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2016年12月24日号「安保法制違憲訴訟報告 その1」

12月21日、「安保法制違憲訴訟差し止め請求訴訟」の第2回口頭弁論が開かれました。
東京地方裁判所103号法廷で、午前10:30に開廷しました。
今回も傍聴席の抽選があり、幸い私は傍聴券を入手できました。
最初に裁判長は当事者の席に向けて「傍聴席のみなさんにも聞こえるように、マイクを使って話してください」と言いましたが、これは主として被告席に向けての言葉でした。
ボソボソと小声で話す被告側の答弁(言い訳)を傍聴席にもよく聞こえるように、との配慮のように思えました。
〈意見陳述も答弁も「です。ます」調で話されましたが「だ。である」調で記します〉
長文になりますので3回に分けてお送りします。
「その1」で原告代理人弁護士の陳述を、「その2」で原告本人の意見陳述、「その3」で、閉廷後に参議院議員会館で持たれた報告集会の様子をお伝えします。

◎原告代理人弁護士 古川(こがわ)健三さん
ー準備書面(1)「本件訴訟の基本構造と答弁書の対応の誤り」についてー
〈*民事裁判では陳述や答弁の内容を書面で裁判所に提出しますが、それを「準備書面」と言います〉

①本案前の答弁について
 被告は本件集団的自衛権の処分性を否定し訴えの却下を求めているが、その論拠は1960年代、70年代までの古い議論だ。
平成16年の行政事件訴訟法改正は「国民の権利利益のより実効的な救済」をめざすものであり、最高裁判所はこの法改正前後から処分性概念を拡大し国民の実効的権利救済を図るスタンスを明確にしている。
学説も概ねこれを好意的に評価している。
 集団的自衛権の行使などは、国民を戦争に巻き込み、または危険に晒すことによって国民の権利利益を侵害する事実行為である。
集団的自衛権の行使がなされた場合には、相当程度の確実さを持って武力攻撃事態などに発展する概念性が高く、武力攻撃事態では有事法制の実施によって国民は多面的で強力な権利制限を受け、義務付けを受けることになる。
それは原告の生命・身体財産を根底から奪いかねず、一旦集団的自衛権の行使が行われると、もはや取り返しのつかないことになる。
従って集団的自衛権の行使などは十分に個別的具体的な権利侵害性を有するし、抗告訴訟としての差し止め訴訟による救済の道を閉ざしてはならない。

②被告の答弁態度について
被告は違憲性の主張についての認否を、ことごとく避けている。
新安保法制の違憲性についての主張、集団的自衛権行使の違憲性についての主張、新安保法制の制定過程で立憲主義が否定され、国民の憲法改正決定権が侵害されているという主張、そして後方支援活動・協力支援活動の違憲性についての主張のいずれについても、「事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない」として認否を明らかにしない。
 しかし、これらの明白かつ重大な憲法秩序の破壊こそが、原告らの具体的な権利を踏みにじり、原告らを不安と苦悩に陥れた根本的・直接的な原因である。
これを争点と関連しないなどと言うのは、詭弁というほかはない。
特に国家賠償請求との関係では、侵害行為の態様と被侵害利益の種類や内容との相関において不法行為の違反性が判断されるのだから、憲法の破壊そのものが侵害行為を構成する本件で、違憲性の争点を回避して判断することはあり得ない。

③憲法破壊の重大性について
 新安保法制は、憲法が拠ってたつ基本原則の平和主義を、閣議決定と法律の制定という方法で、根底から破壊した。石川健治東京大学教授(憲法学)は「クーデター」と呼んでいる。
 また濱田邦夫元最高裁判所判事は、参議院平和安全法制委員会公聴会に公述人として出席し、集団的自衛権行使容認の根拠についての政府説明に「法匪」という言葉を用いて激しく非難した。
新安保法制は制定手続きも、その内容も、著しく違憲性を帯びたものであることは、多数の憲法学者、有識者が指摘している。
 私たちが戦後70年平和を享受し、基本的人権を尊重されてきたのは、憲法が徹底した平和主義を謳い、私たちがそれを守ってきたからである。その道は平坦ではなく幾多の試練もあった。
 しかし、今ほど憲法が重大な危機に瀕しているときはない。
激しい戦闘現場である南スーダンへ、新安保法制に基づく駆けつけ警護任務が付与された陸上自衛隊の派遣が11月20日から始まっている。
私たちは憲法制定以来はじめて、自衛隊が積極的に日本の領域外で外国の戦争に参加し、加担しようとする国家意思に直面している。
一旦銃弾が放たれたら、もはや後戻りはできない。
原告らの権利侵害はもちろん、差し止め請求との関係においても、憲法の破壊の重大性は、重大な損害を生じる恐れや原告適格の内容をなしている。
 被告は、違憲性の主張に対する認否を明らかにし、議論に応じなければならない。

◎原告代理人弁護士 黒岩哲彦さん
ー準備書面(2)「平和的生存権の権利性•被侵害利益性」についてー
①原告らは新安保法制法によって侵害される権利•法的利益として第一に平和的生存権を主張するが、これに対して被告は、原告らが主張する被侵害利益はいずれも具体的な法的利益ではなく、国家賠償法上保護された権利や法的利益の侵害でもないから、主張自体失当であるとしている。
そこで本準備書面では、平和的生存権の権利性・被侵害利益性について主張を補充する。
平和的生存権は、平和のための世界的な努力(平和的生存権の根拠1)、憲法前文、9条、13条をはじめとする第3章の諸条項の憲法の規定(平和的生存権の根拠2)、憲法学説の研究成果と裁判例(平和的生存権の根拠3)、平和を守るための動き(平和的生存権の根拠4)により、平和的生存権の具体的権利性•裁判規範性は認められる。

②被告は答弁書で平和的生存権の具体的権利性•裁判規範性を否定する根拠として、札幌高裁昭和51年8月5日判決などあれこれの14の判決を引用しているが、これらの判決は時代遅れのものである。
平成元年最高裁判所判決後に①自衛隊イラク派遣差止等請求事件の名古屋地裁判決(平成19年3月23日のいわゆる田近判決)、②自衛隊イラク派遣差止等請求事件の名古屋高裁判決(平成20年4月17日)、③自衛隊イラク派遣違憲確認等請求事件の岡山地裁判決(平成21年2月24日いわゆる近下判決)が出されている。
 名古屋高裁判決•青山判決は確定判決である事は重要である。
青山判決は「この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対して保護•救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合がある」としている。
本件の差止請求は、平和的生存権に基づき裁判所に対して保護•救済を求め法的強制措置の発動を請求しているのである。
 「市民平和訴訟」平成8年5月10日東京地裁判決が、「政府は、憲法九条の命ずる所に従い、平和を維持するように務め、国民の基本的人権を侵害抑圧する事態を生じさせることのないように努めるべき憲法上の責務を負うものということができ、この責務に反した結果、基本的人権について違法な侵害抑圧が具体的に生じる時は、この基本的人権の侵害を理由として裁判所に対して権利救済を求めることは可能といえよう。」と判示した点は軽視すべきではない。

③平和的生存権は、憲法前文と9条及び第3章の人権規定から基本的人権として具体的権利性があり、裁判規範であると認められ、原告らの主張する平和的生存権は不法行為法上の被侵害利益性があることも明らかである。
新安保法制法の制定によって、憲法前文および9条とこれらに依拠する平和的生存権は、平和主義もろとも破棄され、葬られようとしている。
今般のように内閣と国会が暴走する場合、立憲民主主義の観点からこれを合法的に牽制するのは、司法の責務である。
 原告らは、違憲の新安保法制法による被侵害利益の第1に平和的生存権を主張するものである。
裁判所は、憲法の要請と国民・市民の声に真摯に向き合い、平和的生存権を正面から認め、新安保法制法の違憲判断と原告らの被害の回復を宣言されることを強く要請するものである。

*法廷内での報告は、まだ続きます。
ここでは原告代理人の古川さんと黒岩さんのお二人の陳述を記しましたが、「報告その2」で原告本人からの意見陳述をお伝えします。
長文になりますが、どうぞお読みいただきたく思います。

いちえ


2016年12月5日号「報告その3」

◎報告集会
●法廷の報告
午後から参議院議員会館で、報告集会が持たれました。
伊藤真弁護士が挨拶をした後で意見陳述をした原告代理人、原告本人の方たちがそれぞれ法廷での発言と感想を述べました。
安海さんは上に記したように、正面の裁判官席から被告席の方に視線を移したのですが、そのことについてこんな風に報告されました。
「今日の意見陳述では『武力による威嚇・偽りの抑止力』と言った時と、『戦争しようとする国は言論や思想を統制』と言った時の2ヶ所で、被告席を見ました。
それまでは被告席からの視線を感じていたのですが、この2ヶ所で私が被告席に目をやった時には、視線を逸らして下を向いていました」

●第2次提訴
この日は第1次提訴についての口頭弁論でしたが、第2次提訴も行われています。
第2次提訴での原告は865名で、第1次提訴の457名とあわせて1322名が原告になっています。
今後は第1次と第2次と併合して、3月3日の口頭弁論からは一緒に進めていくことになります。
またこの他に、女性の会でも提訴(106名)しています。
女性の会の第1回口頭弁論は2月10日(金)に行われます。
東京だけではなく埼玉、大阪、岡山など11の地方裁判所で提訴されているそうです。
今後も京都、山口、大分、宮崎、群馬、鹿児島など全国各地で提訴されるでしょう。
そしてたぶん、第3次提訴もあるでしょう。
裁判所が一番気になるのは、市民・国民の声です。
この日の法廷は傍聴席の抽選はなく、希望者全員が入廷できて傍聴席が埋まりましたが、こ
れよりも人数が減って傍聴席に空席が出ると、裁判官はこの問題に世論は関心がないとみなすようになります。
多くの人が傍聴に詰めかけるようにしたいものです。

●戦争は日常生活の中で起こってくる
「若干違う視点から話します」と話し始めた内田弁護士の感想は、ぐさりと胸に刺さりました。
 「明後日12月の第1日曜日、毎年12月の第1日曜日にはラグビーの早明戦(早稲田大学:明治大学)があります。
実はこれは戦前から12月の第1日曜日には、ラグビーの早明戦が行われていた。
1941年、昭和16年の12月8日月曜日の前日7日、この日に早明戦が行われている。
つまり連合艦隊がハワイに、マレー半島に向かって行っている時に、国内ではラグビーの早明戦が行われている。
早稲田OBである新聞記者が、早明戦で早稲田が勝っていい気持ちで酒を飲んで帰ってきて寝てた時に朝叩き起こされて、「戦争が始まった」と伝えられ、「しまった!今日だったのか」と。
 私が危惧するのは、いま安倍政権の支持率が6割にもなっていることです。
 よく言われることだが、戦争は日常生活の中で起こってくる。
 1941年の12月8日に戦争が始まった時に、それまで日中戦争にはそれぞれ後ろめたい思いをしていた知識人たちのほとんどが、雪崩を打って戦争賛美にいってしまった。
永井荷風とか清沢洌(きよさわきよし)以外の人たちは、そうなってしまった。
竹内好ですら、『中国文学』という雑誌の巻頭言で、「こういう解決があったのか。今まで日中戦争について我々が言ってきたことは間違いだった。こういう解決があった」という戦争賛美の宣言をしてしまっている。
 いま南スーダンで戦闘が行われようとしている。
イラク派兵の時には政権の内部では、死者が出たら政権が吹っ飛ぶということで苦心惨憺したそうだが、今度の安倍政権は違う。
死者が出ても構わないという姿勢、そういう時にこの日本社会はどういう風に、どちらに振れてしまうか。
それを本当に危惧している。6割もの支持があるのです。
そして死者が出る、やっぱり憲法を変えなくてはいけないとなっていくケースが非常に強いわけです。いままでの歴史から見ても。
そういう中で、この裁判でグッと踏ん張り、決して揺り戻しさせない。
戦後71年の平和憲法を、絶対に破壊させないという位置付けで、この裁判があるのじゃないか」

内田弁護士の言葉は、私たちが胸に抱いている危惧を端的に言い表していました。
この裁判を多くの人に知ってもらい、平和を願う私たちの声をさらに大きく司法に届けたいと思います。

●陳述書の書き方教室
安保法制違憲訴訟の会では11月22日に、弁護士の田村洋三さんを講師に「陳述書の書き方教室」を開きました。
報告集会の後でこの時の様子がビデオで流され、希望者は残ってそれを見ました。
私は「書き方教室」に参加しなかったので、残って見たのです。
私自身は第1次提訴ですでに陳述書を提出してしまっていましたが、事前に田村弁護士の講義を受けていたらもっと内容のしっかりした陳述書をかけたのにと、反省する点が多々ありました。
田村弁護士は地裁・高裁の判事を35、年勤め退任後に弁護士として活動されている方なので、どのように陳述書が書かれたら、その訴えが裁判官を動かすかを講義されました。

◎お知らせ
❶「安保法制違憲訴訟 差し止め請求」
第2回口頭弁論期日:12月21日(水)10:30〜、東京地裁103号法廷
どなたも傍聴できます。傍聴希望者多数で抽選が予想されますので10:00までにお越しください。
9:45から裁判所前でアピール行動を行います。
13:00〜参議院議員会館101で、報告集会を持ちます。

❷「女たちの安保法制違憲訴訟」
第1回口頭弁論期日:2017年2月10日(金)15:00〜、東京地裁103号法廷
こちらは原告が106名と少ないですから、傍聴席を埋めて応援したいです。
❸「女性と戦争法」連続シンポジウム2
日 時:2017年1月17日(火)18:30〜
会 場:文京区民センター2A
テーマ:「性暴力と戦争法」

◎報告
毎月3日【アベ政治を許さない】全国一斉行動は、12月3日も全国各地で取り組まれました。
この日私は用事があって国会前には参加できませんでしたが、澤地久枝さん、落合恵子さんはじめ仲間たちが大勢集まり、プラカードを掲げました。
次回は1月3日です。
抗議の声をなお強くあげていきましょう。                

いちえ


2016年12月5日号「報告その2」

◎「安保法制違憲訴訟 国家賠償請求」第2回 口頭弁論の報告を続けます。
原告本人3名の方の主張です。
タンカーの乗組員だった方、長崎の被爆者、キリスト教の牧師と、立場が違う方達の訴えに、私は心が揺さぶられました。
3人は「です。ます」調で話されましたが「だ。である」調で記します。
原告代理人の弁護士の方の言葉にもありましたが、裁判所はこの原告らの声に「真摯に向き合い」判断してほしいと願います。

①原告 本望隆司
●1962年から1987年まで、主にタンカーや鉱石船で資源を運搬する船舶に乗船していた。
1980年にイラン・イラク戦争が始まった際のことが、深く印象に残っている。
両国ともに、ペルシャ湾内を航行する船舶を攻撃すると言い出し、日本船も対象になるというので大変な問題になった。
だがこの時にタンカー攻撃を避けて石油輸送を守ることができたのは、憲法9条のおかげで、日本はいずれの国にも武力で加担しない中立の立場だという認識が国際的に確立していたからだ。
日本船をペルシャ湾の入り口にまとめ、船団を組んでペルシャ湾に入ることを外交ルートを通じて両国に通報し、タンカーにはデッキと船側に大きな日の丸を描いて日本船と判明出来るようにして、日中に航行した。
当時、世界全体では攻撃を受けて被弾した船舶は407隻、333人の死者、317人の負傷者が出た。
日本船は被弾ゼロ、日本人船員は外国船籍の乗船者のみ2名の犠牲者を出した。
こうして日本船は攻撃を免れ、石油輸送を守った。

●ところが、政府が憲法9条の精神を捨て去り、海外での武力行使が可能になる集団的自衛権を閣議決定してから、海運業界にもその影響が現れてきた。
2016年には軍需物資の海上輸送に、防衛省と船舶会社の間で、既に2隻のチャーター契約を結んでいる。
これは普段はこの船舶を通常利用できるが、有事の際には防衛省の命令によってこれらを自衛隊に提供するものだ。
そして船舶操船は自衛官ということになっているが現役の自衛官では操船は無理なので、船員を予備自衛官として、自衛隊の身分で船舶を航行させることになる。
この契約は10年で250億円という金額なので、船舶会社は黙っていても巨額が入る魅力的な
取引だが、現場の船員は「後方支援」ということで、いつ攻撃されるかわからない危険な状態におかれる。
これらの船舶会社に就職する際には、予備自衛官補になることを条件とし、船員が予備自衛官となることを拒否すれば下船させられる。
政府は「後方支援」は安全かのような説明をしているが実際は兵站活動であり、前線部隊に兵員、食糧、武器弾薬、医療物資などを運ぶのであるから、敵にすれば、それを攻撃し補給を遮断するのが最も効率的だ。
「後方支援」だから安全なのではなく、反撃の手段を持たない輸送船はむしろ前線よりも危険だといえる。
これは第二次世界大戦中に、日本の民間船舶が輸送船として徴用され、攻撃対象となって約半数の船員が犠牲となり、保有船舶も僅か数隻にまで壊滅した歴史で明らかだ。
日本海運が立ち直るために、長い年月を要したのだ。
我々船員としては、繰り返してはならない歴史だ。
「海運不戦の誓い」は、海運界の切実な願いなのだ。
さらには、集団的自衛権の行使容認を政府が決めてから、日本の船舶だから安全ということは、全くなくなった。
先日のダッカでの日本人襲撃でもわかるように、日本が攻撃対象とされる事態になっていて、海運業界をはじめとして運送に関わる業界にもろに影響が出るのではないかと非常に恐れている。
イラン・イラク戦争当時、憲法9条のもとに日本は戦力を保持しない平和国家であると国際的に認知されていたが、それが崩れ去り戦争やテロに巻き込まれる可能性が増大したと言わざるを得ない。
船舶が攻撃される危険性に、恐怖を感じる。
正規の憲法改正の手続きを取らず、専門家をはじめ多くの人が違憲と言っている安保法制を強行採決し、海運業界がまた、再び戦争への協力をさせられる途がひらかれてしまったことに対して、海運業海にいた者として、これほどの苦痛はありません。

②原告 牟田満子さん
●長崎に原爆が落とされた時は私は9歳で、爆心地となった浦上の東の金比羅山を越えた西山町に住んでいた。
家族は祖父母と脊髄カリエスで寝たきりの父と母、4人姉妹の8人家族で私が長女だった。
8月9日の朝、母は末っ子の1歳半の妹を背負って浦上の病院へ、父の薬をもらいに出かけた。
私は夏休み中だったが、近所の公民館へ先生も来てくださって同級生たちと一緒に自習をしていた。
ピカーッと光って外を見ると一面真っ黄色で、まるで電気がついたようだった。
防空頭巾を取る間もなく、爆風で窓ガラスが全部割れて落ち、ガラスが体に刺さり子ども達はみんな血まみれになって泣いた。
防空壕で簡単な手当てをしてもらって家に帰った。

●家は瓦屋根が吹き飛んで、見上げれば空が見えた。
家の外は異様な様子で、焼けただれた人たちがぞろぞろと数珠繋ぎになって浦上から東の山の方へ逃れ、金毘羅さんの峠を越えて私の家のある西山町の方へ歩いてきた。
すり鉢状の爆心地浦上は火の海で、そこから逃げて山越えしてきた人の数は数えられるようなものではなく、列の終わりは見えなかった。
歩いてくる人は、まともに生きた姿ではなく、服の布が皮膚にくっついたままずるっと剥けて、ぴらぴらしていた。
靴も履かずに、みな裸足だった。
この浦上からの無残な被爆者の列は、今も映像になって脳裏にこびりついて、一生忘れられない。
みんな「水をください」と口々に求めてきた。
私は感覚が麻痺してその姿に怖さも感じず、一生懸命に家の井戸の釣瓶に水を入れて、その水をあげていた。
近所のおばさんに「水を飲ませたらいけない。飲ませたら、その人達は死んでしまうよ」と言われて止めたが、後になって、末期の水を飲ませてあげればよかったと後悔した。
死体は校庭でどんどんと荼毘に付され、臭いは煙と一緒に上がって何日も続き、街が焼けた臭いもあがってきた。

●浦上へ行った母と妹は帰って来なかった。
15日に家にあった小さなラジオで終戦を知り、母と妹が帰ってこないことがとても悲しかった。
父は原爆の翌年、亡くなった。
戦争さえなかったら、原爆さえなかったらと、何度も思った。
親が亡くなった寂しさと、長女として家事の負担や農業を支えねばならず、学校に行けなかったことが辛かった。
被爆者だということでの差別もあった。
「被爆しているから子どもは産めない」「カタワが生まれる」とも言われた。
だから原爆の被害について救済をしてほしいと思いながらも、声に出せなかった。
私は戦争を心から憎んでいます。
私のこれまでの人生を踏みにじってきた戦争を許すことはできない。

●今の憲法になって、もう二度と戦争が起こることはないという安心感の中で過ごしてきた。
海外で戦争が続いているのを聞くと、自分の体験を思い出しかわいそうに思っていた。
しかし昨年9月の国会での安保法制の強行採決を目の当たりにして、こんな法律を作った政治家達は、口では平和を言いながら戦争のことを何もわかっていないと思った。
私たちを苦しめ続けた核兵器被害は、長崎を最後にして欲しい。
戦争が起きて核兵器が使われたら、何十万、何百万人という人が亡くなり、多くの被爆者が出る。
絶対にあの悲劇は繰り返してはならない。
どうしてもそれを訴えたく、本日長崎から東京へやってきました。
裁判官のみな様、どうか私たち被爆者の思いを受け止めてください。

③原告 安海和宣(あつみかずのぶ)さん
●憲法違反の安保法制は「平和をつくる者たれ!」というイエス・キリストの教えに反し、イエス・キリストを主と告白し信仰する私の信条に反し、信徒の信仰を守る牧師の立場としても、大きな侵害を受けている。

●「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」と、イエス・キリストは言ったが、武力による威嚇・偽りの抑止力は、真の平和ではない。
日本国憲法前文と9条は、国民を守り、緊張関係にある諸外国に対して対話する力を持ってきた。
平和憲法のブランド、和を重んじる気質、敵対する相手にさえ敬意を持って向き合う精神は、キリストの教えと一致する。
安保法制の強行採決と施行は、我々キリスト者の信仰信条を脅かしている。
健全な宗教活動が制限されるのではないかという不安、戦中のような迫害が起こるのではないかという危惧。
安保法制があるゆえに発言を自制し、忖度する社会に迎合していくことは聖書の教えに反し、多大なストレスを抱えることになり「権利侵害への漠然たる不安」の域を超えている。

●戦争しようとする国は、必ず言論や思想を統制することは歴史が示している。
1941年、改正治安維持法の下でキリスト教会に対する迫害が始まり、翌年から231名の牧師が全国で一斉検挙され、300以上の教会が閉鎖された。
神社参拝を拒否し、キリストの再臨信仰が同法に抵触したという理由による。
同時期には宗教団体法が施行され、管理統制のためにプロテスタント教会は日本基督教団として一つにされた。
日本基督教団は国体へ迎合し、戦争に協力していった。
1942年1月には、日本基督教団の富田満牧師が伊勢神宮に参拝し、1943年には全国の教会から献金を募り、ゼロ戦2機ずつを陸軍と海軍に献納した。
1943年10月にはアジア諸国の教会に「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」が送られ、侵略に加担していった。
宗教弾圧の歴史であり、負の歴史だ。
このような苦しみを得て日本国憲法が誕生し、第20条「信教の自由」によって、日本にキリスト教が伝えられた400年目にして、初めて私たちは信教の自由を認められた。

●私は宣教師の子として、インドネシア・ジャワのマラン市で生まれ15年を過ごした。
子ども時代にポンティアナックという町に住んだとき、何人もの友人から「日本人と友達になってはダメだと親に言われてる。ごめんね」と言われた。
彼らの親族は、日本軍に拷問を受け、虐殺されるなど、戦争の被害に遭っていた。
そのときに牧師である父は「かつて日本軍は刀を持ってやってきた。しかし私は平和の福音を携えてこの地に戻ってきました」と語りかけて、受け入れられていった。
神様からの赦しと和解、キリストの教えと平和憲法の力だ。
このように現地の人たちとの間に築いた信仰の絆を、今回の法律で破壊されることは宗教者として耐え難いことだ。

●平和憲法の力は、海外の法がより強く感じられる。
日本のパスポートは世界最強と言われ、日本人は数ヶ国を除いて世界中の国々を行き来することができる。
2015年外務省発表によれば、131万人の在留邦人が世界中で活躍している。
私どもの教会は海外に宣教師を派遣しているが、安保法制により日米両国が一体となって軍事活動をすると世界から見られることは、宣教師の命と宣教を危険に曝すリスクを格段に高めている。
犠牲者が出てからでは遅い。
どんなに科学が発達しても、命を生み出すことは神様のわざによってしかできない。
宗教者として、牧師として、安保法制の違憲性が証明され廃止されることを願いつつこれからも声を上げてまいります。

◎この日の103号法廷
最初に裁判長がこの日の進め方について原告と被告に確認すると、被告は原告の意見陳述は必要ないと言いました。
すると裁判長は、「予定通り聞きます」とキッパリと答えたのでした。
そしてまた原告代理人3名と原告本人3名の意見陳述が終わり次回についての確認をする時に、被告はすべての原告からの準備書面が揃った段階で答弁書を出すと言ったが、裁判長は被告に対して、現在までに原告からは基本的な枠組みの主張はされているのだから平和的生存権など原告が現在出している点について、認否を明らかにするように促しました。
そして、第3回口頭弁論は3月3日(金)10:30〜、第4回口頭弁論は6月2日(金)10:30〜と告げられて閉廷しました。

原告の意見陳述では、本望さんも牟田さんも裁判官席をまっすぐ向いて話していましたが、安海さんは時には被告席を見据えて話しました。
被告席では、安海さんが正面を向いて話している時には安海さんの方を見ているのですが、自分らの方に安海さんの視線が刺さると皆、書類を見ているかのように俯くのでした。

※閉廷後の午後に、参議院議員会館で報告集会が行われました。
その様子は「報告その3」でお伝えします。           

いちえ


2016年12月4日号「報告その1」

◎安保法制違憲訴訟報告1
昨日2日は、「安保法制違憲訴訟 国家賠償請求」口頭弁論の第2回期日でした。
10:30開廷でしたが、傍聴は抽選なしで全員入れました。
私はまた、原告席に座りました。
原告代理人席20名、原告席30名、傍聴席96名で103号法廷は埋まりました。
長くなりますから、3回に分けてご報告します。

①原告代理人 弁護士:古川(こがわ)健三さん
古川さんは、「本件権利侵害の基本構造と答弁書の対応の誤り」についてを主張しました。
●被告の主張について
被告(国)は、原告の請求原因である違憲性の主張について、ことごとく認否を避けている。
新安保法制の違憲性についての主張、集団的自衛権行使の違憲性についての主張、新安保法制の制定過程で立憲主義が否定され、国民の憲法改正決定権が侵害されているという主張、後方支援活動・協力支援活動の違憲性についての主張、これらのいずれについても「事実の主張ではなく、争点としても関連しないので、認否の要を認めない」として、認否を明らかにしない。
しかし、これらの明白で重大な憲法秩序の破壊こそが、原告らの権利を踏みにじり、原告らを不安と苦悩に陥れた根本的・直接的原因なので、これらが争点と関連しないなどというのは詭弁である。
2015年、新安保法制国会審議の場で「わかりやすく丁寧な説明をする」と言いながら丁寧な説明はなされず、いざ法廷に及んで認否すら行わない被告の態度は、傲慢不遜、不誠実極まりないものと言わざるを得ない。

●新安保法制は憲法秩序の核心部分を破壊した
新安保法制は、憲法の基本原則である平和主義を、閣議決定と法律の制定という方法によって、根本から破壊した。
このことを、石川健治東京大学教授は「クーデター」と呼んでいる。
また、濱田邦夫元最高裁判所判事は、参議院平和安全法制委員会公聴会に公述人として出席し、集団的自衛権行使容認の根拠についての政府説明に触れて、「法匪」という言葉を用いて厳しく非難した。
新安保法制は制定手続きも、内容も、著しく違憲性を帯びていることは、多数の憲法学者、有識者が指摘している。
私たちが戦後70年平和を享受し、平和の礎の上に基本的人権の尊重を受けることができたのは、憲法が徹底した平和主義を謳い、私たちがこれまでそれを守ってきたからだ。
しかし今、憲法は重大な危機に瀕している。
激しい戦闘現場である南スーダンへ、駆けつけ警護任務が付与された自衛隊の派遣が始まった。
南スーダンに派遣された国連PKO部隊からは、戦闘に巻込まれた犠牲者が出ている。
戦争を体験した原告たちは、家族に見送られながら紛争地帯に派遣される自衛隊の映像を見るとき、自らの体験を重ねずにはいられない。
新安保法制の下、記憶の片隅にあった凄惨で過酷な体験が、今現実のものとなって原告のうちに蘇ってくるのである。

●憲法の破壊と原告の権利侵害は密接不可分であること
憲法のかつてない危機は、原告たちの脳裏に、戦争体験をまざまざと蘇らせ、原告たちの人格の核心部分を形成する個人の尊厳を著しく傷つけた。
憲法秩序は基本的人権の土台であり、憲法の基本的理念である平和主義は、個人の基本的人権と深く結びついて切り離すことはできない。
平和があってこそ、個人の人権が尊重されるからである。
憲法の破壊と原告の権利侵害は一体不可分であり、憲法秩序のあり方を検証すること抜きにして、個人の権利侵害の有無を語ることはできない。
憲法秩序最大の危機に際して、悪夢のような戦争体験を反芻し追体験し、個人の尊厳を著しく蹂躙されている原告らの権利侵害の重大性を、それぞれの原告について個別に検討し判断するとき、それらの被害を直接もたらした原因である新安保法制とその立法過程の違憲性を検討すべきなのは言うまでもない。
新安保法制の違憲性の問題は、本件において最大の争点である。
それを争点でないという被告の主張は、極めて不当である。
被告は、本件の請求の原因中で認否を行わなかった部分について、被告としての認否反論を明らかにして、議論に応じるべきである。

②原告代理人 弁護士:黒岩哲彦さん
黒岩さんは「平和的生存権の権利性・被侵害利益性」について主張しました。
●原告らは新安保法制によって侵害される権利・法的利益として、第1に平和的生存権を主張しているが、被告はこれに対して答弁書で、原告らの被侵害利益はいずれも具体的な法的利益ではなく、国家賠償法上保護された権利ないし法的利益の侵害をいうものではないから、主張自体失当だとしている。
しかし、平和的生存権は、平和のための世界的な努力(平和的生存権の根拠1)、憲法前文、9条、13条をはじめとする第3章の諸条項の憲法規定(平和的生存権の根拠2)、憲法学説の研究の成果と裁判例(平和的生存権の根拠3)、和を守るための働き(平和的生存権の根拠4)により、平和的生存権の具体的権利性・裁判規範性は認められる。

●平和的生存権を認めた裁判例は、①長沼訴訟(福島判決)、②自衛隊イラク派遣差止等請求事件の名古屋地裁判決(田近判決)、③自衛隊イラク派遣差止等請求事件の名古屋高裁判決(青山判決)、④自衛隊イラク派遣違憲確認等請求事件の岡山地裁判決(近下判決)がある。
自衛隊イラク派遣差止など請求事件の名古屋高裁判決(青山判決)は、平和的生存権について、
「このような平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあたってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。
法規範性を有すると言うべき憲法前文が上記のとおり『平和のうちに生存する権利』を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を基底する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を基底していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。
そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的または参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対して保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求しうるという意味における具体的権利性が肯定される場合がある」
としている。
なお、1990年代初頭の湾岸戦争に於ける多国籍軍への戦費支出・自衛隊掃海艇の派遣などの違憲性を主張する「市民平和訴訟」についての1996(平成8)年5月10日東京地裁判決が、
「いまだ主権国家間、民族、地域間の対立による武力紛争が地上から除去されていない国際社会において、全世界の国民のうちに生存する権利を確保するために、政府は、憲法九条の命ずるところに従い、平和を維持するよう努め、国民の基本的人権を侵害抑圧する事態を生じさせることのないように努めるべき憲法上の責務を負うものということができ、この責務に反した結果、基本的人権について違法な侵害抑圧が具体的に生じるときには、この基本的人権の侵害を理由として裁判所に対して権利救済を求めることは可能といえよう」
と判示した点は、平和的生存権を考える上で軽視すべきではない。

●原告らは、訴状及び準備書面で詳しく主張したとおり、かつての戦争の際の空襲や原爆の被害体験者、兵役とシベリア抑留の経験者、航空機・船舶・鉄道などの乗務員経験者、学者・教育者・宗教者、ジャーナリスト、障がい者、原発関係者のほか、母親、若者などで、いずれも戦争に限りない恐怖を覚え、平和を祈願し、日本国憲法を大事に思ってきた国民・市民である。
原告らの立場は様々で、その立場によって新安保法制に抱く不安や恐怖、怒りや悲しみなどの精神的苦痛は異なるが、平和を愛し、願い、心の拠り所としてきた心情がいたく傷つけられ、平和的生存権が侵害されたことは共通している。
原告らは戦争の被害者になることを拒否だけでなく、それ以上に加害者になることを拒否するのである。
憲法前文にあるとおり、恒久の平和を念願し、平和を維持することを国際社会に固く誓い、
この誓いを果たすことが我が国で生きる者の責務であり、誇りに思っているからである。

●平和的生存権は、憲法前文2項と9条及び第3章の人権規定から基本的人権の基底的権利
として具体的権利性があり、裁判規範であると認められ、原告らの主張する平和的生存権は不法行為法上の被侵害利益性があることも明らかだ。
新安保法制の制定によって、前文および9条とこれらに依拠する平和的生存権は、内閣と国会の暴走により、平和主義そのものと一緒に破壊され葬られようとしている。
立憲民主主義の観点から、これを合法的に牽制するのは司法の責務である。
原告らは、違憲の新安保法制による被侵害利益の第1に平和的生存権を主張するのである。
裁判所は、憲法の要請と国民・市民の声に真摯に向き合い、平和的生存権を正面から認め、新安保法制の違憲判断と原告らの被害の回復を宣言することを強く要請するものである。

③原告代理人 弁護士:杉浦ひとみさん
杉浦さんは「被概論その1」について述べました。
●原告らは、新安保法制法の成立によって受けた平和的生存権、人格権、決定権を侵害されたと訴えているが、これに対して被告国らは「原告らの意主張は、法的に保護された権利ないし利益とは認められない」「原告らが人格権の内容として述べるところは、漠然とした不安感を抱いたという域を越えないもの」と反論してきた。
しかし、それは被告が原告らに起こっている事実を全く理解していないか、理解しないようにしてこの裁判を終わらせようとしているとしか言えない。
被告国は、何を根拠に、何を調査して「漠然とした不安の域を出ない」と判断したのか。

●新安保法制によって破壊されようとしている憲法9条や、曲がりなりにも70余年守り抜いてきた「戦争をしない国日本」の存在意義は、すでに世界に浸透し、原告らを含めた多くの国民・市民の安堵となり自信となりプライドとなってきた。
それにより原告らは、計り知れない価値を得てきた。

●⑴アジア・太平洋戦争で被害を受けた原告らは、壮絶な被害によって心的外傷=トラウマ
を負った。
空襲被害者は炎に追われて3月の隅田川に逃れ一命を取り留め、橋桁のところで暖をとったが、その焚き火は山となった死骸が燃えているものだった。
長崎では原爆爆心地から逃れてくる被害者はみな、皮膚が垂れ下がりヒラヒラさせながら数珠繋ぎに列をなしよろよろ歩いていた姿を、小学生だった原告は忘れることができない。
原告らはその後70余年、実生活の多忙に紛れ、このトラウマはかさぶたをはった状態にあったが、本法制の成立によって、再び心の傷が蘇り原告らを苦しめている。
また生木を裂かれるような悲惨な肉親との死別の苦しみも、「9条を残してくれたから、犬死ではなかったから」と平和憲法の存在が原告らをかろうじて納得させて、心の平静を取り戻してきた70年だった。
にもかかわらず、本法制により原告らは、「この平和を守りきれなかった」という親兄弟への慚愧の念を、晩年になって再び背負っていくことになった。
これは人格の本質に関わる被害である。
⑵子どもを持つ親の立場にある原告も、苦しみ抜いている。
子や孫の将来を案ずるのは人間の本性であり、子を失う親たちの慟哭は誰しも察することができよう。
子や孫が殺し・殺される状況に置かれることは、人間としての根源的な幸福を奪われることだ。
生きて帰っても、アメリカでは1日平均22人の退役軍人が自殺しているという。
「まだ戦地に行ってもいない、死んでもいない」という話ではなく、今ならそれを止められるのに政府が促し、誰も止めようとしないのは塗炭の苦しみだ。
これ以上の人間の核心部分の侵害はないが、国はそれでも「漠然とした不安感」というのか。
これは人格権の侵害であり、平和的生存権も侵害されている、
⑶航空機関、船舶、鉄道で働く労働者らは、新安保法制法の下では、いったん事があれば自分の意思に反しても、物品の輸送、人の輸送によって戦争行為への協力が求められる立場にあり、危険と隣り合わせの現場に置かれ、物資の輸送は攻撃の矢面に立たされる。
まさに、平和的生存権を侵され、意に反して危険を強いられ人格権を侵害される。
⑷本法制により「戦わない国日本」への、世界の信頼を失い、アメリカと一緒に戦争する国になった事から、テロの恐怖は現実性を持ってきている。
原子力空母も配する基地があり、狭い国土に50基の原発を置いている。
テロの危険の大きさに基地周辺の住民である原告や、原発設計者である原告は生きた心地がせず、日々平和的生存権が侵害されている。
⑸平和であるための教育を確信し研究を続け、指導を続け、そのような教科書を作るべきだと裁判を戦った原告らは、平和である事が国民・市民、とりわけ子どもたちに何より大切であると、人生を賭けて取り組んできた。
これらの信念を否定される事は、生きてきた全てを抹消される事であり人格としての核心部分を侵害されたのだ。

●このように安保法制法の成立は、これまで憲法が国民・市民に保障してきた平和的生存権や人格権を、憲法的手続きを踏まないで侵害している。
裁判所には結論ありきではなく、人権の砦としての機関である事の使命に賭けて、原告らの被っている被害をしっかり捉えていただきたい。

※原告代理人3名の口頭弁論は以上です。
過去の裁判判例に、勇気付けられる思いがしました。
次号で3名の原告本人の意見陳述をお伝えします。

いちえ

抽選に漏れて入れなかった人が出なかったのはいいのですが、もしもこれより傍聴希望者が少なくなってしまうと小さな法廷になってしまうことが案じられます。


2016年11月29日号「11月25日南相馬 補足」

24、25日の飯坂と南相馬を訪ねた際に皆さんから聞いた言葉から、ぜひみなさんにもお伝えしたい幾つかを補足します。

◎不幸を誇りに変えて
原発事故後、福島の被災者たちへの支援は全国から届けられました。
そして今も、支援活動を続けている個人やグループが全国各地にいます。
水俣からも支援は続けられています。
水俣と福島の子どもたちの交流も続けられています。
そうした中で、水俣の子どもが福島の子どもたちに伝えた言葉を、飯坂小学校の石川逸子校長が、代わって聞かせてくれました。
「水俣の子どもたちが他所へ行った時に、未だに、病気が遺伝するとか、伝染するなどと謂れない言葉をぶつけられることがあるそうです。
水俣の子どもたちは、そんな時にも怯んだり引け目に思ったりするのでなく、そういう相手に対しても誇りを持って正しい知識を伝えていこうと、自分たちでの学習を続けてきていると言います。
福島の子どもたちにとって水俣の子どもの言葉は、大きな意味を持つと思いました」
横浜の事件に現れているように、いじめを生み出すのは無知と偏見です。
それはまた周囲の大人の責任であり、大人の無知と偏見が子どもたちに「伝染」しているのです。
石川校長の言われた通り、私もまた、みなまたのこどもの言葉は福島の子どもたちにとって大きな意味をもつと思いました。

◎カジノはいらない
寺内塚合で、この5年8ヶ月にあった様々をおしゃべりしていた時でした。
この仮設住宅の中にも、賠償金をパチンコにつぎ込んでしまった人もいたようです。
天野さんがきっぱりと言いました。
「パチンコ屋に行く人も気持ちが弱いかもしれないけど、あれは人の弱さに漬け込みような商売だね。政府はカジノを作るなんて言ってるけど、そんなものは絶対に要らない。カジノなんか無くていいよ。作っちゃいけないよ」
天野さんの言う通りだと、私も思います。

◎人が財産
小池第3仮設のハルイさんとヨシ子さんは、職員の青田さんも津波の被災者であったことをこの日に初めて知ったのですが、3人は「話さなければ判らないことだね」「知らないままで過ぎちゃうことだね」と言いながら、あの日からのことを話していました。
そして「津波でみんな流されちゃって何にも無くなっちゃったけど、あんなことがなければ知り合えなかった人と知り合ったし、友達にもなったよね」「そうだよね。何にも無くなっちゃったけど、それが財産だね」と笑い合う3人でした。
この仮設住宅も出て行った人が多く、ハルイさんやヨシ子さんも間もなく引っ越していきます。
もう既に引っ越していった三瓶さんや和ちゃん、国ちゃんからは、今も時々ヨシ子さんに電話がきますし、そんな折に相談してみんなで旅行に行ったりもするのです。
ここで培われた繋がりが財産という言葉に、私も大きく頷きました。      

いちえ


2016年11月28日号「11月25日南相馬」

24日の夕方、飯坂を出て南相馬へ向かいました。
飯坂を出て飯舘村を抜ける頃は西の空はまだ明るかったのですが、南相馬に着く頃にはすっかり暮れていました。
飯舘村は雪景色かと思っていたのですが、樹木や山の斜面、土の上にうっすら白く残る程度で道路は全く雪の気配もありませんでした。

◎寺内塚合仮設住宅
25日、まず寺内塚合を訪ねました。
5月に友人たちと訪ねた時に撮った写真を届けに行ったのです。
朝、まだビジネスホテル六角に居る間に〝営業部長〟の天野さんから電話があって、朝ごはんを食べずに来るようにと言われました。
朝ごはんを食べずに訪ねると、談話室にはもう天野さんと山田さんが待っていて、挨拶している間に井口さん、村井さん、菅野さんもやって来ました。
もう一人の菅野さん〝社長〟は、今日はデイサービスの日なので休みです。
「昨日来るかと思って、作って待ってたんだよ」と言って出されたのは、あんこをまぶした大きなぼた餅と、この辺りでは〝じゅうねん〟と呼ぶエゴマをまぶしたぼた餅でした。
それと野菜のうま煮とゆで卵の醤油煮、沢庵。
そんな心尽しに私はありがたさと共に、年が明けて春になってからの生活への彼女らの不安を感じ取ってしまうのでした。
だからもう、「これからどうするの?」とは聞きませんでした。
みんな行き先はほぼ決まっています。
息子や娘の家族と共に暮らすのでしょう。
家族間にわだかまりが生じているわけでもなく、不都合なことがあるわけでもないのですが、心から「良かった」と安堵しきれない、何とは言えない不安があるのです。
新たな地に移り住んで、子どもや孫は仕事や学校など出かける先もあり友人たちもできるでしょう。
押し車がないと出歩けない高齢者は、知り合いのない引越し先でどんな風に過ごすのだろうかと思います。
とりわけ天野さんは、一時は「老人ホームを探して入居する」と言っていたので、気持ちの切り替えができたのかどうか案じられます。
「先のことは考えないの。考えてもしょうがないからね」と言う天野さんです。
仮設住宅退去後の高齢者の心のケアが、これからは大きな問題になっていきます。

◎小池第3仮設住宅
寺内塚合と同様5月に友人が写した写真と、10月に写真家の小林さんと訪ねた時に小林さんが撮った写真を届けに小池第3仮設住宅へ行きました。
ハルイさんとヨシ子さん、社協委託の職員の星見さんが待っていてくれました。
星見さんから思いがけない知らせを聞きました。
一人暮らしの志賀晴子さんが倒れて、入院中だというのです。

志賀さんは小高に自宅があり、震災の年の夏に夫婦でこの仮説に入居しましたが、その年の暮れにお連れ合いを亡くされ、一人暮らしでした。
子どもはいません。
私が志賀さんに初めて会ったのは、’13年にヘアーサロンを催した時でした。
長野から理容師の吉田さん、藤沢さんが来て貰ってヘアーカットをお願いしたのです。
順番待ちの人たちに、私はお茶を進めながら話を聞かせてもらったのでした。
志賀さんも、その一人でした。
人の中に出るのが苦手なので滅多に集会所には来ないけれど、この日は髪を切ってもらいたくて来たのだと言いました。
絵を描くのが好き、本を読むのが好きという志賀さんでした。
読書が好きと聞いたので、その後何度か本を届けたり、また落語会やネイルサロン、ぬいぐるみ講習会など催しを企画するたびに誘いに行ったのでした。
初めて会った時には仮設退去後の暮らしを思い悩んでいた志賀さんでしたが、今年5月に会った時には、小高の自宅に戻って暮らすと言い、そのために傷んでいた屋根などを直したと言っていました。
以前は杖を使っていた志賀さんですが、今年会った時には外を歩く時には押し車を使うようになっていました。

星見さんから聞いた話です。
金曜日に星見さんが帰る時に声をかけると元気な返事が返ってきて、土・日は星見さんは休みなので社協の見回り隊に頼んでおいたそうです。
見回り隊は土・日とも志賀さんの家の前に押し車と軽自動車があるのを確認し、月曜日にもそのままの状態だったのでおかしいと思い電話をしたそうです。
家の中で電話がなっている音はするのに出ないので、事務所に連絡して合鍵で中に入ってみたら志賀さんが倒れていたと言うのです。
でも発見時には意識が戻って、救急隊員に「重くて悪いな」と自分の体重が重いことを気にかけていたと言います。
倒れていた間もし意識があったなら携帯電話が手元にあれば助けを呼べたでしょうが、体から離してどこかに置いたままだったら、それも難しかったでしょう。
仮設住宅は独居高齢者の住まいには、緊急用の連絡ブザーが設置されています。
でもそれは入り口近くの柱の高い場所であったりで、実際には助けを呼びたい人が押すにはとても実行不可能だったりなのです。
リモコン式のブザーだと良いのにと、以前にそれを見て思ったものでした。
志賀さんは、助けを呼ぶことができないまま2日間を過ごしていたのです。
もし志賀さんが自宅に戻って一人で過ごしていたなら…と考えると、仮設住宅に居たから見回り隊が異変を発見できたのだと思います。
今後車椅子になるか寝たきりになるか、詳しい状況は判りません。

◎青田さん
先月までこの仮設住宅の管理職員として働いていた紺野さんが辞めて、新しく青田さんという人が星見さんと一緒にここの担当になりました。
私は青田さんに会うのはこの日が初めてでしたが、ハルイさんもヨシ子さんもほぼ毎日顔を合わせていた筈です。
でも青田さんに私が「お家はどこでしたか?」と尋ねて「右田」と答えが返って、ハルイさんもヨシ子さんも驚きました。
ハルイさんヨシ子さんは小高の自宅は流され、家族を亡くしています。
青田さんの右田は鹿島ですが、やはり津波の被害は大きく集落は全て流されました。
近くに野球場があって、右田の人たちはそこへ避難したのです。
けれども津波はグランドを襲いスタンドも波をかぶり、助かったのは上の方に逃れていた僅かな人たちです。
青田さんも野球場に避難したのですが波にもまれて、でも一緒に避難していた夫が手を掴んでくれて一命をとりとめたのでした。
青田さんは、「この頃ようやく笑えるようになりました」言い、ハルイさんもヨシ子さんもその言葉に深く頷きました。
黒い波にもまれて流されていく人たちの姿が目に焼き付いて、消えない青田さんなのです。
ヨシ子さんは「私も引きこもりみたいになって過ごしていたんだよ。ようやく笑えるようになったよね」と青田さんに話しかけたのでした。
その語り口は、「大事に生きようね」と言っているように思えました。

◎新たな手芸品
帰りしなにハルイさん、ヨシ子さんから新たな作品をたくさん渡されました。
フェルト製のぬいぐるみです。
子猿を背に乗せた象、ペンギン、猿、そしてぶさ子ちゃんなどなどです。
とても楽しい人形たちです。
次回のトークの会(2017年2月24日)でご披露します。
ぜひご覧ください。

◎前便訂正
飯坂のお母さんひろみさんのことをお伝えしました。
文中、子どもさんの名前を間違えて記しました。
「颯太くん」と書きましたが「楓土(ふうと)くん」の間違いです。
耳の悪い私は文字でお聞きしないと、こんな間違いを起こしがちです。
お詫びして訂正します。

いちえ


2016年11月27日号「11月24日南相馬」

◎紅葉の雪景色
朝、家を出た時には霙だったのが、東京駅に着く頃には雪になっていました。
大宮を過ぎると、屋根や土の上は雪でうっすら白くなりました。
水温の方が外気温よりも高いからなのでしょう、荒川の川面からは霧がたっていました。
宇都宮を過ぎると雪は本降りで、那須、白河は大地も木々も家々も一面に真っ白。
これまで桜が咲いている時期に雪が降ったのを体験したことは何度かありましたが、私の記憶の中には紅葉の季節の雪景色はありませんでした。
葉が落ちた幹と枝だけの樹木や、常緑針葉樹や竹に雪が積もったのは見てきましたが、雪を被った紅葉・黄葉の木々の色は何とも〝幽玄〟という言葉がぴったりのように思えました。
いつもは本を読みながら過ごす車中、雪景色に見入って過ごしたのでした。
福島駅もその先も雪だろうと思っていたのですが、白河を過ぎて郡山に近づくと、雪の降った気配もなく大地は濡れた跡もありませんでした。
天の摂理は、人間が頭で考える予測とはまったく別なのだと改めて思ったのでした。

◎初めての訪問地、飯坂へ
新幹線が福島駅に着き、ホームから階段を下りて改札口に向かう時にいつも真っ先に目に入るのが、「飯坂けんか祭り」の大きな文字と神輿を模した置物です。
だから飯坂の名前はよくよく頭に入っていましたが、訪ねるのは今回が初めてです。
10月のトークの会では浪江から避難して飯坂で暮らしている今野寿美雄さんに話して頂きましたが、その今野さんからお誘いを受けて飯坂小学校を訪問するのです。
鉄筋コンクリートの4階建ての校舎には、全校生徒276名の児童が学んでいます。
どの学年も2クラスで、訪問した時には1年生は下校の支度をしていました。
児童たちは全員紺色の制服姿で、公立校なのに制服というのを珍しく思いました。
以前は週に一度私服登校日があったそうですが、今は全日制服での通学になっているそうです。
保護者から私服通学の日は、親も子も服選びに苦労するとの声もあったようです。
校長先生にご挨拶した後で、各クラスを回り今野さんが用意した文房具を寄贈したのです。
私も子どもたちも緊張気味なのですが、学童保育の指導員もしている今野さんを見て笑みがこぼれる子どもたちも多かったです。
クラス担任の先生はそんな様子に驚いて、児童に「知ってるの?」と問うと「はい」と答えが返り、今野さんは笑いながら「遊ぶ前に、宿題をちゃんとやるんだぞ」児童達に言うのでした。
そんな様子に、あの日からの5年8ヶ月を思いました。
飯坂は福島駅駅構内の「飯坂けんか祭り」が示しているように、地域の伝統や歴史が深く残る地なのだと思います。
今野さんのふるさと浪江もまた、郷土の伝統行事や文化遺産は豊かにある地ですが、原発事故によってそれらも奪われようとしています。
以前誰に聞いたのだったか、「浜通りと中通りは、人の気質も違うし食べるものもずいぶん違うからね」という言葉がありました。
浜通りの浪江から中通りの飯坂に避難して、すっかり土地に溶け込み馴染み、子どもたちには大好きなおじさんと親しまれている今野さんは、そのお人柄もあるでしょうが、それだけの月日も経っているのだと思えるのです。
子どもたちの前でぎごちない挨拶しか出来なかった私は、今野さんと子どもたちの様子を眩しく眺めたのでた。

◎ひろみさん
飯坂では今野さんに紹介していただいて、子育て中のお母さんに会いました。
小学生の2人の男児と2歳の坊や、1歳未満児のお嬢ちゃんの4人の子どものお母さんのひろみさんは、三男の颯土くんと一緒に会いに来てくれました。
ひろみさんは生まれも育ちも飯坂で、結婚後もずっと飯坂に住んでいます。
ひろみさんもそうですが、飯坂は女性が外に嫁がずに結婚後もこの地に残ることが多く、また婿取も多い地だそうです。
そしてまたどの家庭も子だくさんで、ひろみさんのように4人の子持ちも珍しくはないそうです。
ひろみさんは、原発事故後の政府や東電の言葉を鵜呑みにはできなかったものの、現実をよく解ってはいなかったと言います。
避難してきた今野さんと親しくなって、いろいろ話を聞いて教えられるうちに、憤りを共有し「子ども脱被ばく裁判」の原告になりました。
ひろみさんは言います。
「私みたいに原告にならなくても、同じ思いを抱えているお母さんはいっぱいいる。
国はまず自分たちの過ちを認めて欲しい。
何もなかったことにされたくない。
そう思ってる人はいっぱいいるけれど、現実にどうしていいか解らないのだと思う。
次男は嚢胞が3個以上あって、それは心配ないと言われたけれど実際はどうか判らない。
子どもたちを守りたいけれど、食べ物が心配。
野菜などは葉物は福島産は絶対に使わないし、根菜類もできるだけ北海道産を選んでいる。
自分で買うものは選べるけれど、貰ったものが心配。
福島は線量を測っているから安全っていうけれど、同じ畑で採れた同じ品の全部を測っているわけじゃないから安心できない。
学校給食では福島産のものを使っていて、一応「お弁当を持ってきてもいい」と言われているからそういう選択肢はあるけれど、子どもが自分だけみんなと違うというのは本人にも辛いし友達も変な目で見るから、結局は給食を選ぶ」
そして、先日大きく報道された横浜でのいじめ事件が、話題になりました。
実母と同居のNさんは、貰い物の野菜を子どもたちに食べさせないということについても、「始めの頃は母も『食べさせても大丈夫』と言っていたけれど、何度も話して今は理解している」と言いましたが、「実母だからこそそうやって話が出来るけど、嫁の立場だったら悩みますよ。友達も本当に悩んでいる」と言いました。
「原発再稼働は、絶対に許せない。自主避難者の支援打ち切りも、絶対に許せない」と言うひろみさんでした。

◎シートベルトに例えれば
自主避難者の住宅支援打ち切りの話題になった時に、今野さんが言いました。
「車のシートベルトに例えれば、以前はシートベルト着用は義務付けられてなくて本人の意思で、したりしなかったりだったでしょう。
義務付けられてからは、それまではしてなくても〝自己責任〟ということだったのが、していないと罰則が付くようになったでしょう。
シートベルトは着用していれば、もし事故に遭っても助かる確率が高いから義務付けた。
事故は起きるかどうかわからないけれど、そうやって義務付けた。
避難の問題も同じように考えれば自主避難した人は、シートベルト着用が義務付けられなくても安全のために着用していた人たちなんですよ。
だって福島県内でもう174人も甲状腺ガンまたは疑いと診断されているんだから、安全を求めて避難した人たちなんですよ。
シートベルトは着用を義務付ければその業界は儲かって税収になるけれど、自主避難者の住宅支援は支出。だから国は支援打ち切りにするんですよ。やることが逆なんだ」
今野さんの例えに、「命より金」が骨の髄まで染み込んでいる国や経済界に対しての憤りが、また突きあげてきたのでした。

◎健やかに育って欲しい!
南相馬に行けばいつも会うのは年を重ねた大人ばかり、時には子どもの姿を見かけることはあっても、言葉を交わす機会はめったにありません。
ひろみさんと一緒にやってきた颯太くんは、まだ3つにならないというのに白い歯が生え揃って、言葉が溢れ出てくるようにたくさんのお話ができる坊やでした。
お兄ちゃん達がいるからということもあるでしょうが、それにしても語彙も豊富でしっかり受け答えができるのに感心しました。
久しぶりに可愛い声の可愛いおしゃべりを聞くことができて、幸せな一日でした。
どうか颯土くんや、この日に会った飯坂小学校の子どもたちがみんな、健やかに育っていって欲しいと祈ります。
そして彼らに、負の遺産を残したくないと強く思います。
再稼働、許さない!安倍政権打倒!を心に刻みます。             

いちえ


一枝通信 FW: 声明 日印原子力協定締結に抗議/ベトナムは原発計画を撤回?理由の一つは「経済性」

Foe Japanの満田さんからの情報を転送します。
昨日朝9時から、官邸前での抗議集会に私も参加しました。
許しがたい外交です。
2011年の東京電力福島第一発電所事故は無かったかのように、そして核災害被災者は居ないかのように、また相手国インドがNPT(核不拡散条約)非加盟の国であることも知らぬげに、協定を結んだ「アベ政治」を断じて許せません。
「原発は悲しみしか生まない」前回のトークの会で、ゲストスピーカーの今野さんが言った言葉を、今一度思い返します。

いちえ

みなさま(拡散希望!重複失礼)

FoE Japanの満田です。
さきほど、日印原子力協定締結のニュースが流れました(怒)。
FoE Japanから抗議声明を出しました。問題点をまとめたのでご一読ください。
声明 日印原子力協定締結に抗議 「核廃絶への願うすべての人々を裏切り、福島現原発事故の被害を無視する行為 」
http://www.foejapan.org/energy/export/161111_2.html

声明 日印原子力協定締結に抗議 「核廃絶を願うすべての人々を裏切り、福島現原発事故の被害を無視する行為」|FoE Japan
www.foejapan.org
本日、日印首脳会談が開かれ、日印原子力協定が調印されました。 私たちはこれを、核廃絶を願うすべての人々を裏切り、福島原発事故の被害を無視する行為として、強く抗議します。私たちはまた、国会議員に対して、核廃絶と脱原発を願う市民の声に耳を傾け、日印原子力協定を批准しないように求めます。|FoE Japan

協定の内容は不明ながら、NHKは日本政府は別文書で、インド政府が2008年に出した、「核実験を凍結する」という内容の声明に違反するような行動をした場合には、協力を停止することを確認している、と報じています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161111/k10010765711000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_002

日本・インド首脳会談 原子力協定に署名 | NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp
安倍総理大臣は日本を訪れているインドのモディ首相と11日夜に会談し、日本の原子力関連技術のインドへの輸出を可能にする原子力協定について最終合…

ものすごく低レベルの担保で、こんなことで、NPT非加盟国との原子力協定締結のいいわけになると思ったら大間違いです。また、日本が原子力協定の相手側に常に禁じてきた放射性廃棄物の再処理がどうなったのかは不明です。

一方で、朗報もあります。
ベトナムでは、日本・ロシアが原発輸出を予定していた原子力事業の白紙撤回が決まりそうです。
しっかりと見守りましょう。
注目すべきは、撤回の大きな理由が、原発の「経済性」にあることです。
ベトナム国会議員で科学技術環境委員会の副委員長は、原発の単価が上昇していること、核廃棄物の問題、事故、ベトナムの巨額債務問題をあげ、これ以上計画を進めるよりは、今の時点で計画撤回することは時機を得た判断と述べています。
さらに、ベトナム電力公社の社長が「原発は経済面で競争力なし」と述べたとのこと!
原発導入前でずぶずぶの原子力ムラが形成されていないからかもしれませんが、賢明で冷静な判断かと思いました
原発計画に翻弄され、移転の準備をさせられてきた現地の人たちが、もとの暮らしに戻れるよう、祈るばかりです。

ベトナム 原発計画を撤回!?-オールジャパンの売り込み攻勢の影で
https://foejapan.wordpress.com/2016/11/10/vietnam-2/

ベトナム 原発計画を撤回!?-オールジャパンの売り込み攻勢の影で
https://foejapan.wordpress.com
ベトナムにおけるニントゥアン原発建設計画の白紙撤回の方針が報道されています。今日から国会で審議されるとのこと(…

ベトナム原発計画のゆくえ…「多くの国会議員が原発中止に賛成」
https://foejapan.wordpress.com/2016/11/10/vietnam-3/

ベトナム原発計画のゆくえ…「多くの国会議員が原発中止に賛成」
https://foejapan.wordpress.com
ベトナムが原発事業を白紙撤回する方針であることが報じられています。科学技術環境委員会の副委員長は、原発発電の単…


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2016年10月31日号「お知らせ」

喫緊のお知らせ2件です。

お知らせ①
FoE Japan からのお知らせ転送です。
高江は、本当に酷い状況になっています。
以下が転送です。
==========================
高江ヘリパッド建設をめぐる集会&省庁交渉(11/2)

沖縄の東村高江周辺のヘリパッド建設が強行されています。
やんばるの森を切り裂いて、道路が建設され、約2万4,000本もの樹木が伐採されつつあります。
環境影響評価は形だけ、工事を急ぐあまり、現場ではトラックの過積載、最大積載量の表示がない等の道路運送車両法違反の工事用車両が連日、国道、県道を走行している状況です。これらの問題をめぐり、防衛省、警察庁、国土交通省との交渉を行います。また、高江の工事の最新の状況をご報告します。現地からは北上田毅さんが参加されます。ぜひご参集ください。

◆日時:2016年11月2日(水)12:30~16:00
 12:30~13:45  事前集会
 14:00~16:00  警察庁・防衛省・国土交通省交渉(調整中)
(12:10から通行証を配布します)
◆会場:参議院議員会館 講堂
◆資料代:500円
◆申し込み:不要
◆主催:FoE…

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お知らせ②
11月3日(木・休)は「アベ政治を許さない」一斉行動日です。
どうぞ、それぞれの場所で一斉に意思表示をいたしましょう。
私は、長野市にあるブックカフェまいまい堂の「からこる坐」で3日から写真展を開催しますので、2日は設置で現地に行っていて2日の集会には参加できませんが、3日の1時までには国会前に馳せ参じるつもりです。

喫緊のお知らせで、ごめんなさい。

いちえ


2016年10月23日号「トークの会報告③」

18日のトークの会報告を続けます。

●住宅支援を打ち切るな
なぜ田舎暮らしをするかといえば、給料が安くても半自給生活ができるのが田舎だからだ。
畑で野菜を作り、山で山菜やキノコを採り、魚を自分で捕ってくれば、お金を出さなくても生活していける。
半自給自足暮らしだから、田舎で生活できた。
それを奪われてしまったら生きる糧がない。
今から帰って生活しろと言われても、水は飲めずペットボトルで買わなければならない、食物も買わなければならない、生えているものはすべて食べられないで、お金がかかるだけ。
そこに帰って生活しろと言われても、できない。
来年3月で自主避難者の住宅支援の打ち切りが問題になっている。
平成30年3月には、自主避難でなく警戒区域内の避難者の住宅支援も打ち切ると言っている。
警戒区域外自主避難者たちは、ほとんどが母子避難だ。
夫は仕事があるので残り、母子だけで避難している。
彼らは月10万円の精神的苦痛慰謝料も貰っていない。
ただ住居を無償で提供されるから、なんとか生きていけるのに、それを奪おうとしている。
そうした始末の悪いことをしているのが、福島県の内堀知事なのだ。
山形県、新潟県の県知事は災害救助法を延長して住宅を供与しろと言い、各市町村会議も打ち切り撤回を採択した。
神奈川県でも京都の方でもそうしているが、福島県はやらない。
福島県は甲状腺ガン検査縮小をするなという採択はしたが、住宅支援打ち切りするなの採択はしていない。
自分で自分の首を絞めているようなものだ。
自分たちで声をあげて支援の継続を望めばいいのに、内堀知事はそれをしない。
昨年6月に内堀知事と竹下亘、小泉進次郎が赤坂のホテル9階の会議室で密談したが、神奈川に避難している人と2人でそこを“襲い”、エレベーター内で持って行った要望書を渡した。
「これを読んでください。避難者の声です。住宅支援打ち切りはやめてください」と言って手渡した。
そうして住宅交渉問題に関わることになったので、今はその活動も続けている。
県庁への申し入れを、これまでに既に三回やってきたが、避難者たちはその度に京都・東京などから新幹線を乗り継いで福島に来るが、新幹線代などその費用も大変だ。
でもそれでも訴えないとどうしようもない状況だ。
山形県は無償で50戸を2年間提供すると言ってくれ、隣の県なのに被災者に寄り添っている。
福島県は被災当事者なのに加害者と組んで、加害者に寄り添って県民いじめをしている。
12月に県議会の定例会があるので、その時に全国からの請願書と採択した決議文を持って、県と交渉することになっている。
問題はたくさんあるが喫緊の問題は住宅問題だが、その間にも被ばくは続いている。

●ロボットは放射能に弱い
最近また空間線量が高くなっているという話もあるが、風の影響でもずいぶん変わる。
要はそれだけ危ないということで近くにいれば吸引による内部被曝の可能性も大きいということだ。
原発でいま何が起きているかというと、汚染水だけではなく排気筒の問題が大きい。
最近ようやくこの問題もクローズアップされてきたが、1、2号機のスタックと呼ばれる排気筒が問題だ。
火力でいえば煙突だが、原発の排気筒は煙は出ないが発電所内の空気を外に放出するものだ。
その支柱が錆びて腐食している。
地震や竜巻が来たら、ポキッと折れて倒れるのではないかと心配される。
支柱が倒れたら排気筒自体が倒れる。
排気筒が倒れたら何10、何100シーベルトになるかも判らない大量の放射性物質が放出されてしまう。
ドライベントして2号機の排気筒の中に原子炉の空気を出したから、その汚染は半端ではない。
それが倒れたら、風下は相当の被ばくをする。
風向きによっては原発事故そのものよりも酷い状況になる可能性があるのに、人が近づけないので直すに直せない。
東電は遠隔装置を使って半分ほどに切ると言っているようだが、技術としてできるわけがない。
鉄を切るには、グラインダーで切る、バンドソーで切る、ガスで切る、プラズマで切るという方法があるが、その装置を誰が付けに行くのか、どうやってセットするのか。
アーマースーツのようなロボットがあって、その中に入って物をつかんだりできるなら可能かもしれないが、ロボットも近づけない状況なのだ。
2号機の調査のために線量を測るドローンを2機飛ばしたが、排気筒の中に落ちてしまった。
とても人が行けない高線量のところなのでロボットを使おうとするが、ロボットはコンピューターを積んでいるが、マイコンは1、0、1、0でプログラムされている。ところが1、0、1、0、は放射線で飛ばされて全部0、または全部1になってしまう。
だからいままで投入したロボットが全部動かなくなったというのは軍事用のクインスでさえ動かなくなり、太刀打ちできない状況だ。
クインスは核戦争が起きた後に調べに行くロボットだが、入り口まで行ったら動かなくなってそれを回収もできない。
撮影するために投入したロボットが行くのに、瓦礫をどかすアームのついたロボットもあるのだが、それもひっくり返って動かない。
ロボットは放射線に弱いのだ。
画像で見ると霧のようにノイズが入っているが、あれが放射線だ。
放射線はロボットの頭脳部分を、人間の内臓を損傷し壊す。

●なぜガンになるのか
なぜガンになるのかというと細胞のDNAに損傷を起こすからで、普通は単純な損傷は修復されやすいが、複雑な損傷は修復時に間違いを起こしやすく、それがDNAに変異をきたし細胞が分裂するときに異常な細胞の増殖がガンを引き起こす。
細胞内で遺伝子情報を持つDNAは螺旋状に連なって、そこにはG・C・T・Aと4種の塩基がAはTと、GはCと結びついて突起となっている。
細胞内を放射線が通過するときにこの塩基の繋がりの一鎖切断の場合は切断された塩基はまた繋がるべき相手の塩基と結びついて修復されやすいが、二鎖切断になると、繋がるべき相手の塩基を誤ってしまい、それがDNAに変異を起こすのだ。
これを崎山比佐子さんが分かりやすく説明しているが、放射線とガンの仕組みは解明されているのに御用学者たちは、判らないと言い、因果関係はないとかチェルノブイリとは違うなどと言う。

●原発を廃炉にしない理由
原発を廃炉にしたらその瞬間に、それまで資産だったものが放射線廃棄物に変わってしまう。燃料棒は使用済みでも、そうでなくても、全てが廃棄物になってしまう。
設備として資産担保があれば銀行は資金を回すが、廃棄物になってしまうとお金は回らなくなる。
使用済み核燃料は兵器になるから経済界は軍需産業で潤うし、政府もそれを望む。
核被害国の日本は核の威力を手放したくないから、原発を廃炉にしないし持続する。
東電は国が護り、経済界が護っているから潰されない。
政府・経産省・経団連・東電幹部、彼らはみんな好き放題にやっている。
原発事故後白血病やガンで死んだ人は多く、友人夫婦もガンで死んだ。残されたのは中学生の一人娘だ。
自殺も多いし、仮設住宅での孤独死も多い。
たかが電気のために死んだ彼らは、みんな核災害の関連死だ。
原発は、人々に悲しみだけを残し、残ったプルトニウムで人殺しの武器を作り、その武器がまた悲しみを生んでいく。

*トークの会「福島の声を聞こう!vol.21」の報告は、これで終わります。
長文を最後までお読みくださって、ありがとうございました。
次回の「福島の声を聞こう!」は、来年2月24日(金)です。
二本松の若い女性農業者さんに話していただきます。
先のことですがご予定に入れていただけたら嬉しいです。

いちえ






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