HOME » 一枝通信»2018年7月31日号「7月30日南相馬」

2018年7月31日号「7月30日南相馬」


 久しぶりの南相馬です。
今回は原町区馬場の羽根田ヨシさんを再訪することと、寺内塚合仮設住宅の談話室に行って天野さんたちに会うことが目的です。
前回が5月の連休明けでしたから、あれから2ヶ月半もの時が経っていました。
6月は私が眼瞼下垂の手術を受け、その予後があまり芳しく回復せずにいて病院通いが続いていました。
7月も最終になって、ようやく身動きとれる様になったのです。
●まずは椏久里へ
 朝の新幹線で福島駅に着いたのは10時少し前、まずは椏久里へ向かいました。
椏久里のトーストとコーヒーで早お昼を済ませて、11時半のバスで南相馬へ向かうのです。
これが大抵いつもの私の流儀。
お店のドアを開けて入ると、奥で商品のラッピングをしていた秀耕さんが「ひさしぶりですね。これから?」と顔をあげ、そして「原発の刑事裁判の記録を読んでいますよ」と言ってくださいました。
「一枝通信」のことなのですが、いつも長くなってしまう通信を読んでくださっているという言葉に励まされます。
 美由紀さんも奥の工房から顔を出して、「あら、いらっしゃい。これからでしょう?11時半のバスね?その前に仕事が終わるから送っていきますよ。それまでごゆっくりね」と言って、また仕事に戻りました。
 ほどなく、注文したトーストとコーヒーが運ばれてきました。
縦に三つに切り分けた1枚の厚切りのバタートーストは、まん中の一つにブルーベリージャムと苺ジャムがひと匙ずつほど載せてあります。
それに今日は、中深煎りのブルーマウンテンをお願いしました。
しみじみと、「おいしいなぁ」と味わいながらゆっくりいただきました。
人様に手をかけてもらった食べ物を、こんな風に寛いで頂ける幸せを感じながら。
こんな気持ちを味わえるのも、大きなご馳走です。
 美由紀さんの車で駅まで送っていただく途中で、美由紀さんは言いました。
「この間飯舘村の家に帰って、初めて一泊したの。眠れなかった。今年も畑のブルーベリー測ってもらったら、5ベクレルだった。下がっているけれど、でも食べられないし使えない」
政府が言うのは100ベクレルですから、5ベクレルなら…とも思いますが、この数値を良しとしないのが美由紀さんの矜持であり、そんな美由紀さんに私は尊敬の念を抱き拍手を送ります。
 通りに面して「浜焼き」と看板のかかった店を指して、美由紀さんが言いました。
「このお店ね、飯舘の子が始めた店なの。開店するからって店に挨拶に来てくれたので、行ってみたの。20代の子だけど、しっかり頑張っているから応援しようと思ってる。
若い人たちはこうして新しい生き方を見つけて頑張っているけど、50代60代が揺れていてなかなか踏ん切りがつかないのね」
ああ、そうなのだろうなぁと思いながら聞きました。
年代的にもそうなのでしょうが、根本原因が“放射能災害”で、それに関して政府の出す情報に信頼がおけないとなれば、若くもない老齢でもない年代には、なお一層「踏ん切りをつける」のは難しいだろうと思えました。
こんな風に人生を中途半端にさせてしまったことも、原発事故の大きな罪だと思えます。
●バスの車窓から
 西の地方では各地で集中豪雨の被害が出て、また今回の台風でも雨がだいぶ降ったようですが、福島の中通り地方では、雨は然程でなかったのでしょうか。
渡利大橋の下を流れる阿武隈川は水量も少ないようで、水辺にはアオサギ、小鷺が数羽いました。
川べりには葛の葉が生い茂り、山の道に差し掛かれば木々の緑にむせかえるようでした。
花の終わったネムノキに「ああ、今年は合歓の花を見なかった」と、大切なことを落としてしまったように思いました。
 川俣の飯舘村の3小学校の仮設校舎が在った場所からは仮設校舎は跡形もなく消えて、そこは何もない更地になっていました。
幼・小・中一貫校となった村の新しい校舎を、思い浮かべます。
子どもたちは、どんな夏休みを過ごしているのだろう?
 飯舘村道の駅でトイレ休憩をして、バスは柳沢トンネルと抜けて南相馬へ入りました。
今日は相馬野馬追の最終日ですが、大原の村上さんの家は無人のままでした。
2012年の野馬追いの日、早朝に村上さんの家を訪ね村上さんと息子さんの二人の出陣の支度からを拝見し、出陣式を見送ったのでした。
あの年は村上さんが中之郷の侍大将で、雲雀が原の神旗争奪戦では息子さんが旗を獲ったのでした。
●懐かしい顔
 バスは、終点の東北アクセス本社前に着きました。
大留さんが迎えに来てくれているはずなのに、車が見当たりません。
バスの到着が少し早かったからと思ってベンチに掛けて待とうとしたら、駐車場から降りてきた車があって、後部座席に大留さんが座っています。
あれ?と思って運転席と助手席を見たら、なんと荒川さん夫妻でした。
陽子さんが運転して、登さんが助手席にいたのでした。
 荒川さんは六角支援隊で大留さんの片腕となって活動していた人で、私もずいぶんお世話になりました。
「わぁ、久しぶり!なん年ぶりかしら?」と言うと、「4年ぶり」と答えが返りました。
そんなに長い日が経っていたのだと、改めて震災からの年月を思いました。
 荒川さんは原町区小浜の自宅が津波で半壊し、原町の借上げ住宅に住みながら六角支援隊でのボランティア活動に中心的に関わっていました。
六角支援隊では支援物資配給、イベント開催、ビニールハウスや畑の提供、試験田での米つくりなどをやってきましたが、避難指示が解除されてきてボツボツと仮設住宅を出る人たちが見られるようになった2014年春、六角支援隊としての活動は閉じたのでした。
 その頃荒川さんも仙台市に新居を建てて、転居したのです。
前述した相馬野馬追で大原の村上さんの出陣式を見送ったのも、陽子さんの導きによってでした。
陽子さんは、村上さんの中学時代の同級生だったのです。
●羽根田ヨシさん
 羽根田さんは鹿島区の借上げ住宅にいた頃、六角支援隊が提供した畑を使っていた一人です。
被災前には、品評会で何度か賞を取ったことのあるかぼちゃ作り名人の羽根田さんは、六角支援隊の畑でも、かぼちゃを作っていました。
飯舘村の渡邊とみ子さんの「いいたて雪っ娘」かぼちゃの記事を雑誌「家の光」で読んで、とみ子さんに連絡をして種を入手して「いいたて雪っ娘」や、他にもいろいろな野菜を作っていました。
荒川さんと一緒に羽根田さんの住むアパートを訪ねると、自分の作った野菜での数々の手料理で歓待してくれて、そのお料理がまたどれも美味しくて、荒川さんと私は羽根田さんにつくり方を教えてもらったりもしていたのでした。
 そして今日は、荒川さんも一緒に羽根田さんの自宅を訪ねたのでした。
前回5月の連休明けに訪ねた日は、ちょうど羽根田さんはデイサービスに通う日でしたから、ほんのご挨拶程度の訪問でした。
今日はゆっくりお邪魔して、みんなで話が盛り上がりました。
 羽根田さんは被災前からずっと詩吟の教室に通っていて、借上げ住宅にいた頃も教室のある日には毎週、鹿島区から原町まで通っていたのです。
また借上げ住宅のアパートでは声を出せないからと、まだ他の人が来ない朝早くに六角
支援隊の畑に来て、そこで詩吟を歌っていたのでした。
そんな話が出た後で大留さんが、「詩吟を聞かせて」と言うと、「一つやりましょうか」と言って、羽根田さんは詩吟を語ってくれました。
詩吟特有の言葉なので私にはしっかり聞き取れなかったのですが、その後でもう一曲(詩吟は曲と呼ぶのでしょうか?それとも違う言い方をするのでしょうか?)「白虎隊」を語ってくれました。
これは私にも内容が聞き取れました。
朗々と語る羽根田さんは、素敵でした。
 羽根田さんからは、羽根田カンボス彗星を発見した叔父さんのことや、ヒノキの植林の話、子どもの頃のことや、詳しく聞きたいことが山のようにありました。
ヨシさん一代記をお聞きしたいと思っていました。
 その羽根田さんは、「私の投稿が、今日の新聞に載ったのです」と言って「福島民友」を見せてくれたのですが、新聞の「窓」という投書欄に「感謝をしながら90歳の坂を上る 南相馬市 羽根田ヨシ88」という投稿を見せてくれました。
投稿が好きで、時々投稿しては掲載されているというのです。
そしてまた、折々に書きためた自分史の束を見せてくれたのです。
 書くことが好き、読むことも好き、関心があることにはすぐに行動に移し、詩吟や書道と趣味も多彩なヨシさんから、私は今日、そのご自分で書かれた自分史の束をお借りしてきました。
帰宅してゆっくり読ませていただこうと思います。
 震災の年の夏から南相馬に通い、こうして野に在る素晴らしい先輩たちに出会えたことが、私には大きな喜びでもあります。
ヨシさんのことはまたいつか改めてお伝えしたいです。
●また懐かしい人に
 羽根田さんのお宅を辞して、宮ちゃん(高橋宮子さん)の家に向かいましたが、ちょうど途中には鈴木時子さんの家があるのです。
時子さんの家にも寄りました。
時子さんもまた六角支援隊で陽子さんとともに、大留さんの片腕になって動いていた人です。
いわば六角支援隊の司令塔が大留さんで、時子さんと陽子さんが実質的に活動の中心になっていたのです。
 時子さんもご夫婦で在宅で、まるで今日は同窓会のようでした。
●宮ちゃん
 宮ちゃんも元気にしていて、部屋の天井からはみやちゃん手作りの飾り物が下がってっていて、「ここでな、夏祭りをしようと思ってんの。10人くらい呼んでな。そん時に市長さんもご招待しようと思ってんのよ」と言います。
昨年の選挙で前市長の桜井さんが負けて、自公が推した候補が新市長になりました。
その人の評判の悪いこと、悪いこと!
「自分で票入れた人たちからも文句が出てるんだよ」と言われているのです。
 宮ちゃんの招待に市長が応じるかどうかは判りませんが、荒川さんも大留さんも私も、「もし市長が来たら、要望をしっかり伝えた方が良いよ」と言いました。
きっと宮ちゃんのことですから、先刻そのつもりではいるのでしょう。

 久しぶりに懐かしい人たちに会えて、またあった人たちが皆元気で、嬉しいことで
した。                          

いちえ

0件の読者の声 »

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

本の感想をお寄せください。

編集部で掲載の可否を判断させていただきます。
あらかじめご了承ください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)




TOPへ戻る