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2017年9月7日号「9月2日報告②」


9月2日13:30〜16:40、田町交通ビル6Fホールで開かれた、「避難の現状と今後の支援について考える交流集会」の報告です。

●司会者の満田夏花さん(避難の協同センター事務局)から
集会の主催は「避難の協同センター」です。
原発事故の避難者をめぐる状況は厳しさを増しており、特に今年3月に区域外避難者の住宅提供が打ち切られてしまいました。
そういう状況について避難者の相談に乗って政策提言をしていくという団体を目指して、昨年7月12日に発足した団体です。
区域外避難者の住宅提供が打ち切られて、既に5ヶ月が経っています。
そうした中で避難の協同センターには、毎日のように大変困窮した追い詰められた避難者からのSOSの声が届いています。
このような現場の状況を、省庁・自治体の皆さんにわかってもらうために、現場と政策をつなぐという役割を目指して活動しています。
 今日のプログラムは大変長丁場ですが、北海道、岡山、山形、東京など各地の避難者の置かれている状況について情報共有をして、最後に今後私たちとしてどう取り組んでいくのか、自治体のみなさんも交えてディスカッションをしていきたいと考えています。
ぜひ最後までお付き合いください。

◎避難の協同センター報告
●開会挨拶:松本徳子さん(避難の協同センター共同代表)
2016年に2017年3月で自主的避難者の住宅提供打ち切りが出されて、母子避難者がこれによって貧困に陥り、SOSが寄せられるようになりました。
私たち避難当事者と支援してくださる方たちと一緒に、昨年7月12日に避難の協同センターを発足させました。
そして1年2ヶ月が経ち、先程無事に総会を終えました。
避難者たちがこの理不尽な状況に置かれている原因ははっきりしているのに、いま、更に避難者・被害者にはさまざまな意味での困難が起きています。
3月過ぎてから、多くの人からSOSが寄せられています。
住宅提供を打ち切られた後、避難者がどうやって自立していけるか、そのために多くの方たちからの支援をいただき、感謝しています。
原発事故と東日本大震災によって、これからも様々な問題を抱えていく避難者ですが、
これからもたくさんの方の支援をお願いしたく、また私たちも当事者として支援者とともに頑張っていきたいと思っています。

●基調報告:瀬戸大作さん(避難の協同センター事務局長)
今日は11時から総会を開いて年間の活動報告と次年度の活動方針が決まったので、それを踏まえて報告したい。
原発再稼働を含めて福島原発事故は終わったかのように言われるが、被害者は今も苦しんでいることをしっかり認識したい。
2015年5月に政府の閣議決定で住宅無償提供打ち切りの方針を決定し、その1年後に避難者たちに対して「来年3月いっぱいで退去するように」と一斉に忠告がいった。
戸別訪問という形で、それも避難者1名に対して県職員が3名、4名という割合で行われた。
「あなたはここに住めなくなる。サァ、どうする」というやり方だった。
そうした中、ある避難者は非常に悩み心を病んで、子供を連れて中央線の駅で路頭に迷っていると電話を受け、緊急的にフードバンクのメンバーを含めて対応し救護した。
その時にこの住宅支援打ち切りは母子避難のお母さんたちにとって、本当に厳しい状況に置かれていることを認識した。
そういう状況を受けて「一人で悩まないで、電話を」というポスターを作って新宿百人町団地を回った。
その時に本当に驚いたが、「避難して4年経っているが、こうして長い話ができたのは初めてだ」と言われた。家を出る時にネックレスをしていると「そのネックレスは賠償金で買ったのか」「いつまでこの住宅にいるのか」などと言われるのだと、切々と訴えられた。
僕自身、官邸前で脱原発運動をやっていたが、地域における避難者の苦悩を本当に認識していたか、と非常に反省した。
これはとても衝撃的だった。
よく言われたが「なんで当事者が声を上げて戦わないのか」という声がいっぱいあったが、当事者が顔を出して運動することの大変さ、それだけで本当に辛いことになるということを、僕自身がしっかりと考えていかないといけないと思った。
住宅無償提供打ち切りによって、避難者、特に母子避難者は経済的に大変な状況に追い込まれたが、避難者の貧困には、経済的な問題だけではなく複合的な要素がある。
「経済性の貧困」の他に「関係性の貧困」「知識の貧困」だ。
関係性の貧困は、とても大きい。
避難者が地域の中で孤立している。
孤立しなければ原発事故のいじめの問題など起きない。
そして知識の貧困は、例えば二重住民票のようなものがあればいいのだが、そうでないとどちらの状況が自分にとって良いのかが判らない。
いろいろな支援制度が来ていても判らず、自治体によってこうした公共料金については助成が受けられるなども判らない。
そうしたことを含めて避難は構造的な問題を抱えている。
 こうしたことがあって、避難の協同センターを昨年7月12日に作った。
貧困の3要素ということがあったので、脱原発運動の中ではなく様々な地域の中で貧困問題や居場所作りに関わっている皆さんに協力いただいて作っていくのが当初からの団体の役割だった。
様々な活動をしてきた。
福島県は区域外避難者への支援策は、非常に弱い。
誤解されがちだが自主避難者には東京電力からの定期的な賠償は無く、自主避難者が置かれた状況は、大変に厳しい。
震災・原発事故直後、避難所に避難した後、都道府県の振り分けで「公営住宅」や「雇用促進住宅」「国家公務員住宅」などに避難先を決めた経緯があり、その際の振り分けによって、その後の対応に差、不公平が生じている。
国、復興庁は、一切支援策を講じていず、全て県か避難先自治体に政策は丸投げしている。
原発災害の賠償責任が曖昧なまま、避難者の立場は脆弱になって生活困窮者の住宅支援にすり替わってしまっている。
支援される避難者と、支援されない避難者に分断されたままの状態が続いている。
避難の協同センターの主な任務は、基本的に個別支援だ。
電話相談を受けて避難者に会って、その人なりの困ったことについてオーダーメイドで具体的支援に入る。
「避難の協同センター」をサポートする自治体議員の会が2017年1月に結成され、東京、神奈川、千葉、埼玉、山梨、茨城、新潟、静岡、兵庫、福島などから現在62人の自治体議員が参加している。
次年度の活動計画として、
1、避難者の相談(電話相談、個別出張相談)を受け付け、必要な生活支援をすすめる。
2、避難当事者と支援者が協同して、地域で支え合いと、助け合いで、避難者が孤立することなく生活できる支援を行う。
3、国に対しては、「原発事故・子ども被災者支援法」で定められた避難先での住宅保障や就労、教育等も含めた生活支援など総合的な支援を求めていく。
4、避難先自治体に対しては、人道的観点から、避難者の困窮・孤立を防ぐための施策を求めていく。

*瀬戸さんの報告はここに記したよりもずっと丁寧で、避難者の置かれている状況と原因となる問題点を詳細に報告し、そうした事例に避難の協同センターがどのように対処し、避難者、支援者とともに解決を探っていったかを話されました。
 この後は、各地からの報告が続きました。
◎各地からの報告
●北海道から:宍戸隆子さん(こだまプロジェクト)
北海道自主避難者自組織「桜会」と「こだまプロジェクト」の事例。
桜台宿舎は申し込みが一番多い時で230戸以上、2012年12月の避難者新規受け入れが停止されるまで入れ替わりがあるものの170〜180戸が居住する。
避難者はほぼ自主避難者で、母子避難が多い。
大事なことは、桜台から絶対に自殺者を出さないこと!としてやってきた。
住宅の無償提供打ち切りに向けて、こだまプロジェクト名で北海道議会へ請願、札幌市に要望書提出、福島県にも抗議とともに要望書を提出した、
北海道議会では全会一致で採択され、北海道が独自予算で4000万円組み、県営住宅在住者は1年間の無料延長、道営住宅の避難者優先入居枠の設定などが採択された。
札幌市でも市営住宅への自主避難者への優先枠を設定した。
福島県は、雇用促進住宅も激変緩和策の対象となった。これは当初、雇用促進住宅の避難者は、家賃が公営住宅に準ずるとして激変緩和策の対象外とされていたが、後に雇用促進住宅に住み続ける場合でも、家賃補助及び引越し費用の対象となった。
なんとか経済的な自立を果たし支援を必要としなくなった家庭も多いが、一方離婚や精神的不安定な状態が続き、生活保護を受けている世帯も少し増加した。
地域への移住者として意識がシフトしていく一方で、避難者間の連携は途切れていくことが考えられる。
避難したお母さんたちが始めた「カフェ森のすみか」は、避難者が気楽に集うことができる新たな受け入れ先になりつつある。
厚別通内科での桜台にいた子どもたちの年1回の甲状腺エコー検査をこれからも続け、また保養に来た子どもたちのエコー検査をしてくれる病院が新たにできた。
 結果として、住宅無償提供の打ち切りが、移住者として札幌で生きていく覚悟を決める後押しになった避難者は多い。
一方で、経済的に苦しい状況が続く避難者も確実に存在する。
子どもたちが大きくなり、働きに出るお母さんたちが増えてきているが、生活困窮一歩手前でなんとか踏みとどまっているような状況もある。
福島県には、迅速な手続きと支給を求めていきたい。 

●岡山から:はっとりいくよさん(一般社団法人 ほっと岡山)
避難者受け入れネットワークは、2012年秋「シェアハウスネット」からスタートし、2016年4月から「岡山ネット」、6月から「一般社団法人 ほっと岡山」として活動している。
構成団体は12団体から成り、地域性によって支援も多様で、避難者支援だけではなく移住定住支援や保養活動に力を入れる団体もある。
ほっと岡山の役割として、広報・啓蒙活動、相談支援、調査・研究・政策提言、相談支援、関係機関との連携、当事者・支援団体の支え、情報収集・情報提供、説明会・交流会の開催を考えて、実行してきている。

●千葉から:古宮保子さん(東日本大震災 松戸・東北交流プロジェクト)
被災当初の3月は松戸市内297人の避難者が居たが、現在は200人くらいかと思う。
受け入れ支援のためのサロンとして「松戸黄色いハンカチ」を作り、当初は避難者が今すぐ必要としている品、ストーブなどを届ける活動から始まった。
避難者たちの声を聞きながら相談に乗り、サロンで健康講座を毎月開き、そのほか園芸や手芸、囲碁など趣味の講座を開いていった。
 2016年8月には自主避難者交流会&行政説明会をもち、また市内の空き家情報を寄せてもらうためのチラシを撒いて被災者へ情報提供するようにした。
松戸市にも交渉し、市営住宅申し込みは住民票が福島のままでも応募できるようにした。(入居後は移転手続きを)
嬉しかったのは1人の避難者と「ありさんマーク引越社」の社員と店長の交流から配慮を受けて、引越料金の割引がされ、ありさんマーク引越社の支援は他地域にも広がった。
これからは地域、また避難先の行政・社協の支援につなげていく役目をしていきたい。
働ける力のある避難者には、ぜひ働いてもらいたいので、その際の子育てとの両立を支えていける支援や、子どもの貧困の連鎖にならないよう、将来自立して働けるような子育てに力を貸す必要がある。

●山形から:佐藤洋さん(チーム毎週末みんなで山形)
震災当初から3年くらいは避難者自主サポートグループ設立の活動をしていたが、その後保養の活動に取り組んでいる。
こうした活動に取り組むきっかけは、原発事故後の3月15日に福島の友人に「家に避難してきていいよ」と伝えたら、大勢がやってきた。
その時に山形は福島のすぐ隣だが吾妻連峰に遮られて放射線量は低いので、保養もいいのではないかと考えた。
山形県は2011年6月15日に避難者への住宅無償提供を言い、すると13,000人位が避難してきた。
その後だいぶ戻っていき、現在は2,000人位かと思う。
避難先の山形から福島に戻った子どもたちが、県内では放射能について語れずにいる。
2013年秋からはパルシステムの保養の企画と共に、春から秋まで毎週末保養を実施している。
保養の意味としては、次のように考える。
・チェルノブイリの療養をなぞらえている
・3日でも1週間でも、小さな移住・避難と捉える。
 この決断が移住の決断につながることもある。
・被災地の仲間に寄り添って共に生きる仲間がいるということを感じてもらう。
怖いのは被災者が、「誰もわかってくれない。自分で抱えていくしかない」と孤独感に陥ってしまうことだ。
福島県に戻っても、意見の違う人同士で暮らしていく葛藤を抱えている。
保養も最初はみんなが好意的に受け止められていたが、最近は過小評価が加速して、風評被害呼ばわりされ、批判される風潮が起きている。
メディアの報道でも、「(ありもしない)放射能被害を怖がる無知無能の人」のように「放射脳」などとの表現もある。
こうしたことが、放射能に対して距離を取ることの難しさを生んでいる。
保養団体はどこも自腹でやってきているが、資金不足になってきている。
国の支援もなく、復興庁はインフラのみに予算を使い、対応は過去最低だ。
避難は、避難した人の人格そのものが奪われ、無視されている。
何が福島で起きたのか、日本全体でとらえられていない。
これはまた同時に、防災対策が全くできていないことに結びつく。
次にもしどこかで原発事故が起きても、何の対策もできていない。

●山形から:武田徹さん(福島原発被災者フォーラム 山形・福島)
被災前は福島市に住んでいたが2011年3月12日に福島を出て、最終的に米沢に落ち着き7年目になる。
米沢には当初3,000人位避難していたが、現在は400〜500人くらいだ。
原発事故は国家犯罪で、東電に全責任があると思っている。
3月で住宅支援が打ち切られたが、なぜ避難者が家賃を払わなければならないのか?
全国にいる避難者の声を全く聞かずに、一方的に「出て行け」という話はない。
2012年から「避難者の会」を作ってやってきている。
雇用促進住宅入居者の内8世帯がお金を払わずに住んでいるが、これに対し「機構」は立ち退きを求め「4月には追い出す」「訴訟を起こす」と脅しをかけている。
弁護士4名が応援してくれているので、国が訴訟を起こせば受けて立つ。
避難者の問題は、国・県の決定を拒否した人をどう支援するか、また止むを得ず出て行った人をどう支援するか、その2点を明確に追及すべきだ。
山形では県知事交渉を重ねた結果、避難者全世帯(800世帯)を家庭訪問することを決めた。
福島と山形、日本全国をつなぐものはなにかとずっと考えながら福島でも活動をしてきた。
それは健康問題だろうと思う。市町村議会、県議会、国会議員に動いてもらって健康手帳を要望している。
戻った子どもたちが、戻った後どうなっているか実態を明らかにしたい。
市町村、県各地区で議員を動かす運動が非常に大事だと考えている。
非自民の議員をいかに増やすかが大事で、非自民が増えれば原発問題、住宅問題も変わってくると思っている。

*各地からの報告を終えた後休憩を挟んで、葛西リサさん(立教大学コミュニティ福祉学部 日本学術振興会RPD研究員、『母子世帯の居住貧困』著者)の講演「居住福祉に向けた提言」があり、続いて避難当事者を交えての討論がありました。
葛西さんのお話の報告は避難者に特定された内容ではありませんでしたが、母子避難者にも当てはまるお話は多く、居住が保証されることが尊厳を持って生きることに繋がることをお話くださいました。

◎討論:避難当事者を交えて
司会は小金井市議会議員の片山かおるさん、発言者は下記に。
・松本徳子さん(郡山市から川崎へ母子避難)
・岡田めぐみさん(福島市から武蔵野市へ母子避難)
・長谷川克己さん(郡山市から富士宮市へ避難)
・熊本美弥子さん(東京に住んでいたが福島県田村市に移住、移住直後に原発事故が
 起きて、また東京に戻った)
・宍戸隆子さん(伊達市から札幌市に避難)
・はっとりいくこさん(岡山県の支援者)
片山:時間があまりないが、皆さんから今後のことを提言してほしい。
岡田:避難した時は3歳、1歳の子どもがいて私は妊娠2ヶ月だった。
   あれから6年経って来年は、その子が小学生になる。
   子どもに原発事故をどう伝えるかを考えている。
   それは今年3月に、事故当時中学生だった女の子が大学入学で東京に来たのだが、彼女が、「原発事故のことを誰も教えてくれなかった」というのを聞いてからだ。
   あの当時子どもだった人たちが何も伝えられずに大きくなった時、自分がどうい
   う状況で、現在が在るか判らなくなっている。
   実情を目にした大人たちには、伝えていく責任がある。
   きちんと伝えることが原発を止めることであり、被害を可視化させることだ。
   歴史的に伝えていく、事故、被曝を伝えていく。
長谷川:避難時は妻が妊娠中で、上の子どもは5歳だった。
   岡田さんと同じように、下の子どもは原発事故を知らない。
   被災者は3回パッシングに会っている。
   1回目、最初は事故そのものによって。
   2回目は故郷を離れる時に、親戚や友人から。
   3回目は、先ほど瀬戸さんも言っていたし私自身も何度も言われたが、なぜ原発
   に反対する声を上げないのかというパッシング。
   1回目、2回目のパッシングは、同じ被災者である立場の仲間からの言葉なので
   なおきつい。
   私自身は、原発事故のせいで人生終わったと言いたくない、健やかに生きていき
   たい。
   息子たちには、原発世代だからこれだけ強くなったと彼ら自身が言えるように育
   てたい。
   避難の協同センターに望むことは、避難者をまとめる接着剤担って欲しい。
熊本:東京へ戻ってみなし仮設住宅として都営住宅に入居したが、3月で住宅支援
   打ち切りになり、まだ都営住宅にいるが、裁判を起こそうと思っている。
   日本の住宅政策はターゲット選別型で、世帯要件や収入要件が厳しい。
   裁判を起こそうと思ったのは、避難の正当性をわかって欲しいからだ。
   私は、頭を上げて顔を上げて生きていきたい。
   避難者として声を上げていきたい。
   これまで運動にも未経験、まして裁判闘争などしたこともない私だが、裁判
   には意味があると思う。
   皆さんの支援でやっていきたい。
宍戸:住宅支援打ち切り後、いろいろなところへ移っていった人たちも多く、移った先で
   落ち着き、地域のつながりに移行していくのは良いが、そこでは苦しみを分かち
   あえない。
   避難者が集まっている場が無くなった時に、苦悩を分かち合える場をどう残して
   いくかが課題だ。
   避難者が声をあげるのが難しく、裁判に踏み切れる人は少ない。
   私は大学の先生からの依頼を受けて、毎年3ヶ所で話をしてきているが、大学生
   が、原発事故を知らない。
   初めの頃の大学生は知っていたが、今の大学生は知らない。
   当事者の子どもに話すのも大事だが、あの時を知らない子どもたちにも伝えてい
   きたい。
   私が脚本を書いて、原発事故にあった家族の物語を演劇にしている。
   演劇やいろいろな方法で、あの時のことを伝えていきたい。
はっとり:避難当事者たち自らが動いているが、本音を安心して出せる場を長く継続
   させたい。
   避難者支援は行政も含め地域に共感してもらいながら、地域の問題を解決してい
   くヒントもそこにあるだろうから、根気強くやっていきたい。
松本:物が言えない避難者をすくい上げていくことと、県内避難者の問題もある。
   県内で、子どもを守りたいと頑張っている母親とつながり、保養をしながら力
   を合わせていきたい。
   原発事故は終わっていない。
   福島にいる人も苦しんでいる。
   私も支援者に支えられて7年目を迎えたが、これは私に与えられた試練だと思う。
   子どもを守り、住宅を確保し、自立して前に進みたい。
   避難の協同センターの役目は、ますます重要になっていくと思う。
   原発事故は過小評価されて、被災者は棄民扱いされているが、この現状を
   皆さんと繋がりあって打破していきたい。

*9月2日の集会報告は、これで終わります。
集会に参加して心に強く残ったことがありました。
避難者の方たちがこの会場で再会しあえた時の、弾けるような笑顔。
きっと、同じ苦しみを味わい、乗り越えながら必死に過ごしてきた者同士の魂のふれあいが、あの笑顔だったのだと思います。
心に残った言葉もあります。
その一つ、「伝え続けたい」。
私も、私の目で見、耳で聞いた福島を伝え続けたいと思います。
明日から、(いいえ、もう今日ですね)また、福島へ行ってきます。 

いちえ     

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