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2018年1月31日号「1月21日トークの会報告②」


トークの会、鈴木直子さんの話の続きです。
長文を続投ですみません。

☆不安がいっぱい
 どうして避難していたいかと言えば、廃炉作業の不安。
未だにダダ漏れだし、汚染水タンクもいっぱいあるし、しかも漏れているし、650シーベルトも計測されている。ミリシーベルトではなくシーベルトだ。
1分くらいで死に至ると言われる高線量だから、ロボットを入れて撮影したが、あまりにも高線量で、すぐに壊れてしまった。
ロボットカメラも取り出せず、もうパイプを切って置きっ放しにしている。
実際はもうチャイナシンドロームのように溶け出していて、再臨回しているから未だにヨウ素が出ているのではないかなどと、いろいろな説が言われていて専門家でも内部がどうなっているかわからない状況だ。
 そんな状況なのに、上乗せされた803兆円が東京電力を使っている人たちの負担になっている。
東京電力が事故を起こしたのに、東電の儲け分はきっちりと取って、上乗せ分の803兆円は使用者の私たちに税金などで負担させている。

☆増えている甲状腺ガン
 20キロ圏内が避難指示だったが、実際は50キロ、60キロの伊達市、郡山市ほか高線量の地域がいっぱいある。
3月のあの時期で風向きが海に流れたから、まだ被害はこれだけで済んだのかもしれない。
3月15日いわき市は特にヨウ素がひどく流れたが、ヨウ素剤が配られたのは18日からだった。
何の意味もない、全くの無意味だった。
ヨウ素剤を飲むと、ヨウ素は甲状腺で飽和状態になるので、それ以上のヨウ素を摂り込まないので被ばくを避けられる。
それが配られたのが、放射性ヨウ素が既に75パーセント以上放出された後だったから、何の意味もなかった。
3月15日に放出されたヨウ素はいわき市で27,32マイクロシーベルトと記録されている。
だから相当被ばくしただろうことは、確かだと思う。
県内で197名の甲状腺ガンが出ている。
 福島県民健康調査で、事故当時18歳以下の子どもは2年に一度エコー検査を受けるが、1巡目でなんでもなかった人が2巡目で甲状腺ガンと診断されている。
ということは、甲状腺ガンは2年の間に進行するほど進行性が早い。
だが、「予後の良い良性のガンだから心配ない」「遺体を解剖するとかなりの割合で甲状腺ガンが見つかるが、発症せずに転移もあまりしないから甲状腺ガンは心配ない」という専門家もいる。
 想像して欲しい。
我が子がガンだと言われたら、どう思うか。
これが被ばくの影響ではないという方が、不自然だ。
それを組織ぐるみで被ばくを隠しているが、もう隠しきれないところにきている。
どんどん増えているし、経過観察が2151人あるが、経過観察となると枠を外され、経過観察からガンになった人は197名の中に含まれない。
おかしな話だ。
どれだけ過小評価をしたいのか!

☆3•11甲状腺ガン子ども基金
 特定非営利活動法人の「3•11甲状腺ガン子ども基金」が、心ある人たちによって立ち上げられて、医師たちのボランティアで検査が行われているが、県民健康調査を受けていない人も多数いる。
「子ども基金」での調査を見ると、静岡から秋田。岩手まで、広範囲に甲状腺ガンが出ている。
子ども基金では「手のひらサポート」として資金を集め、小児甲状腺ガンの子どもや家族へ、手術•治療代として10万円を給付している。
県内では甲状腺ガンと診断されたら復興の妨げだと言われるが、治療には経済的負担が大きくかかるので、少しでもその負担を軽くしてあげたいと考えての活動だ。
 県民は県立福島医大で治療を受ける場合は、18歳まで医療控除があって無料だが、他の医療施設での治療や、県民以外は医療控除は適用されない。
避難先で手術した人は、控除の対象外となる。
また驚くべきことだが、甲状腺ガンと診断された7割以上が転移している。
予後が良いガンで転移しないと触れこんで安全神話を吹聴していた医師たちは、転移していたことを伝えても、「転移してもヨウ素剤のカプセルを飲めば、ヨウ素が身体中に回るから、いっぱい転移しても治っている」などと言う。
医学会では死亡率が重要で死亡率で判断するので、甲状腺ガンは予後の良い、治りやすくて死なないガンとされる。
 甲状腺ガンの治療法の一つにアイソトープ治療があるが、それは患者を隔離して高濃度の放射性ヨウ素を内服させる治療法で、排泄物からも放射線が排出される。
そのために排泄物の処理も、自分でしなければならない。
家族の面会もできず、非常に辛い治療だ。
*チェルノブイリ法と日本の現状を比較してみた。
チェルノブイリでは避難の権利ゾーンは、日本で言えば名古屋あたりまで含まれる。
日本ではどれだけ過小評価されているか!
自主避難の今後の課題は、「避難を続けたい。生活環境を変えたくない。子どもの学校も転校させたくないし、いまやっと慣れてきた仕事を辞めたら、次に仕事先があるかどうか判らない。しかし住宅支援を打ち切られて避難生活を続けるには、経済的困難がある」
避難先によって支援の格差があり、一番深刻なのは家賃が高い首都圏に避難している人たちで、その生活は大変だ」
2020年東京オリンピックまでに避難者をゼロ西田井のが、国の目的だ。
国の犠牲になる避難者だ。
私たちは税金を納めているのに、理不尽な話だ。
オリンピックのための施設作りや、オスプレイやミサイルを買うお金があったら、私たち国民をまず救うべきではないか。
住宅支援打ち切りをしないでくださいと要望書を出したり、いろいろなことをしたが、結局打ち切られた。
明らかに棄民政策だ。
私たちは国民と思われていない。
 原発事故は国と東電が加害者で、私たちは被害者だ。
原発事故さえなければ、福島で自立して楽しく暮らしていた。
家族みんなで暮らせていた。
これは人災なのだ。
加害者には責任追及を!
罪のない原発被害者に理解を!
原子力村に対する再考と、そして世論を!
 私は避難先の川越で、川越市民と一緒に「原発避難者と歩む@川越」という会を一昨年6月に作った。
そこから行政交渉を重ねて、借り上げ住宅に住んでいる人たちに収入要件なしに毎年2万円を2年間という住宅支援を勝ち取った。
だが、家族が増えたので中古住宅を買ったという人への支援がない。
復興庁は避難者の定義として「故郷に帰れない人はすべて避難者」と掲げているので、それを根拠として、これからも川越市、埼玉県に働きかけを続けていく。
いずれは私たちも埼玉県民になる筈だから、と交渉を続けていく。
 埼玉県は住宅支援で優遇措置が取れたことを話したが、年末にとんでもないことが議会で採択された。世界で最も厳しい基準を乗り越えた原発再稼働を求める意見書が採択されてしまった。
自公過半数で、採択されてしまった。
世論がもっと問題にして、選挙で勢力を変えていくしかない。

●質疑応答
Q:県民健康調査はどの程度実施されているのか?
A:県の小児医学会会から、こんな意見が出されている。
「県内の子どもは、新生児検診や学校での歯科検診などを集団検診でやっている。県民健康調査も同様に集団検診だが、受けたくない権利もあるのに集団検診だと受けなければならない。それで過剰診断になるのだから、県民健康調査はやめてほしい」
子供の命を救うべき小児科医から、なぜこんな声が出るのか謎で、理解に苦しむ。
 県内で検査を受ける人は福島県立医大など病院は決まっていて、2年に一度の検査は県外で受けることもできるが、それも福島県立医大の息のかかった施設で、それなりの医師と設備が整ったところでないと受信できない。
他で受信した場合は費用は自己負担になり、福島県民健康調査以外でがんの診断が下された人は、カウントされない。
 県民健康調査は信用できないと言って受けない人もいて、いま受診率は40パーセント位に落ちているようだ。

◎参加した自主避難者の声
●大玉村から相模原の実家に避難している鹿野久美さん
 震災の2年前に建てた家に夫は残り、実家に母子避難している。
賠償は出ていない。
実家だから住宅支援はいらないと思われるが、二重生活なので生活費はかかるし家族を介護しなければならないとなれば、そういう支援があってほしい。
目に見えない部分で切り捨てられていると思うことがある。
 さっきDVDを見せてもらった。
その中に親しい人も出てきたが、彼の表情が私が福島であった時に見せていた表情とDVDの中で家族と一緒にいる時の顔つきが、まるで違っていた。
妻子が母子避難で、家族と離れて一人でいる時の彼は固く険しい表情だったが、家族といる時は柔和な顔つきだった。
やっぱり家族と一緒に、一つ屋根の下で生活することはとても大事だと思う。
 我が家でも、離れていると亀裂も大きくなる。
一時は「帰ってこなければ離婚だ」などと言われたこともあり、言葉を交わせば互いに傷つけ合うこともあった。
今はそういうこともなくなったが、でも、一つ屋根の下で暮らしていないと、他人になっていくのだなと感じている。
 問題が複雑すぎて、自分の中でどう処理していいかわからなくなる。
今はフルタイムで働いているので、移住しているのと同じような感じだが、けれども福島の家や家族が心にあるし、自分にとって普通って何だろう?と思う。
震災前に自分がどうやって過ごしていたかを、思い出せない。
福島に家で震災後のあの当時、幼い娘が自分の周りをチョロチョロしていた姿も思い出せない。
自分がいっぱいいっぱいになっている姿は思い出せても、他が思い出せない。
 私は避難した方がいいと思ったのだが、夫との軋轢もあって夏まではそこで過ごしてしまった。
一番線量が高い3ヶ月間、そこに住んでしまったことを今でも悔やんでいるし、娘に何かあったら、その期間のことを私は絶対に悔やむと思う。
いま娘はここで健康に過ごしているが、もし帰艦して放射能由来の病気になってしまったらと思うと、帰る決断はできない。
そうなったらそれこそ私は娘に対して一生責任が取れないし、その時々でベストを選んでいかなければいけないという強迫観念もある。
 それをずっと背負ってこの先も生きていくのは大変だし、ちょっと困難な生活をしなければならなくなったが、こうやって仲間がいて、繋がって、人としての大事なことはこの震災で教わったと思っている。
それを糧に、時々は落ち込んでウジウジしているが、そうでない時の自分は前を向いてみんなと繋がって手を取り合って頑張っていきたいし、理解をしてくれる人が増えれば私たちも笑顔が増えて子ども達を守れる世の中にシフトしていけるのではないかと思っている。
 相模原で私は、福島の親子のための保養活動をやっている。
安心して外遊びができない子ども達や、不安を抱えて生活している親達のリフレッシュのために2012年春から、春・夏の長期の休みごとに4泊5日程度の保養キャンプを行っている。
●飯坂から武蔵野市に避難している岡田めぐみさん
 福島市飯坂温泉から2011年3月15日に、東京へ避難した。
当時私は妊娠3ヶ月だったが、3歳と1歳の2人の子どもを連れての避難だった。
東京で無事に出産して、東京助産師会野方の支援を受けて近所に住むお母さん達を紹介していただき、そこで「むさしのスマイル」という団体を立ち上げた。
立ち上げて7年になる。
 そこでは避難者達が集まれる場を作ることや、福島へ帰艦した人や住んでいる人達との宿泊交流会を年に2、3回持ち、いまどういう状況が起きているかなど、普段なかなか見えないことを、県外避難者と県内居住者とで情報交換している。
 私の家族のことで言えば、両親や祖父母はずっと福島で、避難しているのは私だけだが、去年1年で親戚、家族が6人も入院することになった。
その中で心疾患が3人という状況だ。
大事には至らなかったが、心臓の疾患なので気にかかっている。
父が、先月苦しくなって検査入院したが検査の結果では心臓よりも甲状腺の異常が出たと言われ、薬を飲まなければいけなくなった。
60歳だが、甲状腺疾患は男性では少ないと聞いていたし、どういう影響なのかと感じている。
 こうして福島の声に耳を傾けて考えてくださる方がたくさんいることは、私たちも頑張って伝えていこうということの糧になるので、これからもよろしくお願いいたします。
●直子さんのもう一言
 先ほどのお二人も私も、人前で話すことを躊躇せずに饒舌になったのは震災のせいであるとも言える。
皆さんが関心を持って聞いてくださることで、私たちは「ここに居てもいいんだよ」と肯定されていると思え、話ができるようになった。
 避難したこと、原発事故は人生を大きく狂わされた憎むべきことだが、逆に言えば原発事故がなければ会えなかった方達に出会った。
そうでなければ私もずっといわきに居て、一生のほほんと過ごしていたと思う。
 でも今は、「安保法制法に反対するママの会」を立ち上げた。
VFP(ベテランズ・フォー・ピース)もやっている。
みずほ塾(福島瑞穂さんを囲む勉強会)もやっている。
などなど色々とやっている。
闘わなければいけない。
 先ほどの話にもあったが、自分の無知によって子どもを被ばくさせてしまったという思いがある。だから自分が無知だったら、次に何かあった時に行動できない。
政治の問題も、判らないといって声をあげないでいたら変わらないと思った。
判らないことは聞いて、グーグルで調べて、頑張って負けないようにしている。
避難者は、暗い悲しい、同情してほしいというマイナスのイメージがあるが、そうではなくてピンチをチャンスに変えて頑張っている姿を、どんどん発信していきたいと思っている。
弱かった自分だが仲間が増えたことで連帯して、子どもを守っているんだぞというふうにしていきたいと思っている。
 今日は、ありがとうございました。

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