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2018年10月10日号「10月6日〜9日①」


 福島原発刑事訴訟の傍聴報告が第24回公判までしかお送りできていないのですが、来週からはいよいよ被告人尋問が始まるので、25〜29回までの裁判の様子もできるだけ早くにご報告したいと思っています。
メモ書きからまとめるのが滞っていて、迅速なご報告ができずにいます。
直近の事柄から先にお伝えします。

◎6日は飯坂温泉へ
●宿泊交流会in飯坂温泉
 6日は、むさしのスマイル主催の「宿泊交流会in飯坂温泉」に参加しました。
避難者&支援者の交流会を定期的に持っている「むさしのスマイル」が企画した、避難者と福島在住者・帰還者との意見交換・交流会です。
 支援者の山根さんno
「地元の人たちの不安や不満には、どんなことがありますか?」の言葉に、一時は長野に避難して‘12年に戻った帰還者のMさんが言いました。
*Mさんの発言
 「学校や、教育に対してすごく不信感がある。。
中学生だった息子が宿題で、福島産の食品に対する不安を書いたらみんなの前で先生に『今までで一番最低の答え』と言われた。
クラスメートからは『福島に住んでて福島の悪口を言うのか』と、いじめられた。
先生がそう思うのは先生の考えだけど、でもみんなの前でそんな風に断じるのではなく、なぜそう思うのかと聞いてみんなでその問題を考えるようにして欲しかった」
 聞いていた参加者は先生の対応に呆れ、Mさんの言葉に大いに頷いたのでした。
Mさんの発言をきっかけにして在住者の皆さんからは、地元では原発や放射能について話題にできないという声が上がりました。
*在住者のKさんの発言
 「放射能や汚染などについて深く考えることはなかったが、当時地元では戸外活動がいろいろ制限されていたので、中学生だった息子を保養に出した。
帰ってきた息子から保養先での生活を聞いて、保養の意義を理解するようになった。
息子はその後もFoE Japanの保養に行き、大学生の今はスタッフとして参加している」
*Kさんの息子のS君
 「初めて保養に参加した時は、最初はなかなか馴染めなかったがスタッフの大人たちがめっちゃ良い人たちで、大学生の人たちと一緒に過ごすうちに自分もこんな風にして小さい子どもたちを遊んであげられるようになりたい、泥んこになって子どもと遊べる保育士になりたいと思った。
将来は福島の子どものための保育園、子ども園を作りたいと思うようになった。
それで今は大学の保育科に通っている」
 ね、素晴らしい話でしょう?元保育士だった私は、それを聞いてウルウルでした。
この日はS君の友人2人も参加していましたが、その2人もS君と同じく保育士を目指して学んでいる男子たちでした。
この3人のおかげで交流会参加者の子どもたちは、大人たちが話し合いの時間も楽しく遊んでもらえたのでした。
*在住者のSさんの発言
 「地元では原発のことや放射能のことは話題にしないし、話題にできない。
食べ物の話などもできず、TVドラマやタレントのことなど当たり障りのない話ばっかりで、ストレスがたまる」
 Sさんの言葉から、子どもだけではなく大人たちにも保養が必要なのではないかと強く思いました。
保養という言葉を使わず交流会でも良いから、大人たちが心置きなく不安を吐き出せる場を作っていく必要を思いました。
*葛尾村から東京に避難しているKさん
 「村は帰村したけれど、帰還した人は少なくほとんどが高齢者だ。
学校も再開したが生徒は中学生7人、小学生7人、幼稚園5人で、複式学級でやっているが、子どもよりも職員の方が人数が多い。
運動会も学校だけでは成り立たず、村の運動会として行った。
自宅は山の中だから線量が高くて戻れないし、住宅支援も無くなるから郡山に転居先を決めた。
葛尾にいた時は夏休みなど子どもたちが孫連れて集まって、賑やかに楽しかった。
春は山菜、秋はキノコや木の実、そんなんで料理すれば孫たちも、ばあちゃんの作ったの美味しいって喜んで食べた。
またそうやってみんなが集まれるように、郡山に家を作った。
孫7人、曾孫2人いるが、1歳の誕生日を迎えた時には餅を背負わせるんだけど、この間1歳になった曾孫にも、餅を背負わせたの。
面白かったよ、こんなしてあっちに転けたりこっちに転けたりして泣いてんの。
可愛いなぁ。
孫7人、曾孫2人、みんな私が餅背負わせたの」
 故郷を奪われることは、暮らしを刻んできた歴史の形跡をも奪われること。
Kさんは福島に原発が誘致された頃から、お連れ合い共々反対の声をあげてきた人です。
 お連れ合いの小島力さんの詩集『わが涙滂々』から一編を。
     火災
1985年8月31日午前6時42分
東京電力福島第一原子力発電所
1号機タービン建屋で火災発生
中央操作室の地絡警報機が作動
火災報知器がけたたましく鳴動
当直員がただちに現場へ急行した
   その時刻
   町役場も
   広域消防所も
   朝の眠りの底に沈んでいた
   東京電力からは何の連絡も
   発せられなかった
午前7時10分
駆けつけた職員3名が消火活動を開始
受電盤が焼き切れ
タービン建屋と事務本館が停電
火は更に電源ケーブルを伝って燃え広がり
ほぼ1時間を経過して
尚衰えを見せなかった
煙はタービン建屋に充満し
ケーブルダクトから外へ噴き出した
   その時刻
   農面道路に通じる畦道を
   六号国道交差点の歩道橋を
   登校の子供らが
   一列に並んで歩いていた
午前8時7分 119番通報
午前8時10分 県庁に通報
火災発生から約1時間半後であった
浪江・富岡両消防署から
消防車15台が出動し
一号機周辺を固めたが
放射線管理区域立ち入りができず
外部からダクトをはずして注水
午前8時50分
出火から約2時間後ようやく鎮火した
   55年3月15日 発生火災
    消防署通報〜なし
   56年5月21日 発生火災
    消防署通報〜なし
   57年4月2日 二号機タービン建屋火災
    消防署通報〜5月12日
   60年3月15日 5号機タービン建屋火災
    消防署通報〜4月2日(重火傷1名)
   双葉広域消防本部は東京電力に対し
   厳重に申し入れを行うと表明した
9月2日
県 双葉・大熊両町などの
関係機関立ち入り調査が実施された
しかしあまりにも体質化した事故隠しが
通報遅延の根本要因である事実は
決して暴かれはしなかった
しかも出火原因は
依然として不明のままである
   そこで俺は
   中古のバイクにまたがって
   カンカン照りの野良道を往ったり来たり
   「住民は耳も目もふさがれている
    事故が起きたって知らされるアテなんかねぇ」
   と説いてまわる
   樹陰にたむろして笑いこける
   道路工事のオバちゃんたちに
   車の下から無愛想な仰向け顏で
   這い出してくる修理工の若者に……
「火災が起きたって通報は1時間半も後だ
原因だってまだ公表されちゃいない」
牧草畑の真ん中で乾草集めに大わらわの
トラクターの親父さんに
俺はしきりと憤懣をぶちまける
すると汗まみれの髭面をニヤリと崩して
日曜百姓の親父は言ってのける
「火事の原因だぁ?
アハハ そんなものぁおめえ
火だぁべぇ?」
かくして又
原発は故なくも安全である         (1986年作)

長い詩を引用しましたが、2011年の過酷事故はこの延長線上にあるのです。
 この交流会は時間にすれば短いものでしたが、とても有意義な時間でした。

●飯坂けんか祭り
 6日は日本3大けんか祭りの一つ、飯坂けんか祭りの本祭りの宵でした。
新幹線福島駅に展示されているこの祭りの写真を目にする度に、いつかこのお祭りをみたいと願っていました。
勇壮で心が昂ぶる祭りでした。
願いが叶って、嬉しい宵でした。

◎お知らせ
 上記しましたが、福島原発刑事裁判の第25〜29回公判の傍聴記録は、追って「一枝通信」でお伝えするつもりです。
でもその前に、このお知らせを。
海渡雄一弁護士編著、福島原発刑事訴訟支援団・福島原発告訴団監修のブックレットが緊急出版されます。
『東電刑事裁判で明らかになったこと 予見・回避可能だった原発事故はなぜ起きたか』
彩流社刊、定価1000円+税 (9月の公判までの最新版)
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2535-5.html
10月16日発売開始!
16日の被告人尋問の日が発売日です。
この裁判を知っていただく為の必読書です。
どうぞ、お手に取っていただきたく願っています。       

いちえ

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