HOME » 一枝通信»2018年5月31日号「5月の南相馬で」

2018年5月31日号「5月の南相馬で」


◎5月21日
 ●まずは、椏久里で
いつものように東京駅発7:44の「やまびこ205」に乗車して、9:39に福島駅に着きました。
急ぐ時には東口に降りて9:50発の福島交通のバスで南相馬へ向かいますが、今日は最初の約束が2時すぎなので、西口から11:30発の東北アクセスで行きます。
それで福島駅で降りると、まず椏久里珈琲店に直行しました。
トーストとコーヒーで腹ごしらえです。
 お店で素敵な本を見つけました。
『までぇな食づくり』、帯に「福島県飯舘村の母ちゃんに学ぶ遺したい食と暮らし」とあり、栄養士の籏野梨恵子さんが飯舘村の菅野榮子さん、市澤美由紀さん、菊地利江さんにレシピや村での暮らしを聞いてまとめた本です。
テーブルに置いた本の表紙を眺めながらコーヒーとトーストを頂いていると、調理場から美由紀さんがやってきました。
美由紀さんに「いい本ができましたね」と言うと、「道の駅には置いてくれないのよ」と言うのです。
それは、おかしな話です。
 昨年オープンした飯舘村の道の駅には私も何度か行ってみましたが、農産物に飯舘村産がないのは当然としても、村民が避難先で商品化している安全で優れた品もあるのですが、道の駅ではほとんど見かけません。
椏久里のコーヒーも置いてくれないと、美由紀さんは言いました。
食品以外の品も他県の人が作った商品が多く、また食堂で供するメニューも飯舘村の伝統食を思わせるものはなく、伊勢うどんのように「なぜそれがここで?」と思うようなものなのです。
安全な材料を使って、飯舘村らしい食事など供する事もできるだろうし、そうしてこそ訪れた人は飯舘村の暮らしを感じられるだろうにと思うのです。
 『までぇな食作り』は、たった94ページと薄い本ですが、食から見た飯舘村のまでぇな暮らしが伺える貴重な一冊なのです。
どんな基準でそこに置く商品を選ぶのか、この郷土食の本など一番に置いても良い品だと思うのですが、不可解です。
●八木沢トンネル初通過
 美由紀さんに送ってもらって福島駅に戻り、11:30のバスに乗りました。
市内を抜け伊達市から川俣町を通り、飯舘村に入ります。
緑が濃い5月の山です。
緑の間に桐の花、藤の花が薄紫に咲き、ニセアカシアやガマズミ、ヤマボウシの白い花が咲いていました。
「石ポロ坂トンネル」に入ってから、いつのまにか眠っていたのでしょう。
気がついたらまだトンネルの中ですが、「石ポロ坂トンネル」ではありません。
ずっと建設工事中だった八木沢トンネルでした。
3月18日に開通したそうですが、13日に南相馬を訪ねた時はまだ開通前で、31日に訪ねた時は、今野さんにお願いして霊山から相馬を抜けて行ったのでした。
八木沢トンネルの初通行を、入り口で確かめられなかったのが残念でした。
これまでは八木沢峠を越えなければなりませんでしたから、冬は雪道になると難儀なことでした。
●大留さんの車
 バスの終点、東北アクセス本社前で降りると、大留さんが迎えに来てくれていました。
前回会った時には少しむくんだ顔で体調もすぐれないようでしたが、今回は元気な様子で安心しました。
大留さんが乗ってきたのは、いつもの軽トラックではなく軽乗用車です。
淡いピンクがかったグレーの車体で、“風天の留”さんには、なんだか似合わないのですが、車を買い替えた息子さんから譲り受けたのです。
 大留さんがこれまで乗っていた軽トラは、どなたかからただで譲られた中古車で、その時点で既にだいぶ年季が入っていました。
私が南相馬に通い始めて2ヶ月目に、「これ貰ったんだよ。ありがたいね。」と、大留さんが嬉しそうに言ったのを覚えています。
あれからもう7年が経って、さすがに廃車にしたそうです。
 助手席に座った私は「乗り心地はどう?」と聞かれて、「軽トラよりも快適だけど、これだと廃品回収できませんね」と言うと、「そうなんだよ。だけどまだダンボールや鉄くず集めに来てくれって頼まれるからね、その時は伝(つたえ)さん家の軽トラ借りて、集めに行くんだ」と答えが返りました。
私の訪問時に偶々大留さんの廃品回収が重なって、何度かお手伝いした事がありました。
廃品回収で得る収益は、かつてこの地で起きた産業廃棄物処理場建設反対の裁判費用に使われるのです。
大留さんのあの軽トラは、充分働いて、天寿を全うしたという事なのでしょう。
●雫(しどけ)へ
 ビジネスホテル六角に着いて荷を置き、一休みして伝さんの家に行きました。
今回は大留さんから「伝さんのところに3人ばかり雫の人を集めておくから、みんなの話を聞いてやって」と言われていたのです。
雫も萱浜と同じく、津波の被害が大きかった地域です。
 伝さんからは以前に話をお聞きしていました。
庭木に掴まって津波にさらわれそうになるのを耐え、難を逃れたこと、そしてそれからの避難生活と、自宅を再建するまでの事をお聞きしていました。
伝さんが仮設住宅に入居中も、支援物資を届けに行った時に何度か顔を合わせていましたが、話をお聞きしたのは元の場所に建て直した新居に引っ越されてからのことでした。
●門馬美枝子さんの話
 伝さん夫妻と門馬美枝子さん(82歳)、横山ミツ子さん(87歳)が待っていてくれました。
 7年前のあの日、門馬さんは家の中にいました。
大きな揺れに驚き外に出て、少し揺れが収まった時に隣近所を回って声をかけ、互いに無事を確かめ合いました。
海の方に眼をやるとピカッと光り、そしてまっ黒い壁が見えたのです。
あ、津波だ!と、今度は「津波が来ッどぉ!」「こっちへ逃げろぉ!」とみんなにまた声をかけて走り、裏の少し小高い場所へと誘導したそうです。
「こっちからも津波がグルングルン黒い波がこんなして(注:と言いながら両手を大きく広げて巻き込むような仕草をして見せました)来るし、あっちからもグルングルンこうやって来るし、それがぶつかってドォ〜ンとでっかい壁になって、崩れて、今度は引いて行く時が凄いんだぁ!一気に早く凄い力なんだ!
家も車も巻き込んでさらって行っちまったよぉ。
引く時が凄いんだなぁ!
音も凄かったなぁ。
地震でこっちの鉄塔はグニヤァって倒れてて、あっちの鉄塔もドデ〜ンって倒れてて、『電線踏むなよぉ!踏むと感電すっどぉ‼︎』って言ってなぁ」
 現在82歳の門馬さんですから、被災時には75歳でした。
あの大地震と押し寄せる大津波を目前にして、近所の人たちの姿を確認しながら咄嗟の誘導、誰にでもできることではないと思いました。
門馬さんのお陰で、命拾いした人たちもきっと居ただろうと思います。
●産廃処理場反対運動の仲間たち
 お一人お一人の話をゆっくり聞きたいのですが、こうして集まるとなかなかそれは難しいことでした。
でもまた逆に、こうして集まっているからこそ出てくる話題や、日頃思っていても言葉にすることもなく胸に留めていることが、声に出して言葉にすることによって、確かな考えになってもいくのでしょう。
伝さんが言い出すと、みんな口々に相槌を打つのでした。
「やっと産廃が終わったと思ったら、2年して津波だ。原発事故だ。
止めるって言ったのはドイツだけだなぁ。こんな目にあっても再稼働するだなんて、とんでもねぇ話しでねぇか。命より金儲けが大事だなんて、とんでもねぇ話でねぇか」」
「んだなぁ」「んだよ。再稼働なんかとんでもねぇことだ」「汚染水海に流すなんて言わっち、とんでもねぇことだな」「んだなぁ。世界から恨まれっど」「再稼働なんかしちゃなんねぇ。孫の孫まで、バァちゃんなんで止めなかったって、言われっち」「んだよぉ」
 八十路を過ぎてこの人たちはもう、脱・反原発集会に参加することはないでしょう。
乞われれば署名はするでしょうが、自ら積極的に署名集めもしないでしょう。
でも選挙の時にはきっと、脱・反原発の立候補者に投票するでしょう。
 毎週金曜の脱・反原発集会の仲間の一人が、私にこう言ったことがありました。
「福島の人たち、なんで原発反対の声を上げないのかしら。被災当事者が反対の声をあげなきゃダメじゃない!」
でも私は逆に、そういう彼女に現地に行って生の声を聞いてほしいと思いました。
 また、こんなこともありました。
3・11後ボランティアで南相馬へ何度か入った男性で金曜官邸前デモの常連だった人ですが、2015年頃に南相馬に移住した人がいます。
介護ボランティアとして仮設住宅に通っていましたが、訪問先の「この人たちを官邸前の集会で発言させたい」という強い思いがあって、その思いがあまりにも強くてトラブルを起こしたと聞きました。
被災者の思いを逆撫でするような市民運動家の独りよがりは、困りものだと思います。
●地形のわずかな違いが明暗を分けた
 伝さんの家を辞して、門馬さんの自宅に案内してもらいました。
自宅の庭先に畑地が広がりますが、自宅の庭先は畑地よりもほんの1mほど高く位置しています。
玄関の前は道路で、敷地は道路よりも一段高くなっています。
津波は畑地を飲み込み、道路を遡ったと言いますから、本当に“奇跡的に”被害を免れたと言えるでしょう。
雫は津波被害が甚大だった地区ですが、地形のわずかな差が明暗を分けたのでした。
こうしたことも、実際のそこに行ってみてわかることです。
●小泉さんは脱原発を言うけれど
 ビジネスホテル六角に戻って夕食後に寛いでいると、映画ゴジラの主題曲を鳴り響かせて、「希望の牧場」の吉沢さんがやってきました。
駐車場に止めた吉沢さんの軽トラ荷台にはカウ・ゴジラが屹として立って、チカチカと電飾が輝いています。
伝さんの家で話に出た「産廃反対運動」の拠点がこのビジネスホテル六角ですが、反対運動の会長が大留さん、事務局長が元市長の桜井さん、宣伝部長が吉沢さんでした。
 吉沢さんは相変わらず元気いっぱいで、吉沢節が炸裂しました。
たくさんのおしゃべりの後で、吉沢さんに聞いてみたいことがありました。
元総理の小泉さんについてです。
私は小泉さんが脱原発を言い、そのために活動していることに賛意を抱いてはいます。
現役総理だった時代を含めて事故以前は原発を推進していた小泉さんが、誤りだったとはっきりと表明していることは、素晴らしいと思います。
間違いに気付いたら、自分は間違っていたと言葉にするのは当たり前のことではあっても、そうできる人はなかなか少ないですから、その点には好感を持ちます。
けれども、自衛隊をイラクに派兵したことや規制緩和を大々的に進めたことや、小泉さんがしたそれらを、私は許し難く思っています。
そんなこともあって私は小泉さんの脱原発を評価はしますが、だからと言ってとりたてて持ち上げる必要はないと思っています。
吉沢さんは、小泉さんをどう評価するのだろうと思ったのです。
「脱原発は、それはそれでいいでしょう。それだけだね、彼は策士だからね」
返事を聞いて、ああ、やっぱりと思うと同時にやっぱりモヤモヤした思いは消せません
 運動を進める時には、ワンイシューで纏まることはとても大事だとおもいます。
他の点での意見の違いによって運動を停滞させたり後退させたりは、避けるべきだと思います。
それは百も承知でありながら、それでも小泉さんを持ち上げる気にはなれない私です。
ワンイシューで纏まろうとする時に、足を引っ張ろうとする私ではないようにしたいと思いつつ、気持ちは乱れるのです。                             

いちえ

0件の読者の声 »

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

本の感想をお寄せください。

編集部で掲載の可否を判断させていただきます。
あらかじめご了承ください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)




TOPへ戻る