HOME » 一枝通信»2019年8月5日号「安保法制違憲訴訟・国家賠償請求事件 傍聴記㈪」

2019年8月5日号「安保法制違憲訴訟・国家賠償請求事件 傍聴記㈪」


 前便に続いて、原告代理人弁護士の意見陳述です。
●第3章 新安保法制法により侵害された権利:角田由紀子弁護士
原告らは、平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権が侵害されたと主張してきた。
被告は、原告らの述べることは国家賠償法の対象にならず、漠たる不安に過ぎないと切り捨ててきた。
しかし原告らは、さまざまな人生の歴史と経験から、具体的に被害・損害を被ってきており、現実の苦痛を受けていることを、侵害された3つの権利に従って、その苦痛と恐怖を実態的に述べている。
原告らは新安保法制法が着々と実施に移されている日々の中に身を置き、それぞれの身に降りかかった被害が積み重なる事実に、言葉を失う。
㈰まず、平和的生存権について述べる。
被告は、平和的生存権はもとより、「平和」概念そのものが抽象的で不明確であると主張し続ける。
平和は、アジア・太平洋戦争の惨禍と多大な人的・物的被害を経験させられた国民・市民にとって現実的な意味を持つものであり、被告の主張は受け入れがたい。
平和は、国家にとっても国民・市民にとっても、その存立、生存に関わる非常に重要な価値であり、多様な理解の仕方があり、平和概念そのものが不明確であるとは言えない。
例えば、自衛隊法3条1項の「我が国の平和と独立を守り」の文言が「平和」という概念が不明確だから自衛隊は任務につけないと主張したら、国はどう対処するのだろう。
憲法をはじめ、この国の法体系の下では、「平和」も「平和的生存権」も、日常語としてはもちろん、法律用語としても自明のものとして使用されてきている。
平和的生存権は基本的人権の一つであり、憲法前文、9条および13条をはじめとする憲法3章の諸条項が複合して保障している人権の基底的権利であり、自由権、参政権等の複合的な権利である。
それは人権として国との関係で機能するものであり、具体的には国が憲法9条に違反する行為を行い、個人の生命、自由および幸福追求権が侵害されまたは侵害の危機に晒され、恐怖を含む精神的苦痛を被った場合は、損害賠償請求を認める根拠となる。
㈪次に人格権について述べる。
人格権は、「人間が人間であることからその存在を全うするために認められた権利である」との共通理解が、憲法および民法の分野で認められる基本的原理である。
すべての権利は、社会と人間との関係により生成発展するものであり、人格権も、また同様であり、人格権は社会の変化から人々が人間らしく生きることを保障する働きを担うものとなる。
本裁判に提出された憲法学者の志田意見書および民法学者の木村意見書から明らかになったことは、原告らが新安保法制法によって侵害されたと訴えていることは、被告の言うように「漠然とした不安」ではなく、原告らそれぞれの戦争の実体験や社会的知見、歴史への理解などから「ある結果を恐れるにつき相当の根拠が存在する、故に法的保護を要する具体的な被害である」というべきであり、これについて裁判所が立ち入った審理を行う必要があるということだ。
志田意見書が指摘するように、原告らが訴える苦痛や恐怖は、過去の経験の回想によるものではなく、それら記憶の底で沈静化させられていたものが新安保法制法によって再び蘇り再体験によって、いま改めて苦痛に苛まれているのだ。
これを「漠たる不安」と切り捨てるのは事実を見誤っているのであり、国がいま行うべきことは現実に向かい合い被害の実態を見つめることだ。
㈫最後に憲法改正・決定権について。
憲法改正に対する意見表明や運動の機会さらには国民投票権の行使の機会を奪われ、これらの憲法改正手続きが取られずに、違憲である閣議決定がされ新安保法制法が強行採決されたという極めて具体的な権利侵害がなされた。
それらは多くの国民の目の前で行われた消し難い衝撃的な事実だ。
この衝撃的な事実により多くの国民は、自らの権利侵害をされた。
原告らは、自ら戦争を体験し、あるいは両親や祖父母から戦争の地獄の体験を語り継がれ、日本の侵略戦争の痛切な反省の上に立って、戦争を放棄し、戦力を持たないと世界に宣言する平和憲法を何よりも誇りにし、二度と戦争をしないためには憲法9条を守り通さねばならないと強く決意し、その核心に支えられてこれまでの人生を送ってきた。
原告らは新安保法制法が国会に上程されて以降は、国会前の集会に参加し、国会議員に要請するなど、可能な限りのあらゆることを行ってきた。
これらの行動は原告らにとって自らの行き方を貫くために不可欠のもので、それぞれの生活の中で様々に意思表示をしてきた。
原告らの安保法制問題への関わり方は様々であっても、憲法9条の実質的な改変に対して、主権者としての自己決定権を行使したい、しなければならないという思いは共通だ。
それを立法と行政に阻まれたことで原告たちは、怒り、憤り、焦燥感、絶望等を訴えているのだ。
原告の中には、そのため、身体的な不調や苦痛を味合わされて人もいる。
「日本が戦争のできる国に改変されてしまう」という最も恐れ否定していた事態を目の当たりにして、原告らが受けた主権者個人個人としての精神的苦痛は、何としても救済されなければならない。

●第4章 原告らの被害と損害の深刻性:古川(こがわ)健三弁護士
㈰はじめに
第4章では、原告の生の声を類型ごとに示した。
原告らの個別の経験、立場や職業など様々な個別の事情に即して、原告らが感じている現実の危険、恐怖、苦悩,深刻な喪失感が、多くの声から浮かび上がる。
これらは決して「漠たる不安」でもなければ、「法的保護に値しない単なる焦燥感」などではない。
原告らの人生をかけた、魂の叫びなのだ。
憲法研究者の青井未帆教授は、「原告らの主張には、純粋に私的な利益にとどまらない、自己の経験・体験に裏打ちされた高度の公的な利益に関する主張が含まれています」と指摘するように、多数の各界各層の人々が各々の立場、経験に基づいて広く声を上げていることからも理解される。
裁判所には、是非とも多数の陳述書の原文に直接当たっていただき、その行間に込められた原告一人一人の思いに接していただくことを切に望む。
㈪個別の原告らの陳述書から
本日は戦争体験者の家族の陳述内容に触れたい。
戦後74年目を迎える今日、直接の戦争体験者は少なくなりつつあるが、私たちは決して戦争と無縁ではない。
父や母が先の戦争で、体と心に深い傷を負ったという間接的な体験は、原告ら自身の直接的体験と重なり合い原告の人格を形成している。
特に戦争での被害と加害を言葉少なく語る父母や祖父母の姿は、原告らの人格形成に強烈な影響を及ぼしている。
ある原告の父は、兵士として旧満州に行っていたが、帰国後、夜中に大声を出して目覚める日々が続いていた。
父は中国人を縛って寒風の中に晒し、それを見張っていたと告白したそうだが、それ以上、殺戮に加担したなどと語ることはなかったが、子供達には伝えられないようなこともあったのだろうと、原告は思わざるを得ない。
そんな父を身近に見てきた原告にとって、父のような人間を作り出すことになる安保法制の成立は非常な苦痛だ。
ある原告の父もやはり旧満州に出兵し、戦闘で負傷して帰国し、終戦を新潟の陸軍病院で迎えた。
父は戦地で負った傷により外傷性てんかんとなり、夜中に痙攣の発作を起こすと仕事ができない体になった。
原告の父は満州でどんな体験をしたか語ることはなかったが、口癖のように「戦争はダメだ」「二度と行きたくない」と繰り返していた。
原告は、父のような苦痛を後の世代に受けさせてはならないと、新安保法制の制定に強い危惧を覚え、苦痛を受けている。
ある原告の父は、戦時中に教師として作文教育をしたことを咎められて、3年半も投獄されていた。
新安保法制の成立に、自由が奪われることに黙っていられないと陳述書を提出した。
ある原告の父は、ガダルカナルの激戦地から奇跡の生還を遂げた。
しかし出征前には優しかった父は、帰国後ひどい酒乱となり、家族が反抗すると「戦争に行きゃあ分からあ」と叫び散らす日々だった。
原告の母は幼い原告を抱きしめて家から逃げ出しては「川に飛び込んでもいいか」と原告に聞いたという。
戦争は父の人格を破壊し、家族をも崩壊させた。
自分が戦争に行っていないとしても原告もまた戦争により大きな被害を受けており、そのような立場からも新安保法制は絶対に容認することができない。
ある原告の両親は、旧満州開拓団の農民だった。
国策によって旧満州に入植した農民たちは、1945年8月9日のソ連参戦、8月15日の敗戦により広大な極寒の地に置き去りにされ難民となった。
飢えと寒さと病気により多くの人が倒れ、集団自決した人々も少なくない。
原告の両親たちも手榴弾を用意して自決しようとしたが、その時、当時生後数ヶ月だった原告の姉の笑顔がかろうじてそれを思いとどまらせた。
「弾とれば 腕のみどりご 息冴ゆる 命の限り生き延びよとや」
これは当時原告の父が詠んだ短歌だ。
しかし、生きるも地獄の極限状態に、原告の姉と二人の兄は次々と病に倒れ、日本に帰ることはできなかった。
原告の両親たちは、次々と無くなっていく子供達や老人たちを弔う線香が足りず、1本の線香を何本にも折って弔ったそうだ。
原告が母の胎内に宿ったのは、そんな時だった。
原告は姉の微笑みがなければ、この世に存在していなかった。
原告の命はこのように大きな犠牲の上になんとか繋がれてきた。
新安保法制は制定された今、この命を後の世代につないでいくことができるのか、原告は大きな不安に苛まれている。

他にも多くの原告の魂からの声が多数寄せられている。
もう一度繰り返すが、是非とも原告の陳述書そのものを手にとって読んでいただき、原告の痛みに思いを致していただきたい。
㈬新安保法制が破壊したもの、原告から奪ったものは何か
新安保法制は、原告らの生命、身体、財産の侵害とその危険性をもたらせた。
「集団的自衛権の行使」の名の下に、日本が再び戦争ができる国へと変容させたが、戦争は究極の暴力であり、個人の生命、身体、財産に対する最大の侵害行為だ。
戦争体験者は、自らの戦争体験を通じて、戦争は最大の暴力であり人権侵害であることを鋭く告発している。
原告らは決して過去の歴史的事実として戦争体験を語っているのではない。
原告らは「政府の行為によって二度と戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し」そのために「不断の努力」をしているのだが、新安保法制を制定した政府の行為は、憲法前文そして9条に真っ向から反するものだ。
新安保法制の制定は、暴力を容認し弱者を容赦なく切り捨てる社会の到来を告げるもので、暴力を手段として敵に打ち勝つことを目標とするのが戦争だ。
2016年7月、相模原市で起きた障がい者らの刺殺事件は、社会を震撼させた。
これに言及して恐怖感を述べる原告は複数ある。
それは新安保法制の根底にある、武力を持って紛争を解決しようとする思想が、「障がい者なんていなくなってしまえ」と無差別に殺戮した殺人者の思想と通じ、ひいてはナチスドイツや戦前日本の恐怖社会を想起させたからだ。
自らや家族が障がいを抱えて生きている原告は、誰よりも早く恐怖社会の到来を察知して警告している。
新安保法制の制定は、個人の権利と自由が大幅に制約される監視社会の到来を告げるものでもある。
新安保法制と前後して特定秘密保護法やいわゆる共謀罪など、個人の権利と自由の侵害を容易にする法律が次々と強行採決された。
このことは特に言論活動に関わるジャーナリストや教育研究者に大きな脅威をもたらし、また宗教者らも大きな危惧を覚えている。
新安保法制の制定過程には議会制民主主義と立憲主義を根底から揺さぶるような重大な瑕疵があった。
原告らは日本国憲法の下、日本は議会制民主主義と立憲主義の下で法的安定性を持つ成熟した市民社会であると信じて生きてきた。
ところが2015年9月、国権の中心であるべきはずの国会で繰り広げられた光景は、日本の立憲主義と法の支配を信じて疑わなかった原告らにとって、足元から地面が崩れ落ちていくような衝撃の場面だった。
この訴訟には複数の元検察官、元裁判官も原告として参加している。
法の支配の実現を職業的使命として生きてきた法曹にとって、法の支配の機能しない社会、立法事実がなくても言った者勝ち、権力を取った者勝ち、都合の悪い事実には蓋をする、記録は残さない、廃棄、改ざんなんでもありの社会は、到底容認することはできずこの訴訟の原告として立った。

★裁判傍聴記、続きます。

いちえ

0件の読者の声 »

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

本の感想をお寄せください。

編集部で掲載の可否を判断させていただきます。
あらかじめご了承ください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)




TOPへ戻る