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2019年7月31日号「7月12日 津島訴訟・第21回裁判㈪」


 7月12日午後は須藤カノさんの原告本人尋問に続いて、証人関礼子さんの反対尋問が行われました。
原告代理人からの主尋問は今年の3月に為されて、今回は被告代理人からの反対尋問でした。
◎証人:関礼子さん
 関礼子さんは立教大学社会学部の教授で、環境社会学・地域社会論の専門家で、原告が主張している原状回復請求の必要性と、「ふるさと喪失」に関わる社会学的評価を明らかにするために証人をされています。
●関さんの論旨の要点
1、「ふるさと喪失」が持つ被害の重大性
2、「ふるさと」は次の3つを構成要素とする
  ㈰、人と自然との関わり
  ㈪、人と人とのつながり
  ㈫、㈰の関わりと㈪のつながりの持続性・永続性
3、原発事故および放射能汚染が「ふるさと津島」という自然との関わり・人とのつながりという磁場を奪い、これにより「ふるさと」という磁場を持続的・永続的に将来につなげることが著しく困難になっていること及びそれが原告らのアイデンティティーを傷つけていること
4、原告らの主張する「ふるさとを返せ」とは、津島地区の文化・伝統・歴史を未来に繋ぐことを可能にせよという訴えであり、そのためには津島地区の除染(原状回復)が必要不可欠であること。

●関礼子さんの意見書から(3月の主尋問の際に提出されたものから抜粋)
 原告がこの裁判に託しているのは、土地に根ざして生きる権利、すなわち土地の文化や歴史を受け継ぎながら人生を全うするという、ささやかな根源的な幸福を奪われた不公正と不正義を正すには、もはや裁判しかないという切なる願いである。

 浪江町には山間集落である津島地区、平地農村と市街地、漁村集落がある。ヒラバ(平場)、マチバ(町場)と呼ばれた平野部や市街地と、ヤマ(山)とかサンチ(山地)と呼ばれてきた津島地区には、かつて、明らかな地域格差、経済格差があった。山間地の厳しい風土の中で生き抜くために育まれてきたのが“結い”の精神である。
津島地区では田植えなどの農作業の共同作業だけではなく、助け合うこと(相互扶助)、みんなで楽しみながら一つのことを成し遂げること(共同・協同・協働)も“結い”である。
同じ津島地区に住む人がともに(共同)、心と力を合わせて協力しながら(協同)、それぞれが得意分野を活かして何かを成し遂げる(協働)という“結い”の精神は、「私は私」という個人主義的な風潮があるヒラバやマチバとは対照的な気性である。

 津島に開拓に入った人々は食うや食わずの苦労をした。だが、津島地区の自然の恵みは開拓者が開拓地に選ぶだけの優位性があった。豊富な水と豊かな山、食糧になる動植物や燃料となる薪が豊富な土地が、自給自足の生活に適していたからである。
 開拓に入った当時は、開拓に入った家と、元から津島地区に住んでいた「旧農家」との間には微妙な距離があったが、もはや「あいつ開拓者だ、なんて言わなくなった」、「開拓者の家には嫁に行かせないという話は聞いたことがない」、そして津島地区の中に「格差はない」。隔たりを超えて「津島はひとつの家族」になったのである。
以上のように、各行政区の歴史や芸能、自治を継ぎながら、有機的、一体的に形成されてきたのが「ふるさと津島」である。
そこは旧農家にとっては、先祖代々住み続けてきたという歴史的蓄積のある場所であり、戦後開拓に入った開墾の家にとっては、辛苦して根を下ろしてきた場所である。
そして、両者が「ひとつの家族」となって作り上げてきた、かけがえのない地域である。

「ふるさと」そのものであった人びとが、原発事故で土地を追われて「ふるさとを元どおりに返せ」と訴えることになったのである。
 それでは、原告にとっての「ふるさと」とは何か。避難を余儀なくされてからは、涙なくして歌えなかったという唱歌「ふるさと」は、「ふるさと」の3つの構成要素を端的に示す。
第一は人と自然の関わり(「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」)である。
第二に、人と人とのつながり(「如何にいます父母、恙無しや友がき」)である。第三に、愛着のある「ふるさと」の自然に対する信頼、いつまでも変わることなく存在する自然の永続性への願い(「山は青き故郷、水は清き故郷」)である。
 ここに象徴されるように、「ふるさと」とは、関わりとつながりが生活や文化、歴史や伝統として編み込まれた空間であり、人びとが、関わりとつながりを編み足しながら生活や文化、歴史や伝統を継いでいく空間である。
そこは住民たちの権限が及ぶ「領分」「縄張り」(territory)として認知される空間でもある。

 山菜採りのような活動は「マイナー・サブシステンス」活動として特徴付けられる。
マイナー・サブシステンスは、主たる生業や副次的な生業ですらない生業活動を指す。経済的にはさほど重要ではないが、季節性があり、自然に分け入って自然と密着して、動植物を捕獲採取する活動である。
創意工夫して自然と駆け引きするマイナー・サブシステンスは「楽しみ」であり、「名人」という社会的名声を得ることのできる活動でもある。
そしてまた、マイナー・サブシステンス活動の空間は、人々が繰り返し働きかけることで、親和性のあるトポス(場)になる。
 マイナー・サブシステンス活動の中で大きな位置を占めていたのは、山菜やキノコの採取である。
山菜は、フキ、ワラビ、ミズナ、タラノメなどであり、食卓になくてはならないもので、フキやワラビは大きな樽に塩漬けにして一年中食べた。
山菜採りという自然に関わる行為は、自給自足に資するだけではなく、人と人をつなぐ“結い”のアイテム(道具)を獲得することでもあった。
山菜採りに行けない人に分けたり、祭りやイベント、診療所の医師や学校の先生との交流の場で振舞ったりした。
近隣縁者への分配分を含めて採取・保存加工するのが当たり前だったし、かつてはフキを採って売り、学校の資金造成を行ったこともあった。
つしま活性化センターが出来てからは、地域の活性化に資する商品としてセンターで販売する人もあった。

 自給自足的な生活は、1世帯、1地域の中で完結するのではない。
世帯と世帯、地域の内外で必要な資源が分配され、均等化することで成立する。
例えば野菜や菌類を栽培する時には、あらかじめ「分ける」ことを見越して自家消費用をはるかに上回る量をつくる。
屋敷に竹林がある家では、タケノコの季節になると「採りに来い」と声をかける。山菜・キノコ採りにも、「採る楽しみ、わける楽しみ」があった。
 さまざまな資源を「わけ合う」ことで、作物の栽培の有無や、作物の出来・不出来は平準化される。
自然に働きかけて得た資源が再分配されて、必要なものが必要なだけゆきわたる状況が生まれる。
「わけ合う」のは有形の物だけではなく、物の代わりに、個々が持つ情報や提供しうるサービスも、物に代わって分配された。
 例えば、出勤途中に通学バスに乗り遅れた子どもを見かけたら、車に乗せて学校まで送っていく、町の大きな病院に通院するお年寄りから、「出勤する時に(ついでに)乗せて行って欲しい」と電話がある。
あるいは医療関係者が地域の患者さんの様子を気にかけて、自宅まで様子を見に行く。行政関係に詳しい人が地域の人の相談に乗る。地域の祭りや行事の世話をする。
 そうすると、自分の家で米や野菜を作っていなくても、「あのとき世話になったから」と、米や野菜、山菜などがどっさりと届けられる。
高齢化によって、一方が分配・贈与する資源を持ち得なくなった場合でも、こうした関係は当たり前に継続されていく。
世代を超えて「あのときに(先代に)世話になったから」と、互酬関係が受け継がれる。
 このような関係は“結い”の一類系として認識されている。
有形、無形の資源が日常的に分配され、分配が連鎖することによって、人間関係が密に結びつき、社会関係資本が持続的なものになった。
「本当に辛くなったら周囲が助けてくれる」という信頼と安心感があり、実際に、津島地区の緊密な人間関係はいざという時のセイフティネットとして機能した。
 例えば使う分の血液を用意しなければ輸血してもらえなかった時代、大事故で大量の輸血が必要になったときに、津島地区の人たちがこぞって献血してくれ、命を助けてもらったという人がいる。
ハンディキャップを持つ子を、「地域の一員」「津島の子」として、ともに愛しみ、その成長をともに見守ってくれていたと語る人がいる。
 人間関係を密にする日常の営みは、ごく自然に社会関係資本を維持するように機能していた。
津島地域が地域活性化に取り組む際にも、それぞれの得意分野を活かして事業が展開された。「かぼちゃまんじゅう」を作る名人に教わって、「かぼちゃまんじゅう」の特産品化をはかり、ニホンミツバチの養蜂をしている人に、蜂蜜を商品に出してもらった。
教師や医師など、外部からやってくる重要な職種の人々を迎える際には、津島地区の一員として気持ちよく暮らしてほしいと、引越しの手伝いや歓送迎会はもちろん、日々の活動への協力に手間を惜しまなかった。
「津島はいいところだと思ってほしい」という純粋な気持ちからであるが、それは「津島は来て良いところだ」という評判につながる。そうした評判は、津島地区の人々にとって嬉しいことであるだけでなく、その後に赴任する人のモチベーションを上げることになった。

●反対尋問:国側代理人
Q:経歴についてお聞きします。専門は環境社会学というが、どのような学問か?
A:自然社会学にも環境社会学はあるが、1990年代に自然保護運動の文脈から社会問題化した環境社会学という分野で携わってきている。
社会学は実証的なもので、環境社会学は発生当初から「現場を見よう」「被害は現場にある」として、現場に出ることを大事にしている。
Q:本件の意見書の作成は現場での実証からか?
A:現場に直接入ることのみでなく、被害者に聞くことも大事だ。
原発事故は公害問題と捉えている。
Q:意見書は弁護団から依頼があってのことか?
A:そうだ。だが、意見書は原告らの実被害について述べている。
「ふるさと喪失」という言葉も、原告の言葉から出ている。
Q:津島地区の住民中、あなたが話を聞いたのは5パーセントに満たない人数ではないか?いささか少なすぎるのではないか?
A:調査方法は住民から直接聞く他に、新聞記事、原告団調書も全て時系列で調べ読んでいるが、言葉で語られていることの他に、語られないこともある。
それらの分析にブレはない。
Q:マイナー・サブシステンスは、津島独自ではなく、人間社会一般に見られるのではないか?
A:人間社会にあることだが、津島地区にも特徴的にある。
Q:帰還困難区域になった津島でなくても、都会でも人が住まずに朽ち果てていく家がある。それは胸が痛むことではないか?
津島の住民だけでなく、都会の人でも自分の持っているものが朽ちていけば胸が痛いのではないか?
A:それは、被害と加害を考えない理屈だ。津島の住民は原発事故の被害を受けて住めなくなっている。
Q:原告にはヒアリング以外、例えば食事を共にするなどで会ったことはあるか?
A:一緒に食事をするために会うことはないが、例えば裁判期日の昼食時に一緒にお弁当を食べたりはする。
●反対尋問・東電代理人
Q:「ふるさと」で暮らす価値は、人によって違うか?
A:原告らは自分たちを「ふるさとの人」とは思っていず、「地元の人」と思っていた。
Q:「ふるさと」に対する思いは、個々人で違うか?
A:思いの強度の違いは若干はあるだろうが、「ふるさと」への思いは同じだ。
損害賠償金の支払いに相違があることは承知しているが、その妥当性についてはペンディング。
一人一人の損害は個別に見ざるを得ない事情はあるが、「ふるさと剥奪」の被害は同じようにある。その場に住めなくなった人は「ふるさと剥奪」の被害に遭っている。
Q:津島地区を「ふるさと」と捉えた根拠を知りたい。
A:津島はもともと自然村6つが合わさって、人と自然との関わり、人と人とのつながりが育まれ、一つの津島になっていった。

★十分にメモしきれず、何か“しり切れとんぼ”のような報告ですが、津島訴訟第21回裁判報告を終えます。
次回期日は、9月19・20日の両日です。
 なお、9月19日は福島原発刑事訴訟の判決です。
勝俣、武黒、武藤の3被告に、責任を取らせる判決をと、強く望みます。

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