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更新情報 ビニールハウスその後(3月13日-14日号)「一枝通信」

ビニールハウスその後(3月12日-13日号)

以前の通信で「ビニールハウスを5棟(3+2)建設予定とお伝えしていましたが、今回は3棟(2+1)で一応終了と致しました。

『原発事故から命と環境を守る会』でビニールハウス建設を計画している事を知って、他のNPOなども動きだし、そちらでの計画が具体的になったというので、それならこちらは3棟で終わりにしましょうということになったのです。

実際に資金も、3棟建設にはまだ少し不足の状態ですから、無理をせずにやって行くことにしたのです。

鹿島小池に2カ所、荒畑に1カ所の建設が出来ました。

皆様のご協力のお陰です。ありがとうございました。

そして今回13日に草取りをしたのは、このどちらでもなく新たに借りる事のできた畑地でした。

ここにはビニールハウスは建てず、露地畑です。

今回は13日から雑誌『たぁくらたぁ』の編集委員の方達と合流しましたが、その方々が3カ所の畑地と3棟のビニールハウス内の線量を測って頂きました。

ハウス内も入口辺りと奥、接地と1m高の空間でと丁寧に計った結果、いずれも周辺よりもずっと低い線量でした。

ハウス前の道路や草地がR−DANで168cpm、gamma計測1.12μSvですが、ハウス内は42cpm、0.23μSvという値です。

0.25μSvのところに1年間ずっと居れば1ミリSvとなりますが、ハウス内に365日24時間ずつ留まる事は考えられません。

ですからこの値は、安心できる数値でした。嬉しい事です。

13日草刈りをした畑地も42cpm、0.24μSvで、これは草を刈ったのが図らずも”除染”となったのでした。

きっと、「線量の高いだろう場所でビニールハウスや畑を作って大丈夫だろうか?」と、心配して下さった方達もおいでだったと思います。

「仮設のお年寄りが自給自足するためではない。作物を育てる事で生き甲斐になればいい」と思って始めた事ではありましたが、この結果を見て、本当に安心できました。

今後は肥料や種などが必要になってきますので、どうぞ今後もなお、ご協力をお願いいたします。

昨日お送りした通信で、飯舘村の菅野さん、長谷川さんの話していた事が一層胸に響きます。

飯舘村では伊達市、福島市、相馬市の仮設住宅で避難生活を送る人が多いのですが、長谷川さんや菅野さんら、村で区長をしていた方が率先して、仮設住宅入居が決まるのと同時に農地を借りたそうです。

そのお陰で、狭い仮設住宅に引きこもって過ごす人もなく、村に戻る事は出来ないかもしれないという大きな不安を抱えながらも、畑の作物の実りが楽しみになっています。ここでは農作物や、それらから作った食品などが仮設内の販売所で売られてもいて、生産者に収入も入るようになっています。

南相馬の仮設住宅の皆さんにも、そうした小さな喜びが生まれたらいいなと思います。

この冬は例年になく寒く、雪も多い冬でした。

春を迎えて、緑が芽吹き、伸びてくるのがなお一層待たれます。 


更新情報3月13ー14日号『一枝通信』

3月13-14日号

今回は宿泊先でインターネットが使えなかったため、報告の日付がリアルタイムではありません。ご容赦を。

飯舘村から福島市に避難している市澤美由紀さんと岡本易さんには13日に、14日には菅野哲さんから話を聞きました。

美由紀さんには昨年12月に初めてお会いし、1月にも会って話を聞きました。その時には飯舘村のご自宅まで案内して頂きました。

今日は3度目になります。

岡本さんは美由紀さんのご紹介で、今日初めてお会いしましたが短い時間でしたが密度の濃いお話を伺いました。

飯舘村では、今年の2月の末に村民を集めての会議が開かれたそうです。

昨年3月12日、続いて14日に原発が爆発し飯舘村に高濃度の放射能が流れたのですが、ここが計画的避難区域に指定されたのは一ヶ月後の4月11日でした。

けれどもこの間にも村民からは「こんな危険なところに子供らを住ませられるのか? 村長として避難の結論を早く出せ」との声があったにもかかわらず、国や東電の発表を鵜呑みにして村としての避難指示を出しませんでした。

そしてようやく5月、ほとんどの村民が村を出ての避難生活となりました。

このように昨年の原発事故以来、村長の姿勢に対して一部村民たちからは首長として村民の健康と生活を守ろうとしたかについて批判の声が上がっていました。

その後村長は住宅地から除染をして、数年後には村民を避難先から帰村させたい考えを発表しました。

この村長の案に同調する村民も居ますが、除染の有効性に疑問を持つ村民も居ます。

20年30年経っても、本当に安心して住めるようになるのか? それよりもまずは安全な地に村を移し、本当にもとの場所に戻れるようになった時に帰村するとした方がいいのではないかという声も少なくないのです。

こうした声を無視して村長は帰村を急ぎ、莫大な予算を使ってモデル地区除染が実施されています。

先月開かれた村民会議では村民が意見を出し合う討議の場になる筈だったのが、村長からの除染と復興計画の説明会になったようです。その計画は、村の北部にスマートビレッジとして200〜300戸の一戸建て住宅を造り、スーパーや職場も作るというものです。

この計画案に大いに疑問を持つ村民たちは少なくありません。

飯舘村では多くの村民が村を離れて避難生活をしていますが、室内の線量が高くないという事で9つの事業所は避難せずに現地で営業を続けていました。

けれども現在そのうちの3事業所は既に営業を止めて撤退しています。

こうした事から考えても、村長の帰村案は現実的ではない”空しい希望”と村民は受け止めています。

東電は賠償問題に関して、各被災者に分厚い請求書を渡しました。

これに対して何人かの村民が、東電側が用意したこの請求書には書きたくない。自分たちで納得の行く請求書を提出すると準備しています。

その根拠は何か不法行為があった場合、その被害者が加害者に対して請求書を出すのがまっとうで、加害者側が書式を用意するものではないということがあります。

岡本さんがこの集団訴訟の口火を切り、現在のところ同調者は10人ほどだそうですが今後、同調者は増えていくだろうと思います。

14日は、雑誌『たぁくらたぁ』の編集委員たちと一緒に菅野さんの案内で村内を回りました。

役場はモデル除染で、自衛隊員600人が来て除染をしました。

役場の正面玄関前には接地された線量計があって、数値が示されていますし、我々持参の線量計でも計りました。

正面では0.25μSvですが、裏手は 2.6μSvありました。

村内でも地区によって(というより地形によってと言った方がいいでしょう)線量にずいぶん差があります。

長泥地区の山では16.0μSvと、路上で 4.1μSvもありました。

ここで線量を測ったりしていた時にちょうど、長泥に家がある菅野さんの知り合いが通りかかりました。

その人は避難先から飼い猫に餌をやりに戻って来たところでした。1〜2日に一度、こうして餌やりに来るそうです。

彼は言い、菅野さんは答えます。

「情けねぇな。自分の家があっても、入れねぇ」「そうだな、もう戻れねぇぞ」「我が身は守らねばなんねぇからな」

線量を測ったこの地点には展望台があり、この日は雪があって展望台には上れませんでしたが、そこからは山陰からかすかに太平洋が見えるそうです。村内で海が見えるところはここだけという事でした。

村民たちは初日の出もここから拝むならわしだったと言います。

背後の山の上の神社にお参りをして、その後ではみんなで酒盛り。

「みんなして賑やかに、よく飲んだもんだな」「ああ、そうだったな」

展望台の下の斜面にはたくさんの桜の木が植えられていて、それは皇太子の結婚記念にと村民たちが植えた桜でした。

よく手入れもされていて、桜の季節はそれは見事だった事でしょう。

そんな話をしている間にも何台もの車がこの道を通ります。

この道路はいわきと山形を結んで居て、こんなに線量が高い地域を通るのに、まったく閉鎖されていないのです。

『たぁくらたぁ』のNさんが、「驚いたなぁ!放射線街道だ」と言ったのに、みんな頷きました。

その一方で南相馬で私がいつも泊まるビジネスホテル六角前の国道6号線は、六角のすぐ先が半径20キロ地点で検問所があり、一般人は通行できません。でも検問所から浪江町の辺りまではずいぶん線量は低いのです。

一律に半径で線引きしている、その矛盾が露呈しています。

この日は酪農家の長谷川健一さんにも話を伺いました。

長谷川さんは伊達市の仮設住宅に住んでいます。菅野さんは福島市の仮設住宅住まいです。

お二人とも地区の区長をしていたのですが、仮設住宅に移った時にも直ぐに、地区の人たちのために動かれました。

仮設住宅の近くに農地を借りて村民のみなさんが、する事も無くただ家に居るという事が無いようにとはかったのです。

「みんな生き生きとして畑をやってるよ」と言います。

●昨年12月に長野市内で催された長谷川健一さんの講演録ができました。

『【証言】 奪われた故郷──あの日、飯舘村に何が起こったのか』 オフィスエム刊 700円(税込)

●今回も取材に同行させて頂いた『たぁくらたぁ』の編集委員の方達ですが、『たぁくらたぁ』次号の26号も原発特集です。

 バックナンバー23、24、25号共に、是非お読み下さい。400円

●オフィスエムのブックレット『女たちの3・11──それでも、私は命を繋いでいく』840円(税込)

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長文になりました。ご容赦を。明日は南相馬、ビニールハウスの件をお伝えします。


更新情報3月12日号「一枝通信」(その2)

3月12日号(その2)

昨夜は泊めて下さったAさん夫妻に、一年目の今日どんな事を思い、どんな会話を交わされたのかを尋ねてみました。

「朝からずっと物資配りをしていて、終わってからも大留さんのところに集まって明日(12日、つまりは今日)のことを打ち合わせて忙しい一日だったの。だから、かえって良かったんだ。考える暇なんか無かったもの」とのことでした。

Aさん一家は昨年3月11日までは、息子さん一家も同じ敷地内の別棟で暮らしていたのです。

息子さん夫婦は共働きで、もうじき2年生になるお孫さんは「ジジババが育てた」と言ってました。

お嫁さんが腱鞘炎になったために赤ちゃんの世話がむずかしく、それでAさんがミルクを作ってやりA婦人がおむつを替えてやりと育て、幼稚園の送り迎えも保護者参観日にもAさんたちが行ったのだそうです。

その孫は原発事故の後、お母さんと一緒に東京の墨田区で暮らしています。

息子は家族を支えるために、Aさん夫妻と共に地元に残って役所勤めを続けています。

Aさんがぽつりと言いました。「今日は孫の写真が写メールで送られて来たんだ」

先日7日の「トークの会」で、最後にAさんが話された一言「原発が憎いです。家族が離ればなれになったのが、とても残念だ」という言葉が、蘇りました。

Aさんの家は半径20キロ圏内の警戒区域内で海岸線からすぐのところにありました。

津波で家は流され、今は市内の借り上げ住宅に息子と共に住んでいるのです。

Aさんたちご家族が、またにぎやかに暮らせる日が戻るだろうか? どうか戻って欲しいと思いました。

今朝起きると、空は晴れて真っ青、昨日までの雪まじりの雨空が嘘のようです。

天気予報でも、今日は雨か雪と言っていたのですから。

「原発事故から命と環境を守る会」の皆さんは、今日は4組に分かれての活動で朝から大わらわです。

1組は大留めさん率いる畑の草刈り隊。

東京、仙台からの青年たちボランティアを10数人引き連れて、大留さんは鹿島小池第3仮設住宅そばの畑の草刈りに出動です。

現地ボランティア、仮設住宅の有志も参加しています。

もう1組は現地ボランティアのSさんが案内して松戸からのボランティアグループの「歌声喫茶」隊です。

この3月は各仮設住宅集会所はさまざまな催しが企画されていて、ようやく確保出来た2カ所の集会所で開けた「歌声喫茶」です。

3番目の組は草刈り隊の行く畑の小池第3仮設住宅集会所を借りて、豚汁の炊き出し。A婦人が隊長です。

これは草刈り隊、「歌声喫茶」隊、全員がお昼にはここに集合して一緒にご飯を食べるので、そのための準備です。

4番目の組はホテル六角での、おにぎり作りです。

私は3番目の組に入りました。

豚汁が煮える間、この仮設に居る志賀さんと熊井さんの話を聞きました。

熊井さんの家は小浜にありました。

津波警報で避難所に逃げ、逃げた避難所もまた危ないというので別の避難所に移りました。

ご主人は震災前から入院中でしたが、入院患者たちは震災の後どこかへ移送されたのですがどこに行ったかが直ぐには判らずようやく1週間目に判ったそうです。それが判るまで、どんなに心配だった事でしょう。

その後5月にご主人は亡くなられたそうで、92歳になるお舅さんと熊井さんが残されました。

お舅さんはとてもしっかりした方だそうですが、最近物忘れがひどくなりそれを自身がとても悔しがっているのだそうです。

熊井さんは「じいちゃんが何でも覚えていたのも、ずっと同じところで同じような毎日を送ってたからなんだよ。ようやくこの仮設に入れたけど、それまで何カ所も避難所を転々としたんだから覚えらんないのも当たり前なんだよ」と諭すそうですが、お舅さんは自分が悔しくてかんしゃくを起こすと言います。

熊井さん自身もそうした毎日にストレスが溜まって、「トイレに座っている時がやっとホッとできるときなんだ。だけどホッとすると、ああ、でも死んでしまった人もたくさん居るんだから、命があっただけでも有難いと思わなくちゃって思うんだ」

熊井さんの話を聞いて一緒に聞いていた志賀さんも、こう話してくれました。

「ああ、家はあの日は義母がデイサービスに行ってたの。私は地震の前に下の孫を幼稚園に迎えに行って、上の孫を迎えに小学校に行ったんだけど、まだ教室から出て来なくて、それで一度家に帰ろうかと思ったんだけど下の孫が校庭で友達と遊んで待ってたいって言うから家に帰らないでそこで待ってたのよ。

家に帰ってたら孫と二人で津波で流されちゃってた。帰らないでよかった。

それでそのまま学校の体育館に避難でしょ。

その後そこも危ないって別の学校の体育館に避難して、今度は原発が爆発したって言うんで、市役所からのバスで筆穂(宮城県丸森)のは意向になった高校へ避難してそこで3ヶ月。

義母はあの日デイサービスに行ってたんだけど、揺れも収まって送ってきてもらった時には私たちは避難所に居て家は留守だったからそのまま連れて帰られて、ようやく連絡が取れた時には義母は山形に居た。

南相馬から横浜に送られてそれから山形に移されたという事だった。探したんだけど判らなくて、1ヶ月たった頃に私の実家から連絡があって判ったの。

筆穂では地元の人がとれたての野菜なんかを差し入れてくれて、有難かった。

避難所の高校の料理教室で自分たちで炊き出しして、食べてたの。

だけど、地元の人たちも知らずに居て私たちも後から知ったんだけど、筆穂は線量が高かったのよね。

あの3ヶ月で、私も孫たちもたっぷり放射能を浴びた。

この前健康検査で上の孫は未検出だったけど、私はセシウム137が出ていた。

下の孫は機械で計るのじゃなくて尿検査やったら、やっぱり出ていた」

短い時間の聞き取りでしたが、考えさせられる点が多々ありました。

4組が集合しての昼食の後で、草刈り隊、「歌声喫茶」隊はまたそれぞれの持ち場に移りました。

私たちは2時から同じ集会所で物資の配給をしました。

食料品と衣料品でした。

送られて来た支援物資の中には大きな段ボール1箱分の大量の生理用ナプキンがありました。

でも、ここ福島の仮設住宅に住むのは本当にお年寄りばかりです(岩手の仮設には若者も、子供たちも居ました)。

物資をもらいにきた方達数十人のなかに、こうした品が必要そうな人はたった一人でした。

他の人に判らないようにそっと私はその人に知らせましたが、「ストレスからだと思いますが、生理が来なくなってます」と。

男性たちも読むこの「一枝通信」ですが、こんな現実も是非知って欲しいと思いました。

原発の見えない恐怖がこんなかたちでも現れているという事を。  

 

追伸 

ビニールハウス建設について皆さまにご協力をお願いしていましたが、現在3棟建っています。

おかげさまで3棟建設が出来たのでした。ありがとうございました。

お礼がこんなに遅くなりました。どうぞご容赦を。

なお引き続き、肥料や種、水道代など、管理のための費用も必要になってきます。

どうぞ、今後もご協力をお願いいたします。    


更新情報3月12日号「一枝通信」(その1)

3月12日号(その1)

昨日は郡山の開成山野球場で開催された「脱原発 福島集会」に参加しました。

私も呼びかけ人になっている「脱原発をめざす女たちの会」ではバス3台を仕立てて、東京駅の鍛冶橋駐車場から出発しました。

他にも多くの団体がそれぞれバスを仕立てて、それらのバスが連なって郡山を目指しました。

私の乗ったバス1号車には、奈良や長野からなど東京近辺からばかりでなく各地からの参加者が居ました。

車中ではマイクをまわして、各自が自己紹介と原発に対する思いなどを一言ずつ発言してから、いくつかに関して意見交換をしました。

車の中では本も読めないし字も書けない私は(電車なら大丈夫ですが車だと気分が悪くなってしまうのです)メモを取れなかったので、頭に残っていることだけで、それらをお伝えします。

★東電のホームページを見るとスポンサー企業が判る。三井住友銀行などの預金は解約して、地元の信用金庫に変えたほうが良い。

★原発国民投票に関しては

・「憲法を9条を変えたいために、国民投票法案を作ろうと進めている人たちも居る。国民投票は、危険をはらんでいる。急いで集約すると、推進派に有利な結果になると思う。だから原発国民投票には賛成できない」

・「原発意見投票をそのように捉えるのは違っている。大阪や東京で行われた原発意見投票は法的な力はなく、アンケートとしての意味で我々の意見を伝えて行くものだ。国民投票法案を成立させて、国会を通らなければ実行力はない。実際に意見投票を集めるのには受任者が相手に会って、対面で説明と意見交換をして上で納得して署名をしてもらうのであって相当に時間を掛けて丁寧に集約していく。だから前者の意見は、ナンセンスだ」(拍手がたくさんおきました)

これらの意見を交わしながら、途中のサービスエリアでのトイレ休憩を2回はさんで会場に着きました。

私たちの席は1塁側の内野席でしたが、内野席はこちら側も3塁側も満席となりました。

外野席の芝生上にいる人たちも居ました。

何度も「外野席は除染が済んでいません。どうぞご承知の上気を付けてご利用下さい」とアナウンスが流れました。

そこにはまだ小さな姉妹たちが駆け回ったり、また芝生に寝転んでいる人も居て、内野席の椅子に座っている人たちの中から心配の声やため息が上がっていました。

集会の様子はきっと、報道されている事と思いますのでこの通信からは省きます。

集会後にはデモ行進があったのですが、私はここから南相馬へ行くのでデモには参加せずに郡山駅に出て東北本線で福島へ向かいました。

いつも南相馬へ行く時には東京駅から新幹線で福島駅へ、そこから急行バスで南相馬へと行くのですが、この日はバスの時間まで余裕があったので、郡山から在来線を使ったのです。

新幹線だと線路は高架で、郡山から15分で福島駅です。

東北本線では土の上に敷かれた線路を行くので、景色がより近く見えます。

各駅に止まりながら行くので、より風景を味わいながら行けます。それでこちらを選んだのです。

バスの時間まで少し余裕もありましたし。

途中の松川駅で停車した時、線路際の木造の家壁に、こんな文字看板がありました。

「日本の歴史は女の我慢で出来ている」「絶滅危惧種の種の中に絶望の種が宿る」

どんな人が、どんな思いで記したのか……。いつかこの駅で降りてこの家を訪ねてみたいと思いました。

南相馬ではいつものホテル六角は満室で、地元ボランティアの方の家に泊めて頂きました。


更新情報3月10日号「一枝通信」

3月10日号

3月は記憶を深く心に刻む月。独りの記憶も、たくさんのいのちの記憶と共に私の胸に深く刻まれる、3月です。

2012年3月10日

あれから53年が流れました。ラサ市民一斉蜂起記念日の今日、私も渋谷で行われた「チベット・ピース マーチ」に参加しました。

あいにくの冷たい雨でしたが、在日チベット人とチベット支援者が150人以上、集いました。

会場は渋谷の宮下公園です。

開会の前に、ドルマ・ツェリンの呼びかけで、53年前から今日までのチベット人犠牲者、拘束されている人たち、また日本での昨年の震災犠牲者、世界中の平和のための闘いで犠牲になった人たちのために1分間の黙祷を捧げました。

そして会が始まりました。

私たち参加者の前にこちらを向いて並び、チベット国旗を掲げて国歌を歌うチベットの友人たち。

傘もささずに、胸をはって遠く高みを見つめながら歌うその顔を見ながら、私は胸が一杯でした。

チベット本土の友人たち、いま渋谷であなた達を思いながら歌う同胞が見えますか?

心の中で私は、本土の友人たちに呼びかけていました。

数年前の事です。ラサの友人たちが日本に来た時の事です。

一行は30代の兄弟と、その知り合いのおばあさんと彼女の孫の4歳の男の子でした。

数日を東京で過ごした後で、私は一行を京都へ案内したのです。

三条河原町を歩いていた時に、学生たちのデモに出会いました。

それはほんの十数人の小さなデモでした。

沖縄基地を返せというメッセージを掲げたデモでした。

何事かと目を見張る彼らに、私がデモの意味を説明したのです。

すると、4歳のその坊やが突然、拳を高く掲げて叫んだのです。

『プゥ ギャロー!プゥ ギャロー!』と。

彼は『チベットに勝利を!』と声を限りに叫んだのでした。

30代の弟の方が、ぽつりと言いました。

「町の中には軍も居ないし、こうした事をやっても誰も捕まえられる事も無いし、道を行く人たちが拍手したりしています。それだけでも日本はとてもいい国だと思います」

宮下公園での集会後は、3〜4列横隊でシュプレヒコール、そして合間合間には先導者がマイクでチベットの現状と支援を訴えながら歩きました。

大小様々なチベット国旗が、風にはためいていました。

コースは、ハチ公前から宮益坂を上がって青山通りを抜け、表参道に出てキャットストリートから、出発点の宮下公園に戻ったのでした。

表参道、1945年3月10日。

東京が焼け野原になった日から、67年が経ちました。

その日、すり鉢状の地形のこの辺り一帯は火の海となり表参道の石灯籠だけが残りました。

石灯籠には今も、当時の犠牲者の血の跡が残っているといわれます。

石灯籠からキャットストリートの方へ曲がる時に私は、先月南相馬で聞いた被災者の言葉を思い起こしていました。

83歳の鈴木とよ子さんと言います。

原発から20キロ圏内の村上に住んでいましたが、津波でご家族も家も流された方です。

とよ子さんは、地の言葉で話して下さいました。

「67年前の東京大空襲の跡みだいだった。叔父が池袋に住んでだがら、戦争が終わって9月に、東京に行っでみたの。

わだすは中学生だった。

叔父の家から護国寺に行っだら、ほら、あすこは高台にあるでしょ?

護国寺から見だら、はぁ、なぁんにもないの。

津波の後で家あっだどこさ行っだら、67年前の東京みだいだった」

チベットの平安を、チベットの人たちが真に望む平安な日々をと、祈ります。

ただひたすらに、心から祈ります。

世界中のすべてのいのちが、すべての存在が毀損される事の無い世を、と祈ります。

被災からから一年目を迎える明日です。

被災された方達が悲しみを友としながらも、明日に向かって歩いて行かれますようにと、祈ります。

私は明日からまた、南相馬へ行って来ます。 

 


更新情報3月8日「一枝通信」

3月8日号

昨夜は被災地からの声を聞くトークの会、第一夜でした。

80人ほどの参加者で会場は一杯でした。

おいで下さったみなさま、ありがとうございました。

福島からのゲストスピーカーは「原発事故から命と環境を守る会」会長の大留隆雄さん、「希望の牧場〜ふくしま〜」代表の吉沢正己さんのお二人でした。

私はこれまで大留さんとはホテル六角での食後や、ボランティア作業の折に、被災現場や被災者のお宅に連れて行って頂く車の中で、たくさんの話をお聞きして来ましたが、昨夜はたくさんの方達の前で話されるのを一聴衆として聞きました。

また吉沢さんからは、ホテル六角や他の場所で話を聞いていましたし、経産省前の座り込みで、街宣車の上から話すのを聞いた事もあります。一聴衆として聞いて、改めて考える事多々ありました。

吉沢さんはなんと昨日も福島から街宣車でやって来て、渋谷のハチ公前で演説してからの会場入りでした。

参加して下さった方達からは、「あれから一年という事でテレビなどでもさまざまに報道しているが、生の声の衝撃は凄かった。映像が無くて話だけで伝わってくる福島の声に、これまで気付けなかったいろいろを考えさせられた」「第三者を通した言葉ではない、当事者の言葉は深く響いて来た」などの声が届いています。

政府も財界も『復興』を旗印にして私たちの目を現実から逸らそうとしているようですが、こうして現地の声を聞くことで実際が浮かび上がってくると思います。

このトークの会はこれからも続けて行くつもりです。

次回の日程はまだ決まっていませんが、出来れば5月中旬から6月中旬の間にしたいと思っています。

どうぞまた、おいで下さいますように。


更新情報 2月22日号「一枝通信」

2012年2月22日号

今日はチベット暦のお正月です。

いつもの年ならば、チベットの友人からも電話があり、また私からも電話をかけて新年の挨拶を交わします。

でも今日は、チベットからは電話がありませんでした。

皆さんもご存知だと思いますが、一昨年暮からチベットでは信教の自由、人権の保護を訴えて抗議の焼身行動が相次いでいます。

昨日までに23人が焼身による抗議行動を図り、16人が亡くなっています。

今年になってからでさえ、焼身抗議者は、既に11人にのぼっています。

亡くなった人への懇ろな葬儀も許されず、そうしたことへの抗議の声をあげた人たちに対しても軍により無差別な発砲がされ、死亡者や負傷者も出ています。拘束された人も数多くいます。

また、昨年暮れにインドで催されたダライラマ法王による法要に参加し帰国したチベット人たち数百人が、当局により拘束されています。これらのチベット人は不法に国境を越えた訳ではなく、パスポートを持ち、ビザをとっての出国であり、また出国に際してはそれがインドへの巡礼であることを当局も知って許可していたのでした。

更なる抗議の声が出ないようにと、当局による厳しい監視体制が敷かれチベット各地は発令こそされていませんが戒厳令下と同じ状況になっています。

こうした状況下では、お正月を祝う気持ちには到底なれないことでしょう。

ダラムサラを通じて発信される本土からの状況に、私も毎日、胸が塞がれる思いで過ごして来ました。

こちらからの電話もずっと控えていたのですが、今日は思い切って電話をしてみました。

「ロサー、タシデレ。みんなかわりないですか?」と私が言うと、電話口に出た友人は力ない声で、「だいじょうぶ。みんな元気です。心配しないで」と。

その言葉を交わしただけで、私は受話器を置きました。友人は無事で、家にいることが判りホッとしたことと、声からの様子で、現地の状況がわかったからです。

いつもならお正月の朝は、まだ夜も開けない真っ暗なうちから起きだして、白い儀礼用のスカーフをつけた水汲み場から若水を汲み、仏壇に供えます。

そして仕立て下ろしのチベット服や、一張羅の服を着て装いを正して、外はまだ闇のうちから家族揃ってお寺に参詣に行くのです。

開けやらぬ町の通りには、お寺へ行く人、戻って来た人たちが行き交い、互いに「ロサー、タシデレ」の挨拶が飛び交うのです。

今年は皆、すぐ近くへの外出さえ控えて家にいて、苦しみを抱いたまま過ごしているのでしょう。

チベットを覆う闇が、心に重くのしかかっています。

新聞やテレビも少し報道をしてはいますが、伝えられるよりもはるかに現地は厳しい状況になっています。

「チベットNOW@ルンタ」(http://blog.livedoor.jp/rftibet/)や他にも幾つかのサイトで、チベット情報は得られます。

みなさま、どうぞチベットに目を注いで下さい。いると、改めて思います。


★トークの会のお知らせです。

『渡辺一枝トークの会 福島の話を聞こう! vol.1』→pdfフライヤーはこちら

日 時:3月7日(水)午後7時〜(開場は6時半)

場 所:神楽坂セッションハウスギャラリー

参加費:1500円(会場費は被災地へ寄付とさせて頂きます)

毎回福島からのゲストスピーカーを迎えて話して頂きますが、1回目のこの日は、「原発事故から命と環境を守る会」代表の大留隆雄さん(南相馬出の私の定宿、ビジネスホテル六角の主人です)と、原発から14キロにある浪江町「希望の牧場」代表の吉沢正己さんのお二人を迎えます。どうぞ、お友達を誘って、ご来場下さい。たくさんの方に、現地の状況をぜひ知って頂きたいのです。

明日は今日の続きにお作業が残っていますが、仮設集会所の台所は使えません。
私はこの六角で炊き出しのおにぎりを作るのを手伝って、午後のバスで帰ろうと思っています。


更新情報 2月14日号「一枝通信」

2012年2月14日号

昨夜から南相馬に来ています。
先日来お伝えしているビニールハウス、いよいよ今日から建て始めました。
鹿島の小池第3仮設住宅のすぐ前です。
12日(土)に水路と周辺の草刈りを、ボランティアたちで済ませてありました。
13日に資材が届いて、今日は朝から地元のボランティア10人に東京からのミュージシャンたち4人、仙台からのボランティア3人、ルーテル教会から2人が助っ人で、夕方までにパイプを建てることが出来ました。
ビニールハウスを建てるのは思いのほか時間がかかることで、当初は今日中にビニール掛けまでできるかと思っていましたが、ビニール掛けは明日の仕事になりました。
仙台からの3人は、急遽今夜はホテル六角に宿泊することにして、明日も朝から作業に加わってくれることになりました。

私は午前中は仮設住宅で聞き取りをしていました。
また現地ボランティアの女性たちは仮設住宅の集会所台所を借りて、炊き出しにかかっていました。
作業に当たっている男性群は建設現場で、女性たちは仮設の集会所でおいしい昼食を頂きました。

さて、仮設の集会所で聞かせてもらった話です。
鈴木とよ子さん(83歳)、佐藤くさこさん(81歳)、蒔田フサコさん(78歳)です。
仮設には集会所があって、ふだんでも住民たちが寄り集まってお喋りをしたりまたさまざまな行事にも使われているのですが、こうした場にもなかなか出て来ない人がいるようで、今日話を聞かせて下さった方達は、ふだんなかなか集会所に出てくることの無い方達でした。
これは「原発から命と環境を守る会」の荒川さんが、予めこの方達に声を掛けて集めて下さっていてのことでした。
荒川さん自身、家は津波で流されて今は借り上げ住宅に住んでいますが、この3人の方たちとは元は同じ部落(現地の人はこう言います。ここでは部落は差別用語ではなく、地域の繋がりとして使われていた本来の意味付けで今も活きています)で、よく知った人たちなので、こういったことが叶ったのでした。いずれも20キロ圏内の警戒区域です。
みなさん地の言葉で話されるので、私は録音機に収録を任せて、専ら耳でしっかりと言葉を受け止める努力をしていました。
こんなとき片耳が全く聞こえない私は、手も動かせず聞き耳を立てるのですが、聞かせてもらった話をいま思い返しても、体験の重さに胸が潰れそうです。
鈴木さんは100歳のお姑さんとご主人が流されるのを目の前で見たのです。
蒔田さんは津波だというので家を出て高台に向かう途中で、娘さん、お嫁さん、お孫さんが橋の上にかかった時に波が来て流されて行くのを目にしたのです。
安置所を捜して、打撲や汚れで直ぐには見分けられなかった3人をやっと見つけることが出来た時には涙も出ながったと言いながら、涙を拭いました。ご私人は瓦礫に挟まって出られなかった時に、引き波で瓦礫に隙間ができたので体を動かして抜け出ることが出来たと言います。
佐藤さんは「家は根こそぎなぐなった。犬にぶつける土もねぇ」と。
地震から津波まで、そしてその後、転々とした避難所生活、それから今の仮設入居までを3人とも語り語りして下さいました。

3人は農家で、ビニールハウスができるのをとても楽しみにしていました。
途中で私は少し抜けて建設現場に行って写真を撮り、戻ってお見せすると「始めはほうれん草や人参がいいな」「ジャガイモもいいぞ」「キュウリやトマトは苗からではむずがしいがら、苗で植えたらいいな」「んだなぁ。苗でねぇとだめだな」「けど1年、畑やってねがっだから、できっかな?」「だどもそんな広い場所やるっでねぇべ?大丈夫だ」鍬を振るしぐさをしながら「畝つぐってな」
「畑はいいな。朝起きっど、今日はどれだけ伸びたか、見に行くのが楽しみだったもんな」「そうさ。土いじってど、楽しみだもんな」
次々に言葉が溢れてきました。

お昼ご飯を食べながら、「今日はこうすて話せて、すっぎりした。胸につかえてたんだ」と。
きっと、今だから話せるようになったのだと思います。
鈴木さんも、佐藤さんも、蒔田さんも、昼間はテレビを見たりして気を紛らわせても夜は睡眠薬が無いと眠れないと言っていました。

鈴木さんが割烹着の裾をあげて下に来ていたチョッキのポケットを裏に返してみせながら、言いました。
「物資で貰ったチョッキだども、始めは気がつかながったがなんか入ってるみてぇで、こうして見たらほれ!五円玉が」見ると安全ピンで五円玉が止め付けられてありました。
「嬉しぐてなぁ。ご縁がありますようにってつけてくれたんだべ。そんで反対のポケットには、ほれ!」と言ってみせてくれたのは一粒の大豆です。
「豆で暮らしてくれろと言うんだべ。それからは洗濯する時は外して、また付けて、いつもこうしてポケットさ入れてるんだ」
こんなふとした心使いが、どれほど被災者の方たちを元気づけたことかと思いました。『がんばろう』などという言葉よりもずっと、ずっと。

ビニールハウスが、仮設のお年寄りたちに「明日」を楽しみにする心を生み出しています。
今日建てた場所にもう1棟建てる予定です。別の場所にも、3棟建てたいと思っています。
まだまだ資金が不足しています。どうぞお友達にもお声かけして、支援をお願い致します。
◎郵便振替の場合
銀行名:ゆうちょ銀行
記 号:18220
番 号:5137881
名 前:ゲンパツジコカライノチトカンキョウヲマモルカイ
◎他行から振り込む場合
店 名:八二八(読みハチニハチ)
店 番:828
預金種目:普通預金
口座番号:0513788
また、種を提供して下さる方がおいででしたら、それもお願い致します。


★トークの会のお知らせです。

『渡辺一枝トークの会 福島の話を聞こう! vol.1』→pdfフライヤーはこちら

日 時:3月7日(水)午後7時〜(開場は6時半)

場 所:神楽坂セッションハウスギャラリー

参加費:1500円(会場費は被災地へ寄付とさせて頂きます)

毎回福島からのゲストスピーカーを迎えて話して頂きますが、1回目のこの日は、「原発事故から命と環境を守る会」代表の大留隆雄さん(南相馬出の私の定宿、ビジネスホテル六角の主人です)と、原発から14キロにある浪江町「希望の牧場」代表の吉沢正己さんのお二人を迎えます。どうぞ、お友達を誘って、ご来場下さい。たくさんの方に、現地の状況をぜひ知って頂きたいのです。

明日は今日の続きにお作業が残っていますが、仮設集会所の台所は使えません。
私はこの六角で炊き出しのおにぎりを作るのを手伝って、午後のバスで帰ろうと思っています。


更新情報 2月9日号「一枝通信」

2月9日号

2月8日夜、護国寺で『世界同時開催 チベット本土のための緊急法要』が執り行われました。

寒い夜でしたが、私も参加してきました。

ご記憶にあると思いますが2008年、ラサに端を発したチベット人の抗議行動は時を置かずにチベット各地に広がり、多くの犠牲者が出ました。拘束されたまま行方不明の人も、たくさんいます。

その後のチベットは、町のそこここに、また新たな監視カメラが設置され、辻や要所に警備の軍や武装警官が6名ずつ銃を持って立ってるようになりました。立っているばかりではなく、やはり銃を持ってそこここを巡回しているのです。

チベット人が巡拝して歩く巡礼路にも監視カメラはもちろん盗聴マイクも仕掛けられ、建物の屋上からも見張りの監視役が立っています。

お寺では政治教育が一層強化されてきました。

こうしたことに対して、僧侶や尼僧、また一般人からも抗議の焼身自殺が続いています。

今年に入ってからでさえ、もう既に4人が亡くなっています。昨日も、1人が亡くなっています。

1月23日には平和的デモを行っていた数百人に対して治安部隊は無差別に発砲し、死者や負傷者が出ています。

外国のメディアが入れないので新聞やテレビでニュースになってはいませんが、どうぞ、チベットに目を注いで下さい。

実は昨年秋に私はまたチベットに行く予定でいましたが、入域許可が下りず行くこと叶わなかったのです。

この頃既に、抗議の焼身自殺は相次いでいたのです。当局はそうした事実を、外国人に知られるのを怖れたのでしょう。

あるいは、情報がすっかり統制されている現地ですから、外国人からチベットの他の地域で起きていることが知れ渡るのことを怖れたのでしょう。

今日の報道で、中国政府は3月末まで外国人のチベット各地への旅行禁止を発表したとありました。

もうじきチベットのお正月(2月22日)が来ますが、チベット人たちは今年のお正月は祝わないと言っています。家にいて犠牲者のためにお祈りをして過ごすと言っています。当局は無理矢理にでも、晴れがましく正月を祝えと、強要することでしょう。

また、1959年3月10日の“ラサ蜂起”を記念する3月がやってきます。

当局は一層厳しく管理、監視、締め付けをしていくでしょう。

どうか、これ以上犠牲者が出ませんようにと祈るばかりです。

チベットに関しての情報は「チベットNOW@ルンタ」(http://blog.livedoor.jp/rftibet/)で、ご覧下さい。ダラムサラからの発信ですが、中には本土からもたらされた貴重な情報があります。そうした情報もまた、死を賭して送られてくるものです。


★トークの会のお知らせです。

『渡辺一枝トークの会 福島の話を聞こう! vol.1』→pdfフライヤーはこちら

日 時:3月7日(水)午後7時〜(開場は6時半)

場 所:神楽坂セッションハウスギャラリー

参加費:1500円(会場費は被災地へ寄付とさせて頂きます)

毎回福島からのゲストスピーカーを迎えて話して頂きますが、1回目のこの日は、「原発事故から命と環境を守る会」代表の大留隆雄さん(南相馬出の私の定宿、ビジネスホテル六角の主人です)と、原発から14キロにある浪江町「希望の牧場」代表の吉沢正己さんのお二人を迎えます。どうぞ、お友達を誘って、ご来場下さい。たくさんの方に、現地の状況をぜひ知って頂きたいのです。


更新情報 2月7日号「一枝通信」

2012年2月7日号

昨日、ビニールハウス建設予定地を見てきました。

鹿島区の小池原畑仮設住宅に近い場所と、小池第三住宅に近い場所の2カ所あり、片方には3棟、もう一方には2棟建てる予定です。

どちらも畑地だったところで、土壌も良いところで、水の便もいい場所です。

また仮設からも歩いて行けるほど近く、良い場所が見つかったと思います。

線量は片方は畑地の縁で接地での計測値が0.6μSv。

私のウクライナ製の線量計は、0.3を越えるとピーピー鳴りだすのですが畑地の中程に行くと0.29とギリギリで音は消えました。

もう一方の予定地は0.23〜0.26μSvでした。

0.6という数値が気になったのですが、その畑に植えられていた白菜を亜細亜大学の検査室で調べて貰ったところ40ベクレルで大人が食べる分には問題が無いと言われたそうです。

もちろん子供や妊婦さん、若い人たちには食べさせない方がいい値でしょう。

ただ、このビニールハウス計画は中を小さく分けて仮設のお年寄りたちがそれぞれ畑仕事を楽しみに作って、それを生き甲斐にしてもらうということが一番の目的です。

そして自分の口に入る物を少しでも自分で作り出す、ということを目的にしています。

畑にあった白菜は露地栽培の物で、もちろん出荷もされなかったでしょうし、畑の持ち主が試しに作ってそのまま捨て置いた物でした。

白菜は種を蒔いてから、葉が巻き込んで収穫できるようになるまでに月日が必要な作物です。

ビニールハウスでは、種を蒔いてから、短期日で収穫できる小松菜やホウレンソウ、水菜などが主になっていくでしょう。

でもこれは実際にそこを利用する仮設の方達自身が、考えていくことになると思います。

そこで、みなさまへのお願いです。

ビニールハウス1棟建設するのに、資材、建設費用、水道管敷設、畑仕事のための道具類購入などで、およそ60万円必要になります。

現在、以前みなさまにご協力いただいたズボン下購入資金の残金や、その後に寄せられた支援金の合計が80万円ほどありますが、まだまだ資金が足りません。

どうぞ、支援金のご協力をお願い致します。

支援金は一口1000円ですが、何かの集会などでの一口以下のカンパももちろん大歓迎です。

一口以上の支援金は、もちろんもちろん、とても嬉しいです。

どうぞ、下記にご送金下さいますようお願い致します。

◎郵便振替の場合

記号:18220

番号:5137881

名前:ゲンパツジコカライノチトカンキョウヲマモルカイ

◎他の金融機関から振り込む場合

店名:八二八(読み ハチニハチ)

店番:828

預金種目:普通預金

口座番号:0513788

となります。どうぞ宜しくお願いいたします。

計画では全部で5棟立てる目標であることをお伝えしました。実は見切り発車で、既に資材を2棟分発注していました。

その他の農具や水道敷設のための費用がまだ足りません。

野菜類の種蒔きの時期や生育条件などから考えて、三月中には全棟完成させたいと思っています。

どうぞ、みなさまのご支援をお願いいたします。

建設予定地を見た後で、無償で土地を提供して下さった小林さんをお訪ねしました。

小林さんのお宅は南相馬の旧家で、屋敷の中に樹齢500年以上とされるアカガシがありました。

アカガシは県の天然記念物に指定されているのでした。

小林さんは農家で、伺った時はちょうどご自分のうちのハウスのビニール掛けをしているところでした。

大留さんと私の姿を見ると手を休めて、ビニールハウスについていろいろ説明して下さいました。

そして資材が届いて建設する時には、お手伝いもして下さると言ってくれました。

小林さんはビニールハウスのための土地を提供して下さったばかりでなく、小池の仮設住宅を造る時にも土地を無償で提供されたそうです。そうしたお人柄がお顔に表れているような、穏やかな笑顔の方でした。


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日 時:3月7日(水)午後7時〜(開場は6時半)

場 所:神楽坂セッションハウスギャラリー

参加費:1500円(会場費は被災地へ寄付とさせて頂きます)

毎回福島からのゲストスピーカーを迎えて話して頂きますが、1回目のこの日は、「原発事故から命と環境を守る会」代表の大留隆雄さん(南相馬出の私の定宿、ビジネスホテル六角の主人です)と、原発から14キロにある浪江町「希望の牧場」代表の吉沢正己さんのお二人を迎えます。どうぞ、お友達を誘って、ご来場下さい。たくさんの方に、現地の状況をぜひ知って頂きたいのです。






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