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更新情報 6月25日号「今そこ演芸団」公演

みなさま

「今そこに落語と笑いを配達する演芸団」の、南相馬市落語公演の一日でした。
真打ち落語家の古今亭駿菊さんの落語と、美空ひばりの歌ばかりを歌う歌手の田中みちたかさんによる、一日3回公演です。
9:00~10:00が、小池長沼東側仮設集会場
12:30~13:30、寺内塚合仮設集会場
15:00~16:00、小池第3仮設集会場 で、催しました。
仮設住宅に暮らす皆さんはお年寄りなので、客席は椅子にしました。
第1回公演会場の小池長沼に着いた時には、ようやく集会場の鍵が開いたばかりの時で、出演者のお二人も手伝って、仮設の皆さんと一緒に会場作り。
長テーブルを二つ併せて並べ、その上に椅子座布団を4枚並べて、駿菊さんが持参された赤い布をかけました。
何と、これが高座になるのです。
テーブルの上に座布団ですから、高座に上がるための階段代わりに椅子を一脚、高座の裏側に置きました。
高座の後ろに、集会場にあるホワイトボードに茶色、黒、緑の3色の定式幕をかけてバックにすれば、集会場が即席の寄席に早変わり。
さすが、何度も被災地を訪ねている「今そこ演芸団」です。
作務衣姿の駿菊師匠も、ランニングシャツに短パン姿の田中さんも、この時点で既に汗だくの朝です。

会場に並べた30数脚の椅子は埋まって、9時になりました。
司会の私が開会を告げると、駿菊師匠が楽屋(と言っても、椅子やテーブルをしまってある小部屋です)からさっきの作務衣で現れました。
「あれ?そのまま高座に上がるのかしら?」と思ったら、iPadをてにした駿菊さんは高座の前に立ったのです。
「え~、今日は皆さん、ようこそお運び下さいました。今日は美空ひばりの歌と落語をお届けに来ましたが、笑いはとても健康にいいんですよ。肩の疲れ等もほどけて、女性の方は美しくもなるんです。
少し頭の体操で笑いの練習をしましょうか。勉強は嫌いだなんて人も、ひらがなは読んだり書いたりは簡単でしょう?」
と、iPadに指で文字を書きました。
「め」という文字のさいごをぐるっと丸く伸ばして「なんて読みますか?」の問いに「めまい」と客席の声が答えると「グルメです」
こんな風に幾つかのひらがなでの遊びの後で、「次は漢字です」
「車」篇に「白」、「黒」の二文字を縦に書いて「なんと読みますか?」と客席に問うと「パトカー」の答えが返りました。
「いえ、霊柩車です」みんながどっと笑い、今度は「車」篇に「赤」と書き「消防車」の答えに「ブー、郵便車です」はぐらかされたとみんなが笑うと、「では『車』篇に『子供』では?」「乳母車」の答えに「砂利トラ」です、と言ってみんなが笑ったところで、「では田中くんの用意も出来たようなので」とスーツ姿に変身した田中さんが登場しました。

田中さんはカラオケの伴奏で♪愛燦々♪から歌い始め、♪越後獅子♪♪お前に惚れた♪など間に語りを交えながら歌い継ぎ、最後に♪みだれ髪♪を歌い上げました。
この田中さんの歌唱が、本当に素晴らしかったのです。
私は子供の頃は美空ひばりさんが好きでしたが、思春期の頃から歌謡曲は聴かなくなっていました。
けれども、田中さんの歌うのを聞いて「ひばりさんの歌って、こんなにも心に響く歌だったのだ」と、思いを新たにしたのでした。
田中さんは、31歳の男性ですが、物まねではなく自分の声で歌っていたのですが、客席の皆さんは自分でも口をあわせたり手拍子を打ったり、涙ぐんだりしながら、聴き入っていたのでした。
そんな皆さんの様子を見ながら、この催しを企画して良かった!と思いました。

田中さんの出番が終わって楽屋からは、出囃子が聞こえてきました。
そして現れた駿菊師匠は、作務衣姿とは打って変わって浅葱色の絽の着物に黒い紋付の絽羽織です。
「『お前さん、台所を模様替えしようか?』『勝手におし』」など小咄を幾つかでみんなを笑わせ、扇子や手ぬぐい等を巧みに使っての仕種の芸でみんなを感心させてくれました。

2回目の会場は寺内塚合仮設集会場です。
既に会場の準備は皆さんがして下さっていたので、田中さんの歌から始められました。
やはり皆さん、楽しそうに口をあわせたり手拍子打ったり涙ぐんだり…。
大きな拍手ばかりでなく、客席から手を伸ばして田中さんのてを握ったり、大好評でした。
続いて出囃子にのって現れた師匠は、さっきとは変わって黒い絽の着物に黒い絽羽織です。
話の題を、私は知らないのですが人情話です。
笑わせて、最後にほろりと泣かせて。
私も泣きましたが客席のみなさんも涙がジワリで、私は笑いはとっても大事だけれど、泣くのも大事なことだとしみじみと思いました。
殿様の目に留まって御殿奉公に上がった妹が世継ぎを産み、御殿に招かれた兄の八五郎のトンチンカンなやりとりで客席を笑わせるのですが、八五郎が殿様に「何か希望はあるか」と聞かれて「殿様から頂いた酒やご馳走で長屋のみんなは祭りみたいに楽しくにぎわっているけれど、おっかぁが柱の陰で泣いてんです。娘がお世継ぎを産んだのはめでたいが、自分の孫なのに抱くことも出来ないって、泣いてんです。籠に乗って長屋の前を通った時には、そっとお世継ぎの顔をおっかあにも拝ませてやってください」と言うのです。
師匠の話芸にも涙が誘われましたし、仮設に暮らす人の願い「家族は一緒に暮らしたい」という気持ちを思っても、また、でした。

最後の公演は小池第3仮設集会所。
ここでは珍しくたくさんの男性たちも参加してくれたので、私は男性たちに最前列にずらりと座ってもらったのです。
別にそうする理由はなかったのですが、一番前はみんな遠慮がちに座ろうとしないからだったのです。
ここでも田中さんの美空ひばりは、大受け!
男性たちも口を動かして、歌に気持ちをあわせていました。
師匠は、薄樺色の絽の着物に、黒の絽羽織で「湯屋番」というちょっと色っぽい話。
おじいちゃんたちがアハハと笑うのに合わせて、後ろのおばあちゃんたちも膝を叩いて笑ったのでした。

どの会場でも、公演の後で少しの時間でしたが、駿菊さんと田中さんに参加者の皆さんと歓談してもらうことも出来ました。
そして「ぜひまた来て下さい」とリクエストも出たのでした。
「今そこ演芸団」の活動は、ホームページやFaceBook,Twitterでごらん頂けます。
http://www.imasoko-engei.net です。
駿菊さんと田中さんは、明日はまた宮城県の山元町の被災地での慰問公演です。
私自身も大いに笑い、またしみじみとした一日でした。

いちえ


更新情報 『メディアが伝えない真実を語る』のお知らせ

みなさま

色川大吉先生のゼミ生だった人たちが中心になって続けている会、フォーラム色川での催しのお知らせです。

—チベットのこともチェチェンのことも福島のことも、わたしたちは何を知っているだろうかー
『メディアが伝えない真実を語る』

日 時:7月6日(土)13:30〜(開場12:30)
場 所:武蔵野公会堂 2階第1&第2会議室
資料代:1000円
主 催:フォーラム色川
連絡先:Fax 0422−27−5668
    Tel 090−4914−4597(安東)090−5770−7707(伊藤)
    メール iro-15-kawa@hb.tp1.jp
ホームページ  http://www.irohokuto2010.com
講 師:林克明(フォトジャーナリスト)
    渡辺一枝

私はこれまで、林さんの本でチェチェンのことを知っていきました。
多くの方に、ぜひチェチェンのこと、チベットのことを知って頂きたいと思っています。
どちらも遠い地のことではなく、私たちの住むここと非常に繫がって思えます。

いちえ


更新情報 6月24日号「南相馬で」

みなさま

南相馬に来ています。
今日は福島からのバスが原町駅前に着くと、六角支援隊の鈴木さんが待っていてくれました。
「一枝さんが来るのを待っている子どもたちが居るから、小池第3仮設に行きましょう」と言われて、私は「???私を待っている子どもたち?」
長沼仮設住宅では子どもの姿を見かけることもありますが、小池第3に居る子どもは一人だけではなかったかしら…と思いました。
小池第3の駐車場で車を降りて集会所の方を見ると、人影がありました。
「こんにちは」と入った私が目にしたのは、たくさんの縫いぐるみでした。
縫いぐるみを作った皆さんも居て、「この子たちをお嫁入りさせます」と言うのでした。
待っていてくれたのは、この子どもたちとこの子たちの“お母さん”でした。
ここで縫いぐるみ講習会を開いたのは4月のこと。
その人形作りは、こうして今も続いていたのです。
小高区の家が津波で流され、ご主人と娘さんを亡くされた黒沢さんが言いました。
「ここに来て作ってると楽しいの。みんなでお喋りしながらね、作ってると楽しいの」
4月の講習会で作った縫いぐるみは、どなたもお孫さんにあげたり自分のところに置いたりしていますが、その後うまれた縫いぐるみは布を寄付してくれたモンベルへ御礼として送られたり、また私のところにも送られてきました。
どの人形も表情がそれぞれで、実に味わいがあるのです。
今週末29日の「声を上げよう女の会」集会、翌30日の「トークの会 福島の声を聞こう!」で販売いたします。
どうぞ、仮設の皆さんが作った人形たちにも会って頂きたく、みなさまのおいでをお待ちしています。

今回の南相馬入りは、落語会開催のためです。
落語好きの友人が繋いで下さって、落語家の古今亭駿菊さんにお会いしたのは3月のことでした。
岩手や宮城の被災地をたびたび訪ねて、ボランティアで落語を届けている落語家が居るから、南相馬の仮設住宅で落語会を計画してはどうかと、その友人からアドバイスを頂き紹介もして頂いたのでした。
そして駿菊さんが立ち上げた演芸集団「今そこ演芸団」にお願いした公演会を、明日、南相馬市の3カ所の仮設住宅で開催する運びになったのです。
今回は、古今亭駿菊さんの落語と歌い手の田中みちたかさんの歌です。
田中さんは30代の男性ですが、専ら美空ひばりの歌を歌っているそうです。
駿菊さんの落語も、田中さんの歌も私は初めて聞くので、明日が楽しみです。

駿菊さんと田中さんがビジネスホテル六角に着いた時には、六角支援隊の大留さんは留守でしたが、鈴木さんの案内で駿菊さんと田中さんを小高区と浪江町にお連れしました。
お二人とも船や車、重機や農機具などが津波で流されたままの状態であるのを見て、ため息をついていました。
浪江の請戸大橋からは、フクイチの煙突と建家もはっきりと見えました。
請戸は原発から5キロです。
六角に戻ると大留さんも帰ってきていて、駿菊さんと田中さんにご挨拶の後でこんなことを言いました。
「高市早苗って女の議員のあの言葉は、福島の人の傷口に焼け火ばしをグリグリ突っ込むような言葉だよ。
ドカーンって爆発した時にそれで死んだ人は居ないかもしれないけれど、事故後の関連死が南相馬だけでも400人以上居るんだよ。
双葉や浪江、大熊など福島全体で言ったら何人になるか判らないよ。
世界一安全な原発だなんて言ってセールスする首相なんか、とんでもない話だよ。
福島の人は、みんな怒ってるよ!
一枝さん!金曜日に官邸前に行って『原発反対』なんて言わない方がいいよ。
今度から『原発賛成。世界一安全な原発だから、東京のために東京に原発を作りましょう。お台場に作りましょう』って言った方がいいよ。
そうして、それに反対するのがどんな人なのかよく見てごらん」
さすが大留さん、鋭いことを言いますが、キンカンデモのスピーチ台では私はたぶんそれを言えないでしょう。

いちえ


更新情報 6月19日号「再びのお誘い」

みなさま

以前お知らせしました「戦争への道は歩かない!声を上げよう女の会」第14回集会と、「福島の声を聞こう!vol.6」の日が迫ってきました。
再度お知らせ、お誘いをいたします。

☆第14回「いま、語り描き写し 歌い舞うとき」
    ~美しい大地を、平和な世界を、未来のいのちに引き継ごう~
日時:6月29日(土)14:00~19:00
場所:カタログハウスセミナーホール(渋谷区代々木2-12-2 新宿駅南口から徒歩8分)
主催:戦争への道は歩かない!声を上げよう女の会
協賛:カタログハウス
問い合わせ:090-9964-2616(和田)
参加費:第1部+第2部 1500円
    第1部のみ   1000円
    第2部のみ    800円
●第1部 表現者はリレーする 14:00~16:00(開場13:30)
  出演 大石芳野(写真家)
     島袋マカト陽子(東京琉球館職員・在日琉球人二世)
     宇都宮健児(弁護士)
     矢口周美(シンガーソングライター)
     岡本マルラ有子(ネパール舞踊家)
     渡辺一枝(作家)ー出演者順ー
●第2部 映画とトークの夕べ 17:00~19:00(開場16:30)
  映画「福島 六カ所 未来への伝言」 2013年/日本/100分
  トーク 島田恵(「福島 六カ所 未来への伝言」監督)×渡辺一枝

☆渡辺一枝トークの会「福島の声を聞こう!vol.6」 
日時:6月30日(日)午後2時~4時(開場午後1時半)
場所:セッションハウス・ガーデン(新宿区矢来町158 2階)
参加費:1500円 (参加費は被災地への寄金とさせて頂きます)
ゲストスピーカー:渡邊とみ子さん
主催・お問い合わせ:セッションハウス企画室 Tel 03-3266-0461

どうぞ、みなさまお誘い合わせておいで下さい。
お待ちしています。

東京都民のみなさま
23日は東京都議会議員の選挙です。
私たちの暮しのこれからを決めて行く選挙です。
どうぞ決して棄権せず、投票に行きましょうね!

いちえ


更新情報 6月16日号「チベットへ行ってきました」

みなさま

先月末からごく短期間でしたが、チベットへ行ってきました。
今回は秋に友人たちをご案内するつもりで、その下見行でした。
昨秋は入域許可が下りずに入れませんでしたから、一年ぶりのチベットでした。
一年の間に成都空港は大きく広がり、市内は高速道路が縦横に繫がっていました。
たった一年の間に!と、驚きました。
ラサもまた、凄まじいまでの変わりよう!
歩道橋がそこここに出来ていましたし、巡礼路のバルコルに並んでいた露店はヂョカン前からまっすぐに伸びる宇拓路の両側にずらりと並んでいました。
これらの露店はやがて、現在建設中の商城に移されるそうです。
これらの変化について、中国政府による政治的な意図を慮る意見がありますし、私もそれを考えもしますが、地元の人たちの意見は少し違っていました。
ここではそれについて述べる事は出来ませんが、当事者の思いを聞く事がまず第一だと思いました。

バルコルや市内を武警や軍が巡回する姿は今回は見られませんでしたが、巡回こそしていませんが、要所要所でセキュリティーチェックを受ける必要があることに変わりはありませんでした。
またチベット人が居住地から他の地へ移動する場合、予め公安局に通行許可証発行を申請する必要があることや、移動中にはその許可証と身分証明書を携帯してチェックポイントごとにチェックを受けなければなりません。
もちろん外国人の私も通行許可証とパスポートを要所要所でチェックされますが、自らの土地でそうやってチェックをされるチベットの友たちの心中を察しました。

今回はチベット滞在中に、外国人旅行者には殆ど会いませんでした。
ラサで日本人カップルに一組、欧米人2人に会っただけでした。
中国人旅行者もとても少なかったです。
たぶん、鳥インフルエンザの影響ではないかと思われました。
また、口蹄疫も出たらしく移動中には村や町の境ではどこでも、道路上に消毒装置が設えられていて、車のタイヤはその上を通ってからでないと他の地域には入れないようになっていました。
こうした流行病に関して政府は情報を正しく開示していないので、チベット人もはっきりした事を知らされていないようでした。(どこかの政府と似ていますね)

旅行中に読んだ本に、チベットの状況と、そこに暮らすチベットの友たちへの思いを多いに刺激されました。
●『民族衣装を着なかったアイヌ 北の女たちから伝えられたこと』瀧口夕美著、編集グループSURE発行
●『狼の群れと暮らした男』ショーン・エリス+ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳、築地書館発行の2冊です。
前の本ではチベット人のおかれている現状に、後の本ではチベット人の持つ自然観に大きく思いが至りました。
今回の旅行中、牧畜地帯を通った時にこんなことがありました。
数人の女性が車の前に立ちはだかって、停車させられたのです。
女性の一人は木桶を持っていて、車から降りた私たちに言ったのです。
「今年初めて絞った羊の乳です。祝って下さい」
私たちは代わる代わる木桶の中の乳に薬指を付け、天に3回弾きました。
そして女性たち一人一人に、ほんのわずかずつのお金を喜捨しました。
これは「ユブペト」という習慣で、女性たちはお金が欲しくてしていることではなく、今年初めて搾った乳を旅人に祝ってもらうことで、羊たちが良い乳をたくさん出すようにと祈りの気持ちを貰うためなのです。
彼女たちは、こうも言いました。
「この先で同じように乞われたら、前の場所で済ませたと言えば断ることができますよ。帰りにここを通ったら、搾った乳を湧かして飲ませてあげますよ」
残念ながら同じ道を帰らなかったので、絞りたての乳を飲むことは叶いませんでしたが、ずっと以前、農耕地帯を通った時に、同様のことに出会ったことを思いだしていました。
その年に初めて刈り取った大麦の穂を持った農民が、やはり行く手を塞いで言ったのです。
「今年初めて刈った麦を貴方にあげましょう。そしてあなたからは、祝の心を頂きましょう」
数本の大麦を頂いて、わずかなお金を喜捨したのでした。
そして彼女たちと一緒にその場で歌い、ステップを踏んだのでした。

今回はユブペトという風習にもであった、嬉しい旅でありました。
帰国後、注文していた本が届いていてさっそく読み始めています。
『滅びゆく言語を話す最後の人々』K・デイヴィット・ハリソン著、川島満重子訳、原書房発行
まだ途中ですが、この本もまたチベットを考える上で大きな示唆を与えてくれます。
私事ですが4月に『消されゆくチベット』(集英社新書)を上梓しました。
中国政府による教育政策により、チベット語教育が危機に瀕していることに触れました。
自著の中でうまく文章化できなかったことを、デイヴィット・ハリソンの本は、しっかりと認識させてくれました。
言葉が失われるということは、その民族の文化、習慣や風習ばかりでなく環境の認識の仕方や思考方法などすべてにわたって、その民族が培ってきたものもはやDNAに組み込まれているとしか言えないもののすべてを、消してしまうということ。
それはその民族にとってばかりでなく、いま地球に生きる私たちすべてにとっても損失であることを、また深く考えさせてくれる本です。
読み進めるのが楽しみです。

いちえ


更新情報 5月21日号「会津若松」

みなさま

18日(土)に大熊町を訪ねた後で、その夜は木村さんは長女の舞雪(マユ)さんを預けてきた会津若松の巴さんの仮設住宅へ、私たちは会津若松の駅前のホテルに宿を取りました。
大熊町の油井さん、渡辺さんたちはそれぞれが避難している地へ戻って行きました。

翌朝、木村さんが迎えに来てくれて巴さんの住む仮設住宅を訪ねました。
会津若松には他にも大熊町からの避難者の住む仮設住宅がありますが、巴さんの居る長原応急仮設住宅は私が南相馬や岩手県で見てきた仮設住宅よりも、居住性が良いように思えました。
とはいえ、仮設住宅ですから不自由はたくさんあると思います。
巴さんは「結露もしないし、冬もエアコンもあるしこたつもあるし暖かいですよ。家の中にいれば暖かいけど、でも雪が大変」と言っていました。
雪が降っても積もる事は殆どない浜通りの大熊町からの避難先ですから、それに降雪の多かったこの冬でしたから、雪掻きの大変さが偲ばれました。
縁側に雪が吹き込んで積もり、掃き出しのガラス戸が半分隠れるほどだったそうです。
辺りには店は無く、買い物やその他の用事で出かけるには、10分ほど歩いたところにあるバス停からバスで出るそうです。
お隣に住むのは84歳の独居の女性で、冬の間はいつも巴さんはその人の玄関先の雪掻きもしてあげていたそうです。
大熊町にいた時には知らない人だったのですが、ここに来て隣同士になり、時には買い物もついでにしてあげたり、するとその隣人は夕食のおかずをたくさん作って分けてくれたりもするのだそうです。
84歳の高齢では雪掻きは大変でしょうが、代わってやってあげる巴さんも75歳で目も悪いのです。
こんな不自由を、高齢者たちに強いている3・11以後です。

巴さんが「上野さんに会いに行ってきました」と言いました。
巴さんの言うのは、南相馬市萱浜の上野敬幸さんのことです。
私は4月に南相馬で上野さんを訪ねた時に、上野さんからも巴さんが訪ねた事は聞いていました。
上野さんは両親と長女の永吏可(エリカ)ちゃん、長男の倖太郎(コウタロウ)くんが津波で流され、お父さんと倖太郎くんはまだ見つかっていません。
『たぁくらたぁ』28号に私は上野さんの事を書いたのですが、巴さんが上野さんを訪ねた時には、その『たぁくらたぁ』を持っていた事も上野さんから聞いていました。
巴さんは上野さんに会いに行った事を話しながら、こう言いました。
「同じ体験をした人なら、私の気持ちを判ってもらえると思って…」と。
けれども巴さんの気持ちは、満たされずにしまったようでした。

実は前日に大熊町からの帰路、私たちは楢葉町で上野さんに会ってきました。
それは予め、木村さんと上野さんで会う事を約束してあっての事でした。
巴さんが3月に上野さんに会った後で、木村さんも上野さんに会っています。
上野さんは2011年3月12日からずっと、倖太郎くんや他の行方不明者の捜索活動を続けています。
各地からボランティアも集まるようになり上野さんは「復興浜団」と名付けて、津波の跡地の清掃活動を組織しながら今も捜索活動を続けています。
これまで警察による捜索と個人で遺体捜索犬を頼んでの捜索を続けてきた木村さんですが、上野さんのやり方を知って、自分でもやってみようと考え上野さんに会いに行ったのでした。
そして木村さんに会ってからの上野さんは、4月から入れるようになった浪江町と大熊町以南の海岸線での捜索を始めたのです。
浪江町の南の双葉町、大熊町には許可証を持った住民以外は入れないからです。
4月に会ったときに上野さんから私は、木村さんが会いにきた事、木村さんが大熊町に入るこの日に富岡辺りで会う事にしているとも聞いていました。
そして18日に富岡町ではなく、楢葉町で上野さんに会ったのでした。

巴さんが「同じ体験をした人なら…」と思って会いに行った上野さんでしたが、同じ体験であっても、また同じ思いを抱えていても、表し方感じ方、自分の気持ちへの処し方は異なる事でしょう。
私は巴さんにそれを伝える事もできず、巴さんの深い悲しみを、ただただ思いやるばかりでした。
巴さんは、「今度は石巻や陸前高田の方へ行ってみようと思います」と言いました。
どんな慰めの言葉よりも、巴さんの心を抱きしめて共に涙する、そんな心をひたすらに求める巴さんに、私はかける言葉がありませんでした。

☆『たぁくらたぁ』28、29号に、木村紀夫さんの手記が載っています。
また、28号には私は上野敬幸さんの事を書いています。
お読み頂けたら嬉しく思います。
『たぁくらたぁ』購読お申し込みは、下記へ。
Tel.026-219-2420  Fax.026-219-2472  Email :order@o-emu.net
Web版たぁくらたぁ    http://o-emu.net/tarkuratar/

いちえ


更新情報 5月21日号「大熊町へ」

みなさま
18日(土)に大熊町へ行ってきました。
トークの会「福島の声を聞こう!vol.4」でお話し頂いた木村紀夫さんに、連れて行って頂きました。
同行者は長野発産直泥つき雑誌『たぁくらたぁ』編集部の野池さん、村石さん、野沢さんの3人。また木村さんをずっと取材している写真家の尾崎さん、木村さんが白馬に移ってからさまざまにサポートしている薄井さん、吉村さんです。
また木村さんと同じく大熊町の渡辺さんと油井さんも一緒です。

木村さんの自宅は福島第1原発から3.5Km離れた地点の熊川にあり、海岸線から10m上がったところにありました。
お父さんの王太郎(ワタロウ)、奥さんの深雪さん、次女の汐凪(ユウナ)ちゃんが津波を受け、王太郎さんと深雪さんは見つかりましたが、汐凪ちゃんはまだ見つかっていません。
昨年12月の「トークの会」で木村さんは、子どもを守るという観点から親、学校、地域が果たさねばならない事や、子どもたちへの災害教育についても言及され、ご自身の辛い体験を語るだけではなく、悲劇が繰り返されないように私たちは何をするべきかを話されたことは強く記憶に残っています。

3・11から2年2ヶ月が過ぎましたが、汐凪ちゃんはまだ見つかりません。
自由に立ち入ることができない地域で、時間だけが無情に過ぎて行きます。
ようやく今月からは1月と8月を除き、それ以外の毎月一度、年に10回だけ入れるようになりました。
ただし、事前に電話での申請が必要で、その後許可証が送られてきて許可証を携帯し身分証明書を提示して入ることができるのです。
入る際には一世帯に車は一台という事なので、今回のように多人数で入るには大きなワゴン車が必要です。
私たちは、ワゴン車2台に分乗して行きました。
今回一緒に行った渡辺さんの自宅は木村さんの家とすぐ近く、同行したお母さんは木村さんのお母さんの巴さんと同級生、ご主人は王太郎さんと同級生、また同行した息子さんは木村さんの一年先輩という方でした。
油井さんの娘さんの茜ちゃんは汐凪ちゃんの親友だったそうで、茜ちゃんは今も、汐凪ちゃんは南の島で生きていると言っているそうです。

スクリーニング会場で不織布の防護服、キャップ、マスク、ゴム手袋、靴カバーなどを受け取り、会場でそれらを身につけて木村さんの自宅に向かいました。
大熊町熊川の木村さん、渡辺さんの家があった辺りは家の土台だけを残して、草が生い茂っていました。
前庭だった辺りには名残のチュウリップが咲き、イチハツの紫の花も咲いていました。
田畑だったところはレンゲの花むしろ。
海へ続く道には、枯れ竹が何本も倒れかかっていました。
木村さんの家の裏手の小山には椿、梅、桜など庭木が植わり、樹齢を経た娑羅(夏椿)もありました。
王太郎さんが手入れされていた庭木たちでした。
自生のものでしょうか、エビネも小さな花をつけていました。
木村さんは、その小山の平らな場所にお地蔵さまと慰霊碑を建てるおつもりです。
そしてこの日、礎石の枠組みとなるタイルを組んで置きました。
次に木村さんが来る時には、そこにはきれいな玉砂利を敷き詰める予定だそうです。
そして、お地蔵さまと慰霊碑を安置します。
またこの日は、小山の南斜面の中程の海や家の跡を見下ろすあたりに、ひまわりの苗も植えました。
「ひまわりのような笑顔で、いつも元気に飛び回っている」そんな汐凪ちゃんだったと、木村さんは言います。
この日植えた45本のひまわりが、しっかりと根付く事を願いました。
お地蔵さまと慰霊碑を建立する予定地は、山の上で木立に囲まれた平地という条件からだったのでしょうが、私の線量計で接地で7.5μシーベルト。
ヒマワリを植えた斜面は3~3.5μシーベルトを示していました。

申請して許可証を受けて入れるようになったとはいえ、現地に留まれるのは9時から4時までの間の最大5時間です。
時刻は4時をまわり、現地での放射線量の高さを考えれば制限時間が設けられる事も理解はできますが、後ろ髪引かれる思いで海へ献花して帰路につきました。
熊川の木村さんの家からスクリーニング会場への道筋には、タラの木畑もありました。
山間の木々には藤の花が紫に垂れ、朴の白い花も咲いていました。
人の住めなくなった町でした。

この日、私は朝の新幹線で郡山に行き、そこでワゴン車の木村さんたちと合流していったのですが、木村さんたちを待つ間にキオスクで買った地元紙の「福島民友」には、大熊町で中間貯蔵施設候補地のボーリング調査が始まった記事がありました。
汐凪ちゃんが見つかっていない現状で、熊川を中間貯蔵施設にはしないと言う町会議員さんもいらっしゃるそうですが、施設を受け入れてお金をもらいたいという方もいるようです。
被災の年の9月8日に放送されたNHK番組『明日へ 再起の記録』で見た、こんな場面を思いだします。
東電の関係者が、大熊町の住民たちへ謝罪に来た時を映した場面です。
マイクを手に跪いて頭を下げても、その姿も声も言葉も、なんとも心に響かないシレッとしたものでした。
もしかするとそれは、“苦情処理係”のような立場の人間だったのではないかとさえ思えました。
そのときに挙手をして発言を求めた木村さんが言ったのは、東電のトップの人たちは自ら行方不明者の捜索をして欲しい、「これは要望ではなく命令です」の言葉でした。
木村さんの思いは、まっすぐに胸に響きます。
けれども、放射能汚染物の中間貯蔵施設、そして最終処分場問題。
最善の答が無いまま、何らかの答を導き出さなければならない問題を抱えた私たちです。

まだまだ思う事はあるのですが、うまく言葉にできません。
長文で失礼をしました。

いちえ


更新情報 5月末〜6月催し物のお知らせ

みなさま
5月末から6月に催される会のお知らせです。
三件お伝えします。

お知らせ①
ドキュメンタリー映画上映会のお知らせ
『福島 生きものの記録 シリーズ1~被曝~』 HDV76分
    2013年 群像舎作品 監督/脚本:岩崎雅典、撮影:明石太郎
    “ふくしま”から拡散した大量の放射性物質ー
    生態系へどんな変異をもたらすのか? 
    今のところ誰も知りえない
完成上映会 
日時:5月29(水)30日(木) 11:30/14:30/19:00
   6月2日(日) 14:00
   6月3日(月) 11:30/14:30
場所:日比谷図書館文化館
   東京メトロ丸ノ内線・日比谷線・千代田線「霞ヶ関駅」C4・B2 出口徒歩5分
   都営地下鉄 三田線 「内幸町駅」A7出口徒歩3分
入場料(カンパ金):大人 1000円 中高生・シニア 500円(小学生以下無料)
お問い合わせ:ドキュメンタリー映画シリーズ 『福島・生きものの記録』支援プロジェクト
Tel 03-3267-3997  Fax 03-3267-3977
E-mailgunzosha@gf6.so-net.ne.jp

お知らせ②  
第14回 いま、語り描き写し歌い舞うとき 声を上げよう女の会集会
『美しい大地を、平和な世界を、未来のいのちに引き継ごう』
日時:6月29日(土)14:00~19:00
 第1部 表現者はリレーする 14:00~16:00(開場13:30)
              大石芳野(写真家)
              島袋マカト陽子(東京琉球館職員・在日琉球人二世)
              宇都宮健児(弁護士)
              矢口周美(シンガーソングライター)
              岡本マルラ有子(ネパール舞踊家)
              渡辺一枝(作家)
 第2部 映画とトークの夕べ 17:00~19:00(開場16:30)
  映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」2013年/日本/100分
  トーク 島田恵(「福島 六ヶ所 未来への伝言」監督)×渡辺一枝
場所:カタログハウス セミナーホール 渋谷区代々木2-12-2
参加費:第1部+第2部 1500円
    第1部「表現者はリレーする」のみ 1000円
    第2部 映画「福島・六ヶ所・未来への伝言」のみ 800円
お申し込み:メールの場合 koeage2013@gmail.com
      Fax 03-6762-3233(Faxの場合はお名前、ご連絡先を記入してください)
主催:戦争への道は歩かない!声を上げよう女の会
問い合わせ先:090-9964-2616(和田)

お知らせ③  
渡辺一枝トークの会 「福島の声を聞こう!vol.6」
日時:6月30日(日)午後2時(開場 午後1:30)
場所:セッションハウス・ガーデン 新宿区矢来町158 2階
主催・お問い合わせ セッションハウス企画室 03-3266-0461
申し込み受付:6月10日(月)午前10時~
       会場の定員がありますので、上記電話にてご予約下さい。
       お名前・電話番号をお伝え下さい。
6回目のこの会は、飯舘村から福島市に避難している渡邊とみ子さんをお迎えします。
なお、第7回は8月31日(土)南相馬市萱浜の上野敬幸さんに、第8回は12月8日(日)飯舘村の酪農家長谷川健一さんにおいでいただきます。

以上、三件のお知らせです。               いちえ


更新情報 5月7日号「追伸」

みなさま

既にお送りした5月4~6日の田植えツアー&取材に関しての通信に、書き漏らした事が幾つかありました。

4日、小高をまわっていた時に、キツネと雉を見ました。
以前にも雉は見ています。
今回見たのは前に見た場所のすぐ近くでしたから、その辺りに巣があるのでしょうか。
小高は海側は草が刈ってありますが、山の方は草が伸びたままです。
その叢から道路を横切って、反対側の叢へと歩いていました。
前に見た時も、同じように道を横切っているところでした。
キツネも山の方で見たのですが、4月の「一枝通信」でお伝えしたしだれ桜のある墓地の近くでした。

5日、田植えが済んで炊き出しのカレーを食べに仮設の集会所に行ったとき、佐々木さんに会いました。ヘアーサロンや、縫いぐるみ作りにも参加したおばあちゃんです。
「佐々木さん、元気ですか?」
「うん、元気よ。人形、また作ったよ。孫がね、『ばあちゃん、これどうしたの?え~!ばあちゃんが作ったの!貰っていい?』って、持ってったから、また作って、もっと作ってんだよ。今度、渡辺さんにもあげっか?」
「うん、うん。ちょうだい。友達もきっと欲しがるから、たくさん作って」
縫いぐるみはその後も、皆さんで作っているようです。
講習会を開いたのは小池第3仮設住宅でしたが、小池長沼の人たちからも作ってみたいと声があがっているそうです。
私もまた講習会を開くつもりですが、前に講習会に参加した小池第3仮設の人が先生になって、小池長沼の人たちに教えてあげてほしいと思ってもいます。
佐々木さんに「6月には落語家さんが来て、落語の会をするからね。みんなを誘って来てね」と言うと「あれぇ、落語?楽しみだねぇ」と言ってくれました。
6月は、落語会を予定しています。

友人の本間さんから、送られて来たブログです。般社団法人相馬夢追い企画
ブログ発信人の烏中さんは、私も会ったことがある方です。
在野の鳥博士のような方で、今度ゆっくり話を聞かせて欲しいと願っている人です。
ブログでは海岸清掃のボランティアを募集しています。
お心ある方はぜひ!→一般社団法人相馬夢追い企画

いちえ


更新情報 鄭周河写真展「奪われた野にも春は来るか」のお知らせ

みなさま

昨日は神楽坂のセッションハウス・ガーデンで開催されている鄭周河写真展「奪われた野にも春は来るか」を見て来ました。
鄭周河(チョン・ジュハ)さんは2011年11月から放射能禍の福島に通って、被災地を撮り続けて来た韓国の写真家です。
この日はオープニング・トークとして鄭周河さん、哲学者の高橋哲哉さん、作家の徐京植(ソ・キョンシク)さんが、早尾貴紀さんの司会で行われました。

写真展のタイトルの「奪われた野にも春は来るか」は日本の植民地下で詩人の李相和(イ・サンファ)が詠んだ詩から付けられたタイトルです。
李・相和の時代に朝鮮の土地を奪ったのは日本帝国主義でしたが、いま、福島の人々の土地を奪ったのは、自国の政府と企業。
鄭さんの写真には人物は写っていず、静かな美しい、けれどもどこか空虚な風景です。
心の目を見開かなければ、そこには放射能は見えないし、“土地を奪ったもの”の姿も感じられません。
李・相和の詩を胸にたたんで鄭さんの写真に向き合うとき、本来ならばそこに居たであろう「土地を奪われた」ひとりひとりの痛みと苦悩が、また胸に響いて来ました。

写真展は5月7日~16日まで、神楽坂のセッションハウス・ガーデンで開催されています
私のトークの会、「フクシマの声を聞こう」と同じ会場です。
たくさんの方にごらん頂きたい写真展です。
東京近辺の方、ぜひ足をお運び下さい。                    

いまは他人(ひと)の土地 ー 奪われた野にも春は来るか
                        李相和
                      訳:徐京植

私はいま全身に陽ざしを浴びながら
青い空 緑の野の交わるところを目指して
髪の分け目のような畦を 夢の中を行くように ひたすら歩く

唇を閉ざした空よ 野よ
私ひとりで来たような気がしないが
お前が誘ったのか 誰かが呼んだのか もどかしい 言っておくれ

風は私の耳もとにささやき
しばしも立ち止まらせまいと裾をはためかし
雲雀は垣根越しの少女のように 雲に隠れて楽しげにさえずる

実り豊かに波打つ麦畑よ
夕べ夜半過ぎに降ったやさしい雨で
おまえは麻の束のような美しい髪を洗ったのだね 私の頭まで軽くなった

ひとりでも 足どり軽く行こう
乾いた田を抱いてめぐる小川は
乳飲み子をあやす歌をうたい ひとり肩を踊らせて流れてゆく

蝶々よ 燕よ せかさないで
鶏頭や昼顔の花にも挨拶をしなければ
ヒマの髪油を塗った人が草取りをした あの畑も見てみたい

私の手に鍬を握らせておくれ
豊かな乳房のような 柔らかなこの土地を
くるぶしが痛くなるほど踏み 心地よい汗を流してみたいのだ

川辺に遊ぶ子どものように
休みなく駆けまわる私の魂よ
なにを求め どこへ行くのか おかしいじゃないか 答えてみろ

私はからだ中 草いきれに包まれ
緑の笑い 緑の悲しみの入り混じる中を
足を引き引き 一日 歩く まるで春の精に憑かれたようだ

しかし、いまは野を奪われ 春さえも奪われようとしているのだ






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