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2017年9月12日号「9月7〜9日福島行②」


◎7日の続き
榮子さんの話を聞いた後で集会所に行き、管理人の長谷川花子さん(健一さんのお連れ合い)からも話を聞きました。
●花子さんから聞いたこと
*仮設退去期限、また1年延長
仮設退去期限が2018年3月から2019年3月と、また1年延長したそうです。
でもそんな風にズルズル延長したのでは、退去の生活をどうするかの決断もつかず、また決めかかっていた気持ちも折れてしまう。
ただ、まだ寒い3月31日ではなく暖かい時期に出たいから、3〜4ヶ月の猶予期間をもらって、ここはみんなで一緒に出ましょうと言っている。
*高速無料化延長よりも、医療費無料化延長を
高速道路の無料化もオリンピックまで延長と言ってるが、それより医療費の無料化の方を延長して欲しい。
高速道路を使って商売している人は儲かっていいだろうが、村に帰る人で高速道路使う人など滅多に居ない。
みんな長引く避難生活と高齢化、もしや初期被ばくの影響ではないかということなどで健康や体調に影響が出ている人が多い。
*住民の足の確保としてのサポートを
村内の診療所は週2回の午前中だけの診療なので、その施設の中を社協が使って、「つながっぺ」というふれあいの場にすることになったが、それも私たちが「帰った人のサポートはないのかい?」と、騒いで騒いで、やっと作ったのだ。
社協はもう仮設に来なくていいから、村に帰った人のサポートをして欲しいと言って、
そこでお茶会が始まったが、参加するのは村に帰った人ばかりではない。
借り上げ住宅や自分の家を作った人も、車を運転できる人は皆利用している。
「おれ、福島に家買ったから、これから帰るよ」という人たちが利用しているが、村に帰っても車の運転ができずに参加できない人の送迎をするのがサポートだろう。
診療所も始まっても、運転できずに、行きたくても行けない人もいるのだ。
*一人暮らしのサポートが大事
仮設から出た人は復興住宅に入居、村の自宅に帰る、他所に自宅を作ったなどだが、現在、村に帰った人で一人暮らしの人は少ない。
一人で帰った人は、寂しくていられないと言ってる。
この伊達の仮設住宅では、退去者はまだ少なくあまり人は減っていないが、延長になっても自治会は来年3月31日で解散し、出るときは皆一緒に出る。
だらだらと1年延長はできない。
これからは一人暮らしのサポートが大事だ。
復興住宅に入ればいいが、やはり自分の家がいいと言う。
そうすると今度は離れて一人になってしまう、孤立してしまう。
*既存の特養ホームを活用せよ
村の特養施設は職員を増やさないから、入居待機者が40人待ちで、介護2からの申し込みもある。
今回も時給800円で職員の求人を出したが、セブンイレブンが1250円だから、それでは人は集まらない。
ちゃんとした給料を出して資格がある人が2、3人でも来てくれれば、あとは私たち村民もいるのだから手伝える。
毎日働いてと言わずとも、週1日でもといえばみなさんアルバイト的に手伝えるだろう。
それが何故できないのか?あるものを利用してできないのか?
*道の駅がオープン
8月15日オープンの日の入場者は7,500人、オープンしてから今までの入場者が5万人突破したという。
オープンまでにテレビでコマーシャルも流し、PRには何千万円もかけた。
村民には、自分が食べるつもりで作った野菜も届け出て、ちゃんと線量を測って、自己責任で食べるようにと言い、人にあげるのもダメだと言っているのに、道の駅では飯舘村の野菜を売っているのは、信じられないことだ。
*村議会議員
14日告知で村議員選挙が始まる。
10人定員だが現職で辞める人が続出し、立候補したのは村長に反対の人がズラッと出てきたから、村長は慌てている。
帰村登録している人は現在400人というが、実質的には100人位だろう、村議定員10人は要らないと思う。
また他所に家を建てて議会の時だけ村に通う人では、困る。
村に住んで、ここはダメだ、あそこを直さなければということを自分で味わって、やってもらいたい。

●一澤美由紀さんの話
7日は、長野から来る野池さんとは、福島市の椏久里珈琲店で待ち合わせました。
野池さんより一足先に着いていた私は、美由紀さんからも少し話を聞きました。
美由紀さんのところもお連れ合いの秀耕さんは村の自宅に帰りたい意向で、自宅の手直しを考えているようです。
美由紀さん自身は帰る気持ちは無いようですが、友人や知人達も、大抵男の人の気持ちは帰りたい、女の人の気持ちは帰らないというのですが、帰るとなると自宅のリフォームに何百万、何千万と掛かるでしょう。
いくら賠償金が出るからと言っても、そのお金を老後の生活資金にした方が良いのにというのが、女性達の気持ちのようです。
つい先日も友人達が集まってそんなことが話題になったそうですが、その時にある人が言ったそうです。
「まったくトウチャンたちは、しょうがないねぇ。まぁ、他所に女を一人囲ったとでも思って諦めるしかないね」
みんなで大笑いしたと言いますが、つくづく女性は強い!と思いました。

◎8日
●南相馬市大原
私が南相馬に通いだしたのは、2011年8月からです。
9月か10月のことだったと思いますが、南相馬から福島への帰路にタクシーを使いました。
放射線量が高いという地域で、実際にどれほどの値なのか自分の目で確かめたかったからです。
タクシーの運転手さんに事情を話して、南相馬の大原地区、川俣の山木屋、飯舘村の役場で止めてもらい、計測しました。
それらの場所で停車して私が車から降りようとする時には毎回、運転手さんは長袖の上着を着て帽子をかぶるように、マスクも外さないようにと、注意をしてくれました。
3ヶ所のうち人の姿がなかったのは飯舘村だけ、大原も計測した場所のすぐ上手には民家があって人が住んでいましたし、山木屋では路肩の草刈りをする住民の姿や、軒に洗濯物が揺れているのを見ました。
*30キロ圏外の家
年が明けて『たぁくらたぁ』の編集部の人たちと同行した時に、大原で私が計測した所の上手のお宅を訪ねたのでした。
その家の谷君子さんから、話を聞きました。
お連れ合いは留守でしたが、森林組合に勤めているそうで、原発事故でまったく仕事がなくなったと言っていました。
君子さんは、これまでは山からの清水を引いて飲料水にしていたのが、原発事故によって危険で飲めなくなり、ペットボトルの水を買っていると言いました。
そこは原発から30kmより少し外側に位置しています。
すぐ近くの30キロ圏内の人たちは避難所に入り、そこでは食べ物が支給されていたし、今は借り上げ住宅に入居しているので住居費は払わずに飲み水の心配もなく暮らしている、こんな不公平があるかと、憤懣やるかたない谷さんは憤っていました。
これまでは仲良くお付き合いをしてきたが、30キロ圏内で支援物資をもらっている人たちの顔は、もう見たくないとも言いました。
その時に聞かせていただいたことを『たぁくらたぁ』25号(2012年冬号)に書き、5月にまた『たぁくらたぁ』編集部と一緒に行った時に、谷さんに掲載誌を渡しました。
記事には、計画的避難区域に入らず、また特定避難勧奨地点(ホットスポット)にも指定されず、けれども放射線量は相当高い地域なのに、国は30キロで線引きした理不尽を書いたのでした。 

それからも私は南相馬へ行く度ごとに、谷さんの家をバスの窓から眺めながら過ぎていました。
いつの頃からか人が住まなくなっていて、谷さん夫婦はどうしているかしらと気になっていました。
ある時にまた『たぁくらたぁ』の編集部と一緒に行くことがあり、その時に谷さんの家に寄ってみました。
家の前には猿が群れていて、私たちの姿を見て裏へ逃げて行きました。
庭はイノシシが荒らし放題で、家屋も荒んだようでした。
それからまた時が経って、今年7月に福島からのバスで谷さんの家の脇を通った時に、軒先に洗濯物が見えたのです。
気のせいか、私の見間違いかと、南相馬から帰る時のバスでまた目を凝らすと、やはり洗濯物が干してあり、庭には車があるのも見えたのです。
*谷さんの家を再訪
今回は野池さんと車で移動なので、谷さんの家を再訪することができました。
君子さんはすぐには私たちを思い出せずにいましたが、「以前この雑誌に書かせていただきました」と言って『たぁくらたぁ』の最新号を渡すと「ああ」と言って思い出してくれました。
「サァどうぞ」と以前通されたと同じ部屋に通され、また「どうぞ」と言って出されたのは以前と同じく瓶入りのリポビタンDでした。
谷さん夫婦はあれから仮設住宅に入り、今年3月31日で避難指示解除になったので5月に自宅に戻ったそうです。
あれからを語った谷さんは、次にこんなことを言いました。
「仮設に6年、イヤァもうこりごりだね。
でもそんなこと言ってられない、北朝鮮が明日ミサイル撃つって言ってるから。
また避難っていったら、どこ行ったらいいの?
北朝鮮がミサイル撃ったりして、もう原発どころじゃないわ。
この前の時は北朝鮮のミサイルが日本海に落ちたっていうから、私は実家が新潟だから電話したのよ。
実家の方では避難命令が出て、実家の息子たちは結婚して孫もいて近くに住んでるけど
みんなバラバラになるといけないからって実家に集まってみんなで避難したって。
一斉に避難命令出て、避難したって。
だから今度またそれやられて避難しろって言われたって、「お前んとこ避難するったってお前んとこは放射能あっから、孫いるからお前んとこは放射能があるしなぁ、どこ行きゃいいんだ」って、兄が言うのよ。
またミサイル飛んできたら、どうすればいいんだろう。
だけど北朝鮮もどこの国からも非難されて、ひがみもあるんだよね。
自分のお兄さん殺して、おじさん殺してどこに骨埋められたかわからないんでしょう。
逃げるとこないでしょう?」
*お連れ合いが戻って、二人での話
野池さんが、5年前にもお邪魔して話を聞かせてもらったけれどまた戻ってこられたようなので、話をお聞きしたく訪ねたと説明しました。
お連れ合いの名前をお聞きするのをうっかりしましたが、仮にMさんとして記します。
Mさんは野池さんの言葉を聞いて、こう言いました。
「いや、今度は北朝鮮のミサイルきたら、放射能どころじゃねぇぞ。
逃げっとこ無いぞ。
朝鮮が撃ってよこしたら原発狙ったら、福島狙わなくたって宮城は女川、青森は五所、新潟は柏崎、まずそういうとこ狙ったら、おしまいだぞ。
北海道越えて、グァムまで届くんだぞ」

谷さんのお宅では、もっと他のことも聞いたのですが、ご夫婦ともに話の大半は北朝鮮のミサイルの話でした。
お二人とも、「ミサイル発射は攻撃ではなく脅しだ、実際にアメリカや日本を攻撃したら、北朝鮮は世界中から袋叩きにあう、だからあれは脅しだ」ということは口に出していましたが、目下のところ、これからの暮らしを確実に脅かすであろうろう政府や東電の対策・対応に対する不安や憤りは、北朝鮮への不安と憤りに転嫁されていました。
政府の目論見は、見事に功を奏しているのでした。

★谷さんにお暇してから、飯舘村の長谷川さんの家に向かいました。
その報告は、また後ほどお送りします。                 

いちえ

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