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2018年7月14日号「6月24日集会報告②」

◎間が空いて大変遅くなりましたが、「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」集会の報告の続きです。
NAJAT(武器輸出反対ネットワーク)の杉原浩司さんと、ジャーナリストのまさのあつこさん、お二人のトークをお伝えします。
●杉原浩司さん(NAJAT)
*杉原さんプロフィール
 1965年鳥取県生まれ。
1980年代半ばから市民運動に参加。PKO法反対、阪神・淡路大震災被災者による住宅再建への公的支援を求める「市民=議員立法」運動、ミサイル防衛反対、脱原発、秘密保護法・共謀罪反対などに取り組む。
2015年の戦争法審議では、集団的自衛権問題研究会ニュースレビュー編集長として国会審議ダイジェストを発信。現在、武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表。軍学共同反対連絡会にも参加し、日本に「軍産学複合体」を作らせないために活動中。
共著に『亡国の武器輸出〜防衛装備移転三原則は何をもたらすか』(合同出版)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(あけび書房)。『宇宙開発戦争』(作品社)に「日本語版解説」を執筆。
★杉原さんの話
・軍需産業の企業に対して不買運動を
 今日お話する中で重要なのが、このアクションシートです。(注:配布された2枚のシート。「三菱電機は防空レーダーをタイに売らないで!」「川崎重工は軍用輸送機C2をUAE(アラブ首長国連邦)に売らないで!」と書かれています。2枚のそれぞれはハガキ代に切り抜いて三菱電機と川崎重工へ抗議メッセージとして送れるようになっています)
三菱電機がタイに防空レーダーを輸出しようとしています。
三菱電機はイギリスとミサイルの共同開発もしている武器輸出の確信犯です。
私たちは三菱電機の不買運動を呼びかけています。
冷蔵庫やエアコン「霧ヶ峰」などを買わないように、そして、そのことを意思表示して欲しいと思います。
ここは、本当に問題企業です。
 もう一つは、中東の貧しいイエメンという国にサウジアラビアやアラブ首長国連邦が3年前から空爆を行い、民間人を含めた犠牲者が多く出ています。
また飢餓やコレラが拡大して人口の3分の2が人道支援を必要としており、3分の1が飢餓の一歩手前にあります。
攻撃している側のアラブ首長国連邦に、日本は川崎重工の軍用輸送機を売ろうとしています。
考えられないような非道なことです。
これを止めたいので、お配りした2枚のシートのハガキを切り抜いて、62円切手を貼って三菱電機と川崎重工に送って下さい。
私たち一人一人の声が伝わることで、武器輸出を止めさせる力になると思います。
日本の企業は軍事部門の比率はまだ非常に小さいので、消費者に嫌われるのを恐れることで、輸出を思い止まらせることにつながると思います。
まず、このことを皆さんに呼びかけます。
・軍拡も武器輸出も反対
 朴慶南さんと李政美さんの二人から話がありましたが、朝鮮半島がいま、平和に向かおうとしています。
思い起こすと、朝鮮戦争は自衛隊を作るきっかけになりました。
そして在日米軍や日米安保や、沖縄の基地を正当化する大きな理由になってきました。
それがいま終局に向かおうとしている、この動きを絶対に後戻りさせてはいけません。私たちは沖縄の基地を含めて安保や基地について大本のところからきちんと問い直して、無くしていく大きなチャンスにしていくべきだと思います。
 そうした中で、それに全く逆行しているのが安倍政権です。
安倍さんはようやく、こうやって頭をかかえるミサイル避難訓練は中止すると言いましたが、秋田県や山口県へのイージス・アショアの配備は諦めていません。
これは、1基1,000億円と言われますがもっと膨れ上がって、2基で5,000億円になるという話があります。
しかも秋田市の場合、周囲1km以内に小学校や高校などがあります。
電磁波の人体実験のようです。
地元でも反対の声は強いですが、これを押し切ろうとしています。
こういう動きも絶対に止めていかなければならないです。
 北東アジアを、軍産複合体のくびきから解き放っていく、その大きなチャンスが来ている中で私たちが主権者として、安倍政権を退陣させることが何よりも大事になっていくと思います。
・憲法9条のもとで
 憲法9条のもとで私たちは、殺し殺される戦争をしてきませんでしたが、在日米軍基地からベトナムや中東に戦闘機や軍艦が行って攻撃をして人を殺してきました。
最近も世界で6,850万人が難民になっていて、それは史上最大だと報道されましたが、世界はいま本当に悲惨な状況です。
そして、難民が生まれる最大の理由は紛争です。
日本政府は、「紛争当事国は世界に存在しない」と解釈していますが、それは武器輸出をしたいからです。
さすがに紛争当事国に武器輸出はしにくいからです。
それなのに紛争をしているアラブ首長国連邦に武器輸出をしようというのですから、ハチャメチャな話です。
 憲法9条は守るだけではなく、また9条に寄りかかるのではなく、むしろ憲法9条の理念を、戦争で利益を得ている軍産複合体を解体していく力にしていかなければならないと思います。
イエメンに関して言えば、内戦に介入しているサウジアラビアが、アメリカやイギリスから武器を購入して攻撃している一方で、攻撃されているフーシ派という勢力の背後にはイランがいるとされています。
憲法9条を持つ日本は、武器輸出ではなく、イランともサウジアラビアとも良好な関係を築いてきているのだから、両者の間に入って攻撃を止めて話し合いで解決するように言うべきだし、武器を売りつけているアメリカやイギリスに対して「武器輸出をやめろ」と言うべきです。
・あろうことか、武器見本市が!
 残念ですが安倍首相のもとで4年前に武器輸出三原則が撤廃されて、武器輸出が解禁されました。
でも、完成された武器の輸出は、今はまだゼロ件です。
ですから、私たちは実績ゼロのままで安倍政権を退陣させ、武器輸出の流れを止めて、来るべき立憲野党の政権に、武器輸出三原則を復活させ、さらにそれを強化させて、世界の武器輸出の流れを止めるような働きをして欲しいと思っています。
 安倍政権のもとでは武器輸出が解禁されただけではなく、日本で武器見本市が開かれたりして全く逆な動きになっています。
3年前にパシフィコ横浜で、戦後初めての大々的な国際武器見本市が開かれました。
世界で行われている武器見本市にも、日本政府が軍需企業を引き連れて出展しています。
最近は更に酷くなっていて、この8月29日、30日に川崎市のとどろきアリーナでイスラエルの軍事見本市の開催が予定されています。
これは、イスラエルが官民一体となって、2020年の東京五輪に照準を合わせて「テロ対策」「サイバーセキュリティ」を煽って日本市場を狙うものです。
ヨーロッパなどでイスラエルはボイコットされている中で、日本が狙われているのです。
パレスチナ人に対して虐殺を続けているイスラエルの軍事見本市を、日本で開催させてはいけないと考え、開催に反対するための相談会を7月2日に開きます。
ぜひ参加してください。
注:イスラエル軍事エキスポに反対する第1回相談会
日時:7月2日(月)18:30〜21:00
会場:エポックなかはら(川崎市総合福祉センター)第3会議室(JR南武線「武蔵中原駅」徒歩1分)
・軍拡計画を止めよう
 もう一点、朝鮮半島の状況とは真逆ですが、今年の年末までに「防衛計画の大綱」などの自衛隊の増強計画が作られます。
すでに今年度の予算で長距離巡航ミサイルの予算が付き、敵基地攻撃能力の保有に踏み出しました。
これは「専守防衛」を踏み破るものですが、それに加えて今度は空母を本格的に持つとか、サイバー、宇宙防衛に踏み込んだ新しい次元の防衛をするのだとか、様々な内容をこれに入れていこうとしています。
宝島社から出ているムック本にもあるように、「自衛隊が空母やミサイルを持っていよいよ攻撃できるようになる」「新しい自衛隊が生まれる」という方向になっていきます。
 年末までに野党の皆さんと協力して、そういうメチャクチャな計画を作らせないようにしたいです。
私たちに必要なのは、しっかり勉強して話し合って、防衛省や自衛隊が考える軍拡計画ではなく、北東アジアをもっと平和で持続可能な地域に、そして朝鮮戦争は終わらせ、中国ともきちんと話し合って軍拡競争ではなく平和の道を作っていくという計画を私たち自身が持って、それをメディアでも報道させていくような積極的な動きがとても大事です。
 昨日の沖縄慰霊の日の相良倫子さんの詩には、「今」という言葉が10回出てきました。
「未来は今なのだ」この瞬間が未来につながっていると。
私たちがしっかりと考えて、話し合って、時ははっきりと異議申し立てをして、自分たちにふさわしいと思う人を国会に、地方議会に送り出していく。
そういう努力をすることによって未来が準備されるのだということを、彼女の言葉を聞いて、肝に銘じました。
NAJATはまだまだ力は弱いですが、少人数で努力しています。
NAJATは課題の大きさに比べて人数が少ないので、時々手伝っていただけたらありがたいです。
歴史的に大事な瞬間を後悔しないように、ご一緒に頑張っていきましょう。

●まさの あつこさん(ジャーナリスト)
*まさのさんプロフィール
 1995年からダム、医療、原発などの問題を取材。現在までに3度、国会の裏方である政策担当秘書として働き、御用学者に対抗すべく東京工業大学大学院総合理工学研究科で博士号を取得。
 著書に『水資源開発促進法—立法と公共事業』(築地書館)、『投票に行きたくなる国会の話』(ちくまプリマー新書)、『四大公害病』(中公新書)、『あなたの隣の放射能汚染ゴミ』(集英社新書)など。
 昨年、このままでは戦争が起きてしまうと焦燥感に駆られて朝鮮民主主義人民共和国を取材。
★まさのさんの話
・このままでは戦争になりそうだ
 昨年、国交のない国へ行ってきました。
国連が認めている「国」は197ヵ国だそうですから、日本は196ヵ国と仲良くすればいいのですが、ところが日本は北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国とだけは国交がありません。
私は昨年10月半ばに、6日間だけ訪れてきました。
行った理由は、このままでは戦争になりそうだから、なんとか止めなければという思いに駆られてのことでした。
私は20年間ジャーナリストとして活動をしてきましたが、平和に対して行動するという経験がなかったのです。
 今日私がこの会に呼ばれたのは、そのたった1回の平和のための活動の故だと思いますが、つまり、いろいろなジャーナリスト活動をしてきましたが、それは平和あってこそのものであって、一旦平和でなくなってしまえば、そういった執筆活動もできなくなるのではないか、では何ができるかというと私は戦争を止めるための言葉を持っていないことに気づいたのです。
それで、まず行くことにしたのです。
 行って見なければ、何の言葉もかけないと思ったのです。
昨年の今頃は、バンバンとミサイルだ、ロケットだと発射実験が行われていました。
アメリカではトランプ大統領が誕生して、米国第一主義を掲げました。
初めの頃は、安全保障に金を費やすな、軍隊を海外から引き上げろと言う方々が側近に付いていましたが、3月以降フリン国家安全保障補佐官、あるいはバノン首席戦略官が退いて、マティス国防長官、ティラーソン国務長官といったネオコンといっていいような産軍複合体のような人たちが取って代わってしまい、日韓を訪れて「すべての選択肢はテーブルにある」とか言い始めたのです。
 そんな時でしたから「行くしかない」と思い、とにかく行こうと思いました。
神奈川県に「日朝国交正常化を求める会」があってそこに加えて頂いて8人で行く予定でした。
行く直前になって、トランプは金正雲を「ロケット犯」とか「チビ」「デブ」とか言い出すし、金正雲はトランプを「米国の老いぼれ狂人」とか言い出して、行くのをやめようかと思うほど怖かったし、実際に家族に反対されて取りやめた方も一人いました。
・事前学習、李教授の話
 行く前に事前勉強をしようと思い、小平市にある朝鮮大学校の李◯◯教授の話を聞きました。
「金正日時代から金正雲時代になって変わったことがある。
金正日時代は、何としても強い国を作っていくということで、砂糖よりも弾丸だった。
金正雲になってから、銃弾も大事だが砂糖はもっと大事だと、住民に満足を与える経済が大事ということで経済への変身路線になった」と聞きました。
 なぜ核ミサイル開発をするのかと聞くと、それには彼らなりの理屈がありました。
「ロシア、中国、米国、韓国、日本も含めて核の傘の下にある中で、北朝鮮だけが核を持たないということから脱却する必要がある。
過去の米国のやり方を見ていると、例えば、テロとの戦いということでアフガニスタンやイラクを攻撃してきた。
アフガニスタンもイラクも核がないからだったから、だから私たちは核を持とうということで開発をしているのだ」という理屈でした。
 他にも機会がある度にいろいろ質問して答えを聞く中で、彼らの言うこともそれなりに理屈が通っていると思いました。
例えば、ロケット実験だと言っていた時には事前通告をしていたが、それがやがてミサイル発射実験をするようになった理由を質問しました。
「ロケット実験だと言っても、ミサイル発射だと言って非難される。
それならミサイルだとすればいいのではないか。
またミサイルだと言って事前通告すれば、撃ち落とされてしまうかもしれない。
すると、そこから戦争が始まってしまうではないか」という答えが返って、それを聞くと、なるほどねというような彼らなりの理屈でした。
 また、粛清をなぜするのか、粛清はやめるべきではないかと言うと、
「◯◯◯を根拠にしている。社会主義国でも民主主義国でも資本主義国でも、国家権力は唯一統治する方法として、殺すという手段を持つ暴力装置だ」と、説明されました。
 先ほど朴慶南さんのお話にもありましたが、韓国でもかつては暗黒の時代でした。
「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国も、いずれは変わるだろう」事前準備として李教授から、そういう話を聞いて行きました。
また李教授からは、「あなたはジャーナリストだから、どんなことでも聞いてきたらいいですよ」と言われて行ったのですが、帰国後に挨拶に行ったら「よく帰って来れましたね」と言われました。
・遠慮なく聞くことができた
 実際、本当に遠慮なく聞くことができました。
その結果私なりに、お隣の国、朝鮮民主主義人民共和国はいま、二つの敵から二つの方法で彼らなりに彼らの国を守ろうとしているということで、納得できたことがあります。
 一つは、彼らが敵視しているのは米国で、その米国からなんとかして核抑止力で守りたいたいという意志が強くあるということです。
米朝首脳会談が実現した時に、なるほど彼らは言ってきたことを実現したんだと、私は思いました。
もう一つは資本主義が生んでいる多様な文化から社会主義という制度、つまり金正雲体制を守ろう、情報統制によって守ろうということなのだと思いました。
 情報統制をどのようにして行っているかというと、平壌には北京から飛行機で行きましたが、平壌空港に到着後すぐに、携帯電話を取り上げられてチェックを受けました。
印刷物やCDを持っていないかも、荷物をガサゴソ調べられました。
私はたいしたものは持っていなくて携帯もすぐに返してもらえましたが、一緒に行った仲間の中には、朝鮮民主主義人民共和国について書かれた和田春樹さんの新書を持っていた人がいて、その本は空港で没収され帰る時に返却されました。
要するに、国の体制を壊そうとする人、壊そうとするもの・情報を水際で抑えることで国の体制を守ろうとするのだということです。
やっぱり彼らにとっては、今は戦時中だという意識がとても強いことを思い知らされました。
行ってみてあちらの人たちと話をして教えられる中で、先ほどの朴さんの話にもありましたが、占領していた日本が負けて日本の武装解除を理由に米軍が入って行って、それが今に続くということを、改めて現場で勉強することができました。
 向こうでは1歳の子どもを持つキム・チョンシルさんという女性と、もうすぐ結婚するというパク・ヒョンソンさんという若い男性、そして2人の上司で朝鮮対外文化連絡協会の日本局長の男性が案内役でついてきました。
日本局長のその男性は在日朝鮮人として中学まで日本で暮らして帰国したので、日本のことをよく知っている人でした。
 その3人との会話を通して、平壌の普通の市民生活を知ることができました。
例えば米や醤油は配給制であるという社会主義の仕組みや、日常生活に必要な石鹸や歯磨きも配給制ということ。
一方では大きなスーパーもできていて、お金を貯めることができれば、そこでものを買うこともできるということなどで、祖父母や親たちの時代とは変わっていくことを、そこで暮らしている人たちは感じていることも見えてきました。
人間が3食食べて暮らしを営むという日常生活を聞くことによって、つまり社会主義とか資本主義とか、民主主義とかということは別にして、基本的な当たり前の体験を知ることを通して見えてきたことがありました。
 会話を重ねていく中で、色々な話をしても大丈夫なのだ、自信がついてきたところで、日朝平壌宣言についての感触を聞くこともできました。
2002年に当時の小泉純一郎首相と金正日国防委員長が結んだ日朝国交正常化交渉を再開するということを宣言したものですが、その中に「拉致問題」「不幸な過去の清算」「核ミサイル防衛」と、今も引きずっている3つの大きなテーマが盛り込まれていました。
交渉はこの3つを、なんとか解決していこうというものでした。
 日本にいるときには、この3つの中で日本人の主眼としては拉致問題と核ミサイル問題だと思えていたのが、あちらに行ってみると別の視点から見えてきました。
それはすぐに解決されなければならないことであり、やろうとすれば案外すぐにできるはずのこととして、在日朝鮮人の地位の問題です。
最もシンプルなもので言えば、高校の無償化の問題です。
アメリカンスクールや他のインターナショナルスクールは無償化されているのに、朝鮮学校だけが無償化されずに差別されています。
これがなぜ問題になるかという理屈も、あちらに行って判りました。
朝鮮民主主義人民共和国の憲法第15条には、「海外に在住する朝鮮同胞の民主主義的民族権利と、国際法によって公認された合法的権利と利益を擁護する」とあって、たとえ海外に暮らしている子であっても、その子たちを守らなければいけないという意識があり、それに基づいて国交正常化の交渉事項に挙げられているのです。
 あるいは先ほど朴さんの話にあった参政権もそうだと思いますが、それらのようなすぐにできることも日本政府はやってきていないというのが、朝鮮民主主義人民共和国の反日感情の言説の一つになっていることが、平壌宣言の評価について話をしている中で徐々に判ってきました。
 日本では「拉致問題」が大変問題になっているので、そのことについても聞いてみました。
すると、「拉致の事実は国家の代表が認めて謝罪をしていて、今さら隠しても何の得にもならないのに、なぜ、まだ私たちが隠しているだろうと言われなければならないのだろう。
日本が調査したいと言ってきたので、お墓まで掘って調べてもらった。
そして無期限で調べてくださいと言い、要求通りのことをして帰ったはずだ。
それなのになぜ、日本ではこういうことが報道されないのだろう」と、言われました。
 どこかに情報の齟齬があるのは明らかですが、彼らが言っていることは日本では伝わっていません。
そして日本では、現地に行ったこともない専門家がTVに出ていろいろなことを話しています。
私は、あちらに行ってみてそのギャップを強く感じました。
それが判っただけでも、行った甲斐がありました。
 なぜ平壌宣言が暗礁に乗り上げたかは、そういった日本の事情もありますが、同時に2001年のアメリカでの同時多発テロという不幸な出来事もあります。
「テロとの闘い」を合言葉に、2002年にブッシュ大統領がイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し、2003年にイラク戦争に突入しました。
 何度かそういう危機を乗り越えて、米朝首脳会談が成功したのですから、今度はやはり日本の番だと思います。
日本の番だと思うときに、向こうで聞いてきた言葉をお伝えしたいです。
朝鮮民主主義人民共和国は、他国を攻撃するようなことはしませんよね?と尋ねたら、それに応えて金さんが言った言葉です。
「他国を攻撃する暇なんかないですよ。
過去の歴史を見たら、戦争を仕掛けるのは強国であり、アフガニスタンもシリアもイラクも、軍需産業で成り立っている米国が国家の存続のために戦争を作っています。
私たちには、それだけの経済力はないです。
私たちの第一の目標は、人民生活を高めることです。
経済を高めるには平和な環境が必要です。
周辺では、社会主義の側を下ろさせようとして制裁をしてきます。
ですから、自分たちを守れる力を養うしかないのです。
でも、他国と戦争をするなんて、とんでもない。
戦争をして豊かになれるわけはないのです」
キッパリと彼女は、そう言いました。
 私は、女性たちだけではなく男性も含めて、平和であってこその世の中であり経済であり、そのように一致している価値観で共に行動ができれば、197ヶ国はいずれ平和な世界が作れると思います。


2018年7月9日号「お知らせ」

◎「天福ノ島」東京公演、無事終了
 以前にお知らせした『天福ノ島』東京公演、7日は昼・夜2回の公演がありました。
今年1月に三春のデコ屋敷で上演された本公演のDVD上映と、今回の東京公演のために新たに作られた番外編の短編劇、休憩を挟んでゲストトークでした。
三春で観劇した時の感動が蘇り、そして番外編がまたとても素晴らしかったのです。
自由民権運動が潰されていった明治期と、原発事故から7年目の福島の状況が、より一層リアルに伝わってきて、そしてまたこれは「福島の物語」なのではなく、私の身に起きている今なのだと深く心に響きました。
 昼の部のトークは、影浦峡さん(東京大学大学院教育学研究科教授)お芝居台詞の中の一言から、自分自身また、人々の思考や行動について考えさせられる深いお話でした。例えば「するべきだ」という言葉がどんな時にどんな立場で発せられるのかなど、示唆に富み、自分自身の日頃の何気ない行動や言葉に思いを馳せました。
30分ほどの短い時間でしたから、もっとゆっくりお聞きしたい内容でした。
 夜の部では私が、「民権ばあさん」と「妹の力」をテーマに話しました。
明治期に日本の各地で自由民権運動が起きた頃「西の土佐、東の福島」と言われたそうですが、そのころの土佐の女性民権家、楠瀬喜多さんのことと女性性の持つ根源的な力のことをお話しました。
 8日は13:00〜の1回公演でしたが、この日も満席。
3回の公演がすべて満席で、多くの方が観てくださり本当に嬉しいことでした。
「『天福ノ島』東京公演 勝手に応援団」として集会でチラシを配布してきましたが、それを見ておいでくださった方たちもおいででした。
ありがとうございます。
この演劇の脚本・演出の大野沙亜耶さんをお若い方だと認識してはいましたが、この日に年齢(28歳)を知り大変驚きました。
いつかゆっくり彼女と話してみたいと思いました。

◎トークの会のお知らせ
「福島の声を聞こう!vol.28」のお知らせです。
日 時:8月17日(金)19:00〜21:00(開場18:30)
場 所:セッションハウス•ガーデン(新宿区矢来町158 2F)
参加費:1,500円(参加費は被災地への基金とさせていただきます)
 今回のゲストスピーカーは東京から福島県田村市へIターンで移り住み、原発事故で東京に避難している熊本美彌子さんです。
60歳の定年を機に、予てから希望していた田舎暮らしをと田村市に移住。
夫婦で鍬で200坪を開墾し、無農薬有機栽培で農業に勤しんできました。
だのに原発事故で、老後の夢が潰え、暮らしも一変してしまいました。
現在は被災者として東電•国の加害責任を求めて係争中です。
 私は集会や裁判傍聴の折に度々熊本さんにお会いしていますが、我が身のことだけではなく他の被災者の方達の立場にも思いを寄せて発言する熊本さんの言葉から、多くを学んでいます。
熊本さんのお話を、ぜひ多くの方にお聞きいただきたいと願っています。       

いちえ

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2018年7月6日号「お知らせ」

『天福ノ島』東京公演は、いよいよ明日からです。
今朝の毎日新聞に、紹介記事が載りました。
どうぞ、お出かけください。    

いちえ

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関連:

2018年7月4日号「7月3日国会前」

昨日お送りした『天福ノ島』東京公演のチラシは、表面だけでした。
裏面に詳しい情報がありますので、そちらを送信いたします。
大変失礼いたしました。
各回とも終演後にトークがあります。
7日14:00の回のスピーカーは、影浦峡(かげうらきょう)さん。
【東京大学大学院情報学環/教育学研究科教授】
7日18:30の回は、私が話します。
8日13:00の回は『天福ノ島』キャストの鈴木勇也さん、鈴木七恵さん、千葉乙寧さん。
モデレーターは、チグリハーブさん(歌手)です。
会場のシネマハウス大塚は、4月にオープンしたばかりですが心地よい空間です。
都立文京高校のすぐ前です。
どうぞお越しください。

いちえ

天福ノ島

関連:

2018年7月3日号「7月3日国会前」

7月3日、「アベ政治を許さない」国会前スタンディングの日でした。
いつもの仲間たちに新しい仲間も加わって、暑い日差しの下でプラカードを掲げて立ちました。
でも風があったのが幸いでした。
澤地久枝さんをはじめとして、70人ほどの参加でした。
国会開催中のためなのか、いつもよりも警備の警官、公安が多くたちました。
すでに顔なじみの他に若手の新顔たちも居て。
私は「天福ノ島」東京公演のチラシを50枚持参して配りましたが、後から来られた方の分は足りなくなりましたから。

配布したチラシの「天福ノ島」東京公演、いよいよこの週末です。
今年1月に三春で上演された公演を観て、ぜひ東京公演をと願って実現する今回の企画です。
多くの方にご覧いただきたいお芝居です。
どうぞ、お越しください。
きっと心に深く残るひとときになることと思います。          

いちえ

天福島


2018年6月30日号「6月24日集会報告①」

◎「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」主催第19回集会
 6月24日(日)、第19回「いま、語り 描き 写し 歌い 舞うとき」を催しました。
15年前の3月、アメリカ軍がイラクの首都バグダードへ空爆を開始し宣戦布告ないままイラク戦争が始まりました。
「イラクが大量破壊兵器を保有している」というのが、侵攻の理由でした。
米英軍の陸上部隊侵攻や各所への空爆が行われ、4月9日バグダード陥落。
5月1日当時のアメリカ大統領ブッシュが勝利宣言をし、12月にフセインは捕捉されました。
 日本では当時の小泉首相がアメリカを支持し、2003年にイラク特措法が強行採決され2004年1月、陸上自衛隊がイラクへ派兵されました。
アメリカを中心とした有志連合軍によるイラク戦争には、連日多くの市民が反対の声をあげて集会やデモを行っていました。
国会にイラク特措法が案件として上がり強行採決によって成立した過程でも、多くの市民が国会に馳せ参じて反対の声をあげました。
 そんな中で出会った女性たちと立ち上げたのが、この集会主催団体の「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」です。
歌で、カメラを通して、絵画やアートの力で、など「表現者はリレーする」として様々な手段で、戦争への道は歩かない!思いを訴えようと立ち上げたのでした。
 イラク戦争から15年、日本は今、ますます戦争への道へ進もうとしているように思えてなりません。
そんな今ですからキャッチフレーズを、「武器ではなく対話を 威嚇ではなく笑顔を」として開催した第19回集会でした。
集会は例年どおり、第1部「表現者はリレーする」、第2部「映画とトークの夕べ」の2部構成で行いました。

◎第1部「表現者はリレーする」
●朴慶南(ぱく きょんなむ)さん
*プロフィール
 作家・エッセイスト。
1950年、鳥取県生まれの在日韓国人二世。
命の大切さと人間の尊厳を軸に、誰もがその人らしく生きられる平和で平等な共生社会を目指して執筆すると共に、全国各地で広く講演活動を行っています。
★朴慶南さんのトーク
・素敵な挨拶
 ご存知の方も多いと思いますが朝鮮語で「こんいちは」を「アンニョンハセヨ」、丁寧に言う時には「アンニョンハシムニカ」と言います。
漢字で書けば「アンニョン」は「安寧」で、「安寧でいらっしゃいますか」という挨拶言葉です。
 北海道に行った時に、アイヌの人たちの挨拶言葉を覚えました。
「イランカラプテ」というのですが、「あなたの心に触れさせていただけますか」という意味だそうです。
「あなたの心に触れさせていただけますか」、素敵な言葉ですね。
互いの心に触れ合えば、争いや戦争はなくなると思います。
 昨日6月23日は沖縄慰霊の日でした。
酷い地上戦が行われた沖縄で、そして日本軍が武装解除した日が昨日でした。
昨日の慰霊式で中学生の女子生徒、相良倫子さんがとても素敵な平和の詩を朗読されました。
生きることがどれほど大切かが伝わってくる、素晴らしい詩でした。
沖縄では今も大変な基地の負担が押し付けられ、そして辺野古ではあれだけ沖縄の人たちが反対しているにもかかわらず、基地建設が進められています。
 沖縄には米軍基地がたくさんあり海兵隊が駐留していますが、いま東アジアでは平和の方に向かおうとしています。
・6月という月は
 4月27日、南北首脳会談が板門店で行われました。
あの映像を見ながら、私は涙がこぼれました。
きっと日本人の皆さんとは感じ方が違うかもしれませんが、「こんな日が来たんだ!こんな時が来たんだ!」
 思い起こせば2000年の6月13日、平壌空港に韓国大統領キム・デジュン(金大中)氏が降りて、当時の北朝鮮の最高指導者キム・ジョンイル(金正日)氏と握手したのでした。
その時も胸がいっぱいになって、鳥取に住む父にすぐに電話をしました。
父は7年前に亡くなりましたが、私は日本で生まれた在日二世ですが、父は7歳で日本に来ました。
父の故郷は朝鮮半島ですが、弟一家、妹一家は北朝鮮で暮らしています。
南北分断の狭間で、父は長い間、70数年も故郷に戻ることができず、北にいる弟や妹を思いながら、ひたすら平和を祈って、半島が一つになって会える日を願って生き続けていました。
その父に、「お父さん、見ていますか?」と電話をしたのです。
無口な父は一言、「見てる。泣いてる」と言いました。
いま父が生きていたら、あの板門店の光景を、どんな思いで見ながら泣いただろうと思います。
 明日の6月25日は、朝鮮戦争が休戦になった日です。
6月はいろんな思いが深い月ですが、朝鮮戦争は1950年に始まり1953年に休戦協定が結ばれました。
38度線を挟んで同じ民族が戦いあって、大変な悲劇で、離散家族は1,000万人とも言われています。
・38度線
 38度線がどうして引かれたか、みなさんご存知でしょうか?
それは、日本と大きな関係があります。
日本の植民地支配が36年間続き1945年8月15日、日本の敗戦と同時に私の国、朝鮮半島は独立を果たしたと言われていますが、しかし、独立は果たされていなかったのです。
まだそこは、日本の領土だったからです。
敗戦後の日本は米軍が占領していて、朝鮮半島は被占領国の日本のままだったのです。
 1952年サンフランシスコ平和条約が締結されて、占領のくびきから放たれました。
1945年の朝鮮半島は日本の領土のままでしたが、日本軍の武装解除という名目でアメリカとソ連がそこに入って引かれたのが、38度線でした。
そう思うと38度線は、歴史のつながりの中でいまに至っている事をわかっていただきたいです。(そう言って朴慶南さんは、大きくため息をつきました)
 明日6月25日は休戦協定が結ばれた日ですが、それを平和協定にする事が悲願です。
まだ、朝鮮では戦争は終わっていないのです。
まだ唯一戦争が終わっていない地なのです。
それが日本とは全く関係がない事ではないのです。
日本の植民地支配の流れの中で、朝鮮半島はいまも戦争で分断されているのです。
 実は、日本が北海道で分断されるという話もあったようです。
敗戦国ドイツは、戦争責任として東西冷戦の中で分断されました。
日本も同じように北海道で分断されそうになったのを、日本の身代わりのようにして朝鮮半島が冷戦の中で分断されたのです。
 そういう中で両首脳が、「これから朝鮮半島は平和の道へ向かっていくのだ。和解の道を進むのだ」という熱い思いの宣言を、板門店で出したのです。
・南北会談そして米朝会談実現
 その流れの中で6月12日、本当に行われるのかハラハラしながら見ていましたが、米朝首脳会談が行われました。
去年は、もう戦争が起きるのではないかと、一触即発のような空気が漂っていました。
それを一番歓迎して煽っていたのが、アベ政権です。
それ以前の自民党政権もそうでしたが、一貫して北朝鮮の非道さと脅威を挙げて、自分たちの延命と今の状況を作り出しています。
アベさんにとっては、朝鮮半島が平和になることを望んでいない。
トランプが米朝会談をやめると言った時に、唯一賛成したのがアベさんです。
 本来なら東アジアの安定が、日本の平和にとって一番大切なはずです。
それなのに東アジアに不安があるから、アメリカの核の傘の下にいなきゃいけない。
米軍基地がいっぱい必要だという状況を作っています。
 ムン・ジェイン(文在寅)大統領でなかったら、今日の南北首脳会談も米朝首脳会談も実現しませんでした。
ムン・ジェイン政権になって、「何があっても絶対に朝鮮半島で戦争を起こさせない」という思いが貫かれて、南北会談、米朝会談が行われたのです。
その前のパク・クネ(朴槿恵)政権、その前のイ・ミョンパク(李明博)政権だったら、南北関係は緊張したままだったでしょう。
・長い暗黒の時代があった
 ムン・ジェイン政権がどうして誕生したか、皆さん思い起こしてください。
テレビでよく報道されていましたね。
朝鮮半島は北も南も、本当に辛い時代を生きてきました。
38度線に分断され、イ・スンマン(李承晩)政権ができたあと1960年4月19日、学生たちが起ち上り李政権を倒しましたが、パク・チョンヒ(朴正煕)氏がクーデターを起こして軍事独裁政権ができました。
本当に辛い、長い暗黒の時代が続きました。
それは在日の私たちにも、無関係ではありませんでした。
私のいとこはソウル大に留学し、スパイ罪ということで捕まりました。
その時代、韓国に渡った学生たち、仕事に行った人たちがたくさん逮捕され、国家保安法で無実の罪で牢獄に繋がれ、いとこも6年間繋がれていました。
酷い拷問もありました。
 でも、裁判がやり直されて無実になった今、全て冤罪であった無実であったということで、いとこも数10年ぶりに法廷で裁判官が謝ったそうです。
若者に本当に酷い罪を着せて青春を奪ったことを心から謝罪しますと言って、国家が正式に謝罪しました。
 「タクシー運転手」という映画が上映されていますが、それは、そういう長い苦しい時代の中での1980年5月18日、光州事件を描いています。
パク・チョンヒ氏が腹心に銃で撃たれた後、チョン・ドゥファン(全斗煥)という軍人がまたクーデターを起こしました。
そして光州の人々が民主化を求めて、起ち上がったのですが、その市民に向けて空挺部隊を送り銃を向けて、市民を虐殺したのです。
それは一切外に漏らさないように、報道は全て逆のことを流し、外部を遮断して情報が漏れないようにしたのです。
映画「タクシー運転手」は実話です。
タクシー運転手がドイツの記者に「光州まで行って欲しい」と頼まれて乗せ、入れない光州に本当に頑張って光州に入り、ドイツ人の記者がその模様を撮って世界に発信したのです。
 光州事件が起きたのが1980年で、そういう中でやはり6月ですが、1987年に民主化が成し遂げられたのです。
そしてノ・テウ(盧泰愚)大統領が誕生しましたが、それも6月でした。
それも6月の忘れられない記憶の一つです。
 そういう中でキム・デジュン政権、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権と続きましたが、その後で揺り戻しがあって、イ・ミョンパク政権、パク・クネ政権と、保守政権になりました。
・初めて手にした選挙権
 日本で生まれ育った私は日本で選挙権がなくて、地方選挙でも国政選挙でも投票できません。
選挙権がないまま、60歳まで生きてきました。
在日の私たちが日本で選挙権がないことを言うと、自民党の議員は「韓国だってやっていないから同じじゃないか」と言いますが、韓国では定住外国人は地方選挙権が所与されて、私たちもパク・クネ氏とムン・イジュン氏の大統領選の時に初めて選挙に参加できました。
60になって初めて選挙投票したのです。
幽霊のような存在だった自分が、人間として認められたような気がしました。
そしてムン・イジュン氏に投票したのですが、わずかな差で破れてパク・クネ政権になりました。
 そして誕生したパク・クネ政権の時にはみなさんご存知でしょうが、本当に色々な事件がありました。
何よりもセウル号事件の時には、たくさんの若い学生が犠牲になったのに、それに対してしっかりと対応しなかったのです。
しかもメディアは、全く虚偽の情報を流し続けました。
・ろうそく革命
 そうした中で、韓国の民衆は「ろうそく革命」をしたのです。
市民革命です。
平和的なデモに延べ1,700万人が参加したと言われます。
人口5,000万人の国で、1,700万人がろうそくの火を灯して、自分たちの意思を表したのです。
その「ろうそく革命」が、ムン・イジュン政権を誕生させたのです。
 これまで韓国の民衆は、本当に血を流してきました。
私の知り合いのお兄さんは、4月19日の学生革命で銃で撃たれて命を奪われました。
たくさんの人が血を流して闘い、自らの手で民主主義を守り抜いて今の政権を作り上げたのです。
セウル号事件はパク•クネ政権の時でしたが、全く虚偽の情報が流されました。
その前のイ・ミョンパク政権時から、ひどい言論封殺が行われてきました。
韓国の代表的テレビ局はKBC(公営放送)とMBC(文化放送)とありますが、2008年に米国産牛肉輸入問題について放送されると、市民たちの大規模なデモが起きました。
するとイ・ミョンパク政権はKBC社長を突然解雇し、KBCだけでなくMBCのアナウンサー、プロデューサーなどを解雇したり番組を降ろしたり、閑職に回したりしました。
MBCで調査報道番組の責任プロデューサーだったチェ・スンホ(崔承浩)さんも、解雇されました。
KBCもMBCも大規模なストライキを敢行し、市民も起ち上がったのです。
市民たちが出資して市民メディア「ニュースタパ(打破)」を立ち上げてチェ・スンホ氏が社長になりました。
真実の情報を流し、そしてろうそく革命が起きました。
映画「共犯者たち」はニュースタパが製作したドキュメンタリー映画で、チェ・スンホさんがKBCやMBC関係者に鋭くインタビューを重ねています。
 政府による言論操作はパク・クネ政権にも引き継がれましたが、市民革命が起きて民主政権が誕生すると、旧政権時の人事は一掃され、チェ•スンホさんはMBCに社長として復帰しました。
・私たちは、沈黙してはいけない
 チェ・スンホさんは映画の中で言っています。
「私たちは沈黙しなかった。沈黙しなかったことを子どもたちに伝えられる」
今の日本もメディアは自主規制して伝えて欲しいことを伝えずどうでもいいことばかりを流していますが、これもメディアに裏から手が回っているのかと思います。
私たちは沈黙してはいけないと思います。
戦争に向かおうとするアベ政権に、沈黙してはいけないと思います。
ご一緒に声を上げていきましょう。
●李政美(い ぢょんみ)さん
*プロフィール
 韓国済州島生まれの両親のもと、6人兄弟の末っ子として東京・葛飾で生まれる。
幼い頃はアボジ(父)が歌う韓国歌謡曲を聴いて育つ。
オペラ歌手を夢見て、民族学校から国立音大声楽科に進む。
音大入学前から、在日韓国人政治犯救援運動の集会などで歌い始める。
肉体労働、定時制高校教師などを経て、30歳半ば頃からオリジナル曲を作り始め、以来、自作曲を中心にジャンルを超えた幅広いレパートリーで、ライブ、コンサートを展開。
2003年には、韓国・ソウルでの初ソロコンサートを実現。
現在は、日韓両国で年間役100回のコンサートを行っている。
今夏、3年ぶりとなる待望のニューアルバム「おとと ことばと こころで」を発表。
★李政美さんの歌
「こんにちは。キョンナムの妹のイ・ジョンミです。キョンナムが色々話してくださったので、私は歌に専念します」と言って、3曲歌ってくださいました。
 一曲目は与謝野晶子の♪君死にたまうことなかれ♪
次は韓国映画『キヒャン(鬼郷)』のテーマ曲♪パシリ♪
『鬼郷』は、従軍慰安婦とされた14歳の韓国人少女の過酷な運命を描いた映画だそうですが、主題歌の「パシリ」は、古い高麗時代の伝承歌謡だそうです。
最後の曲は♪奪われた野にも春は来るか♪、これは私の大好きな李相和(イ・サンファ)の詩に、ジョンミさんが曲をつけたものです。
韓国の太鼓を叩きながら歌ってくれました。
 日本統治時代の1926年に書かれた詩です。
   奪われた野にも春は来るか   作・李相和
私はいま全身に陽射しを浴びながら
青い空 緑の野の交わるところを目指して
髪の分け目のような畔を 夢の中を行くように ひたすら歩く

唇を閉ざした空よ 野よ
私一人で来たような気がしないが
おまえが誘ったのか 誰かが呼んだのか もどかしい 言っておくれ

風は私の耳もとにささやき
しばしも立ち止まらせまいと裾をはためかし
雲雀は垣根越しの少女のように 雲に隠れて楽しげにさえずる

実り豊かに波打つ麦畑よ
夕べ夜半過ぎに降ったやさしい雨で
おまえは麻の束のような美しい髪を洗ったのだね 私の頭まで軽くなった

ひとりでも 足取り軽く行こう
乾いた田を抱いてめぐる小川は
乳飲み子をあやす歌をうたい ひとり肩を踊らせて流れてゆく

蝶々よ 燕よ せかさないで
鶏頭や昼顔の花にも挨拶をしなければ
ヒマの髪油を塗った人が草取りをした あの畑も見てみたい

私の手に鍬を握らせておくれ
豊かな乳房のような 柔らかなこの土地を
くるぶしが痛くなるほど踏み 心地良い汗を流してみたいのだ

川辺に遊ぶ子どものように
休みなく駆けまわる私の魂よ
なにを求め どこへ行くのか おかしいじゃないか 答えてみろ

私はからだ中 草いきれに包まれ
緑の笑い 緑の悲しみの入り混じる中を
足を引き引き 一日 歩く まるで春の精に憑かれたようだ

しかし、いまは野は奪われ 春さえも奪われようとしているのだ
                    (訳・徐京植 ソ・キョンシク)

*集会第1部「表現者はリレーする」はこの後、杉原浩司さん(NAJAT)と、まさのあつこさん(ジャーナリスト)のトーク、佐藤道代さん(ダンサー)のダンス、西尾綾子さん(伊達判決を生かす会)と湯川れい子さん(音楽評論家)のトークがありました。
後の方のお話の報告は、次号に続きます。                 いちえ


2018年6月25日号「お知らせ」

◎お知らせ
 以前にもお伝えしましたが、「はっぴーあいらんど☆ネットワーク演劇プロジェクト」の【天福ノ島】東京公演のお知らせです。
今回の公演は1月に福島で上演された本編のDVD上映と、その本編に関する短編の芝居を上演します。
 私は本編上演を1月に三春で観て、ぜひ東京公演をして欲しいと願っていました。
多くの人に観て欲しい!と思ったからです。
それがこうして叶うことがとても嬉しく、ぜひ、ぜひ皆さんにもご覧いただきたいと願っています。
 演者たちのお芝居も見事だったのですが脚本が素晴らしく、明治期の青年たちの思いと、原発事故後の福島の人たちの思いが重なって今を生きる私たちの胸に迫ってきます。脚本を書いているのは大野沙亜耶さんという素敵な女性ですが、今回の東京公演にあたっての彼女のメッセージを下記します。
「数回稽古してみて、これはいいお芝居になるという気がしています。
本編だけではな区、番外編もぜひ観て欲しい、と胸を張って言えるものになりそうです。
《本編》は、2017年の福島に住むある家族と、1882年の福島で自由民権運動の先頭に立った青年民権家たちの物語。
《番外編》は、2017年の福島に住むある家族と、1888年の福島が舞台です」

日時:7月7日(土)14:00・18:30(2回公演)
     8日(日)13:00  ※受け付けは開演の1時間前、開場は30分前です。
場所:シネマハウス大塚(豊島区巣鴨4−7−4−101)
一般前売り:2,000円/当日2,200円  高校生以下1,000円
予約:Web http://www.happyisland-network.com/ticket
はっぴーあいらんど☆ネットワーク演劇プロジェクトvol.2「天福ノ島」
www.happyisland-network.com
はっぴーあいらんど☆ネットワーク演劇プロジェクトvol.2「天福ノ島(てんぷくのしま)」のホームページです。

メール happy.island311@gmail.com
   電話 090−5237−4312(事務局・鈴木) 

 どうぞ、ご参集いただけたらと願っています。
きっと、「ああ、この日ここに居て良かった!」と心に刻まれる時を過ごしていただけると思います。                         

●昨日の「戦争への道は歩かない!声をあげよう女の会」第19回集会は、無事終了しました。
後ほど集会の報告をお伝えしようと思います。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。             

いちえ

天福島

関連:

2018年6月23日号「6月22日「安保法制違憲訴訟・女の会」裁判傍聴」

◎安保法制違憲訴訟
 2018年5月現在、安保法制違憲訴訟は全国21都道府県で28件の裁判が行われていますが、さらに8月2日には、愛知県(名古屋地裁)での提訴が確定しています。
私は東京での国家賠償請求訴訟の原告になっていますが、件名の女の会の訴訟にはサポーターとして参加しています。
 22日(金)東京地裁第103号法廷で第5回口頭弁論が開かれ、傍聴してきました。

◎安保法制違憲訴訟・女の会 第5回口頭弁論(「です。ます」調で話されましたが、「だ。である」調で記します)
●原告本人根津公子さん意見陳述
 安倍政権が安保法制を成立させ戦争ができる国にしたことと並行して、学校教育を国家思想を注入する場にしたことで、私が受けた被害、この政治が続けばさらに受けるだろう被害について陳述する。
 父は関東軍の兵士だった。
18歳の時に読んだ書物から侵略地での日本兵の虐殺行為を知り、虐殺した日本側の兵士の子であることを自覚し、この事実と向き合って生きていくことを決意した。
同時に、この大事な事実をなぜ学校教育では教えてくれなかったのかと思い、東京都の中学校の教員になった。
 事実の提示を教育活動の柱に据えて、仕事に当たってきた。
「お国のために」死ぬことを美徳とする戦前の教育はもちろんのこと、戦後も政府や大企業に都合が悪いことは隠して教えないような教育には加担しないと誓い、事実をもとに生徒が自ら考え行動できるよう教育活動をしてきた。
 その中から「日の丸・君が代」に絞り、陳述する。
 敗戦後、侵略の象徴だった「日の丸」と天皇の世を讃える「君が代」は学校から姿を消したが、1958年告示の学習指導要領で復活した。
1989年告示の学習指導要領は「指導するものとする」と明記し、事実上の強制が始まり、東京都教育委員会は2004年から「君が代」不起立処分を始めた。
 私が1990年代に在職した八王子市の石川中学校では、1994年の卒業式でも職員会議で「日の丸は掲揚しない」と決定していたが、卒業式の朝校長は、大半の生徒たちが「校長先生揚げないで」「降ろして」と叫ぶ中を、その声が聞こえないかのように校庭のポールに掲げた。
校長が掲げた日の丸を降ろそうと校庭に出てくる生徒もいたので、私は生徒に降ろさせてはいけないと思い、我が手で降ろした。
 中学生も史実が提示されれば自分で考え判断する。
石川中の教員たちは、とりわけ私が所属した学年の教員集団は、生徒を管理や指示の対象としないと決め、自治の力を引き出す指導をした。
 侵略や原爆、オキナワ、差別問題など、この国に住む者として知っておくべきことに学年全体で取り組んだ。
「日の丸・君が代」についても、戦前の修身の教科書を使った学習から、生徒たちは「日の丸」は侵略に使った旗であり、「君が代」は国民主権の憲法に違反する歌と捉えていたと思う。
また、校長一人の考えでみんなの決めたことを反故にしてはならないと思っていた。
だから生徒たちは、校長の掲揚行為を許さなかったのだ。
日本の中学生・高校生が黙っているのは、学校が事実を知らせないからだ。
 当時東京の中学校で「日の丸」を掲揚していないのは石川中を含む2校だったから、都・市教委の指示・介入は凄まじく、校長は思考力を失っていたのだろう。
後日、生徒たちから「700対1(700は生徒数)で『日の丸』を掲げるのはおかしい」と批判された校長は、「教育行政とはそういうものだ。生徒会で決議しても掲げる。命令に従うのが校長の職務」と、平然と生徒たちに言い放った。
教育に携わるものの言う言葉ではないが、指示命令に組み込まれると思考力・判断力を失い、命令の遂行に突進する。
これが指示命令の本質だ。
 この校長だけでなく全国の校長がそうだし、また例えば、欠陥車の製造であるのを知りながら企業組織の指示命令・秩序を優先し不正を放置する事例は、いくらでもある。
 私は石川中に在職し、1000人の生徒と出会ったが、小学校の早い段階から不登校だった一人を除いて、不登校はゼロだった。
生徒たちの誰もが学校に居場所・活躍の場があったからだと思う。
当時社会では「キレる中学生」と言われていたが、石川中には無縁のことだった。
日本の子供たちは自己肯定感が低いと言われるが、それも、指示に従うことばかりが求められ、自ら考え判断し、行動することが奪われているからに他ならない。
 私は2005年から2009年まで毎年「君が代」不起立処分を受けた。
「3回不起立をしたら免職」と校長が言ったので、次は免職かとその度に怯え、覚悟したが、それでも起立しなかったのは、「日の丸・君が代」の意味や歴史を教えずに「日の丸」に正対させ、「君が代」を起立斉唱させるのは、自ら考えずに指示に従うことを教え込むことであり、再び戦前のように兵士を育成することにつながると考えたからだ。
 また生徒たちに、指示命令に従わなくても良いことを、私の行為を通して考えて欲しいと思ったからだ。
指示に従うことが習慣化されれば、人は考えることを放棄し、理不尽な扱いをされても泣き寝入りするしかない。
戦争に行けと言われれば、行くことになる。
生徒たちにこの先、そうした人生を歩んでほしくないと思った。
 文科省は2014年、社会科の教科書検定基準に「政府見解」を記述することや、「特定の事柄を強調しすぎないこと」を加えた。
また自民党は、2016年7月に、「政治的中立性」を逸脱する教員の密告を、インターネットを通じて呼びかけた。
名古屋の中学校教員が、「与党の自民・公明が議席の3分の2を獲得すると、憲法改正の手続きをとることも可能になる。そうなると、戦争になった時に行くことになるかもしれない」と授業で言ったと密告され、自民党からそれを通知された教育委員会は「政治的中立性を逸脱している」として、その教員を謝罪させた。
こうした事例一つで、全国の教員は萎縮する。
 教科書に記載がなくても子供たちに必要と考えれば、それを授業で取り上げてきた私が今、現役であったなら、教科書検定基準や密告で処分は必至だったと思う。
また当時、私の授業を受けてきた生徒たちの中には、根津の授業は偏向教育だったかと疑念を持つ人も出るかとも思う。
それは教員として行ってきた私の、全仕事が否定されることだ。
そしてこれまで以上に子どもたちの知る権利・学ぶ権利が奪われることに、私は耐えられない。
 安保法制に合わせるために改憲し、若い人たちが戦争に駆り出される危険を、私も感じている。
先の侵略戦争突入について、当時の多くの人たちが「まさか戦争になるとは思いもしなかった」というのを聞く。
今も、安保法制があっても戦争に行かされることはないと思っている人たちは少なくないと思う。
しかし戦争を発動するのは政府であり、改憲や法令を小さく生んで大きく利用するのは、権力者の常套手段だ。
安保法制を撤廃し、憲法9条を堅持しない限り、私の平和的生存権は脅かされ続ける。
●原告本人渡辺美奈さん
 私は、日本軍性奴隷を中心に戦時性暴力の被害と加害を伝える資料館、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)を運営して、今年で13年になる。
新安保法制の成立により、女性の人権を守りアジアの人々との信頼を築きたいと活動する私たちへの脅威が増していることを陳述する。
 私が女性の人権に焦点を当てて活動するようになったのは、1990年代半ばからだ。
1994年に開かれた「第1回東アジア女性フォーラム」の準備に関わったことをきっかけに、元朝日新聞記者の松井やよりさんのもとで働き始めた。
翌1995年は、敗戦から50年の節目で、国連世界女性会議がアジアで初めて開かれ、沖縄で少女が3人の米兵から性暴力を受けた年だった。
女性の人権について学び始めた20代の私は、日本軍の「慰安婦」にされた女性たちや沖縄での性暴力被害を聞き、日本の女性の重たい責任に気付かされた。
 1990年代はまた、世界中で女性に対する暴力根絶に向けた大きなうねりが起こった時だった。
冷戦後の紛争でも強かんが戦争の手段として使われたのは、戦時の強かんを裁いてこなかった不処罰の歴史が原因であるとの認識から、1998年に合意された国際刑事裁判所のローマ規定には、強かんや性奴隷が戦争犯罪・人道に対する犯罪として定められた。
このプロセスで、「慰安婦」にされた女性たちの証言は大きな貢献をしたというが、日本軍性奴隷制の加害者は裁かれないままだった。
 松井やよりさんは、グローバル市民社会による民衆法廷を提案し、2000年に東京で「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開かれた。
「法は市民社会の道具である」と位置付けたこの法廷は、戦後の東京裁判で裁かれなかった日本軍性奴隷制に関して、証拠を調べ、認定された事実に当時の国際法の原則を適用した。
私はこの時インドネシア検事団のための調査支援を担った。
2001年12月にハーグで下された最終判決では、天皇裕仁を含む10人の軍高官が日本軍制奴隷制の設置に責任があるとして有罪を認定された。
女性国際戦犯法のジェンダー正義の思想を引き継ぎ、次世代への教育と活動の拠点として2005年に設立したのがwamだった。
 「現代の紛争では兵士であるよりも女性であるほうが危険である」と言われるように、紛争下の女性に対する暴力は、国際安全保障の問題であるとの認識はさらに高まっている。
国連安全保障理事会は2000年に「女性・平和・安全保障」に関する1325決議を採択したが、この決議を実施するための「国別行動計画」策定に日本政府がようやく着手したのは2013年だった。
 私はこの策定に市民社会側から参加するチャンスを得て「東アジア・序文」と名付けられた小グループ長を担い、2013年から2015年にかけて12回あった会議のほとんどに出席した。
会議で私は、日本政府がこの行動計画に取り組む、その背景と意思を示す序文で、日本軍性奴隷制という重大な人権侵害を犯した過去を位置付けることを求め続けた。
最後に議論した際の文言は、「戦争を含む過去の歴史の中で、女子の名誉と尊厳が深く傷つけられ、多くの女子に対する暴力が引き起こされた。日本は、これを真摯に受け止め、その反省に立って…」というものだった。
一見、「慰安婦」という言葉も入らず、女性を傷つけた主語もないが、「日本は、これを真摯に受け止め、その反省に立って」と外務省が残したのはギリギリの努力だと思った。
しかし約8ヶ月後の2015年9月29日に安倍首相が国連で発表した行動計画からは、上記の文言はすべて消えていた。
「21世紀こそ、女性の人権が蹂躙されない時代に」との安倍首相の演説は空虚に響き、日本軍性奴隷の被害者も、沖縄の女性も、安全保障の対象でないことを明確にした。
それは奇しくも2015年9月19日に新安保法制を強行採決したわずか10日後のことだった。
 2005年にオープンしたwamには、攻撃的なメールや電話は日常的にあり、「放火すればすぐ燃える」とネット上の掲示板に書かれたり、「在日特権を許さない市民の会」等を名乗る者、20数名がwamに押しかけてきて、妨害行為をしたこともあった。
新安保法制が強行採決された2015年9月19日以降、攻撃はより犯罪性が高いものになっている。
 2016年10月6日、「朝日赤報隊」を名乗る者から、「爆破する 戦争展示物を撤去せよ」と書かれたハガキが届いた.
wamでは戸塚警察署に被害届を出し、「言論を暴力に結び付けない社会を」と題した呼びかけ文を新聞・通信社に送付した。
この事件の2日前に産経新聞に掲載された櫻井よしこ氏の「日本の敵は日本人なのか」と題した記事の中で、wamと私の名前が明記され、文脈上、私は「日本の敵」と名指しされていたからだ。
 翌2017年の5月3日、ちょうど朝日新聞記者に対する赤報隊テロ事件から30年目の日に、またもや同様の爆破予告の書簡が届き、今度は封筒に黒い粉が入っていた。
戸塚警察署に被害届を出し、この黒い粉を鑑定して欲しいと伝えたが、警察署はゴールデンウィーク中だから鑑定出来ないと言った。
再三の確認にも返答はなく、この黒い粉が火薬であると知らされたのは10月だった。
 2018年2月23日、朝鮮総連本部に砲弾が撃ち込まれた事件があったが、、その容疑者の一人である桂田智司氏は、2017年4月1日にwamが主催した「第1回日本軍『慰安婦』博物館会議」の際に、会場前でヘイト・スピーチを繰り返した一人だった。
拳銃を入手できる者が、私たちへのヘイト行動を行っていることを実感させた出来事だった。
2018年3月9日、衆議院内閣委員会において、杉田水脈議員は、女性国際戦犯裁判について「天皇陛下とかを不敬なことに裁いて」とし、私の名前を名指しした。
事実誤認も甚だしい杉田水脈議員の発言はツィッターで流され、流通している。
 ドイツに事実上「亡命」した辛淑玉さんは、「極右テロは、メディアがまずターゲットを指さし、極右のならず者が引き金を引く形で連携的に起こる」と語っている。
このような事件を列記するだけでも、新安保法制の強行採決以降、多様な意見を認めず、旧日本軍の残虐行為に向き合う活動や、日本に住む外国籍の人々の人権を守る活動を「反日」と名指し、国家の方針に反するので攻撃していいとのメッセージが強まっていると思う。
新安保法制は、「敵」を作り出し、その「敵」に対して暴力を問題解決の手段として行使することを正当化した。
このような軍事化に反対して活動する私は「反日」と名指され、実際に攻撃対象にされている。
裁判所は、新安保法制を違憲と判断し、法の番人としての役割を果たされるよう願う。
●原告代理人角田由紀子弁護士
 原告代理人として準備書面(13)について説明する。
準備書面(13)は本件安保法制法が、沖縄県にどんな悪影響、被害をもたらしているかを、「琉球処分」から始まる沖縄の歴史を視野に入れて、その地に暮らす高里鈴代に起きていることを具体的に考察したものだ。
 沖縄を焦点にして安保法制法の問題点、それが引き起こす被害を考察するのは、沖縄の人々は戦後のアメリカ軍占領時代、日本への復帰及びその後から現代に至るまで、本土とは違う苦難・苦痛・被害を強いられてきているからだ。
それは、安保法制法の制定・施行によって以前にも増して厳しいものとなっている。
 原告高里は、5歳の時に父の勤務先であった台湾から一家で沖縄に引き上げてきた。
それ以来70年余りを沖縄で生きている。
他の県民と同様に原告高里は、日本国憲法の及ばない長い時代を生きてきた。
本土復帰は、形式的に日本国憲法を適用しただけで、原告高里にも他の県民にも平和的生存権を保障しなかった。
米軍基地がそれまで通りに存在し続けたからだ。
日本の国土面積の0.6%しかない沖縄に、日本にある米軍専用施設の実に70.4%が集中している。
この数字だけから見ても、原告高里ら沖縄に暮らす人々がどんなに危険にむき出しで晒されているかが理解できる。
70.4%は地上だけの話ではない。
空も地中も米軍による危険にさらされている。
空からは米軍機やその部品がいつ降ってくるかわからず、現に降ってきている。
6月11日には米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機が海上に墜落する事故が発生している。
地中には米軍基地による環境汚染が放置されており、返還跡地としてそれを使うには安全確保の措置は、全て沖縄県民の負担で行われている。
 平和的生存権は、軍事的な危険にさらされないということだけではない。
毎日の生活の安全と安心が保障されるのが、平和的生存権の大事な働きだが、原告高里らにはいかなる意味でも平和的生存権が保障されていない。
 沖縄では、平和的生存権は安保法制によって、さらに危ういものになっている。
米軍機による事件・事故は日を追って増えている。
これは安保法制法により自衛隊が米軍、多国籍軍との共同作戦、武力行使を伴う任務遂行が増えたことと密接な関係があると考えざるを得ない。
 原告高里ら沖縄県民は、現に世界各地で戦争をしている軍隊と隣り合わせで生活せざるを得ない。
この「隣り合わせ」は決して比喩ではない。
沖縄の人々は広大な基地の間に残された土地で、肩を寄せ合って暮らすしかないのだ。
沖縄の空は米軍の管理下にあるので、人々は米軍機の騒音の直下で生活するしかない。
裁判所は騒音の被害は認めるが、自分たちには飛行停止を求める権限が及ばないと言って、騒音にさらされ続ける人々を見放し続けている。
 安保法制が閣議決定された2014年7月1日は、一時停止していた辺野古新基地建設工事が、「待ってました」とばかりに再開された日だ。
それ以来今日まで、県民の民意を一顧だにしない政府のもとで工事は続けられている。
原告高里は、辺野古新基地反対運動の先頭に立って闘ってきているが、今年の4月23 日には機動隊の排除行為の結果、1ヶ月の療養を必要とする骨折をさせられた。
 原告高里の痛みは、もちろんこれだけではない。
原告高里は、米軍の占領と同時に米軍人による女性たちの性暴力被害という新しい戦争が始まったこと、その戦争は今日まで止むことがないことを、女性たちの身近で彼女たちを支えながら見てきている。
ベトナム戦争時代には、沖縄の女性たちが米軍人たちの狂気の犠牲になった。
原告高里は、そのような女性たちとともに生きてきた。
厳しい環境下にありながら、それでも少しずつ前進を実感してきていたが、安保法制法はそのように営々として築いてきたものを破壊するものであり、原告高里の生き方そのものを否定するものだ。
辺野古に、より強力で半永久的な基地が作られることは、戦争がもたらす被害も半永久的であるわけなので原告高里は身体の痛みを抱えながらも、じっとしてはいられない。
米軍基地の存在がもたらす被害の大きな部分は、女性への性暴力だ。
それも基地の半永久化とともに続くと考えられる。
2016年4月のうるま市での女性の被害者が、それを示している。
 「戦争は終わっていなかった」ことを、原告高里は安保法制法の実施によって強く実感させられている。
辺野古新基地建設工事の強行される中で、原告高里には、怒り、恐怖、悲しみ、苦しみとあらゆる感情が交差している。
戦争が終わるという希望を持てない社会に生きているとはどういうことなのか、かつて戦場であった沖縄で原告高里は、身体の痛み以上にそのことを考え苦しみ続けている。

◎閉廷後の報告会
 閉廷後、参議院議員会館で報告会が持たれました。
●中野麻美弁護士
 これまでに法律の中身と制定過程の暴力性に関して11本の準備書面を提出していたが、さらに12〜17準備書面を提出した。
そこでは労働や教育その他を中心にして主張している。
平和・安全保障の問題は軍備とイコールで考えられがちだが、安全・平和とは何かを根本から問い直し主張している。
特に準備書面12で平和憲法があるから国際的に安全だったが、信頼感の面では低かったことを訴えた。
2015年安保法制強行採決、2014年解釈改憲を経て、格段と信頼感は下がっている。
安保法制で戦争ができるようになったという価値観が生まれた。
2014年から虐待なども増えている。
 沖縄に関して
①日米同盟を格段に強化するポイント、基地の島沖縄が最も影響を受けている。
②軍事同盟を前提とする安全保障
 本来の安全保障は軍事同盟を前提としてはならない。
なぜなら軍事同盟は敵国を想定している。
この体制に従うと、そうではない立場を「反日」と呼びそれを敵とみなしても構わないという分断を生む。
③武力行使で紛争解決
 解釈改憲も武力行使しないという国是と、全く相反する。
国是としての平和教育を否定し真逆に向かう。
●角田由紀子弁護士(準備書面13)
 全国に広がっている安保法制違憲訴訟で、沖縄の問題を特化しているのはこの「女の会」だけだ。
世界で戦争している米軍海兵隊と隣り合っているのが、沖縄の人たちだ。
戦後ずっと捨て置かれた沖縄が安保法制で、なおいっそう深刻になっている。
沖縄の問題を女性の立場から特化して主張した。
●渡辺美奈さん(準備書面15)
 警察が暴力的になっている。
軍が行った非人道的行為には①強制集団自決②南京虐殺③慰安婦と、大きく3つあるが、国外にも被害者が多い「慰安婦」について陳述した。
●根津公子さん(準備書面17)
 国家の価値観を、学校教育で注ぎ込んでいる。
起立・礼が国家の価値観を強いていることだ。
国家の価値観を注ぎ込み、それを通して戦争へ送り込む教育が進んでいる。
 現在、東京ではオリンピック教育が週に1回行われていて、都は読本を作って35時間を割り当てている。
アスリートを招いて講演会を開催するなど、1校に30万円予算が出ている。
オリンピック開会式、閉会式で国旗を掲揚し、国家を歌わせる。
これについて教育委員会では、日本オリンピック協会の方針なのでこれに従うとしている。
また「マスコット投票」として小学生に3つの中から選ぶとさせてマスコットを決定したが、この宣伝をしたのは文科省だった。
これは例えば家庭によってはオリンピックに反対という家庭で、日頃そんな話が家の中で出ていると投票したくないと思う子供もいるだろうが、参加させられる。
自治体の長が教育委員長なので、自治体にマスコット投票参加の自治体を募ったら、
23区中、文京区を除いて全てが投票した。
他の教科時間を割いて、オリンピック教育をしている。
 「日の丸・君が代」は卒業式などで一人でも立たない生徒がいたら、式を始めないとされている。
●参加者から
 娘は中学の卒業式で起立しなかった。
予行練習の時に起立しなかったら、担任が泣いて「起立してくれ」と頼んできた。
それでも本番の時に起立しなかった。
高校受験の時、担任は娘に志望校のランクを下げるように言った。
なぜかと尋ねると「あなたの内申書はゼロ点しかあげられない」と。

※「安保法制違憲訴訟・女の会」次回の口頭弁論は10月17日です。    

いちえ


2018年6月22日号「裁判傍聴 6月20日福島原発刑事訴訟」

◎第18回公判
 20日(水)、福島原発刑事訴訟の第18回公判が開かれました。
東京電力の原子力設備管理部の金戸俊道さんが証人として、検察官役指定弁護士の渋村弁護士の尋問を受けました。
 金戸さんは平成8年に東電に入社し、津波対策を統括するグループに配属されグループマネージャーだった酒井さん、津波対策に中心的役割を担った課長の高尾さんの下で津波高の計算や他社との連絡などの実務にあたっていました。
●証人尋問、金戸氏証言
 酒井氏あるいは高尾氏から福島原発のバックチェックをするよう言われ、東電設計の久保氏と打ち合わせを行い、久保氏からバックチェックには地震本部の長期評価を取り入れないとまずいのではないかと、アドバイスを受けた。
この件を上司に報告した記憶は定かでないが、報告はしたと思う。
 長期評価は国のトップの学者たちがまとめた意見だから、これをとりいれずに安全審査が妥当だと評価されることはないと思っていた。
※これは酒井氏も高尾氏も同様に証言しており、津波対策を担当する現場では共通の認識だったことが改めて明らかになった。

 平成20年3月に、「長期評価」に基づいて最大15,7mの津波が襲うという計算結果をまとめ、沖合に防波堤を設置した場合などを検討し、6月には高尾氏とともに武藤副社長に報告をした。
 しかし7月に、武藤副社長は「さらに研究を続ける」と告げた。
これは時間をかけて検討するという経営判断だと思い、それには従うべきだと考えた。
長期評価では福島沖の巨大津波を伴う地震は絶対に起きるとは言えず、津波の高さや安全審査に通らないリスクも伝えて報告したつもりだったが、絶対に起きるかどうかわからないものについての経営者の判断だと思い、社員は従うべきだと思った。
長期評価を取り入れるかどうかは土木学会に研究が委託されたが、いずれは対策が必要になるだろうと思っていた。
 津波対策の実務担当者として他社と何度もやりとりをし、平成19年の会合では「三陸沖から房総沖の領域のどこでも巨大津波を伴う地震は起きうるとする長期評価を明確に否定する材料がないとすれば、長期評価を取り入れざるを得ない」と説明した。
これに対して女川原発を持つ東北電力の担当者は、「地震が三陸沖と福島県沖をまたいでで起きる波源モデルは考慮しないことにすれば、対策は取らずに済む」と言ったが、「それは難しい」と答え、電力会社間でも長期評価の取り扱いは議論になっていた。
平成20年には東海第二原発を持つ日本原電の津波担当者から、「主要施設設備建屋も浸水」「当社も非常に厳しい結果」などと書かれ防潮壁の設置や建屋の水密化などの対策を検討している旨が記されたメールが届いた。
 このように電力会社間で長期評価に関して議論は交わされてきたが、東電が対策を保留したことを受け、各社は共同で土木学会に研究を委託した。
※尋問の終わりころになって渋村弁護士から、3・11の地震の時にどう思ったか、対策を取っていれば事故を防げたと思うかを問われると、証人は次のように答えた。
「あの対策をしていたら今回の事故を防げたかどうか考えても、防げなかったと思う。
自分は地震直後は福島原発はあまり心配にはならず、まず女川原発が心配だった。
震源の範囲が長期評価と違いすぎていたからだ。
後で解析したが、波の遡上パターンが長期評価とは全然違うので、長期評価に基づいて津波対策を取っていても、事故は防げなかったと思う」
●この日の傍聴で思ったこと
 証人の金戸俊道さんが入廷した時の様子は、これまでの証人の誰よりも緊張しているように私には見えました。
証人席に座るのをとても恐れているように思えました。
最初に立って宣誓文を読み上げますが、その声も小さくはっきりとしていませんでした。
その後の証言は椅子に座ってマイクを通して話します。
 渋村弁護士の尋問に答える時「覚えていませんが、したと思います」というような「記憶にないが、そうだったと思う」のような言い方が午前中はとても多かったです。
けれども裁判長は身を乗り出すようにして、証人の言葉にしっかり耳を傾けていました。
私は、証人席に座るのはとても重圧感のあることなのだろうと思い、裁判長の姿勢にしっかりと聞いてくれていることを感じていました。
 午後になると金戸さんはだいぶ緊張もほぐれたようで、言葉もはっきりとして「覚えていませんが」とか「記憶にないですが」と言う言い方はほとんどなくなりました。
いつも傍聴席が隣同士のKさんとお昼をご一緒したのですが、その時にKさんも「『覚えていない』がすごく多いから、何回言ったか、数えたの」と言い、午後もKさんと隣同士に座ると、彼女は午前中に途中で気が付いて数えだし線を引いて正文字で数えていたのが、午後にはあまり線が引かれなくなっていました。
 そして午後も尋問が進んで、それまでは地震調査研究推進本部(推本)の長期評価に沿って対策をとるように現場では報告していたのに上層部がそれを怠ったという方向で証言をしてきた証人は、まるで「イタチの最後っ屁」のように、最後にあのような「長期評価に沿って対策をしていても防げなかった。長期評価と実際の津波遡上パターンが全然違う」という証言をしたのでした。
 それを聞いて唖然としたのは私だけではなく、傍聴していた仲間たち皆同様でした。
閉廷後の報告会で、被害者参加代理人の海渡雄一弁護士から、次のような説明がありました。
「検察側の証人尋問で何を聞くかは、予め証人には伝えられて証人はそれに対して答えていくので、検察側の調査に沿って打ち合わせ通りに証言をしていくが、最後のあの尋問は打ち合わせになかったことなのでしょう。だから証人は思ったままを言ってしまったのではないか」
 これを聞いて私には、裁判というもののあり方がまた少し判ってきました。
今回の裁判には当たりませんが、冤罪が起こる土壌のようなものが刑事訴訟にはあるのだとも思いました。
 そしてまた別のことですが、この日の裁判ではこんなことも思いました。
裁判長が、いつになくしっかりと証人の言葉に耳を傾けているように感じましたが(これはもしかすると私だけの感覚かもしれないとも思いますが)、もしかしたらこの証人は被告側に有利な証言をするだろうことを知っていて(つまり被告側弁護士と何らかの意思疎通があって)よく聞こうとしていたのでは?などと勘ぐっている私でもあります。
本来裁判には、そんなことはあってはならないでしょうし、私のゲスの勘ぐりなのかもしれませんが、裁判官は内閣に任命権があることを考えると、こんなゲスの勘ぐりも浮かんでしまうのです。

いちえ


2018年6月19日号「追記」

 前便で長々と私事など書いてしまいました。
多くの方が案じて下さって、返信を頂戴しました。
ありがとうございます。
そして、ご心配おかけしてごめんなさい。
 少し、追記したいことがあります。
かかりつけの眼科医で視野の検査をしても視野狭窄は無かったのに、普段の生活ではシャッターが半分降りたような見え方だったと書きました。
それは、こういうことではないかと思うのです。
 眼科医での視力検査の場合は、検査を受ける私が、そこに現れる光を見ようと意識して見ています。
だから視点を中央の緑の光に向けていても、検査版のどこに赤い光が光っても見落とさずに目に入ってきます。
意識していて見ている時には、視界に異常がないのです。
でも日常生活では、そこを見ようとしていないのに視界に入ってくる景色には無頓着でいるのですが、意識していなかったけれど見えていたものが視界に入らなくなった時に、初めて「意識していなかったけれど見えていたものがあった」ことに気づくのではないかと思うのです。
ちょっと回りくどい言い方ですがそんなことを感じ、それが手術を受けて視界が全開した時に思ったことでした。
このことは、心に留めておこうと思ったのです。
何か大事なことのような気がして。                  

いちえ


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