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2016年1月19日号「南相馬1月18日」


昨夜の天気予報では、今日は大雪と出ていたので、目覚めて外を見ると雪ではなく雨でした。
地面も全く雪はなくほっとしましたが、雨脚は繁く、風も強く吹いていました。
今日は鹿島の仮設住宅を訪ね、ぶさこちゃんやストラップのお猿さんなどのカンパ金を届けてから、帰宅するつもりでした。
でも天気が心配でした。
南相馬は雨でも、八木沢峠や飯舘村は雪でしょう。
福島への道中は峠を越えますから、バスが運行するかが心配でしたし、福島へ出ずに仙台へ出るなら道は心配ないけれど、新幹線の運行状況が心配でした。
仮設住宅を訪ねても部屋に上がらずに、お金だけ渡して原町駅に引き返すつもりで出かけました。
でも、集会所を訪ねてみれば皆さんが待っていてくださって、また他の人を呼びに行ってくれたりもして、結局は上がりこんでお茶を飲み、ハルイさんのつけた白菜漬けをお茶受けに、お喋りに花が咲いたのでした。

◎白鳥の道
六角から鹿島の仮設住宅へ行くのに、トシさんに送ってもらいました。
トシさんは六角支援隊の助っ人です。
時々、萱浜のトシさんの仕事場を訪ねたり、トシさんが友達を紹介してくれたり、その友達との飲み会に誘われて混ぜてもらったりもしています。
また私の友人と一緒に、トシさんに被災地ツァーを頼んだこともありました。
前の冬に、仙台の友人と浪江の請戸まで連れて行ってもらったことがありました。
まだ、許可証がなくても浪江に入れた頃のことです。
雫から江井、小浜と海辺には白鳥の群れ、辺りの水をかぶった田んぼにも白鳥が群れていました。
トシさんにそれを言うとトシさんも「ねぇ、あれはすごい群れだったよね」と。
私は南相馬に通うようになってから見た白鳥の群れですが、トシさんはずっと子供の頃から見ていたと言いました。
その声を聞いて育ったと言いました。
でも今は、白鳥の群れは、どこにも居ません。
白鳥の群れを見た辺りはフレコンバックが積み重ねられている仮々置き場になっています。
白鳥はどこか違い地へ、冬の居場所を定めたのでしょう。
原発事故は人の暮らしばかりでなく、他のいのちのあり方も変えてしまいました。

◎ハルイさん
小高の浦尻に家がありました。
3月11日、浦尻の公民館の2階のベランダで津波から逃げてきた他の人たちと一緒に、自分たちの集落が流されていく様を見ていました。
そこでハルイさんが目にしたのは、それだけではありませんでした。
消防隊員の孫が、歩けないお年寄りを背負って逃げる途中で波に呑まれていく姿を、ただただ涙を流しながら見ているしかなかったのです。
これは、ここで私がぶさこちゃんの講習会をした時に聞かせてもらったことでした。
この仮設住宅で津波で身内を亡くした人は、ハルイさんとヨシ子さんの2人です。
家を流された人は他にもたくさんいますが、ヨシ子さんは「ハルイさんとは、何にも言わなくても気持ちは通じるんだ。やっぱり家族に死なれた人でないと、この気持ちはわからないからね。だから他の人には家族が死んだことは、話さないんだ」と、その時に言っていました。
仮設住宅での月日を重ねるうちに、悲しみは決して消えないけれど、悲しみを抱いて互いに話せるようになり、今はヨシ子さんが集会所にいればみんなが集まってくるし、ハルイさんがみんなを笑わせているのです。
この日も、ハルイさんの話にみんなお腹を抱えて笑い転げたのでした。

◎病院通い
津田さんは、いつも両手をコメカミに当てていますが、頭痛が取れないと言うのです。
以前に聞いた時には医者に行ったら肩こりからではないかと言われ、マサージに通ったら揉み返しで却って辛くなり、すると今度は精神科に行くように言われ、そこで処方された薬を飲んでいると言っていました。
今日もまた自分でコメカミを揉んでいる津田さんに、「まだ頭が痛いの?」と聞くと「この間医者に行って診てもらったら、血圧が高いからじゃないかって言われて
血圧の薬を飲んでいる。それで頭が痛いのは消えてるけど、なんかフラフラするのよ。目からも来てるらしくて、メガネを作ったんだ。だけど、私は目は悪くないんだよ。だって見えるんだもの。先生にそう言ったんだけど、検査したらメガネかけたほうがいいって言われて、作ったんだ。遠くを見るのと近くを見るのと一つのレンズになったメガネね」
遠近両用メガネを作ったという津田さんですが、遠近両用メガネは私も以前使ったことがありましたが、使い慣れるまでが大変で、私は結局使いこなせませんでした。
顔や眼球の位置を使いたいレンズ側、上のほうとか下のほうとかに合わせないと却って見えにくくなってしまうのです。
私がそう言うと津田さんは、「そう。私も慣れないし、かけなくても見えてるから使わないんだけど、メガネを首にかけてると安心するんだよね。今日は首にかけてくるのを忘れちゃったから、それでなんか頭が痛いんだ。メガネがあると安心できるからかもしれないけどね」
津田さんはまだ50代なのですが、介護が必要な父親がいます。
お父さんは胃がんの手術をしているので、食事の世話が大変です。
お母さんは亡くなっていますから津田さんがお父さんの食事を作りますが、もともと料理が得意ではなかった津田さんですから、それがきっと大きな負担になって体調に出ているのではないかと思います。

誰もが何かしら体調不良を抱えています。
今年度中は医療費が無料(入院の時の食費や個室の場合の部屋代は個人負担)になっていますからいいのですが、仮設住宅を出てからが大変です。
歳を重ねれば医者にかかる頻度は増えていくでしょうから、高齢被災者の生活はこれからもっと大変になっていくと思います。

◎作業員で増えている人口
南相馬には今、作業員が7000人も入っているそうです。
建設や除染など様々な作業です。
私の定宿のビジネスホテル六角も作業員の人たちが宿泊しているので、時には予約が取れないこともあります。
市内には新たに作業員宿舎がどんどん建ってきていますし、宿泊者の激増を見越してホテルも建てられてきています。
作業員宿舎はプレハブが多いですが、ホテルはプレハブというわけにはいきません。
他人事ながら心配なのは、大きなホテルを建てても様々な工事などが一段落すれば宿泊客は、野馬追いの時期だけになるのではないかと思うのです。
また、コンビニも増えていますが東京などと比べても給料はずっと高いのに、それでもなかなか働き手が集まらないそうです。
作業員もいろいろな人がいますから、治安も悪くなっているのは事実のようです。
とはいえ、実際にはその人たちがいなければ建設も除染も進まないし、また悪い人はほんの一部で大多数の人たちは被災地のためにとしっかり仕事をしてくれているのでしょうが、地元の人にとっては、不安も大きいようです。

◎窓外の景色
16日仙台までの新幹線から見た風景は、雪のない山林や畑でした。
2011年の夏から福島に通うようになって、この季節に雪がないことなどなかったのです。
でも、帰りには南相馬から新地を過ぎて山元町に入る頃から雨は雪になり仙台も雪道、仙台からの新幹線では雪景色でした。
「きれいだなぁ」と思い眺めていました。
こんな風に素直に「きれいだ」と思えたことは、原発事故以来初めてのことでした。
雪景色を見ても、怖かったです。あの下に放射能が積もっている、と思えていて。

福島に通う時に窓の外を眺めながら、私はいつも想っていました。
ずっとずっと昔の、そこに住むのは狩猟採集で暮らしていた人たちの頃のことを。
きっと今見えている小高い丘や川や、それらの地形はその頃も今と変わらずにあって、もしかすると樹木の種類は今とは違っていたかもしれないし、田畑は原野だっただろうけれど、地形はさほど変わっていないだろうと思うのです。
窓の外を眺めながら、私はいつも、そんな昔の姿を想うのでした。
帰りの雪景色にまたそんな想いを強くしました。
新幹線に少し遅れは出ていましたがちょうど宇都宮にかかる頃、西の空は残照で
茜色が低く帯に広がり、上空は納戸鼠の色。
私たちの暮らしは、これからどうなっていくのだろう?
そんなことを考えながら帰りました。               

いちえ

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