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2019年7月19日号「7月9日裁判傍聴報告①」


 7月9日は、「子ども脱被ばく裁判」の第20回口頭弁論期日でした。
裁判は福島地裁で14:30〜ですが、それ以前に福島市民会館で集会が持たれました。
◎当日プログラム
11:00 開会挨拶・署名報告
11:10 報告⑴ ヨーロッパ巡回講演報告:横田麻美さん
11:50 報告⑵モニタリングポスト継続配置を求める活動報告:片岡輝美さん
12:30 昼食と休憩
13:15 地裁へ移動開始
13:45 地裁前集会
14:00 傍聴券配布
14:30 開廷・意見陳述
16:00 記者会見
16:15 本日の裁判と今後について意見交換
16:45 閉会の挨拶
●駅頭のビラ撒き
 脱被ばく実現ネットの仲間たちと東京駅発8:08の新幹線で、9:46福島駅着。
仲間たちと一緒に、東口の駅頭で裁判支援のビラ撒きをしました。
前回の裁判のときの集会で「私は初めて参加しましたが、駅前でこのビラを頂いて『あ、私はこれに行かなければ!』と思って参加させていただきました。孫が健康調査で甲状腺に嚢胞が見つかりました。……」と発言した女性がいました。
その言葉に励まされた思いを抱いたのでした。
この日も、その言葉を思い起こしながらビラ撒きをしましたが、やはり嬉しいことがありました。
 「おはようございます。どうぞ読んでください」と声をかけながらビラを渡すと「これから行きますよ。ご苦労様です」と答えて受け取ってくださった方が一人、また「ありがとうございます。市民会館に行く“ももりん(市内循環バス)”の乗り場はどこですか」と尋ねてくださった方も一人いらっしゃいました。
お二人にはその後で会場の市民会館でまたお会いし、会釈を交わしました。
お二人とも仙台からの参加者でした。

◎市民会館で
 「子ども脱被ばく裁判」代表の水戸喜世子さんの司会で、集会は進められました。
「横浜で園児が二人、白血病で亡くなったという記事が出ました。
フレコンバックが埋めっ放しになっている所が何十ヶ所もあると聞きました。
子どもをめぐる状況が、本当に日々厳しくなっている中での私たちのこの裁判は、放射能だけをテーマにして、子どもたちを本気で守ろうという私たちの裁判です。
実質審議が終わって、次からは尋問に入ります。
そのためには10人くらい証人を呼ぶために、お金と滞在費が必要です。
計算すると100万円くらいになりますが、私たちの財政ではとても出しきれないので大々的に100万円カンパとして募金集めをやろうと思っています。
どうぞ、お友達にも呼びかけてご協力をお願いします。
 早速、集会を進めます。
報告者の横田さんと片岡さんをご紹介します。
 横田さんの息子さんは、事故直後は中学2年生でした。
この年齢は多感で感受性が強い頃ですが、その息子さんが震災直後に苦労して保養に行ったりしながら2年経って、母親と別れて単身北海道へ避難して、落ち着かれたのだと思います。
その2年間の期間がフランスで本になって、その本はフランスで必読図書のようになっています。
 この春には横田さんがフランスに行って講演をしてきました。
その報告をしていただきます。
 引き続いてご紹介しますが、片岡さんです。
皆さんもご存知と思いますがモニタリングポストを福島から撤去するという話が出て、本当に私たちは驚きました。
撤去反対に最初に動き始めたのは会津だと思いますが、反対運動は福島全土に広がり、市民の力で撤去させず存続させることになりました。
その中心になって頑張ってきたお一人が片岡さんです。
片岡さんからは、モニタリングポスト撤去反対運動の経過をお聞きしたいと思います。

●横田麻美さんの報告
①ここまでの経緯
 このような機会を頂いて、ありがとうございます。
3月11日に絡んで、3月10日から約1ヶ月間フランスとイギリスを回ってきました。
講演の数は小学校から大学まで、また市民団体など含めて1日に三講演などハードな日もありましたが、25講演をしてきました。
 水戸さんから今お話にあったように、息子は2013年、中学校を卒業した後に単独避難しました。
それをフランス在住の杉田くるみさんに話したらとても興味を持って下さって、普通にキオスクなどで売られている「TOPO」という雑誌ですが、社会問題などがとても優しく解るように書かれていて学校などで指定図書のように描かれている漫画の本になりました。(フランスの雑誌の実物を、見せてくださいました)
 「TOPO」が今年の1月に発売され、漫画を通して次世代の子どもたちに原発事故のこと、福島のこと、また息子のように自分で判断して決断することの大切さを伝えるということで、お話してきました。
息子だけを避難させ自身は福島に残った私と、大阪に母子避難したお母さんである森松明希子さんとのクロス証言と言う形での講演行脚でした。
 震災のこと、原発事故が起きてからのこと、生活のこと、息子の単独避難のこと、この裁判のことなど、8年が過ぎての周りの暮らしの状況のことなどを話してきました。
次の世代の子どもたちには実際に息子の経緯を話し、自分で判断し決断する大切さを伝えたいと思いました。
②各地での講演と質問
 横田さんはスクリーンで講演先での写真を写しながら、各地での講演の様子を話してくれました。
自分が話したことばかりでなく、どんな質問があったかをも伝えてくれました。
「放射能は移るのか?」というごく初歩的なものや、「放射線量が低い場所のすぐ近くに高線量の高いホットスポットがあるのは何故か?」「なぜ避難するのにペットを連れていけないのか?」などなどで、これらの質問には横田さんと森松さんが分担して答えたそうです。
 フランスは原発を是として進めている国ですから、やはり「安心・安全」の刷り込みはあるようで、中には「日本は地震があるから事故が起きたが、フランスは地震がないから大丈夫」という意見もあったそうです。
またリヨンに行く途中で、ビュジェ原発から19Kmの村で話した時には、「ビュジェで事故が起きたら500万人近い人を避難させないといけないが、どう思うか?」という難しい質問もあったと言います。
 リヨンへは電車で移動したそうですが、車窓から見えたビュジェ原発の写真を映しながら話してくれました。
真青な空、緑の畑、勢い良く白煙を吹き上げる原発、胸が痛い風景でした。
③ブルーノさんの話
 クリセットという街の市民測定所を訪ね、ブルーノさんから話を聞きました。
ブルーノさんは2011年5月下旬に福島に入り、取材・測定をしてきたことを話してくれました。
「事故後2ヶ月の福島で、子ども達が普通に通学している様子を見て非常に悲しい思いがし、また、とても残念だった。
飯舘では100万単位のベクレルが観測された。
 事故から2週間後の3月28日には、フランスでも福島原発事故由来の放射性物質が観測された。
このクリケット測定所の屋根の上の測定器で、ヨード131が観測された。
フランスではあの事故後にも食品検査をしていたが、その際に出荷停止にはならなかったが、牛よりも羊の方が高い濃度が検出された。
牛はこの季節は前年の枯れ草を飼料にしているが、羊は放牧して外の草を食べていたので、その点からも福島原発由来の放射性物資がわずか10日くらいでフランスにも飛来していたと考えられる。
 日本の見識の甘さを、非常に残念に思う。
子ども達に健康被害が出てくるだろうということにとても心が痛む。(と、何度も繰り返したそうです)」
④立場の違いを感じたこと
 一緒に行った森松さんとは面識があり、これまでにも何度か話を交わしたこともありましたが、避難した人と現地に留まった自分との意識の違いに気がつきました。
これについては互いに「違うな」ということを、これまでも気にしてはいたのですが、これまでの経緯を互いに話さずに過ぎていて、今回ずっと一緒に旅をする中で話ができました。
 そして最初の講演をした夜に、論争になりました。
それは言葉の使い方についてですが、事故後「汚染水を飲まされた」と、彼女は言いますが、水道水が汚染されたことは知っていたそうなので、無理やり飲まされてのではなく知っていて飲んだのではないかと思い、その言葉にひっかかりました。
また、帰還施策について「強制送還」という言葉を使っていたことにも私は疑問を持ちました。
不本意ながら帰還する人もいますが、その場合にも「強制送還」という言葉で良いのかについて私は、なんとも言い表せない思いを抱き、何か納得できませんでした。
決して森松さんを非難するつもりではありませんが、今も現地に住み続けている者の立場からは、「ハッ?」という感じがするのです。

 原発事故がらみの講演は、活動していたり興味ある人を対象にすることが多いのですが、今回は学校訪問など興味の有る無しに関わらず、多くの人に知ってもらえたのは画期的なことだと思いました。
 原発のある国フランスに行ったので、フランスの人たちの思いも聞ければよかったですが、その時間はなく伝えるばかりだったのが残念でした。
日本でも、被ばく回避のために母子避難など家族離散のことなど、衝撃の大きいそのような話が語られることが多いと思いますが、福島に留まって生活をしている者として話をし、知ってもらえたことはよかったと思いました。
福島に住んでいる人の方が多いので、福島居住の多くの母親達の声を、放射能や被ばくに対して気にしながら暮らしているこのような人たちの声を届けることも大事だと思いました。
同時に、福島と同じような事故が他所で起きたら、どうすれば良いかが伝えられたらよかったと思いました。
顔を合わせて話をすることで、他人事を自分事として考えられる時間を持てたらと思います。
 今回、最後に講演をした図書館で、公演後に図書館の人が言った言葉が強く心に残りました。
それは、「原発事故を予防するには、原発を止めること!」という言葉でした。

●片岡輝美さんの報告
 リアルタイム線量測定システムを私たちはモニタリングポストと呼んでいますが、これは、原発事故、これを私は核事故と呼んでいますが、事故の後に文科省が、子ども達の環境数値を確認する為に設置したのが最初の目的でした。
その後、原子力規制委員会ができて、事業主はそちらに移りました。
 県で起きていることの特徴の一つが、核事故被害の「見えない化」「見せない化」が、ありとあらゆるところで進んでいて、モニタリングポスト撤去もその一つです。
2018年3月20日に原子力規制委員会が、リアルタイム線量測定システムの配置見直しという方針を出しました。
実はその前から少しずつ撤去は始まっていました。
会津若松でもたまたま1台在ったのを、住民が撤去しないで欲しいと止めた経過がありました。
幼稚園・保育園が閉園された場合や、閉校された学校の前にあるものなど、いろんな理由で撤去は進んでいましたが、3月20日の後に大量撤去の方針が判りました。
 最初に会津で1台が撤去されようとした時にそれを止めましたが、その時には「強制避難区域が解除されてそこに人々が戻っていくには、より安全を確認する必要があるからそこに移設する」といういかにも住民の心をくすぐるような説明がされました。
3月20日の方針発表の時にも、移設という理由でした。
2400台を撤去してほぼ浜通りに移設するなら、浜通りのありとあらゆる所がモニタリングポストだらけになるので、これはおかしいぞと思って規制委員会に情報開示を求めたら、そのような案はなく予算も付いていず、ただその方針があるというだけの話だと判りました。
規制委員会の発表が3月20日で、2020年までに3600台撤去するという理由は、除染が済んで既に放射線数値が低くなっているということでした。
 けれども住民説明会の交渉で、本当の理由が判ってきました。
復興庁が2020年末で終わるので、それに合わせて予算も終わるからというのです。
要するに、予算の終わりがモニタリングポスト撤去で、1次年間6億円の予算が無くなるからという理由でした。
 「モニタリングポスの継続配置を求める市民の会」を3月末に立ち上げて、私が共同代表の一人です。
浜通り、中通り、会津地方から1人ずつ代表を出して3人の代表で、住民の中から撤去はおかしいと意識を持って声をあげる人が集まっています。
女性たちで、実質活動は10人くらいがメンバーになっています。
 「誰でもいつでも日々の数値を目視できる唯一の情報が、モニタリングポストにあるのだ」ということを話し、つまり私たちには「知る権利」があるということです。
モニタリングポストの数値に関して問題はありましたが、子どもの安全を確保するためには、せめてそこにモニタリングポストが存在していることが大切だと考えました。
また、撤去か継続かの判断は、私たちにあるということです。
当事者抜きで話をするな、ということです。
無用な被ばくを強いられながら県内に住み続けている人間にとって、それを継続するか撤去するかの決定権は、私たちにあるということを訴えています。
 原子力規制庁との最初の交渉は4月16日で、国との交渉だけでなく、各自治体の住民たち特に母親たちが自分たちの首長の所へ訴えに行きました。
赤ちゃんを連れたり、子連れで申し入れに行き、このように住民の動きが大きくなったので、メディアも継続配置を求める市民の声ということで動くようになりました。
「可視化されることが安心に繋がった」「福島には在って当然」という意見が出され、メディアでは県民世論調査が始まりました。
昨年7月2日の「福島民報」では、撤去反対が45、9%との記事を載せ、その12日後の民報はまた一面で取り上げました。
そこには県内59市町村中、25市町村が撤去に反対とあり、同じ紙面で市町村だけではなく反対している議会もあり、11の市町村議会が意見書を出したとありました。
このように住民の声が上がる中で、住民の声が後押しした形で規制庁も動かざるを得なくなり、8月24日には2019年度も同額の維持費を要求を出しました。
その後NHKの取材がまとめたところでは、撤去に賛成は2つの村だけとなり、更に冬になった時には県の市議会議長会でも継続の声を上げました。
12月7日の第3回規制庁交渉では、皆さんから寄せられた35,000筆の署名も併せて届けました。
 2018年の6月から11月までの間に住民説明会は18回(いわき市と福島市では複数回)行われた中で、ほとんどが撤去反対の住民の声でした。
その結果、規制庁は住民説明会の目的を達成できませんでした。
規制庁のそもそもの目的は撤去を納得してもらうことでしたが、途中からその目的を住民の声を聞くという方向に変更せざるを得なくなりました。
第3回の交渉時に、「当初の目的を達成できましたか」と聞くと「できませんでした」と答えたので、「どのように変更したのですか」と尋ねたら、「住民の声を聞くというように変更しました」と認めたのです。
 2019年2月28日の朝日新聞では、撤去に反対が56%の数字が上がっていました。
この紙面では、浜通り56%、中通り58%、会津51%とあり、県民が一様にこの問題を意識していることが判ります。
 住民説明会は、原発から一番遠い只見町から始まりました。
遠いところから攻めてくるな、と私たちは思いました。
規制庁は、そこなら撤去しても良いという声が上がると思ったのでしょう。
ところが只見での住民説明会では、「私たちは柏崎刈羽原発から半径60〜80km圏内に居て、そこで何かあった時には自分たちがどういう行動をとるべきかはモニタリングポストにかかっている」という声が上がったのです。
 私はそれを聞いて、本当に申し訳なく思いました。
それまでは自分の感覚中心に考えていましたが、そうではなくてモニタリングポストは県民全体に必要であることを改めて気づかされ、また、それなら全国各地に原発があるのだから、モニタリングポストは全国に必要なものだと、改めて知りました。
 昨年7月20日の第2回交渉はクローズドで行われ、私たちは5名、あちらは3名でした。
私たちは、「次に何かあった時にはモニタリングポストを見て自分たちで判断して行動を決めたい。その為にモニタリングポストは必要なのだ」と、改めて伝えました。
そして「不測の事態が起きるかもしれないということは、あり得ますよね?」と問うと、「あり得ます。原発はまだ落ち着いていない。廃炉作業もまだ途中だから」と、答えが返ったのです。
だからモニタリングポストは必要なのだと繰り返し伝えると、それに対しての答えは「次の緊急時には勝手に避難しないでください」というのです。
その答えに呆れて「なぜか?」と問うと、「いま福島県とは前回のことを教訓として正しい情報が出せるように情報網を構築している最中です。だから勝手にモニタリングポストを見に行かれると、その時点で無用な被ばくをすることになるので屋内退避をしていただきたい」と言うのです。
 それを聞いた時にはショックで返す言葉もなかったのですが、後からジワジワと怒りが湧いてきました。
原発事故が起きた時には、安定ヨウ素剤を飲んで一刻も早く避難しなければならないことは判っている筈なのに、それしか予防措置がないことは判っている筈なのに、住民たちにこんなことを言うのか!と信じられなかったです。
 7月27日の住民説明会では、思い切り爆発して住民から声が上がりましたが、それを聞いて担当官の一人は泣き出してしまいました。
規制庁側が泣いてしまったのですが、でもやはり向こうの言ってることが変なので私は思わず「泣くな!」と言ったのですが、すると「はい」と答えました。(会場から笑)
泣くのはずるいです。
 東海第二原発の再稼動を発表した時点で、「原発事故が起きても住民を安全に避難させることは到底無理」、つまり「できないことはしなくても良い」というように掏り替えが始まっていると思いました。
 その後規制委員長の更田氏は、「原発事故後1週間、100ミリシーベルト以下であれば避難は不要」と言いました。
いくつも重ねて、避難は必要ないということを言い始めたのです。
つまり、避難は不可能だから避難は不要と掏り替えるのです。
国民に避難をさせないし、国民を被ばくから守らないのです。
福島原発・核事故を経験していながら、彼らは何も学んでいないことが判りました。
 今年5月29日の第10回規制委員会で、モニタリングポストは当面存続すると発表しました。
最悪な結果を予想していたので、これを聞いた時は気が抜けて実感が沸きませんでしたが、翌日の福島民報、河北新報には、「市民の声が国を動かした」と、大きく報道されました。
何が国を動かしたかというと、普通の母親たちが立ち上がった、市長の顔も知らないお母さんたちが市長に会いに行き申し入れをするという、このことが規制委員会・規制庁にいくつもの声として届いていったことが事実です。
 6月12日には復興大臣が2020年以降も放射線の監視は必要だと言いました。
メディアには「(維持費に)6億円もかかっているなら、要らないんじゃないか」という声も上がっていたし、ある母親は「前は気にしていたけど、最近は気にしていなかった。でも、やっぱり必要だと思う」という声が挙がっていました。
 けれども一番賢かったのは、子どもたちです。
「みんなで考えたほうが良いと思う」と言いました。
 モニタリングポストは一応、当面の存続は決まりましたが住民たちにそれをフィードバックしていた時に、中学1年生の男の子が訪ねてきて言いました。
「僕はなんでモニタリングポストが無くなるのだろうと思っていました。僕は毎日見ていたんです。でも皆さんが頑張ってくれたので、撤去されないで済んだのですね。ありがとうございました」と言って、ぺこりと頭を下げたのです。
それを聞いて私は、涙が出ました。
当事者である子どもたちが危険を感じているのに、それをなかなか声に出せないでいる。
でも、こういうことをきっかけにして、私たちが意思疎通をしたり情報交換ができるようにしたいと思いました。
中学生の母親が、こう言いました。
「モニタリングポストは大人の知る権利を保障するだけでなく、子どもに知る権利も保障している。自分たちで確認することが、どれほど大切なことかと思った」
 その後も私たちは規制庁との交渉を予定していて、これは当面の存続とは関係なく、選挙前の6月17日には確実に押していこうと思っていました。
ところが存続となって大きく出だしが変わったのに、交渉にあたってみるとやっぱり相手との違いがいくつも挙がってきました。
 「モニタリングポストの配属の適正化」という言葉が出てきました。
それに対して「適正化ということは台数を減らすということではなく、住民の要望に応えた所に配属をし直すということですね」と問うと、竹山課長は「はい、その通りです」と答えたので、私たちはてっきり足りない場所に移設するのだと思ったら高山課長は、「いや、そんなことは答えていません。適正化というのはあくまでも企業主である規制委員会が、この範囲でだぶ(だぶってと言いかけて慌てて言葉を呑んで)、これだけのモニタリングポストが不要だと思ったら、自分たちは撤去できると考えています」と言いました。
“だぶって“と言いかけたのを見て、だぶついていたら撤去できると考えていることが判りました。
このことから、やっぱり住民の思いとは食い違っていることが判りました。
存続が決まった時に「私たちの声は届くんですね」と、何人ものお母さんたちが感激して、そのお母さんたちはその時の成功体験から“国に物申す”ことが始まったのはとても貴重な体験でしたが、やっぱり住民の思いと国側の考えとの違いはあります。
その他にも課長は、「みなさんは福島に住むことを選んでいるのですから」と言い、本当にいつも、私たちの心を逆なでするような言葉が出ています。
 更田委員長の発言に「心の問題」という言葉がありました。
「私たちの心に問題があるという意味か」と問うと、「そうではない」と取り繕いましたが、この問題がなぜ始まったかといえば、当事者である私たちを抜きにして規制庁が勝手に撤去しようとしたことから始まったのです。
つまりこれは、私たちの権利が犯されているということと、国が責任をとっていないことが問題なのです。
この件に関して、あの産経新聞でさえ、私たちに称賛の記事を書いてくれました。
「撤去方針を撤回せざるを得なかった規制委員会の誤りは、住民の心を想像できなかったこと」と。
 選挙が近いので私たちはいま、候補者たちに「あなたはモニタリングポストは、いつまで必要だと考えますか」「議員になったら、モニタリングポストの解消を変えるために尽力しますか」という質問を、答えは「ハイ」か「イイエ」しかありませんが、そんなアンケートをとっています。
 私たちは、科学者の言うことを信用しない市民というレッテルを貼られてきました。
それは安心安全キャンペーンによったのですが、それに裏打ちされていたのはパターナリズムだと思います。
パターナリズムというのは、強い立場の者が弱い立場の者の利益のためだと言って、本人の意思に関わらず支援することを言います。
福島県で起きているあらゆることが、パターナリズムだと思います。
 私たちは原発・核事故の被害の可視化をしていくこと、権利の回復を求めていくことが大切だと思います。
 命に真正面から向き合って、命を選び取ることがモニタリングポストを存続させて欲しいという運動の一つであるし、この「子ども脱被ばく裁判」だと思います。

★長文をお読みくださって、ありがとうございました。
 この後、井戸弁護士からこの日の裁判の進行についての説明がありましたが、その報告は裁判傍聴報告と合わせて次に続けます。

いちえ

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