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2018年2月2日号「諸々報告」


 早いもので、もう1月も終わりです。
◎裁判傍聴
 先週は裁判傍聴が続いた1週間でした。
22日(月)は「南相馬・避難20ミリシーベルト撤回訴訟」、24日(水)は「警視庁機動隊沖縄への派遣は違憲 住民訴訟」、26日(金)は「福島原発刑事訴訟」と「安保法制違憲訴訟」と続きました。
26日の「福島原発刑事訴訟」は、早朝から抽選に並び傍聴券を入手して10時から104号法廷で傍聴しました。
昼に休廷して午後引き続いて行われたのですが、私は午後から「安保法制違憲訴訟」が開廷されるので傍聴券を他の方に譲って出ました。
そして午後は103号法廷で「安保法制違憲訴訟」の証人尋問を傍聴しました。
 傍聴報告をと思っていますが、「福島原発刑事訴訟」は、もう既に刑事訴訟支援団の佐藤和良さんがブログ「風のたより 佐藤かずよし」で発信されています。SKAZUYOSHI.EXBLOG.JP
また「福島原発刑事訴訟支援団」の添田孝史さんも、支援団のツィッターで報告を載せています。https://shien-dan.org/soeda-20180126/fb.me/ympZnocP
私は午前中のみの傍聴でしたから、佐藤さんと添田さんの報告をご覧いただきたく思います。
 他の3件の裁判傍聴記は、いずれ「一枝通信」に載せたいと思っています。

◎1月30日 南相馬そして飯坂へ
●先ずは六角へ
 10日ほど前に南相馬の大留さんから電話がありました。
要件は、30日にアメリカからの取材があるので、六角に来て欲しいということでした。
他にも原発事故災害について話せる人を誘って来て欲しいというのです。
幸い私は30日には予定が入っていませんでした。
今野寿美雄さんに連絡を取ってみたら、今野さんも30日は他の用事がないということでしたから今野さんにもお願いしました。
 今野さんが大丈夫ということを聞いたので、小高から飯坂に避難している鈴木ちいこさんに連絡をしてみました。
ちいこさんの都合がよければ、30日に私は飯坂に泊まるようにしてちいこさんに会いたいと思ったのです。
嬉しいことにちいこさんからも、「会いたいです」とお返事がきました。
 出かける前の日にまた大留さんから電話があり、農家の人も誰か誘ってというのです。飯舘村の菅野榮子さんに電話をしてみたら、幸いにも榮子さんも話に乗ってくださいました。
福島駅まで今野さんに来ていただいて、今野さんの車で伊達の仮設住宅に榮子さんを迎えに行き、3人で南相馬の六角へ着いたのが2時少し前でした。
前の晩に大留さんからの電話がなければ、伊達の仮設住宅に寄らずに福島駅から南相馬でしたから、六角へ行く前に南相馬博物館で開催中の「日本の凧展—大橋コレクションー」を見るつもりでしたが、残念ですが時間がありませんでした。
 取材はアメリカではなくカナダからの取材班でした。
4時少し回った頃に私たちへの取材は終わり、ちょうど希望の牧場の吉沢さんと入れ替わりに、私たちは六角を辞しました。
 大留さんは取材の意図を勘違いしていたらしく、取材側は2011年か‘12年にも南相馬に取材にきて大留さんから話を聞いていたそうです。
それで大留さんを追いかけての取材したかったらしいのですが、大留さんは色々な人の話が聞きたいのだろうからと思って、私に声をかけてきたのでした。
榮子さんや私からも少し取材しましたが、今野さんが元原発作業員だと知って取材者は話を引き出そうと、今野さんに質問を投げかけました。
ところが取材者の質問に今野さんが答える前に大留さんが今野さんに別のことを問いかけたりしたために、なんだか今野さんへの取材は多分尻切れとんぼになってしまったのではないかと思えました。
今野さんは、なお聞きたいことがあれば2日から4日までは東京にいるのでそこで答えますと言って、私たちは六角を出たのでした。
取材の意図もはっきり掴めない取材でした。
●車中での榮子さんの話
 「よっちゃん(榮子さんの仲良しの菅野芳子さん)は家を直そうと思ったらな、直すとうんとお金かかっと言わっちゃって、なじょすっぺぇって悩んでたら娘が兄貴たちに『母さんが悩んでんだから兄ちゃんたち、相談に乗ってやって』って尻ッペタひっぱたくみたいに言ったんだそうだ。
したら息子たちが『かあちゃん、家直すってのは金かかっから、潰して新しく建てたほうが金もかからねぇし、そうすりゃぁ良いんだぞ』って言わっちゃって、正月に壊すことにしたんだよ。正月にそれを決めたんだ」
 農家は大きな家が多いですが、芳子さんの家も御多分に洩れずに間取りも多い大きな家です。
大きな家をリフォームするのはお金もかかるし、それに飯舘村に戻って暮らすのは芳子さんだけです。
以前のように子どもや孫との大家族での暮らしにはならず、たまに息子や娘が来ることがあっても基本的には芳子さんが一人で暮らす家ですから、こじんまりとした家のほうが暮らしやすいことでしょう。
以前に榮子さんと芳子さんは、伊達の仮設で花見をしてから引っ越そうなどと言っていたのです。
でも芳子さんが今の家を取り壊してから、新たに建築すると決めたのはこのお正月ですから、新居の完成は桜が咲くよりもっと後のことでしょう。
芳子さんに合わせて、榮子さんの引越しも先に延びることでしょう。

「この間、友達の葬式に行ってきたの。90才で亡くなったんだよ。
うんと明るい人だったんだよ。
杖ないと歩けないしね、体はそんなだけど、うんといい人だったんだ。
風呂の中で亡くなったんだよ。
一人で居っから、息子が毎日様子見に来てたんだけどね。
『母ちゃん、冷えっから風呂さへぇってあったまれ』って言わっち、風呂の用意してくれたんだと。
息子さんが『もういい加減で出てもいい頃なのに、音がしねぇけどかあちゃん、なじょしてっぺ』って風呂場行って見たら倒れてたって。
 息子さんバスの運転手だけど消防(消防団員)だったからな、一所懸命人工呼吸したけど、ダメだったって。
子どもや孫たちも葬式に集まったけど、孫は大きくなって見上げるようになってんだよ。
その孫が泣いてなぁ。
うんと孫のこと可愛がってたからな。『ばあちゃんは、いっつもあんたのこと言ってたよ。孫が来たから、ぬしゃ何しに来た?って言ったら、ばあちゃんの顔見に来たって言ってな、孫はかわいいなぁって、いっつも言ってたよ。ばあちゃんのこと忘れないで真面目にしっかり勉強すんだよ』って言ったら、『うん』って。
 息子さんが人工呼吸やって、お葬式には家族もみんな来て、孫たちもちゃんとばあちゃんを送ってあげたから、幸せだったと思うよ」
 この冬が過ぎたら飯舘村に戻る人も、また少し増えていくでしょう。
帰村宣言後もこの春までは仮設住宅に入居していることができますが、その後は退去しなければならなくなります。
前述したように榮子さんも芳子さんも、村へ帰ります。
本当に高齢者ばかりの村です。
医療や介護施設の充実していないところへ帰っていくのです。
榮子さんが言うように、この方の場合はたまたま息子さんが見回りに来ていた時だったからすぐに発見されたけれど、そうでなければ気づかれないまま日が過ぎていくかもしれないのですから、見回りも頻繁に必要になります。
 村に戻っても以前のように、また仮設住宅にいる時のように畑はできないでしょうから、榮子さんは村に戻ったら何をして過ごすのだろうと思ってお聞きしました。

「私は今80だから人生100年で、あと20年あるでしょう。
お正月は埼玉の娘のとこに行ってたから、孫に言って本買ってきてもらったの。
『ばあちゃんはこれから20年、やること見つけっから、ばあちゃんにできそうな編み物でも縫い物でも参考になりそうな本見つけてきて』って頼んだのな。
したら孫は私のこと、こう(やって)上から下までじいっと見て、『ふ〜ん、ばあちゃん100まで生きんのかぁ。んだら、何かしねぇとなぁ』って、いっぱい本買ってきてくれたんだよ。
してその本見てな、『こんなの作って欲しい』なんて、もう注文が入ってんのよ。
 もう着ないからって、着物もいっぱい貰ったのがあるのよ。
ほら、私はこんなして着るでしょ(と言って、榮子さんは今着ている上っぱりとモンペを示しました)。こんなして直してもいいし、袋物だって人形だって良いわな?
もう注文が入ってんだから、ぼけっとしてなんかいらんないだわ」
 凄い!‼
︎榮子さん、そんな風に先を計画しているんだ!
大きな声で「ワハハッ」と笑いながら話す榮子さんでした。

 飯舘村でのかつての日々。
冬になると村の男衆はみんな出稼ぎに行った村内で、出稼ぎに行かない男衆が2人だけいたそうです。
榮子さんのお連れ合いと、もう一人は心を病んでいる気持ちの優しい人で、都会ではとても過ごせない人の2人だけだった、と。
 榮子さんのお連れ合いが出稼ぎに行かなかったのは、酪農を始めたことと、榮子さんの才覚で取り掛かった凍み豆腐の生産販売が忙しくなって、二人でそれらの仕事を分業しなければ追いつかなくなっていたからです。
牛糞を堆肥にして大豆を育て、それで豆腐を作って凍み豆腐に加工するのは榮子さん。
牛の乳搾りや世話と、凍み豆腐の注文を受けて製品を届けるのはお連れ合い。
凍み豆腐は需要がとても多くて、そこからの収入は出稼ぎでの収入よりも上だったと言います。
 出稼ぎの話からまた私は、町村合併を拒んで「までいな村」として歩んできた村の歴史が、原発事故で無残に砕かれてしまった悔しさを思います。

 南相馬からの帰路は、飯舘村の佐須の榮子さんやよっちゃんの家の前を通って戻りました。
榮子さん、芳子さんと三羽烏の年子さんは、一足先に自宅に戻っています。
年子さんの家には灯りがともっていましたが、集落には他に灯りの灯る家はなく、暮れた空に小望月が白くありました。
 榮子さんを伊達の仮設住宅にお送りして、飯坂へ向かいました。

●ちいこさん
 ちいこさんとは、「絶好鳥」という焼き鳥屋さんで待ち合わせました。
ちいこさんとのご縁にも、経緯があります。
 私が南相馬に通い始めた年の秋に、児童書を出している出版社からその社のPR誌への巻頭言の原稿依頼がありました。
私は南相馬へのバスの窓から見た刈田の光景がとても珍しく思え、そのことを書きました。
それまで私が知っていた稲の干し方は、柱に横木をかけて干す稲架かけでした。
ところがこの時に見た干し方は杭に掛けて干し、それがずらっと1列に並んでいるので、まるで稲束小僧がお行儀よく「前へならえ」をしているみたいで、珍しくもあり愉快でもある光景だったのです。
東北地方で多く用いられる干し方らしいのですが呼び名もいろいろで、ごく普通に「杭かけ」と言ったり、「ほにょ」と呼ぶ地方もあるそうなのです。
「穂仁王」が訛って「ほにょ」になったようですが、稲束小僧が「ほにょ」だなんて、楽しく思えたのでした。
 そんなことを書いた記事を読んだ読者から出版社を通して、手紙が届いたのでした。
頂いた手紙に返事を書き、文通が始まったのでした。
手紙の主がちいこさんで、最初の手紙に小高から義母と3人の子どもと飯坂に避難していること、ご夫婦共に学校の先生で仕事の関係でお連れ合いは原町に部屋を借りていることなどが書かれていました。
そんなことからお付き合いが始まったのでした。
私よりもずっと若いちいこさんですが、特別支援学級で働くちいこさんの話は私にはとてもよく理解できて、私自身がちいこさんから学ぶこともとても多いのです。
 この日、久しぶりに会ったちいこさんの話もまた、とても胸に響きました。
特別支援学級にはいろいろな子どもがいますが、どの子にも、その子に合った付き合い方があるのだと、具体的な話をちいこさんは聞かせてくれました。
思っていることや発する言葉と行動が乖離している子どもに、ちいこさんは絵や文字を書いたカードを使って互いに食い違わない理解に持っていく工夫や、ちいこさんの実践はどれ一つ取っても、その子をしっかり受け止めようという思いから生み出されているものでした。
以前にちいこさんからは、叩いたり噛み付いたりの癖の強い子どもへの接し方でそれこそ「格闘」とも思えるような日々を過ごしていることを聞いたことがありました。
この日ちいこさんは、その子も噛まなくなり穏やかな顔つきで巣立っていったと言いました。
 この日のちいこさん、前にあった時よりも若く娘さんのように見えたのですが、長かった髪をセミロングにカットして、そのためだったのかもしれません。
ちいこさんは言いました。
「あの子が荒れてくると私の髪を撫でて、そうすると落ち着いてきたんです。
そんなことの繰り返しの中から、あの子も自分を律する仕方を身につけていったかな
と思います。
でも、もう卒業なので“私の髪も卒業”って思って切ったんです」
 私も保育の現場から離れて30年が過ぎましたが、子どもたちと過ごしたあの頃を思い出しました。
今の教育現場に、ちいこさんのような人がもっともっと増えて欲しいと思います。

 「これからどうするか、小高に帰るかどうか、今はここでの暮らしを大事にしているし、仕方なしにここに居るのではなく、私が選んでこの生活をしている。
この先も、その時々で自分で選んだ暮らし方をしていく」と言うちいこさんです。
「自分で選ぶ」この言葉は、他の避難者の方からも聞きました。
原発事故による避難は、もちろん望んで選んだことではありません。
でも、避難か止まるか、どちらかを「仕方がないからこうした」と思うか、それとも「私が選んでこうした」と言い切るかでは、大きな違いがあると思います。
ちいこさんの言葉に、私は心からの拍手を送ります。
 久しぶりにちいこさんに会えて、嬉しい夜でした。

◎前便「一枝通信」の訂正
 「一枝通信 1月21日トークの会報告②」に、大変な間違いがありました。
訂正します。
最初の項「☆不安がいっぱい」の下の方の文章です。

そんな状況なのに、上乗せされた8,03兆円が東京電力を使っている人たちの負担になっている。
東京電力が事故を起こしたのに、東電のも受け分はきっちりと取って、上乗せ分の8,03兆円は使用者の私たちに税金などで負担させている。

赤字部分が訂正です。
「8,03」を誤って「803」と記してしまいました。
お詫びして訂正いたします。

※「20ミリシーベルト撤回訴訟」「住民訴訟」「安保法制違憲訴訟」傍聴報告は、今少しお待ちください。
前後しましたが1月末の福島行報告を先にしました。           

いちえ

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