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2017年12月8日号「12.5集会報告③」


「9条は世界の宝 市民と議員のリレートーク」報告を続けます。
前便で坂元良江さんのお名前を、坂本と記してしまいました。
訂正いたします。坂元良江さんです。
なお、報告はこの後、もう1度続きます。
どうぞ、最後までお付き合いをお願いいたします。

●柳沢由美子さん(翻訳家)
 私は40年来、英語の翻訳をしている。
 外国の人々の思想を日本の言葉にすることだ。
言葉は主張のためにあり、そして言葉は理解のためにある。
世界には190を超える国があり、それぞれの国が主張し互いに理解し、理解されることを望んでいる。
どの国も平和を求めている。
 世界は分母で各国は分子、そして日本もたくさんある分子の一つだ。
世界は分母、日本は分子、この平和共存の思想こそ、地球に住むみんなが大切にしなければならないものだ。
トランプ大統領のアメリカファーストをはじめ、自国中心主義が声高に叫ばれている今だからこそ、平和共存・平和主義を、中心に据えなければならない大事な思想だ。
翻っていま日本の政治を見るとき、あまりにも世界は分母、日本は分子という視点が欠けている。
先の衆議院選挙でも、自民党はいうまでもなく新しくできた立憲民主党までも、世界の繋がりはどうあるべきかの思想を語らなかった。
 いま、日本と世界の接点は軍備拡張、北朝鮮への対応、自衛隊を憲法に盛り込むかに絞られている。
もっと大きな世界の問題、この地球でいかに他の国々と平和に共存するか、そのためにはどう行動するかの理念が語られない。
しかしこの理念がなければ、いま世界の国々を動かしている自国中心主義、軍事主義の波に呑み込まれてしまう。
実際、現アベ政権のもとでは、そうなっているではないか。
日本は自国中心主義に基づく行動で、第2次世界大戦で苦い苦しい経験をしている国だ。
日本は70年以上経った今でも、諸外国から人道に背いた行為が非難されている。
その日本が、過去のことはもう終わりにする、などと言ってはならない。
この姿勢そのものが、平和主義に背くものだ。
 私は日本の政治の基本理念に平和主義を入れて欲しい。
原発ゼロを目指すのと同じくらい強く、具体的に、日本は平和を希求し、あらゆる手段で平和を推し進め、世界の国々と丁寧に付き合っていくという姿勢を内外に提言して欲しい。
これこそが、現行の日本の憲法の基本精神だ。
 日本は第2次世界大戦の加害国であると同時に、被害国でもある。
唯一の被爆国であるからこそ、平和主義を強く主張すべきだと考える。
また第2次世界大戦で加害国であったからこそ、いま日本は非核・非戦争を主張することに重みがあるはずだ。
それなのに日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない。
核兵器廃絶国際キャンペーン ICAN が今年のノーベル平和賞受賞と決定しても、政府は公式のコメントを出さなかった。
なんとも残念でならない。
日本は独立国だ。
政府は大国の顔色を伺わずに、ヒューマニズムに則って、核兵器禁止・核廃絶の道を先頭に立って歩むべきだ。
それこそが、世界の多くの国々が抱いている日本の役割ではないか。
 いま、北朝鮮に対して圧力をかける、と政府は頻繁に言っている。
圧力という好戦的な言葉を公に使うこと自体、平和を望んでいることから程遠い。
政府に求めたい。
軍事的圧力、軍備拡張、最新兵器による威嚇ではなく、話し合い、繁く交流して人間関係を温め、相手国から信頼を得る努力をして欲しい。
でもそれは圧力ではなく、働きかけであり対話だ。
北朝鮮に対し不断の働きかけをして平和的解決を探るという姿勢を、政府に強く望む。
 勇気あるアイスランドの女性大統領の言葉を紹介したい。
1986年に首都レイキャビックで、当時のアメリカのレーガン大統領と、ゴルバチョフソ連共産党書記長の平和対談を実現させたのは、アイスランドのわずか30万人の国の女性大統領ヴィグディス・フィンボガドゥティルさんだった。
彼女は、米ソの対談をどうやって実現したのかとマスコミに聞かれて「小さな国にも果たすべき役割がある」と答えている。
 意志があるところに道は拓ける。
私たちの意志は平和主義、平和共存だ。
世界は分母、日本は分子。
世界平和あっての日本という原点を忘れないように、政府に働きかけていきたい。

●渡辺一枝
 少し私事を話します。
 私は1945年1月に満州ハルピンで生まれた。
半年後の7月20日、父は現地召集され、8月9日ソ連軍参戦、15日日本の敗戦で戦争は終わった。
翌年1946年秋に、母に背負われて日本に引き揚げた。
父はそれきり戻らず、私が4歳の時にお葬式をした。
またその後、引き揚げ生活が少し落ち着いてくると、ハルピンで共に過ごした母の知り合いたちが集まり、当時を語り合っていた。
 子どもの時にはお彼岸やお盆には母と一緒に、あるいは母が仕事で行けない時には母に言われて、私一人で御墓参りに行った。
けれども6年生のある日、父の墓には紙切れしか入っていないことを聞かされ、母に不信感を抱くようになり、それからは墓参りを拒むようになった。
また戦争中のことを学ぶにつれて、母や大人たちがハルピンを懐かしげに語ることを許せず、同時に侵略地で生まれた自分を疎ましく思うようになり、私は母に心を閉じた。

 母は山梨県で9人きょうだいの下から3番目だったが、若くして亡くなった長兄の本棚には左翼思想関係の本が多くあり、母もその影響を強く受けていたようで、女子師範を出て教師になったものの戦意高揚を教えるのが嫌で教師を辞めて上京し、旋盤女工になった。
 また父は4歳で両親を亡くし祖父に引き取られたが、12歳で祖父も亡くし家督を継いだ。
親戚が後継人になって旧制中学に通っていたが、帝国主義を鼓吹する教師としばしばぶつかり、自ら退学して上京し、セメント屋の住み込み店員になって自活しながらエスペラント語、中国語を学び始めた。
20歳で徴兵検査を受け甲種合格、所属の静岡連隊は満州へ渡り2年後に戻って除隊となったが、除隊後父はまたすぐに単身ハルピンへ渡り、学んでいた中国語を活かして役所の2等通訳として職を得た。
職場の上司に気に入られ見合いを勧められたが、その上司の妻は母の2番目の姉だった。
母もまた姉から勧められ、二人はハルピンで会い意気投合して結婚した。

 私が母に心を閉じたのは、父も母も戦争にひた走る当時の流れに反対する考えを持ちながら抗いの声を上げずに侵略地へ渡ったことが許せなかったのだ。
もちろん当時の日本は、それは命にかかわることだったと知ってはいても、それでも抗うべきだったと思う私だった。
また、なぜ現地召集を拒まなかったのか、母が止めれば父は出征しなかったのではないかと思い、それは若者特有の一途な正義感だっただろうが、戦争には反対だったという母に不信感を抱き、母を責めていた。
 やがて私も結婚して子どもも生まれ人生の経験を積む中で母を理解し、「いつか一緒にハルピンへ行こう」と話すようになっていた。
けれども母は67歳の誕生日の数日後に倒れ、寝たきりで言葉も出ないまま半年後に亡くなった。
 母が死んだ翌年、私は勤めを辞めてハルピンへ行った。
敗戦までの生活を母たちは懐かしげに語ったが、現地の人たちは、当時どんな暮らしをしていたのかを知りたかった。
初めて行ったハルピンでは、父と母が暮らし私が生まれた家を探した。
家は見つからなかったが、そのあたりに住むおばあさんが自分の家に招き入れてくれた。
見ず知らずの日本人にお茶を勧めてくれるおばあさんに、「私たちの国は、中国の人たちに本当に申し訳ないことをしました」と、それだけは伝えたいと思って私は言った。
するとおばあさんは「それはあなたのせいじゃない。日本の軍部がやったことだ。あなたも犠牲者だ。あなたがここで生まれたなら、ここは故郷だ。懐かしくなったら、いつでも訪ねてきなさい」と言ってくれた。
 残留孤児や婦人は他人事ではないと思っていたが、2度目に行ったハルピンで思いがけずに残留婦人に会った。
心の準備もなく突然の出会いだった。
「お会いできるとは思わず何もお土産を持たずにきました」と言うと、「お土産なんか要りません。日本語が話せるだけで嬉しいです。きっとまた来てください」と言い、苦労された来し方を聞かせてくれた。
 それからは中国人から当時のことを聞くだけではなく残留日本人に合うことも目的にして、旧満州、中国東北部への旅を重ねた。
 関東軍の荷役の苦力だった中国人からは「物資のジャガイモを運ぶ時に袋からこぼれた芋をポケットに入れたのが見つかり、裸で木に縛られて鞭打たれた」と聞き、また「食べるものがないからドングリを食べていた」と言った人もいた。
 開拓団員だった人や看護婦、女学生、カフェの女給など様々な立場だった残留日本人たちに会い話を聞いた。
敗戦後の逃避行では、昼間は隠れて夜間に歩いたが子どもが泣くと見つかると皆に責められて、濁流の河に我が子を投げたことや、3歳と4歳の子どもを連れた女性が死ぬと、足手まといになる幼い兄弟は、同行者たちに生き埋めにされたことも聞いた。
 会った途端に「ようこちゃん」と言ったのは、私より5歳年上の女性だった。
幼い日々に呼ばれて覚えていた自分の名前だけが、彼女と日本をつなぐ縁だった。
赤ん坊の時に着せられていた着物の小さな切れ端を見せ、それを手掛かりに肉親を探して欲しいと泣かれたこともあった。
 旅を重ねながら私は、母が語らなかった満州を知り、若い日に抱えていた大人への不信感や自己否定感もほぐれていった。
私が出会った人たち、どの一人も戦争に蹂躙されて人権を踏みにじられ、人生を弄ばれ傷つきながらも、それでも必死に生きてきた人たちだった。
中には、日本が戦争をしない憲法を持ったのは「とても良い」とはっきりと言葉にする人もいたが、そう語らずとも、彼らが聞かせてくれた体験の中に、戦争を否定し平和を願う思いが如実に語られていた。
戦争のない平和な世界を願うのは、国家を超えて、人としての願いなのだ。
 戦争で父を奪われ、戦争が起こす悲惨を他者の体験から我が事として感じてきた私は、
9条改憲を断じて許さない。
そして、反戦の思いを行動で示せなかった時代を生きた父母たちの無念をも合わせて、アベ9条改憲NO!を大きく叫ぶ。

●渡辺美奈さん(アクティブミュージアム女たちの戦争と平和資料館wam)
 先ほど戦争未亡人の子どもは就職差別を受けたという坂元さんの話があった。
私の祖父はビルマで戦死し、私の父も戦争未亡人の子どもとして就職差別を受けたと言っていた。
これを友人に言っても誰も信じてくれず、そんなこと有り得ないと私は言われ、「でも本当らしいよ」と言っても信用されなかったが、坂元さんの話を聞いてやっぱりそうだったんだと思った。
戦争で死んだ人の子どもを差別する社会だったというのが、私個人の中では、私がこういう運動をしていることの一つの理由かもしれない。
 私は日本軍慰安婦を中心に戦時性暴力の被害を伝えるミュージアムを運営して今年で12年目になる。
日本軍慰安婦にされた人たちの告発というのが、先ほどサンフランシスコの事例もあったが、今なぜこれほどまでに、アベ政権、メディアを含めた日本社会がヒステリックな反応をしてまで否定しようとするのか。
それは単純に女性蔑視だけではなく、一人一人が日本の植民地支配と侵略戦争において、日本軍、軍を肯定する日本人、植民地支配や満州國と呼ばれたところで生きていた一人一人の加害性について問うことがなかった日本の戦後72年を、「私が証拠だ」と、慰安婦にされた女性たちが体を張って告発しているからに他ならない。
だからこそ「隠れてないで出てこい」というふうに韓国のハルモニが言った。
 しかし、アベや菅は耳を塞いで出てきもせず、直に声を聞いたことは一度もない。
耳を塞いで聞こうとしない人たちは、残念ながらこの会館の女性たちの中にもたくさんいるだろう。
その事と日本の軍事化の進行は、深く繋がっていると思う。
 天皇の軍隊は女性を守ってこなかった。
そして戦後、男たちは自分たちより強い男に女を差し出して生き延びた。
それは戦後、占領軍に対する慰安所RAだけでなく、満蒙開拓団の女性たちの証言からも判ってきた。
 男は守ってくれるという幻想は、軍隊が守ってくれるという妄想と地続きだ。
戦場の男も戦場の軍隊も、脅威でしかない。
暴力を振るう事を目的に敵の殺し方を日夜訓練している軍隊の側で、平和に生きていく事ができるだろうか。
これは、高校生の時に米兵から性暴力を受けた沖縄の女性が発した、根源的な声だ。
攻撃のターゲットとなる軍事基地のある場所が、戦争中も日常も、最も危険な場所である事を、沖縄の戦中・戦後は伝えている。
 今日の話の中で、誰も自衛隊は違憲だと言わなかった。
私は今も自衛隊は違憲だと思っている。
憲法9条を実現するために時間がかかったとしても、自衛隊を解体していく事は、そんなに非現実的な事だろうか?
私にとっては、Jアラートや発射されたミサイルを撃ち落とす事が、あるいは専守防衛の名の下に中国に対抗するような軍隊を持つ事の方が、よっぽど非現実的に見える。
北朝鮮からのミサイルが飛んだ上に、日本海沿岸部に並ぶ原発をなぜ廃炉しないのか?
その方が武器のマーケットでショッピングをしているよりも、緊急事態という時に一番できる現実的な政策だと思う。
 3.11の時に沖縄の高里鈴代さんがTVで自衛隊がヘリコプターで下りていくのを見て、「怖い」と言っていた。
自衛隊を解除して災害救助隊にする。これは災害列島日本の現実的なニーズだと思う。
全然救助の訓練さえ受けていない若い自衛隊員が、非効率的でも頑張っているからと褒めるのは、政策的にはアウトだ。
暗がりでは迷彩服は見分けられない。
使うかどうかわからない戦闘機に多額の税金を使うのではなく、天候が悪くてもどんな悪環境でも、安全に人命救助ができるヘリコプターを開発していく事は、現実的なニーズだ。
そして災害救助隊であれば、女性も安心して働ける。
女性の雇用確保につながる。
地震の多い日本の経験を生かした災害救助隊を海外に派遣していく。
血を流すのではなく、汗をかく。
人間による貢献、これこそが日本の憲法に則した国際貢献であり、貢献と信義に信頼して安全と生存を保持する、その術の一つだろう。
 残念ながら現在仮想敵国と思われるのは、日本がかつて侵略戦争と植民地支配によって甚大な被害を与えた国々だ。
アジアの人々から信頼を回復して、信頼を増幅する事、この事が日本軍の慰安婦にされた女性の人間回復、そして戦争での植民地支配で被害を与えた人々への償いというものは、緊急を要する現実的な安全保障政策の一つであると思う。
 米国に追随した軍事増強というのは、最も危険な選択肢だ。
戦争のない、軍隊のない世界、自衛隊も米軍もいない日本を作るために、私たちの宝である憲法の実現に向けたロードマップを作る事。
すぐにできなくても、どういう順序でやるかというロードマップを作る事、こんなに楽しくて難しい政策は、女性にしか作れない。
議員の皆さんには、是非その政策を作っていただきたい。
そして暴力で解決する社会からは、性暴力は無くならない。
女の考える知恵を集めてみんなで頑張りましょう。

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