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2018年6月11日号「裁判傍聴 福島原発刑事訴訟第12〜14回公判」


 福島原発事故の刑事責任を問う裁判は、第12回公判が5月29日(火)に、第13回公判は5月30日(水)、第14回公判が6月1日に開かれました。
週に3日の公判でしたが、傍聴席には毎回福島からの方たちが多数詰めています。
私も可能な限り傍聴したいと思い、東京地裁に通っています。
公判ではこれまで隠されていた事実が、証人尋問で明らかになってきています。
今後の公判は、6月は13、15、20日の3回、7月は6、11、24、25、27日の5回が予定に組まれています。
8月は休みですが9月には再開され、結審は今秋の可能性もありそうです。
この裁判を、ぜひ注視してください。

◎第12回公判(5月29日)
 前回に引き続き東大名誉教授の島崎邦彦さんの証人尋問でした。
弁護側の岸秀光弁護士が、反対尋問をしました。
勝俣被告の弁護人である岸弁護士については前にもお伝えしましたが、質問の仕方がねちっこく、今回も地震本部での会議の様子を議事録の記載から細かく問いただそうとしていました。
★岸さんの質問
 長期評価(2002年)では、「三陸沖から房総沖の海溝よりのどこでも、マグニチュード8.2程度の地震が起こりうる」とまとめていますが、それまでには地震本部では専門家たちが様々な意見を出し合い議論して、最終的にそう評価したのです。
ところが岸さんは、議事録の中に「三陸沖よりもっと北の千島沖で発生した津波ではないか」「房総沖の津波地震は、もっと陸よりで起きたのではないか」などの専門家の意見があることを挙げて、長期評価は科学的に正解と言える評価ではないのではないかと質問しました。
★島崎さんの反論
 これに対して島崎さんは「専門家は自分の研究分野以外のことはよく知らないこともあるので、判らないからと遠慮するのではなく自由に活発に意見が出ることが大事だと考える。そういう雰囲気の中での専門家の議論は、右に行ったり左に行ったりしながら収束していく」と説明しました。
「文字に残すと荒い、雑駁で不用意な発言に見えますが、みんなの意見が出やすいようにしている。
1611年(慶長三陸沖)、1677年(延宝房総沖)、1896年(明治三陸沖)と、3回津波が起きたのは事実で、場所については議論が分かれるところもあったが、だからと言って長期評価から外してしまっては、防災に役立てられない」と反論しました。
★岸さんの質問
「証人は会合で、こう述べています。『やはり歴史地震の研究が不十分なところがあって、そこまではまだ研究が進んでいない。現在のことがわかっても昔のことがわからないと比較ができない』だから、証人自身も、地震計による観測がない1611年や1677年の歴史地震のことは、よくわからないと思っていたんじゃないですか?」
★島崎さん
 「歴史地震の研究は重要なのに、地震学者の間でさえその認識が行き渡っていないことが問題だという意味での発言で、『よくわからない』と『わからない』は違う。
震源域が図にかけるほどわかっているわけではないが、しかし全体的に見ていくと津波地震だ」
 島崎さんは本当にわかっていないことの事例として、天変地異を引き起こす巨大地震について説明しました。
ハルマゲドン地震と呼ばれますが、東北地方の日本海溝沿いでは、歴史上知られているよりもはるかに巨大な、陸地を一変させるようなハルマゲドン地震が起こる可能性があることは知られていました。
☆岸さんはこの日の反対尋問で「長期評価に信頼性はない」という被告側の主張を裏付けようとしたのですが、島崎さんの証言は岸さんの試みを跳ね返しました。

◎第13回公判(5月30日)
 第13回公判の証人は、元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣(つじよしのぶ)さんでした。
 都司さんは古文書を読み解いて歴史上の地震の様子を解き明かす「歴史地震」の第一人者です。
2002年に地震本部が発表した「三陸沖から房総沖までの日本海溝よりのどこでも津波地震は起こりうる」という長期評価をまとめた地震本部の海溝型分科会の一員でした。
 この日の公判は検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に都司さんが答える形で、長期評価がまとめられる過程で歴史地震研究が果たした役割を明らかにしていきました。
★都司さんの証言
 地震計を使っての近代的な地震観測が始まってから、まだ130年程しか経っていないから、古い時代に起きた地震を知るには古文書に書かれた記録や石碑に残る津波の跡を知ることが不可欠だ。
古文書に書かれた記述から、揺れの様子や津波の浸水域、被害の大きさを読み解き、地震学の科学的な知識と照らして、当時の地震の姿を解明するのが歴史地震学だ。
 毛筆で書かれた文章を読み、日本史の研究者とも協力して文書の内容を精査し、同時に津波の計算数値などの専門知識も生かして、古い時代の津波の姿を解明してきた。
そうして解ってきた地震の法則性を防災に生かすことができる。
 地震の記録が豊富に残っているのは約400年程前からで、江戸時代になってからのことだ。
幕府の支配で戦乱が起こらず古文書が散逸しなかったことと、江戸時代には寺子屋教育などによって識字率が高く、字を書く人が少なくなかった。
代官所、庄屋、商人、寺社などに記録が残っている。
 長期評価をまとめた海溝型分科会の専門家の間でも、歴史地震の知識は限られている人が多かったが、過去の地震について最新の研究成果をメンバーに提起して議論を重ねるうちに、意見は収束して1611年の慶長三陸沖、1677年の延宝房総沖、1896年の明治三陸沖は地震津波であるという結論に至った。
 1677年の地震は津波地震であることは、はっきりしている。
津波が広範囲で仙台の近くから八丈島まで到達したという記録があるので、陸地近くで起きた地震ということでは説明できない。
 まず古文書から福島県から千葉県沿岸の村の建物被害の記述を選び出し、当時の建物棟数と比べて被害率を計算する。
建物被害率が50%以上を浸水の深さ2mと算定し、村の標高を勘案して各地に到来した津波の高さを求めた。
その結果浸水の高さは千葉県沿岸で3~8m、茨城県沿岸で4.5~6m、福島県沿岸で3.5~7mと推定され、1677年の延宝房総沖地震は、従来考えられていたより高い津波をもたらしていたことが判った。
 調査の結果を生かして、茨城県は2007年に津波想定を見直した。
茨城県東海村の日本電源東海第二原発では、予想津波高が5.72mとなり、日本電源が2002年に土木学会の手法で想定していた4.86mを上回った。
このために日本電源は海辺の側壁を1.2m嵩上げする工事を始め、工事が終了したのは東日本大震災のわずか2日前だった。
襲来した津波は、嵩上げ前の側壁の高さを40cm上回っていたから、工事が終わっていなければ非常用発電機が動かなくなるところだった。
 歴史地震の研究成果が、東海第二を救ったと言える。
そして一方で東電は、歴史地震の成果を取り込んだ長期評価を無視しして大事故を引き起こした。

☆長期評価を生かして対策を採ったから大事故に至らずに済んだ原発(日本電源東海第二原発)もあったのに、長期評価を無視して対策を怠った東電の責任を、強く強く思いました。
 都司さんの証言はとても判りやすく、検察官役の久保内弁護士が古文書の解読について証言を求めた時には「古文書の8割以上は読み解けます。中にはどうしても読み取れない崩し字のようなものもありますが、前後の関係から内容は判ります」と答える様子など、研究への喜びが体にあふれているように思えました。

◎第14回公判(6月1日)
 この日の証人も前回に続き都司さんで、被告側弁護士の岸さんが反対尋問をしました。
★岸さん
 証人自身が1611年の慶長三陸沖は正断層地震と言ったり、海底地滑りでは?と考えていた時もあったようだが、現在は津波地震と言っている。
証人にもはっきりと確信が持てていないのではないのか?
計測できる地震計もなかった時代の、歴史地震研究は不確かなものではないのか?
★都司さん
 1611年の大津波は正断層地震や海底地滑りが引き起こしたと考えた時期もあったが、現在は津波地震だと考えている。
そのように迷ったのは、古文書の『宮古由来記』にあった僧の行動が原因だ。
1611年10月28日の午後2寺頃、宮古の常安寺の僧が法事のために寺から1キロ離れた家にいた時に、海の沖の方からポキンッと大きな音が聞こえて異常を感じ、急いで寺へ帰ったがそこで大津波に襲われて、高所に逃げて助かった。
この時の津波で宮古の中心街はほとんど壊滅し、民家1100戸のうち残ったものは6軒のみで、水死者110名だったと『宮古由来記』に記されている。
 正断層型地震の昭和三陸沖(1933年)の時にも大きな音の報告があり、それは太平洋プレートが日本海溝付近でポキンッと折れることによって生じるので、音は正断層型地震の特徴だ。
『宮古由来記』に記述されてあった僧が聞いた大きな音ということから正断層型と思った時期もあったが、もし正断層型だったら揺れによる被害も古文書に残されているはずなのに、多くの文献を読み直しても陸上での被害が全く見当たらず、陸上での被害がないのは津波地震の特徴だ。
古い文献には地震の揺れによる被害の記録がなかった。
 1998年にパプアニューギニアで海底地滑りが大きな津波を引き起こし、この時にも海で大きな音がしたという証言があったことから、1611年も地滑り説も考えたが、もしそうなら津波が明治三陸沖よりも広範囲を襲ったことと矛盾すると考えた。
そうしたことから、津波地震である可能性が最も高いという結論が導き出された。
いろいろな情報が入ってくるごとに、自然科学の研究者は過去の考えを改めることはあり、考えが変わらないことのほうがおかしい。
★岸さん
「地震の起きている場所が日本海溝よりも陸地によっているように見えるが?」と、2003年の渡邊偉夫氏の論文を示して質問。
この論文は、機械でしか観測できないような小さな地震も含めて津波地震が福島沖を含む日本海溝沿いにずらりと並んでいることを図示したもの。
★都司さん
 まだ全国に数台しか地震計がなかった明治時代の観測記録も含まれていて、一の精度の悪いものも入っている。
★岸さん
 なぜ精度が悪い論文を、法廷に出してきたのか?
★都司さん
 精度が悪いことと、全く情報がないことは違う。
ぼんやりではあっても、そこから一定の情報は引き出せる。
曖昧さが含まれているなら、全部消してしまえということにはならない。

☆岸さんは、まるで揚げ足取りのように証人の言葉尻を捉えて証言は矛盾していると言いくるめようとしましたが、その度に証人の反論は一層鮮明になったので、聞いていて私にも長期評価の正当性が尚よく理解できました。
都司さんの歴史地震の講義を受けているようにも思えて、とても勉強になりました。
 明後日12日は第15回公判、翌13日に第16回公判が開かれます。
私は11日一泊入院なので12日は傍聴できませんが、13日にはまた傍聴に行く予定です。                             

いちえ

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