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2017年1月28日号「お知らせ」

◎お知らせ(と言うよりも、ご協力のお願いです)
友人で写真家の宇井眞紀子さんが、アイヌ100組のポートレートの写真集を出版します。
出版費用捻出のために readyfor で協力を呼びかけ基金を募り、出版の運びとなったのです。
私も募金で応援しました。
アイヌのもとに20年以上にわたって通い続け、その暮らしや文化に畏敬の念をもって接してきた宇井さんのこれまでの写真集に惹かれてきたので、今度の出版も心待ちにしていたからです。
今度の写真集は100人のアイヌがそれぞれに撮影場所や服装など条件を宇井さんに提示して被写体になったと言います。
そして撮影後に宇井さんは、100人から「いま一番言いたいこと」を聞き、写真集にはその言葉も載ります。
宇井さんはさらに次のステップとして、取材に応じてくれたアイヌの人たちに 写真集を届けたいと願っています。
宇井さんの願いに私も共感します。
そのための費用を readyfor で募っています。
どうぞ、皆さんのご支援をお願いいたします。
下記をご覧ください。
https://readyfor.jp(「宇井眞紀子」か「日本全国100箇所で撮影したアイヌ100組のポートレートを写真集に」で検索してください)

いちえ


2017年1月28日号「1月25、26日 南相馬〜浪江〜三春〜二本松」

24日は小高の双葉屋旅館に泊まり、25日は浪江、双葉、大熊、都路、船引と国道288号線で三春へ行き、武藤類子さんと待ち合わせたお蕎麦屋さんで一緒にお昼を食べた後で類子さんの「燦(きらら)」を訪ねました。
小高から三春へ行くには288号線(通称「ニイパッパ」よりも114号線から川房で地方道に入って行くほうが近いのですが、このルートは途中に帰還困難区域があるために通行が禁じられているのです。
類子さんとは集会でしばしば顔を合わせ、近況のやりとりなど短い会話を交わすことはあっても、ゆっくり話す時間がなかなか取れずにいました。
昨年5月には南相馬の仮設住宅を一緒に訪ねたこともありましたが、この日はそれ以来の久しぶりのことでした。
美味しいコーヒーをいただきながら暫しの歓談と情報交換後、二本松の東和の「遊雲の里」(次回トークの会ゲストスピーカー菅野(スゲノ)瑞穂さん家族のやっている民宿)へ向かいました。

◎浪江町
小高の双葉屋旅館では、前夜の宿泊客は3組。
私達の他はJRの作業員の方達5人と、NPO関係らしい一組でした。
以前も双葉屋旅館でJRの作業員の方達と同宿になったことがありましたが、その時は小高駅=浪江駅間の作業従事者でした。
この区間はもうあらかた済んだのでしょうか、今回の方達はさらに先の区間の作業に当たっているようでした。

浪江では、今野さんの自宅を訪ねました。
今野さんの家は、街の外縁に位置する上ノ原での住宅地の高台にありました。
「どうぞ」と促されて入った部屋の中はあの日、2011年3月11日で時間は止まってしまったままでした。
一階の居間の床には3月10日の新聞が読みさしたまま置かれ、掛け時計の針は2時46分で止まっていました。
坊やのおもちゃも、遊んでいた時のそのままの状態でありました。
坊やがマジックペンでダンボールに書いていたのは、くねった二本の線で、それは道を描いていたのでしょう、傍にはミニカーもありました。
そこで断ち切られてしまった時間が悔しくて無念で、涙をこらえながら私は、見たものを胸にしっかりと収めておこうと思いました。
新しい春が来れば6年生になる坊やが、健やかにのびのびと育って欲しいと、ひたすらに祈ります。
2階の窓からは太平洋が望め、目の下には小さな林と、今は表土を剥いで砂利を被せてある辺りは湿地でカエルもいたといいます。
お隣の家にも近隣の家にも同年代の子どもがいて、子どもたちも大人たちも親しく付き合っていたことを聞けば、悔しさはなお増します。
芽吹きを、若葉青葉を、花が咲くのを楽しみに植えた庭木もみんな除染のために切られ、砂利が敷き詰められた庭の片隅で、アカメガシの苗木が1本ひょっこりと顔を出していました。
生垣だったアカメガシは伐採されて切り株だけが並んでいるのですが、刈られた幹の根方に枝芽が付いていたのでしょうか。
また、同じ根から出た何本かの枝がそれぞれ気ままな方向に地を這うように延びているのはしっかりとトゲをつけたバラの枝でした。
“いのち“を繋ぐことへ、想いを馳せました。

◎凍らない“いのち”
「ここは○○さんの家。この焼き鳥屋はとても繁盛していた店。先輩の家はここでそっちは同級生がいたところ」などなどと、今野さんから「神隠しにあった」街並みを説明されながら行く途中に、小さな池を見ました。
凍った池でした。
「なぜ池の中にあんな風に石を置いてあるのだろう?」と眺めながら過ぎたのです。
同じ大きさの石が10個ばかり、池の中ほどに付かず離れず無造作に置いてあったのです。
そして請戸に入りました。
請戸は防潮堤建設工事が進められていて港には近づけませんでしたが、海寄りの道を行くと、小さな池に白鳥が2羽いたのです。
2羽のオオハクチョウは、池が凍って動けずにまるで置物のようにいたのです。
可哀想にと驚いて見ていると、1羽が長い首を回したので生きていることを知ってホッとしました。
そして思い当たったのでした。
さっきの池で見たのは石ではなくて、鴨だったのです。
白鳥も鴨も暖かい羽毛をまとっているし、お日様が当たって氷の表面が溶けたら、きっと抜け出せるでしょう。
いのちの根源は、人の営みよりもはるかに大きな智慧を秘めているのではないだろうかとも思いました。

◎三春の滝桜
類子さんとの待ち合わせ場所は、三春の蕎麦屋「門前」。
ほんの数分の時間差で互いに店に着きました。
美味しくお蕎麦を食べながらの会話の中で、私には三春は初めての場所と知って類子さんと今野さんは、滝桜も見に行こうと勧めてくれました。
もちろん異論はありません。
ずっと前から是非、一目見たい桜樹でした。
花の季節でないことは百も承知、でも樹齢を重ねた古木の、その立ち姿を見てみたい!
もしかしたら枝垂れた枝々が雪を被っているかもしれないと、淡い期待もありました。

滝桜は雪を載せてはいませんでしたが、芽吹きの前の枝を大きく傘に広げて枯れた姿で、雪野の中に在りました。
幾本もの添え木に守られながら、太くゴツゴツの幹は威厳ある姿で立っていました。
太い幹の一部が洞のように抉れて、そこにスズメバチの巣が一つ、古木の顔のようにありました。
花の季節は人がいっぱいで花見だか人見だか…となるそうですが、この日は私たち3人だけのための「樹齢1,000年の古木貸切り鑑賞日」でした。
類子さんが言いました。
「今は樹齢1,000年って言われているけれど、私の母が三春に嫁に来た時は樹齢700年って言われていたそうなの」
「それじゃぁ類子さんのお母さん、200歳以上になっちゃう」と、笑いあったのでした。
そんな冗談を言いながらも、往にし方を生きた古木の姿に、やはり“いのち”の尊厳を思うのでした。

◎コミュタン福島
類子さんの家に行く途中で、「コミュタン福島」を見て行きました。
ここは「福島県環境創造センター交流館」という施設です。
「放射線や環境問題を身近な視点から理解し、環境の回復と創造への意識を高めていただくための施設」ということで、入館無料です。
時間がないので外観を見ただけでしたが、なんともバカでかい建物でした。
建設費や維持費に一体どれくらいかかっているのだろう?と、まず思ったのでした。
家族が離散して母子避難の人も少なくない現状ですが、それらの人たちや仮設住宅退去後の暮らしを思い悩む高齢者たちへの支援がなおざりにされたまま、こうした施設を多額の費用で作リ運営していくことに、大いに疑問を覚えます。
児童・生徒たちの校外学習の場としても活用されているようですが、例えば「放射線学習」として「自然界には昔から放射線が存在していて身の回りには放射線を出しているものが幾つもある。お茶とかコーヒーなど、身近なものの放射線を測ってみよう」とか「放射線が通った跡を見てみよう」などが内容になっていて、IAEAとの協力機関だそうです。
類子さんにここに連れて来てもらうまで私は、こんな施設ができていたことも、子どもたちが放射能に関してそんな学び方をしているなどということも、全く知らずにいました。
「放射線の学習」というのなら、「原発が事故を起こして、自然界には存在しない放射能が拡散したらどうなるか」や「放射能を兵器にする危険性」などの学習内容がないのは、全く解せないことです。

◎「燦」
原発事故後、幾度となく開かれてきた脱・反原発集会で、折々に類子さんの発言を聞いてきました。
そのたびに大きく胸を揺すぶられ、敬意と賛意を抱いてきました。
類子さんが書いた『どんぐりの森から〜原発のない世界を求めて〜』は、出版後すぐに求めて読んでいました。
そしてなお一層、生き方と思想に惹かれてきました。
「燦」は、類子さんが自らの手で雑木山を開墾し、小さな家が建つだけの平地を造成して家を建て、そこで始めた里山のカフェです。
類子さんは持ち山で拾ったどんぐりの皮をむきアク出しをして、どんぐりを食品に変え、どんぐりカレーやどんぐり味噌、どんぐり豆腐などを作り、客人に供してもいたのでしょう。
今、私もそこに座っています。
すると放射能が降った日を境に、ここでの暮らしが大きく変わってしまったことが、我が事として感じられるのでした。
福島原発告訴団の団長として、また脱・反原発の旗手としての活動に、日夜忙しく過ごされていることだろうと想いながら、フッと心を遊ばせて寛げる時が類子さんにたくさんありますようにと思ったのでした。

◎二本松東和「遊雲の里ファーム」
次回トークの会のゲストスピーカー、菅野瑞穂さんを訪ねました。
瑞穂さん、お父さんの正寿(せいじ)さん、お母さんのまゆみさんには東京でお会いしたことがありましたし、瑞穂さんの話、正寿さんの話を聞いたことも一度ならずありました。
お二人の話からも、また正寿さんや有機農業の仲間たちが書き、正寿さんが編集した本『放射能に克つ農の営み ふくしまから希望の復興へ』(菅野正寿・長谷川浩:編著/コモンズ刊)も読んで、東和は有機農業の里だと知ってはいました。
でも行くのは初めてでした。
山や川の緩やかな湾曲に沿うように続く道、雑木の山と山の間には段々になったいずれも小さな田や畑。
雪をかぶったその景色は自然の懐に包まれた世界のようで、直線を描いてひたすら上に伸びるビルディングと、広くまっすぐな道路ばかりを見慣れている目には、優しく懐かしい風景でした。

この日は次回のトークの会の打ち合わせに行ったのですが、瑞穂さんから話を聞きながら、これを多くの人に聞いて欲しい!と改めて思いました。
菅野さんや、有機農法のお仲間たちの畑で採れた野菜、自然食のお仲間たちの
作った加工食品、美味しい夕食をいただきながらも、また食後にも瑞穂さんや
正寿さん、まゆみさんとの話は尽きませんでした。
食堂の入り口近くの書棚には、私にはとても興味深い本が何冊も並でいました。
正寿さんはそこから1冊を取り出してきて、「この本知っていますか?」と私に見せました。
『村の女は眠れない』草野比佐男さんの詩集です。
「はい、知っています。持っていて読んでいます」と答えた私に、正寿さんは言いました。
「原発事故で福島は大きな犠牲を背負ってしまいましたが、原発事故だけじゃないです。
福島や東北からの出稼ぎで東京は道路やビルが出来、東京オリンピックも開かれた。
大勢の人口を抱えた都会に食料も供給して、都会の発展を支えてきたし、特に福島は電力も送ってきた。
東京の、日本の発展は福島の、東北の犠牲の上に成り立っているんです」
本当に正寿さんの言う通りだと思います。
2011年から繁く福島に通うようになって私は、そのことを頭ではなく足元から感じるようになりました。

◎「鬼になります」
26日東京へ戻る前に、今野さんが鬼婆伝説の安達ヶ原に連れて行ってくれました。
「行ったことがありますか?」と聞かれ、ないと答えると案内してくれたのでした。
馬場あき子さんの『鬼の研究』を興味深く読んでいましたし、東北には鬼の伝説が多々あることは知ってはいました。
そして、いや、だからこそ2011年9月に明治公園で開かれた「さよなら原発」集会での武藤類子さんのスピーチ「私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です」に、大きな衝撃と感動を覚えました。
その言葉は、真っ直ぐに強くグサリと私を射抜き、胸に住み着いています。
類子さんは、もちろん比喩として「鬼」を用いたのでしょうし、安達ヶ原の伝説と類子さんの言葉を繋ぐ要素はないのです。
にも関わらず私は、ここに来て類子さんの言った「私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です」が、これまでよりも更に更に更に胸に強く響く言葉になりました。
原発を許さない!再稼動を許さない!命を守れ!
私も、鬼になります。                        

いちえ


2017年1月25日号「1月24日南相馬」

今朝発って、南相馬・鹿島の仮設住宅を回って、今夜は小高の双葉旅館さんに宿泊です。
今回は福島駅で今野寿美雄さんにピックアップして頂き、今野さんと一緒に動いています。
昨年10月にトークの会「福島の声を聞こう!」で、今野さんにお話しいただきました。
トークの会の参加費は毎回ゲストスピーカーの方へ、福島への寄金としてお渡ししています。
今野さんは、そのお金で飯坂小学校の児童たち全員に文房具を買われたのです。
子どもたちにその文房具を渡すのに私を誘って下さって、昨年11月に飯坂小学校へ私もご一緒したのでした。
その時に私は、やはり子どもたち全員に渡るようにと、南相馬の仮設住宅の方達が作った手芸品をお届けしたのでした。
昨年末に飯坂小学校の石川逸子校長先生から私宛に、子どもたちからのお礼の手紙が届きました。
また教頭先生から今野さんに、仮設住宅の方達への子どもたちのお礼の手紙が託されたのでした。
そして今野さんとご一緒にその手紙を届けに仮設住宅を訪問するのも、目的の一つだったのです。

◎寺内塚合仮設住宅
談話室を訪ねると、菅野さん、天野さん、山田さんが待っていてくれて、今日は菅野さんはデイサービスの日なのに、そちらを休んで待っていてくれたのでした。
テーブルの上にはおにぎり、「アンコウの肝和え」と野菜の炒め煮、漬け物が会って、お昼を用意して待っていてくれたのでした。
「アンコウの肝和え、食べたことある?」と聞かれました。
話に聞いたことはありましたが、私はアンコウそのものを食べたことさえありません。
東京に居ては魚屋さんでもアンコウは売っていない食材で、お料理屋さんにでも行かない限り食べられないものです。
切り干し大根が入っていて、とても美味しく頂きました。
「美味しい、美味しい」と言って頂きながら私が「アンコウは東京では売っていないし、私が知っているのはアンコウという魚はまな板に乗せて切ることは出来ず、吊るして着るということを話に聞いてしっているだけ」と言うと、菅野さんは身ぶり手振りを交えて「吊るし切りって言ってな」と話してくれました。
こうした食べものからもまた私は、ここに生きてきた人たちを知るのでした。
そのうちに紺野さんと井口さんも来て、また賑やかになりました。

飯坂小学校の子どもたち全員集合の写真子どもたちからの手紙を、みんなじっくり眺め読みして言いました。
「みんな時が上手だねぇ」「ストラップを喜んでくれたの?嬉しいねぇ」
2年生の一人の女の子の手紙の書き出しには「浜の人たちへ」とありました。
福島県は太平洋岸の浜通り、阿武隈山地の中通り、そして会津と呼び分けされていますが、中通りの飯坂の子どもから、浜通のおばあちゃんたちへの手紙でした。
仮設のみなさん、孫はもう高校生や社会人になっている高齢者です。
小学生たちの写真や手紙は、とても嬉しい贈り物だったと思います。

菅野さんは息子が鹿島に家を建てて、既にそこで一緒に暮らしています。
山田さんは小高の飯崎の自宅を直してそこに戻る予定ですが、大工さんが忙しくていつ直してもらえるかまだ判らないと言います。
天野さんは娘が原町に建てる家に一緒に暮らすことになるのですが、以前からすんなりそうと自分を納得させられず、気持ちが揺れているのです。
天野さんに「踏ん切りはついたの?」と聞くと「いんにゃ、踏ん切りはつかねぇ」と。
家族間に諍いがあった訳ではなくとも、離れた暮らしていた間に齟齬は生じることはあるのです。
離れていた時間が長くなるほど、些細な齟齬が大きくなってもいくのです。
こんな事って、本当に悔しいです。
「原発さえなければ」と、また私は思います。

◎小池第3
ヨシ子さん、ハルイさん、ゆりちゃん、星見さんが居て、賑やかに迎えてくれました。
そのうちに佐藤さんや志賀さんも来て、ますます賑やか。
でも実際ここは、もうだいぶ人が抜けています。
だからなおのこと、こうして集会所に集まるのでしょう。
ヨシ子さんはすぐ近くの集団移転地に建てた家で息子の家族と暮らしていますが、朝になるとここに通って来るのです。
仮設住宅のヨシ子さんの棟はもう他の人は誰も居ず、夜は一人では怖くて物騒だし寂しいし、家族と一緒の自宅が安心、安全です。
ハルイさんも原町に子どもたちと同居の家を新築しお正月はそこで過ごしたのですが、新しい家はなんだか落ち着かず頭が痛いと言って、まだ仮設に住まっています。
そしてやっぱりここでもみんなが言うのは、「自宅に戻っても新築した家や復興住宅に入っても、周りに知った人はいないし、寂しいねぇ。ここでお喋りしているのがいいねぇ」でした。
ハルイさんは「自宅は床暖房で暖かだけど、ここは寒いねぇ」と言いながらも、やっぱり周りに知った人がいない原町の新居よりも、仲間がいる仮設がいいのです。
6年という歳月を、また思います。
「仮設住宅」という仮住まいならば2年が限度でしょうに、その間にもっとみんなが一緒に暮らせる集団移住環境を整えられればよかったでしょうに、政府の無策が被災者になお辛い目を合わせているのだと思います。

ここでも子どもたちの写真と手紙をみなさんに渡しました。
写真の中には「ぶさこちゃん」を抱いている子どももいて、それを見たゆりちゃんやヨシ子さんは「ああ、こうして貰ってくれる人がいるんなら、まだ作っててもいいんですね」と言うのでした。
ハルイさんとヨシ子さんは鶏の縫いぐるみをたくさん作っていて、それを私はまた預かったのでした。
次回のトークの会でご披露します。
とっても愛嬌のある元気な鶏たちです。

◎次回トークの会
次回のトークの会は2月24日(金)ですが、前回お知らせした時のチラシには24日(火)と間違って記載していました。
改めてチラシを添付します。
どうぞ、みなさんのご参加をお待ちしています。

いちえ

トークの会vol.22


2017年1月21日号 1月19日「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」報告

1月19日、東京地裁で「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」の第6回口頭弁論が開廷されました。
いつもは地裁の前でアピール行動後に入廷して、口頭弁論終了後に報告集会となっていましたが、今回は開廷時刻が15:30だったので、閉廷後の報告集会ではなく開廷前に事前集会が持たれました。
南相馬から来る原告団は、バスで5時間近くかけて来ています。
原告団の方達の帰宅時間を鑑みてのことでした。
事前集会も、法廷でも、発言者はみなさん「です。ます調」で話されましたが、ここでは「だ。である調」で記します。

◎事前集会
●開会挨拶(支援の会代表:坂本建さん)
政府は20ミリシーベルを下回ったとして、強行的に避難指示解除をしている。
それを既成事実として作られてしまうと、後々全国・国民全体に広がっていく可能性が懸念される。
それに対して南相馬の方達は、未来にわたる子どもたちを守れと訴訟を提起している。
また居住地だけでなく、放射性物質が8,000ベクレルを下回ったものは建設資材として日本全国にばらまかれようとしている。
国は20ミリシーベルト根拠で避難指示解除をしているだけでなく、また自主避難者の住宅支援が3月で打ち切られる問題もある。
一企業、国の責任によって被ばくをさせられる状況から、子どもたちを守ろうと自主避難している人たちの住宅支援を打ち切ろうとしているが、これに対して、請願・陳情という形で支援者・避難者は共に行動しながら、それを撤回させようと動いている。
環境省は国民の生活を守るのをサボタージュしているし、学校では避難者へのいじめが起きているなど教育委員会も問題だ。
あちこちでこうした理不尽な事が起きているが、それら一つ一つに向き合ってそうした理不尽をなくしていく努力をしていきたい。
●原告団挨拶(菅野秀一さん:原告団長)
お集まりの支援者の方たち、そして今日の会場を確保してくれた福島瑞穂議員に、厚く御礼を申し上げます。
平成26年12月26日に区長会に説明会があり、12月31日に解除すると言われたが、説明会以前にNHKニュースで報道されていた。
解除にはまだ早いという我々に対して、「ここは協議の場ではなく、説明しに来たのだ」と言い、一方的な説明だった。
だが現在各市町村では、住民と話し合いながら進めているようで、これは我々がこの問題で強く抗議してきた事によるのではないかと考えられる。
原発事故から6年過ぎ、解除から2年ちょっと経ったが、若い人は戻らず若い世帯は出て行った。
家庭は崩壊し、家族も崩壊した。
老人会、婦人会、青年団、すべて崩壊した。
避難指示するときには、18歳未満の子どもが居る家庭は2ミリ、子どもがいなかったり、18歳未満がいない家庭は3,2ミリシーベルト以上と指定しながら、解除は20ミリとは、どういう事なのか?
説明できない事ではないか。
若者も居ずコミュニティは崩壊、路線バス閉鎖されたまま、幼稚園も閉鎖、小児科・産婦人科閉鎖。
市立病院・総合病院は若い人が帰ってこない、看護師も帰ってこないで半分閉鎖、老人福祉センターはガラ空きだ。
そうした中で、20ミリシーベルトを下回ったから避難指示解除は妥当なのか?
また、空間線量のみで土壌を測らないという測定の仕方もおかしい。
その空間線量も、庭先一ヶ所しか測らない。
国に対して質問しても納得いく返答はない。
子孫に禍根を残さないように、安心して暮らせるように、きちんとした国の政策を作らせていくために、我々もこの裁判で負ける訳にはいかないので、これからも皆さんのご支援をお願いし、頑張っていこうと思う。
●福島瑞穂さん挨拶
これから裁判を控えているので、弁護団の皆さんも原告のみなさんも緊張する状況ではないだろうか。
この裁判に、しっかり取り組んでいる皆さんに敬意を表します。
しつこく正論を言い続けていかないと、とんでもない事になると思うので、裁判を提起してしっかり戦っている皆さんを心から応援します。
(国際放射線防護委員会:ICRPの年間線量である)1ミリシーベルトは変わらないのに、なぜ20ミリシーベルトでいいのか?土壌はとても線量が高いのになぜ空間線量でいいのか?どうして子どもが20ミリシーベルトのところで暮らしていけるのか?本当におかしいと思っている。
被曝労働者の骨髄での労災基準は5ミリシーベルト以下なのに、なぜそれよりもはるかに高い20ミリシーベルトなのかと思う。
1ミリシーベルトを崩すのは本当に問題で、裁判が人の命や健康を守る。
そしてやっぱりこのような状況を引き起こした原発はどこにも要らないという事を、私は政治の場面でしっかりと取り組んでいきます。
自主避難者への住宅支援打ち切りに対しても、各地でみんながあらゆる取り組みでやっています。
あらゆる事をしっかりやっていきましょう。
●本日の裁判のポイント(弁護団弁護士:福田健治さん)
福島さんが言われたように裁判前は、今日の裁判の流れを考える事で頭がいっぱいだが、今までどんな流れで裁判が行われてきたか、また今日はどんな書面を準備しているかという事を、弁護団から説明したい。
原告から、現地がどのように汚染されているか、それによって現地に住んでいる人たちがどのような苦しい思いをしているかという立証、主張を弁護団は積み重ねてきた。
現地の空間線量をメッシュの地図にして提出したり、原告の住居の状況を放射線量、除染状況等について裁判所に提出している。
さらに原告からの聴き取りに基づいて作成した陳述書に基づいて、住民がどのような被害を受け、いま解除されるとなぜ困るのか、なぜ権利侵害なのかについての主張・立証を積み重ねている。
*そして、原告から今回提出されている3通の準備書面についての説明がありました。
これについては、後述する法廷で野原告の意見陳述をお読みください。
●特別報告(原告:小澤洋一さん)
小澤さんからはガラスバッジの問題点について、また政府発表の測定と実際の測定値に大きな差がある事、モニタリングポストの高止まりについてなど重要な報告が図を使って幾つか出されました。
ごめんなさい。ここで報告するには、私の能力が足りません。
また山本太郎議員が2016年11月18日に「東日本大震災復興特別委員会」に於いて行った質問と政府答弁についての動画が流されました。
これは「2016.11.18 東日本大震災復興特別委員会 You Tube」または「2016.11.18東日本大震災復興特別委員会(山本太郎の仕事)」Dolfini Workshop さんのブログでご覧になれますが、是非、是非ご覧いただきたい動画です。
●住宅供与の打ち切りに関して(支援の会事務局長:満田夏花さん)
福島県の調査では、今年の4月以降の避難先が決まっていない人が、7割以上となっている。
避難先の自治体によって様々な支援策が打ち出されてはいるが、自治体によりばらつきがあるし、避難者の実情に沿わない対応も少なくない。
読売新聞の調査では自主的避難者26,000人と報道され、実際にはもっと多いと思われるが、自主的避難者は子どもたちを守りたい一念で避難して母子避難者も多く、社会的に非常に辛い立場に置かれている場合が多い。
賠償も貰っていない人が多く、社会の不寛容な視線に晒されてもいる。
是非みなさんのお住まいの自治体議員に呼びかけて、この状況を変えていくようにしましょう。

◎「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」第6回口頭弁論
始めに裁判長から原告、被告双方の代理人に対して、この日の書面の確認がありました。
原告からは、①準備書面8、②準備書面9、③求釈明に対する回答の3通です。
被告は①第3準備書面、②第4準備書面の2通で、他に証拠書類は次回の期日前の準備打ち合わせに提出すると返答がありました。
●「原告準備書面8」の説明(原告本人:末永伊津夫さん)
土壌汚染密度の測定結果を基に作成したメッシュマップが、裁判官と被告に向けて提示されました。
「準備書面8」は、「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」が、事故当時に原告らの住所があった地域で行った調査の結果、1平方メートルあたり何ベクレルあるかという地域土壌メッシュマップについて考察するものだ。
プロジェクト立ち上げ当時、「将来のために今データを残すことが大切」と代表に言われ、当時行政区長だった私は責任の重さを感じて2012年10月の第1回放射線モニタリングから参加し、プロジェクトが行う土壌測定など身近で見ている。
 調査では地図上の地域の8行政区を南北に500m、東西に375mのブロックに分割し、各ブロックの中心に近い地点で、専用の採土器で5cm深さの土壌を採取した。
採取した土壌は持ち帰り、専用の測定器にセットして1kgあたりの土壌濃度を計測した。
これを1平方メートルあたりの土壌濃度に換算氏、数値ごとに色分けして、住宅地図に重ね合わせたものが、甲105号証の土壌メッシュマップだ。
土壌の採取と測定は、2015年12月から2016年⒐月にかけて行い、土壌密度の測定値は、放射性セシウム137と同134の合計で示している。
 土壌メッシュマップでは、放射性管理区域での放射性セシウムの基準とされる1平方メートルあたり4万ベクレルの表面汚染密度を下回る地点を青で示している。
また、「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行規則1条13号」で、放射線施設内の人が常時立ち入る場所において人が触れる物の汚染の限度とされる「表面密度限度」である1平方メートルあたり40万ベクレル以上の地点は、赤と黒で表示されている。
ご覧のように、放射線管理区域相当を下回る青い地点は、全196地点のうち、たった2地点、つまりこの地域の99パーセントが放射線管理区域に該当する状況だ。
さらに、メッシュ地図上の赤と黒の地域は50地点で、全体の4分の1が管理区域内での汚染限度を超えているということだ。
 放射線管理区域に該当する場所は、飲食や睡眠、10時間以上の滞在が禁止されたり、肌の露出を防ぐ防具装備の着用が義務付けられたり、立ち入りにあたっては放射線障害の防止に関する教育や、健康診断が行われるなど、日常生活では考えられない厳しい制限が課されている。
国による特定避難勧奨地点の解除は、この地域の約99パーセントに放射線管理区域に相当する汚染が存在し、さらにそのうちの25パーセントには触れないようにと規制されるレベルの汚染が存在するような状況で強行された。
 放射線障害防止のため、放射線業務従事者の放射線防護では、シーベルトで表される線量とベクレルで表される汚染密度や汚染濃度が用いられている。
しかし、特定避難勧奨地点の指定や解除にあたっては、汚染密度は全く考慮されず空間線量だけで指定の有無が決められている。
なぜ、国は土壌の汚染密度を無視するのか?無視しても大丈夫という科学的根拠を示せるのか?
家の周りの除染だけで解決済みとするのだろうか?居住地の庭に汚染土壌が無くとも、生活圏は放射線管理区域相当だ。
放射線管理区域での滞在は1日10時間が限度とされるのは、それ以上の滞在が身体に悪影響を与えるからではないのか?
私たちは本当にこの地域で暮らしていけるのか、今でも不安な日々を過ごしている。
●「原告準備書面9」の説明(原告本人:藤原保正さん)
 準備書面9は原告45名の陳述書をもとに、特定避難勧奨地点の解除が手続き上の要件を欠いたまま行われたこと、指定されていない原告から見ても違法な解除であること、解除に対する私たちの想いを伝えるものだ。
 平成26年4月1日から大谷行政区の区長となり、特定避難勧奨地点の解除に抗議してきた。チェルノブイリ事故の影響なども勉強してきた。
1ミリシーベルトだった被ばく限度が、突然20ミリシーベルトになった。
原発作業員でも、これだけの被ばくをする人は事故前まではほとんどなかったし、健康管理もされている。
私たちはモルモットにされているのではないかと疑いを持っているし、私たちが安心して安全な生活をする権利が奪われている。
 他の行政区長と連携して、解除に反対する要望書を2回提出し福島県や南相馬市にも要望を行った。
当初は平成27年7月に解除と言われていたが、年度の途中で切るのはおかしいと申し入れ、市や議会からも要望書を出してもらえた。
国は文書での回答すらせず、東京まで抗議に行ってもろくに回答もできない若い職員しか対応しなかった。
10月の説明会もメディアは入れず公開しないというので、公開しないならボイコットすると言って、ようやくメディア取材が可能になった。
10月の説明会では、線量が高いのに解除はおかしいと申し入れたが、はっきりした回答は得られず、病気なってからでは遅いではないかと言うと、健康へのフォローをすると答えたので、具体的にどのようなフォローをするのか聞いたが、回答はなかった。
回答がないのは、都合の悪い証拠は残さないためではないか?役人が自分の身を守るためではないかと考えてしまう。
国の対応は、あまりにもいい加減だ。
12月の説明会の日の朝のニュースでは、すでに解除が決まったかのような報道がされ、私たちは「これでは説明会ではなく、報告会ではないか」と解除を撤回するよう怒りの声を上げた。
 このような国の対応では、原子力委員会の意見が要求している住民との協議が行われたとは到底言えないし、住民が納得する説明もしていない。
特定避難勧奨地点の解除には、説明会などの手続きに違法があることは明らかだ。
 次に、特定避難勧奨地点に指定された原告と、同じ地域に住む特定避難勧奨地点に指定されなかった原告を区別する理由がないことについて説明する。
 そもそも私たちが原発事故時に住んでいた地域は広く面的に汚染されたので、指定は地域ごとに行うべきだった。
原発事故前には、夏にはバーベキュー、秋には芋煮会など仲良く生活していた地域住民が、世帯ごとに分断され、子供や妊婦がいるかどうかで差別され、壁を一つ隔てているだけの隣の家との間にも差が出た。
指定されなかった世帯も、「自分のところも指定されるべき危険な場所ではないか」と考え、指定された世帯と同じように、放射能について不安を持っているから、指定されたかどうかで区別する理由はない。
 原告を代表して45名の陳述書から、特定避難勧奨地点の解除に対する原告の想いの一部を伝えたい。
「指定が解除されても、私の家の敷地は線量が高いままです。線量の高い敷地に暮らしていれば、どのような健康の影響があるかわかりません。これから長い人生のある息子の健康のためにも、今の状況で自宅に戻って生活することはできません。」
「きちっとしたデータを掴んで本当に大丈夫だということを検証して示してほしい。政府は20ミリシーベルトで安全だと言っていますが、今生まれた子どもが30年後どうなるかなんてわからないのだから、しっかり検証して確実に安全だと言える数字を出してほしい。これまで起こってきた公害問題のように、何か起こってから、安全ではなかったといっても遅い。」
 このように私たちが陳述書に書いた懸念や不安は、放射線の専門家ではない私たちにとって、ごく自然なものだ。
こうした懸念や不安を解消するために、国は私たちに対して十分な説明をするべきだったのではないか。
それにもかかわらず、反対する私たちの声を聞かず、解除が強行された。
それによって私たちが受けた精神的苦痛は、たいへん大きい。
 裁判官の皆さんには陳述書で私たちが述べた想いを十分にくみ取って頂き、特定避難勧奨地点の違法な解除を取り消して頂きたいと強く思う。
●求釈明に対する回答(原告代理人弁護士:福田健治さん)
*これは、被告(国)が原告に対して釈明を求めたことに対する回答です。
これまで原告は、避難指示解除が違法であることの根拠として原子力委員会の意見を挙げてきました。
これに対して被告は、なぜ原子力委員会による意見が解除の要件になるのかの説明を原告に求めていたのです。
 また被告は、改正前原災法(原子力災害対策特別措置法)を根拠とする理由についても説明を求めていました。
原子力委員会は、専門技術的な知見を持ち、緊急事態応急対策調査委員が置かれている。
そのような原子力委員会が、専門的な助言を行うことによって、専門的な知見のない原子力対策本部が適切な緊急事態応急対応を行うという仕組みになっているのであり、解除においても原子力委員会による意見を考慮すべきである。
原災本部長が意見を求め、原子力委員会が回答したことに基づいている。
 改正前に確立した原子力委員会による意見を考慮すべきという考え方は、改正後も変わらない。

●被告弁論
原告の陳述が終わって被告の陳述になったのですが、ボソボソと低い声だったのではっきりと聞き取れなかったのですが、「提出した準備書面3、準備書面4に書いた通りであり、弁論はしません」というようなことを言いました。

*裁判長が被告に
「手続きに関する主張は、それぞれがそれぞれの立場であるでしょう。被告第3提出書面は用語の定義がないので、よくわからないからはっきりと説明してください」
*被告
「書面で回答します」(傍聴席からは声には出さないまま「呆れた!」というような失笑がザワザワと起こりました)
*裁判長が被告に
「原告に対する認否をはっきりと。解除手続きの事実関係と認否をはっきりと回答してください」
*被告ボソボソと「書面で提出します」(この時もまた傍聴席ザワザワと)
*裁判長が原告に「次回までに住民の健康に関しての書面を出してください」と言い、原告・被告・傍聴席に向かって「次回は5月18日、木曜日午後2時からとします」
そして閉廷しました。

上記しましたが、次回の口頭弁論期日は5月18日です。
傍聴席をいっぱいにして裁判の行方を、監視していきましょう。
この日は傍聴券の抽選はないまま、かろうじて傍聴席は埋まりました。
傍聴席に空きが出てくると、被告はのさばり裁判所も原告に耳を傾けなくなるでしょう。
5月18日、どうぞご一緒に傍聴を。                 

いちえ


2017年1月17日号「お知らせ」

◎お知らせ
昨日送信したものは添付チラシの容量が大きくて、配信不能で戻ってきました。
再送しますが、すでに受け取られている方には二重配信になってしまい申し訳有りません。
悪しからずご容赦を。
トークの会「福島の声を聞こう!vo.22」のお知らせです。
22回目を迎える今回のゲストスピーカーには、二本松の若い女性農業者の菅野瑞穂さんをお迎えします。
日 時:2月24日(金)19:00〜21:00(開場18:30)
場 所:セッションハウス・ガーデン
参加費:1,500円(参加費は被災地への寄金とさせていただきます)
瑞穂さんに初めてお会いしたのは、4年前だったでしょうか、あるいはもう5年経っているのか…。
私はその時からずっと、いつかきっと瑞穂さんにお話しして頂こうと思い続けてきました。
思い続けてきたことを、ようやく果たせます。
ぜひ多くの方に瑞穂さんのお話しをお聞きいただきたく、皆様のご参加をお待ちしています。  

いちえ

 


2017年1月16日号「1月12日集会報告②」

◎集会
参議院議員会館講堂で院内集会が持たれました。
参加者350名、補助椅子も出していっぱいの人でした。
●落合恵子さん挨拶
沖縄で起きることは、東京で起きる。
東京で起きることは、福島で起きる。
福島で起きることは、またどこかで起きるでしょう。
私たちは、これに歯止めをかけなければいけない。
そのことを肝に銘じてほしい。
ローザ・ルクセンブルグの言葉を。
「流さなくてもいい涙が流されることは、罪悪です」
●仁比聡平さん(共産党参議院議員)
今日強く言いたいのは、裁かれるべきは安倍政権ということだ。
昨年7月の参議院選で伊波洋一さんが圧勝した翌早朝に、オスプレイ建設強行工事を始めた。
強権で沖縄の民意を圧殺、抹殺しようとする姿勢だ。
高江・辺野古の問題は、日本の民主主義の問題だ。
非暴力の抵抗と運動でオール沖縄の民意を作り上げてきた県民に対する、安倍政権の国家的暴力こそ、裁かれるべきだ。
山城さんの健康・体調を考えれば、人道上も許されないことだ。
みなさんと一緒に速やかな保釈を強く求め,辺野古新基地建設は絶対に許さない、米軍オスプレイの配備は撤回せよ,この大きな世論で闘う決意だ。
●近藤昭一さん(民進党衆議院議員)
記者会見で琉球処分のことが話された。
琉球王国が弾圧によって、力によって、日本に組み込まれ、弾圧が繰り返されてきた。
そして戦後、多くの犠牲を出したその反省から、日本は平和主義国家・民主主義国家になったはずなのに、多くの国民がそれを決意したはずなのに、今なお沖縄への差別と弾圧が続き、それが見えにくくされてきている。
不当な逮捕なので勾留の理由をいろいろ変えて、長期勾留している。
しかし長期の勾留をすることによって、罪状を信じてしまう人も出てくるだろう。
デタラメなテレビ放送によって沖縄の運動が酷い中傷的報道がされたが、間違ったことがどんどん広められるのを、何としても止めなければならない。
国政の場で追求をしていくが、みなさんと情報を供給しながら共に頑張っていきたい。
●福島瑞穂さん(社民党参議院議員)
昨年12月20日に接見した時、山城さんは「医者から白血球が低下しているからカミソリで髭を剃って、もし血が出たら止まらなくなるから、カミソリを使わないよう言われているので、こんな顔でごめんなさい」と言ってひげ面で現れた。
悪性リンパ腫で非常に健康が案じられる状態だ。
気持ちは元気だが、家族にも仲間にも接見が許されず人と人とが会うことを阻んでいる。
彼が仲間に会って頑張ろうねと、励ましあうこともできない状況だ。
弁護士しか彼には会えない。
代用監獄から拘置所に移されたが、どうだろう?
3つ目の被疑事実は威力業務妨害罪だが、昨年1月にキャンプシュワブゲート前でブロックを積んだからというが、当時警察はそれを見ていて何も言わなかったし1年も経ってから、それがなぜ威力業務妨害罪で逮捕勾留起訴なのか?
20日からの国会では共謀罪が出てくると言われているが、何としても共謀罪を止めたいと思っている。
高江で起きていることが非常事態宣言条項や共謀罪の先取りではないかとも思っている。
ブロックを積むことを誰が考え、だれと話し合ったか、などが問われている。
共謀罪の中には、話し合っただけで罪になる組織的威力業務妨害罪が入っている。
ブロックを積もうかと話し合っただけで、組織的威力業務妨害罪になる可能性が出てくるのだ。
共謀罪は提出も成立もさせてはならないと思っている。
これをやったら全国での反基地闘争や原発の立地反対、高レベル放射性廃棄物の処分場建設反対などの座り込みや様々なものが、組織的威力業務妨害罪となってしまう。
ポイントは、市民や労働組合などで、話し合っただけで実際には何もしていなくても、話し合っただけで罪に問われるのだ。
山城さんらの釈放を求める今回の署名では、国際的NGOや国際法律家協会が動き出している。
こんな勾束は国際的にも日本の中でも、人道的観点からもおかしい。
接見禁止もおかしい。
これは山城さんだけではなく、私たちの問題だ。
●議員たちからのメッセージ
*糸数慶子さん(「沖縄の風」参議院議員)
*赤嶺政賢さん(共産党衆議院議員)
※伊波陽一さん(「沖縄の風」参議院議員)
●鎌田慧さん
先ほど記者会見をしたが、沖縄の問題は本土ではなかなか報道されていない。
山城博治さんを不当に長期勾留しているのは、けっして沖縄の問題ではない。
家族にも会えない、仲間にも会えないというのは、よっぽどの大犯罪か暴力団関係でしかないのに、これは異常な事態だ。
これが当然とまかり通っているなら、これから大衆運動をやって逮捕されたら同じようなことがまかり通る。
こうしたことは、絶対に認められない。
山城さんらを1日も早く釈放させたい。
11月に勾留理由開示公判で会った時の山城さんは、声も低く非常に疲れて弱っている様子で、靴下も履かずの裸足でゴム草履、両手手錠で腰縄をつけられていた。
こんな状況から早く釈放させたいと呼びかけて署名を集め始めて、短い期間に16000筆以上、66ヶ国から集まった。
高江のやんばるの森にオスプレイパッドが強行建設され、何万本という木が伐採され、1日に120台ものダンプカーが1台に10トン積んで1日に1,200トンもの砂利が撒かれてしまった。
やんばるの大自然がメチャメチャにされてしまった。
見るに忍びない状況を阻止できないという辛い思いだ。
山城さんは極めて稀に見る大衆運動家だが、自由闊達・融通無碍でユーモアがあって泣き虫でもある。
県知事選で翁長さんが当選した時キャンプシュワブ前のテントには20数人がいたのだが、博治さんは涙ぐんで「We shall overcome」をみんなで歌った。
大衆運動家として、攻めて退く自由闊達さを持った稀に見る人だからこそ、3ヶ月も勾留されているのだ。
彼を留置所にぶち込めば運動は収束するだろうと狙った、これは政治弾圧だ。
近年稀に見る大弾圧、大政治弾圧だ。
いま毎週水曜日と土曜日は沖縄県庁前から辺野古・高江へのバスが出ているが、主に60代、70代の方達がバスに乗って現地で座り込みをし、排除されてきている。
『高江 森が泣いている2』というドキュメンタリー映画(注:藤本幸久&影山あさ子監督)があるが、是非見て欲しい。
沖縄では体を張った非暴力の抵抗が続けられてきている。
この映画には如実に、山城さんや沖縄の人たちが抵抗する姿が表れている。
沖縄だけに基地問題を押し付けていていいのか、また南西諸島、先島諸島に自衛隊のミサイル防衛基地が造られようとしているが、これは中国の脅威に対する防止線と考えられているが、考えてみてほしい。
あのような小さい島をミサイル基地にしてミサイル戦になったら、島の人たちはみんな逃げられずに死んでしまうことになるのだ。
島の人たちは反対をしているのに市長は受け入れをして、沖縄は米軍基地、本島先島は自衛隊基地という具合に、中国の脅威を口実に私たちが知らないうちに日米が戦争の準備をしている。
そのための大弾圧だと考えると、非常にわかりやすい。
無関心でいると、とんでもないことになっていく。
●前田朗さん(東京造形大学教授)
昨年12月28日に「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」を出したが、沖縄の新聞では取り上げられたが、本土では残念ながら報じられなかった。
現在63名の刑事法学者の賛同を得ている。
日本の刑事訴訟法からすると、山城さんらの逮捕は一見すると合法的に見えるかもしれないが、実質的には全く不当な政治的弾圧であるという趣旨を、刑事訴訟法の立場から書いた声明だ。
賛同者63名、多いと思うか少ないと思うか?
はっきり言ってとても少ないが、呼びかけした段階では30数名と考えていたのが63名になった。
刑事法という学問は、基本的に権力の学問だ。
警察、検察、裁判所の理屈で権力の学問なので、多くの研究者は今回のアピールに賛同していない。
日本には死刑があるが、多数の刑事法研究者の理論は、「自分の理論で人を殺すことがある」なので、刑事法という学問は他の学問と違う面がある。
刑事法学者は単なる御用学者ではなくて権力と一体化して、人を捕まえ刑務所に放り込み、場合によっては人を合法的に殺すという学問だ。
だから63名という数字は多いといえば多いし、極めて少ないといえば少ないと言える。
この数字を増やしていくのが、これからの我々の闘いだ。
昨年12月19日国連総会で「平和への権利国連宣言」が採択された。
年が明けてから若干のメディアが報道したが、12月19日以後の数日間、日本のメディアは全て、これを無視した。
国連総会で賛成131、反対34という「平和への権利」の記事を日本のメディアは報道していない。
これは2006年から10年がかりでやってきたものだが、ようやく出来たものを日本のメディアは報道しない。
国連総会で日本政府は反対投票をした。
また、その一ヶ月前、国連総会で核兵器廃止核兵器禁止条約を作るための外交交渉を始めようという決議に、日本政府は反対投票をした。
広島・長崎の経験を有する国の政府が、核兵器禁止条約を作る決議に反対投票をする、
そして憲法前文に「平和的生存権」と書いてある国の政府が、平和への権利に反対投票をする、こうしたとんでもないことが起きているのにメディアはきちんとチェックしているだろうか?
私たちもきちんとチェックしているだろうか?
有権者である私たちは沖縄に基地を押し付けている側の一人でもあることを自覚して、この日本の政治をなんとかしなければいけない。
共に頑張っていこう。
●佐高信さん
明日発売の「週刊金曜日」で、ピーコと全日本おばちゃん党の谷口真由美さんと私の3人で座談会をしたが、ピーコが一番過激で、私もそれにつられて「インタビューを受けた時に「アベ」と言ったのが紙面では「安倍氏」となってていたのが気に入らなかったというようなことを喋った。
この間、辛淑玉さんと会った時に「沖縄問題」と言ったら、いきなり彼女からチェックが入って「沖縄問題ではありません。沖縄差別問題です」と言われた。
その通りだと思う。
去年の参議院選挙で新潟を含む東北7県で野党共闘が6勝1敗、沖縄も勝った。
明治維新の戊辰戦争で徹底的に薩摩長州に抵抗したところが、勝っている。
東北7県の内の秋田がなぜやられたかというと、奥越列藩同盟を一番最初に破ったのが秋田だ。
東北では秋田の人は大変肩身の狭い思いをしていて「秋田の変身」と言われているが、
安倍の女房役の菅は秋田出身というオチがつく話だ。
一茶は「そこのけそこのけお馬が通る」と歌ったが、それをもじれば「まつろわぬ者どもよ、そこのけ、そこのけ国家が通る」になっている。
とりわけ今日ここに集まっているような人たちは、国家の中に含まれない。
守られる人間と守られない人間が、はっきりしている。
そして守られると思っている国民も、それは錯覚だ。
2000年に来栖博臣という当時、自衛隊の統合幕僚会議議長が『日本国防軍を創設せよ』という本を書き、その中で「自衛隊は国民の生命、財産を守ると誤解している人が多い」とはっきり書いている。
何を守るのかというと、国の独立と平和を守るという。
つまり「国」というものと国民の生命財産は同じだと。私たちは片思いをしている。
軍隊は私たちのためには役立たない、持っている方が危険であるということだし、警察も同じだろう。
鎌田さんの話では山城さんはちょっと元気がないようだが、私たちも山城さんと共に抵抗していこう。
●伊波義安さん(沖縄現地から電話でのメッセージ)
辺野古のキャンプシュワブの新ゲート前のテントの中から、携帯電話で繋いでいる。
山城博治さん他2人が不当逮捕されているので、早期釈放を求める会を12月28日に結成し、署名活動をしている。
山城さんは高江の抗議行動の際に、有刺鉄線を切ったということで現行犯ではないのに拘束され、それから次々と彼のやったことを公務執行妨害とか傷害罪とかでっち上げた。
工事車両を止めるために博治さんや我々が積んだブロックを、機動隊が片付けるということが繰り返された。
その時点では何も注意もされずにやってきて、10ヶ月経った時に威力業務妨害罪で逮捕され、結局は釈放されそうになっては次の容疑があるということで3度拘束が延長され、もう80日を超えている。
彼は大病を患い、いま体調はギリギリになっている。
それで私たちは、このような不当な拘束を早くやめて釈放せよと要求し署名活動をしている。
●寺井一弘さん(弁護士)
アベ政権が強行採決した安保法制を、違憲とする訴訟の共同代表をしている。
現在の司法は国の政策を唯々諾々と追認してしまうのが大きな特徴で、12月には厚木訴訟の最高裁判決、辺野古の最高裁判決の信じられないような判決が出された。
弁護士の中には、「司法は最後には政権の出す政策を追認するのに、その反対に訴訟を起こすのはおかしい」と言って疑問視する声もあるが、もし安保法制を司法が合憲としたら、アベの思う壺だという意見がたくさんあった。
我が国は立法・行政・司法が三権分立であり、民主主義国家を形成する大きなシステムだ。
憲法秩序総体の平和主義。基本的人権の尊重を根底から破壊するものがある時に、それを司法が是認してしまうなら、日本は民主国家ではあり得ない。
法律家であり立憲主義を守らなければならない弁護士が、いま立ち上がらずにどうするのかと決意したが、この訴訟は、日弁連や法テラスのように組織性があって財政基盤がしっかりしたところではなく、手作り手探り、手弁当の厳しい戦いだ。
だが、昨年4月の東京地裁への提訴に続き全国で15の地方裁判所に提訴され、原告は5,000人を超えた。
そして一人一人の弁護士に声をかけ、現在1,300人の弁護士が代理人となっている。
国側は早期に結審して棄却せよと答弁したが、東京地裁ではそれを退け、今年の6月までの期日が入っている。
私たちは、国側が目論む早期結審をさせない、棄却判決を出させないということで裁判官に向かって、いま何が問われているか、司法の役割は何かを心を込めて訴えている。
沖縄で行われている不当な弾圧を絶対に許してはいけない、沖縄で起こっている問題は新しい安保体制の先取りであると考えて、12月には仲間たちと沖縄へ行き、辺野古にも行き、山城さんの不当逮捕に対する抗議集会やデモにも参加してきた。
そこで感じたことは、私たち本土の人間は沖縄のことを知らなさすぎる、関心がなさすぎるということを自身を含め感じて、恥じ入っている。
私は今年で48年の弁護士生活の中で多くの刑事事件も扱ってきたが、この山城さんへの不当な逮捕・弾圧を許してはいけないということが、法律家として弁護士としての使命であると考えている。
山城さんの早期釈放の問題と安保法制の違憲性の問題は、表裏一体のものだ。
我が国はいま、民主主義が問われている時代に入っている。
私は微力だが、沖縄に行った時に勝つためには諦めないことと表示されていたのが強く印象に残った。
アベ政権は東京オリンピックに国民の目を向けさせて、スポーツを利用して安保法制の問題から国民の目を逸らし、これを忘却させようとしているのではないかと思っている。
忘却との闘い、決して諦めないこと、そして忘れないこと、これを思って国民すべてが結集するならば、山城さんらの早期釈放を勝ち取り安保法制違憲の判決を勝ち取れると考えている。
●藤本泰成さん(「フォーラム平和・人権・環境」代表)
山城博治のために多くの署名を集めていただき、このように大勢集まって下さり、ありがとうございます。
山城博治は私たちフォーラム平和傘下の沖縄平和運動センターの議長として、沖縄平和運動、辺野古・高江の闘いを牽引してきた。
だからこそ権力は山城を不当に逮捕し、長期に勾留している。
人を人として思わないのが安倍政権であり、自分に反対する意見は誰の話も聞かないのが安倍政権だ。
そのような者たちに、民主主義国家を任せることはできない。
多くの人が反対した戦争法を安全保障などと言いながら成立させ、先の戦争でどれだけの人が傷つき人生の半ばでその志を失い倒れていったか、そういうことに全く心を寄せない安倍政権である。
山城不当逮捕、長期勾留などということが戦後の民主主義社会で許されていいのか、自らの主張に反対する者、闘う者を決して許さないところに安倍政権の本質がある。
2013年4月、沖縄の人たちが「サンフランシスコ講和条約で私たちは捨てられた。だから反対する」と言った日を、彼は強引に祝った。
日本の主権は、本当に回復しているのか!
沖縄で主権の及ばない場所がどれだけあるのか!
オスプレイが事故を起こし、日本政府は形だけ抗議した。
抗議をした何日後に、オスプレイはまた飛んだか!
昨年女性が米兵に暴行され殺害された、地位協定の見直しだ!
いったい政府は何をしたのだ!
安倍政権が主権回復と胸を張るなら、沖縄でやるべきことが、もっとやるべき別のことがあるだろう!
しかし今、政府が沖縄でやっていることはアメリカの愛犬のごとく鼻を鳴らして、アメリカのポチとなって、アメリカのために沖縄の自治と沖縄の命を守ろうとする翁長知事を敵視し、沖縄の思いを持って辺野古と高江に立つ私たちの仲間を不当に弾圧する。
安倍首相によって日本の民主主義は破壊され、法治主義も立憲主義もすべてこの日本から排除されようとしている。
落合恵子さんも言った。
沖縄で起こることはどこでも起こる。
私たちはしっかりと考えなければいけない。
高江・辺野古は日本の民主主義を守るための闘いの最前線だということをしっかりと胸に刻んで、山城博治を早くあの辺野古に立たせたい。
高江と辺野古、これ以上沖縄に基地を作らせないという沖縄の人たちの思いにしっかりと寄り添って、日本の民主市議を守るためにみなさんと心を合わせて闘っていきたい。
●新倉修さん(青山学院大学教授、国際法律家協会)
私たちの協会は1957年に作られ既に60年経つが、戦争への深い反省、二度と戦争をしてはいけない、人権を守る国にしなければいけないという強い思いを持って法律家が国際的な連帯を強めようということで1946年にパリで形成された国際民主法律家協会という大きな団体に加盟している。
国際民主法律家協会はナチスと闘ったレジスタンスの法律家が世界中から集まって、国連の成立を祝って、まだ植民地は残っているが、今や我々は大西洋の両側から手を結んで、戦争のない、人間の尊厳が守られる世界を作ろうと、世界人権宣言を起草したルネ•カサンを代表に作られた。
その団体は沖縄に対して無関心ではなかった。
1969年、沖縄がまだアメリカの施政権下に置かれていた頃に既に、沖縄からベトナム人民への爆撃が行われているのは明白な国際法違反だとして、国際民主法律家協会は日本の法律家にも呼びかけて国際的な調査を行った。
ところがアメリカはアメリカ人の法律家は沖縄への入域を認めるが、他国の法律家はダメと激しい抵抗をした。
日本の法律家も入域を拒否されて、ブラックリストに載った。
我々はこうしたアメリカのやり方を見てきているので、沖縄の問題に関しては、世界大会を開くたびに毎回、米軍基地撤去、平和の実現、核兵器の廃絶ということを言い続けて、沖縄の人たちに熱く連帯する決意をあげてきた。
とりわけ1995年の、少女に対する暴行事件があった時には、いち早く法律家を派遣して沖縄での秩序、とるべき方法をきちんとした報告書を持ってアメリカ政府に呼びかけた。
国連にも働きかけ、世界の法律家たちにも働きかけた。
そういう我々が、この問題に黙っていられるのか!いられるわけがない!
日本政府は南シナ海の問題については、法の支配で解決しようと言い、北朝鮮の問題については人権が大事だと言っている。
それなら沖縄に、人権も法律もなくていいのか!
山城さんが釈放され、辺野古の基地が撤去され、高江のオスプレイパッドが建設阻止されるまで、みなさんと一緒に最後の最後まで闘う決意だ。
●満田夏花さん(FoE Japan)
76カ国の環境NGOのネットワークであるFoE(Friends of the Earth)インターナショナルは沖縄の米軍基地建設に反対する人々への連帯を表明市、山城さんらの解放を求める。
現在、国際的に、環境や人権擁護活動のリーダーたちが、相次いで弾圧されたり、誘拐・殺害のターゲットになるような事件が相次いでいる。
FoEインターナショナルは民主主義と環境を守る立場から、こうした状況に深い憂慮と関心を持ち、沖縄の平和運動の弾圧についても国際的な連帯を呼びかけている。
●大木晴子さん(主婦、新宿西口広場スタンディング)
12月20日に博治さんに靴下を差し入れてきた。
なぜこの日だったのかというと、12日夜の報道で、沖縄裁判について国は原告敗訴を提示しながら20日(コザ暴動の日に当てて)に判決を出すということが伝えられた。
それを知って眠れず、すぐに沖縄行きを決意しチケットを入手した。
沖縄のおじぃやおばぁを笑顔にさせるには、博治さんに靴下を渡すことだと思った。(注:記者会見での鎌田さんの発言にもあるように、靴下の差し入れも禁じられていたので山城さんは素足にゴム草履。病を持ったからだで冷えは抵抗力を低下させる)
この役目は博治さんと同じ悪性リンパ腫を患う私が、一番ふさわしいと思った。
また私自身が昔、靴下を差し入れてもらって嬉しい体験をしたことがあったからだ。
それで長・中・短の3種類の靴下を揃えて名護署に行った。
靴下を渡せるまで座り込んでもいいという覚悟で、20日の朝早く名護署に行った。
最初はやはり拒まれたが、「なぜダメなのか理由を明らかにして欲しい、私は今日1日ここに座り込んでもいい覚悟で来ている」と言って粘ると、しばらくして写真を撮らせて欲しいと言われ3枚の写真を撮って、それが県警に送られた。
返事を待つ間、名護署の人たちに悪性リンパ腫という病気について説明した。
私は2011年に発症し今でも2ヶ月おきに採血検査をしていること、先日も喉の具合が悪かった時には PET CT(注:がんの検査方法の一つ)を受けたが、そのように大変な病気だということを話した。
そのようにして待たされた結果、一番短い靴下を入れることができた。
長い物は首を締めることができるので不可とされた。
この時、沖縄に行く前日に三上智恵さんの最新作『標的の村〜風かたか〜』を観たが、大写しになった博治さんを見た時に、白内障が進んでいると思った。
白内障は症状が進んだ時に手当てが遅れると、失明する危険がある。
翌日奥さんと一緒に靴下を差し入れに行った時に、彼女から「博治は目脂が出るのでハンカチで拭きたいのに、ハンカチの差し入れが許可されない」と聞き、赤ちゃん用の小版のハンカチを持って行き「これなら首は閉まらないでしょう」と警察に言うようにアドバイスをした。
いま博治さんはハンカチを使えている。
博治さんは抵抗力が落ちているので、目の病気も進行が早いだろう。
早く釈放をして欲しい。

★集会報告は、以上です。
発言の要旨を短くお伝えするのではなく、できるだけ離されたままをお伝えしたく、今回も長文の報告になりました。
最後までお読みくださって、ありがとうございます。
どうか、沖縄の状況に思いを馳せて、山城さんたちの一日も早い釈放のためのお力をお貸しください。
また、落合さんや他の方たちも言われていましたが、沖縄で起きていることは私達の身に起きていること、共謀罪の先取りであることを胸に刻んで、反対の声を上げていきましょう。                           

いちえ

関連:

2017年1月16日号「1月12日集会報告①」

「山城博治さんらの釈放を求める集会」
1月12日、参議院議員会館で山城博治さんらの釈放を求める記者会見と集会が行われました。

◎記者会見
呼びかけ人の鎌田慧さん、落合恵子さん、佐高信さんの3人の方たちによる記者会見でした。
今日は参加されませんでしたが、澤地久枝さんと小山内美江子さんも呼びかけ人です。
記者会見場には100名を超す人たちで溢れ、座席がなく立っている方も多数でした。
はじめに社民党衆議院議員の照屋寛徳さんが挨拶されましたが、私は少し遅刻したため、照屋さんのお話は最後の方しか聞くことができませんでした。
そのためこの報告でも、照屋さんが話されたことのほんの一部しかお伝えできないことを、あらかじめお断りいたします。

●照屋寛徳さん挨拶
沖縄辺野古の新基地建設、高江のヘリパッド建設には沖縄県民の多くが反対をしていて、現地では非暴力の抗議行動が続けられてきている。
それに対して政府は凄まじい弾圧を加え、リーダーである山城さんらを逮捕・勾留することで反対運動を潰そうとしている。
同情や哀れみはいらないから連帯の闘いをお願いしたい!
照屋さんはそう挨拶したあとで、呼びかけ人の鎌田さん、落合さん、佐高さんに向かって深く頭を下げて「ありがとう」とお礼を言われました。

●鎌田慧さん
既に90日にもなろうとする不当な拘留が続いている。
昨年11月4日の勾留理由開示公判では、「頑張れ」と声をかけると手を挙げて応えたが、病状の悪化が案じられる。
現在も家族の面会もできず接見できるのは弁護士だけで、昨年末までは靴下の差し入れも許されず素足にゴム草履だった。
免疫力の低下が非常に心配で一日も早く釈放を要求する。
高江、沖縄での警察の暴挙は沖縄の新聞は如実に伝えるが、本土のメディアは報じない。
これを伝えたくて、記者会見と集会を開く。
やんばるの森の木々が伐採され、パトカーが先導、後尾にも守備について、パトカーに前後を守られてダンプカーが砂利を運んでいる。
そうしたことに反対する運動から、リーダーを外すための逮捕だ。
微罪で逮捕し長期勾留し、大罪のように見せかけようとしている政治弾圧だ。
これに無関心であれば、これから先どんどんこうした不当逮捕・勾留がまかり通り、市民運動は弾圧されていく。
共謀罪の先取りのようなことがまかり通っているのだ。
私たちはこのことを、断じて許してはならない。
署名集めも昨年の12月25日に開始して今日1月12日現在で16,528筆、日本だけではなく世界66カ国から集まっている。

●落合恵子さん
沖縄を思うとき、「琉球処分」を思い出す。
琉球王国は、力によって1872年日本に組み入れられ沖縄県とされたが、政府は今また同じことを、より巧妙に、より激しくやろうとしている。
沖縄の問題は私たちすべての、全国の問題なのだ。
1972年沖縄復帰の日、その頃私はラジオ局に勤めてアナウンスをしていたが、その時には復帰が幸せなことなのかどうかわからないと思ったのだが、未だにその思いは繋がっている。
現政権は、かつてないほど露骨に支配を強めている。
「土人」「シナ人」発言は、それを発した若い機動隊員の言葉ということだけではなく、権力側の姿勢を表している。
その後に大阪府知事は「売り言葉に買い言葉」と言ったのも、とんでもない暴言だ。
「売り言葉に買い言葉」は同等の立場にある者の間で言えるのであって、逮捕する力を持つ権力側と市民という関係では成り立たないのだ。
オスプレイ墜落後、在沖縄米軍トップは「民家を避けて惨事が起きないようにしたのだから感謝をすべき」と言ったことも、許しがたい。
ドメスティックバイオレンスは日常的に、身体的、精神的、社会的暴力を受ける状態をいうが、国が沖縄に対してDVを行っている現状だ。
DVにはもうひとつ性的暴力も含まれるが、国が沖縄の女性たち、子供達に対してDVを働いているとも言える。

山城さんの置かれている状況は、明日の私たちの姿だと思ってほしい。
マハトマ・ガンジーの言葉。
あなたが今していることは、ほとんど無意味かもしれない。
あなたがしていることは、あなたが世界を変えるためではなく、あなたが世界に変えられないためにしているのだ。
苦しんでいる人を放置していること自体が問題で、罪なのだ。

●佐高信さん
山城さんは穏やかな人だ。
落合さんが1972年の祖国復帰の日のことを言ったが、これによって沖縄は日本国憲法の下に入るということだったのだが、実際には「抵抗する者どもよ、そこのけ、そこのけ、国家が通る」という状況になっている。
辺野古、高江の米軍基地も絶対に許してはいけないし、先島諸島への自衛隊基地配備も問題にしていかなければならない。
自衛隊制服組のトップだった来栖博臣が「みんなは、自衛隊は国民の生命と財産を守るというような勘違いをしているが、自衛隊は国民の生命と財産を守るのではない。国の独立と平和を守るのが自衛隊だ」と言っている。

●鎌田慧さん
山城さんは泣き虫でユーモアがあって、自由闊達な人だが病を抱えている。
悪性リンパ腫を抱えている人を、3月公判まで勾留するなどとんでもないことだ。
昨年の拘留理由開示公判の時に、傍聴席から「頑張れよ」と彼に声をかけたが、もう一つ裁判官に向かって「山城さんを殺すな!」と言いたかったが、言えなかった。
リーダーを長期勾留して運動をつぶすこの動きは、日米合作だ。
治安維持法よりも酷いことをやっている。
沖縄の現場に行くと、よく判るが、全国からの警察がグルになって暴力行為を行っている。
こうしたことが〝沖縄だから〟起きているのに、本土には見えていない。
本土のニュースで、ぜひ報じてほしい。

●質疑応答*質問(日刊ゲンダイ)
治安維持法も無いのにそれ以上のことが行われていて、裁判所の裁判官個人もこれに乗じている。
憲法違反を判じる憲法審査所が無いことが日本にとって問題だと思うが、警察も司法も権力側についている現在の状況で、どのような運動が展開できるのか?
●応えて落合恵子さん
力になびく人は力が変われば変わりうる。
政権を変えよう!
三権分立が夢だが、今回のように微罪で運動にダメージを与え弾圧しているのは、ネルソン・マンデラさんが30年の長期にわたって勾留されていたのと同じことだ。
●鎌田慧さんも応えて
日刊ゲンダイは頑張って記事を書いてくれているが(注:13日付日刊ゲンダイで、記事が出ていました)、これからも頑張ってほしい。
高江・辺野古だけでなく奄美諸島から始まる先島諸島で自衛隊のミサイル基地建設が進められようとしている。
住民は皆反対しているのに市長が賛成した。
前沖縄県知事の仲井真さんと同じ図式で、政治圧力がかかっている。

※記者会見場は100人を超す人でいっぱいでした。
このあと集会を控えていたために質疑応答時間は短く、日刊ゲンダイ記者の質問だけでした。

関連:

2017年1月4日号「報告とお願い、そしてお知らせ」

新しい年が明けました。
昨年も文章ばかり長い通信にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
そして、どうぞ今年もよろしくお願い致します。

暖かで穏やかな日差しなのですが、新年を寿ぐ思いよりも不安と気がかりが胸につかえています。
新年第1報をお送りします。

◎報告
昨日3日は「アベ政治を許さない」一斉行動日でした。
国会前には100人を超える仲間たちが集いました。
私が地下鉄の駅を降りたのは、12時20分。
「少し早く着いてしまったかな」と思いながら国会前に行くと、既に澤地久枝さんといつもの仲間たちの姿がありました。
続々と人が集まってきて、いつもの仲間たち、ここで会うのは初めてだけれど他の集会ではよく顔をあわせる方、初めて会う人たち、そして1時前には松元ヒロさんも奥様と一緒にみえました。
午後一時きっかり、みんなで一斉にプラカードを掲げ「アベ政治を許さない!」声をあげました。

◎お願い⑴
change.org 「山城博治さんらを救え」キャンペーンで、既にみなさんご存知だと思います。
(ご存知なかった方は
そして、そちらでの署名も済まされたことと思いますが、別の呼びかけ人たちによって新たな署名活動も始められています。
要請文と署名用紙を添付します。
どうぞご協力、そして拡散をお願い致します。
●「山城博治さんらの釈放を」集会
日 時:1月12日 14:00〜15:30
場 所:参議院議員会館講堂
主催者:鎌田慧、澤地久枝、佐高信、落合恵子、小山内美江子

要請文はこちら

署名用紙はこちら

◎お願い⑵
私の若い友人の神直子さんが代表を務めるブリッジ・フォー・ピースが、クラウドファンディングで、活動への協力を仰いでいます。
どうぞ、こちらにもお力をお貸しください。
ブリッジ・フォー・ピースは日本軍侵略によって被害を受けた地域の人たちと元日本兵を繋ぎ、戦争によって加害と被害の関係が作り出されることが二度と起きないようにと活動している団体です。
神直子さんが活動を始めた初期の頃から、私も応援してきている団体です。
どうぞ、下記をご覧ください。
https://readyfor.jp/projects/bridgeforpeace1/announcements

◎お知らせ⑴
講演会「憲法9条と平和への権利」
お 話:ロベルト・サモラさん(コスタリカの法律家)
日 時:1月13日(金) 15:00開場、15:30開会
場 所:参議院議員会館101会議室
参加費:無料
共 催:立憲フォーラム/戦争させない1000人委員会

◎お知らせ⑵
「女性と戦争法〜女たちの違憲訴訟」連続シンポジウム第2回
テーマ:「戦争法と性暴力」
日 時:1月17日(火)18:15開場、18:30〜21:00
場 所:文京区民センター 2A会議室(地下鉄三田線・大江戸線 春日下車すぐ)
参加費:500円
問題提起:「基地・軍隊と女性への暴力」高里鈴代さん(沖縄:基地・軍隊を許さない行動する女たちの会代表)
     「戦時性暴力と戦争法」池田恵理子さん(アクティビミュージアム女たちの戦争と平和資料館館長)
     「自衛隊と女性」秀嶋ゆかりさん(弁護士:元自衛隊セクシャル・ハラスメント裁判代理人)

◎お知らせ⑶
「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回」訴訟、第6回口頭弁論
日 時:1月19日(木)15:30開廷
場 所:東京地裁103号法廷
*大法廷を傍聴人でいっぱいにしたいと思います。
傍聴券の抽選は15:00から始まりますので、それまでに地裁前にお集まりください。       

いちえ


2016年12月28日号「お知らせとお願い」

前便「一枝通信」で「安保法制違憲」訴訟の様子を、長々とご報告をしました。
「国家賠償」訴訟も「差し止め請求」訴訟も、裁判官の姿勢は原告の主張に耳を傾けているように思えますが、そもそも裁判官は職業柄ポーカーフェイスですから、この先もしっかり傍聴していこうと思っています。
日本では、最高裁判所の長官は内閣が指名して天皇が任命、判事は内閣が任命して天皇が認証します。
下級裁判所の判事は最高裁判所が指名した名簿によって、内閣が任命します。
ですから20日に判決が出た辺野古訴訟のような、とんでもない司法の暴挙が起こるのです。
三権分立は、建前の話なのです。

●お知らせとお願い①
添付する「上原公子(ひろこ)さん募金のお願いに、ぜひご協力をお願いいたします。
元国立市長の上原さんは私の友人ですが、これは上原さん個人の問題ではなく地方自治体の自治権の問題だと思います。
つまり私たちの問題なのだと思うのです。
このところ行政も司法も、国に忖度して自らの役割・義務や責任を放棄しているように思えてなりません。
上原さんへのご支援をお願いいたします。


ご報告とお願い

 歳末のお忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。
本日は、誠に残念なお知らせをしなければならない事態となりました。
私どもは、皆さまから大きなご支援をいただき、国立市が明和地所に支払った2500万円の損害金を当時の市長であった上原に求償請求する裁判に対し、上原の諸行為は大学通りの景観保持のためにたたかった住民自治を実現する自治体首長の適法行為であり、議会が債権放棄議決をしていること、同額が直ちに明和地所から寄付されて市財政の損害は補填されているなどを主張してたたかってまいりました。
一審勝訴、二審敗訴の後、上告審(最高裁判所平成28年(オ)第580号、平成28年(受)第734号事件)では、市議会での放棄議決とその1年6か月後の新市議会での行使決議の効力の関係(行使決議に放棄議決の効力を否定する力はないこと)を研究者の意見書を踏まえて論じた補充書(1)、明和マンションが違法であると指摘した高裁判決を引用してなされた議会答弁について、その答弁が「報道されて顧客が知り、営業損害及び信用棄損が生じた」とする高裁判決認定が両当事者の主張・立証もない「報道」認定した誤りが明白な審理不尽の違法をであることを指摘した補充書(2)を提出していました。
さらに、地方自治に係る専門誌に緊急発表された研究者の高裁判決批判の論文をふまえた違法性と責任に関する補充書と、自治体首長経験者・現職8名の方から寄せられた意見書を踏まえた上告理由補充書、本人名による補充書の3本の補充書をほぼ完成させ、提出日を12月21日とすることも最高裁に予告して、最後の校正をすすめているところでした。
 にもかかわらず、最高裁は、12月13日、「上告を棄却」、「上告審として受理しない」を出し、それは翌14日昼、送付されてきました。全く思いもかけない事態でした。
 この結論は、国立の大学通りの景観保護をめぐって努力してきた国立市民と国立市、当時の市長上原の「オール国立」というべき住民自治の営みについて、これを憲法92条の地方自治の本旨・住民自治の観点から理解することを避け、債権放棄議決に対する最高裁判所判例に照らした判断も回避し、結果として日本の地方自治における自治体首長の役割を軽視し委縮させる、承服しがたい決定であると言わざるを得ません。
 国立大学通りの明和地所マンションをめぐる事件の核心は、国立住民自治がつくり上げてきた大学通りの景観保護の歴史をふまえ、明和地所マンション周辺の地権者が自らの土地利用に高さ制限を付す地区計画を提案し、これを受けた国立市議会がこれを条例化し、当時の上原市長がこれを実行した、全国的にもまれな市民の自治力による景観保護運動の前進にありました。その後のいくつもの訴訟を手段とする住民運動や、景観審議会からの明和地所に対する高さ制限勧告・公表などもこの地区計画条例にまで到達した住民自治の前進を反映したものでした。一審判決が上原の行為を「景観保護の理念」に基づくものと核心をとらえ、多くの研究者の論文でも住民自治による地方自治の前進、景観保護行政の前進として評価してきたものでした。
これを見ずして、市長上原の集会での発言や、都行政に対する要請などを悪意をもって企業の利益や信用を棄損する違法行為呼ばわりすることは、およそ地方自治の本旨と現実を理解しない企業利益擁護に立った偏見でしかありません。高裁判決はその最たるものというべき判決でした。
最高裁決定は、その高裁判決をすべて事実認定の問題として最高裁の判断の及ばないこととしてしまい、憲法上の住民自治や地方自治法の解釈適用及び最高裁の債権放棄議決に対する判例等に照らした検討を回避してしまったものです。
一連の国立景観裁判で「景観利益」を法的保護に値する利益として認めた最高裁判所までが、このような乱暴な高裁判決を認めて自らの判断を回避したことに、司法の危機、とりわけ地方自治に対する憲法的な位置づけを欠いた軽視を感じざるを得ません。
 私たちは、この司法の回答を深い悲しみをもって受け止め、心の内に燃え上がる白い炎をもって焼き尽くす決意で向き合うこととしました。
 弁護団と国立住民運動の責任ある市民は直ちに会合し、「市民自治に投げ返された」課題として受け止め、住民自治の運動としてけじめをつける決意を固めました。
全国の首長や首長経験者、研究者など地方自治の本旨に基づいて、景観・まちづくりに努力してこられた方々のお力を借りて、国立事件で問われた価値を問い直し、司法のこの結論で委縮するのではなく逆にそれをばねにして地方自治の飛躍をはかる意気込みで前進したいと考えます。研究者の皆さんには是非研究対象として改めてとりあげ深めていただきたいと思います。シンポジウムの開催や出版などによって地方自治からの反撃の契機にしていただきたいと存じます。
また、現実の賠償金については「上原個人に1円たりとも負担を課さない」、との決意で向き合うことといたしました。司法の無理解が「損害賠償金」と烙印を押したその金額について、私たちは、住民自治に課せられた負担として受け止め、逆に住民自治・景観行政を前進させる基金として位置づけ、国立市民と全国の屈しない住民自治の仲間の皆さんに募金をお願いすることといたしました。これまで多大なご支援をいただいてきたことに加えてのお願いで大変恐縮ですが、どうぞ、この決意をお受け止めいただきたく心よりお訴えさせていただきます。
尚、募金は下記口座を専用口座として開設いたしましたのでよろしくお願いいたします。

2016年12月26日
元国立市長上原公子
弁護団(責任弁護士窪田之喜)

募金受付特別口座
 みずほ銀行 日野駅前支店
 普通預金口座 1222665
 名義人 日野市民法律事務所 弁護士窪田之喜(くぼたゆきよし)
*これはこの募金のために新たに開設した専用口座です。
 なお、上原に請求額は金利含め、4400万円になります。

●お知らせとお願い②
友人の辰野勇さん(モンベル会長)から届いた知らせも、ぜひみなさんにも知っていただきたく、またご協力をお願いしたいのです。
奈良公園内にリゾートホテルを建設する計画が、持ち上がっているそうです。
「文化財保護法」や「古都保存法」に基づいて「歴史的風土保存地区」に指定されている地の、自然環境を壊してリゾートホテルを建設する計画に私は反対します。
どうぞ下記HPをご覧の上、署名にご協力ください。
http://www.nara-park-mamoru.jp/

奈良公園の環境を守る会・高畑町住民有志の会
http://www.nara-park-mamoru.jp/
2年前、奈良公園の景勝地「若草山」にモノレールを建設する計画を発表した奈良県荒井知事が、再び奈良公園の裁判官官舎跡地にリゾートホテルを建設しようとしています。当該地は「国指定の名勝」であり、「文化財保護法」や「古都保存法」に基づいて「歴史的風土特別保存地区」に指定されています。このような厳しい規制地域には本来一切の建造物を構築することは認められないはずです。また、当該地は「奈良市風致地区条例」によって「第一種風致地区」に指定され、一切の商業施設の営業は認められていない地域でもあります。 奈良公園は、日本国の宝であり、世界遺産の登録を受けた世界の財産です。子々孫々に悔いを残さないため、日本全国の見識ある皆さんの民意として「署名」をいただきご賛同いただきたく存じます。

いちえ  


2016年12月27日号「安保法制違憲訴訟報告 その4」

◎報告集会に参加した原告の方たちの話
 法廷で意見陳述した原告は2人だけでしたが、他の原告の方たちも原告席に座っていましたし、この報告集会にも参加していました。
その方たちの話です。

●キモリさん(お名前の文字表記が判らないのですが、東京大空襲被害者の男性です)
 1945年3月10日未明の東京大空襲では、2時間半の間に10数万人の人間が焼き殺された。
1機で約10トンの焼夷弾を抱えた爆撃機が三百数十機、東京上空に飛来して雨霰と焼夷弾、爆弾、ガソリンを撒いた。
そういう中で10数万人が亡くなった。
その後は本土空襲で、次々に大都市、中心都市がやられた。
 私の家は本所だったが、小学6年生だった私は学童疎開で地方に行かされていた。
その夜に友達が「東京の空が赤いよ」と叫んだのを覚えている。
次の日やその次の日に、無事だった親御さんたちは子供を迎えに来たが、私のところには1週間経ち八日経ちした頃に叔父と、隣の家に住んでいた知り合いが迎えに来て、両親と弟が空襲で死んだことを知らされた。
地獄に突き落とされたような恐ろしさを感じた。
 母の実家が調布市で、そこに引き取られていった。
食糧難だったがそこは農家だったので、なんとか麦飯でも食べられたが、着るものはない、親も居ないで、学校を続けるのが難しかったので中学を卒業して就職した。
近くの会社で寮があったので、そこから高校にも通い大学にも行った。
 当時は孤児が多く、市場などでは浮浪児となった孤児が盗みを働いたりしたから、警察が犯罪者として孤児狩りをした。
捕まるとラックで孤児院など収容所に入れられ。そこでは食べ物も悪いしムチで叩かれるような教育をされた。
そんな悲惨な状況を経て、ようやく日本は今の平和を勝ち取った。
そんな中で日本国憲法によって、我々の未来の基礎ができた。
日教組の先生方も「若者を再び戦場に送るな」と活動してきたし、私も会社に勤めながら組合活動で60年安保や砂川闘争など平和運動を続けてきた。
 それが今、集団的自衛権や駆けつけ警護などとごまかしの論理で、我々の命を、若い世代の命を、また危険に晒そうという動きが出てきた。
何が一番大事かといえば命なのだ。
それが粗末にされていくような世の中の堕落を、私は許せない。
だからこの訴訟の原告になって、みなさんと一緒に闘い抜こうと思っている。
死ぬまで私は平和憲法を守り抜いていこうと思っている。

●高橋さん(男性)
 私は57歳で、原告の中でも若い方だと思う。
 父が学徒出陣で関東軍にとられて東寧の要塞部隊(*関東軍東寧要塞攻撃用砲兵連隊)で、重砲の弾道計算をする係りだった。
東寧の要塞基地は現地の中国人農民を使って莫大な労働力を狩り出して築いたかなり大きく頑丈な要塞で、一個師団が1年か2年籠城できるという武器・弾薬、食糧を備蓄していたそうだ。
 昭和20年8月9日、ソ連軍が突然砲撃してきたが頑丈な要塞なのですぐには崩れず持ちこたえていたが、父の所属部隊の中隊長以下30人ほどは、23日頃に夜陰に紛れて要塞を放棄して逃げた。
その途中で朝鮮人の兵士(強制的に狩り出された朝鮮人日本兵)を3人ほど発見した。
中隊長は「こいつらは脱走兵だ」と、自分たちだって脱走兵なのだが、中隊長はそう言って、「お前、こいつらを始末しろ」と言い、父と上官の軍曹との二人に命じた。
父の階級は兵長なので軍刀を持っていなかったが、中隊長がこれを使えと言って自分の軍刀を渡した。
父は渡された軍刀で一人を斬首したが、その時に頚椎に食い込んだ軍刀の感覚がずっと死ぬまで忘れられず、うなされていた。
父は、「俺は、とんでもないことをしてしまった」と、ずっと最後まで悔やんでいた。
 僕は大学の史学科で歴史を学んでいたので、根掘り葉ほり聞き出して記録に留めていたので、父のような不幸な道を辿りたくないと思い、平和運動に取り組んできた。
 3年前には厚生労働省の公募ボランティアで、硫黄島に日本兵の遺骨収集に行った。
硫黄島は23,000人が玉砕しているが、11,000体しか回収されていない。
応募の3度目のチャレンジで受かって参加できたが、民間人は僕の他には一人も居ず、自衛隊しかいなかった。
2週間ほど硫黄島に滞在して、自衛隊のみなさんと一緒に遺骨回収の作業をした。
20メートルくらい地下を掘って地下道が掘り巡らされているが、僕らの班も一体分のお骨を回収することができた。
 その時に自衛隊の皆さんとも親しくなっていろいろ話を聞くことができ、なぜ自衛隊に入ったかなどを、聞くこともあった。
最近「経済的徴兵制」などの言葉を聞くが、彼らは今もう既にそうなのだ。
家庭が貧困で大学にも行けないような貧困ゆえに、自衛隊に入らざるを得なかったと言っている。
 彼らは不発弾処理班と、科学班が居た。
硫黄島は火山島なので亜硫酸ガスとか危険なガスが出るので僕らが地下道に入っても大丈夫かどうかガス検知をして安全性を確認して入るのだが、彼らと付き合う中で、こういう真面目な彼らを戦場に出して殺してはならないと、強く感じた。
それで僕は、この原告になった。
 絶対に彼らを戦争で殺してはいけないと強く思っている。

●竹中さん(海員組合員、男性)
 私は船の機関士で、主に石油や鉄鉱石を外国から運んでくる仕事をしてきた。
今は大型船に燃料を補給するタンカーに乗っている。
 外国の港を長いこと見てきたが、日本に帰ってきてつくづく感じるのは日本の平和だ。
物が余って、捨てるほどある、電気は使い放題、つくづく日本は平和だと感じている。
外国の港は、全く違う。
外国では、常に生き抜くために必死で生きているということをつくづく感じる。
 この日本の繁栄、高度成長を謳歌してきたが、それは良いことだと思うが、それができてきたのも、まがりなりにも日本の平和外交、等距離外交、今まで日本は戦争の当事国になって来なかったからだ。
その良い例が、イラン・イラク戦争時のことだ。
その時にペルシャ湾には日本船もたくさんいたが、デッキや船腹に日の丸を大きく描いて、攻撃を受けなかった。
日本はイラクともイランとも等距離外交で、どちらの政府ともチャンネルを持っていた。
現地の商社の人たちもチャンネルを持っていた。
それでかろうじて、被害を最小限にとどめることができた。
 ところが集団的自衛権が発動されれば、必ず当事国になる。
一方の側に賛成することになり、そうなれば物資を運ぶわけだから我々の船は必ず被害を受ける。
そうならないために、是非ともみなさんの力でこれを阻止したいと思う。
 今、日本の商船隊は外航路だけで2,600隻といわれ、世界中の港にいる。
日本人船員は2,000人ちょっとで、あと60,000人ほどの外国人船員が一緒に働いている。
主にフィリピン人だが、彼らが一緒に働いてくれるのも、日本がまだかろうじて一方の側に与していない。
そういう状況があるからこそ、日本の皆さんが繁栄を謳歌できたのだ。
 集団的自衛権が昨年成立して、今年の4月に予備自衛官制度ができてしまった。
2隻のフェリー会社の船が自衛隊と契約を結んで自衛隊の管理下に入ってしまい、自衛隊の予備自衛官が誕生してしまった。
そこは非組合で、海員組合から脱退した人たちが防衛省との契約で乗っている。
国内フェリーは外国には行けない、外国航路に行くための諸々の要件を持っていない。
現状では行けなくて、訓練、自衛隊の輸送、米軍の輸送を契約でやらなければいけなくなっている。
ところが契約書には、将来は公海のどこにでも行ける設備と要件を整えることとある。
今は2隻のフェリーだけだが、いずれは新しい形でどんどん広げていることが目に見えている。
 ぜひみなさんと一緒にこれを阻止したい。
残念なのが労働組合の力が弱いことだが、市民運動、労働運動、法廷闘争と合体させて、みなさんの力で阻止するようお願いします。 

◎差し止め訴訟の現状
 この裁判では様々な方が原告になっていますが、学者の方達もいます。
この日も2人の学者の立場での原告の方が参加していました。
 この裁判を闘っていくためにはどういう被害にあったかということだけではなく、これからの訴訟をどう闘っていくか、書面を出していくかについて考えていく上で、学者の意見書をだしていくことになります。
この裁判の現状と今後について福田弁護士からの説明があり、その後2名の原告(学者)から取り組みについて報告がありました。

●代理人弁護士:福田 護さん
 先日の厚木基地裁判、沖縄辺野古裁判でとんでもない判決が下されたが、行政と国会が暴走するのを、本当は司法が止めなければいけない。
さもないとこの国は、とんでもない方へ曲がっていくという局面に私たちは立っている。
私たちはそういう中でみなさんと力を合わせて、この安保法制違憲裁判は決して却下させないぞと取り組んできて、第1回訴状答弁書、また今日の第2回答弁書に対する反論をした。
 集団的自衛権を行使し、後方支援活動、兵站活動、米軍が戦争をしているところへ行き弾薬の提供などをし、それが戦闘地域でも構わないという法律に対して、これは私たち国民の権利を侵害するから、差し止めなければいけないということで裁判を起こした。
この裁判には難しさはあるが、それをなんとか突破していかなければいけない。
国賠訴訟もそうだが、国がこのような違憲の立法をすることによって、私たち国民の平和的生存権、人格権、憲法改正決定権が侵害されているから損害賠償をせよ、損害賠償を求める中で安保法制の違憲性を明確にしていく。
 これに対して国側の答弁は、憲法違反の主張は事実に関するものではなく本件の争点と関連性がないから認否をしない、答弁をしないというものだ。
国は、原告が体験に基づいて話した事態、安保法制が強制している平和的生存権、人格権、憲法改正決定権の侵害について、それは法的に保護されるべき利益に当たらず権利の侵害ではないから、原告の苦悩や精神的苦痛は救済の必要はなく認否の必要はないから、早く結審しろという対応の仕方をしてきた。
 これに対して弁護団は議論を重ねて、行政の差止の訴えの正当性を主張し、そして違憲という私たちの主張に答えないということはあってはならないことであると主張し、
私たちの権利が侵害されているとしたら、それは立法による不法行為として法的に審議をする対象にあるということを準備書面で主張してきたが、さらに補充をしていくつもりだ。
それについては裁判所も正面から受け止めて、被告に対して反論をいつするのかという問いかけをした。
 次回私たちの立場から言うべきことの一つは憲法改正決定権 (これはこの事件のために私たちが考えた新しい造語)だが、憲法は主権者である私たちが決めるべき権利を持っているのにそれを侵害したではないか、ということ。
また憲法を変えるには国民投票の機会を作って、国民の過半数の賛意を得なければならないのに、投票する機会を奪ったではないかという点。
それらが問題とであるいうことを明確にしていく。
 その憲法改正決定権について憲法学者の志田陽子先生の協力を頂きながら、次回の準備書面を作っていく。
 また、原告の方達の被害に即した準備書面を、私たちの観点からまとめて作っていく。
 もう一つは、国会が立法したら国民の権利を与えたり奪ったりすることはありうるが、立法するのはやむを得ないという議論もあるが、憲法上の権利を侵害することが明白な場合は不法行為になるという議論を次回にしていく。
これは伊藤真先生に中心になって書いていただくが、そういう形で次回に向けて書面準備をしていく。
①PKOの駆けつけ警護も非常に問題で、これについても論議を深めながら研究者の方から協力をいただく体制を作っていく。
②人格権をもっと深めた議論や憲法違反という議論を専門家の立場から深めていく書面を準備していく。
③平和的生存権についても改めて学者の方たちから書面を書いていただく。
④裁判所の違憲審査権、司法は何をすべきなのか、司法は何が役割なのか、司法はどんな責務を負っているのかという点も憲法の中からきちんと意見書を書いていただく。
 今のところ、この4点について研究者からの協力をいただく体制を作っている。
来年の年明けから数ヶ月の間に憲法学者たちの専門的な立場からの具体的な論述を出していただき、それを裁判の中で活用していく構えをとりつつある。
 これからもまだまだやるべきことはあるので、みなさんの力で繰り返し追求していくことで変えていきたい。

●原告 憲法学者:志田陽子さん(武蔵野美術大学教授)
 憲法改正決定権は、かいつまんで言うと私たちは憲法改正した覚えはないのに憲法を改正してしまったとしか言いようのない内容が決まり、それに基づいて事実が色々と起きようとしている。
憲法改正した覚えはないのになぜ?というところで私たちは国民全体が権利侵害を受けているという考え方だ。
 そして人格権、これはいろんな形でいろんな人が原告になることができる。
自分自身に照らし合わせて、これは耐え切れないと本気で思うことであったら様々な形で実害を論じていける。
人格権については私が意見書を書かせていただくということで、いろんな切り口を探っているところだ。
一つこんな切り口もあるのではないかと、私自身のことを話す。
 例えば私が動物が大好きで動物愛護に関する基金に寄付をしていて、毛皮などの採取のために動物を殺さないでくれという団体に寄付をしているとする。
ところがその私が「これ素敵なコートでしょう?」と言って豪華な毛皮のコートを着てこの場に立っていたら、愚かでバカな偽善者だということで失笑を招くだろう。
私自身は、そういう愚かでバカな人にはなりたくない。
 私は海外の生活困難な地域の子供達の教育支援プログラムや、国連のワールドフードプロジェクトや、国境なき医師団といったところに寄付活動をしている。
自分自身が忙しくてそこへ行けないという罪滅ぼしのつもりでやってきた。
もし今後日本が戦闘活動をする、武器輸出をする、弾薬の提供もするということで現地の紛争を逆に活発にしてしまったり、火種になってしまうことが起きた時には、また武器の提供などによって日本は様々な利益を得たりもするだろう。
そして経済が活性化するのかもしれない。
そんな況では、罪滅ぼしのつもりでちょっと寄付をしても、それは毛皮を着ながら動物愛護運動をしていますという愚かで欺瞞的な人間に自分がなってしまうことだ。
 そんな風にして、自分で自分を軽蔑したくない。
自分で自分を軽蔑しなければならないのは、何よりも辛い。
平和国家の一員として、軍事ではなく平和的手段で少しずつでも何かができないかと思って支援活動をしてきたことを、国は台無しにしないでほしい。
台無しになった時私は、自分で自分を軽蔑するという自分の人格にとって大変痛烈な害を受けることになる。
こんなことも人格権の一つとして言えるだろう。
 これはあくまでも一例だが、そんな風にいろんな人がいろんな形で平和について思いを寄せ、日本国家の一員として良心的に考えてきた事柄が踏みにじられ、大変な心配、不安、憂慮にさらされて夜も眠れない気持ちに置かれる。
例えば私は文通で現地の子供たちの写真をもらったりしているが、南スーダン地域については、今は連絡不可能ということで断ち切れてしまっている。
もしそこで日本の自衛隊が不用意に戦闘を拡大させる活動になれば、そして、より事態が悪化してしまったら、私は本当に心が痛み夜も眠れなくなるだろう。
いろんな切り口があると思うので、だったら「これもあるよ、」「こっちももあるよ」という人たちが多く出てきてほしいと思っている。
それらを私が書く予定の人格権の意見書に取り入れて行って、中身のある書面にしていきたい。
憲法学者、行政学者たちがそれぞれ自分の得意分野でピンポイントの意見書を書く予定になっている。
 不思議に思うのだが多くの人や国側の弁論では、具体的な権利性がないと言っているが、もしも考えることを自分で塞いでしまわずにものの筋道を普通に考えていけば、今日の田中さん、小倉さんがしてくださった話、原発に事故を起こさせてしまうのは簡単なことだという話、もしそれが起きてしまえば私たちみんなが巻き込まれる大惨事になる、そのためには敵対関係を作らないことだということは判るはずなのに、国際社会を分断して敵対関係を作り出すような集団的自衛権に入ってしまった。
これは日本国民全体にとって深刻な危険なのだということは、考えることを塞がずにきちんと考える人なら、この怖さは判るはずだろうと思う。
 私は正直に言って非常に怖い。
多くの人が考えることを塞がれている状態,こちらの方に大きな問題があるのではないか。
とすると、考えることを生業にしている学者はここで、考えることをやめなかった時にどうなるかというストレスになるようなことを考えなければならないが,それが学者の責任だろうと考えこの訴訟に参加している。

●原告 憲法学者:飯島滋明さん(名古屋学院大学教授)
 12月9日に101名の憲法研究者が「南スーダンへの自衛隊PKO派遣は違憲」の声明を出した。
そうしたことを認める安保法制自体が違憲という声明を出した。
声明案が完成したのが11月30日で,12月12日には新任務が付与されるということで,その前に記者会見をと思ったがどう考えてもタイムリミットが9日ということで進めた。
時間もなかったし、忙しい学者たちがどれだけ集まるか,50人集まればいいほうかと思っていたら101人集まった。
やっぱり「これは許せない」という思いが強かったのだろう。
授業で駆けつけ警護など紹介すると、「い構わないんじゃないか」という学生も中にはいる。
元自衛艦に聞くと,あれは敵からの奪還作戦を含むものだといわれた。
昨年4月に第3次日米ガイドラインが結ばれたが、ガイドラインは主に軍人同士の約束なので具体的な項目が上がっている。
そこでは戦闘捜索救助活動を約束している。
敵に捕らわれたアメリカ兵を奪還するというのを,去年の4月に約束している。
 今回の安保法制にそれは反映されているのだが、目の前で戦闘が行われていても安全であれば捜索救助活動をしてもいいということになっている。
目の前で戦闘が行われているのに、安全だというのだ。
言ってて恥ずかしくないのかと思う。
アメリカと約束してしまっているので,そう書かざるを得ない。
駆けつけ警護は、目の前で戦闘が行われている時の奪還という活動に化ける可能性がある。
これは明らかに、武力による威嚇又は武力の行使を禁じた憲法に違反している。
 昨年9月,フランスのルモンド紙はこの法案の成立を報じて「革命」という言葉を使っている。
日本は70年間武器を持って戦ってはこなかったが,この法律ができたことによって戦うことになると報じている。
多くの憲法学者,75人の元裁判官,国民の3分の2が反対しているのに安倍内閣はこういうことをやった。これは革命だと報じた。
ドイツでもアメリカ,イギリスでもそういった紹介をされている。
憲法学者としてこれを許してはいけないという思いが101名の声明になった。
 2日前に国連で、平和への権利が審議され国連総会で採択されている。
これはイラク戦争のような戦争を二度と起こしてはならないと、スペインの法律家団体が戦争をさせないためにと「Right to Peace」を国際法で認可しようと提案して、2日前に国連総会で採択されたのだ。
それなのに日本政府がやっていることは、海外でどんどん武力行使ができるという政治を進めようとしている。
国際社会の中でも思い切り逆行している。
これを許してはいけないと多くの憲法学者が考えたし、志田さんが言ったように人を殺すことになる、殺されることになる。
これは明らかに憲法に反することだと、多くの憲法学者が考えたのだ。
これからもっと色々な人を募り、安保法制は違憲だということを裁判を通じて紹介していきたい。

●司会の原告代理人、弁護士の杉浦ひとみさん
日本で、私たちがもうどうしようもないのではないか、これでしょうがないのではないかと思ってしまったら大間違いで、世界はこの日本をどう見ているか、どう報じられているかを考えた時に、私たちは本当に頑張らないといけない、そうでないと大変なことになってしまう。
国外にも目を向けながら、過去を体験した人たちの話に耳を傾けながら、諦めることなくもっと力を大きくしながら、みなさんとともに闘っていきたい。

◎12月21日の「安保法制違憲訴訟 差止請求訴訟」の報告は、これで終わります。
この裁判の次回第3回口頭弁論は、2017年4月14日10:30〜、103号法廷で開かれます。
多くの方が傍聴に参加してくださるよう、お願いします。
また同じく「安保法制違憲訴訟」女性たちが原告になっての裁判も2017年2月10日
15:00〜103号法廷で開かれます。
こちらは第1回口頭弁論ですが、多くの方たちに傍聴に詰め掛けていただきたく思います。もちろん男性も大歓迎です。                

いちえ

☆木村汐凪ちゃん
もう既に皆様もご存知だと思いますが、木村汐凪ちゃんがお父さんの紀夫さん、お姉さんの舞雪さんの元に帰ってきました。
おかえりなさい、汐凪ちゃん。
3.11から5年9ヶ月、長い時がすぎました。
原発事故さえなければ。もっとずっと早く会えることができたでしょう。
改めて原発事故に対する憤りを覚えます。
紀夫さんは避難先の長野県白馬で、原発に頼らないこれからの生き方を探りながら舞雪さんを守って暮らし、そして毎月大熊町に通って汐凪ちゃんの手がかりを探し続けてきたのです。
紀夫さんと舞雪ちゃんのこれからの日々に、もうあんな悲しい思いを抱くことのないようにと祈ります。






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