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2018年6月7日号「5月11日安保法制違憲訴訟 国賠請求裁判傍聴記③」


◎原告本人尋問
 尋問なので代理人弁護士、国側代理人、裁判官からの質問に原告が答える形で進められますが、それに対する原告本人の返答のみを記します。
法廷で書き留めたメモからなので、字句はそのままではない事をお断りしておきます。
●原告本人:井筒高雄さん(元自衛官)
 自衛隊に入隊したのは、高校時代から陸上の長距離が得意で選手として続けたく思い、自衛隊体育学校に入校しようと思った。
そのためには自衛隊一般部隊に入ってから入校するのだが、入校が叶わずレインジャー教育を受けることとなった。
 一人で数人分の働きをするのがレインジャー部隊で、一ヶ月半の基礎訓練の後で東富士演習所で射撃訓練、生存自活訓練を受けた。
生存自活訓練は食料を持たずに野外で生きるための訓練で、そこで手に入る野生の草木やカエルやトカゲなどの生物を火を使わずにそのまま食べ、水も浄化されていない自然水で生き延びる訓練だ。
そこでは様々な訓練をされる。
橋桁爆破の爆発物の作り方や、上官がマシンガンを撃つ中を匍匐前進する訓練、自分が捕虜になった時に口を割らない、また逆に捕虜にした者の口を割らせるにはどうするかなども訓練された。
レインジャー特有のこうした教育には、自由や人権はない。
 定年までいるつもりだったが、三等陸曹だった1992年PKO法ができて辞めようと思った。
敵が攻めてきた時の訓練しか受けていず、PKOという不完全な法の下では無理だと思ったことと、レインジャーの先輩が訓練中の戦車に轢かれて死んだことも原因の一つだ。
依頼退職後に社会人入試で大学に入り、高校の教員を目指した。
 阪神淡路の震災が起きた時にボランティア活動に関わった後、加古川市議を2期8年務めた。
議員を辞めた後で派遣社員として働いていた2014年に、議員時代の同僚から「赤旗」の取材を受けたが、それがきっかけとなって取材や講演が続いた。
 国会議員が、戦争のリアルを知らない。
9条がある中で不完全なPKO法が施行され、イラクや南スーダンに自衛隊は派遣された。
そこは国内の訓練とは違う現場で、隊員の士気は下がることはあっても上がることはない現場だ。
2004年のイラク戦争をしっかり検証して議論していれば、安保法制は成立しなかっただろう。
自衛隊は世界中、何処へでも行けることになり、同盟国が攻撃を受けたときには、日本は当事国になる。
そして自衛隊の訓練方法も変わった。
仲間がやられたらそれを見捨てても攻撃を続けるし、敵との距離が数10mの市街地で一発必中で殺すか足を狙って捕虜とするかなど。
 自衛隊員の家族から相談を受けることや、本人から相談を受けることもある。自分が25年前に依頼退職した時よりも一層、自衛隊員の命は軽んじられている。
医療衛生兵ができることは包帯で止血ができるだけで、装甲救急車も配置されない。
駆けつけ警護という言葉での派遣も、あってはならないことだ。
 20歳と14歳の娘がいるが、彼女らもいずれ結婚して子供を産むだろう。
戦後70年平和国家だったが、これからは日本社会がどうなるか、海外で自衛隊が戦闘行動をするようになる。
専守防衛の設計で組まれた予算は、海外で戦闘になれば戦争の財政予算を組むようになり、本来なら教育、福祉に回す予算が軍事に回される。
9条を変えさせる安保法制が成立し、こんな法律で自衛隊員や家族を悲惨な目にあわせたくない。
2人の娘の親として戦争へつながる安保法制には反対で、違憲であると考える。
学校教育で学んだ三権分立が、真っ当に機能することを望む。
●原告本人:常盤達雄さん(鉄道員)
 JR東日本勤務で、一般の駅員の業務に就ている。
自宅は自衛隊通信所まで1.5Km、米軍基地まで4Kmで、横田基地は在日米軍総司令部の基地だ。
重要施設だが警備が薄い。
 駐留軍物資輸送、燃料輸送は現在週に2〜4回行っていて、横田基地は輸送の拠点だ。
有事になれば鉄道が使われ、「優先的に動かせ」ということになる。
戦争中は鉄道員に多くの死者が出たし、被害も多くあった。
現在勤務する管轄域では戦争末期1945年8月5日に、市民多数が犠牲になった湯の花トンネル銃撃があった。
 一般の人にはあまり知られていないが、戦傷病者は鉄道運賃後払いのシステムがあり、該当者は無料切符で鉄道利用できる。
恩給法によるものだが、36年前に入社して以来、毎日相当数を売った。
今はその切符を使う人も減っているが、再びが増えるようになって欲しくない。
 安保法制は憲法違反の法律であるということが、頭から離れない。
安保法制ができてから、毎日不安でならない。
陸上自衛隊基地があってもこれまではあまり不安を感じないできたが、今は日々不安を抱えるようになった。
戦争への不安、テロ攻撃への不安は、基地周辺の住民には重くのしかかる。
三権分立のこの国で、司法のきちんとした判断を望む。
●原告本人:堀尾輝久さん(教育学者、東大名誉教授)
 安保法制が成立して、日本がどこへ行くのか危惧の念を抱いた。
 軍国少年として育ち、戦後、平和の意味を考え法学部から教育学部に転じ、平和の意味を考え続けてきた。
15年戦争が始まった時に生まれたが、父は陸軍軍医で中国へ征き北支で戦死したため「誉れの子」「靖国の子」として育った。
その頃受けていた教育は、平和のために戦争をしているという教育だった。
だから軍医で戦病死だった父の死についても、騎兵ではないから戦死ではなく戦病死だった。
戦争では、死にも序列がある。
 戦後になっての教育で、教科書の墨塗り体験がある。
教科書の墨塗り体験。この価値観の転換は、自分にとって非常に大きなこととなった。
『新しい憲法の話』という小さな冊子が配布されたが、素晴らしい言葉が書いてあるとは思っても、どこまでそれを信じていいか、簡単に大人の言葉が信じられなかった。
 1951年に大学に入学し平和憲法についても、日本がどこに向かうのか、時代や物事を疑い深く考えるようになっていた。
丸山真男の「日本のナショナリズムとファシズム」ゼミで学び、それは自分自身を、また時代を問い直す機会だった。
カントの「平和論」を読んで日本の憲法の芯だと感じ、教育哲学に進んだ。
憲法の成立過程を実証的に調べ、教育の目標は平和の文化を育てることだと確信した。
そして、平和の思想史、子どもの権利、現場の教師との取り組みを考えていった。
 現代をどう捉えるか、1945年を転換点としてそれ以前と以後で考えると、1945年に、戦争は悪であるとはっきりと認識された。
平和はユニバーサルなものと考えるようになった。
9条の成立過程の、歴史的研究を重ねた。
平和の思想史から考えて戦争は悪であり、原爆体験後の平和憲法であると確信した。
「押しつけ憲法」とか「押しつけられた惨めな憲法」などの論があるが、成立過程から言えば、幣原が提起したものだとマッカーサーの資料、憲法調査会資料にもある。
 集団的自衛権・安保法制強行採決によって、国民の精神的自由に大きな箍が嵌められた。
個人の尊厳・人格権の侵害であり、教育者の使命としてこれに反対する。
 この裁判は、非常に大きな意味を持つ。

◎閉廷後の報告集会
 傍聴できなかった人たちも参加しての報告集会では、原告代理人弁護士、原告本人から、法廷での証言が短く話されました。
また安保法制違憲訴訟は全国各地で取り組まれていますが、地方で闘っている弁護士の方たちも口頭弁論を傍聴されていて、その感想などを述べられました。
長くなりましたが、5月11日の裁判傍聴記を終わります。
長文を御読みくださって、ありがとうございました。             

いちえ

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