が決まり、稽古期間中は改めて当時に想いを馳せることができました。
あの時代、人々は何を求めて自由民権運動を行ったのか。
今の時代に無い新鮮な風を感じています。
私たちは東日本大震災後、福島の今を見つめ問題を共有しながら未来へつなぐための活動を続けてきました。
演劇プロジェクトは一つの手段です。
様々な活動を続けてきた中で気づいた事。
多くの困難や苦しみは「当事者」のみが理解し乗り越えていく。
「当事者」と言われ、「当事者」でなければ気づけない。
しかし多くの理不尽な出来事は、「当事者」のみに背負わさせるべき事なのか。
誰かに自分を置き換える事が出来る。私なら、として考える事が出来る。
演劇の力は、きっとそういうところにあると感じています。
明治のあの時代に生きた若者たちが掴み取ろうとしたものを、持ち帰って頂けたらと思います。         NPOはっぴーあいらんど☆ネットワーク代表 鈴木真理」
 会場のデコ屋敷大黒屋は古民家で、ここでの公演を観ることができたのもまた、とても嬉しいことでした。
脚本も演出も素晴らしく、プロの演劇集団ではないのですが演技もまた素晴らしく、私は今思い出しても涙が溢れます。
「あの時代に生きた若者たちが掴み取ろうとしたものを」、持ち帰ったと思う私でもありました。
多くの人に見て欲しい!是非東京でもやって欲しい!と心から願っています。
何とかして東京公演を実現できないかと、模索中です。
***********再送ここまで*******************

 1月に三春のデコ屋敷で『天福ノ島』を観て、ぜひ東京でも公演をして欲しいと思いました。
はっぴーあいらんど☆ネットワークの鈴木さん、大野さんに相談したところ、はっぴーあいらんどは秋に大きな催しの予定があるので8月までなら可能だけれど…というお返事をいただきました。
私はそれから会場探しをしたのですが、都内の劇場はすでにどこも既に塞がっていました。
公共の施設も当たりましたが同じ使用者が連日使用は難しかったり、何ヶ月か前に申し込んで抽選で決まるなどなどで、公共の施設も確保できませんでした。
はっぴーあいらんどさんに会場確保ができなかったことをお伝えしたところ、公演の記録映像と短編の芝居上演、上演後のゲストトークという形での東京公演を考えているという嬉しいお返事が返りました。
そこで改めて会場探しにかかりました。
はっぴーあいらんどさんもあちこち当たってみたようですが、私がご紹介したシネマハウス大塚での公演ということで決定したのです。
 ぜひ、ぜひ、皆様にお運びいただきたくご案内いたします。
アベさんが現憲法の壊憲を目論んでいる今、そして明治150周年が声高に叫ばれている今、多くの方にご覧いただきたい公演です。
7日18:30の回では、終演後のトークを私がいたします。
どうぞ、7月7日あるいは8日を、ご予定に入れていただきたくお願い致します。     

いちえ

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関連:

2018年6月7日号「7人委員会アピール」

 大石芳野さんから、7人委員会のアピールが届きました。
皆様にもご覧頂きたく、転送します。
現内閣の即時退陣を求めたアピールの発表は、7人委員会が始まって以来、初めてだそうです。
以下が、7人委員会のアピールです。                 

いちえ
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WP7 No.130J 2018 年 6 月 6 日
安倍内閣の退陣を求める
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫 島薗進
5 年半にわたる安倍政権下で、日本人の道義は地に堕ちた。
私たちは、国内においては国民・国会をあざむいて国政を私物化し、外交においては世界とアジアの緊張緩和になおも背を向けている安倍政権を、これ以上許容できない。
私たちは、この危機的な政治・社会状況を許してきたことへの反省を込めて、安倍内閣の即時退陣を求める。
連絡先:http://worldpeace7.jp


2018年6月7日号「5月11日安保法制違憲訴訟 国賠請求裁判傍聴記③」

◎原告本人尋問
 尋問なので代理人弁護士、国側代理人、裁判官からの質問に原告が答える形で進められますが、それに対する原告本人の返答のみを記します。
法廷で書き留めたメモからなので、字句はそのままではない事をお断りしておきます。
●原告本人:井筒高雄さん(元自衛官)
 自衛隊に入隊したのは、高校時代から陸上の長距離が得意で選手として続けたく思い、自衛隊体育学校に入校しようと思った。
そのためには自衛隊一般部隊に入ってから入校するのだが、入校が叶わずレインジャー教育を受けることとなった。
 一人で数人分の働きをするのがレインジャー部隊で、一ヶ月半の基礎訓練の後で東富士演習所で射撃訓練、生存自活訓練を受けた。
生存自活訓練は食料を持たずに野外で生きるための訓練で、そこで手に入る野生の草木やカエルやトカゲなどの生物を火を使わずにそのまま食べ、水も浄化されていない自然水で生き延びる訓練だ。
そこでは様々な訓練をされる。
橋桁爆破の爆発物の作り方や、上官がマシンガンを撃つ中を匍匐前進する訓練、自分が捕虜になった時に口を割らない、また逆に捕虜にした者の口を割らせるにはどうするかなども訓練された。
レインジャー特有のこうした教育には、自由や人権はない。
 定年までいるつもりだったが、三等陸曹だった1992年PKO法ができて辞めようと思った。
敵が攻めてきた時の訓練しか受けていず、PKOという不完全な法の下では無理だと思ったことと、レインジャーの先輩が訓練中の戦車に轢かれて死んだことも原因の一つだ。
依頼退職後に社会人入試で大学に入り、高校の教員を目指した。
 阪神淡路の震災が起きた時にボランティア活動に関わった後、加古川市議を2期8年務めた。
議員を辞めた後で派遣社員として働いていた2014年に、議員時代の同僚から「赤旗」の取材を受けたが、それがきっかけとなって取材や講演が続いた。
 国会議員が、戦争のリアルを知らない。
9条がある中で不完全なPKO法が施行され、イラクや南スーダンに自衛隊は派遣された。
そこは国内の訓練とは違う現場で、隊員の士気は下がることはあっても上がることはない現場だ。
2004年のイラク戦争をしっかり検証して議論していれば、安保法制は成立しなかっただろう。
自衛隊は世界中、何処へでも行けることになり、同盟国が攻撃を受けたときには、日本は当事国になる。
そして自衛隊の訓練方法も変わった。
仲間がやられたらそれを見捨てても攻撃を続けるし、敵との距離が数10mの市街地で一発必中で殺すか足を狙って捕虜とするかなど。
 自衛隊員の家族から相談を受けることや、本人から相談を受けることもある。自分が25年前に依頼退職した時よりも一層、自衛隊員の命は軽んじられている。
医療衛生兵ができることは包帯で止血ができるだけで、装甲救急車も配置されない。
駆けつけ警護という言葉での派遣も、あってはならないことだ。
 20歳と14歳の娘がいるが、彼女らもいずれ結婚して子供を産むだろう。
戦後70年平和国家だったが、これからは日本社会がどうなるか、海外で自衛隊が戦闘行動をするようになる。
専守防衛の設計で組まれた予算は、海外で戦闘になれば戦争の財政予算を組むようになり、本来なら教育、福祉に回す予算が軍事に回される。
9条を変えさせる安保法制が成立し、こんな法律で自衛隊員や家族を悲惨な目にあわせたくない。
2人の娘の親として戦争へつながる安保法制には反対で、違憲であると考える。
学校教育で学んだ三権分立が、真っ当に機能することを望む。
●原告本人:常盤達雄さん(鉄道員)
 JR東日本勤務で、一般の駅員の業務に就ている。
自宅は自衛隊通信所まで1.5Km、米軍基地まで4Kmで、横田基地は在日米軍総司令部の基地だ。
重要施設だが警備が薄い。
 駐留軍物資輸送、燃料輸送は現在週に2〜4回行っていて、横田基地は輸送の拠点だ。
有事になれば鉄道が使われ、「優先的に動かせ」ということになる。
戦争中は鉄道員に多くの死者が出たし、被害も多くあった。
現在勤務する管轄域では戦争末期1945年8月5日に、市民多数が犠牲になった湯の花トンネル銃撃があった。
 一般の人にはあまり知られていないが、戦傷病者は鉄道運賃後払いのシステムがあり、該当者は無料切符で鉄道利用できる。
恩給法によるものだが、36年前に入社して以来、毎日相当数を売った。
今はその切符を使う人も減っているが、再びが増えるようになって欲しくない。
 安保法制は憲法違反の法律であるということが、頭から離れない。
安保法制ができてから、毎日不安でならない。
陸上自衛隊基地があってもこれまではあまり不安を感じないできたが、今は日々不安を抱えるようになった。
戦争への不安、テロ攻撃への不安は、基地周辺の住民には重くのしかかる。
三権分立のこの国で、司法のきちんとした判断を望む。
●原告本人:堀尾輝久さん(教育学者、東大名誉教授)
 安保法制が成立して、日本がどこへ行くのか危惧の念を抱いた。
 軍国少年として育ち、戦後、平和の意味を考え法学部から教育学部に転じ、平和の意味を考え続けてきた。
15年戦争が始まった時に生まれたが、父は陸軍軍医で中国へ征き北支で戦死したため「誉れの子」「靖国の子」として育った。
その頃受けていた教育は、平和のために戦争をしているという教育だった。
だから軍医で戦病死だった父の死についても、騎兵ではないから戦死ではなく戦病死だった。
戦争では、死にも序列がある。
 戦後になっての教育で、教科書の墨塗り体験がある。
教科書の墨塗り体験。この価値観の転換は、自分にとって非常に大きなこととなった。
『新しい憲法の話』という小さな冊子が配布されたが、素晴らしい言葉が書いてあるとは思っても、どこまでそれを信じていいか、簡単に大人の言葉が信じられなかった。
 1951年に大学に入学し平和憲法についても、日本がどこに向かうのか、時代や物事を疑い深く考えるようになっていた。
丸山真男の「日本のナショナリズムとファシズム」ゼミで学び、それは自分自身を、また時代を問い直す機会だった。
カントの「平和論」を読んで日本の憲法の芯だと感じ、教育哲学に進んだ。
憲法の成立過程を実証的に調べ、教育の目標は平和の文化を育てることだと確信した。
そして、平和の思想史、子どもの権利、現場の教師との取り組みを考えていった。
 現代をどう捉えるか、1945年を転換点としてそれ以前と以後で考えると、1945年に、戦争は悪であるとはっきりと認識された。
平和はユニバーサルなものと考えるようになった。
9条の成立過程の、歴史的研究を重ねた。
平和の思想史から考えて戦争は悪であり、原爆体験後の平和憲法であると確信した。
「押しつけ憲法」とか「押しつけられた惨めな憲法」などの論があるが、成立過程から言えば、幣原が提起したものだとマッカーサーの資料、憲法調査会資料にもある。
 集団的自衛権・安保法制強行採決によって、国民の精神的自由に大きな箍が嵌められた。
個人の尊厳・人格権の侵害であり、教育者の使命としてこれに反対する。
 この裁判は、非常に大きな意味を持つ。

◎閉廷後の報告集会
 傍聴できなかった人たちも参加しての報告集会では、原告代理人弁護士、原告本人から、法廷での証言が短く話されました。
また安保法制違憲訴訟は全国各地で取り組まれていますが、地方で闘っている弁護士の方たちも口頭弁論を傍聴されていて、その感想などを述べられました。
長くなりましたが、5月11日の裁判傍聴記を終わります。
長文を御読みくださって、ありがとうございました。             

いちえ


2018年6月7日号「5月11日、安保法制違憲訴訟 国家賠償請求裁判傍聴記②」

裁判傍聴記の続きです。

●伊藤 真弁護士:「裁判所の違憲審査のあり方と役割」
⒈組織のガバナンスと裁判所への信頼
どんな組織でも、完璧であることは不可能である。
人間が組織を作り運営する以上は、会社であれ国家であれ、組織を担う人間が不適切な行動をとることがある。
そこで、そのような不正をチェックする機関の存在が不可欠となる。
企業でいえば社外取締役であり、第三者機関による検証である。
国家においても同様で、国家組織のガバナンスの基本が権力分立で立法、行政、司法が相互に抑制・均衡を保つことで、国民の人権保障を図ろうとしている。
その構造を真似て、株主総会、取締役会、監査役という株式会社組織の基本は作られた。
国家組織のガバナンスは、企業にとっても手本となるべきもののはずである。
その国家のガバナンスが現在、底が抜けたように機能しなくなってしまっている。
国会による行政統制のために不可欠な情報が、公文書の隠蔽、廃棄、改竄等により信頼できなくなってしまった。
仮に司法による政治統制が、司法自らの自制と称する姿勢によって機能せず「ダメなものはダメ」と言えないのであれば、この国の国家組織のガバナンスは、とても企業や個人の手本になるものとは言えなくなる。
それは、裁判所に対する国民の信頼を失うことを意味する。
原告らばかりか多くの国民は、政治に絶望しても司法への信頼を完全には失っていない。
だからこそ、本訴訟を提訴し、支援している。
司法への信頼が、国民の国家への信頼の糸をかろうじて繋ぎ止めているのである。
このことは、裁判所にとっても極めて重要なことと思われる。
財布も武器も持たない裁判所にとって最も重要なことは、国民からの信頼である。
国民の信頼こそが、司法権という国家権力行使の正統性の源泉である。
裁判所が憲法判断を下しても、国会がそれに従わなければ裁判所の威信に傷がつくという考えがあることは承知している。
しかし、それ以上に、裁判所が国民から判断を期待された争点についての判断を避けることによって失う信頼の方が大きいことを忘れてはならない。
本件訴訟で原告らが提起している争点は、原告らには法的保護が必要な被害が生じていること、そして新安保法制法の内容及び制定手続きが違憲であることである。
どちらも重要な争点であり、裁判所が判断する必要のある事項である。
原告の請求を棄却する場合であっても、憲法判断を行っている例は少なくない。
それは合憲違憲の判断を明示的に示す必要性が、当該憲法問題の重要性、社会的影響等を考慮した個々の事案として認められたからに他ならない。
そうした裁量を委ねられている裁判所として、それを適切に行使する責務があるからに他ならない。
準備書面で引用した首相の靖国神社公式参拝を違憲判断した九州靖国訴訟(福岡地裁平成16年4月7日)は、以下の通り、違憲判断をすることが自らの責務であると判示している。
「本件参拝は、靖国神社参拝の合憲性について十分な議論も経ないままなされ、その後も靖国神社への参拝は繰り返されてきたものである。こうした事情に鑑みるとき、裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであり、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記のとおり判示するものである」
しかし、本件は、裁判所から見てその程度のものなのだろうか。
現在の日本の政治状況は、とても議会制民主主義が十分に機能していると胸を張れるものでないことは、裁判所もよくわかっていると思う。
秘密保護法、新安保法制、共謀罪など十分な議論と検討が必要な法律が、数の力によって押し切られるように成立してしまった。
昨今の官僚、政治家の不祥事、不適切な発言をあげるまでもなく、議会制民主主義の根幹が揺らいでしまっている。
こうしたときに裁判所がその役割を果たさずして、果たして日本に未来はあるだろうか。
政治的な問題だから司法は口を差し挟まないという態度が、国の方向を誤らせるのではないか。
後世から見れば、あのときが重要な分岐点だったといわれる時に、今私たちはいるのではないか。
⒉憲法判断と政治性
憲法とは国家権力を拘束し抑制するための法である。
権力の暴走や乱用に歯止めをかけ、国民の権利、自由、平和を守ることが憲法の存在意義である。
よって、憲法判断とは必然的に時の政治に対抗する色彩を帯びる。
憲法判断をすること自体が、本来極めて政治的なものなのだ。
戦前の大日本帝国憲法は、裁判所に違憲審査権を認めず、司法権の独立を認めず、行政訴訟すら司法権に含まれず、裁判所の権限から除外されていた。
それが、日本国憲法の下で、行政訴訟を含め全てが司法権に含まれ、司法権の独立が認められ、裁判所に違憲審査権が認められた。
これは司法が極めて政治的な判断をすることを憲法自体が認めたことを意味する。
こうした政治的な判断権限を裁判所に与えたからこそ、政治部門から不当な影響を受けないように、裁判官の身分も憲法上、最大限保障されることになったのである。
司法権が独立し、身分が保障された現行憲法の下の裁判官が恐れるものは、何もないはずである。
裁判所が憲法判断することは時の政権に異論を唱えることになるが、それは健全な政治部門を回復するためにむしろ、政治部門の機能不全の改善に資するのである。
最高裁の最終的な憲法判断をより充実したものにするために、地裁段階であらゆる資料を確保し記録化しておかなければならない。
判断基礎資料確保は地裁段階における極めて重要な責任であるから、証人尋問を実施し上級審における基礎資料を充実させておくべきである。
⒊これまでの憲法9条裁判との違い
本件訴訟は、これまでの憲法9条が問題となった裁判とは全く異なるものである。
長沼事件、恵庭事件とは異なり、自衛隊の存在そのものの合憲性を争うものではない。また、砂川事件のように安保条約の合憲性を争うものでもない。
これらとは、政治部門への配慮の必要性が全く異なる。
国民の多くが認め、長期間存在してきた組織や条約に対する憲法判断に躊躇を覚える裁判官がいることは理解できるが、本訴訟はそのようなものではない。
これから違憲の既成事実が積み重ねられようとしている時に、裁判所が人権と憲法価値の擁護者として判断するだけである。
イラク訴訟等とも異なり、法律制定手続き自体の瑕疵をも問題にしている訴訟である。
法律制定手続きの異常さ、十分な議論も国民への説明もなされないままに、これまでとは全く違う国柄になってしまうような前代未聞の事態が起こった。
民主主義というプロセスそのものを傷つけたことが、国家行為の違法性の根拠となる。
政治的に意見が分かれる問題について、政治的敗者が不満を述べるようなものでは全くない。
圧倒的多数の有識者や法律専門家が違憲とする法律が、十分な議論を経たと国民の半数以上が認めない中で、単なる数の力で成立させてしまったという法的にはクーデターと評される事態を問題にしているのである。
もちろん安全保障政策に関する国民の意見は多様である。
具体的な安全保障政策の実現や外交交渉の内容などは、政治部門の判断に委ねられる。
しかし、内閣、国会が最低限遵守しなければならない枠組みは、憲法によって規定されている。
政策の当不当の判断ではなく、こうした憲法の枠組みを逸脱した立法か否かの判断こそは、司法の役割に他ならない。
本件訴訟は、新安保法制法の安全保障政策上の当否の判断を裁判所に求めているのではない。
あくまでも、新安保法制法が、憲法が許容している枠組みを逸脱しているか否かの判断を求めているだけである。
この問題を政治の場で解決すべきであるとして裁判所が憲法判断を避け、政治部門の行為が憲法の枠組みを逸脱しているか否かの判断を放棄してしまうことがあれば、それこそ司法による政治部門への追随であり、極めて政治的な判断をしたと評価されることになろう。
今回の事件は憲法判断を避けること事態が、極めて政治的な判断であることを意味する事案なのである。
仮に、憲法判断を避けるとしたら、司法は時の政権与党に逆らわない法がいいというだけの話となり、人はそれを保身という。
政治的判断に踏み込みたくないという裁判所の意図とは全く逆に、裁判所が極めて政治的な判断をしたと国民は評価するだろう。
その結果、裁判所に対する国民の信頼は失墜するだろう。
⒋最後に
私事で恐縮だが、私は37年間司法試験の受験指導に関わってきた。
裁判官諸氏は、何のために憲法を学んだのであろうか。
単なる試験科目ではなかったはずである。憲法には人類の叡智、日本の先人たちの叡智が詰まっていることに気づいたはずである。
また憲法9条には、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないという先人たちの強い思いが込められていることも知ったはずである。
それに感動したこともあったのではないだろうか。
私は、国民に憲法価値を知ってもらうため、全国で講演を続けている。
立憲主義が蹂躙された時に国民として何ができるかを考え、実践しているつもりである。
しかし、隔靴掻痒の感を否めず、素直に言って、同じ憲法を学んだ者として、裁判官をとても羨ましく思う。
裁判官は素晴らしい職業である。
憲法価値を守る権限が与えられ、それを仕事として実践できる唯一の職業である。
自らの意思で憲法を蘇らせることができ、目の前で苦しんでいる原告に希望の光を与えることができるのは裁判官だけである。
そして、裁判官には何も畏れるものはない。
仮にあるとすれば、自らの良心と憲法だけである。
従うべきものも自らの良心と憲法だけである。
代理人は、裁判所にあえて「勇気と英断」などは求めない。
この歴史に残る裁判において、裁判官としての、法律家としての職責を淡々と果たしていただきたいだけである。
憲法を学んだ同じ法律家として、司法には、政治部門に対して強く気高く聳え立っていてほしい。
このことを弁論更新に際して切に願う。
●古川健三弁護士:「原告らが受けた被害について」
⒈恐怖および欠乏からの自由としての平和的生存権
日本国憲法前文2段は、次のように宣言している。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
平和的生存権とは、決して抽象的な「平和」を求める趣旨でなく、一人一人の市民に、具体的に恐怖からの自由、欠乏からの自由を保障するものである。
恐怖からの自由、欠乏からの自由はルーズベルトが1941年に提唱した4つの自由のうちの二つである。(注:他の2つは「信仰の自由」「表現の自由」)
この「4つの自由」を普遍的原理とする考え方は世界人権宣言にも取り入れられ、「平和の権利」を保障しようとする動きは今や全世界に広がっている。
ところが今日、「恐怖」と「欠乏」は極めて具体的なものとして私たちに襲いかかってきている。
「平和安全法制」という美名とは裏腹な「戦争法」ともいうべき新安保法制法の実態は、私たちが幾多の犠牲の上に築き上げてきたこの国の姿を根底から覆した。
原告らが歩んできた人生は、日本が他国の戦争に協力し戦争当事国となる法的仕組みを持ったことによって毀損され、具体的な恐怖として立ち現れた。
⒉原告らの個別の被害
先に行われた原告本人尋問に現れた原告らの被害について述べる。
⑴原告横湯
原告横湯は沼津大空襲で亡くなった女学生の肉片が木に張り付いている様子や焼死体が累々と並べられた様子、治安維持法で弾圧された父の死後、母と工場の屋根裏に隠れた記憶を生々しく語っている。
それらの記憶は、新安保法制法の制定によってフラッシュバックして横湯を苦しめる。
⑵原告清水
原告清水の息子は先天性の心臓疾患があり、手術を受けた当時は成人まで生きた前例がないと言われていた。
息子は成人した今も300m歩くごとに休憩しなければならず、A4コピー用紙2冊を持つのがせい一杯だ。
新安保法制法の制定は、ナチスドイツで障がい者が惨殺された歴史を清水に想起させ、2016年に相模原の福祉施設で起きた事件は、新安保法施理法制定後の社会で、障がい者は「生きる価値がない」と見なされるようになったことを象徴する事件として原告清水を震撼させた。
⑶原告平原
原告平原は、長崎の被曝体験者だ。
担架で運ばれてくる犠牲者の火傷で皮膚がずるずると向けている様子は、平原の心に深い傷を残した。
平原は、日本には憲法9条があって、もう戦争はしない、してはいけないということに大きな安心感を持って生きてきた。
ところが新安保法制法によって再び日本が戦争に巻き込まれる時が来るかもしれないと大きな不安を感じ、またそれが国民に十分に語られないまま決められたことに憤りを感じている。
それは原告平原の被爆体験と、それを原点としたその後の人生の否定という極めて重大な被害をもたらしている。
⑷原告新倉
原告新倉は基地の町横須賀で平和運動を続け、基地に配属されている自衛官やその家族は憲法9条によって守られ、実際の戦闘への派遣が食い止められていることを実感している。
原告新倉にとって憲法9条は、自衛官や米軍兵士との間でも共有できる普遍的な価値だ。
新倉は、ある時現役自衛官から「命令があれば行かざるを得ないから、そんなひどい命令を出す政府を絶対に作らないでほしい」と言われたことがある。
ところが新安保法制法は、基地の町横須賀の危険度を著しく高めた。
新安保法制法による武器等防護は、横須賀基地所属の「いずも」によって実施された。
横須賀基地は米原子力空母の母港で、原子炉がメルトダウンした場合は基地から8Km
内は全数致死と言われている。
新安保法制法の制定は、具体的な戦闘を想定せざるを得ない状況を作り出し、横須賀基地周辺の危険性は、新たなステージに持ち上げられてしまった。
⑸原告渡辺
原告渡辺は原発の設計に長く関わってきた技師であり、誰よりも原発の恐ろしさを知っている。
原発は原子炉が破壊されなくても冷却材の喪失で、容易に重大事故を引き起こす。
使用済み燃料も、極めて危険な放射性物質を多く含んでいる。
新安保法制法の制定は、日本が戦争当事国となり攻撃を受ける可能性をもたらした。
原発は、運転を停止して使用済み燃料を放置して冷やすことで安全を保てるが、新安保法制法は、日本への攻撃の可能性をもたらした。
このような形で安全管理を困難なものとし、原発の危険性を技術的に低減させる方法を新安保法制法が奪った。
新安保法制法は技術者としての渡辺が、原発をフェイズ・アウトしようとする試みを粉々に砕いた。
⑹原告菱山
原告菱山は、祖母から八王子大空襲の体験を聞き、戦争の恐ろしさと戦争を放棄した憲法9条の素晴らしさ、大切さを知った。
2001年9月11日アメリカでの同時多発テロとその後の動きで、戦争でテロに立ち向かってもテロは無くならないとの思いから、反戦平和運動に参加するようになった。
2015年9月19日未明の強行採決で、これからどうなるのかと地獄の蓋が開いたような恐ろしさを感じた。
新安保法制法制定後は、原告菱山のアイデンティティの中心にあった憲法が蹂躙され、戦前戦中のような時代が始まったことに対して恐怖を感じている。
⑺原告安海
原告安海はインドネシアで生まれ育ち、かつて日本軍がインドネシア人を虐殺した歴史を間近に感じてきた。
また2001年9月11日当時はアメリカに留学しており、愛国心が煽り立てられて悪に対する武力の行使はやむなしという空気が巻き起こり、戦争に突入する姿を目の当たりにした。
その経験から、新安保法制法を強行採決した日本がまさに、911テロ当時のアメリカにそっくりであり、日本が戦争へ突入することへの恐怖を感じている。
またキリスト者として、神道が上位に置かれて他の宗教が弾圧され戦争に加担させられた苦い歴史の繰り返しを危惧している。
原告安海は、新安保法制法制定により、信仰と信念に基づいた行動と言論すらも監視され、排除されるのではないかと、極めて切迫した危機感を持っている。
3、まとめ
以上の通り、新安保法制法の制定は、原告らの人生そのものを否定し、生命と人格に対する重大な脅威を現実化させている。
これらの恐怖から私たち市民を守るのが憲法、そして裁判所の本来の責務だ。
本日もこの後3名の原告本人尋問が行われるが、裁判所においては、原告らの体験と感性に寄り添ってその証言に真摯に耳を傾け、原告らの訴えの重大さ、深刻さに想いを致していただきたくお願い申し上げる。
●棚橋桂介弁護士:証人の採用について
5月9日付証拠申出書を裁判所に提出し、従前立証計画で示していた19名のうち特に8人について、尋問すべき必要性が高く、証人として採用すべきと主張する。
その8名とは、元内閣法制局長官の宮崎礼壹さん、元最高裁判事の濱田邦夫さん、参議院議員の福山哲郎さん、ジャーナリストの半田滋さん、軍事評論家の前田哲男さん、ジャーナリスト・NGO職員の西谷文和さん、小説家・歴史家の半藤一利さん、学習院大学教授(憲法学)の青井未帆さんだ。
私たちが8名の証人尋問で立証しようとしているのは大きく分けると、次の3点だ。①新安保法制法の違憲性、②その他の加害行為 (国会での参考人質疑で、新安保法制法が違憲である疑いが強いことが明確にされたにも拘わらず、その点についての議論が十分なされないまま、決議の有無さえも分からないような異常な状況で強行採決が行われたこと等)、③原告らの訴える精神的被害に客観的根拠が存在することを基礎付ける事実、以上の3点だ。
証人尋問が必要だとする私たちの主張に対し被告は、「原告らが予定している証人による立証は、本件の争点である国賠法救済を得られる具体的な權利ないし法的利益の有無を離れて、実質は原告らの意見ないし評価が中心であり、法的に意味ある事実についての証人尋問とならないから」不要であると言う。
また、原告らが主張する權利ないし法的利益の侵害(損害)は、国賠法上の保護に値しないからこれを前提に証人尋問が不要だと述べている。
しかし、明確な基準ないし根拠を示さずに私たちの主張する權利ないし法的利益の侵害は国賠法上の保護に値しないと切り捨てることは許されない。
私たちは原告らの訴える精神的被害に客観的根拠が存在することを基礎付ける事実についても証人尋問で明らかにしようとしているのだから、仮に裁判所がこの事実に関する証人を採用せずに私たちの請求を棄却するなら、私たちの立証を不当に制限するとの誹りを免れない。
この裁判で私たちが主張している原告らの損害は精神的損害であり、目に見えにくいものだ。
だからこそ、その存否の判断は慎重にしなければならず、目に見えにくいからというだけで安易に否定してはならない。
新安保法制法に関連して生じつつある現実社会の変化が、原告らの訴える精神的被害とどのような対応関係にあるのかを専門家の知見を踏まえて探る必要があり、また目に見えにくい損害の実態を知るには加害行為について分析することが不可欠だ。
被告の主張は、違憲審査について最高裁が採用している枠組みを全く無視するものであり、この点でも適切ではない。
もちろん私たちは、原告らに生じた法的利益の侵害(損害)に国賠法上の救済が与えられなければならないと主張しているが、仮に結果としてそうならない場合でも、本件で問題となっている新安保法制法の重大性・違憲状態の深刻性・社会的影響の大きさ等を考慮すれば、本件において裁判所が憲法判断を明示的に示す必要があることは火を見るより明らかであり、そのためには証人尋問は欠かせない。
違憲性についての判断を最終的に下すのは最高裁判所だが、憲法81条に関する現行の支配的解釈は、違憲審査を最高裁に集中させず下級裁判所にもその行使を認めており、これは一定の拘束を受けつつも各審級が独自の憲法解釈を提示することで違憲審査権行使の活性化を促進するものであると評価されている。
下級審段階で違憲性について十分な審理が尽くされることで、最高裁による終局的な憲法判断がより充実したものになることが期待できる。
従って、最高裁が憲法判断を行うにあたって少しでも有益な証拠は採用すべきであり、このような観点からも、証人尋問を行う必要があると言える。
以上述べてきた理由により、私たちは少なくとも今回証拠申出をしている8名の証人を採用すべきと考える。
本件が政治的立場を超えた多くの国民の耳目を集める重大事件であること、深刻な違憲状態が存在するにも拘わらず裁判所がそれを座視することは、違憲状態を社会に定着・固定化させ、憲法規範が書き換えられる“壊憲”に、司法が積極的に手を貸すことにほかならず、司法の役割を放棄するものであることに思いをいたし、あるべき判断をしていただきたく強く訴える次第だ。


2018年6月6日号「5月11日、安保法制違憲訴訟 国家賠償請求裁判傍聴記①」

一ヶ月前の裁判傍聴記です。
長文を続投しますが、お読みいただけたら幸いです。

 5月11日(金)は、件名の裁判の第7回口頭弁論期日でした。
代理人意見陳述と3名の原告本人尋問が行われました。
東京地裁103号法廷傍聴席で、開廷を待ちました。
13:30に扉が開いて裁判官が入廷するのを、傍聴人は起立して迎えて着席します。
裁判長も右陪審、左陪審もこれまでの人ではありませんでした。
裁判員が3人全て替わってしまっていたのです。
4月は人事異動の月だとはいえ、裁判でこんなことがあっていいのでしょうか?
大いに疑問を抱きながら、傍聴しました。
◎代理人弁護士意見陳述
 裁判官が交代したので代理人弁護士からの弁論更新がありました。
裁判官が替わった場合の弁論更新は、多くの場合裁判長から原告・被告双方に「主張立証は従前通りでいいですか?」と問い、双方が「はい」と答えて一瞬で終わることが少なくないそうですが、きっと代理人弁護士からしっかり申し入れされていたのでしょうか、この日は4人の弁護士から丁寧な意見陳述が行われました。
意見陳述、全文を載せたいのですが長くなるので骨子のみを「だ。である。」調で記します。
●寺井一弘弁護士:「今、なぜ安保法制の違憲訴訟か」
 3年前の9月19日の夜、集団的自衛権行使容認の閣議決定の具体化として安保法制の強行採決が行われた時、国会周辺に集まった市民の一人として私も居た。この70年間以上「一人も殺されない。一人も殺さない」としてきた崇高な国柄が一夜にして崩れていくことを強く感じた。
憲法9条がなし崩し的に「改定」させられていくことへの恐怖と民主主義が最大の危機に陥っていることを憂える多くの市民の表情が脳裏に焼きつき、戦前・戦中・戦後の時代を苦労だけを背負って生き抜いた亡き母を想い出していた。
 私は「満州鉄道」の鉄道員だった父と旅館の女中をしていた母との間に生まれ、3歳の時に満州で終戦を迎えた。
8月9日のソ連軍参戦により満州にいた日本人は生命の危険にさらされ、父は私を生かすために中国人に預けようとしたが、母は父の反対を押し切り残留孤児になる寸前の私を抱きしめて、郷里の長崎に命がけで連れ帰った。
 引揚者として原爆被災地の長崎に戻った私たち家族の生活は筆舌に尽くしがたいほど貧しく、母は農家で使う筵や縄をなうため朝から晩まで寝る間を惜しんで身を削って働いたが結核になって病に臥せった。
母はいつも私に「お前は戦争を憎み平和を守る国づくりのために全力を尽くしなさい」と教え続けてくれた。
 私はこうした母の教えを受けて弁護士になり、これまで48年以上にわたり憲法と人権を守るために活動してきた。
今回の明らかな憲法違反である安保法制は母と同じような思いで戦中戦後を生きてきた多くの方々と私自身の人生を根底から否定するものだと痛感させられた。
残された人生のすべてを平和憲法と民主主義を踏みにじる政府の蛮行に抵抗するための仕事に捧げようと決意し、代理人を引き受けた。
 安保法制を違憲とする訴訟には現在、全国すべての地域から1607名の弁護士が訴訟の代理人に就任し、原告は7303名となっている。
この勢いは今後もさらに広がり、全国的に大きな流れになっていくだろう。
安保法制を違憲とする裁判は北から南まで全国各地で展開されているが、原告の方々は自分が何故に原告になったかという陳述書を次々に提出している。
 東京地裁民事一部の法廷では1月26日に7名の原告の切々たる尋問がなされ、本日も3名の尋問が予定されている。
いずれも自分の人生体験を振り返りながら、安保法制が日本を再び戦争のできる国にしてしまったこと、それによってどれほどの恐怖と不安を抱いているか、蒙った被害と損害について切々と訴えるものになっている。
 私ども法律家はこの魂からの叫びを耳にして、改めてこの違憲訴訟にさらに真剣に取り組んでいかなければならないと決意を新たにしている。
圧倒的多数の憲法学者、最高裁長官や内閣法制局長官を歴任された有識者の方々が安保法制を違憲と断じている中で、行政府と立法府がこれらに背を向け、国会での十分な審議を尽くすことなく安保法制法の制定を強行したことは、憲法の基本原理である恒久平和主義に基づく憲法秩序を根底から覆すものだと考えている。
 政府は2014年7月1日の閣議決定に引き続き2015年9月19日にはわが国歴史上に大きな汚点を残す採決の強行により、集団的自衛権行使を容認する安保法制を国会で成立させ、2016年3月29日にこれを施行した。
さらに安倍首相は東京オリンピックの2020年に新憲法を施行すると豪語し、本年3月に自衛隊を憲法9条に明記するなどの改憲原案をまとめた。
 国民世論と全く乖離したこうした思いつきの乱暴極まる策動を、決して許してはならない覚悟を決めている。
今日の事態は、わが国の平和憲法と民主主義を守り抜くに当たって、極めて深刻である。
 このような歴史的危機に当たって、司法こそが憲法81条の違憲審査権に基づき、損なわれた憲法秩序を回復し、法の支配を貫徹する役割を有しており、その機能を発揮することが今ほど強く求められている時はない。
安倍政権が集団的自衛権を容認する根拠として引用した「砂川判決事件」でも、「一見極めて明白に違憲無効と認められる場合には裁判所の司法審査権の範囲に完全に入る」と指摘している。
 東京地裁民事一部の三名の裁判官が、裁判官を志された原点に立ち戻られて、ただひたすら平和を求めている原告一人一人の思いとしっかり向き合い、本件訴訟について憲法判断を回避することなく憲法の基本原則である平和主義原理に基づく法秩序の回復と基本的人権保証の機能を遺憾なく発揮されることを切に望む。
裁判官におかれては、市民の心からの願いと期待に真摯に応えることを懇請する。
●福田 護弁護士:「原告の主張の全体像と新安保法制法の違憲性・危険性」
第1 これまでの原告の主張の概要
⒈本件における加害と被害と違法性
原告らは2014年7月1日の「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」閣議決定、2015年5月の新安保法制法の閣議決定と国会への提出、採決という各行為による新安保法制法の制定を、内閣及び国会を構成する公務員の加害行為として捉え、原告らの有する①平和的生存権、②人格権、③憲法改正・決定権が侵害されたことを主張してきた。
この加害行為は、憲法9条についてそれまでの政府解釈を明らかに逸脱する極めて重大な違法行為だと主張してきた。
⒉加害行為の違憲性とその重大性
 わが国を代表する識者(憲法学者樋口陽一、長谷部恭男、石川健治、青井未帆の各教授、山口繁元最高裁長官、濱田邦夫元最高裁判事、歴代内閣法制局長官ら)は、この違憲性と憲法破壊の重大性を、鋭く明確な見解で指摘している。
 新安保法制法の違憲性として、①存立危機事態における「自衛の措置」としての集団的自衛権の行使容認、②重要影響事態法における後方支援活動の外国軍隊との一体化、③国際平和支援法における協力支援活動の同様の一体化のほか、④国連平和維持活動協力法(PKO協力法)改正による駆けつけ警護等とその任務遂行のための武器使用、⑤改正自衛隊法95条の2に基づく米軍等の武器防護のための武器使用を、侵害行為とする。
これらの違憲性の全体像を示し、上記5つの事項の違憲性の具体的内容を詳述する。
⒊被侵害権利・利益の内容と重要性
 平和のうちに生存する権利は憲法前文に明示され、すべての基本的人権の基礎であり、憲法13条等によって具体的規範性が根拠付けられ、憲法9条によって制度的保障を与えられたものと理解される。
総じて原告らの人格権、平穏生活権は憲法9条を破壊した新安保法制法によって様々な形で深く侵害され、また、本来憲法9条を改正しなければできないことを憲法96条を潜脱して強行し、原告らの憲法改正・決定権を侵害した。
第2 新安保法制法の違憲性と危険性
⒈存立危機事態における集団的自衛権の行使について
⑴昨年8月10日、北朝鮮がガム島周辺に向けて中距離弾道ミサイル発射の計画を検討と表明したのに対して、小野寺防衛大臣は、武力行使の三要件に該当するかどうかで判断される旨の答弁をした。
⑵新三要件は①わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)であること、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力を行使することとされている。
 新安保法制法以前の自衛権発動の要件は、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」日本の領域への侵害などとして認識、判断することができるものだった。
これに対し「存立危機事態」は、「密接な関係にある」他国に対する武力攻撃かどうか、国民の権利等が「根底から覆される」「明白な危険」があるかどうかといった、幾つもの抽象的な判断で構成され、「政府の総合的な判断」に委ねられる。
その判断の適否の客観的な基準は、極めて考えにくい。
 従前の政府解釈では「必要最小限度の実力行使」は、外部からの武力攻撃を我が国の領域から排除する受動的なものであり、原則として我が国の領土・領海・領空で行われ、せいぜいその周辺の公海・公空に限られるとされ、限定的な線引きが明確だった。
それに対し、存立危機事態における集団的自衛権の行使は、相手国の領域を含めて地理的限定などなく、地球の裏側にまで及ぶ。
海外を戦場とする他国の戦争に参加するのだから、どこで何をするのが「必要最小限度」かは極めて判断しにくく、一旦「存立危機事態」と判断して参戦したら、戦局の推移に応じ、なし崩し的に際限なく戦争に引きずり込まれていく危険性が極めて高い。
⑶北朝鮮がガム島周辺に向けてミサイルを発射する行為を、もし政府が存立危機事態と判断して集団的自衛権として迎撃すれば、北朝鮮に対する日本の武力行使という決定的な事実を生み、日本は直接攻撃を受け戦争に突入することになる。
 存立危機事態における武力の行使、集団的自衛権の行使は、このようにとてつもなく危険なものなのだ。
⒉後方支援活動と「非戦闘地域」について
①防衛省はイラク派兵時の陸上自衛隊の日報は、これまで存在しないと国会答弁してきたが、4月2日に派遣期間の半分近くにのぼる376日分が見つかったと発表し、しかも陸自内部は1年以上も前に、その存在を把握していたのに放置していたことも判明した。
 開示された日報には、自衛隊員が日常的に攻撃の脅威に晒されていたことを物語る記録が記されている。
イラクから帰国した自衛隊員のうち在職中に29人もが、その後自殺していることからも派遣中の精神的負担の大きさを推し量れる。
②現場からの日報が開示されないまま、イラクで「非戦闘地域」とされていたところが「戦闘」が行われていた命がけの地域であったことを前提とせず、新安保法制法の審議が行われ、「非戦闘地域」の枠さえ取り払ってしまった。
 後方支援活動も協力支援活動も、「非戦闘地域」どころか、「現に戦闘行為が行われている現場」でなければ行えるとして、その制限を大きく緩和した。
自衛隊による外国軍隊への物品・役務の提供(兵站活動)、弾薬の提供や戦闘発進準備中の航空機に対する給油・整備まで認めた。
その結果、自衛隊が戦闘に巻き込まれる危険も、敵対国・敵対勢力からの攻撃対象とされる危険も格段に高くなった。
③本件で証人として申請した半田滋氏(東京新聞論説委員兼編集委員)は、自衛隊のイラク派遣について、その初期にサマワに滞在した経験を踏まえ、またその後の継続的な取材を経て、その危険性をずっと指摘してきた。
 イラクにおける「非戦闘地域」の実態を無視し、さらに危険な活動へ自衛隊を送り込もうとする新安保法制法の無謀ともいえる危険性を理解するには、このような経験と取材によって蓄積された知見を持つ半田氏の証言を聞くことが、必要不可欠だと考える。
⒊新安保法制法の下での自衛隊の強化
 新安保法制制定前後からの自衛隊の装備等の導入や構想の拡大は、従来の「専守防衛」の域を超え、このまま進めば日本は紛れもない軍事国家へと変貌するだろう。
①「日本版海兵隊」と呼ばれる水陸機動団が、米海兵隊との共同訓練等を経て3月27日に発足し、同時に水陸機動団を最前線に運ぶオスプレイ17機の購入も決定され、2018年度から順次導入される。
②新たな弾道ミサイル防衛システムとして陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)2基の導入を決定し、秋田県と山口県への設置が構想されている。
導入に1基1,000億円以上の装備で、単独国での保有はアメリカ以外にない。
③航空自衛隊の戦闘機に搭載する長距離巡航ミサイル導入のための関連経費を2018年度予算案に追加要求した。
これは他国の敵基地攻撃が可能なミサイルであり、専守防衛を逸脱するものだ。
④青森県三沢基地に、航空自衛隊初のステルス戦闘機F35Aが配備された。
相手のレーダーに捉えにくく、防空網を破って侵入できる敵地攻撃的な能力を持つもので42機の導入が予定されている。
日米が同じ機体で編隊を組み、データをリンクして攻撃する共同作戦も視野に入る。
⑤昨年5月、自衛隊法95条の2の武器等防護に関する警護を初めて実施した「いずも」は日本最大の護衛艦で空母の形状をしたヘリコプター搭載機だが、これを垂直離着陸が可能なF35Bステルス戦闘機を搭載する空母とする構想が浮上し検討されている。
これまで日本は、憲法9条の制約として、相手国の壊滅的破壊のために用いられる攻撃型の兵器保有として空母は持たないとしてきたが、これも踏み越えようとしている。
⒋結語
 このように、新安保法制法の下で自衛隊は、ミサイル防衛を含めて米軍との共同・一体的運用を深化し、海外での武力行使も視野に入れて敵地攻撃能力を備えた新たな装備を次々と導入する動きが顕著になっている。
それはこれまでの、日本の領域を守るという専守防衛から離脱して、世界規模に武力の行使を含めた活動を展開しようとする動きとして、憲法9条を基本とした平和国家日本の在り方を根本的に変容させてしまう危険性を示すものと言わざるを得ない。
 行政府と立法府が暴走し、憲法の軛を破断して強行採決した新安保法制法は、今、この国とそこに住む国民・市民を、とてつもなく危険なところへ導こうとしている。
 この危険は、国民・市民の名において、どうしても食い止めなければならない。
本件訴訟はそのためのものであり、私たちはいまや司法にその役割を託すほかなく、司法は積極的にその役割を果たすべきだと考える。


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