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2017年12月23日号「12月12日13日集会報告③」

◎13日「辺野古の工事、いまどうなっている?」
●北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会、抗議船船長)
❶現在の辺野古の状況
 いま始まっているK9護岸の工事は当初の計画とは全く違っていて埋め立て用の土砂は海上搬送されている。
防衛局は埋め立て承認書の「環境保全に関し講じる措置を記載した図書」では護岸工事の石材は陸上搬送と明記していたが、9月27日に海上搬送することを明らかにした。環境保全図書の変更には知事の承認が必要で防衛局が勝手にできるものではないが、防衛局は知事承認の必要はないと言う。
 これから予定されている工事はK1、K4護岸と海岸線に沿っての工事を3月末まで進めるらしい。
カヌーメンバーが懸命の阻止行動に出ているが、海上にはフロートが何重にも張られていてカヌー1艇に海保が5、6人で抑えにかかっている。
辺野古側は浅いので工事がやりやすいため、あっという間にどんどん埋められてK1護岸は工事が進んでいる。
 工事の工程が全く変わってしまっているが、やりやすいところから簡単な工事から手をつけることによって、工事はここまで進んでいる、反対しても追いつかないと県民の諦めを誘うのが防衛局の工事の状況だ。
今日の防衛省との交渉では、問題はいろいろあるのだが、とりあえず大きな問題2点について追求したいと思っている。
一つは石材の海上搬送の問題、もう一つは活断層の問題、この問題をなんとか少しでも追求できればいいと思っている。
❷石材海上搬送の問題
 護岸工事や海上ヤードの捨て石など250,000立米の大量の土砂が必要で、これは10t積み大型ダンプで70,000台が必要になる。
1日100台で、正月も盆休みもなく毎日休みなく動かしてもまる2年かかる。
私たちは毎日座り込みをして排除されて、その脇をダンプが通っていくのを悔しい思いをして見なければならないでいるが、実はあの座り込みが工事の阻止に決定的な力を持っている。
先日9月の防衛省交渉で、業者にしてみれば自分達のペースで仕事ができないと、職員がちらっとこぼしていたが、私も30年間国土土木事業担当してきた土木の技術屋だから、それは判る。
いま防衛局は強がりを言って工事は着々と進行しているなどと言っているが、これではいつまでかかるかわからないので当初陸上搬送の計画だったのを、一部海上搬送にしている。
海上搬送によって新基地建設工事加速化という新聞報道もあるが、本部港からトラック190台分の石材を台船に積んでK9護岸に運ぶが、台船が接岸するのに1時間かかっている。
そこからトラックで運ぶのに、1日100台〜120台が精一杯だから2日かかる。
だから工事速度は、全然加速してはいない。
 土砂搬送については本部港、奥港の使用を翁長知事が認めてしまった。
奥の区民は反対したが、管理は県にあるということで使用が認められてしまった。
翁長知事に対して県民は許可取り消しを求め、知事は次に使用した時に住民への被害が明らかになれば取り消すと言った。
❸環境保全への影響
⑴ジュゴン・ウミガメ
 本部港、奥港から大浦湾への海上搬送ルートは、ジュゴンやウミガメが頻繁に確認されている海域で、この海域を石材を積んだ台船の走行が続くと、ジュゴンへの影響は深刻だ。
防衛局は環境保全図書で「ウミガメ類やジュゴンが頻繁に確認されている区域内をできる限り回避し」としているが、今回石材の海上搬送が予定されている海域は、まさにジュゴンが頻繁に確認されている海域なのだ。
北回りのルートは、防衛局の発表でも8月25日から9月30日にかけて、ジュゴンの鳴音が197回確認されている。
こうしたことから搬送ルートは南回りしかないが、今回、石材の海上搬送が予定されている海域は、北回りの「ジュゴンが頻繁に確認されている海域」ではないか?
⑵絶滅危惧種のサンゴ
 サンゴの移植問題では、移植が必要なサンゴは74,000群体あり9ヶ月を要する。
当然ながら工事が始まる前に移植を終えてなければならないが、それをせずに工事が始まっている。
防衛局は7月末からの調査で辺野古の側に14群体の絶滅危惧種が見つかり、その時県は防衛局とサンゴの移植について照会を続けている時期だったが、防衛局は絶滅危惧種が見つかったことを一切県に説明せず、説明したのは9月になってからだ。
その間に14群体の内13群体は死んでしまった。
そうなってから初めて、県に説明に来た。
サンゴの移植には沖縄県の漁業調整規則に基づく特別採用許可が必要で、知事の承認が要る。
その手続きを一つの群体のサンゴについてやった。
ところがこれがとんでもないまやかしと、知事に対する恫喝としか思えない。
今回の新基地建設事業で移植が対象になるサンゴは、防衛局の基準から言っても74,000群体あり、防衛局はその移植には9ヶ月かかると言っている。
いま移植基準の見直しが始まっているから、もっとそれは増える。
74,000群体の移植に関する特別採用許可の手続きが必要になるが、翁長知事は去年あたりからサンゴの移植の特別採用許可は認めないことを発表していた。
今回防衛局がやっているのは、「14群体の絶滅危惧種が見つかって13群体が死に、一つだけ残っている。それの採用許可を知事は認めるのか、認めないのか」と踏み絵を迫っている。
認めなければ、知事は環境保全・サンゴの保護に後ろ向きだ、と煽り立てるのだろう。
 本来絶滅危惧種のサンゴがある近くでは工事をすべきではないのだが、すぐ近くで工事を進めている。
埋め立てする土砂は採石場で洗浄することになっているが、洗浄されていないのか、海に投入後は海水が白濁する。
それはサンゴの死を招く。
また当然ながら、工事が始まる前に移植を終えてなければならないし、防衛局が出した文書でも事業開始前にやると書かれていたのに、それをせずに工事が始まっている。
今回も絶滅危惧種があるのを確認しながら、工事は続けるとぬけぬけと言っている。
それについても追求していきたい。
❹大浦湾の活断層の問題
 海底地盤についてもいろいろあるが今日は時間がないので、もう一つ問題になっている大浦湾の活断層の問題について話したい。
琉球大学の加藤名誉教授(地質学)が「(防衛局が今まで発表した資料からだけでも)大浦湾に活断層が存在する可能性は高い」と琉球新報(10月25日)と沖縄タイムス(11月3日)で指摘している。
実はこれは今わかったことではなく、もっと以前から日本自然保護協会とかいろんなところが指摘をしてきた。
そのことについて有耶無耶にしたまま、埋め立て承認がされてきた。
 大浦湾で一番深いところは海底60mほどあり、大浦湾に深い切り込みがある。
防衛局は、「この落ち込みは断層によると考えられる落ち込み」だと明記している。
これについて加藤名誉教授は、「この断層は比較的最近にできたものであり、活断層の疑いが強い」と指摘している。
これについて防衛省は、「既存文献によると沖縄北部において目立った活断層は確認されていない」と回答し、さらに11月15日の糸数慶子議員の質問主意書に対し「既存の文献によれば辺野古沿岸域における活断層の存在を示す記載はないことから、ご指摘の辺野古沿岸域に活断層が存在しているとは認識していない。このため、辺野古沿岸域における海底地盤の安全性については、問題ないものと認識している」という答弁書を出した。
活断層はないということを閣議決定している。
科学者の審議会でもないのに、政治家が閣議決定でこんなことを決めるなどありえない恐ろしいことだ。
 政府は、活断層がないことの根拠を既存の文献としか言わないが、それを追求したい。政府はどういう文献を当たったのか、明らかにするよう求める。
簡単に手に入る公立図書館にもある東京大学出版会の『新編 日本の活断層』、名護博物館の、名護市の教育委員会が作った『名護・やんばるの地質』では、「活構造」の断層と分類されており、「陸上活断層(活断層の疑いのあるリニアメント)確実度Ⅲ」とされている。
 既存の文献を持ち出すまでもなく防衛局は2014年度から昨年3月まで、大浦湾での海底ボーリング調査、弾性波探査を続けてきたし、今年になってからは大型調査船ポセイドンをはじめとした各種の調査も行ってきた。
今年の10月からは来年3月末までの予定で、また新たに2件のボーリング調査を発注し、調査が始まっている。
これだけ大きな調査をしているのだから、それを公表して専門家が見れば、一目瞭然のはずだ。
それらの資料をすべて出して、活断層は存在しないと説明するならともかく、資料も出さずに「既存の文献」だけを根拠にするのはありえない。
❺海上警備業務の過大積算
 会計検査院が辺野古新基地建設事業の3件の海上警備業務契約について1億8884万円の課題積算があったとする報告書を、11月8日に首相に提出した。
会計検査院の指摘によれば、防衛局は海上警備業務に従事する船長、船員等の労務単価について、防衛省の工事については国土交通省が定めた「公共工事設計労務単価」を適用することとされていたにもかかわらず、ライジングサンセキュリティサービス社1社のみから提出された単価をそのまま採用し、39,000円から59,400円と算定した。
そのために過大積算となった。
実際に受注業社が警備員に支払った金額は、9,000円から10,000円程度に過ぎなかったことが明らかになっている。
契約書では39,000円から59,400円として算出されているのに、2万円から5万円程度が警備員に支払われないまま、受注業社がピンハネしていたことになる。
受注業社にこれらの金額を返還させるべきではないか。
 ライジングサンセキュリティサービスは100%子会社のマリンセキュリティという会社で、これはとんでもない会社で、私たち船長の個人情報、顔写真などの資料を作ったり、海に油を勝手に流して、海上保安庁が捜査を続けている。
またパワハラ、残業代の未払い、社会保険の不加入など、ありとあらゆる不正行為が続いた会社で、ところが一般競争入札なのに毎年のようにその会社1社だけが応札をして請負率は99,4%を請け負ってきた会社だ。
❻外来生物侵入防止対策
 県外からの土砂2100万立米というが、特定外来生物の侵入を防ぐために沖縄県は土砂条例を作り色々取り組みを続けているが、県外から来るのは土砂なので洗えない。
土砂搬出元の西日本各地の住民運動(注:福岡・長崎・熊本・鹿児島・山口・香川の6県の組織「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会」)が、連携してやっているが、そこでの交渉の中でも 奄美大島のガンずり(注:岩石を採石した際に出る細かい粒状の土砂)を防衛局・環境省の役人の前にドシャッと広げて「洗えば全部流れてしまう。どうするのか?」と追及したが、防衛局も環境省もそれに答えられなかった。
 ところが今回、防衛局から回答がきた。
「外来生物の侵入防止対策については、現在、実際の外来生物(セアカゴケグモ・アルゼンチンアリ等)を飼育等の上、当該外来生物を死滅させるための条件を試験により明らかにし、当該侵入防止対策の検討の資とすることとしている」と言っている。
殺虫剤でもかけるのか、何をするのか判らないが、これは沖縄県に対する正式な回答なので、具体的にはどういうことなのか追及していきたい。
 いま、辺野古へ運ばれている石材の搬出元の山は3ヶ所あり、主に国頭と本部だが、1日に3〜4回搬入されている。
規定ではダンプ1台分の土砂は150秒間洗浄しなければならないことになっているが、1日に100台で入れば洗浄時間だけで250分かかるから、とてもそのように洗浄しているとは思えない。
県では採石場内への立入り調査を求めているが、防衛局は業者の管轄であり、直接契約
関係にないから立入指示できないと言い、実態が判らずにいる。
西日本からは石材ではなくガンずりなので、水の洗浄はありえない。
❼辺野古弾薬庫
 11月9日の日米合同委員会で辺野古弾薬庫の再開発が決まり、4棟の建替工事を年明けに始めることで合意したという。
防衛省は2006年の米軍再編ロードマップに盛り込まれたキャンプシュワブ内の施設再編の一環で費用約20億円は日本政府が負担するとされている。
ところが辺野古の弾薬庫は、キャンプシュワブではない。
施設番号でも全く違う施設であって、キャンプシュワブの中に辺野古弾薬庫が含まれるわけではない。
今回の米軍再編のロードマップに明記されていない辺野古弾薬庫の再開発を、日本政府の負担でやるなどありえない。
このことについても、どこまで答えるかわからないが追及していきたい。

●山城博治さん
 昨日に続いて今日もたくさんの方に来ていただいて、本当にご苦労様です。
よくぞこれだけ天才的な技術者を送り込んでくださった京都の方達には、本当に感謝しています。
いま北上田さんに指摘いただいた多くの件でも、頭の中で整理しようとしてもなかなか整理できないが、断層の問題は、私の頭でもよく判った。
 沖縄の海域は全てがサンゴ礁に囲われていて、どこを見渡しても沖合いの方で波が上がるだけで、内海というかサンゴに囲われて海が広がっている。
しかしなぜか大浦湾だけは真下まで70mの深場の海が入っている。
いったいこれはなぜかと思っていたが、断層だからということがよく判った。
サンゴに囲われた沖縄の海の中でも、特筆すべき海域だということがよく判る。
目の前に70mの深場の海があるのは断層だと、判る。
そこに巨大な軍港を併せ持つ空港を作るのはどういうことかが判るが、同時にいま整備されようとしている新しい弾薬庫は、まさに断層の真上にくる。
 先日NHKの特番で報道されたが、復帰前の1970年に那覇空港から核弾頭をつけたミサイルが誤射で発射されて那覇港の沖合いに飛んで行った。
幸い爆発はしなかったが、秘密裏に米軍が回収して持ち帰ったという大変な放送があり、沖縄ではいま、核持込みの有無や弾薬庫の立入調査などを強く要求して、「核兵器から命を守る県民共闘会議」が立ち上がって、その動きが始まっている。
1300発の核弾頭と言われている。
もしかしたら朝鮮有事、大陸有事を狙っているのではないか。
キャンプシュワブの中にある弾薬庫に、核弾頭格納庫を改めて作り直すための弾薬庫整備ではないかとさえ思える。
しかもいま、これは活断層の真上に作られる辺野古の弾薬庫だということがわかった。
恐ろしい話だ。やってはならん!
そのあたり、北上田さんの力を借りながら止めていく運動が必要だ。
 もう一点どうしても言っておきたいのは、なぜ県政が土砂搬送を港から認めてしまったか、どうすれば止められるかを議論しなければならない。
あれだけ私たちの協議の中で決意を新たに、厳しい決意で臨んでいくと仰って頂いた県知事が、また本部港の使用を認めるという記事が12日の新聞に出て驚いているが、ここはどうにかして止めていきたい。
心が折れてしまう。
みんな頑張って、体張って、逮捕されてそれでもなお現場で阻止しているのに、後ろから県政が土砂搬送を認めてしまうなど、どうにも整理がつかない問題になる。
翁長さんを支持しないとは言っていない、オール沖縄にヒビを入れようなどとは思っていない、団結を強めるべきだ。
けれどもやっぱり、意見すべき時はすべきだと思う。
みんなの力を合わせて、翁長さんに土砂搬送は控えるべきだと申し上げねばならない。
 どういう手続きかで、もう一度搬入をして、その時点で問題があればやるということかもしれない。
なぜなら翁長さんは最初に認めた後に、使用に伴う規則を作って環境汚染や地域住民への迷惑があれば、その時は見直す必要があると後追い的に県の条項として追加してあるので、もう一度やって県の使用条件に反するようであれば取り消すという構えになるかもしれないと思いはするが、それは私たちが声を上げないといけない。
 先日熊本の天草に行き、採石現場となる小さな離島で現場を見てきた。
ガンずりというのは、商売上の大きな岩石を取り出す時に出てきた細かい土砂、つまり商売にならないものがガンずりで、その商売にならないものをさらに商売にするために沖縄に持ってくる。
岩を取り出した後に残った粉のようなものを、辺野古に運ぶというのだ。
だからそんなものを洗ったら海に流れてしまって、使い物にならない。
北上田さんの冗談を初めて聞きましたが、「どうするんでしょうね。あの2100万立米の土砂を1回焼くんでしょうか?」って。
 熊本の知事がこう仰っていた。
もし沖縄県から正式に要請があれば、沖縄に送らない方向で検討しても良いと熊本県知事が仰っている。
だから翁長県政が本気で止める気があれば、2100万立米の8割は全国からで、沖縄からは2割程度で土砂の大半は他所からくる。
だから6県の県知事さんに宛てて、洗うわけにも焼くわけにもいかないような土砂を、その方法が確立しない間は、土砂を沖縄県に送るのは県知事として了承しないということの表明を要請することができれば、大きな力になるはずだ。
 同時にいま一番求められているのは、熊本の県知事さんはそう仰って熊本の仲間たちは体を張って止めると言ってるのだから、他の土砂搬出の元で阻止行動が始まって、沖縄に土砂を送らないということになったら、全国の搬出元で始まったら、基地建設はお手上げになる。
あえて申し上げるが、ここは全国で連帯して取り組んでほしいというのが、いま切実な願いだ。
 あとケーソンで囲うということだが地盤が軟弱でケーソンではできない、ケーソンを持ち込んで作業する作業ヤードを埋め立てようとするが、その作業ヤードができない。
巨大な荷をデタラメに埋め立てたところ、どんどん沈下して埋め立てが多分できないだろう。
それでケーソン作業ヤードができず、ケーソンを持ち込めないという議論になっている。
大きな計画変更だ。
大きな計画変更するために、また県政に申請書を出さなければならない。
それは県政が了解するはずがない。
 だからどう考えてもしばらく大浦湾の深場のところは、手をつけない。
それで南側の浅瀬のところをどんどんやる。
順序が逆になっていて、本来深場の方から進めるはずが浅瀬の方からやって、見せかけのような工事が始まろうとしているのが今の実情だ。
できないことを見せかけのようにやって、県民の気持ちを砕こうとしている。
そのことを明らかにしていきたい。
 それから地元の問題がある。
奥の皆さんと港の問題、本部町の皆さんと港の問題、これは防衛局としても乗り越えなきゃいけない問題が山積している。
まず、地域に迷惑をかけないことが使用条件になっている。
1日200台も300台もあの地域に押しかけて、地域が迷惑しない筈がない。
できたらダンプなんか来ない方がいいに決まっている。
その一点を捉えても、奥漁港からの土砂搬送はありえない。
なぜそれを県政が認めるのだという交渉を、私たちも強めていきたい。
本部町についても、使用条件以外の使用がされていて岸壁だけの使用を認めた筈なのに、あそこでケーソンを作ったりコンクリートの塊を作ったりを民間の業者に認める筈がないので、やめさせる交渉をしていきたい。
 鹿児島の南大隅町の土砂搬送の現場は100m、100m四方の縦300mの縦穴を掘るという
なぜそんな穴を掘るのかと言ったら、川内原発の核廃棄物の最終処分場にするために、そういういびつな形の採取をする。
そんなことを鹿児島の人が知ったら、鹿児島の人は絶対反対だと言う。
南大隅は和牛の産地で、そんなことをやったら風評被害で牛が売れなくなるから、そんなことはさせないと言った。
 やはり、それぞれの現場に赴いてどういうことがあるか状況把握しながら、それを県政にも送って現地はこうなのだと伝えていきたい。
ぜひみんなの知恵を出し合いながら、学習を深めながらやっていきたい。
 しかし、本当に辛いですね。
こうやってみんなが必死になっているのに、どんどんどんどんやってくる国の不当で不法で、まさに不条理を極めるような手法で迫ってきているのを止める手立てがなぜないのか理解に苦しむが、そうであればそのように頑張っていきたいと思う。
 昨日言い忘れたが私たちの裁判で、添田さんのことだ。
山城博治は首謀者であるから私に2年半、稲葉に1年、添田に2年を求刑しながら、添田は非常に罪が深い、執行猶予中にさらに罪を犯しているから、よって実刑を処すべきだということが出されている。
つまり懲役刑は実刑のことだからなぜそれを実刑というかと思ったら、もしかしたら私たちには執行猶予が付くが、彼は執行猶予がつかないかもしれないということで実刑と言うのかもしれない。
いったい彼が何をしたというのか!
添田さんに着せられた罪は、彼が反ヘイトでずっと行動してきてそのことで実刑を科すというのではないか
どう考えても差別と偏見だ。
大阪の反ヘイト行動で執行猶予付きの刑に問われたが、執行猶予は終わり刑はもう終わっている。
彼が反差別の先頭に立って行動してきたから、権力側がそれを憎んでいるのだ。
私たちは絶対にそのような予断、偏見、権力による恣意的な暴力的な判決をさせないという取り組みをしていきたい。
 厳しい状況は続くが、どうか皆さん、顔を上げて笑顔を作って、しなやかに闘っていきましょう。

 そして博治さん、また歌いました!
喜勢武原(きせんばる)、時間がないので3番だけと言って。
♪喜勢武原空高く のろしよ燃え上がれ
平和の祈り込めて のろしよ燃えがれ
歌が聞こえるよ はるかな喜勢武原
皆の歌声は はるかな喜勢武原
    闘い疲れて 家路をたどりゃ
    友の歌声が 心に残る♪
この歌は恩納村の米軍射撃場に反対する闘いの歌です。
1976年、復帰後に米軍は恩納村喜勢武原で実弾砲撃演習を始め、それを阻止しようと闘いの中で生まれた歌です。
この阻止行動で逮捕された糸数隆さんは、糸数慶子さんのお連れ合いです。
私は昨年辺野古ゲート前の座り込みで初めてこの歌を聴き、強く心に残っています。


2017年12月21号「12月12日集会報告②」

*今日20日は、山城さんの裁判の公判日でした。
弁護士や山城さんが反対意見陳述をする日でした。
これが最後の公判で、来年3月14日判決です。

◎12日「山城裁判を知ろう!」
 12日の集会報告の続きです。
 この裁判の弁護士である金高望弁護士とスカイプでつなぎ、沖縄からの発言がスクリーンで会場に流れました。
●金高望弁護士
 この裁判は弾圧目的で行われている。
11月までに証人尋問・証拠調べが終わり、12月5日に論告求刑が出た。
検察官の論告は酷いことが書かれている。
「本件各犯行は、とりわけブロック事件に典型的に現れているようにいずれも被告人らの主義主張を違法な手段によって実現したものに他ならず、法治国家においては到底正当化できないものである」と、検察官は言っている。
そっくりそのまま国に返してやりたい。
 山城さんについては「いずれの犯行についても自己を正当化する主張に終始し、反省の情は全く認められず、規範意識が希薄であって再犯の恐れが高い」と書かれているが、反省すべきは、どちらなのか。
 まずこの検察官は、背景や現場で行われていたこと、いままでの歴史を一切触れない。2015年から機動隊が大量に投入されていたこと、大弾圧があったことに一切触れない。
あらゆる民主制のチャンネルを通じて辺野古や高江に基地建設反対という県民の民意が繰り返し示されていたことに一切触れない。
一言も触れられていない。
 この事件の背景に、しっかり目を向けるべきだ。
民主主義を無視したのは誰か?
繰り返される民意を無視したのは誰か?
それらを無視した中で大量の機動隊を導入し、現場の山城さんを狙い撃ちしたのが今回の事件だ。
3度にわたる逮捕、しかも時間を逆にさかのぼって逮捕していく。
最初が有刺鉄線を切ったという軽微なものからだんだん遡って、最後は10ヶ月前のブロックを積んだということで、どんどん身体拘束を長期化していった。
検察もそれに悪乗りする形で証拠隠滅の恐れがあるなどと言い接見禁止を求めていき、弁護人以外一切面会できないという中で、弁護人を通じて山城さんがオスプレイの墜落事故に関して新聞のインタビューに応じた。
するとそれについても検察官は、接見禁止中になぜインタビューに応じるかと、介入してくる。
まさに、山城さんを県民の運動から隔離して、言論自体を封じるというのが今回の一連の出来事だ。
 残念ながら裁判所は、それに加担してきた。
検察官はそれを要求するだけで、検察の要求を受けて最終的に保釈を認めず接見禁止を認めてきたのは裁判所で、裁判所が容認してきた。
 裁判の中でも、この態度は変わらない。
国連人権理事会の国際報告者のデビット•ケイさんが、日本政府は住民の反対運動に過剰な圧力を加えているのではないかと懸念を報告し、山城さんのことを個別に取り上げて身体拘束の長期化を非常に憂慮する発言を表明したりしている。
これらを裁判で提出しようとしても、裁判所は証拠として採用しない。
国際的批判に、裁判所は一切耳を貸さない。
証拠として採用した上で、これは当たらないというのではなく、そもそも証拠として採用しない。
国際的意見は証拠として採用しないというのが、今の裁判所の態度だ。
あるいは私も一緒に、山城さんはスイスのジュネーブまで報告に行ったが、その時は、特別報告官のアシスタントの方に「山城さん、あなたはヒューマンライフリベンダー(人権擁護者)だ」という発言をいただいたが、こういうことを証拠として提出しようとしても、裁判所は採用しない。
 3月に控えた判決を考えると検察官が設定した狭い土俵、ブロックを積んだかどうかという狭い土俵の中で、国際的批判にも耳を貸さない判決になってしまう恐れがあることを懸念しているが、まだ終わっていないので12月20日の反対意見陳述に向けて、そうした狭い土俵ではなく、きちんと主張していきたい。
沖縄に辺野古を、高江を押し付けようとしている本質を見るべきであり、その中で機動隊を大量導入して現場のリーダーを県民から隔離して言論を封じる、これが今回の事件の本質であり、なおかつ裁判所も今までそれに加担していることをしっかり訴えて行かなければならないと思っている。
 個別の事件の中身についても、防衛局の職員が法廷で証言する内容が非常に矛盾に満ちたおかしいものなので個別の事柄もたくさんあるが、今日はここではなかなか伝わらないと思うので触れないが、裁判では防衛局職員の発言が矛盾に満ちたものであることもしっかり訴え、裁判官に理解させることができたらいいなと思っている。
山城さんにもこれから意見書を書いていただくが、あと1週間なので。準備をしっかりしていきたい。

●琉球大学刑法教授:森川恭剛(ヤスタカ)さん
 この裁判支援を続けているが、その中で考えさせられたことは非常に争いにくい裁判だということだ。
一つの理由は、山城さんを含め4人の被告がいたが、そのうち一人は勾留中に虚偽自白を強要されて、犯罪事実が認められている。
そこから出発しているのが、一つの理由だ。
また分離公判されたので、二つの公判で弁護団の主張が必ずしも噛み合わない事態に陥っていた。
 それからもう一つは山城さんが勾留中に公判で成立手続きが行われたので、裁判の焦点がそこに絞り込まれてしまった。
一例を挙げると、山城さんが器物損壊を認めたものとされて裁判が進められている。
だから運動の方では完全無罪を争っているが、実質調書では一部無罪を争っているという齟齬が生まれている。
これは完全無罪を主張するための法律論が用意できていなかったことだろうと思うが、現在もそういう状態で、だからゲート前では現在もますます不当な逮捕が行われているが、それに対して為す術がない状況だ。
そして完全に日本政府の言う法治国家の議論に押し込まれている状態だ。
 この日本国政府の法治国家の議論というのが、準備公判の1月の有罪判決の中で一つ証言されている。
そこに、こう書かれていた。
「職務を忠実に遂行していった防衛局職員を数人でテント内に連れ込み暴行を加え、彼に恐怖と苦痛を与えたことは基地反対運動の一環であるとしても正当化することはできない」
これが、沖縄の平和運動を糾弾する内容になっている。
判決によれば、日本国こそが山城さんらの実力行使によって利益を害された被害者であるということだ。
そして不正は沖縄の側にあるとしている。
裁判所には、基地を押し付ける沖縄差別は全く見えていないようだ。
こうして、一般的に差別の被害者は沈黙させられてきたと言える。
これが基地を押し付ける差別が法治国家の合意として、法の名の下に進められている。
 その法は根本的には日米同盟による平和主義だ。
日本の法律学では、日米安保と憲法9条は矛盾すると説かれてきている。
これは正論で、間違ってはいない。
しかし、厳しい見方をすれば、その中で駐留米軍は1950年代以降、沖縄に移された。
そして沖縄県は安保と9条の矛盾だらけだ。
沖縄に戦力があって、日本に戦力不保持の憲法9条がある。
これが戦後日本の平和主義だ。
沖縄から見れば戦後日本の平和主義は、軍事的に沖縄に犠牲を強いる沖縄差別の論理として機能している。
 そして今や平和主義の名の下で警察力を用いて、基地を押し付けようとしている
日本の平和主義が暴力化しているという状況だ。
これに対して沖縄では同じ平和主義の名の下に、新基地建設に反対している。
これは沖縄の平和主義だと考える。
しかし日本の裁判所に対して、沖縄の平和主義は通用しそうにない。
 日本の暴力化した平和主義は何かと言うと、具体的に言えば、工事の強行だ。
工事の強行は、二つからなる。
一つは違法工事、もう一つが不当逮捕だ。
 違法工事は実に様々な内容があり、明日の防衛省交渉でもいろいろ問題が指摘されるだろうが、あらゆる違法工事に共通しているのは、沖縄県の意思に反しているということだ。
これは民主主義の否定であり、自治権の否定であり、国際人権法上の沖縄地域の自己決定権を否定するものだ。
そして本質的には沖縄の平和主義を、日米同盟による平和主義によって押しつぶすということだ。
 もう一つの不当逮捕は、工事に抗議する者を排除して拘束し、逮捕、長期勾留し、最後に不当判決を言い渡すというものだ。
沖縄の平和運動は犯罪であり、正義は日本国政府にあるというわけだ。
その結果、さらに違法工事が横行してしまう。
この二つの違法工事と不当逮捕、これが新基地建設の両輪となっている。
 どのように裁判支援するかというと、山城さんたちの行為は違法工事に対する抵抗行為としてあったわけだが、しかしこの抵抗行為を裁判所が認めるとはなかなか思えない。
それでも最低限、裁判所に言いたいことがある。
それは、沖縄県民の平和運動を貶めるようなことだけは、判決の中に書いて欲しくない。
沖縄防衛局にも、大きな落ち度があるのだということは、これから指摘していかなければならない。
性暴力の犯罪を考えれば、被害者の落ち度論がいかに被害者を傷つけ侮辱するものかは知っているだろう。
日本国政府は今やこれを逆手にとって被害者を装い、国に落ち度はない、沖縄の平和運動こそ暴力的で犯罪的であると主張している。
だから公判で防衛局の職員が証人として出廷するときに、証人保護のために遮蔽の措置が採られたというわけだ。
 しかし考えてみれば、日本国政府が沖縄の意思を尊重し沖縄防衛局に工事を強行させなければ、今回の刑事事件はどれも起きていないはずだ。
工事を強行する沖縄防衛局に、大きな非があることを伝えていきたい。
 もう一つ不当逮捕の件だが、もしコンクリートブロックでゲートを封鎖することが無罪であるなら、工事は止まるということだ。
つまり、不当逮捕は不当であることを認めさせることで、新基地建設の両輪である一つが外されるわけだ。
山城さんの裁判でこういう結論が出るとは思えないが、しかし私が裁判支援を通じて気付いたことの一つは、新基地建設の両輪である一つを外せば、工事は止まるということだ。
だから行政訴訟だけで国民勝訴するだけが、工事を止める唯一の方法ではないと気付いた。
 この点でぜひ考えなければいけないのが、辺野古の海上の臨時制限区域問題だ。
これは2010年に問題になったが沖縄ではその時から、臨時制限区域を設けるのは違法だと言ってきた。
臨時制限区域での立ち入り規制では、キャンプシュワブ水域の使用条件変更と、日本側がこれを臨時使用するという2つの条件で成り立っている。
まず使用条件変更で、立ち入り制限区域の臨時使用区域が設定される。
臨時制限区域は刑事特別法2条で、立ち入り規制される。
次に日本側は、この臨時制限区域を臨時使用し敷設工事を実施している。
日本側が臨時使用するということは、管理権が日本側に移るということなので、米軍がそこを立ち入り禁止に出きる筈がないということだ。
 日米合同委員会が、このおかしな取り決めを結んだ結果どうなったかというと、米軍の立ち入り禁止権に基づいて、日本国政府が日本国民の立ち入りを規制するということになっている。
つまり、憲法に服さない米軍の権限に基づいて、日本国民の基本的人権が侵害されているということだ。
その米軍の権限を行使するのが日本国政府・海上保安庁ということになる。
つまり海上保安官が、憲法に服さない米軍の立ち入り禁止権を行使して、憲法上基本的人権を侵害できるようになっている。
日本国民は主権を失ったと言わざるを得ない。
これが沖縄で起きていること。
 日米政府が、単に沖縄県民をいじめているだけに見えるが、それはなぜか。
主権を失った日本国民が消えていくからだ。
しかし臨時制限区域は無効であるということをハッキリさせることができれば、海上の立ち入り禁止規制は根拠を失って、埋め立て工事は続けられなくなる。
ですから日米同盟による工事強行は、日本国憲法の平和主義そのものではなくて、日本国憲法の人権問題にしていくこともできると思うので、ぜひこれから、これをもう一度政治問題化していかなければいけないと、裁判支援を通じて感じてきた。

●落合恵子さん
 山城さん、一人じゃありません。
稲葉さんも、添田さんも一人じゃありません。
私たちはいつも、一緒に居させてください。
ただし距離が遠いということもあって、なかなか一緒に行動することはできないが、このアベ政権に対する怒りと無念さは、みなさんと共有できることだと思う。
 今度の選挙に勝った途端に「謙虚に」だって!
どこに謙虚さがあるか?どこに人権に対するデリカシーがあるか?
何も無いまま、暴挙・暴挙・暴挙だ。
私たちは、もっと怒っていい。怒る権利を私たちは持っていると思う。
 沖縄の女性たちがどれほど米兵の性暴力に苦しんできたか。
どれほど多くの人々が、米兵によって命を絶たれてしまったかということ。
どれほど多くの自然が、現在進行形で壊されてきているかということ。
それらは山城さんたちのテーマではなくて、私たち全員のテーマだ。
共謀罪の試運転として山城さんたちが使われてきたことは、私たちの怒りにしていかないといけないと思っている。
 若い時には人生は長編小説だと思っていたが、年が明ければ73歳になる私は、人生は長編小説ではなく短編小説だと思うようになった。
私は季節ごとに好きになる言葉がある。
この冬は、丸山健二さんのこの言葉で決めていく。
「心静かに死を待つような心境で余生を送ることも悪くないが、幸福に満ちた人生を振り返りながら老いていくこともいいが、けれども日に日に擦り切れていく命を直視しながら抗うだけ抗い、途方もない目的に向かってジリジリとにじり寄るような、なんとも凄まじい鬼気迫る晩年も素晴らしい」
 ジリジリにじり寄って抗うことを誇りにするような、自分の人生にしていきたい。

●佐高信さん
 正月番組の収録で、西郷隆盛と私の郷里の庄内藩ということについて話してきたが、庄内は無血開城で会津は白虎隊で玉砕だった。
白虎隊を美談として語る社会は、美しくない社会だ。
先ほど特攻の話が出たが、白虎隊も特攻も、美しい話ではない。
アベは「美しい国」というが、美しい国の醜い首相だ。
このあいだの衆議院選の応援で、「北朝鮮問題でアベが本気だと言うなら、一人で平壌へ乗り込め。(会場から「そうだ!」と拍手沸く)そしてもう帰ってくるな(笑)」と言ったのが受けた。
 私は破防法をオウムに適用するのはおかしいと言ったが、まさに破防法はアベにこそ、あるいは菅にこそ適用しなければならない。
またアベが憲法改悪、改変を言っているが、百歩あるいは万歩譲って憲法を変えると言うなら、「抵抗権」と「革命権」をこそ入れるべきだろう。
それを入れるなら、賛成してやってもいいぞと思う。

●香山リカさん
 去年8月から9月にかけて高江に行ってきた。
なぜ高江に行ったかというと山城さんたちと一緒に訴えられている添田さんに誘われていった。
私は在日の人やアイヌに対するヘイトに関して発言をしてきたが、添田さんはヘイトスピーチ・ヘイトデモに対してカウンターのリーダーだった。
添田さんは直感的に、沖縄で起きていることは差別だと考えて単身沖縄に行った。
それで沖縄からSNSで、沖縄で今起きていることは差別だから、みんな関心を持って欲しいと発信していた。
 添田さんはその後逮捕されて199日勾留されたが、接見禁止ではなかったので何度か接見にも行った。
今ネットには添田さんを貶める酷い発言が山のように流されているが、もう清算できた過去のことで人を貶めようとするものだ。
そんなことが許されていいのか。

●北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会)
 今の訴訟指揮、裁判長の訴訟の進め方から見ると、かなり厳しい予想がされる。
しかしそれに対する反撃は、辺野古の新基地建設を何としても止めることだ。
それ以外にはない。
 今の辺野古の状況は、海から土砂を進んでかなり進んでいる。
私も悔しい思いをしているが先ほどの博治さんの話にもあったが、また明日の防衛省交渉でも追求するが、活断層の存在が疑われる、また大浦湾の海底地盤が軟弱だということもあって、ここで詳しく説明できないが、今後防衛局は設計概念の変更申請を翁長知事に提出する必要がある。
知事の承認がない限り工事の変更は頓挫する。
そういう意味で知事が毅然と対応する限り、辺野古の新基地建設事業はいずれ止まる。
 ただこのことで誤解をして欲しくないが、ほっといて工事が止まるわけではない。
ほっといて工事が頓挫するわけではない。
違法工事も、それを私たちが発見をして追求する、それを防衛局に対して糾弾していく、そういった行動がない限り、違法行為はそのままスルーしてしまう。
将来的には工事は止まるわけだが、何としても止めると、ゲート前に駆けつけて欲しい。
 残念ながらゲート前は非常に厳しい状況で、参加する人数も減っている。
いま重大な局面に入っている。
ぜひ東京からも多くの方が辺野古に駆けつけて、少しでも座り込みをしていただいて工事の進捗を止める、そのことを訴えたいと思います。
それが来年3月に予想される山城さんたちの裁判の不当判決に対する私たち県民の、そして全国の支援者の皆さんの、政府権力に対する強い答えになると思います。
ぜひ、辺野古においでください。
お願いいたします。

●藤本泰成さん(平和フォーラム)
 山城博治は、平和フォーラムの地方組織の沖縄平和運動センターの議長だ。
北海道にも平和運動センターがあって清末愛紗さんという元気な女性だが、彼女がこう言っていた。
「人権の話もない安全保障の話は、これは平和議論ではない」
つまり沖縄もそうだが、あの戦争のときに沖縄のみんなは犠牲にされた。
誰が守ったのか?
国を守るためにみんなが犠牲になるというのが、今アベが言っている安全保障の話だ。
だから、山城博治を辺野古に立たせたくない!
山城博治を高江に立たせたくない!だからこんなことをやる。
歴史に学び、平和を守ろうとしている私たちが、絶対にこんなことで負けてはならないと思う。それを最後に確認しあって集会を終わろうと思います。
今日はありがとうございました。

いちえ


2017年12月17日号「12月12日、13日集会報告①」

◎12日「山城裁判を知ろう!—山城博治が語る沖縄の現状とこれから
 12日17:00〜19:00、参議院議員会館講堂で、件名の集会がありました。
300人収容の講堂は満席で、補助椅子も出すほどの参加者が集まりました。
主催は「市民と議員の実行委員会」で、山城さんからの報告、この裁判の弁護士である金高望さんが沖縄からスカイプで発言、鎌田慧さん、佐高信さん、落合恵子さん、香山リカさんのリレートークがありました。
●開会挨拶:福島瑞穂さん
 今日は大勢の皆さん集まってくださって、ありがとうございます。
そして沖縄からおいでくださった山城さん、本当にありがとうございます。
山城さんは長期に拘留されて既に12月に論告求刑され、20日の最終弁論、そして来年3月判決予定です。
何としても山城さんの無罪を勝ち取りたい、何としても山城さんを応援したい、よく知らない方もいらっしゃるかもしれないので「山城裁判を知ろう!」そして沖縄の状況、本土のメディアではあまり報道されないことをリアルに話していただきたいと思っての今日の集会です。
 沖縄の現状を知ることが沖縄を応援することにつながる、そう思って一緒に連携していきたいと思います。
裁判では山城さんを応援する立場の私たちですが、今日はまた山城さんのお話から逆に山城スピリット、パワーをいただいて、運動を広めて一緒に連携していきたいと思います。
●鎌田慧さん
 博治さんご苦労様です。
 山城博治さんに対する裁判は、単に沖縄に対する弾圧だけではなくて、これからの私たちの運動に対する弾圧だ、これをなんとか跳ね返していこうというのが、今日の集会の趣旨です。
山城博治は私だという思いで、これから私たちは刑事弾圧を絶対に許さない、そして山城博治を無罪にするという思いで頑張っていきたい。
 これは沖縄への弾圧であり、平成の琉球処分だという声も沖縄から上がってきている。
抵抗運動の頂点にいる人間を5ヶ月間もブチ込む、それも初めのうちは面会も禁止する。そして彼は病気だったが靴下の差し入れも認めない、こういう徹底的な弾圧は全く典型的な刑事弾圧で、国家に歯向かう者は徹底的に痛めつけようというアベ政権の、露骨な非人間的な政策を明らかに示している。
 私たちは沖縄闘争を孤立させない。
私たちの運動として、私たちのこれからの治安弾圧に対する、あるいは憲法9条を変えようという動きを、ここで食い止めていく運動として、今日これから話していただく山城さんの体験を共有化しながら、頑張っていきたいと思います。
●山城博治さん
 福島瑞穂さん、鎌田慧さんらのご尽力でこのような大集会を持っていただいたことに感謝しています。
日頃暴走し続けるアベ内閣に対抗して、あらゆるところで平和を訴え、憲法改悪を止める、あるいは原発再稼働、あるいは福島の被災者を救うため声を上げ続けていらっしゃる皆さんに、沖縄の問題、沖縄を孤立させない、山城を孤立させないという言葉をきいて、本当に感動しております。
でもみなさん、課題はそれぞれでありますが根っこは一緒でしょう。
安倍の暴走する政治が、みんなを苦しめ分断させ、押しつぶそうとしています。そのことに対抗するために、今日の集会があると思います。
どうぞ連帯して、力強く頑張っていこうじゃありませんか。
 今日は私の裁判について琉球大学の森川先生、そして辺野古ゲートでいつも私たちのご指導頂いています北上田毅さんもお越しで、後ほどいろいろお話しいただきたいと思っています。
この私の裁判については、論告求刑があった10月5日に北上田さんがすぐに「チョイさんの沖縄日記」を出していただいて、論告求刑のあらましが書かれています。
その中で書いてありますが私たちにはこういう要求でした。
 「本人たちは、ほとんど罪の自覚もないし反省もないし、ただ言い訳に終始をした。情状酌量の余地は全くない。再犯の可能性が高い。被告人たちの供述は全く信用できない。防衛局職員と警察官の証言については極めて信憑性が高い」と言って、私たちにこのような罪を科しました。
言ってみれば「お前たちの話は全く信用できない。警察官や防衛局の証言は全く正しい。よってお前たちは厳罰に処す」という趣旨だろうと思います。
 これは私たちの裁判に限らず、アベ政権が沖縄に向ける視点がそのまま丸写しです。
つまり県知事選挙で、名護市長選挙で、衆議院選挙で、ありとあらゆるところで沖縄の民意が示されているにもかかわらず、それでも基地建設を強行する。
つまり沖縄の民意は、政府からすると政府にたてつく共同謀議だから、これを排除すべきだということなのでしょう。
これは私たち個人の裁判ではなく、沖縄の大衆運動、沖縄の民意に向けた政府の刃、アベ政権の弾圧そのものだと思います。
12月20日に迫ってきた私たちの反対陳述意見は、まさに我々がそのことを訴えていくチャンスだと思っています。
 高江の7月22日のあの暴力的な機動隊の排除について言及させてもらいます。
私は2007年から高江の森に入っていました。
2010年と2011年の3月に大きな闘争があり、私たちの200名、作業員200名、防衛局職員200名、そして警察100名ほどが対峙し、実に500名とか700名がぶつかる第1次高江の闘争がありました。
けれどその時は、奴らの暴挙は止めたのです。
 警察法第2条に「不偏不覚且つ公平中正を旨とし」とありますが、当時の沖縄警察は警察法を守り、私たちの側にも防衛局の側にも立ちませんでした。
今回のように、機動隊が防衛局の発注した作業所側についたり、機動隊の車両に作業員が乗って移動したり、警察そのものが業者の先頭に立つ、そして私が今回やられたのは、警察が法の規範を超えて、政府の国策に入っていったからです。
 辺野古の海保もそうです。
2004〜2006年までの辺野古の海上阻止行動の時も、あの時も海保は中立の立場で、今のように強圧的に市民を排除することはなかった。
だから2005年に海上案を止めて、撤回に結びつけることができた。
 ところが2012年に登場した第2次安倍内閣は2014年に改めて辺野古の着手に入りますが、その時に海上保安庁長官に対して2度と前回のようなヘマをしたら、お前たちの組織は全部潰すと言ったそうです。
そして海上保安庁の人事を自分の意に叶う者を長官に据えた。
そのようにして様変わりしていったのが、今辺野古で起きている惨劇です。
海で海難者を守るはずの海保が、海で遭難者を作ろうとしている、下手をすれば死者が出かねない状況です。
 高江で起きたこともそうでした。
7月22日のあまりの暴力的な排除に、心が折れそうでした。
宣伝カーに乗った仲間を実力で排除し、女性たちがロープでぐるぐる巻きにされて無造作に引っ張られ、首にロープが食い込み「苦しい」と言いながらも引っ張られて失神させられ、そういう惨劇を目の当たりにして、ついに私たちは降参した。
「参った、参った、止めてくれ」ということで終わった。
その時に私が思ったのは、警察というのはここまで悪どくなれるのかということ、いくら権力のためとはいえ、ここまで変わるのかということだった。
残念ながら警察の違法は、たぶん全国には報道されていないだろう。
反対派がデモを仕掛けたので止むを得ず公権力を行使したという抗弁が新聞に載っていたから、そのように理解されているかもしれないが、実際はまさに警察が法を超えて違法な行為が続けられたのが7月22日の高江の惨状だった。
 私たちは2007〜2014年までセンターの車をゲート前に横付けして街宣マイクを置き、県道の路肩にテントを張って阻止行動をしていたが追い出すことができなかった。
撤去するためには裁判所に申し出て、あるいは県の土木部から道路の車やテントは不法占拠だから撤去しなさいと言わせなければならない。
そうでなければ裁判所に訴えて執行命令の手続きをとりますよというような必要がある筈だ。
経産省前のテントも同様で、裁判になって裁判所の撤去命令が出て撤去された。
 ところが高江で起きたことは、防衛局職員がある日やってきて張り紙をした。
「7月22日までに撤去しなければ所有権を放棄したものとみなして、私たちが撤去します」と書いてあった。
この国は誰が考えても資本主義の国だ。
資本主義社会で一番の絶対的価値は所有権だが、その所有権を防衛局に名乗り出なければ勝手に放棄されたものとみなす、そんな馬鹿な話はありますか?
私たちは今そのことを訴えて、7月22日に工事を強行した防衛局、手助けした沖縄県警、全国の機動隊の違法を主張し続けている。
 防衛局職員が小突かれて2週間の傷害が発生したとか公務執行妨害が発生したとして私たちが求刑されているが、私たちは手を出していない。
医者の診断書があるというので調べたら、「2W希望」と書いてあった。
医者に問い合わせたら、本人が2週間の診断書を出せと言ったから書いたという。
 私たちの仲間で検察の証人として立たされた仲間がいるが、彼は拘留期間中に調書を取られる中で、無残にも私たちを糾弾することを言ったかもしれないが、実際に裁判所の公開の証言の中では、検事が「山城が言ったんだろ?」と問えば「記憶がありません」「証言すると言ったではないか」「覚えていません」と、しっかり立ち直って取り調べの無謀さを明らかにしてくれた。
 彼の名誉のために申し上げたいが、警察の中の取り調べで彼は2回失神して救急搬送されています。
そして現地調査で辺野古と高江の現場まで行った時には、足が立たずに車椅子に押されて行きました。
そしてあまりの恐怖で失禁するのでパンパースをはかせられながらの取り調べで、言葉が出なくなったので筆記で調書を作られた。
「そうなんだろ?ハイかイイエで答えろ。そうなんだろ?」ということで、全て警察の誘導に従うような供述を取られた。
取り調べ中に失神し救急搬送され、戻ってきてまた取り調べられ、また失神と、そういう恐怖を与えての供述調書が唯一の証拠だ。
これは拷問だ。
こういう取り調べでは、日本で冤罪が絶えないのは当然だと思う。
 共謀罪が審議されている時期だったので、たくさんの議論があった。
私にかけられた容疑は首謀者で、山城が首謀者でその他は共犯である。
つまり首謀者と打ち合わせて共謀が成立していた共謀共犯の罪が問われる。
ゲート前にブロックを積んだことが威力業務妨害とされた時に、警察の調書に書かれたのは「一つは山城とテントで寝起きした人たち、これは確実に共謀」それから「寝起きをしないまでも常時テントに通っていた人たち、これも間違いなく共謀」「集会の中で山城の発言に拍手をした人たち」あるいは「拍手をしないまでも暗黙の行動を開始した人たち」これら4ケースについて共謀があったことを認定している。
そのような共謀共犯の論が法律の世界で、地方自治体にまかり通るなど夢にも思わなかった。
 ブロックを積んだのは2015年1月だったが、2014年11月に東京警視庁から100〜150名の機動隊が来た。
そして東京警視庁を中心に、暴力的な排除が始まった。
それ以前は沖縄県警機動隊が中心だった。
 沖縄県警と私たち現場とは、一定のルールがあった。
朝、隊長に「おはよう」と言いながら「無理はしないでいましょうね。暴力的排除はやめましょう。私も無茶な行為はさせませんから、よろしく」と話をしながら現場を仕切ることができてきた。
ところが東京からやって来るようになってから、見境のない排除が行われることが始まった。
それも交通警察の制服だったのが、今のように鼠色の軍服の制服に変わりイボイボの突起のついた軍手でバァッと掴まれる。
悲鳴をあげるほど痛く、毎日悲鳴をあげながら排除されるのはたまらない。
 それで毎週水曜行動を提起して、1週目500名集まったが、機動隊は襲い掛かってきた。
500名を排除に掛かろうとしたので「止めろ、大混乱するぞ」と言ったのだが、襲い掛かってきた。悲惨でした。
2週目の水曜行動には800名集まると機動隊は手を出さなかった。
3週目、4週目と1200名集まると、機動隊はもう手を出せなかった。
そうやって止めていった。
 年が明けて1月、木曜行動を提起し、水曜・木曜の週2日阻止できればこの工事は呈しできると木曜も行動日とした。
これも成功して、止めることができた。
ところが金曜日、工事の遅れを取り戻すとばかりに、それまで20台の車しか入らなかったのにボカボカ入ってきた。
その度に私たちは座り込み、そして排除され、排除もひどかった。
午前中4回、午後3回、ごぼう抜きに抜かれ、抜かれ、抜かれて、体も心も悲鳴をあげた。
 止むを得ず、それからブロック行動が始まった。
初めは40個、50個、それから毎日継ぎ足していって、私たちが積めば彼らが片付ける、また積めばまた片付ける。
そういうことを繰り返して、お互いに「仕事」としてやったことが、ある日突然威力業務妨害となる。
一体どこで、威力業務妨害が発生し、どこでそれを証明するのか?
 有刺鉄線を切ったから、器物破壊の罪があると言う。
これは10月22日に菅官房長官がやって来て辺野古と高江を上空から視察し、工事を急げと指示した。
1日20台しか入らなかったのが、菅が帰ってから80台、100台、120台、どんどん入ってくるようになった。
運んできた土砂を一時的に山積みして置いて、そこから4tトラックで中へ持っていくわけだ。
その作業ヤードは森の中で、工事を止めさせるには森の中の作業ヤードの近くで声をあげるしかない。
作業ヤードは森の中なので森を切り開いて山道を作り、そこへ行った。
そして「水曜行動日は300人体制で山に入ろう」ということにしたのだが、前の日に道を確認しに山に入ったら、私たちが切り開いた山道に有刺鉄線がいっぱい張られて通れないようになっていた。
道の左は断崖絶壁の山なので、引っ張っている有刺鉄線をつないだ針金を切った。
ロール状に巻いてある有刺鉄線は引っ張れば伸びるし、放せば戻る。
有刺鉄線の端っこを針金で木に結わえてあったので、その針金を1、2本切った。
器物の損害額は、彼らの計算でも私の計算でも200円相当くらいだ。
それが器物損壊に問われている。
 高江の森は沖縄に残された唯一の大自然、ヤンバルクイナやノグチゲラ、そのほか希少な生物の宝庫だ。
神聖な森、山の精霊たちがいるような、神々がおられるような森を、無造作にヘリパッドと称する径100mを4ヶ所も作り、それを繋ぐように道路が6kmも張り巡らされ、その道の途中途中に木が4000本も5000本も切り倒され、中には直径1mを超すような大木が無造作に切り倒された。
誰が、あの森を壊したのか。
 ヘリパッド建設は初めの計画では、1ヶ所ずつ順番にやっていくと言っていた。
そこにいる小動物が他所へ避難できるように時間差をつけて1ヶ所ずつやると言っていたのだが、菅が来て「急げ」と言ったものだから、4ヶ所いっぺんに工事を始めた。
動物たちは逃げ場を失い、ノグチゲラが小学校の窓ガラスにぶつかるなどの事故も発生していた。
菅が、離任するキャロライン・ケネディへのお土産にするために急がせたのだ。
それを中断させるためにとった私たちの行動が罪に問われているが、本来、誰が罪に問われるべきなのか?誰が被告なのか?誰が原告なのか?
 沖縄では翁長県知事と稲嶺市長が頑張っています。
この2人が頑張って再選される限り、辺野古の基地建設はできない。
なぜなら大幅な工事変更が必要だからだ。
2人が工事変更申請を了承しない限り、基地建設はできない。
政府は海に土砂を投げ込んで県民の怒りと悲しみを誘い、もう反対しても無理なんだと諦めさせようとしている。
陸から土砂を運べず海上から船での搬送をしようとしている。
 土砂が搬出されようとしている各地で「辺野古土砂搬出反対」全国連絡会ができて、「山城さん、沖縄に土砂を遅らせないからね」と、全国にそうした連帯が広がっていることを嬉しく思う。
東京、神奈川では「公金を使って機動隊を送るのは違法」といって、裁判も起きている。
先ほど話したように警察の違法な逮捕・拘束で裁判が始まっていますが、各地での具体的な連帯の中で進めていきたいと思っています。
是非、力を貸してください。
 先日鹿児島の南さつま市へ行ったが、隣町が知覧だったので足を伸ばした。
特攻隊を顕彰する施設があるが、そこでは特攻賛美がされている。
国を守るため、あたら命を捧げた殉職に謝意を表するとあった。
私は勾留期間中に警察の中にあった図書を読んだが、警察には左がかった本はなくて、仕方がないので百田の『永遠のゼロ』を読んだ。
まさに特攻賛美の本で、劇画のような、漫画のような本だったが、若者たちがあれを読んで共感し、特攻隊は素晴らしいと思うかもしれないが、あれはどう考えても有史以来戦争を繰り返してきた人類の中でも、最悪の戦法だ。
勝ち目のない戦、戦果のあげようのない零戦の特攻、それが何をもたらすかというと、何ももたらさない。
250kの爆弾抱かせてボロボロの戦闘機で最新鋭の米艦船に向かって、艦砲射撃でやられていった。
あの悲劇をいったい誰が起こしたのか。
若者たちを、あのような悲しい死に追いやったのは誰なのか。
知覧の展示場は日本の軍部の戦争犯罪をおし隠すための展示場、隠蔽するための道具だと思う。
百田は賞賛してやまないが、あれは国家犯罪、戦争犯罪隠蔽のための、そして軍部の責任を免れようというおぞましい施設だ。
 再び若者たちを戦争に向けてはならない。
憲法を変えてはならない。
憲法を変えれば戦争になるのは必至だから、若者たちに真実を伝えていきましょう。
みなさん一緒に頑張りましょう。
 最後に先島諸島の話をしたい。
宮古、八重山の基地建設が激しいです。
与那国にはすでに150名規模のミサイル自衛隊基地が作られた。
今日は宮古で着工が始まり、集会があるようです。
石垣もこれからでしょう。
中国が来る、来ると言って、与那国、石垣、宮古、沖縄本島にも、そして奄美大島にも徳之島、馬毛島にも、全部基地が作られる。
中国の艦船を島からミサイルをぶっ放して撃ち撃沈させるという話です。
これをやった暁には、もう反撃を食らって島は木っ端微塵にやられるのは目に見えている。
 信憑性があるかどうかですが、トランプが来た時にアベは「この際、徹底的に北朝鮮を潰して欲しい。それで日本に多少の犠牲が出るのはやむを得ない」と言ったそうだが、トランプはアベに「なんで太平洋上に飛び込んでくるミサイルを撃ち落とさないのか」と言われ、それに対する返答としてミサイル防衛システムを山口県と秋田県に配備する構想が出てきた。
大気圏を飛んでくるミサイルを下から撃ち落とせば敵対行為で、即座に戦争状態に入り、米朝の対立が日朝の対立になるに間違いなく、日本に弾道ミサイルが飛んでくる事態になる。
しかもただのミサイルではなく、核弾道ミサイルが飛んでくるかもしれない。
そうでありながら、「多少の犠牲が出るのはやむを得ない」と言う総理大臣をなぜ許すのか。
今こそ安倍晋三は許さんという声を大にして、連帯していきましょう。
 九州にはさらに10何機のオスプレイがくるというし、九州中オスプレイが飛び交っている。
そして日本中オスプレイが飛び交う。
M35戦闘機は既に12機、嘉手納基地に配備されている。
アベは今度のトランプの要請に応えて、42機のM35を買うそうだ。
17機のオスプレイを買い、ミサイル防衛を導入してトマホークを導入すると言っている。
こうなったらただの戦争屋かトランプの飼い犬で、こんな風に戦争を辞さない方向性にとてつもない恐怖を覚える。
安倍晋三は許さない!みなさん連帯していきましょう。

*山城博治さんはこの3倍くらい長く話してくださいましたが、短かく詰めての報告です。
話の間に山城さんは、いつも現地での集会の時と同じように歌い、会場も共に歌い歌の合間に掛け声や指笛も聞かれ、会場は一時辺野古ゲート前のようになりました。
この後、山城さんたちの裁判の弁護士の金高望さんや琉球大学刑法教授の森川恭剛(ヤスタカ)さん、作家の落合恵子さん、佐高信さん、精神科医の香山リカさん、沖縄平和市民連絡会の北上田毅さん、平和フォーラムの藤本泰成さんからの挨拶がありましたが、長くなりますので、後ほどにします。
13日には「辺野古の工事、いまどうなっている?」集会と防衛省交渉がありました。
その報告も、また改めます。                        

いちえ


2017年12月8日号「12.5集会報告③」

「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」報告を続けます。
前便で坂元良江さんのお名前を、坂本と記してしまいました。
訂正いたします。坂元良江さんです。
なお、報告はこの後、もう1度続きます。
どうぞ、最後までお付き合いをお願いいたします。

●柳沢由美子さん(翻訳家)
 私は40年来、英語の翻訳をしている。
 外国の人々の思想を日本の言葉にすることだ。
言葉は主張のためにあり、そして言葉は理解のためにある。
世界には190を超える国があり、それぞれの国が主張し互いに理解し、理解されることを望んでいる。
どの国も平和を求めている。
 世界は分母で各国は分子、そして日本もたくさんある分子の一つだ。
世界は分母、日本は分子、この平和共存の思想こそ、地球に住むみんなが大切にしなければならないものだ。
トランプ大統領のアメリカファーストをはじめ、自国中心主義が声高に叫ばれている今だからこそ、平和共存・平和主義を、中心に据えなければならない大事な思想だ。
翻っていま日本の政治を見るとき、あまりにも世界は分母、日本は分子という視点が欠けている。
先の衆議院選挙でも、自民党はいうまでもなく新しくできた立憲民主党までも、世界の繋がりはどうあるべきかの思想を語らなかった。
 いま、日本と世界の接点は軍備拡張、北朝鮮への対応、自衛隊を憲法に盛り込むかに絞られている。
もっと大きな世界の問題、この地球でいかに他の国々と平和に共存するか、そのためにはどう行動するかの理念が語られない。
しかしこの理念がなければ、いま世界の国々を動かしている自国中心主義、軍事主義の波に呑み込まれてしまう。
実際、現アベ政権のもとでは、そうなっているではないか。
日本は自国中心主義に基づく行動で、第2次世界大戦で苦い苦しい経験をしている国だ。
日本は70年以上経った今でも、諸外国から人道に背いた行為が非難されている。
その日本が、過去のことはもう終わりにする、などと言ってはならない。
この姿勢そのものが、平和主義に背くものだ。
 私は日本の政治の基本理念に平和主義を入れて欲しい。
原発ゼロを目指すのと同じくらい強く、具体的に、日本は平和を希求し、あらゆる手段で平和を推し進め、世界の国々と丁寧に付き合っていくという姿勢を内外に提言して欲しい。
これこそが、現行の日本の憲法の基本精神だ。
 日本は第2次世界大戦の加害国であると同時に、被害国でもある。
唯一の被爆国であるからこそ、平和主義を強く主張すべきだと考える。
また第2次世界大戦で加害国であったからこそ、いま日本は非核・非戦争を主張することに重みがあるはずだ。
それなのに日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない。
核兵器廃絶国際キャンペーン ICAN が今年のノーベル平和賞受賞と決定しても、政府は公式のコメントを出さなかった。
なんとも残念でならない。
日本は独立国だ。
政府は大国の顔色を伺わずに、ヒューマニズムに則って、核兵器禁止・核廃絶の道を先頭に立って歩むべきだ。
それこそが、世界の多くの国々が抱いている日本の役割ではないか。
 いま、北朝鮮に対して圧力をかける、と政府は頻繁に言っている。
圧力という好戦的な言葉を公に使うこと自体、平和を望んでいることから程遠い。
政府に求めたい。
軍事的圧力、軍備拡張、最新兵器による威嚇ではなく、話し合い、繁く交流して人間関係を温め、相手国から信頼を得る努力をして欲しい。
でもそれは圧力ではなく、働きかけであり対話だ。
北朝鮮に対し不断の働きかけをして平和的解決を探るという姿勢を、政府に強く望む。
 勇気あるアイスランドの女性大統領の言葉を紹介したい。
1986年に首都レイキャビックで、当時のアメリカのレーガン大統領と、ゴルバチョフソ連共産党書記長の平和対談を実現させたのは、アイスランドのわずか30万人の国の女性大統領ヴィグディス・フィンボガドゥティルさんだった。
彼女は、米ソの対談をどうやって実現したのかとマスコミに聞かれて「小さな国にも果たすべき役割がある」と答えている。
 意志があるところに道は拓ける。
私たちの意志は平和主義、平和共存だ。
世界は分母、日本は分子。
世界平和あっての日本という原点を忘れないように、政府に働きかけていきたい。

●渡辺一枝
 少し私事を話します。
 私は1945年1月に満州ハルピンで生まれた。
半年後の7月20日、父は現地召集され、8月9日ソ連軍参戦、15日日本の敗戦で戦争は終わった。
翌年1946年秋に、母に背負われて日本に引き揚げた。
父はそれきり戻らず、私が4歳の時にお葬式をした。
またその後、引き揚げ生活が少し落ち着いてくると、ハルピンで共に過ごした母の知り合いたちが集まり、当時を語り合っていた。
 子どもの時にはお彼岸やお盆には母と一緒に、あるいは母が仕事で行けない時には母に言われて、私一人で御墓参りに行った。
けれども6年生のある日、父の墓には紙切れしか入っていないことを聞かされ、母に不信感を抱くようになり、それからは墓参りを拒むようになった。
また戦争中のことを学ぶにつれて、母や大人たちがハルピンを懐かしげに語ることを許せず、同時に侵略地で生まれた自分を疎ましく思うようになり、私は母に心を閉じた。

 母は山梨県で9人きょうだいの下から3番目だったが、若くして亡くなった長兄の本棚には左翼思想関係の本が多くあり、母もその影響を強く受けていたようで、女子師範を出て教師になったものの戦意高揚を教えるのが嫌で教師を辞めて上京し、旋盤女工になった。
 また父は4歳で両親を亡くし祖父に引き取られたが、12歳で祖父も亡くし家督を継いだ。
親戚が後継人になって旧制中学に通っていたが、帝国主義を鼓吹する教師としばしばぶつかり、自ら退学して上京し、セメント屋の住み込み店員になって自活しながらエスペラント語、中国語を学び始めた。
20歳で徴兵検査を受け甲種合格、所属の静岡連隊は満州へ渡り2年後に戻って除隊となったが、除隊後父はまたすぐに単身ハルピンへ渡り、学んでいた中国語を活かして役所の2等通訳として職を得た。
職場の上司に気に入られ見合いを勧められたが、その上司の妻は母の2番目の姉だった。
母もまた姉から勧められ、二人はハルピンで会い意気投合して結婚した。

 私が母に心を閉じたのは、父も母も戦争にひた走る当時の流れに反対する考えを持ちながら抗いの声を上げずに侵略地へ渡ったことが許せなかったのだ。
もちろん当時の日本は、それは命にかかわることだったと知ってはいても、それでも抗うべきだったと思う私だった。
また、なぜ現地召集を拒まなかったのか、母が止めれば父は出征しなかったのではないかと思い、それは若者特有の一途な正義感だっただろうが、戦争には反対だったという母に不信感を抱き、母を責めていた。
 やがて私も結婚して子どもも生まれ人生の経験を積む中で母を理解し、「いつか一緒にハルピンへ行こう」と話すようになっていた。
けれども母は67歳の誕生日の数日後に倒れ、寝たきりで言葉も出ないまま半年後に亡くなった。
 母が死んだ翌年、私は勤めを辞めてハルピンへ行った。
敗戦までの生活を母たちは懐かしげに語ったが、現地の人たちは、当時どんな暮らしをしていたのかを知りたかった。
初めて行ったハルピンでは、父と母が暮らし私が生まれた家を探した。
家は見つからなかったが、そのあたりに住むおばあさんが自分の家に招き入れてくれた。
見ず知らずの日本人にお茶を勧めてくれるおばあさんに、「私たちの国は、中国の人たちに本当に申し訳ないことをしました」と、それだけは伝えたいと思って私は言った。
するとおばあさんは「それはあなたのせいじゃない。日本の軍部がやったことだ。あなたも犠牲者だ。あなたがここで生まれたなら、ここは故郷だ。懐かしくなったら、いつでも訪ねてきなさい」と言ってくれた。
 残留孤児や婦人は他人事ではないと思っていたが、2度目に行ったハルピンで思いがけずに残留婦人に会った。
心の準備もなく突然の出会いだった。
「お会いできるとは思わず何もお土産を持たずにきました」と言うと、「お土産なんか要りません。日本語が話せるだけで嬉しいです。きっとまた来てください」と言い、苦労された来し方を聞かせてくれた。
 それからは中国人から当時のことを聞くだけではなく残留日本人に合うことも目的にして、旧満州、中国東北部への旅を重ねた。
 関東軍の荷役の苦力だった中国人からは「物資のジャガイモを運ぶ時に袋からこぼれた芋をポケットに入れたのが見つかり、裸で木に縛られて鞭打たれた」と聞き、また「食べるものがないからドングリを食べていた」と言った人もいた。
 開拓団員だった人や看護婦、女学生、カフェの女給など様々な立場だった残留日本人たちに会い話を聞いた。
敗戦後の逃避行では、昼間は隠れて夜間に歩いたが子どもが泣くと見つかると皆に責められて、濁流の河に我が子を投げたことや、3歳と4歳の子どもを連れた女性が死ぬと、足手まといになる幼い兄弟は、同行者たちに生き埋めにされたことも聞いた。
 会った途端に「ようこちゃん」と言ったのは、私より5歳年上の女性だった。
幼い日々に呼ばれて覚えていた自分の名前だけが、彼女と日本をつなぐ縁だった。
赤ん坊の時に着せられていた着物の小さな切れ端を見せ、それを手掛かりに肉親を探して欲しいと泣かれたこともあった。
 旅を重ねながら私は、母が語らなかった満州を知り、若い日に抱えていた大人への不信感や自己否定感もほぐれていった。
私が出会った人たち、どの一人も戦争に蹂躙されて人権を踏みにじられ、人生を弄ばれ傷つきながらも、それでも必死に生きてきた人たちだった。
中には、日本が戦争をしない憲法を持ったのは「とても良い」とはっきりと言葉にする人もいたが、そう語らずとも、彼らが聞かせてくれた体験の中に、戦争を否定し平和を願う思いが如実に語られていた。
戦争のない平和な世界を願うのは、国家を超えて、人としての願いなのだ。
 戦争で父を奪われ、戦争が起こす悲惨を他者の体験から我が事として感じてきた私は、
9条改憲を断じて許さない。
そして、反戦の思いを行動で示せなかった時代を生きた父母たちの無念をも合わせて、アベ9条改憲NO!を大きく叫ぶ。

●渡辺美奈さん(アクティブミュージアム女たちの戦争と平和資料館wam)
 先ほど戦争未亡人の子どもは就職差別を受けたという坂元さんの話があった。
私の祖父はビルマで戦死し、私の父も戦争未亡人の子どもとして就職差別を受けたと言っていた。
これを友人に言っても誰も信じてくれず、そんなこと有り得ないと私は言われ、「でも本当らしいよ」と言っても信用されなかったが、坂元さんの話を聞いてやっぱりそうだったんだと思った。
戦争で死んだ人の子どもを差別する社会だったというのが、私個人の中では、私がこういう運動をしていることの一つの理由かもしれない。
 私は日本軍慰安婦を中心に戦時性暴力の被害を伝えるミュージアムを運営して今年で12年目になる。
日本軍慰安婦にされた人たちの告発というのが、先ほどサンフランシスコの事例もあったが、今なぜこれほどまでに、アベ政権、メディアを含めた日本社会がヒステリックな反応をしてまで否定しようとするのか。
それは単純に女性蔑視だけではなく、一人一人が日本の植民地支配と侵略戦争において、日本軍、軍を肯定する日本人、植民地支配や満州國と呼ばれたところで生きていた一人一人の加害性について問うことがなかった日本の戦後72年を、「私が証拠だ」と、慰安婦にされた女性たちが体を張って告発しているからに他ならない。
だからこそ「隠れてないで出てこい」というふうに韓国のハルモニが言った。
 しかし、アベや菅は耳を塞いで出てきもせず、直に声を聞いたことは一度もない。
耳を塞いで聞こうとしない人たちは、残念ながらこの会館の女性たちの中にもたくさんいるだろう。
その事と日本の軍事化の進行は、深く繋がっていると思う。
 天皇の軍隊は女性を守ってこなかった。
そして戦後、男たちは自分たちより強い男に女を差し出して生き延びた。
それは戦後、占領軍に対する慰安所RAだけでなく、満蒙開拓団の女性たちの証言からも判ってきた。
 男は守ってくれるという幻想は、軍隊が守ってくれるという妄想と地続きだ。
戦場の男も戦場の軍隊も、脅威でしかない。
暴力を振るう事を目的に敵の殺し方を日夜訓練している軍隊の側で、平和に生きていく事ができるだろうか。
これは、高校生の時に米兵から性暴力を受けた沖縄の女性が発した、根源的な声だ。
攻撃のターゲットとなる軍事基地のある場所が、戦争中も日常も、最も危険な場所である事を、沖縄の戦中・戦後は伝えている。
 今日の話の中で、誰も自衛隊は違憲だと言わなかった。
私は今も自衛隊は違憲だと思っている。
憲法9条を実現するために時間がかかったとしても、自衛隊を解体していく事は、そんなに非現実的な事だろうか?
私にとっては、Jアラートや発射されたミサイルを撃ち落とす事が、あるいは専守防衛の名の下に中国に対抗するような軍隊を持つ事の方が、よっぽど非現実的に見える。
北朝鮮からのミサイルが飛んだ上に、日本海沿岸部に並ぶ原発をなぜ廃炉しないのか?
その方が武器のマーケットでショッピングをしているよりも、緊急事態という時に一番できる現実的な政策だと思う。
 3.11の時に沖縄の高里鈴代さんがTVで自衛隊がヘリコプターで下りていくのを見て、「怖い」と言っていた。
自衛隊を解除して災害救助隊にする。これは災害列島日本の現実的なニーズだと思う。
全然救助の訓練さえ受けていない若い自衛隊員が、非効率的でも頑張っているからと褒めるのは、政策的にはアウトだ。
暗がりでは迷彩服は見分けられない。
使うかどうかわからない戦闘機に多額の税金を使うのではなく、天候が悪くてもどんな悪環境でも、安全に人命救助ができるヘリコプターを開発していく事は、現実的なニーズだ。
そして災害救助隊であれば、女性も安心して働ける。
女性の雇用確保につながる。
地震の多い日本の経験を生かした災害救助隊を海外に派遣していく。
血を流すのではなく、汗をかく。
人間による貢献、これこそが日本の憲法に則した国際貢献であり、貢献と信義に信頼して安全と生存を保持する、その術の一つだろう。
 残念ながら現在仮想敵国と思われるのは、日本がかつて侵略戦争と植民地支配によって甚大な被害を与えた国々だ。
アジアの人々から信頼を回復して、信頼を増幅する事、この事が日本軍の慰安婦にされた女性の人間回復、そして戦争での植民地支配で被害を与えた人々への償いというものは、緊急を要する現実的な安全保障政策の一つであると思う。
 米国に追随した軍事増強というのは、最も危険な選択肢だ。
戦争のない、軍隊のない世界、自衛隊も米軍もいない日本を作るために、私たちの宝である憲法の実現に向けたロードマップを作る事。
すぐにできなくても、どういう順序でやるかというロードマップを作る事、こんなに楽しくて難しい政策は、女性にしか作れない。
議員の皆さんには、是非その政策を作っていただきたい。
そして暴力で解決する社会からは、性暴力は無くならない。
女の考える知恵を集めてみんなで頑張りましょう。


2017年12月7日号「12・5集会報告②」

*12月5日の「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」集会報告続きです。

●伊波洋一さん(「沖縄の風」参議院議員)
 沖縄は辺野古新基地建設の問題で、毎日100名を超える人が現場で座り込みをしている。
その思いは、2度と沖縄戦のような戦争を起こさせないという思いからだ。
今の沖縄の状況は、アベ政権になってから先島諸島にも自衛隊の基地が作られ、それは対中国戦争シフトというのでこれが進んでいる。
北朝鮮問題が緊迫しているが、北朝鮮はアメリカが攻撃する可能性が高く、沖縄の米軍基地は今、とても緊迫している。
そうなると日本が巻き込まれる訳になる。
 中国については、当初アメリカは中国に対しかなり攻撃的姿勢だったが、今日経済があれだけ発展して大国になると変わってきている。
アメリカの情報機関CIA の調査では、もはやアメリカの経済は世界で3番目で、1番目は中国、2番目はEU 3番目がアメリカで4番目がインド、5番目が日本となっている。
そういった中で、アメリカの代わりに日本が戦えという状況になっている。
そういう状況で日本は、積極的に中国との戦争の準備をしていると言っても過言ではないのではないか。
 その一つが、9条の改憲論だ。
アメリカの代わりに戦争ができる国にしていく。
戦争がどこで行われるかというと、日本の領土で行われる。
日本の国内の人が、アメリカのもとで闘う場所を誘致付けられているというのが、今の日米安保になっている。
かつて日米安保はアメリカが日本を守るための条約ということで、日本が攻撃されればアメリカが助けるということだった。
アメリカは北朝鮮を攻撃しようとしているが、中国はもう攻撃しないと決定している。
そういう中で9条をなくすのがいかに危険かを考えないといけない。
 日本は米軍にとって住みやすい。
どんなことをしても法律で罰せられず、思い通りのことをさせてくれるし、9,000億くらいのお金も年間日本政府が負担しているから、世界のどこよりも米軍にとって日本は住みやすい。
 今年は日中国交回復45周年だったが、何も行われず、来年は日中平和友好条約40周年だ。
今年から来年にかけての節目の年を大事にしながら、9条のまま平和な日本であり続けるためには、日中友好こそが一番大事だと思う。
少なくとも日本の運命を変えるかもしれないようなことが、いま行われていることを理解していただきたい。
日本を戦場にするかしないか、平和を実現するかということで9条はとても大事だということを伝えていきたい。
一緒に頑張りましょう。

●畑野君枝さん(日本共産党衆議院議員)
 沖縄に次いで米軍基地が集中している神奈川に住んでいる。
横須賀に置かれている米第7艦隊は、地球の3分の1を覆う最も強力な軍隊基地が置かれて、動く原発と言われている原子力空母レーガンの母港にされている。
11月21日午後に東京の太平洋上で、この艦載機が墜落事故を起こした。
行方不明者も出た。
横須賀では相次いで、イージス艦の事故が続いている。
なぜこんなことが起きるのか、日本政府に聞いてもまともに米軍に追求せず、そして繰り返される状況だ。
一つの事故の場合は、艦長が切れて勝手に船を止めてしまって相手の船がぶつかったという状況だ。
オスプレイの問題もあるが、米軍がコントロールが効かなくなっている状況だと思う。
 12年前の朝に横須賀で通勤途上に米兵から基地はどこかと英語で問われ、丁寧に教えてあげた女性が殴り殺される事件があった。
裁判は和解としたが、基地があるゆえの被害は沖縄や全国で続いている。
12年前に私たち女性はパレードで抗議をし、基地へ行った。
米兵が出てきて泣いて言った。
「自分たちは日本に来たくて来ているのではない、ママのところへ帰りたい」と。
レイプ事件が起きた時、司令部の女性が来て「本当に申し訳ない」と言ったこともある。
だから女性が世界で手を結ぶことが、本当に大事だ。
それは男性兵士をも救うことになる。
 「誰の子どもも殺させない」みなさんの闘いは、本当に大事で、なぜそれを言うことができるかといえば、世界の宝9条を持つ国であり、そして核兵器の被害を受けた日本だからだと思う。
加害の国であり被害の国である日本の女性は、世界の女性、世界の人々と結ぶ要になると思っている。
 私の母は東京大空襲の被害者で、大叔父は長崎原爆の犠牲になった。
だから私は憲法9条が大好きだ。
安倍首相は9条3項に自衛隊を書くと言っている。
答弁では、ただ書くだけだから今までと何も変わらないと言うが、書かなくてもずっとやってきて、今のこの危険な自衛隊の状態だ。
書いたら、一体どうなるのか。
安保法制では、まさに海外に行く自衛隊になってしまった。
書くということは、海外で無制限に戦争に参加する自衛隊になるということだ。
横須賀の自衛隊員の皆さんと家族の皆さんは、9条があるので自分たちは海外での戦争に行かずに済んだと、密かに声を立てている。
 母は「戦争を起こしてしまったのは、あの戦争中は女性に参政権がなかったからよね。
今は選挙権があるのだから、あなたの時代に絶対に戦争を起こさせてはならない」と言い、私はそう教え込まれてきた。
その思いを若い世代にも伝えていきたい。
国会で頑張ります。皆さん一緒に頑張りましょう。

●尾辻かな子さん(立憲民主党衆議院議員)
 大阪は維新の皆さんがいて、私は大阪市の本部選出議員だが、最近大阪市は、サンフランシスコ市との姉妹都市を解消するということがあった。
これは戦争をどう捉えるのかということで、歴史修正主義に基づいた解消ではないか。
戦時下の女性への性暴力をあたかも否定しているようなこのことに、大阪に住む一人として、議員の一人として、非常に危機感を覚えている。
 2013年に、当時の橋下市長の従軍慰安婦に対しての発言があった。
戦時中は兵士を慰めるためにそういうことは当然あってしかるべきであり、世界で同じようなことが行われていたという発言だったが、かなり問題になって橋下氏はサンフランシスコへの訪問を断られた。
その経緯があって、その流れがそのまま維新の中に引き継がれている。
そこでこのように、姉妹都市解消をするところまできてしまった。
 これほどまでに過去の事実を否定するような動きが現実になっていることに、非常な危機感を覚え、そこで女性に対して行われた性暴力をあたかも否定するようなことにも、非常な危機感を覚えている。
このような歴史を修正するような人たちに対しては、しっかりと歴史の事実を発信していくことが大事になっていく。
戦争によっていかに人生が狂わされ、女性の人権がなくなるのかという事実を否定してしまう社会は求めない。
こうした流れに対して、みなさんと一緒に声を上げていきたい。
 大阪の動きに注目してほしい。
今日は大阪では有志の皆さんが、姉妹都市解消に抗議申し立てを出すようだ。
こうした動きは福岡でも起こり始めていると聞く。
ぜひ皆さん、手を携えて一緒に連帯していきましょう。

●吉良よし子さん(日本共産党参議院議員)
 国会に送っていただいて4年半経ったが、この4年半はまさに安倍政権の暴走と共にあった4年半だ。
安倍首相はことあるごとに“平和””積極的平和主義”“平和安全法制”、と平和を連呼しながら憲法を踏みにじり、防御すべきと言って今度は9条そのものにも手をつけようとしている。
でも、そうやって憲法に自衛隊を盛り込むことは安保法制を通して自衛隊を地球の戦場へ送ること。
武力によって勝ち取るのが平和とでも言うのだろうか?
絶対に違う。
 2歳の子に読み聞かせている絵本がある。
浜田桂子さんの『平和ってどんなこと』という絵本だが、そこにはちゃんと書いてある。
戦争しない、爆弾なんか落とさない、おなかいっぱい食べられること、安心して眠れること、ちゃんと意見が言えること、君が、僕が生まれて良かったということだ、と。
まさに、この世に生きるすべての人の命を互いに喜び合う、自分が自分らしく生きられる、それこそが平和、本当の平和の始まりではないだろうか。
 それを壊すような戦争、軍事力、絶対に認められない。
だからこそ、アベ9条改憲を絶対に認めない。
明日は参議院憲法審査会だ。
しっかり訴えたいし、本当の平和を求めていく闘い、みなさんと共に手を携えてやっていきたい。

●鈴木直子さん(安保関連法に反対するママの会@埼玉)
 私は3.11の原発事故により、いわき市から埼玉に自主避難している。
その中で「安保関連法に反対するママの会@埼玉」で活動している。
これは2年前の7月に「誰の子どもも殺させない」という言葉に集まって、全国でできたママの会だ。
安保関連法に反対するためにいろんな活動をしてきた。
今も全国で頑張っているが、その中には私と同様に各都道府県に避難した人たちもいる。
 なぜ私が避難したか、それには二つの大きな理由がある。
一つは被ばくが怖かったからだ。
他の一つは差別・偏見が怖かったので夏休みまでの3ヶ月だけ避難したという既成事実を、二人の娘に作ってあげたかったからだ。
だが3ヶ月では放射能は無くならず、未だに各地に汚染がばら撒かれたままだ。
 健康被害も風評被害ではない。
100万人に1人と言われていた小児甲状腺癌が、今現在判っているだけで194人、70人に1人の割合ででている。
その検査は、子どもがここに(と言って喉を指差す)針を刺されるのだ。
本当にかわいそうだ。
私の子どももいつそうなるか、という思いで怯えている。
だから避難したいと思うのは当然の権利ではないだろうか。
それなのに、7年経つのだから自己責任で生活しろ、これはあまりにも酷な言い方だと思う。
 私も埼玉で避難者支援をしていて、避難者からいろいろ話を聞く。
避難や放射能に関して、夫との意見の違いから震災離婚した人が大勢いる。
本当に生活が苦しい。
いま全国では年間所得が300万円以下が40%も占めるが、家族があっても独居でもそうだが、なおさら母子避難者は苦しい。
自分の息子に一緒に死んでくれと言うなど、そこまで追い詰められている人もいる。
首つり自殺した人もいる。
これは大げさな話でも、風評被害でもない、実害だ。
震災関連死も増えている。
 この事実を国は隠蔽して、「寄り添います」「お一人お一人のお気持ちを大事にします」と、私たちは言われ続けて7年目になる。
何も変わっていず、むしろ生活が苦しくなっている。
 憲法前文に書いてある「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」、この素晴らしい言葉があるのに、私たち被災者は辛く悲しい毎日を過ごしている。
 時間の経過とともに苦しくなっていくのが、この原発事故災害の恐ろしさだ。
憲法13条の個人の尊厳もない。
放射能が怖いと言えば発言を止められたり、その場から退場させられたり、言論統制があるのが事実だ。
県内でも放射能が怖い、保養に行きたいと言っても認められなかったり、本当に避難したいのにできない母子たちもたくさんいる。
 どうしてこんな国になってしまったのか。
先ほどの戦争体験者の話を聞きながら思った。
私の親の団塊世代も団塊世代ジュニアの私の世代も、全く経験していない平和ボケの中で育ってしまったからなのか。
それに対して私はいま、ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める元軍人が立ち上げた組織)という世界にある団体の日本支部をいろいろな人たちと起ちあげた。
 原子力・核による被害は世界中にある。
核廃絶のきっかけを作ったゴールデンルール号に乗ったヘレン・ジャッカードさんと鎌仲ひとみさんのお話が12日にあるが、昨日打ち合わせでいろいろ伺った。
ウラン鉱山が世界中にあり、退役軍人がPTSDになったりとか、レイプが横行して大変だとか、知らない話を聞くにつれ、平和って何なのかと考える。
戦争はダメだと教えられてきたが、本来の意味での戦争被害を私たちはまだ知らない。
 これから勉強して、同世代、子育てをしている仲間たちに、生活が精一杯でという状況もあるが、もう余裕がないなどと言ってはいられない。
もう戦争の足音は、目の前に来ている。
福島県民として、長州にはもう2度とやられたくないと思いながら、明るく前向きに、ピンチをチャンスにして頑張っていきたい。
 後ろに12日のチラシと埼玉の自主避難者の気持ちを載せた冊子「ぽろろん」を置きます。お手に取ってください。

●福島瑞穂さん(社民党参議院議員)
 この間東京地裁で、安保法制違憲訴訟の原告として意見陳述をした。
角田由紀子弁護士をはじめとし、全国の皆さんに大変お世話になった。
裁判所で弁護士として意見陳述の機会は何百回とあったが、原告として「安保法制は
違憲だ。裁判所はそう言ってくれ」と言うことができたが、それが本当に裁判所に伝わるようにと思っている。
 いま憲法が最大の危機になっている。
自民党は今度の衆議院選挙の選挙公約に、憲法9条3項に自衛隊明記、緊急事態への対応、教育の無償化、参院の選挙区の合区解消のための憲法改正など4項目を掲げている。
安倍総理は2014年秘密保護法、2015年戦争法、安保関連法、そして今年は共謀罪の強行成立と施行をした。
来年にでも憲法改悪をやろうとする、戦争ができる国にする行程表の総仕上げとして、9条改悪をやろうとしていると思う。
 安倍総理は2020年9条を変えて施行するといった。
だから早ければ2018年か19年、一番早ければ2018年6月に発議、8月国民投票。
改憲手続き法は発議から60日〜180日で国民投票しなければならないとあり、60日が最短だが、この最短でやるだろう。
最も遅くて2019年7月の参議院選で、同日の国民投票をやるのがデッドライン。
来年9月が自民党総裁選で、総裁選をまたぐという説もあり、発議をしたからやってくれという可能性もあるが、私は国民の間に広がる前にできるだけ早くにやろうとするのではないかと思っている。
 11月30日参議院の予算委員会で、私は質問した。
9条3項に自衛隊を明記するということは、集団的自衛権を行使する自衛隊のことですね?
安倍総理は「憲法9条1項、2項の解釈を変えて限定的に集団的自衛権の行使を認めたので、そのままです」と言った。
 つまり、1点目。
集団的自衛権の行使をする自衛隊の明記だということを明言した。
災害救助や国土防衛のための自衛隊ではない、世界で戦争する自衛隊だ。
 2つ目、憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めると言った。
1972年の砂川判決で、判決から集団的自衛権の行使は認められるとして解釈は変えてないと言っていたのに、答弁では解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めたと言った。
 安倍総理は、質問をするたびに答弁が変わる。
加計学園の問題でもそうだが、それはさておき、とにかく大変な状況だ。
安倍政権がやろうとする憲法9条改変の発議を、人々の力で止める。
国民投票に絶対に行かないように、憲法改悪発議を止めたい。
2週間前まではCMは全く自由であるとか、最低得票数も書いてないとか、国民投票法には、まさに欠陥がある。
国民投票をさせない。
発議を止めていく。
そのために一番有効なのは、女の口コミ作戦だと思う。
とにかくあらゆるところで、3000万人署名も含めてあらゆるところで、憲法9条を変えさせない声を上げて広めていこう。
みんなの力で憲法9条を変えさせない。
時間との戦いだと思うが、大きく大きく、楽しく愉快にチャーミングに広げていけるよう、一緒に頑張りましょう。

*大変長くなりましたが、12.5集会報告はもう少し続きます。
どなたの発言も、ぜひお伝えしたい内容なのです。       

いちえ


2017年12月6日号「12•5集会報告①」

◎「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」
12月5日、参議院議員会館講堂で、件名の集会がありました。
主催は「安保法制違憲訴訟・女の会」と「一票で変える女たちの会」です。
国会では幾つかの委員会が開かれている時期だったので、随時駆けつけた議員の発言を挟みながら予定された市民の発言が続きました。
市民、議員合わせて17名の方が発言しました。
発言順に記します。(「です。ます」調で話されましたが「だ。である」調で記します)
●角田由紀子さん(弁護士)
主催の二つの会のどちらにも関わっているので、主催者挨拶に代えてお話しします。
1 集会のタイトルは「憲法9条は世界の宝」だ。
憲法9条は日本の宝であることはもちろんだが、世界を戦争のない場所にするためには9条思想を世界中に広め、世界の宝として共有したいという願いをタイトルに込めた。
憲法9条は、私たちに生きることを保障しているが、9条が生まれた歴史がそれを示している。
アジア・太平洋戦争で多くの人々が殺されたが、それらの命と引き換えに、日本人は9条を手にした。
戦争の時代との決別の宣言でもある。
平和的生存権を保障する憲法前文に明記されている言葉は、そもそも9条が初めから
世界の宝たらんとしたことを示しているのではないかと思う。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいとおもふ。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たふとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
この平和的生存権を実現するために、憲法9条、13条をはじめとする条文が置かれた。
憲法9条は次のように謳うがその断固たる決意を語る言葉は、何度読んでも美しく、心を奮い立たせ、よく生きよと呼びかけ、安らぎを与えてくれるのではないだろうか。
(1項)(戦争の放棄)
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2項)(軍備及び交戦権の否認)
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
2 世界は平和に生きることを熱望している。
1945年以降も世界のあちこちで戦争があり、今もシリアでは子供たちが殺されている。
沖縄では米軍占領の事実が続き、平和憲法を持つ祖国への復帰を熱望した沖縄県民は、その願いを実現できていない。
私たちは、憲法9条を世界の宝にと訴えると同時に、沖縄に憲法9条をと訴える義務がある。
ほとんど裏切りでしかなかった本土復帰は、今でも沖縄に憲法9条をもたらしていない。
日本政府はアメリカとともに昨今の北朝鮮情勢を口実に、再び沖縄を戦火に曝すことを密かに企んでいるのではないかとさえ思わせられる。
世界中が外交での問題解決を訴えているのに軍事的解決で北朝鮮を脅迫するアメリカのやり方に、安倍首相は諸手を挙げて賛成を叫ぶ。
しかし世界は、平和の実現を諦めず、むしろ平和への道を具体化しつつある。
2017年7月7日、国連は「核兵器禁止条約」を122カ国の賛成で採択した。
戦争放棄の国コスタリカのエレイン・ホワイトさんが条約成立の議長として尽力した。
現代戦争のリアリティは全員が敗者になることであり人類を消滅させることをもたらし得る核戦争は、端的にそれを示す。
核兵器のいかなる仕様も壊滅的な人道上の帰結をもたらすのだから、「完全な廃絶」が必要だと条約は明言している。
条約に先立ち2016年11月、国連総会は「平和への権利」を国際宣言として採択した。
この権利は2005年に市民からなるスペイン国際人権法協会の提案から始まっている。
こう見てくると私たちの憲法9条は、現在の国際的な動きを先取りしたものであることがわかる。
3 憲法9条が私たちに保障してきたもの
憲法9条は私たちを戦争から守ってきただけではなく、軍事費を抑制することで国民生活を向上させたし、学術・文化も軍事優先から決別し世界の平和と福祉の増進に貢献してきた。
安保法制法の制定で憲法9条が70年にわたって保障してきたものが、私たちから奪われようとしている。
この法律によって女性の権利が侵害されている。
まだ日本が巻き込まれる戦争は起きていないが、既に戦争という究極の暴力が法律で肯定されてしまった。
物事の解決を暴力によることを認め、社会をそのように変えていく結果をもたらす。
歴史的にも女・子どもはいつも、暴力で人権を剥奪されてきたし性的人権がやすやすと侵害されることも続き、戦争の時代には、それが極限に達した。
4 憲法9条3項は何をもたらすのか?
安倍首相は詐欺的な9条3項の加憲を提案しているが、その内容は次のようなものだ。
「前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない」
自衛隊を憲法に書き込むことで、自衛隊は9条1項・⒉項と矛盾しない、つまりそれらをなきものにする。
自衛隊が憲法上の存在として軍隊であると公に認められることで、日本社会はガラリとその性格を変えてしまう。
これがもし国民投票で承認されると、自衛隊という軍隊に国民が正当性を与えたことになる。
伊藤真弁護士は軍国化された社会の姿を、次のように言う。
「政府は軍隊をしっかりしたものにするために、自衛隊の活動範囲を広げ、防衛費を増やし、軍需産業を育成し、武器輸出を増進し、自衛隊の募集を強化し、国防意識を教育現場で強制し、大学等の研究機関に対して学問技術の協力を要請するなど、高度国防国家へ進むでしょう。」
「国防のための人権制約も進み『国防』の名のもとに思想が統制され、言いたいことが言えず、学問研究や宗教も国防の犠牲になり、国防のために逮捕・勾留される…そういう自由が抑圧される国へと向かうでしょう」
これらの一部は、既に特定秘密保護法や共謀罪、安保法制法によって現実化されているが、9条3項はそれらにも憲法が承認を与えることで固定化しようとするのだ。
戦前復帰を超える窒息しそうな社会が待っているだろう。
5 連帯して行動しよう
スペイン領カナリア諸島に憲法9条が書かれた碑が建っている。
既に、憲法9条は世界で大事なものとして評価されているのだ。
2017年3月のNHK世論調査では、82%の人々が9条は日本の平和と安全に役立っていると答えていた。
9条改憲には立法事実がない。
コスタリカやカナリア諸島の人々を始め、世界中の人たちと手をつないで今こそ9条が保障している中身の実現を政府に迫り、9条改憲の野望を粉々に打ち砕かねばならない。

●田村智子さん(日本共産党参議院議員)
この会場に来る途中の廊下の正面は自民党本部だが、「この国を守る」と書かれたでっかい垂れ幕がかかっている。
安倍政権の異常な強硬姿勢が、垂れ幕に現れている。
先ほどの話にもあったが、9条改憲は国際社会での孤立化の道を歩んでいる。
北朝鮮の問題でこれほど対話を拒否するのは、世界の中で安倍首相だけではないか。
アメリカのトランプでさえ対話の余地はある、対話の準備はあるという発言が繰り返され、中国や韓国へ行った時にも対話が完全拒否ではないという態度を示している。
その中で、対話をしてはダメという安倍の態度は異常だ。
米国と一体化して自衛隊を活用して、先制攻撃も辞さないような北朝鮮への対応はおかしい。
私たちが知らないうちに、北朝鮮の問題で日本が武力行使に巻きこまれかねない。
核兵器禁止条約にも完全に背を向けて、核抑止力に固執する国に成り下がっている。
こういう人たちが9条を壊そうとしていることを、国民の皆さんに知らせていかないといけない。
私たちは議会が彼らに3分の2を占められてしまっても、国民の世論や運動の力で改憲を発議させないことは可能だという立場で、大きな運動を広げていく覚悟だ。
9条の問題を考えるという大学生の集まりに、先日呼ばれた。
グループ討論で「9条をどうするか」という提案を受けてコメントする立場で呼ばれた。
驚いたことにグループの大学生たちはみんな「9条に自衛隊を書く」という提案だった。
なぜかと聞けば、勝手な解釈をさせないため、自衛隊に戦争をさせないために9条に書くと言う。
彼らは不勉強ではあるが、安保法制で勝手な解釈をされたという思いが学生たちにはあるのだと思う。
そんな風に勝手な解釈をした安倍政権が9条を変えたらどうなるか。
イラク戦争の時に9条があったから自衛隊は戦闘地域に入ることができなかったということを、もっともっと若者たちに伝えて、安倍9条改憲の危険を若者にも訴えて広めていきたい。
共に頑張ろう!

●是恒香琳さん(元SEALDs)
20代の視線から改憲について思うことを話したい。
特定秘密保護法、TPP、集団的自衛権行使容認、原発再稼働、沖縄米軍基地問題、自衛隊日報隠し、テロ等準備罪、共謀罪、森友学園・加計学園事件、労働基準法改定など次から次へと抗議しなければいけないことが登場して息切れしている中で、これまでにない危機感を持って改憲が迫っている。
日本国憲法は、謂わば、先ほどの山のような問題と闘う時に私たちが拠り所にしてきたこの国の良心であり尊厳だ。
次々と溢れ出てくる問題に押し流され、なし崩しにされないように私たちが重ねてきた命綱は、今のこの憲法だ。
だから改憲によってこの命綱が切られてしまうことを、私はとても恐れている。
自民党の憲法改正推進本部は、先月初めに改憲に向けてのロードマップを出したがそれによれば来年発議し2019年夏に国民投票でとしている。
安倍政権がこれまでのような強引さで進めれば、日程のように進む
私たちはこれから1年半、もしかしたらもっと早まるかもしれない間に、より多くの人に改憲のことを伝えなければならない。
改憲させないためには日本国憲法を身近なものとして知る必要があるし、みんなが憲法や条文を自分の言葉で語る必要がある。
憲法が、政治家や法律家の話題と思われている状況を変えなければならない。
餅は餅屋というけれど、主権者は私たちだ。私たちが餅屋なのだ。
改憲は9条の破壊だけではなく、基本的人権や国民主権を破壊し、その性質を根本から変えてしまう可能性があることも伝えていかなければならない。
私たちは北朝鮮という具体的な敵を掲げられ、恐怖を煽りミサイルの映像を毎日のように見せられている。
国難を突破するには時代にあった新しい憲法を作るべきだ、緊急事態条項を新設する必要があるという盛大なコマーシャルにさらされている。
一昨年SEALDsが心がけたことの一つは、このコマーシャルを乗っ取ることだった。
私たちの言葉を、マスメディアにとりあげさせようとした。
これは確かに、国会で何か起きていると多くの人に関心を向けさせることはできたが、その中身をマスメディアに盛り込ませられなかった。
変わった若者たちとして、お茶の間のタネとして消費されたように思える面もある。
しかし、組織や権力を持たない私たち小さな人間が我が身を晒して、巻き込まれながらも巻き返していくしかないと思っている。
金や権力を後ろ盾にした盛大なコマーシャルに対抗する手段は何か?
それは口コミだ。
生活の言葉は、井戸端で語られる。
身近な言葉は食卓で語られ、友人の間で語られる。
人に届く言葉は、身を晒した等身大の言葉だ。
1週間ほど前に、戦争体験者の92歳のおじいさんに話を聞いた。
フィリピン・ミンダナオ島で飢餓地獄を体験した人だ。
「人間はジャングルで死ぬと、水分がある目と口から蛆がわく。
まるで笑ったように見える。
それが70年経った今も忘れられない」と、涙を流し声を詰まらせながら話してくれた。
その人はまた、太平洋戦争に踏み切った時の日本と、今の北朝鮮が似ているという。
「誤解を招くかもしれないが、これだけは言いたい。
アメリカの尻馬に乗って、これ以上北朝鮮を追い込まないでほしい」と言った。
私の友人には、「北朝鮮怖いし、やられる前に先制攻撃したほうがいい」という子もいる。
このおじいさんは、北朝鮮の人々に70年前の自分の体験を重ねて語った。
その言葉のほうが盛大なコマーシャルよりも、ずっと人の心に届く。
北朝鮮と当時の日本が同じだとは言えないが、おじいさんの言葉は理屈を超えて、惨たらしく殺された人々と、殺す側の傲慢さ、殺せと命じる者のお気楽さを浮き上がらせて教えてくれた。
私たちもその言葉の力で、日本国憲法という命綱を切られないように、国のコマーシャルと闘っていこう!

●山添拓さん(日本共産党参議院議員)
私は憲法審査会委員として、引き続き国会でも発言していきたいと思っている。
国会はようやく1週間前から答弁が始まったばかりだが、今週末には早くも閉幕が予定されている。
TVをご覧になっている皆さんは、何度かTVに物をぶつけて怒りをぶちまけたいと思ったのではないだろうか。
あれほど国会審議から逃れ続けようとし続け、野党の質問時間も削ろうとする安倍政権が、憲法審査会だけはしっかり開き進めようという姿勢をとっている。
参議院では明日(6日)1時から、開かれる。
衆議院では一足先に11月30日に開かれ、自民党側は総選挙を終えて自公の改憲勢力が3分の2を占めたので、改憲に向けて勢いを示したい思いもあったろうが、ちょっと様子が違った。
この夏に審査会メンバーがヨーロッパに視察・調査に行った、その報告がされた。
イギリスで議員に会見した自民党議員が、自衛隊明記の憲法改正をやろうと思うと誇らしく話したら、相手のイギリス議員は「今まで自衛隊は憲法のもとで存在してきたではないか。なぜ変える必要がある?変えるということは防衛のためではなく攻撃のための自衛隊にしようと思っているのではないか?」と言われた。
世界から見れば異常な安倍政権のもとで、憲法を変えて自衛隊を書き込もうとする狙いは、とっくにお見通しということだ。
しかも、多くの国民はこれを望まず、他にやることがあるだろうと思っている。
他にやることがいっぱいあるのに、憲法を変えようとする、戦争する国に変える改正をしようとしている。
法律上、憲法上、自衛隊を持ち集団的自衛権を行使できるようにするだけでなく、暮らしの中の様々な予算が削られることだ。
安倍首相はいつも、お金がないからこの予算は削るなど小泉政権の時よりも抑制していると威張っているが、トランプに言われればホイホイと新しい武器を買っている。
一体どこにお金があるのか?
9条を変えて戦争する国に変えるということは、日本社会のあり方を大きく変える。
戦争する国にすることは、海外で武力で相手を傷つけ殺すだけではなく暮らしを変えていくということだ。
国会で、発議をさせないようにしていく。

●坂本良江さんさん(プロデューサー)
私がなぜ平和憲法を何が何でも守らなければと思っているか、私の人生体験を聞いていただくことで訴えたい。
戦争が終わった時、私は小学2年生だった。
大人たちはこれからの暮らしなどいろいろ話していたが、私はただただ、お父さんが帰ってくるということを嬉しく思っていた。
3月の大空襲で母と私を頭に4人の子供で信州に疎開していたが、父は帰ってこなかった。
親戚も知り合いもない信州での疎開生活で、大変な苦労をした。
母は慣れない農作業を手伝ったり、ミシンを踏んだりして子どもたちを育てた。
たけのこ生活で、父の背広や時計など父が身につけていた物や子どもたちを写してくれたカメラ、私達姉妹のために残してくれた晴れ着、茶の間にあった電蓄、みんな食料に変えた。
母は子どもたちに食べさせ自分は食べない生活で、肺結核になってしまった。
農家の2階を借りていたが極貧の生活で、生活保護を受けていた。
生活保護家庭の子ども、戦争未亡人の子ども、片親の子どもということで、大変差別を受けた。
私より1つ上の戦争未亡人の子どもは、どんなに優秀でも高校へ行けなかった。
紡績工場の女工になるか、商店の店員になって都会へ働きに出た。
私が中学3年の時に戦没者の家族に遺族年金が出ることになり、それで私は進学できた。
アルバイトをし、奨学金をもらって大学に行くことができた。
ところが卒業し就職試験を受ける時に、父がいないことでまた差別を受けた。
60年安保の時代で、試験にはデモに行ったかも聞かれ面接で落とされたが、幸いそれを問わない会社に就職でき社会人としての一歩を踏み出した。
結婚して男の子が生まれ、その子も結婚して男児の孫も生まれたが、孫は今16歳だ。
私の祖父は日露戦争で戦死したので祖母も戦争未亡人なので、2代続いて戦争未亡人の家庭だ。
父の弟も戦死したので、いとこも戦死した父親のおかげで大学に行った。
私の家庭は、2代続いてそういう家庭だった。
そういうこともあって、結婚して夫も息子も戦争に行くことがないことを、本当に幸せに思う。
息子がティーンエイジャーだった時、一緒にベトナム戦争の映画を観に行ったことがあるが、18歳、19歳の兵士、ベトナムの若者が殺され死んでいくのを見て、隣に座っている息子が戦争に行かない、戦争で死ぬことがないのが、こんなに幸せなことかと、そのことに涙がこぼれた。
平和憲法がどれほど大切か、身をもって感じた。
2代続けて戦争未亡人になった家庭だが、2代続けて男たちを戦争に送らなかった。
2代で終わらせず、孫たちもまたその子どもたちも、4代も5代も、もう戦争に男たちを送らないために、平和憲法を守りたい。
一昨日、アベ9条改憲NO!3000万人署名活動をした。
9人で取り組み100人以上の人が署名してくれたが、若い女性たちは全く署名せず、それにはめまいを感じるほどショックだった。
一番多く署名してくれたのは中高年の男性で、中学生を連れたお父さんと話をした。
「この子にきちんと思いを伝えます」と、お父さんは言ってくれた。
見ず知らずの人と出会いそんな風に話ができるのも署名活動で、これからも署名活動や一票で変える女たちの会の活動をしていきたい。

*長くなるのでここで一度切り、集会報告は分けてお送りします。

いちえ


2017年12月5日号「報告とお知らせ」

◎報告1 12月1日 原発事故被害の今とこれから 求められる「国」の関与とは
主催:原発事故被害者の救済を求める全国運動
共催:「原発事故子ども•被災者支援法」推進自治体議員連盟
協力:避難の共同センター、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)、「避難の権利」
   を求める全国避難者の会
 上記集会と政府交渉が衆議院第1議員会館国際会議室で行われました。
●開会挨拶:佐藤和良さん(全国運動代表、いわき市議会議員)
 2013年9月に県文化センターで原発事故被災者の救済を求める全国運動が起き、
①住宅問題、②保養、③健康の三点について政府交渉してきたが、ほとんどすべて蹴られてしまった。
 住宅無償提供もこの3月で打ち切られ、雇用促進住宅入居者が追い出しを受けて訴えられている。
災害救助法に拠る毎年の更新ではなく、原発事故被害については新たな支援法を確立すべきで、原発事故子ども・被災者支援法に基づき、きちんと対応してほしい。
これは最初から対象地が分断されるかたちで作られたもので、請願の中にも健康診断を含めてちゃんとして欲しいと言っても認められない。
 保養問題は県では自然体験という形で行われ、これが唯一のものだが、これも縮小され継続的にと交渉を続け、今年2月にも交渉したがアベ政権では非常に壁が厚い。
これら三点について、これから、またここから頑張って交渉していく段階での今日の集会だ。
*参加議員挨拶:菅直人さん
 原発事故時に総理の立場であったが、子ども・被災者支援法の超党派の会議で交渉があった。
山形県の雇用促進住宅の追い出し訴訟はとんでもないことで、原告の機構は独立行政法人と言っても元は厚労省の管轄のことであり、機構独自に訴訟を起こしているのはおかしいし、通らない話だ。
機構の資金全額を厚労省が出している。
管理する機構は管理しか考えていず、管理責任だけで判断しているのは間違いだ。
原発事故の責任は国と東電にあるのだ。

❶避難者の住まいと暮らし
*現状報告:瀬戸大作さん(避難の共同センター)
 政府は自主避難者の住宅支援を2017年3月で打ち切ることを閣議決定し、避難当事者に応急みなし仮設提供を終了した。
これによって被害者である避難者は経済的理由から汚染された地域に自らの意思に反して戻らざるを得なくなるか、貧困を覚悟して避難生活を継続するかなどの選択に迫られた。
このような政府の方針は、2012年に全会一致で成立した「原発事故子ども・被災者支援法」に違反しているとともに、日本が締結している複数の国際人権に関する条約にも違反している。
 避難当事者と支援者が中心となり昨年7月12日、避難先での生活支援や情報共有、相談、自治体への支援継続要望などを行う「避難の共同センター」を設立した。
避難当事者と支援が「共同」することを大切にし、生活困窮者やシングルマザー支援団体、法律家、自治体議員、保養事業を行う市民グループなどの代表が「共同」して運営を担い、避難当事者からの「住まいに関する相談」「生活困窮に伴う問題解決の為の支援」を行ってきた。
 しかし住宅支援が打ち切られた4月以降になって「生活困難、経済的困難に陥り、4月以降の家賃支払いが困難」「生活保護申請しても、さまざまな理由で受給が断られる」「応急仮設供与が終了したのだから福島に帰れと言われる」などの事例が発生している状況だ。
 避難者への個別事情に応じた生活再建(自立)支援を怠った結果、住宅無償提供打ち切りによって一気に問題が深刻化、避難者を深刻な貧困に追い込んでいる。
経済的貧困、つながりの貧困、情報の貧困が連鎖している。
東京都や山形県の避難者調査でも明らかになっている。
特に公営住宅に入居できず民間賃貸住宅、雇用促進住宅で避難を継続されている皆さんの経済的困窮が深刻化されている報告がされている。
 自主避難者に対する個別の状況把握と、それに合わせた支援策が整備されない状況で「命綱」であった住宅無償供与を打ち切ってしまった事実が、今日の状況を招いたことを認識してほしい。
 希望する自主避難者が等しく公営住宅の優先入居及び民間賃貸住宅など継続的な家賃支援などの支援を行ってほしい。
母子避難、高齢者世帯など個別の状況把握をすすめ、必要な生活支援を行ってほしい。
 山形の8世帯の方々を含め、避難者に対して強制退去をさせないよう、国・県として措置を講じてほしい。
山形の被告代表の武田さんは、訴えられた訴訟の被告代表になった理由を、この裁判は自分たちだけの問題ではなく避難している被害者全体の問題だと考えるからだと言っている。

*講演:塩崎賢明(よしみち)さん(立命館大学特別招聘教授)
 ⑴神戸・阪神大震災でも同種の問題が起きていてそれは今も続いているし、今後も起こりうるので、災害復興における住まいの問題として考えたい。
 住まいは死活的な条件で、被災者、生活困窮者には住まいの確保が第一だ。
 憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限殿生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあり、「住まいは人権」なのだ。
 憲法前文「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。
 住宅復興には長期の時間が必要だが、次第に忘れられる傾向にある。
長い復興過程で生じる「復興災害」を避けることがきわめて重要だ。
しかし、現行の「災害対策」では、復興過程で必要な施策が考えられ、制度化されていない。
⑵原発災害自主避難者の追い出し訴訟について
 2017年3月末に自主避難者への住宅提供打ち切り
 2017年9月25日、米沢市内の雇用促進住宅に入居する8世帯を「高齢・障害・求職者雇用支援機構」が提訴。原告の機構は、福島県が3月末に自主避難者への住宅無償提供を打ち切ったため、雇用促進住宅の貸与契約は終了し、8世帯は不法占拠にあたると言い、4月以降の家賃支払いと明け渡しを要求している。
・福島県からの避難者35,000世帯,自主避難者26,600世帯,12,000世帯への支援打ち切り。
・福島県による家賃補助,東京都などによる公営住宅提供は極めて不十分。
・生活困窮,行き場を失った人々に対してそこに強制退去の裁判。
・これは「原発事故子ども・被災者支援法」違反する行為だ。
第1条「一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し,または居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者(以下「被災者」という)が、健康上の不安を抱え,生活上の負担を強いられており……,被災者の生活を守り支えるための被災者生活支援等施策を推進し,もって被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与することを目的とする」
第2条 被災者生活支援等施策は,被災者一人一人が第8条第1項の支援対象地域における居住,他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。
・自主避難者も一人一人が道を選択し,きちんと生活できるように、国が支援する義務がある。(望んでふるさとを捨てた人はいない)
⑶借上げ公営住宅からの追い出し
阪神淡路を例にとれば住宅からの退去を迫る根拠に、期限切れ、公平性(退去した人もいるのにあなただけ認めるわけにいかないなど)、財政負担、転居の容認性がある。
強制転居により起こる問題は、高齢者や病気持ちの人にはケア施設や医療施設が無いことが起こりうるし、ネットワークが破壊されて孤独死に追いやられたりする。
住宅は単なる箱物ではなく、そこにコミュニティがなければならないのだから、被災者の生活再建のための制度的な備えが必要だ。
 日本は災害大国で原発密集国なのに、住宅セイフティネット法改正されたが「被災者」を災害発生から3年に限定している。
日本と同じく地震国のイタリアでは「市民安全省」「災害防衛庁」があり、職員たちは24時間体制で働いている。
市民防護対策として、警察・消防・軍・アルプス救助隊などが連携していて、トイレ・キッチンカー・べっと・を250人分を1セットとしてまず用意している。

❷保養のニーズと現状:矢野恵理子さん(FoE Japan)
・保養プログラムが生まれた経緯
 本来少なくとも公衆の被ばく限度を「年1mSv」という国際勧告を守り,幅広く避難の兼裏を認めるべきだが311後の日本政府の基準は「年20mSv以下の地域に住む人は避難の必要はない」とした。
避難できない子どもと妊婦のために線量の低い場所で野外活動をと、全国の市民団体が福島県や近隣県の子ども達を呼んで野外活動を行う保養プログラムの開催を始めた。
・自然体験,野外活動支援事業
「原発事故子ども・被災者支援法」
 放射性物質による放射線が健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないことを前提に、子ども達の健康を,国が支援することが定められた。
基本方針に基づき予算化された「ふくしまっ子自然体験・交流活動補助事業」
・チェルノブイリで保養は,チェルノブイリ原発事故5年後に「チェルノブイリ法」が作られ,汚染地帯に暮らす18歳までの子どもは1年に3週間保養の権利があるとされている。
ウクライナでは15万人中5万人(2012年)が、ベラルーシでは15万人中10万人(2013年)が対象で実施。
・日本で107団体により9000人の子ども達が県外への保養に平均5,3日参加し、1回の保養で一人の参加者に、7万円以上の費用がかかっている。
全国の保養団体は資金的・人的に疲弊している実態が明らかになった。
・原発事故後7年目を迎え保養希望者は増加している。
FoE Japanは、他団体と協力して2012年1月より「福島ぽかぽかプロジェクト」という週末保養プログラムを開始し、2013年4月から拠点を土湯温泉から猪苗代に移して、対象を福島県全域に広げた。
猪苗代「ぽかぽかハウス」で年間8回、南房総で年間2回開催し、年間約250名受け入れ、約500万円かかっている。
 保養の役割は①子ども達が、安心して思いっきり外遊びできること、②お母さん、お父さんが放射能に関して不安な気持ちを話せたり、共有できること、③福島で子育てすることを選んだ人たちを全国の支援者が寄り添い応援していると伝えられること。
・保養の今後と福島ぽかぽかプロジェクトの試み
 参加者だった小学生や中学生が高校生や大学生になりボランティアとして関わり、またお母さんやお父さんもスタッフへ。
 お母さん達が自分たちが必要としている保養を仲間を募って自主企画し、メニューやスケジュールを自分たちで決め、自ら運営し、食材やボランティアなどを事務局が手伝う形に。
 1回あたりの経費を減らし、回数を増やす。来年度以降徐々に自主企画を増やし、将来的に自主企画でのぽかぽか保養を目指す。

❸健康 子どもたちの甲状腺がんは?:吉田由布子さん(NPO法人3.11甲状腺がん子ども基金専務理事)
・福島原発事故後の甲状腺検査
 国は、甲状腺がん予防のための安定ヨウ素剤の投与を的確に指示しなかった。
子どもたちの甲状腺の被ばく量もきちんと調べなかった。
本来は国の責任で、放射能が拡散した地域の子どもたちを守る施策が必要。
「子ども・被災者支援法」ができたが、国は福島県以外には保健対策を講じていない。
・原発事故後に増加した甲状腺がん
 チェルノブイリ事故後、住民への健康影響として国際機関が放射線との因果関係を唯一認めているのが事故の時の子ども(0〜14歳)および青年(15〜17歳)だった人々に増加した〈甲状腺がん〉
 汚染状況重点調査地域(1〜20mSv/年)は、県境を越えて広範に広がっているが、「子ども・被災者支援法」に基づく復興庁基本方針による支援対象地域は福島県内の汚染状況重点調査地域にほぼ等しい。
・3•11甲状腺がん子ども基金 手のひらサポート
原発事故以降に甲状腺がんと診断された子どもに対し、経済的な支援を行うために、療養費給付事業「手のひらサポート」を開始した。
目的は「原発事故子ども・被災者支援法」第13条3項に掲げられた「医療支援」について政府の包括的支援策が未だ講じられていず、緊急に民間レベルでの支援を実現することを目的とし、また経済的支援にとどまらず、患者の治療環境と生活の質の向上などにつなげていくことを目指している。
・給付対象者と給付金額など
 対象者は2011年の原発事故以降に甲状腺がんの手術を受けた人、および穿刺細胞診において甲状腺がんまたはその疑いと診断された25才以下の人で、事故時、青森を除く東北以南の1都15県(パワーポイントで図で示された)に在住していた人。
給付金額は一律10万円、遠隔転移などでアイソトープ治療の必要がある人には10万円追加.がんの再発や転移などで再手術を受けた人に10万円追加。
・これまでの給付と特徴
給付人数 105名+特例2名(福島県内75名+2名、県外30名)
アイソトープ適用 福島県内2名.県外11名
再手術 福島県内6名、県外3名
*福島県外では、何らかの症状ありでの受診が多いため、診断時点でアイソトープ治療適用の割合が多い。
福島県は早期発見ができていると思われる。
 2巡目の検査結果(早い進行)からは「過剰診断」とは言えず、手術例から見ても「過剰診断」とは言えない。
 しかし県民調査では一次検査でのう胞または結節がなかった人は次回検査になるが、次回は保険診療となる。
また一次検査でのう胞・結節があり二次検査の結果寮生診断を受けた人は経過観察となるがこれも保険診療となる。
二次検査後の細胞診検査で悪性または悪性の疑いと診断され手術など治療が必要となった場合も保険診療となる。

問題山積みの「原発事故被害の今とこれから」が集会で明らかになりました。
この後第二部では、厚労省、復興庁、国交省、文部科学省の各省への質問書を提出し政府交渉となりましたが、私は集会参加のみで第二部には参加せず帰宅しました。

◎報告2 毎月3日「アベ政治を許さない」スタンディング
 国会前は、銀杏並木の黄葉が晩秋の青空にとてもきれいでした。
70名ほど集まったでしょうか、皆で「アベ政治を許さない」プラカードを掲げました。
澤地久枝さんもお元気で、嬉しいことでした。
「2015年の7月に最初の回をやって、それ一度と思っていましたが、状況があまりに酷く毎月3日に続けましょうということで11月3日から再開しました。
その時には次の選挙では状況が変わってこの集まりも必要なくなるだろうと思っていましたが、とんでもない。
一層酷い状況で、この状況を変えるまではやめられません。
来年1月3日にまたここで皆さんにお会いしましょう。
どうぞ、みなさん体に気をつけて、よい年をお迎えください」と挨拶されました。

◎お知らせ
「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」は、明日5日,11:30〜13:00です。
会場は参議院議員会館講堂で11:00より会館ロビーで通行証が配布されます。
どうぞみなさん、ぜひご参加ください。
私も話します。                            

いちえ


2017年11月24日「11月22日のこと、そしてお知らせ」

◎住民訴訟
 11月22日、東京地裁第103号法廷で「警視庁機動隊 沖縄への派遣は違法 住民訴訟」第4回口頭弁論が行われました。
都税を沖縄への弾圧に使わせない!と起こされた裁判です。
 高江ヘリパッド工事に反対する現場では全国から派遣された機動隊による、反対住民らの強制排除、恫喝、暴力、違法行為が横行しました。
政府が国策で強行する米軍基地建設に機動隊を導入することは、公権力、警察権力の乱用で許されません。
警視庁の警察官には私たちが納めた税金から給与が支払われています。
 この裁判のことを私は知ってはいましたが、口頭弁論傍聴は初めてのことでした。
この裁判は、機動隊派遣での公金支出は違法として東京都に提出した監査請求が門前払いで却下されたことから、住民訴訟として提訴されたものです。
 この日は原告2人の意見陳述がありました。
 最初に陳述したのは若い女性でした。
秘密保護法が強行採決されたことへの抗議行動に国会前の集会に参加した時のことを述べ、その後高江の集会に参加して、高江での機動隊の暴力行為を目の当たりにした体験を述べ、機動隊派遣に税金を使うことの不正義を説きました。
そして裁判官に「現実をしっかり見据えて司法として公正な判断を」と訴えました。
 次に陳述した男性は元公務員で組合活動をしていた体験から、公金がどのように使われどのように情報開示請求に答えて開示されるか、あるいはされないかを話し、中でも警視庁内の会計はかなり杜撰で財務会計上の不正があっても、情報開示もされないことを話しました。

 警視庁機動隊の沖縄派遣は違法であると住民訴訟が提訴された時、高江のヘリパッド建設に反対するにはそんな方法もあるのだと心に刻んだつもりだったのに、その後は頭から抜けていました。
今回の裁判を傍聴して、改めてこの訴訟を支援しようと思いました。
第5回口頭弁論は1月24日(水)、東京地裁第103号法廷で11:30開廷です。
来年のスケジュール表に、予定を書き込みました。
高江に、辺野古に行きたいと思いながらなかなか行けずにいますが、この裁判を通して沖縄への連帯の思いを行動にしていこうと思いました。

◎武蔵野スマイル 望年会
 夜は、福島から武蔵野市へ避難している人たちと支援者の集まりである「武蔵野スマイル」の少し早い「望年会」がありました。
9月に飯坂から武蔵野に避難している岡田めぐみさんにお話を聞かせてもらい、その時に「武蔵野スマイル」のこともお聞きし、早速私も会員になっていたのです。
「忘年会」ではなく「望年会」って、いいなぁと思います。
 老若男女、子どもたちも交えて、和気藹々の楽しい集いでした。
そしてそこで会ったI子さんから聞いた話を、忘れずに心覚えにしておきたいと思いました。
● I子さんの話
 I子さんの自宅は郡山です。
2011年3月11日地震が起きた日は、中学2年生でした。
高校卒業まで郡山で過ごした後東京の大学に進学して、現在大学3年生です。
そのI子さんから聞いたことです。
 震災後、地元の郡山ビックパレットには多くの避難者が身を寄せていました。
I子さんの学校では学校ぐるみで被災者支援活動に取り組み、I子さんも熱心に活動してきました。
原発事故が起きた時、家族も周囲も放射能の危険などには思いもよらず、そんな話題もなかったのでI子さんもその危険性には気付かずに過ごしていました。
 進学で東京に出てきたのですが、出身地が福島だというと「被災者ね」と言われ、大きなショックと違和感を覚えたと言います。
「支援者だと思っていたけれど、被災者だった?」と。
 その後岡田めぐみさんと出会い、原発事故による放射能被害について知り、学び始めていますが実家の家族たちは政府の「安全」という言葉を信じていて、I子さんの言葉には耳を傾けないそうです。
熊本での地震の後でバイト先の飲食店ではお客さんにも呼びかけて義援金を集めて送ったのですが、その時にI子さんが店長に「寄付を呼びかけて送ることができてよかったですね」と言ったところ、店長から「福島は毎年貰っているでしょう?」と言われたそうです。
またこの店長はI子さんが休みの日に実家に帰る話をしたら、「え?福島には入れるの?」と言い、それを聞いてI子さんは、あまりにも現状を知らない人たちとの気持ちのギャップにショックを受けたと言います。
 通っている大学には福島出身の友人たちも何人かいますが、3.11のことや原発事故のこと、実家のことなどは、互いに話題を避けているそうです。
自分から話し出せば別ですが、相手が話さないことを聞き出すことはしないので、友人たちがどんな事情を持っているかは知らないと言い、「本当はお互いにもっと知りたいと思っているのに、互いに触れられない」とも言いました。
 この日は大勢が賑やかに歓談する中で、少しの間I子さんと話しただけでしたから、今度またゆっくり話を聞かせてもらおうと思いました。
でもこの日に聞いたことからだけでも、考えさせられる点が多々ありました。
福島の被災の実態は、知ろうと意識していない人たちには、ほとんど(と言うか、全く)伝わっていないのだとも思いました。

◎お知らせ
 在日チベット人の友人ロディ・ギャツォが、映画を作りました。
ぜひ多くの方に見て頂きたく、お知らせします。
彼の生まれ故郷、東チベットのツァワ・ポンダの祭りの様子を記録した映画です。
「故郷チベットの暮らしを、記録に止めておきたい。みんなに知って欲しい」そんな彼の熱意がこもった映画です。
 映画監督が作った「作品」ではありませんが、そこからは生のチベットが伝わってきます。
私も以前に数回、撮影現場の村ポンダを通ったことがありますが、村人と交わったことはなくこのような祭りがあることを知らずにいました。
大きな画面でこの映画を見るのが楽しみです。
 上映会のチラシを添付します。
 どうぞ、皆様のおいでをお待ちしています。            

いちえ

ぼくの村ー表1

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2017年11月22日号「安保法制違憲訴訟・女の会 第3回口頭弁論報告」

11月15日(水)14:30〜、東京地裁第103号法廷で「安保法制違憲訴訟・女の会」の国家賠償請求事件、第3回口頭弁論が開かれました。
女の会の原告は少ないので、傍聴への参加が呼びかけられていましたが、傍聴席を満たすよりやや多い人数が集まり、傍聴券は抽選になりました。
私は幸い抽選に当たり、傍聴席に座ることができました。

◎第103号法廷
●意見陳述の前に
はじめに裁判長が原告・被告双方の代理人に、準備書面についての確認をしました。
裁判長の問いかけに原告代理人は傍聴席にもはっきりと聞こえる受け答えをするのに、マスクをしている被告代理人の返答はモソモソとして全く聞こえません。
裁判長が、その被告代理人の言葉をまるで通訳のように繰り返して「ということですね」と確認をしたので、かろうじて被告代理人が何を言ったかが分かりました。
でもその言葉がことごとく「認否しない」とか「すでに答えている」とかで議論にならないようなことだったので、裁判長はそのモソモソ声を通訳のように繰り返した後「答弁する気はまったく無いようで、…と、まるで木で鼻をくくったように言ってます」と伝えたので、傍聴席から失笑が漏れました。
●続いて原告本人の意見陳述がありました。
この日は原告のお二人、柴山恵美子さんと福島瑞穂さんが意見陳述をしました。
❶柴山恵美子さん陳述
柴山さんは1930年生まれで今年87歳、徹底的な軍国主義教育で育てられた「15年戦争世代」です。
病弱なお母さんが5人目の子どもを身籠り、これ以上子育てはできないと堕胎したことを密告されて堕胎罪で逮捕されたこと、日中戦争勃発直後に招集されたお父さんが中国戦線から戻ってきた時のことなど、衝撃的な事実を証言されました。
お父さんが持ち帰った写真は、長靴・軍服姿で長剣の柄に両手を重ね胸を張る中隊長と、その両脇に立つ部下でした。
部下の一人は笑顔のお父さんで、中隊長の足許には首のない民間中国人男性の死体が転がっていました。
「死を覚悟して戦うため、中隊長が手本を見せて兵隊たちに首を切らせた」というお父さんの苦渋の告白を聞きました。
1945年女学校3年の春からは学徒勤労令で旋盤女工として戦闘機の部品作りの日々となり、8月15日の敗戦の日まで続きました。
8月15日の玉音放送は、祖父と父と共に3人で聞きましたが、祖父は「これからはデモクラシーの時代が始まる」となんども万歳をし、父はうなだれ、柴山さんは「必ず勝たなければ、竹槍を持って戦う」と、祖父と言い争ったと言います。
柴山さんの自分史はこの日から始まり、1年後の東京裁判を通して、望まずして侵略戦争加害者であったことに気づき、侵略戦争の道具を作ってきたという罪責感にとらわれ、悩むようになりました。
それからしばらくしてイタリアのレジスタンス運動の女性たちのことを知り、当時の社会党関係者から調査先を紹介してもらってスポンサーもないままイタリアへ行き、調査研究をしました。
イタリア女性たちの経済的自立や堕胎罪廃止の取り組みを紹介し、日本の女性運動と平和に役立つ活動を続けようと思いました。
ナディア・スパーノ著『イタリア女性解放闘争史—ファシズム・戦争との苦闘50年』の翻訳出版は、その仕事の一つです。
母と同世代のナディアさんは、憲法制定議会の21人の女性議員の一人で、反ファシズム・平和のために生涯を捧げました。
産む・産まないは女性の権利です。
敗戦の日から72年にわたって、戦争に加担した罪を償おうと必死の思いで努力してきた柴山さんの自身の歴史を否定するものであると陳述しました。
「徴兵は命かけても阻むべし 母祖母おみな牢に満つるとも」は、夫君の友人のお母さんの、朝日歌壇に載った歌です。
日本近現代史は、ほぼ10年未満の間隔で戦争を起こし続けてきましたが、15年戦争・第2次世界大戦後は辛くも72年間、戦争のない時代を築いてきました。
それはこうした人々の努力があったからで、安保法制はその努力を無にするものです。
二度と戦争に加担したくありません。
日本と世界の女性たちの名において、未来を担う子どもたちのために、戦争を許す法制度は断固として拒否します。
❷福島瑞穂さん陳述
1、2014年7月1日の安保関連法についての閣議決定から強行採決に至るまでの国会審議の経過と内容は、憲法の基本を解釈によって捻じ曲げ、立憲主義を踏みにじるものです。
国会議員として、憲法99条に基づく憲法尊重擁護義務を負う者として、違憲立法は許さない立場で粉骨砕身努力してきましたが、安保法制を可決成立させたことによって、国民から負託された義務を果たせず、また国会議員としての権利が踏みにじられました。
2、2014年7月1日の閣議決定と本件法制については、元内閣法制局長官がこれまでの政府解釈を全く異なるものに変え、憲法違反・立憲主義違反を犯すと指摘し、元最高裁判事や憲法学者も、口を揃えて違憲であるとしてきました。
政府が使った砂川判決も、集団的自衛権行使を容認する判断ではないと明らかになりました。
3、また、立法事実がないことは誰の目にも明らかです。
集団的自衛権行使を認めなければならないという説得力は政府には皆無で、唯一必要だといったホルムズ海峡の機雷除去さえ、総理は最後には「想定していない」と言い、米艦防護における日本人母子も必要条件でないことが明らかになりました。
集団的自衛権の武力行使を認める正当性や基準はあいまいで、国会など民主主義的コントロールも効かないことも暴露されました。
このように立法事実は、国会審議を通じて雲散霧消してしまったのですからこの法案は、直ちに廃案にすべきでした。
そうでなければ、これまでの審議で取り上げられなかった課題についてさらに質疑がなされるべきでした。
4、参考人質疑は、衆議院で2回。参議院では1回のみです。
公述人と参考人には女性は一人もいません。
9月16日には、衆参女性国会議員有志で女性の意見を参考人及び公述人として聞くよう、参議院特別委員会鴻池委員長に手渡しましたが、それは、国会議員は国民全体の代表として、平和憲法下における女性参政権の意義を重んじ、国民の負託に応えるべき責任があるからです。
女性の声が十分に反映されていない点で、国会の審議手続きには瑕疵がありました。
5、審議手続きの違法は、他にもあります。
国会議員の質問権、討論権、表決権が侵害され、不利益を受けました。
9月15日、参議員安保関連法特別委員会で中央公聴会が開かれました。
そして9月16日に、横浜で地方公聴会が開かれました。
9月17日、特別委員会の委員長の不信任動議が否決され、委員長が着席した途端、強行採決になりました。
地方公聴会の後は、1秒も審議はされていません。
これは憲政史上初めてのことで、公聴会を冒涜するものです。
公述人の意見が、審議に反映されることはありませんでした。
地方公聴会は、派遣された委員のみで行っているので、その結果を委員会に報告する手続きは必須なのに、その報告がないまま採決するという憲政史上初めての暴挙がまかり通りました。
議事録も掲載されていません。
2015年10月に発表された議事録は、末尾に、地方公聴会の議事録が「参照」として掲載されていますが、報告もされていない内容を議事録にあったものであるかのように掲載するのは、違法を取り繕うものとしか言えません。
また与党は、この日2時間の総理への締めくくり質問をセットすると伝えてきており、安保特別委員会の委員である私は質問を用意して待ち構えていたのですが、その質問権が侵害されました。
国民の負託を受けて質疑をする国会議員としての基本的な権利が侵害されたことで大きな不利益を被り、さらに強行採決は私の討論権と表決権も奪っていきました。
6、第二次世界大戦中の日本人の300万人、アジアで2000万人以上といわれる犠牲者の上に、私たちは、日本国憲法を手にしました。
そして、憲法9条は、戦争しない、加担もしないという戦後を築いてきたのです。
このように立憲主義が踏みにじられ、その過ちが司法によって糾されなければ、人々は憲法も法も司法も信じません。
私は、憲法は権力者を縛るものというごく普通の憲法学に従って、弁護士として、国会議員として活動してきましたが、これほどの憲法と法の支配の危機を経験させられることになるとは想像もしませんでした。
違法な手続きに基づく違憲立法は正義によって修復されなければなりません。
その責任は、まさに司法に問われるものであることを指摘して私の違憲陳述とします。

◎報告集会
閉廷後、参議院議員会館で報告集会が行われました。
●原告代理人:中野麻美弁護士
第3回の今日も傍聴席を埋めてくださって、ありがとうございます。
毎回傍聴席がいっぱいになることは、裁判長にとってはこの審議は非常に意識してやっていかなければいけないと考える、何よりもの前提になります。
今日までの間、国からは第2次提訴文に対しての答弁書が提出された。
前回の法廷で国は「原告は権利利益の侵害を主張していない、それと合わせて安保法制が制定されたことで直ちに権利利益の侵害があることではない。法の執行などで損害が発生するかもしれないが、議決されただけでは発生しない」と言い、「直ちに」という言葉を使った書面を出して、私どもの主張を切り捨てるようなことがあったので、前回の法廷で「直ちに」というのは因果関係を指すのか、それとも事実上のことを言うのかを問うた。
すると答えられないというので、書面で釈明を求めた。
8月15日に回答があり、その内容は主張の繰り返しで、何を言っても答えない態度を国は明らかにしてきた。
仕方がないので、それに対する反論と、改めて損害を主張するということで第5〜第7の準備書面を提出した。
第5書面の権利利益の侵害についての裁判所の新しい傾向について、靖国訴訟などいろいろと最高裁の判決が出ているが、それに対する学界から、民法学の観点から国賠法上の権利利益の侵害はかなり広く採られているなどの解説が重ねて出ているのでそれら文献を引用して、権利利益の侵害とは何かを反論した。
併わせて本件において原告らはどのような権利利益の侵害を主張するかの骨子を示した。
直ちに原告らの権利は侵害されたということを、七点にわたって主張している。
もっと強調したいことの一つは、この原告ら戦争を体験した方々、戦後しばらくして生まれた方々、それらの人たちに共通していることは、戦争に対する痛み、貧困、暴力、差別など戦争によるネガティブな影響を受けながら今日までそれと闘って生きてきた。
その闘いを余儀なくされたことは、憲法の構造にある。
日本国憲法は、平和・平等・人権を不即不離の関係に立つものとして捉え、それを前面に押し出して人々に保障すると言ったが、しかし国民統合の象徴として家父長制の頂点として天皇を据えたことや、差別は社会の中に根強くある構造とされていて、私たちが憲法を手にしたからといって、そこで全て平等という人生を享受したわけではなかった。
みんながそれぞれの立場で、家父長制や差別や暴力と闘わねばならなかった。
それが例外なくいろいろな人に言えるということは、陳述書を読んで強く思う。
その闘いを支えたのが憲法であったのはとても大事なことで、72年間にわたり積み重ねてきた私たちの努力が、閣議決定・強行採決で、その努力が無視された。
そのことによる損害は、とても大きい。
人権のため、平和のために闘うということに価値があるという自尊の、最も根幹にある憲法を否定するわけなので、そのことへの私たちは怒り、怒りも損害のうちの一つだ。
被害は、今日までみんな戦争の中を生きているという側面もある。
被ばくした人は、未だにトマトの皮の湯むきもできない。
これは一体なんなのか、そういう被害を受けながら必死に生きている。
それらの人たちのことを、一体政府はどう考えてきたのか。
安保法制の、最も深刻な部分だと思う。
それから、何より武力で紛争を解決することを法的に承認するというのが、安保法制の肝の部分だと思うが、でも私たちの日頃は性暴力に対して反対したり、差別に抗って生きていく権利を主張してきているが、それは、力関係で物事を決めない、どんな人間でも互いに対等な存在だということが基本になっている。
戦争しないというのは、そういう考えをベースにしているが、安保法制は紛争を武力で解決する。
テレビなどで溢れている「もっと圧力をかけて」などという言葉が、子どもたちの口からも出ていることに非常に心が痛む。
法的にこういう考え方を承認するというのが、社会におけるそのリスク環境を強度に作っていく。
それを文化に反映させられていく。
生活の中に支配的な考え方として浸透してきたときに、女性たちに対する暴力が増長させられる。
現にベオグラード、ユーゴスラビアの紛争のときに、武力衝突は終わったけれど、女性たちは戦争が終わらず、家庭の中で暴力を受け続けている。
そういう構造をどれだけ審議したのかということも重要な問題で、そういうことを中心に具体的に損害を主張することにした。
第6は、柴山さんの陳述を中心にしながら、具体的に主張した。
これは戦争を体験した者としての損害ということで主張した。
第7は、立法過程を詳細に検討しなければいけないということで、議事録などを引用しながら、内閣の憲法解釈を変えた閣議決定をめぐる審議から安保法制をめぐる審議まで、ずっと経過を追って、それに法的評価を加えた。
審議経過自体が、法の支配に反している。
福島さんが、意見陳述した。
そういった準備書面を出し、裁判長はよく読んでくれていると思ったが、今日はそれに対する認否を迫ろうと思った。
国側を引きずり出して争点化することによって、議論することが重要だと考えたが、国はあんな答弁で、裁判長は「答弁する気はさらさらないようですよ」と、さすが落語をやっていた裁判長で傍聴席を笑わせるのは上手いが、そういう国の反応だ。
それをとても遺憾に思って「あなたがたはシビルサーバントというのですよ。私たち市民のために仕事をするのでしょう?市民がこういう点が疑問だとか、こういう事実があったと言うときに、そんなことは認否に値しないというのでは責任を果たしていることにならないのではないか。
裁判長は「国として認否に値しないということは、大枠のところは認否反論したのであって、詳細なところは認否反論に値しないということじゃないでしょうか。さすがに認否しないことによって、擬制自白として認めてしまったと言うことになれば別だが、今の所そういう主張ではないと思う。むしろ原告が権利利益の侵害を主張立証したらどうか。早く陳述書を提出してください」と言った。
この裁判所の訴訟指揮については非常に異論がある。
また、良い訴訟指揮と捉える見方もあるが、私はかなり問題で、早く決着をつけようという動きにとられかねないと思うので、そのことに注目して次回に臨みたい。
どうぞこれからも、ご支援ください。

●原告本人:福島瑞穂さん
今日は原告番号87番として、意見陳述しました。
私は裁判所での意見陳述は弁護士として何百回とあったが、原告としては初めてで嬉しかった。
嬉しかったと言うのはおかしいかもしれないが、安保関連法は違憲だと言えることは当たり前だから、嬉しかった。
準備書面7に纏めたが、歴代の自民党政権も、内閣法制局長官も集団的自衛権は違憲だと言い、法律家のほとんどすべても憲法9条に違反するので集団的自衛権の行使はいけないと言っている。
安保関連法、戦争法は、違憲の法律を成立させたということ、また先ほど中野弁護士が言ったように、様々な被害があるということと両方で、この裁判でしっかり認定してもらいたい。
国会の中での審議が、立法事実が消えたことも主張し、同時に審議が憲政史上あり得ない、初めてのものであることも主張した。
というのは中央公聴会、地方公聴会があって、普通は地方公聴会の後で審議をする。
中央公聴会は一部の委員しかいないから地方公聴会があり、それを報告書として議事録に載せて審議するわけだが、1秒も審議していない。
委員長の不信任案が否決されて、委員長が席に着いた途端に強行採決されたから、1秒も審議していない。
これは公聴会、公述人を冒涜するものだ。
意見を聞いたがそれを反映する機会が質問に反映せず、報告書を委員会に報告していない。
地方公聴会の議事録が全く載っていない。
10月になって「参照」という形で地方公聴会の議事録が載った。
国費を使って正式にやったものが、なぜ委員会に報告しないのか、しかも報告しなかったものが、参照として議事録に載せられるのか?
これも憲政史上初めてのことだ。
手続きのことだが、やはり憲法尊重擁護義務を国会議員は持っている。
天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官など公務員は憲法尊重擁護義務がある。
そしてその過程の中で、質問権、討論権、表決権が奪われたという具体的な権利が侵害されたことを主張した。
憲法尊重擁護義務が踏みにじられたわけで、異常な形で成立していることも、裁判所に理解して欲しいし、具体的被害が発生していることも理解して欲しい。
この裁判はとても意味がある。
とりわけ女性たちが原告として提訴したことは大きい。
参照人、公述人には、女性が一人もいなかった。
安倍政権が憲法9条3項に、自衛隊を明記するといっている。
この自衛隊の自衛権行使は、個別的自衛権でも災害救助でもない。
まさに集団的自衛権の合法化であり、安保関連法・戦争法を解釈改憲で捻じ曲げて、その合憲化でしかない。
世界で戦争をする自衛隊の明記でしかない。
安保関連法が違憲で問題だという裁判をトコトン闘うことで、明文改憲をおかしいぞという声を一緒にあげることができれば、と思っている。
最後に裁判官にも、憲法尊重擁護義務があるわけで、集団的自衛権の行使は違憲なのに、それを看過する裁判所は三権分立ではない。
裁判所こそ、法の支配がこの国にあるのだということを理解して欲しい。
裁判所が、当たり前の法の支配の観点に立ち、立憲主義の立場に立って判断してくれることを心から望む。

●原告本人:柴山恵美子さん
私の世代とその前の世代のことが、たえず頭にある。
私の世代は「進め、進め、兵隊進め」の、純粋培養の世代だ。
第1次大戦後にドイツは、ワイマール共和国憲法という世界で最も新しい憲法を作った。
ワイマール憲法そのものは、人類の歴史にとって抹消できない一里塚だと思う。
ところがヒットラーが登場し、ワイマール共和国を泥足で踏みにじり政権を打ち立てた。
ヒットラーがその過程を述べているのが『わが闘争』だが、その中で述べているが、「第1次大戦で苦労した世代に、我々は期待してはいけない。期待するのは戦争を知らない子供たちだ」と言っている。
それを読んだとき私は、「自分の人生はこれだ」と思った。
もう一つ『わが闘争』の中で言っているのは、「嘘は大きいほど真実味を持つ。人民はこれを見破ることができない」と言っている。
今、北朝鮮の問題、ミサイルが来る、来ると言っている安倍の支持率が、残念ながら上がっている。
戦争経験者として、いま動いている現実がすごく戦争の匂いがする。
その根拠の一つに人口政策がある。
戦時中は、とにかく5人産め、10人が理想と国が強調する人口政策を採ってきた。
最近、国は1.8人を言い、実質的に厚労省から、これを目標にすると具体的に数字が出ている。
今ほとんど死法みたいに動かない状態にあるが、明治40年にできた刑法の29章には
堕胎の罪というのがあり、いくらでもこれが使える。
ところがイタリアでも同じような法があり、しかもカソリックの国で堕胎は教義に反する絶対悪だが、1970年代に女性たちが一致団結して国民投票までもっていって堕胎罪を廃止した。
私はこれまでイタリアのそういう歴史を本や論文でも書いてきたが、まだまだ足りないと思っている。
いずれにせよ、日本は戦争の匂いが出るものがある。
既に1.8人の人口政策で、匂いがプンプンしている。
それからもう一つは「人づくり」ということで、政府は言い始めている。
大人は期待しないが、子どもに期待すると言っている。
お金をつぎ込んで無償にすると甘い汁を吸わせて、しかし人づくりは上意下達で動く人間を作るということだ。
戦争は一つ一つの態勢を柱のごとく作っていかないと戦争体制は完成しない。
人口政策であり、人づくり政策であり、常に匂いをプンプンさせるものがスタートを切って行われていることに、大きな危機感を抱いている。
もうひとつ、労働問題がある。
私は13歳で、深夜労働を含む12時間労働の旋盤工として、戦闘機の部品を作った。
なぜこれができたかというと、政策を変えたことによる。
男性が戦地に行き戦死者がどんどん出て、国内でも労働力が足りないということで、積極的な労働政策を次々出してきたなかで、13歳の女子学生は労働力になった。
だから私の中では、長時間労働と戦争は一体のものだ。
最近出してきた成果で賃金を払うなどは、あれほどの誤魔化しはない。
つまり「時は金なり」とか「金は天下の回りもの」など日本の社会で普通に語られていることは、みんな破壊しようとしている。
求人倍率がいいなどと言っているが、賃金は3%下がったという。
何が問題なのか。
膨大な利益を上げながら労働者の方に循環しないと、こんなことでは資本家だって自分の首を絞める。
経済はお金が回って、企業は活動ができるのに、このリズムが崩れてしまう。
一つ一つ検討していくとメチャクチャで、本当に私たちが意志を持って、国を、憲法をしっかり守って発展させていく内実化させていく使命を、私たちは持っている。
自覚を持って、私は命ある限りやっていきたい。
今日は内緒の話ですが、私は2枚の写真を持ってきました。
1枚は私を産んだ実の母の写真、もう1枚は私の研究の母、ナディア・スパーノの写真です。
内緒話を打ち明けました。

●安保法制違憲訴訟の会共同代表:杉浦ひとみ弁護士
4月26日の東京での国家賠償請求が最初だったが、全国21都道府県、北は旭川から南は沖縄まで21都道府県で24の訴訟が提訴され、いま名古屋でも準備していて間もなく提訴する。
11月25、26日と全国弁護団から弁護士が集まり、それぞれの闘い方をどう進めるか、どの論点にどう取り組むかを話し合った。
安保法制ができたからといって、何も被害は起こっていないだろうと裁判所も国も言っているが、実はそうではないということをどのように主張していくかがポイントで、その辺りを皆で頭を寄せ合って検討していきたいと思っている。
裁判の中で一番進んでいるのが東京で、いよいよ1月26日から尋問が始まることになった。
尋問はいままで主張してきたことについて、本当に裏付けがあるかどうかを裁判所が調べようというもので、調べ方として人の口から出る話が本当かどうか、証人あるいは本人が口頭で話すことについて、場合によったら国からの反対尋問もあったり、ということで裁判所側がどれほど真実性があるか、切迫性があるかを聞き取る機会だ。
こういう大きな裁判、特にこの裁判では、本当に被害があったかどうか判らないと多くの人が思っていた裁判で、元々は裁判が早くに打ち切られていたり尋問に入らずに「言いたいことを言いたいだけ言ってください、それで判断します」と成る可能性もずいぶんあったので、尋問に入れたのは大きな成果だ。
こちらは、こんな尋問をしたいということを裁判所に提出するが、国に対してもこの裁判にこういう尋問が必要かどうか、どんな意見を持っているか、国側にも質問をする。
その書面の中に国側から出てきたのが、何の被害も何の利益侵害もないだろう、そんなのは尋問するに値しないということで勝手にシャットアウトという書面が出てきた。
進行協議をして尋問する必要を国は完全に否定しているが、裁判所としては尋問を行う判断をしてくれた。
これは非常に大きな快挙だ。
私たちは当初、証人から尋問する計画を立てていた。
元内閣法制局長官、最高裁の裁判官、国会議員には成立過程を、法学者、精神科医、人権に関する学者、ジャーナリスト、半藤一利さんなどを候補に挙げて、尋問は先に証人から聞いてもらい、その後に原告本人からと考えていた。
だが先ほどから話が出ているように裁判所が一番気にかけているのは、被害があったかどうか、どんな権利が侵害されているか、そこが一番の焦点だと考えていて、まず被害を受けた原告から話を聞こう、となった。
原告の話を聞いた後で、必要があれば証人の話を聞こうという段取りになった。
予定としては狂ったが、私たちとしては原告がこんな被害を受けた、こんな利益が侵害されたということを裁判官にしっかり聴かせなければ、絶対に勝ちはあり得ないので、まずこれを乗り越えなければいけないと思っている。
まず最初に原告の尋問をするということで私たち弁護団としては、非常に緊張感を持って、どうやって被害を訴えていくか相談しているところだ。
原告のメンバーも絞り、担当の弁護士も決めて、今後集中的にその準備をしていくが、
もう一度繰り返すが、裁判所が尋問に踏み切ったということは、この裁判にとっては大きな画期的な第一歩である。
東京がこういう過程をとっているので他の裁判所もこれに追随してくれることを期待したいが、裁判官を後押しするのは原告や代理人だけではなく社会の大きな世論だ。
裁判官は中立であって法律でしか動かないとよく言われるが、裁判官を父に持つ人に聞いたことがあるが、「お父さんは新聞の『声』欄を一生懸命読んでいる、世論調査をすごく気にしている」などと聞いたことがあり、そういうものだと思う。
社会の風がどちらに向いているかということで、裁判長の気持ちを変えていけると思う。
まずは法廷で私たちが、ちゃんと監視をする。
この勢いを社会に反映させて、「この法律がおかしいと思ったらちゃんとおかしいと言え」と裁判官を後押しする空気をつくっていくことが必要だ。
その空気をどう作っていくか、全国でその風を吹かせていく、自分たちの地域地域で、どうやってこれを広げていくかは、弁護団・原告だけではなく多くの皆さんの知恵が必要だと思う。
ここまで来たので、ぜひこれから全国あげて闘って、大きな成果をあげていきたい。
これからも、みなさんの大きな支援をお願いします。

◎質疑応答など
杉浦弁護士の話で報告は終わり、ここからは参加者からの質問や意見を受けました。
❶損害に関して経済的な損害も、私たちは受けている。
安保法制によって、先日もトランプ来日で、安倍首相は巨額な武器を購入するという流れになったが、私たちはそのために税金を払っているのではない。
それは将来の子供達の経済生活に影響するし、一人数百万円の借金を背負っている財政がこの安保法制によって、ますます悪化する危機を負っていることも私たちの損害なので観点として主張して欲しい。
❷1943、44、45年あたりの堕胎罪で逮捕された人は、どれくらい居たかなども調べて出したらいいのではないか。
❸富山から初めて傍聴に来て、柴山さんの陳述に感銘を受けた。
初めて傍聴した個人の印象だが、裁判官が国の態度に対して「木で鼻をくくったような」と言った時に傍聴席から笑いが漏れたが、私は笑えなかった。
私は、「なんだ、この裁判官は」と思った。
そんな風に誤魔化すのでなく国に対してちゃんと反論するように促すべきだし、その前に国の代理人がマスクをしてぼそぼそ言うのを傍聴席から「聞こえません」と言ったことに対し裁判官は、傍聴席からの発言を抑えて、そして自分が国の言い分を通訳をするように繰り返したことに裁判官に不信感を持った。
今後傍聴の時も、裁判官のそのような態度に対して笑うということは改めて欲しい。

*ここで出た意見や質問については、今後の法廷で生かすよう弁護団で考えていくと話され、報告集会は終わりました。
繰り返し原告代理人の弁護士から話されましたが、毎回の法廷で傍聴席を埋めることは、安保法制違憲を勝訴に導くために、とても重要だと思います。
東京地裁での予定を下記します。
どうぞ、傍聴に詰め掛けてください。
*安保法制違憲・国家賠償訴訟 1月26日(金)13:30〜17:30
*安保法制違憲・差止請求訴訟 2月5日(月)10:30〜
*安保法制違憲訴訟・女の会  2月21日(水)14:30〜
いずれも東京地裁103号法廷です。
傍聴券抽選は、開廷時刻の20分前に締め切られますから、早めにお越しください。
なお各地での裁判や期日は、安保法制違憲訴訟の会HP(http://anpoiken.jp)でご覧ください。


2017年11月17日号「11月9日 被災地ツァー③」

伊達東仮設住宅の菅野榮子さんをお訪ねしました。
“被災地ツァー”では、飯舘村の学校建設現場を見てきたばかりでした。
ご挨拶の後で私は、「再開される飯舘村の学校に通うという人が以前の調査時よりも増えているようですが?」とお聞きしたことから話が始まりました。
◎菅野榮子さんの話
●子どもは天から降ってきたんだべか?
 学校一生懸命だけど、一生懸命働いてきた年寄りのことは考えてんのか?
子どもは天から降ってきたんだべか?
じいちゃん、ばあちゃんが居っから、ちゃんと子どもが居るんだよね。
(飯館の学校に通いたい)子どもの数増える?
アレ嘘言ってんだよ。
一流デザイナーのコシノヒロコさんのデザインした制服だって、そういうことやってんだよ。
だから思春期の子どもたちが、そういうのに憧れるんだな。
ほんで何十人か増えたって、教育委員会では喜んでるの。
県内だけでも住宅もちりじりになってっから、今度はスクールバスの手配だって大変でしょう。
●自主避難と同じだ
ほんで私らの年代の二人暮らしの人たちは、じいちゃん認知症入ったから、どうせなら村に帰るって帰った人たちいるけど、そういう人たちは戸惑っている。
また仮設に戻りたいって人が、いっぱい居る。
 帰村宣言されてから、私らここに居ること自体が、自主避難と同じだ。
だから、どうなってんだかな。
エコー調査なりアンケート調査で、村民一人ひとりの、一世帯一世帯の「帰る、帰らない」のエコー調査(の返答)はまとまってんだから。
だからそれに対して、どう対応すっかをしないんべ。
●大きな国政の中で
 村議選で佐藤八郎がトップ当選したけど(注:八郎さんは共産党で、現村長の村政に反対意見を持つ)、それには八郎の人柄もあったけど、なんで八郎があそこまで来たかを掴んでいない人もいるわけだ。
んだけど、そんなこと言ってみたって人の考えはみんな違うし、まぁ(村政は)変わってもらわなけりゃ、どうにもなんねぇ。
一人ひとりが変わってもらわなけりゃ。
 村長は自分が支持されてるとは思っていないべぇ。
だけど、国の大きな政治の枠の中で動くのは大変なんだなぁ。
現職議員10人の内7人も辞めたんだよ。
それ見たって、原発事故には勝てないと思う。
村づくりの施策が、見えないんだよ。
見えないところで「私は村議会やります」って言えないから辞めたんだと思う。
そういう中で村長は誰もやる人居ないから残って、してみたって大きな国の行政の中で、どうにもなんねぇからな。
がんじがらめだもの。
 今回の国政の選挙だって、なんで解散すんだか、なんで選挙すんだか、私らバカだから判んねぇよ。
ほして今度は解散前の閣僚だって、みんなそっくりそのままいったんだもん。
解散すっこと何にもないんだ、誰一人変わってないもん。
ほんだったら、何百億の金かけて、誰の金だっていうの。
今野さん(以下、青字は今野さん)
 選挙に使った700億円で仮設住宅とか借り上げ住宅に、9年間住めるからね。
年間80億あったら仮設住宅まかなえるんだから。
ただ何にも変わらない選挙のために700億、この前の参議院選に600億、まぁ参議院選は3年に1回だから仕方ないけど、その前の衆議院選に750億。
オスプレイ買う金あったら。
 その中で私らは国民として命ある限り、生きていかなきゃなんねぇから。
どういう生き方したらいいか判んねぇわ、ね?
つくづく考えさせられた。
●私ら、自然の中の動物なんだから
 伊達の学校さ行って、3年間、味噌作った。
美味しいのができたよぉ!
伊達のここの里の味噌種が入ったんだわ。
家庭科の栄養士さんが時間受け持って、講師になってやってくれたんだけど、いま子どもたちの食育から目指さないと。
自然を大切に、自然は素晴らしいもの持ってんだから。
その自然の中で、精一杯。
私らは動物なんだから、自然の法則の中で生かされて生きていくのが当たり前じゃないかと、私は思う。
なにも無理して自然を破壊するような中で、頑張って生きなくてもいいんじゃないかね。
●経済優先の旗立てて進む限り、どうにもなんねぇ
 原発事故には感謝しないけど、原発が事故起こしたからいろいろな人に出会った。
やっぱり事故がなかったら、(互いに)全然に判らないで生きるお互い様だよな。
 そうだよ。
俺だって事故がなけりゃ榮子さんと会うことなかったし、一枝さんとも会わなかった。
 この頃はウラン採掘や世界の核燃料扱ってる人たちのことや、核廃棄物をどこに持ってくかってことも考えるね。
採掘してる所はどのくらいの線量のところに人が住んでるの?って聞いたら、7マイクロ位の所なんだってね。
その中で当たり前の生活して、子ども産んで、ほうしているんだって。
それを今度は加工して、どんどん加工して利用して、一番最後に捨てるカスが、ものすごく人に悪影響及ぼすのに、そういうものにして捨てるわけなんだよ。
鉱山で働いている人たちだけじゃないんだよ。
世界全体の問題だ。
 チェルノブイリが爆発したときだって、ホットスポットはソ連さ落ちたんでねぇって。
他国に国境を越えてねぇ、落ちて大騒ぎしてんだから。
日本だって、(原発事故の)放射能、世界に流れていってる。
日本だけに留まっているわけでねぇ。
そんなのみんな、科学者だって私らより頭良いんだから、ちゃんと知ってるわいな。
黙ってるだけだ。
 そういう中で私ら生きてかなきゃなんねぇんだから、大変だよな。
そういう中で生きてかなきゃなんねぇから、やっぱり一人ひとりが考えてかなきゃどうにもなんねぇ。
経済優先の旗立てて進むような限りは、どうにもなんねぇな。
●飯舘ではいい人生だった
 まぁ、いろいろ考えさせられたり、悩まされたり、泣いたり笑ったりの人生が、人生なんだけどな。
私らは原発事故無ぇうちに人生の大半歩んできたから、ここさきてアルバム整理すっぺって思って、子どもん時からずっとのやつ、要らないもの捨てて整理したの。
よっちゃんに手伝ってもらって2人でやっから、助かるんだよ。(注:よっちゃんとは、菅野芳子さんのこと。飯舘村でもお隣同士、この仮設住宅でも)
「よっちゃん、考えてみれば飯舘にいた時、あん時はいい人生だったね」って。
 それこそ、自立か合併かって大きな選挙して村を二分して、村民一人ひとりが自分が村長になるような気持ちで闘って、自立の村を選んだわけだ。
500票くらいの差で、選んだわけだ。
飯舘の村民が自立の村にしていくって一生懸命やってきたから、あれだけの村になったんだ。
●「までいの村」誕生
 それだって、私ら本気になってウジャウジャ言わねぇで自分の腹割って、「ああだ」「こうだ」と意見出し合って、「までいの村」って。
その「までい」だって選挙で自立を選んでから、昔、明治の頃にじいちゃん・ばあちゃんが使ってた言葉が出てきたんだよ。
役場の若い職員から出てきたんだよ。
そん時は「なんだべな」って思ったけどよ、私ら子どもの頃に「までいにしろよ」って言われて育ってきたわけだ。
なんでも物は「までいにしろよ」って。
ご飯なんかこぼすと、「ご飯、までいに食わなきゃだめだぞ」って。
 そういう風に言わっちきた「までい」の言葉が、すべてに、そういう心の面でも「までいの心」を持たなきゃダメだっていうのが、みんなに「なるほどな」って。
子どもの頃から言わっちきたんだもの、それが普通に使われるようになって、みんな頑張ってきたんだもの。
●木の葉があったから
 でもねぇ、この原発で避難して、私ら放射能に出会ったってことは、環境すべてが汚されたんだな。
飯舘に帰ったって、元の通りには戻らねぇんだから。
やっぱり生きるってことに、人生ずうっと生きることの負を背負って生きなきゃなんねぇんだなって、私は思ってる。
飯舘村は子々孫々、負を背負って生きなきゃなんねぇんだなって。
 でも、行ってみると綺麗、紅葉なんか山さ入ると、もう綺麗なんだよねぇ。
「わぁ、綺麗!」って思うけど、「ああ、でも放射能だもんなぁ」って思うもんな。
どんなに落ち葉がいっぺぇ落ちてたって、一枚の木の葉だって利用できねぇんだもの。
 木の葉があったから、飯舘の農業はできたんだよ。
木の葉があったから、飯舘の農業はあれまでになったんだよ。
木の葉集めて、堆肥を作ることによって土になるんだもの。
木の葉が落ちて腐るからプランクトンが誕生して、川の水と一緒に流れて海に行って魚が育つんだから。
●佐須の三羽烏
 佐須の友達で帰ってる人がいるんだ。(注:高橋トシ子さんのこと。榮子さんと芳子さん、トシ子さんの3人は仲良しで三羽烏と言われる)
「帰って飯舘村に居るとホントいいよ」って、そう言うんだ。
「静かだし空気も綺麗だし、いいよ」って。
「だから早く帰って来て」って言わっちからな、「うん、帰るよ」って言うけどな。
まぁ帰っても年寄りの問題はなかなか見えてこないし、デイサービスも動かないし、医者に行くだって、家族で帰ってる人はいいよ。
車運転できるうちはいいよ。
だけど一人暮らしだったり、そういうこと考えるとなぁ。
 そんなことウジャウジャ言ってたってしょうがねぇから、3人して集まって誰もやんねぇ時は私らだけでもいいから、デイサービス始めっぺぇって。
(そう言うとトシ子さんは)「待ってっからなぁ」って。
(トシ子さんは) 2年前くらいに階段踏み外して、それから調子悪くして体弱い。
 そんなこと話してた時、ちょうど古居さん(注:ジャーナリスト・映画監督の古居みずえさん)来てたの、斎藤さんって人が運転して。
斎藤さんは私らの会話聞いてて、「う〜ん、榮子さんとよっちゃんだけだとうまくいかねぇんだな。よっちゃんとトシ子さんだけでもうまくいかねぇんだな」って言ってたって。
 そういう風にして佐須の集落で3人で居たから、踊りも20年踊ってこれたし、山津見神社の茶屋の簡易食堂の出店も、30年もやってこれた。
踊りだって名取さんや師範格にはなれなかったけど、地域づくりと仲間作りで頑張ってきたからなって、こういう風に言ったのな。
したら、「面白かったなぁ」って、3人して笑ったの。
●共に生きる
 そういうものが、これから大事なんだよな。
やっぱりこころの時代で、目立たなくても共に生きるって。
私はそう思ってる。
 まぁね、それなりに村もだんだんに考えてってくれっぺって思ってる。
私らが帰って自主的に動き出せば、ね。
 (役場の前にある村営の介護施設は)お知らせ版なりインターネットで、介護職員募集してますって出してるけど、だけど、それだけでは誰もこない。
原発だから線量の高いとさ、黙ってたら誰もこないよ。
 私んとこ、明日また来るんだけど仙台の看護学校から、仙台の看護大学のサキヤマ先生って先生が、学生連れて来て何回か勉強会してるの。
集会所でここの人たちと交流会やって学生たちにそれを経験させるんだけど、それの報告集を私のとこに送ってきたの。
やっぱり感受性の強い子どもたち大学生だから。
この間70人くらい来て、東京の先生が子どもたちに放射能の講義やったの。
測り方とか、被ばくの計算の仕方とか、そういうの教えたんだって。
そして『母ちゃん』の映画(注:古居さん監督の『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』)見て、私らと喋ったりなんかして行ったんだけど、そうして感じたことまとめた報告書。
 学籍番号からズラ〜っと並べて、私のとこ持ってきたの。
そん時ちょうど役場の自治会長さんが居て、私ら役場になんだかんだ言っても村さ届くわけねぇんだから、自治会長が会議ある時行って、伊達の東(仮設住宅)では、学生が来てこういうことやってんだって言ってみてって頼んだの。
 そしたら行って言ったら、村長が出るってことになってたの。
だけどやっぱり村長は来れないことあんだな、そんなこと言わねぇけど。
(村長は来ないで代わりに)課長が二人来たの。
保健福祉課の課長と、もう一人の人とな。
挨拶して飯舘村の現況を子どもたちに話してくれたし、そのことだけでも効果があった。
そして、ああ良かったなと思ったら、その報告集自治会長さんとこ持ってきた。
私とよっちゃんとこさも持ってきた。
自治会長さん私らが持ってるの知らないで「貰わねぇんでねぇか?」って持ってきた。私もよっちゃんも貰ったって言ったら、自治会長が「余ったから持ってきた」って言うから「ジャァ役場さ持ってって、この前来てくれた課長2人居っから、その人さやってくれろ」って言ったら、「うん、そうする」って。
 それ課長が読めば、自分来て挨拶したんだから、子どもたちはどういう風に受け止めたか、ちゃんと判っぺ。
報告書にちゃんと出てんだから。
飯舘村のこと、看護大学の在宅ヘルパーや看護師の研修受けてるし、保健婦の勉強もしてるから、報告書に出てるから。
それを持ってったべ?したら課長読むべだよ。
 まぁ、最後にどう決めっかは、村長だからな。
なんぼ下がワイワイ騒いだって、村長がやる気なければどうにもならねぇと、私は思う。
黙ってたって判んねぇから、それなりにいろいろな人に矢を向けながらやってかなきゃ、と私は思った。
 まぁ、飯舘さ帰るわ。
帰って本当に人が生きる道を、人間が生きる道を、お互いに模索しながらやっぱり生きてかなんねぇなって思ってる。
まぁ、出てしまった放射能、なんぼ拾ったって下がんねぇんだから、そういう環境が変わった。
世界が変わった中だって、その足跡を残すべきだと思ってる。
 味噌は残さなきゃ。榮子さんたちが作った味噌だから。
 飯舘にいればな、米と味噌さえあれば、そういう生活できたから。
今度は米と味噌あったって生きらんなくなるは、飯舘で。
山さ入ったって、食べるもの採ってこられねぇ。
だから、そこんとこが悔しいのな。
そこの中でどういう風にして生きっかなぁ。
●共に働いて自立を
 私らの集落は佐須だから、東大の農学部退官した先生や現職の先生たちが、11年の6月から入ったの。
「再生の会」ってNPO立ち上げて、今は何百人も会員居るんだけど、その人たちがここの仮設住宅を佐須さ持ってって建てて住みたいって言ってるの。(注:伊達東仮設住宅は木造で、解体して払い下げられる)
 (村内で)家壊したとこあるじゃん?そういうとこ借りて。
ここ、持ってくのは運んでくれるんだって。
この間大工さんやってる人が見てったの。
家族で来て住みたいって言ってる人もいるし、もう70歳くらいになると子どもも自立してるでしょうし、理事長の先生なんか飯舘村さ住民票持ってきたんだよ。
そういう人たちだの、定年退職した保健師だの介護士、介護福祉士や社会福祉士など、そういう資格持った人たちが入ってんの。
 そういう人たちにお手伝いいただいて、デイサービスでもなんでも基本的なものやればと思ってる。
やってれば、それなりに村が黙ってない。
これまで3回くらいやったのな。
毎月の最後の日曜日にやってたの。
したら老人会のやってる人、帰ってる人居っから。
区長が、村から部落で何かの役に立つなら使ってくださいってお金100万とかきてっから、それを利用してここで年寄りが集まってみんなして、ご飯炊いて食べるとかボーリングやるとか、何かそういうのやったらいいんでねぇかって出てきたのな。
だから、そういう風なのあれば、それに該当する中での活動計画を立ててやることにしたらいいべって、私は言ったの。
●持ってるもの出し合って
 トシ子さんも杖ついて歩いてっけど、何回も病気して三途の川渡る経験してっからな。
そうすっとナ、「巫女さんみたいな人が来て静かにして休みなさいって言うんだよ」って、私に言うの。(注:重篤な状態の時の夢の話)
言うのも聞くのも、笑ってっけどな。
やっぱり歳取ってから一人では生きられない歳になってるんだから、持ってるものを出し合っていくのが大事なんでないかなって思ってる。
私らよっちゃんと一緒だから、一人でここに居られる。
誰でもいいわけじゃないけどな。
 飯舘も年寄りは帰っても介護施設がないから、(仮設を)出て行った人も、伊達やなんかに古家でもなんでも買って住んでる。
私もどこまでやれっか判んないけど、よっちゃんと二人で一人前だから、認知症でおかず作ったって1品ずつ作って、何か入れるの忘れて「よっちゃん、砂糖入れて煮たっけ?塩か?」って。
●声掛け合って
 ここに来た時何でもなかったって、7年もいれば認知症がどんどん進んでる人もいるわけ。
こうなっと、「あ〜」って思う。
毎日朝晩、声かけてって私は言うのな。
やっぱり向き不向きがあっから、私は違う集落から来てるから私ら行って何か言うより昔から知ってる同じ集落の人が声かけるのがいいからな。
 まぁ誰でもその線は超えてかなきゃなんねぇ峠だからな。
まぁそういうもの認識しながら晩年を生きるってのは、大変だね。
 私らばっかりでねぇって、この間思った。
仏壇売りに来た人が、家新しくしたりの人がいるから売りに来んのな。
その人が言ってたんだよ。
今の子どもは結婚すっと、「私ら出ます」って言うって。
そして新興住宅みたいな団地みたいなのにローン組んで、そういうところに暮らすって言うんだって。
親が建てた家は親が歳とって死んだら、空き家になっていくんだって。
そういう時代だよって、セールスに来た人が言うんだ。
だから私らも、人が生きる、そういうのを改める機会なんだね。
共に自立して生きるっていう施設のあり方も考える時代だなって。
そういう生き方しないと、(子や孫と暮らすなどを)考え直さないと自分が哀れになるから、本当にそう思う。
まぁ、色々そういうことを考える機会を与えてもらったんだから、まぁね、生きてることに感謝しなきゃ。
 毎日、私らテコテコ朝早く歩いて、あそこにある観音様拝んで帰ってくる。
ここに来た時は阿武隈川の堤防さ行って、道のりも長かったけど、80になったんだから、そうそうはね。
*こんな話をしていたところへ、お隣の菅野芳子さん、よっちゃんが顔を出しました。
芳子さんもお元気そうな様子です。
「これ飲んで」と芳子さんが持ってきてくれたヤクルトを、私たちは頂きました。
●たいしたもんだよ、飯舘は
 みんな、やっぱり避難している人たちは考えるでしょう。
大熊とか帰還困難区域はどうなっかなぁ?
私はよっちゃんと2人で帰るわ。
家建ててもらったの、息子にな。
前の家、そっくり壊してな。
味噌桶も投げたわよ(注:壊した)。
 松川で(飯舘の人たちの居る、この伊達東とは別の仮設住宅)最後の芋煮会したの。
味噌の里親さんも40人くらい来て、その人たちみんなに50gずつくらいあげたの。
こんなしてやれただけたいしたもんだよ、やっぱり飯舘は。
そういう風にピカ一のものが出来るんだ。高原で温度差があるから。
発酵食品は、どこさ出しても負けないな。
 発酵食品は低温でじっくりがいいからな。
味噌も、どぶろくも発酵食品は飯舘みたいな土地が合ってる。
 野菜だって日持ちがいいし、花だって色がいい。
そういうものも私ら、当たり前だと思って判らないできた。
判んないで生きてきたけど、までいな生活しなきゃって築いてきた。
だから若い人たちも一生懸命やるようになった。
牛の育て方も、花の育て方も、もう就職した人たちが帰ってきて、父ちゃんが歳とったこともあったけど、そうして力入れ始まった時の爆発(注:原発事故)だもの。
●この歳になんねぇと判らない
 そんなわけで、私ももう少し若かったらな。
息子に「なんぼになったと思ってんだ。いつまでやる気なんだ」って言われっけど。
一枝:子どもってのはそういうもんだ。言わせておけばいい。
あんたが私の歳になったらわかるよって。(以下緑の文字は私)
その時は親は居ねぇからな。親居なくても、あの時は悪かったなって思うから。
私もそう思うもの。
お墓参り行って線香あげて「じいちゃん、ごめんな。あんなこと言って」って。
嫁姑で、じいちゃんとよく喧嘩したから、手合わせて「ごめんな。私もじいちゃんの歳になりました」って。
 この歳になんねぇと判んないこといっぱいある。
でもよっちゃんがいるし、2人で一人前でいいな。
なんとか2人で顔出して一人前でな、いい人生だったなぁって。
仲間がいたってことに感謝して。
 日野原重明先生が元気だった頃、私『生き生き』って雑誌ずっと読んでたの。
あの先生の言うことや菊池体操、ずっと読んできたの。
ああ、こういうわけなんだなぁ、生き方も考えなきゃなぁって。
そう思ってあの山ん中で働いてきたよ、腰も足もぶった切れるくらいに。
『生き生き』の本に出会って、女だってちゃんと意見もって生きなきゃなんねぇって若いうちから思ってきた。
●民主主義の教育
 んでも、子どもの頃はおとなしくて喋んなかったんだよ。
小学校の時は男女共学じゃなかったべしサ、中学校になって戦争負けて民主主義の教育が入ってきて男女共学になったの。
中学で男の子が生意気になってくっぺし?
そういう風になって生徒会やなんかがあるの。
そういう風にして男と喧嘩して喋るの、負けらんねぇ。
ほんでやっぱり民主主義も習ったし、そうやって喧嘩しいしい育ってきたから、同級生はみんな仲良いよ。
ほうして歳とって、男の人なんかハァ、ペンギン歩くような格好して歩いてんの。
いつも喧嘩してた男の子が、ペンギンになっちゃったかって。
こういう格好して歩ってんだから。
(榮子さんが太ってお腹が出た人の歩き方を真似て見せるので、みんなで大笑い!)

*大笑いの後でお暇しました。
別れ際に榮子さんは「『たぁくらたぁ』いい雑誌だなぁ。読んでてスカッとする。読んでも性に合わない雑誌もあっからな。来年暖ったかくなるまでここに居っから、また遊びに来てください」と言って下さいました。
榮子さんの話を口調をそのままにお伝えしたく、長くなりましたがお読みくださってありがとうございました。
「榮子語録」を、私は心の記憶にとどめておきたいです。       

いちえ

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