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老農詩集より 十牛図〈板画・森貘郎〉


禅の悟りの過程を表現した「十牛図」に関口江畔の詩を織り込んだ森貘郎さんの板画。
禅の修行を積んだ江畔の詩が「十牛図」と調和し、より深く詩の風景に入り込みます。

「心明るく」

今日は今日の
心明るく
曲った履物なら
直しておく
十牛図〈一〉尋牛(じんぎゅう)
人が煩悩妄想のために失った自己の本心を牛にたとえ、これを探し求め、尋ねることから十牛図は始まる。

「おのれの心」

温いものは
おのれの心
今日も枯木に
雪が降る
十牛図〈二〉見跡(けんせき)
本を読み、師を求めて指導を受け、ようやく修行の方法を理解できたが、まだ知的理解の域を出ず、わずかに牛の足跡をみつけた程度。更に励みを加えて行脚を続ける。

「一本の草」

一人の味方もない時
ほんとうの自分を発見する
その時人生は
一本の草である
十牛図〈三〉見牛(けんぎゅう)
険しい道を踏み越え、やっと牛の影が見えてきた。深浅もあろうが、一応自己の本心を見つけ、悟の開けた段階。

捨 身」

人生は至る処に
関門がある
次から次とある関門
ここを通過するには
すっぱだかになって
大手を振って通ることだ
十牛図〈四〉得牛(とくぎゅう)
見つけた牛に綱をつけて飼い慣らそうとするが、暴れていうことを聞かず、隙を見せると逃げてしまう。煩悩妄想はなかなか断ち切れない。

「涙

人の為に出て来る涙
そういう涙こそ
溜めておこう
十牛図〈五〉牧牛(ぼくぎゅう)
牛も少し慣れて、手綱を緩めても後ろからついてくる。しかしまだまだ油断ならない。日常生活の中で工夫怠りなく、悟後の修行を積む。

「俺は静かに」

鳥は飛ぶ
獣は走る
俺は静かに
歩いてゆく
十牛図〈六〉騎牛帰家(きぎゅうきか)
飼い慣らした牛を我がものとし、手綱を放ち牛に騎って懐かしい我が家に帰る。牛に任せておけば安心、横道にそれることもない。

「花作り」

人間には
花作りという仕事もある
どんな我他々々の世になろうとも

十牛図〈七〉忘牛在人(ぼうぎゅうぞんにん)
家に帰り着くと、求めるものは何もなく、苦労して手に入れた牛さえ忘れてしまう。もう用はない。悟にも縛られず、自由自在、悠々自適に生きる。

「夢」

ちょっと横になった肘枕の
私は大空を翔けまわって
白い雲と談をしていた
「聖人に夢なし」というが
聖人はさぞ淋しいことであろう
十牛図〈八〉人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
悟もなければ、悟った法もない。迷悟ともに離れ、すべて空。

「大馬鹿」

大きな馬鹿にならなければ
世の中が明るくならないそうだ
何も彼もあちら任せに
根気よく土と親しんでいる聾の爺さんは
強い口調でそう言った
十牛図〈九〉返本還源(へんぽんかんげん)
絶対否定を更に超え、はからいのない澄んだ心で移り行く現実の世界をありのまま見ていく。
何を見ても真実ばかり、この世界がそのまま浄土だった。

「こういう人に」

両手をひろげている人に逢いたい
昨日も ──
今日も ──
明日も ──
両手をひろげている人はいないか
十牛図〈十〉入鄽垂手(にってんすいしゅ)
布袋和尚のように素っ裸になって、七転八倒の巷に入り、遊化三昧、泥だらけになって暮らしていく。
その笑顔を見る人は皆自然と救われてしまう。

老農詩集・普及版

詩・ 関口江畔
挿画・森貘郎
(板画・十牛図)
本体価格1,500円+税(税込1,575円)
最新刊 2009年4月8日発刊


森貘郎オフィシャルサイト・森の板画廊

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